2017年1月30日月曜日

英語ができないから諦める?


日本人は外国語が苦手、英語コンプレックスがある...。
もう私が子供の頃から(ということは50年以上前から)日本では、ずっとそんなことが言われ続けている気がします。そりゃ、外国語ができた方がいろいろと得をすることもあるし、便利なのは間違いない。

例えば、電車の切符売り場で途方に暮れている、日本人ではない美男/美女に声をかけて、行き先の切符購入のお手伝いができれば、それだけでラッキーだと思うし、運が良ければロマンスのきっかけになるかも知れません。でも、そんな場面は人生にそう何回もあるはずはない。本気で国際恋愛や結婚を望むのなら、滅多にない偶然を待つのではなく、自分で行動を起こしているでしょう。

当たり前すぎて今更書くのも憚られますが、母語以外の言語というのは道具です。大工さんがノコギリや鉋の使い方を覚えるのと同じ、技術の習得。上手に道具を使うこと自体が目的なのではなく、家を建てたり家具を作ったりするのが重要。それで依頼主から報酬をもらうことができる。

つまり、漠然と外国語を喋れるようになりというだけで、英会話学校に通ったりするのは、あまり賢いお金の使い方とは思えません。そこには何か目的があるはずで、英語なしでは仕事にならないとか、海外に移住したいとか。中でも一番強力なモチベーションは、最初に書いたように、恋人とのコミュニケーションのため。

私の場合、若い頃から海外で仕事がしたいという思いがあり、社会人になってからも英会話の勉強を続けましたが、いわゆる帰国子女ではありません。それでも、何とか自分の専門である工業デザインの範囲ならば、業務に差し支えないレベルには到達。その後フィリピン人の家内に出会ってからは、自分でも驚くほど英語力が短期間にアップしました。特にプロポーズと、相手の両親に「お嬢さんをくださいプレゼン」をする時は、どれだけ必死に勉強したことか。

(注)結婚してからは、家内があっという間に日本語をマスターしてしまい、今では家族の公用語は大阪弁なので、私の英語はすっかり錆び付いております。

ところが、海外に出かけることのハードルがうんと低くなった今でも、言葉ができなことを理由に、日本に閉じこもる人が多いのは残念。いじめ、貧困に自殺、先の見えない年金問題、長時間労働、低賃金...。移住してからは、ネットを通じてだけの印象とはいえ、日本中に不満と苛立ちが蔓延しているように見えます。無差別殺傷事件やヘイト・スピーチなどのニュースが多いのも、それと無関係ではないでしょう。

そんなに辛くて窮屈な日本にしがみつかなくても、生きる選択肢はいくらでもあるはず。もちろん生まれ育った場所で幸せがつかめるなら、無理に出て行くこともないけれど、頭から日本以外に道はないと、決めつけている人が多すぎる気がします。

私の仕事や結婚、移住などでの経験から言わせてもらえば、何をやりたいのかさえ強く持っていれば、言葉なんて後からいくらでも習得できます。どうも日本人の悪い癖で、始めるまでに手間暇かけて、完璧に準備しないと動けない。やれ勉強だ、資格だ、貯金だ。そんなこと言ってたら、死ぬまで何もできませんよ。

何の準備もなしに突っ走るのは、ただ無謀なだけですが、私の感覚だと6割見通しが立ったら、行動に移すべき。働いてみないと、その会社の良し悪しが分からないのと同じで、やってみなければ、足りないところも分からない。やってみて調整して再度やってみる。成功への道はそれしかありません。

外国で大学教授になるわけではないのですから、自分に必要な範囲の言葉さえ覚えれば何とかなります。英語ができないから、やりたいことを諦めるなんて、実にもったいない。


2017年1月29日日曜日

ネズミ戦争のその後

我が家の屋根裏にネズミが出没して、第二次ネズミ戦争勃発から一週間。今日は、その後の戦況についてお伝えします。

2年ぶりに上った屋根裏。案の定天井材の石膏ボードには、ネズミの糞が散乱していました。特に夫婦の寝室のちょうど真上あたりに集中。何も一番よく聴こえる場所で騒がなくても。「雉も鳴かずば撃たれまい」なんて言いますが、ネズミも静かにしていれば気付かれないのに、なぜ駆除してくださいと言わんばかりに、物音を立てるんでしょうか。

戦術は前回と同じ。使い残しの毒餌と粘着罠を置くだけです。ただし最初は効果があった金属製のネズミ捕りが、一回きりでネズミが学習して寄り付かなくなった経緯もあるので、同じ手は効くかな? そんな懸念を吹き飛ばすように、罠を仕掛けたその日の深夜、ドタンバタンと激しい物音。これはマンマとかかったようです。もう二年も経ってネズミも代替わりして、前回の教訓は子孫に伝えられていなかった模様。

翌朝、怖々上がった屋根裏。いました、いました。粘着罠に後ろ脚と尻尾をくっ付けて、隅の方にうずくまるネズミ。天敵がいなくて餌が豊富な場所では、猫ぐらいの大きさにまで育つと聞いたことがありますが、我が家の居候はまだまだ小さく、手持ちライトで照らすと、哀れっぽくひと鳴き。「ちゅうぅ」。

さて、ここからが厄介。どうしようか暗闇の中でしばらく考えてから、一旦屋根裏の出入り口まで戻って、階下に向かって「ネルジ〜ッ!ネルジ〜ッ!」とメイドさんの名前を連呼。慌てて二階に上ったネルジーに、スーパーのレジ袋を持ってくるようお願いしました。

さすがに素手で捕まえるのは無理なので、もう一つあった粘着罠を上から押し付けてサンドイッチ状態にして、レジ袋に。ところが袋の大きさが足りず、ネズミが頭を出して、目が合ってしまった。「助けてくれぇ〜」と懇願するように、またもや「ちゅうぅ」。

二年前は、つい仏心を出して逃げられてしまったので、今回は心を鬼にして、もう一枚持って来てもらった袋でぐるぐる巻きに包み、そのまま金属製のネズミ捕りに放りこみました。それを庭に置いてある水を張ったバケツに、ぶくぶくと沈めて一巻の終わり。前回の騒ぎに比べると、実にあっけない幕切れでした。念のため毒餌と罠は残して、屋根裏から戻ると一気に疲れが。

どうせそのうち、別のネズミが戻ってくるのでしょうが、しばらくは天井裏に上がらなくて済むと思ったのは早計でした。なんとその夜、またもや屋根裏運動会が再開。今度は寝室ではなく、その隣のリビングルーム。やっぱりもう一匹いたのか...。まるで「俺はここにいるぜ」と存在を誇示するように、ずいぶん長いこと走り回っていました。

そうか、そっちがそう来るなら、考えがある。翌日、近所のスーパーに行って、さらに大きな粘着罠と、追加の毒餌を購入。若干筋肉痛が残る足腰をさすりながら、もう一度天井裏へ。


前日置いた毒餌は、きれいに完食。う〜ん、これなら何もしなくても、もうどこかで死んでいるかもしれません。でも折角買った罠と餌を使いたい気持ちもあったので、セッティングをやり直しておきました。

前回の投稿をアップしてから、フィリピン在住の方々からたくさんのコメントをいただきました。やっぱり皆さん、ネズミには手を焼いておられるようですね。試してみた対処法を、いろいろ教えてくださる方も多数。

その中でも一番確実と思われるのは、猫を飼うこと。この方法は古代エジプト時代からあったそうで、猫が家畜になったそもそもの由来。本当の飼い猫にしなくても、野良猫を餌付けして、時々家の敷地内に入れるだけでも、ネズミはいなくなるそうです。

罠と毒餌を仕掛けてもう三日。取り敢えず静かになった我が家の天井裏ですが、次回のネズミ戦争に備えて、どこかで子猫もらってきましょうか? 以前に飼い猫に死なれてから、もう生き物は飼わないと決めていましたが、これは仕方がなさそうです。



2017年1月23日月曜日

子豚売ります

フィリピン人は豚さんが大好き。
隣国のマレーシアやインドネシアでは、アルコールと豚肉がご法度のイスラム教徒が多く、フィリピン諸島もスペイン人が来る以前は、イスラムが支配的だったそうです。しかし400年前、幸か不幸か征服者のスペインによってもたらされたカトリックが広まって、ミンダナオ島などの一部を除いて、今では宗教的な理由で口にしてはいけない食品は、ほぼ皆無。

道を歩いていても、生きている豚を積んだ軽トラックはよく見るし、街路樹には「子豚売ります」の看板。家の近所には養豚場があって、時々「断末魔」が聞こえてきます。本当はフィリピンと言えども、住宅地で豚を飼うのは制限されているはずなんですけど。


移住して間もない頃、知り合いに勧められて豚の解体を見たことがあります。とてもグロなので詳細な描写はしませんが、気の弱い人ならば当分豚肉を口にできないような光景。カトリックの信徒である私の場合は、残酷さよりも「屠る」(ほふる)ことをリアルで見て、聖書(特に旧約聖書)のイメージを大きく修正しなくてはならないこと、にショックを受けました。

有名な旧約聖書冒頭の創世記。アダムとイブの楽園追放やノアの箱船、バベルの塔など、クリスチャンでない人にもよく知られた逸話が書かれた部分です。その中にあるのが、すべてのユダヤ人の祖とされるアブラハムの物語。

子供に恵まれなかった遊牧民のリーダー・アブラハム。すっかり年老いて諦めた頃に、老妻サラが一人息子のイサクを出産します。時にアブラハム100歳。ところが、神はそのひとり子イサクを羊のように屠って、捧げものにするよう命じます。アブラハムは、苦悩しつつも、最後には我が子を殺すことを決意。まさにイサクの心臓にナイフを突きたてようとした瞬間に、神はそれを制止。アブラハムの信仰の深さを試したのでした。

このエピソードを始めとして、聖書では当たり前のように「屠る」と言う記述があちこちに出てきます。しかし動物を屠殺して食肉に変えると言う作業は、それを見慣れない日本人の目には、戦慄を伴うほど衝撃的なものなのだと、その時ようやく気付きました。

フィリピンでは結婚式や、子供の洗礼を祝うような時に供される、豚の丸焼き「レッチョン」。昔からのしきたりでは、レッチョンにする豚の屠殺を、パーティの来客に見せるのだそうです。間違いなく一頭丸ごと用意したことの証人になってもらうため。


豚のレッチョン

キリスト教徒が人口の9割を占めるフィリピン。フィリピンのクリスチャンは、正しく「屠る」ことの意味を理解しつつ、聖書を読んでいたんですね。どちらかというと草食系のような感じで、自己主張があまり強くなさそうな人が多い印象のフィリピンの人たち。でも本当はガッツリ肉食系で、精神的なタフネスを隠し持っているのかも知れません。例えば恋愛に関しては、日本人など及びもつかない情熱家が、たくさんいますから。

豚肉の話が、えらいところへ飛んで行ってしまいました。


2017年1月21日土曜日

ネズミ戦争 屋根裏の攻防

最近の日本で、都心部のマンションなどに住んでいると、あまり出会う機会がないと思われるネズミ。ペットショップで売ってるハツカネズミとか、ハムスターじゃありませんよ。ドブネズミの類で、飼いたくなくても勝手に人間の家に居候しちゃう奴らのこと。

フィリピンの田舎街シライでは、ネズミが多い。築数年も経つと、たいていの家の屋根裏にはネズミが入り込んでしまうようで、深夜から早朝にかけて、トットコトットコと運動会が始まってしまいます。

自宅ができる以前の借家暮らしの頃は、朝起きると玄関先に、ネコに食い殺されたと思われるネズミの死骸が転がってたりしました。ネコを飼っている訳ではないのに、あれはノラ猫たちのテリトリー主張だったのでしょうか? どうでもいいけど、片付け役は決まって私。迷惑なこっちゃ。

我が家が完成して引っ越ししてからは、しばらくネズミのことなど忘れていました。ちょうど1年経った頃に、久しぶりにあの「トットコ」音が...。ついに来てしまったか、ネズミ君。早速、近所のスーパーに行ってネズミ捕りを購入。金属製の籠で、中に餌をぶら下げて、それを取ると蓋が閉まるタイプのもの。

この時は、仕掛けて半日であっさりと捕獲成功。生きてるドブネズミを間近で見るのは初めて。意外と可愛らしい顔してるんですね。でもこいつらは、食材に病原菌を付着させたり、電線を齧って火事の原因を作ったり。フィリピンではネズミによる火事の発生が多いんですよ。


捕まえてすぐ、水を張ったバケツにでも放り込んで、始末してしまえばよかったのに、つい見た目の可愛さに騙されて、しばらく飼ってみようかなどと仏心が。そのまま庭に、ネズミ捕りごと一晩放置しておいたら、まんまと逃げられてしまった。その後、ネズミの方が学習してしまったようで、このネズミ捕りは何度仕掛けてもさっぱりダメ。

次にやってみたのが、粘着タイプの罠。大きめのゴキブリホイホイみたいなもの。こちらも、わりとすぐに掛かって、夜中にドタンバタンと大暴れの音。でも翌朝怖々と屋根裏に上がってみると、やっぱり逃げられてました。粘着罠にはネズミの毛がいっぱいだったので、一度捕獲したのは間違いないのに。惜しい。

そして最後の手段とばかりに用意したのが、毒餌。見るからに毒々しい着色の顆粒状。これを一緒に買ってきた皿に盛って、またまた屋根裏へ。粘着罠ももう一度置いて、罠と餌のダブルでトライ。


その夜も、相変わらず物音が。でも翌日からはすっかり静かになりました。これは、毒殺成功か?と意気込んで、スーパーのレジ袋とゴミ拾いトングを持って、通い慣れた(?)屋根裏へ。毒餌はきれいに無くなっていたものの、肝心のネズミの姿はなく、代わりに血痕。おそらく、餌を食べて血を吐いてから、家の外で事切れたんでしょう。ちょっと拍子抜けでしたが、死骸の片付けはしなくて済みました。

さて、この屋根裏の攻防があって2年。先日またもや、トットコトットコ運動会が再開してしまいました。う〜ん、また同じことの繰り返しかぁ。そういうことなら、もっと屋根裏に上がりやすい構造にしておけばよかった。暑いし埃だらけだし、鉄骨だらけでずっと中腰姿勢。もしもう一回フィリピンで家を建てる機会があったら、ネズミ駆除対策も予め盛り込んでおこうと、真剣に考えてしまいました。


2階のベランダに出しておいたら、
サンダルも齧られてしまいました。


2017年1月17日火曜日

コード・レッドの大雨


月曜日(2017.1.16)午前中の衛星写真
出典:気象庁(日本)

一昨日の日曜日(2017.1.15)夜から降り出した強い雨。台風が来てるわけでもないので、朝には止むだろうと思っていたら、翌月曜日も終日の雨。時折突風も吹き、叩きつけるような激しい降り方。この時期、土砂降りは珍しくないフィリピンでも、大抵は数時間のにわか雨。24時間も降り続くなんて。

フィリピンの気象庁によると、この雨は低気圧と寒冷前線によってもたらされたもので、まるで低気圧が太平洋から雨雲の帯を手繰り寄せるように、長時間の大雨になったそうです。幸い、ここ西ネグロスのシライ市内では、大したことにはならなかったものの、同じ島の反対側、東ネグロスの州都ドマゲティでは河川の氾濫などで、学校が臨時休校になりました。

そして夕刻に、家内がフェイスブックでシェアした写真。これはフィリピン南部ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロという街で撮影されました。洪水の多いフィリピンでも、ここまでの水位はすごい。しかも一般的に台風シーズンではない1月に、こんな状態になるとは。


フィリピンでは台風や熱帯低気圧が接近した場合、事前にシグナル1〜4の被害予測が発表されます。シグナルに応じて学校が自動的に臨時休校になったり。今回は台風ではないけれど、その代りに赤・オレンジ・黄で区分された、大雨についての勧告(Rainfall Advisory)が出されました。コード・レッドが「避難」、オレンジが「警戒」、イエローが「監視」。私は初めて耳にするもので、家内によると比較的最近に定められたものだそうです。


出典:ABS-CBN News

今回、被害の大きかったミンダナオ北部を中心に、コード・レッドが発令され、中でも前出のカガヤン・デ・オロがある東ミサミス州では、1月の平均とほぼ同じ量の雨が、1日で降りました。この投稿を書いている時点(2017.1.17 現地時間午後4時)で、カガヤン・デ・オロで死者1名。まだ14歳の男の子が、洪水で崩れた壁の下敷きになってしまったとのこと。かわいそうに。

こんな災害が起こる度に思うのは、もう少し対策がしっかりしていれば、被害はかなり軽くて済むんじゃないかということ。私たちの住む西ネグロスの州都バコロドでも、ちょっと降ったらすぐに幹線道路が冠水してしまう。貧困層の住む川沿いの低地なんて、それはそれは悲惨なものです。せめて人口が集中する都心部だけでも、排水設備が充実すればなぁ。


2017年1月15日日曜日

従妹はダンサー

フィリピン人の家内の母、つまり私の義母は、5人兄弟姉妹の長女です。全員結婚して子供がいて、母方の祖父母の初孫である家内は、その筆頭。ただ、フィリピンにしては珍しく、長男の叔父を除いては、多くても3人しか子供を作らなかったので、家内の従弟妹の数は、私が知っているだけでも14人。家内と弟を含めて、家内の外祖父ジル・オフィレニアの孫は、総勢16名ということになります。

ただし、このジルさんには婚外子がいたらしく、息子や娘がすっかり大人になって、ジルさん本人も亡くなってから、「実は、腹違いの兄弟や」と名乗り出た人がいました。なので本当は、もう少したくさんいたのかも知れません。

さて、今日はその中でも親戚内では、美人5人娘として知られた姉妹の一人、ドリーのこと。23歳のドリーはマニラ在住で、ダンスの専門学校に在学中。バーやクラブの余興レベルではなく、時々投稿される動画を見ると、本格的なプロのダンサー。最近流行りの表現で言うと「キレッキレ」というやつ。


ドリーの誕生日に私が描いた似顔絵

ドリーに限らず、一般的にフィリピンは歌や踊りのレベルがとても高い。道で寝てるオッちゃんが、ギター持たせたらすごい弾き語りを披露したり、地元高校生が市役所前の広場で練習しているダンスが、どう見ても素人とは思えなかったり。こんな、とてつもなく広い裾野から、プロを目指すわけですから、それは尋常な才能ではない。

ドリーとはフェイスブックでも友達なので、フィリピン・エンターテイメントの裏舞台を垣間見るような写真も投稿してくれます。そして時々、びっくりするような美男美女とツーショット、スリーショットの自撮り写真が。

フィリピン芸能人といえば、ヤヤ・ダブことメイン・メンドーサぐらいしか知らない私。ドリーは有名人と一緒に写った写真に、ちゃんとハッシュタグを付けてくれるので、特に綺麗な人をググってみました。

それがジュリア・バレット嬢(Julia Barreto)。英語版のウィッキペディアにも載ってるほどの女優さんで、ここ10年ぐらいの間にたくさんのテレビドラマにも出演している。歌手としても活躍しているらしく、おそらくドリーは、ジュリアのバックダンサーを勤めたのかも知れません。


ジュリア・バレット
出典:Rappler

ちなみに、このドリーの妹のダリアも美人で、ネグロスに住んでいた頃、シライ市主催のビューティコンテストに、バランガイ代表で出場したことがあります。また、別の従弟のパウロは、モデル・エージェントのマネージャー。こちらも、すごく格好良い男女のモデルと一緒に写った写真を、よくフェイスブックにアップしてます。さすがショービジネスが盛んなフィリピンですね。


2017年1月13日金曜日

空耳フィリピーノ

今日は、フィリピンに住んでいたり、頻繁にフィリピンを訪れる日本人には「あるある」なお話。

私が初めてフィリピンに来た頃、フィリピンの女の子と電話をすると、相手がまるで合いの手のように「あの〜、あの〜」と言う。もちろん会話は英語で、全然日本語は喋れないはずなのに。最初は、聞きかじった日本語を、私へのサービスのつもりで使っているのかと思いました。

はい、フィリピン慣れしているあなた、もう分かりましたね。「あの」はフィリピノ語の「Ano」。英語のWhatの意味。つまりその女の子は、さほど英語を流暢に発語できるわけではなく、英単語を思い出しながら喋っていたのです。「何て言うかな〜」みたいな感じで。

これはイロンゴ語(西ネグロスの方言)でも同じで、例えばイロンゴで「あなたのお名前は何ですか?」は、アノ・ンガラン・モ? (Ano ngalan mo?)となります。最近では私も、相手が早口すぎる時に「アノ?」。このような、偶然日本語の単語に似た発音のフィリピンの言葉は、いくつかあります。

テレビで洗剤のコマーシャルを見ていると、洗濯物の汚れがきれいに落ちるシーンで「洗う、洗う」と連発。全編フィリピノ語なのに、なんでそこだけ?と思ったら、「Araw Araw」 は、「毎日」のこと。Arawだけだと「日」で二つ重ねて毎日。要するに「毎日のお洗濯に」と言ってたんです。あまりにも映像とぴったりだったので、すごく印象に残りました。

フィリピノ語のポップスを聴いていて、とても耳につくのが「サヨ」という言葉。だいたいセンテンスの最後に「サヨ〜〜」と引っ張る。どうしても「松島ぁ〜の、さぁ〜よぉ〜」を思い出してしまう。もちろん日本の民謡とは無関係で、サィヨ「Sa 'yo」とは、for you。「あなたへ」とか「あなたに」。このフレーズはラブソングに必ずと言っていいほど使われます。

私の家内は、フィリピノ語のニュースを聞きながら、晩ご飯を食べるのが習慣。マニラ首都圏の話題だと渋滞情報が多く、なぜか決まってアナウンサーは、「佐々木さん、佐々木さん」と日本人の名前を呼んでいる。それも変に語尾を上げて「ささきさぁ〜ん」。それは、佐々木さんじゃなくて、ササキアン「Sasakyan」。自動車のことです。なるほど、だから渋滞情報で連呼するんですね。

ネグロスでの日常会話では、「堪らんなぁ」と疲れた顔で言われることがあります。もう状況からして、絶対日本語で言ってるとしか思えない。でもこれは立派なイロンゴ語で、Tamaran Na。Tamaranは「怠惰な」。何かをお願いして、タマランナァと返されたら、「面倒くさ〜い」ということ。

それ以外にもイロンゴ語で、「牛」がバカ「Baka」で、「買う」がバカル「Bakal」。英語の「牛」=カウ「Cow」が妙につながっていて、最近忘れっぽい私も一発で覚えてしまいました。

他にもいくつかあったような気がしますが、今思い出せるのは、これぐらいでしょうか? 小学生並みのたわいのない言葉遊びとはいえ、自分にとって新しい言語を習得する時には、こんなアホみたいな方法が、意外と効果的だったりします。特に頭がカチカチに固くなっている五十過ぎのオッさんにはちょうどいい。



2017年1月12日木曜日

マニラ首都圏はフィリピンに非ず?


ここ半年ぐらい、SNSでフィリピン関連のコミュニティに参加して、フィリピン在住だったり、フィリピンと日本を頻繁に往き来する日本人の方々と、交流するようになりました。そこでいろんな投稿を拝見したり、コメントのやりとりをしていて感じるのが、ネグロス島のシライ市が、いかに辺鄙な場所かということ。

2015年度の調査によると、フィリピンの在留邦人数は約1万7千人。そのうちマニラ首都圏(マニラ市を中心に、マカティ、ケソン、パサイなど16市1町)には、全体の半数以上の1万人が集中しているとのこと。それ以外だとセブ市とその周辺などの大都市。それも当然で、日本で言うと、東京と横浜を含む首都圏や大阪に相当する人口集積地。その傾向は、コミュニティのメンバーである日本人にも当てはまって、圧倒的にマニラ首都圏やセブの在住者・訪問者が多いようです。

そういうことなので、投稿の中で「フィリピンでは...。」と書かれているのは、正確に言うと「マニラ首都圏では...。」「フィリピンの大都会では...。」となるべきだと思う内容が多い。同じフィリピンでもシライと比べると、ほとんど外国みたいなものですから。

例えば、治安の悪さの話題。まるでフィリピン全土に、犯罪者が溢れているような印象を持つ人もいるかと思います。しかし私が住むネグロス島のシライ市では、殺人や拳銃強盗などの凶悪犯罪の話は、滅多に聞かない。空き巣や窃盗の類は多いけれど、深夜に一人歩きなどしない限り、身の危険を感じることもありません。繁華街をうろついたら、誰かしら顔見知りとすれ違うので、悪さができないのはこっちです。ダバオに至っては、前市長のドゥッテルテ氏の功績で、今やフィリピンで一番安全な都市と呼ばれるほど。

またマニラでは、ほとんど限界だと言われている交通渋滞にしても、人口50万都市の州都バコロドですら、たかが知れています。シライ市内なんて、運悪く事故か、葬式の列に出会っても、せいぜい15〜20分ほどノロノロ運転になるぐらい。

マニラ首都圏とその周辺には2000万を超える人が住んでいて、フィリピン全人口の1/5を占める。それでも、それ以外の4/5は、いわゆるプロビンス(地方)在住になるわけで、本当の平均的なフィリピンは、マニラ首都圏以外とも言えます。

日本の場合、街づくりも流行も、何でも東京に倣う傾向が強くて、どの地方都市に行っても同じような街並みだったり。ところがこれは世界的には珍しい。アメリカの場合、経済の中心地はニューヨーク。ところがマンハッタンの中がアメリカを代表しているかというと、全然そんなことはなくて、例えばニューヨーカーからは、田舎扱いされる対岸のニュージャージーの方が、よほどアメリカの庶民の街という感じがします。

フランスのパリ然り、中国の北京然り。少なくとも私が行ったことのある国では、首都=その国の平均的な街、にはなっていない。地元の人に聞いても「首都は特別だ」と言われることがほとんど。そう考えると、冒頭に書いた「シライ市がいかに辺鄙か」というのは逆で、「マニラ首都圏やセブが、いかに繁華か」となります。

日本で、もっぱらマニラ経由のフィリピンの悪いイメージが定着して、もうずいぶん経ちます。もうそろそろマニラ、セブばかりではなく、ボラカイ、ボホール、パラワン、などの、地方の魅力ある場所がもっと日本人に知られて欲しいもの。

シライ市内には、あまり観光資源はないですが、ネグロス島にはドルフィン&ホエール・ウォッチングができるドマゲティや、小さいながらセブにも劣らない、美しいビーチのラカウォンもあるんですけどねぇ。


2017年1月11日水曜日

帰ってきたメイドさん


クリスマス前の12月23日に帰省した、我が家のメイド、ネルジー嬢。十日間の予定が、風邪をこじらせてしまい、結局三週間の不在になってしまいました。そして、ようやく今朝9時、待望の復帰。玄関先に立ったネルジーに、思わず「メリー・クリスマス & ハッピー・ニューイヤー」と言ってしまった。我ながらよほど嬉しかったんですね。

今までもメイドさんが急にいなくなったりして、最長八カ月のヘルパー不在の期間はありました。ただ今回は、家内が朝から夕方までのフルタイムの仕事に出ているので、私が掃除・洗濯・炊事をしなければいけません。図らずも、日本の主婦業のたいへんさを経験する三週間になってしまいました。とは言え、クリスマスと正月の休みを挟んでいるので、その間は家内も在宅。最初から最後まで、全部一人でやっていたわけでもない。それでもやっぱり忙しかった。

さて、昨日までの一日を振り返ってみると...。
朝は5時に起きて、家内と息子の弁当作りから。続けて朝食作って、6時半に息子を車で学校に送ります。その後、家内を送り出すのが8時前。食器を洗って、洗濯機を回して、床の汚れが目立つ部分だけ掃き掃除。洗濯が終わる頃には、昼ご飯の用意の時間に。自分一人の昼食は、包丁不要の超手抜きメニューがすっかり定着。あんまり貧乏臭いのも嫌なので、一応それなりのものは作りましたが。


二人分のお弁当

昼食の汚れ物を綺麗にした後は、やっとリラックス。それもせいぜい1時間ほどパソコンに向かっていたら、アッという間に洗濯物を取り込む時間になり、その次は食材の買い物と息子の迎え。中途半端に大きな家なので、戸締りだけでも結構面倒です。息子が帰宅したら、オヤツ(フィリピンではミリエンダと呼びます)。ホットケーキやら、蜂蜜を塗ったトーストなど。

乾いた洗濯物を畳んでいると、もう夕食の準備。炊飯器をセットして、野菜を刻んで。5時半頃には家内が帰宅。だいたい1時間で料理を終えて、7時には家族で夕食。洗い物をしている間に、家内は息子の家庭教師状態。教科書が英語とフィリピノ語ばかりなので、私には手に負えません。

息子の消灯時間の9時以降が、ようやく自分の時間。そこからブログを書いたり、趣味のイラスト描きを始めるので、どうしても就寝が12時過ぎになってしまいます。

とまぁ、「忙しい自慢」を書いてしまいましたが、日本の主婦の皆さんは、当たり前に毎日やってるんですね。しかも自分も働いて、子供の面倒まで見て。もしこれで連れ合いが、おかずは三品用意しろだとか、掃除を手抜きしてるとか言ったりしたら、私ならば間違いなくブチ切れるでしょう。

そして満を持して復帰した、ネルジーのいる今日。食事とお弁当は、相変わらず私の担当ですが、昼にネルジーが配達をしてくれるので、弁当作りは朝食の後で大丈夫。午前中に家の中の掃除も洗濯も済ましてくれたし、午後からは三週間荒れ放題だった、裏庭の清掃。食後は休憩している間に、台所はピカピカ。もう「天使ネルジー」と呼びたい。

専業の主婦ならばまだしも、共働きで女性側だけに家事を押し付けるのが、普通だと思っている人がいたら、ぜひ最低でも一週間、家事を引き受けてみてください。そうすれば、奥さまが日々どれだけの重労働をしているか、よ〜く分かると思いますよ。


庭掃除中のネルジー



2017年1月9日月曜日

寒い成人の日@ネグロス島

成人の日といえば、だいたい寒いもの。日本ではどこでも、年間最低気温を記録するような時期です。特に今年(2017)は、日本だけでなく、北半球全体にとても寒いようで、ヨーロッパでは寒波で死者が出たそうですね。

ここフィリピンでも年末年始は、一年で最も気温が下がる季節。今日は、熱帯低気圧オーリング(Auring)の影響で、終日の雨。最高気温が25度止まりという1日でした。台風接近の際に出される4段階の警報のうち、最も軽微なシグナル1が、ここネグロスにも発令され、市長の判断で、シライ市内の小学校は全部休校。

夕刻、仕事から戻った家内は「寒い寒い」を連発。まぁ扇風機は不要で、短パン半袖で風に当たったりしたら、ちょっと涼しすぎる感じはしても、「寒い」は言い過ぎでしょう。でも、こう言うのは家内に限ったことではなく、おそらく今フィリピン人に訊けば、ほぼ全員が「Cold」と答えると思います。

ところで成人の日。ここ最近では、毎年、友達の子供たちの晴れ着姿が、フェイスブックに並ぶようになりました。考えてみれば当たり前で、私も今年55歳。そういう年齢なんですね。中にはもう孫がいる同級生も。

日本では20歳で大人と認められ、1月の第2月曜に成人式が行われますが、ここフィリピンでは18歳が法的な成人年齢。そして一律に成人のセレモニーがあるのではなく、それぞれが18歳の誕生日に「デビュー」を祝います。

日本語ではデビューですけれど、フィリピン人が言うと私には「デブ」Debut としか聴こえない。確かに綴りそのままだとデブット。最初にこれを教えてくれたのが、私の元イロンゴ語(西ネグロスの方言)教師のティンティン。たいへん失礼ながら、ちょっとふっくら目のティンティンが「私のデブ・パーティの時には...。」と話してくれたので、笑いをこらえるのに苦労しました。

さて私の息子は、今年12歳。日本の成人年齢まで8年。フィリピン式でも6年あります。おそらく大学には行くでしょうから、その後のことを考えると、まだまだ先は長いですね。


庭に植えたポンセティアの葉が
今年も色づき始めました


2017年1月7日土曜日

ネルジー未だ還らず


クリスマス前の年末、12/23から休暇で実家に帰った、我が家のメイドさんネルジー嬢。復帰予定の正月3日の夜になっても帰ってきません。だいぶ遅い時間になってから「病気のため、まだ実家にいます。」とのショートメッセージが、家内のケータイに届きました。

え〜っ、またですか!
これって、前任者のアミーが辞めてしまった時の状況に酷似。アミーの場合は、年末に帰省して連絡がなく、そのまま失踪状態で挨拶も何もなしでした。それに比べると、ちゃんと理由を告げているので、まだマシですが、やっぱり嫌な感じは拭えません。

アミーやネルジーだけでなく、何人かのメイド雇い主によると、フィリピンでは、こういうケースが多いようです。辞めてしまうのは極端だけれど、実家が遠方で、日頃なかなか会えない家族がいる場合、一度戻ると里心がついてしまって、ズルズルと滞在延長というパターン。

特に親元に帰るとなると、本人の気持ちもさることながら、母親が泣いて引き止めてしまうことがあるらしい。アミーの場合も最後のメッセージは「お母さんが辞めなさいと言うから辞めます」でした。

この国では、いつまでも親離れ・子離れができない人が多いようです。特にそれほど裕福ではない家庭だと、狭い家に大家族が身を寄せ合って生活している感じ。また、何かにつけ助け合わないと生きていけない切実さから、家族の絆が強く、すごくウェットな親子関係になる。これは子供が成人してからも同様。

私の感覚からすると、たった数ヶ月離れていた程度で、母親と抱き合って再会を喜ぶというのは、ちょっと気持ち悪いと思ってしまいます。でも考えてみると、家内の叔母さんや従妹弟たちとは、私も今までの慣例で、たまに会うとハグしてますね。

それはさて置き、ネルジーのこと。
その後、ネルジーを紹介してくれた、友人のティンティンから「風邪をこじらせてしまって、まだしばらく養生します」とネルジーの代わりに近況報告。どうやら仮病でも嘘でもなく、本当に体調を崩しているようです。

ネルジーの実家は、同じネグロス島の中なのに、バスで片道5時間もかかる山間部。しかもバス道路から自宅までは、バイクしか通れない未舗装の細い道しかなく、ちょっと強い雨が降ると、動きが取れない。これでは簡単に、見舞いに行くこともできません。また水道もなくて、毎日井戸から水を運ぶ生活。ネルジーの腕っ節の太さは、それで鍛えられたからなんでしょう。

ネグロス島は、熱帯に位置しますが、山岳地帯は真夏でも朝晩は冷え込みます(と言っても20度を少し下回る程度ですが)。25度以下には滅多にならない、平地の暮らしに身体が慣れたネルジーは、寝冷えでもしたのかも。

この投稿を書いている1月7日の夜現在、まだいつ戻れるかの連絡はありません。専業主夫としては、とにかく1日も早く戻ってきてほしい。それにしても、メイドなしで家族の食事の用意(弁当を含む)から洗濯、掃除など、当たり前のようにこなしている日本の主婦は、やっぱりたいへんなんですね。しかも共働きなのに、家事は奥さんがやって当然などというのは、まったく言語道断。今頃になってそんなことに、憤っております。


2017年1月5日木曜日

我が友ティンティン


早いもので、私たち家族がフィリピンに移住してから、今年(2017)4月で丸4年になります。家内の生まれ故郷である、ここネグロス島シライ市での知り合いと言うと、家内の親戚・縁者がほとんど。その中では珍しく、私がこちらに来てから直接知り合って、今でも家族ぐるみのお付合いが続いている、フィリピン人の友人がいます。

何度かこのブログにも登場した女性、愛称ティンティンこと、クリスティン・エヴァン・ジョイ・セミラーノさん。年齢は30代の半ばで、私たちの家から徒歩15分ほどの場所に、生真面目なご主人と小学生の息子さんの3人暮らし。何を隠そう、我が家のメイドさん、ネルジーを紹介してくれた人。

きっかけは、私が移住直後にいろいろ手伝いをしていた、自宅近くに事務所を構える日本の某NGO。ティンティンはここに勤めていました。フィリピン人離れした、時間やお金に対する律儀さと、礼儀正しさ、そして実に愛嬌たっぷりの美貌の持ち主のティンティン。フィリピン人からも日本人からも頼りにされてる存在。私もすっかり仲良くなり、一時は現地の方言イロンゴ語の先生までやってもらいました。


お世話になったお礼に
私が描いたティンティンの似顔絵

結局このNGO、日本人マネージャーの余りのだらしなさが嫌になり、半年ほどで縁を切りましたが、ティンティンとの交友は続きました。お互いの子供の誕生日パーティに招待しあったり、どこかに旅行したら、お土産を持っていったり。その後、彼女もNGOを辞めて、今ではシライ市内の公立高校(家内の母校)で、教員として働いています。

よくフィリピン人について、約束の時間に遅れるのは当たり前だとか、すぐに他人のお金を当てにするとか、あたかもフィリピン人が全部そうであるかのように、ネット上で悪く言う日本人を見かけます。そういう手合いに反論する時、心の中で思い浮かべるのが、まず家内の顔で、その次がティンティン。フィリピンにだって、几帳面で気遣いを忘れない人はいるのです。(もちろん、他にもたくさんいますが)ひょっとするとこの二人、並の日本人より、はるかにきちんとしているかも知れません。

ちなみに家内とティンティン、両方ジョイという名前。16も歳が離れているけれど、まるで姉妹のように仲がいい。家内とそんな関係なので、私も気兼ねなくティンティンと連絡を取ることができて、メイド探しもお願いできた次第。

フィリピンに移住して、今のところ快適な生活を送ることができているのも、まずは家族の健康と、経済的なゆとり。そして大切なのは、良き友を持つこと。とてもありがたいことに、ティンティンを含めて何人かの友人と、フィリピンに来て出会うことができました。神さまに感謝しなくてはいけませんね。


2017年1月2日月曜日

モテモテ、ジャピーノ


皆さま、新年明けましておめでとうございます。今年も、このブログを訪問いただき、ありがとうございます。

さて年明け早々、身内の話で恐縮ながら、今日は11歳になる私の息子のお話。日本とフィリピンの血を受け継ぐ日比混血のハーフ。こちらではジャパニーズ・フィリピーノを縮めてジャピーノと呼んだりもします。

日本は歴史的に見ると、中国・モンゴルなどの大陸や朝鮮半島、あるいは南方の島々からの移民が、混ざり合って出来上がった国であることは間違いありません。DNAを調べてみれば分かることなのに、いまだに「純粋な日本人」という幻想を抱いている人がいるようです。時々、日本の芸能界で活躍するハーフの人たちの、子供の頃の話を読んだりすると、日本国籍を持ち、日本語も完璧に話せるのに、意味のない差別で苦しんだ方が少なからずいるらしい。

その点フィリピンでは、ハーフだからいじめられるなんて、私は聞いたことがありません。以前にも何度か書きましたが、私が付き合いのある人を思い浮かべても、フィリピン土着のマレー系、インド系、中国系など、さまざま。ルーツが違って当たり前のお国柄。家内の高校時代からの友人のグレース・チャンという女性は、名前で分かる通りの中国系。そしてスウェーデン人男性と結婚。その娘さんは何の問題もなくフィリピン人として、息子と同じ学校に通ってたりします。

私の家内も、母方はスペイン系のオフィレーニア姓で、父方がマレー系のパヒランガ。そして日本人の私と家内の間に生まれた息子は、実にさまざまな歴史の積み重ねから生まれました。そんな子供たちは、フィリピンで「メスティーソ」と呼ばれます。何となくスペイン系の顔立ちの人かと思ってましたが、日本や中国、韓国系のアジア人同士の混血でも、ヨーロッパ系でもすべてメスティーソ。スペイン語のMestizo が混血児全般を指す意味なので、その語源通りということですね。

さて、そのメスティーソにしてジャピーノの息子。どういうわけだか顔付きは私の子供の頃と瓜二つ。つまりマレー系やスペイン系の血が混ざっているとは思えない。しかし不思議なことに、フィリピンの小学校では女の子にやたらモテる。


6歳の頃の私と息子

夕方、学校に子供を迎えに行くと、すれ違う女の子が口々に息子の名前を呼ぶし、お昼時には、誰が息子の隣に座るかで一悶着起こる。最近では、クリスマスパーティで、数軒離れた家に住む、同級生の女の子三人が、着飾ってお誘いに来てくれりもしました。

そんな恵まれた環境にいるくせに、ヤツは全然女の子に興味がない。冗談でも「ガールフレンドは誰や?」など訊くと、本気で機嫌を悪くする。パーティのお誘いにも愛想も何もなく「ノー」と一言。何ちゅう勿体無いことをするんや。似たような顔してたのに、父は小学生の時に、そんな羨ましい目には、一度もあったことがないぞ!

どうやら人間というのは、遺伝的にやや距離のある異性に、より惹かれる傾向があるようです。だから日本でもフィリピンでも、ハーフは男女ともに魅力的とされるんじゃないでしょうか? そうとでも考えないと、目がぱっちり二重で鼻が高くて、私の目で見てもかっこいい男の子がたくさんいる中で、息子がやたらとモテる理由がよく分かりません。