2017年3月31日金曜日

電動トライシクルの挫折...していなかった【追記あり】

【追記】
この投稿をアップしてから約1週間後、読者の方から、元になったネット記事の一部が正確ではない、とのご指摘がありました。アジア開発銀行からの融資はキャンセルになっても、トライシクルの電動化事業そのものが、中止になったのではないようです。
詳細が明らかになり次第、この場に投稿します。


昨年(2016年)の11月のこと、フィリピンのエネルギー省というお役所から、それまで進められていた電動トライシクル事業の中止が発表されました。

フィリピンに縁のある人なら、お馴染みのトライシクル。英語で Tricycle というと三輪車のことで、子供用のものも含まれますが、フィリピンではエンジン排気量100cc程度のバイクに、サイドカーを取り付けた、輪タクを意味します。フィリピン全土に普及していて、数百メートルから数キロぐらいの移動は、ほとんど誰でもこのトライシクルを利用。

日本人なら、それぐらいの距離は歩いたらいいのに、と思う人も多いでしょう。私もそう思って、多少暑くても歩くようにしています。そうして途中知人に出会うと、大抵怪訝な顔をされてしまう。車があるのにどうした、と言いたいらしい。近所に住むオジさんなど、私が歩いている横を車で通ると、わざわざ停車して乗って行きなさいと勧めてくれます。

まぁ確かに、メイドさんに買い物を頼むときには、トライシクル代を渡すのが当然だし、学校の行き帰りに子供を歩かせたりしたら、虐待だと言われかねないお国柄。それほどまでにトライシクルは、フィリピンの日常生活に溶け込んでいます。


ネグロス島の自宅付近を走るトライシクル
地域によってデザインもさまざま

このトライシクル、フィリピンだけの専売特許というわけでもありません。インドの「リクシャー」、タイの「サムロー」、インドネシアの「バジャイ」など、呼称は違っても、南〜東南アジア諸国では、だいたい同じようなスタイルの輪タクがあるそうです。

さて、庶民の足と呼ぶべきトライシクルの電動化。これは、マニラ首都圏に本部を置き、歴代総裁を日本人が務めるアジア開発銀行から融資を受けての国家プロジェクト。2011年から実証実験が始まっていて、当初計画では2016年までに、10万台の電動トライシクルの導入の予定。ちょうど私がフィリピンに移住する直前頃には、日本の渦潮電機を始め、各国メーカーが受注合戦の真っ最中でした。

これで私が移住した後何年かしたら、フィリピン都市部の大気汚染も、少しは緩和されるかもと期待していました。ところが最初に書いたように、それから5年でプロジェクトは敢え無く挫折の憂き目に。

その理由はと言うと、高価過ぎて手が届かないだとか、すぐ故障するとか...。そもそもトライシクルドライバーに、そんなにお金がないことや、炎天下や洪水での冠水が多い過酷な環境で、大人を5人も6人も乗せて走ることは、最初から分かりきった話。アジア開発銀行が融資を決める時点で、問題が解決できる目処は立っていなかったのかと、言いたくなります。ネットの記事でも「アジア開発銀行の大失態」と手厳しい論評。

先進国で使いこなされ低コストになった「枯れた技術」が、フィリピンで短期間のうちに爆発的普及を見るのは、よくある話。代表的な例が携帯電話。ところが今回の電動トライシクルは、もし何十万台の単位で交通機関としての普及に成功すれば、おそらく世界初だったでしょう。フィリピンでそんな取り組みが行われるとは、時代も変わったと喜んでいたんですけどねぇ。

考えてみれば、21世紀に入って20年近く経った今でも、電力の安定供給が実現できていないフィリピン。首都圏ではかなり改善されたとは言え、地方都市でたくさんのトライシクルが一斉に充電したりすれば、停電が頻発する心配もあります。トライシクルの電動化以前に、解決するべき問題が山積しているのが現実。

それにしても勿体ないのは、フィリピンでトライシクルの電動化はダメというイメージが固定してしまうこと。一度こうなってしまうと、外国で成功事例が出ても、簡単にはやり直せないかも知れません。特に今回、率先して電動トライシクルを購入して、大損してしまったオーナーやドライバーは、金輪際、新しい物には手を出さないという心情になっていることでしょう。

ちなみに、この事業の一翼を担うはずだった渦潮電機。中止発表から半年経った今も、ホームページでは受注成功のアナウンス以降、この件については何のコメントもありません。


2017年3月30日木曜日

暴言



別に最近始まったことでもなし、今更敢えて書く必要があるのかと言われそうですが、今日はネットでよくある「暴言」について。

私の場合、ツィッターでフォローしている著名人に対しての暴言を頻繁に見かけます。とにかくひどいですね。前置きも何もなしに、いきなり罵倒。その前を読んでみると、別に失礼な発言があったとか、事実誤認があったわけでもない。自分の意見に合わないというだけで、無茶苦茶な書きようです。

特に許せないと感じるのは、国籍・民族などにまつわる差別的発言。中でも朝鮮半島や中国に住む人たちへの蔑称は、たとえ自分に対するものでなくても、見聞きするだけで気分が悪くなります。普通に話している最中に、ジャップとか倭奴(ウェノム、韓国語の日本人への蔑称)なんて言われたらどんな気がするか、想像してみてください。

正直なところ、ここ何年かの中国や韓国の政治家・マスコミの日本への態度は、行き過ぎていると感じることが多い。明らかに礼儀を欠いている言動は、たとえどんな理由があっても、問題の解決に役立つとは思えません。だからと言って、そこに住んでいたり、その国にルーツを持つ人に差別的な呼称を使っていいわけがない。

祖国や生まれ故郷、家族、さらには宗教・信条・思想など、自分が愛したり信じたり、誇りに思ったりしていることを侮辱されるほど、腹立たしいことはありません。もし面と向かって言われたら、私ならその場で相手を殴ってしまうかも知れない。

なぜこんなことを書いているかというと、先日ネットで知り合った友人が、この手の暴言を受けているのを見てしまったからです。直接顔を合わせたことはないけれど、多少なりとも言葉を交わした人が、そんな目に遭っている光景は、想像以上に衝撃的でした。

それでもその友人は、終始丁寧な言葉使いを崩しません。蔑称・罵倒を繰り返す相手の発言と並ぶと、まったく異様なコントラスト。それが個人間のチャットではなく、第三者が見ることができるネット上なのですから、この暴言の主は一体どんな神経の持ち主なのか。議論が白熱したあまり、ちょっと筆が滑ったというなレベルではありません。もう最初から喧嘩腰。タチの悪い酔っ払いが絡んでいるようなもの。

私はフィリピン人と結婚し、フィリピンに住んでいる関係で、同じようにフィリピン人配偶者がいる人とネットで交流することが多い。その中にもたまに、フィリピン人を頭から見下している人がいます。私の経験上、そういう人と上記のような暴言を吐く人は、ほぼ重なるようです。国際結婚までしているのに、どうして国籍が違うというだけの理由で差別的な態度を取るんでしょうか。

こういう連中は、どうしたって理解することはできないし、いくら言葉数を費やしても話を聞こうという頭を持ちません。今よりもう少し若い頃は、血気盛んに論破しようと頑張ったりしましたが、結局それは無駄。疲れて気分を害するだけでした。最近は、直接自分に対する暴言はなくても、そんな相手は即刻ブロックすることにしています。

それにしても、ネットが普及してからずいぶん経つのに、ネット上でのコミュニケーションが、致命的に下手な人が多いのは困ったことですね。少なくとも、面と向かって言わない・言えない言葉は、ネットでも使わないという常識は持って欲しいものです。


2017年3月29日水曜日

日本のテレビ番組が見たいか?


フィリピンに移住してから増えたのが、ネット上での日本人海外在住者をターゲットにした広告。その中でもやたらと多いのが、日本のテレビ放送が海外で視聴できると謳ったもの。

こういうのは、海外から日本語のサイトにアクセスするユーザーの、スマホやパソコンに表示される仕組みなんでしょうね。ひょっとするとこの投稿にも、見る人によってはそんな広告が出ているのかも知れません。

私が移住する少し前まで、フィリピンでもNHKの衛星第2放送をベースとした、海外向けの日本語放送を見ることができました。ネグロス島のケーブルテレビでも、パッケージの中に入っていて、家内の里帰りの時にはよく視聴したものです。特に年末などは、紅白歌合戦で盛り上がりました。フィリピン人って、歌番組大好きですから。

ところがちょうど移住のタイミングに合わせたかのように、NHKの日本語放送チャンネルは、ネグロスのケーブルテレビから消えてしまいました。ホームページによると、フィリピン側の長年に渡る契約の不履行が理由。要するに金を払わなかったんでしょうね。(現在、マニラ首都圏などのケーブルテレビや衛星放送ならば、視聴できます。)

当てが外れて、日本語のテレビ番組とは縁が切れてしまったフィリピン暮らし。そんな状態で「日本のテレビ放送が視聴できます」と言われれば、つい広告をポチってしまいます。内容はいろいろあって、STB(セット・トップ・ボックス)を購入してネット経由で受信したり、やや大きめのパラボラを用意したり。ところがどうやら、これらすべてが違法視聴のようです。

自己責任と言うことで、違法承知で機材を買ったり契約したりしている人も多いみたいですが、私の場合、数ヶ月も日本語のテレビ番組無しの生活を送ると、そこまでして見たいという気も無くなりました。元々日本にいる時から、NHKとWOWOWしか見なかったし、民放のバラエティ番組は、でっかい字幕が流れる視聴者を小馬鹿にしたような演出が大の苦手でした。

それに、違法業者に儲けさせるのも気分が悪いので、結局のところ移住5年目を迎えようという現在も、地元ケーブルテレビだけ。(とは言ってもアメリカのニュースやドラマ、映画は、日本よりもたくさん視聴できます)

しかしながら、多少スピードは遅くても、ネット環境は日本にいる時と大差がないフィリピン。最近は有名人や芸人さんがテレビで語った内容を、そのままネットニュースの記事にしたり、CMはYouTubeにアップされているので、昨年一時帰国した時に久しぶりにテレビを見ても、ほとんど浦島太郎状態にはなりませんでした。

たまに見たいなぁと思うのは、NHKスペシャルとWOWOWのボクシング専門番組エキサイト・マッチぐらい。テレビに関して言えば、フィリピン移住で失ったものはそれぐらいだったようです。


2017年3月24日金曜日

ダイソーとサイゼン


バコロド市内にあるダイソー

1週間ほど前に投稿した、新しく購入した10年保つはずのLED照明が1年もせずに切れたというお話。その中で何気なく触れた、日本の百均ことダイソーのフィリピン進出について、思わぬ反響がありました。隣街バコロドのロビンソンズ(ショッピングモール)内にもあるダイソー。移住当初からの愛用者のくせに全然知らなかったのですが、わりと最近まで、フィリピンでのダイソー商標の使用権をめぐり、法廷での争いが続いていたそうです。

日本に住んでいる人ならば、誰でも知ってる100円ショップのダイソー。創業は1972年で、77年に大創産業に社名を変更し、87年に100円SHOPダイソーのチェーン店展開を始めました。100円でいかにお客さんが納得する品質、品揃えができるか。そこには創業者の矢野博丈(やの ひろたけ)氏の並々ならぬ苦労と工夫があったと推察します。

このダイソーが、フィリピン市場に打って出たのが2009年。ところがその4年前の2005年から香港資本企業の日本城(Japan Home Center)が、ダイソー(Daiso)ブランドを使用。仕方なく本家のダイソーはサイゼン(Saizen)を名乗りました。そういえば、私が初めてバコロドのダイソーに行った時に、店名がサイゼンで、社名がダイソーとダブルブランド状態。海外進出に伴ってオリジナルの商標を変えるケースは、他の業界でも時々耳にする話なので、あまり不思議にも思わなかったけれど、そんな事情があったんですね。

それにしても、一部の中国系ビジネスパーソンのなりふり構わぬ商魂には、驚くばかり。調べてみると日本城、経営者も資本も日本とは何の関係もないそうです。ダイソー・ブランドの件も、結局フィリピンの法廷で紆余曲折の後、大創産業の主張が認められました。今ではバコロドのサイゼンも、堂々とダイソーの看板を掲げています。

100円ショップ商法を真似るにしても、名前までデッドコピーすることないのに。これをやると、一時的には大儲けできても、中国系全体の信用を落としてしまい、ちょっと長い目で見れば、自分たちの首を絞めることになる。フィリピンでは中国製の品物で溢れかえっていても、未だにメイド・イン・チャイナは今ひとつ信用されない。それだけでなく、真面目に商売をしている華僑の人たちまで、割を食わされている気がします。

実際、日本のダイソーだと思い込んで買い物をしたら、ひどい粗悪品をつかまされてしまい、その後ダイソーでは、一切物を買わなくなってしまったお客さんもいます。その店だけでなく、市場そのものを潰してしまう行為。実にもったいない。

日本に暮らすフィリピン人にとって、100円ショップは実に重宝。特に里帰り時のお土産には最適のアイテムがズラリで、以前は私の家内も100円ショップに行くと瞳がキラキラ。毎回山盛りに買い込んでました。フィリピンに移住した今でも、当時購入した台所用品などを使っています。

おそらく、今回のブランド盗用事件の発端は、日本で100円ショップファンになったフィリピン人のお客さんを狙ってのこと。創業者の矢野さんが目指した、安くても納得できる品質というポリシーなど完全無視で、名前と価格だけを真似したんでしょうね。なんとも残念なことです。


2017年3月23日木曜日

ひよこの鳴き声


鳥や動物の鳴き声、雷、物がぶつかる音...。日本語を母語にする人同士なら、コケコッコーやワンワン、ニャー、ゴロゴロ、ドシン、ドカン、と書いたら何の音かは理解できると思います。ところが中学生の頃、英語の教科書に載っていた犬の鳴き声が Bowwow(バウワウ)。これには、すごくショックを受けました。

アメリカやイギリスの犬は、英語で鳴くんか? でも、アメリカ映画に出てくる犬は、やっぱりワンワン吠えてる。バウワウに聴こえなくもないけど、やっぱりワンワンの方がしっくりくるなぁと、真剣に考え込んでしまったことを覚えています。それ以外にも、ドアチャイムがピンポーンではなくDingdong(ディンドン)だったり、ドカンがBoom(ブーム)だったり。数え上げたらキリがない。

鳴き声や物音が、国によってそんなに違うはずがないので、これは聴いている人間の耳の違い。もう少し正確に言うと、脳が違うということらしい。例えば、日本語だけで育った日本語脳には、L音とR音の聴き分けができないとか、フランス語脳にはH音が発語できないということ。習得する言語によって、音声の認識に変化が生じるんだそうです。

聴く側が違えば、聴いた音の表記が違うのは当然。この理屈でいくと、タガログ語やビサヤ語で育ったフィリピンの人達に聴こえている世界は、日本人とも英語圏の人とも違うはず。本当かと思って、フィリピン人の家内に、隣の鶏舎で毎日やかましく時を告げる雄鶏を指差して、鳴き声がどう聴こえるか尋ねてみました。

トクトロオーク

え?
これはかなり驚きました。日頃、大阪弁を流暢に話す家内だったので、相手がフィリピン人だという感覚がかなり薄れていたのもあったとは言え、ここまで違うとは。でも考えてみると、鶏の声ってコケコッコーじゃなくて、聴く時の心理状態によって「オナカヘッター」や「ホソカワクーン」(細川君って誰?)など、変な聴こえ方するんですよ。私が変なんでしょうか?

犬・猫はバウワウにミャオなので、英語と同じ。多分アメリカ映画やテレビの影響でしょうね。ネグロス島で身近にいる動物では、ヤギがンメェで、水牛がンモォ。こちらは日本もフィリピンも大差がない。

それではとばかりに、先日裏庭で生まれた6羽のひよこ。その鳴き声がどう聴こえるのか、メイドのネルジーによると...。

チューチュー

ええ〜??
日本語脳の私には、ピヨピヨとしか聴こえないんですけど。チューチューはネズミですよ。家内に確認しても、やっぱりチューチュー。ふ〜ん、ビサヤ語脳ではそう解釈されるのか。それなら、日本語・英語・タガログ語・ビサヤ語が、脳内でごちゃ混ぜ状態の息子にはどう聴こえるのか? これは夏休みの研究課題になりそうです。


2017年3月19日日曜日

キレるLED

半月ほど前に、築3年目の自宅の不具合が気になってきて、リノベを考えているという投稿をしました。今日は建屋そのものではなく、耐久消費財のお話。

日本からフィリピンへの引越しだったので、大型の家具は運ぶよりも買う方が安いし、電気製品は電圧が違うので、オーディオやパソコン関連以外はすべて処分。引越し直後や自宅が完成したタイミングなどで、ほぼすべての耐久消費財は、フィリピンでの購入となりました。

一番の大物は何と言っても車。本当は運転はあまり好きではなく、日本の最後の数年間は自家用車を所有していませんでした。しかし旅客鉄道は皆無(マニラ首都圏を除く)で、雨が多いフィリピン。小学生の子供を含む家族での暮らしを考えると、さすがにノーカーは不便。移住3か月ぐらいで早々にトヨタのアバンザという車のオーナーになりました。タイ生産ながら、さすがトヨタ。もうすぐ5年目でもエンジンも電気系統も至って好調。あちこち向こう傷はできたものの、気になるのはタイヤの交換ぐらい。ディーラーの対応も(フィリピンにしては)悪くありません。

さて問題は電気製品。移住前は大手の家電メーカーに勤めていたこともあり、極力日本ブランドを中心に買い集めました。もちろん日本製ではなく中国製がほとんど。それでも日本メーカーの品質管理の厳しさは、私が実際に見て知っているので、ある程度の信頼感はありました。

そして3〜4年が経過して、やっぱりあちこちガタが。半年目の落雷でぶっ壊れた、給湯器や電話は仕方がないとしても、洗濯機の排水ホースからの漏水、扇風機の首振り時のガタつき、電子レンジと停電用の充電式照明器具が通電せず。洗濯機と扇風機はパナソニックだったんだけどなぁ。

中でも一番唖然としたのが、LED照明の短命さ。パッケージには最低10年は保ちますと、シレっと印刷してあるのに、1年も持たずにぶっチギレてしまいました。調べてみると、これはフィリピンに限った話ではなく、日本でも一部で問題になっているようですね。LEDそのものは大丈夫でも、電解コンデンサーの故障が原因とのこと。高い商品なのに...。


その他にも、意外なほどダメになるのが早いのが調理道具。大きな中華鍋や各種サイズのフライパンが、軒並みテフロン加工が剥がれたり、把手と本体を固定しているネジの部分が腐食したり。10年も使ったのなら分からなくもないけど、3年やそこらで買い替えるのは、ちょっと早すぎですねぇ。

以前は日本でも「安物買いの銭失い」という格言は、実感がありましたが、最近だと百均の商品でも当たり前に品質が良い。とは言え、フィリピンに進出した百均のダイソー(フィリピン名 Saizen)は、こちらでは高級輸入雑貨並みの扱いで、価格も88ペソで約200円。実は決して安物ではないのです。

もしこれからフィリピンに長期滞在の予定があって、電気製品や家具を買おうとする人がいたら、安いものはそれなりの品質しかないことを肝に銘じてください。たとえフィリピン人配偶者が何と言っても、1年以上使おうという商品の場合は、要注意です。


2017年3月18日土曜日

ピヨとニャー

新居に引っ越してすぐの頃から、裏庭で鶏を飼っています。当初は雄鶏1羽と雌鶏2羽。オスはブランドーでメスはポチョラとクーカイ。家内がつけた意味不明な名前。あれから3年が経って、哀れにも雄鶏ブランドーは足を悪くしたのが運の尽きで、我が家の食卓へ。2羽の雌鶏にはひよこが生まれたものの、全部死んだり行方不明。結局今では、ポチョラ1羽だけが生き残り。

フィリピンでは、街中でも鶏を飼うことが多い。雄鶏は足に紐をつけて逃げないようにしていても、雌鶏とひよこは放し飼い状態で、車を運転していると轢きそうで怖い。朝はどこにいてもコケコッコーの大合唱です。

我が家のお隣さんは、闘鶏を飼育する養鶏場。去年の今頃は、闘鶏トレーニングと称しての大音量BGMに悩まされ、オーナーに直談判する騒ぎ。今ではそれも解決して、雄鶏の鳴き声だけの平和な日々が戻りました。


隣の養鶏場

さて、1羽になった我が家のポチョラ。すっかり300平米の女帝として裏庭に君臨。トウモロコシの餌だけでは不満なのか、時々ヤモリを捕食する肉食系。その上、鶏とは思えぬ飛翔力で、高さ2メートルぐらいのフェンスは楽々と飛び越えて、しょっちゅう散歩に出かけます。そして今年の初め頃、久しぶりに卵を産みました。どうやら、隣の養鶏場に「逆夜這い」をしてきたらしい。産んだのは有精卵で、バンブーハウスを占拠しての托卵。

そして数日前、ついに2年ぶりに裏庭で新しい命の誕生です。茶色いのや黄色いのが全部で6羽。父親は隣の闘鶏なので、乱暴者の遺伝子を受け継いでいるのでしょうが、ひよこのうちはどれも可愛い。



ひよこ誕生と、まるでタイミングを合わせたかのように、最近我が家には猫が居着いています。少し前から、屋根裏部屋で騒ぐネズミをなんとかしようと、猫を飼おうかと思っていた矢先、庭先にやってきた野良猫。白ベースに背中や頭の上半分が茶トラで、こういうのはチャシロと呼ぶんですね。右後ろ足を引きずっていて、怪我でもしているらしい。

早速、魚をさばいた後のアラや、残った肉などを用意しての餌付けを試みました。じっと見ていると来ないけれど、しばらく放置すると「そろ〜」という感じで忍び寄って、毎回完食。まだまだ警戒しつつも、付かず離れずの関係になりました。



そんな訳で、計らずも十数メートルの至近距離に、半野良猫と子持ちの雌鶏が共存することに。まぁかなり広い裏庭だし、猫にはいつも餌を与えていてるので、いきなりひよこが食われてしまうことはないでしょうけど、しばらくは状況を静観したいと思います。


食後、ベンチの下でくつろぐ猫さま


2017年3月15日水曜日

食事はトロトロ

フィリピンで安く食事をしようと思えば、忘れてはならないのがトロトロ。よく煮込んだおいしそうなシチューか何かの名前みたいですね。これは特定の献立でのことではなくて、飲食店スタイルの総称。

フィリピンの街角で時々見かけるのが、普通の住宅街の道端にテーブルを出して、カセットコンロにかけた鍋を並べているオバちゃんの姿。これは緊急の炊き出しで食事を配給...ではなく、立派な飲食店。これがトロトロ。近所に住んでる人が、自前の食器持参で昼ごはんのおかずを買いに来る。手ぶらで来たお客さんには、ビニール袋に入れてお持ち帰り。2〜300円もあれば、家族数人での1回の食事には十分な量のおかずが購入できます。

あまり深く追求したことはありませんが、営業許可の類はあるんでしょうか? どう見ても衛生的には、かなり問題ありそうなところも。屋台だったり、本当に路地裏の自宅前とかで商売している人も多い。

もう少しレベルが上がると、ちゃんと建屋のあるレストランで、お昼前後だけトロトロスタイルで営業をしている場所もあります。私たち家族が時々利用しているのが、シライ市内にある、昼だけトロトロのサー&マム・レストラン。略称サー・マム。こちらは間違いなく営業許可は取得済み。

店に入ってまず目につくのは、ずらりと並んだ大鍋。これだけ見るとビュッフェみたい。でもセルフサービスではなく、お店の人にお願いして取り分けてもらいます。お皿に盛って、その場で食べることもできるし、ビニール袋に詰めてテイクアウトも可。




このお店、レストランとしてはもう老舗に近くて、私が生まれた1962年の創業。オーナーの娘さんと家内が、市内の学校の同級生だったそうです。自宅建設中の3年前は、ほぼ毎日お昼はここでおかずを購入。自宅が完成して、私が料理担当主夫になってからは、ちょっと縁遠くなり、久しぶりに行くと「最近来ないわね〜、どうしてたの?」と訊かれてしまいました。



サー・マムのトロトロは、さすがに道端の店に比べると多少は高い。とは言っても、家族三人ならば1000円も出せば十分満腹でお釣りが来ます。お勧めのメニューは、レッチョン・カワリ(豚の丸焼きを一口サイズにカットしたもの)や、肉と野菜をトマトソースで煮込んだメヌード、鶏の串焼き、焼き魚など。豚の血のシチュー、ディヌグアンなんてのもあります。

昨年の後半あたりから、あんまり自炊にこだわるのも面倒になり、土日のお昼などは、再び利用するようになりました。典型的なフィリピン庶民の味ということで、日本からのお客さんをお連れしたりも。フィリピン料理は、肉主体の脂っこいものばかりと思い込んでいる人もいますが、サー・マムのトロトロを見ている限り、決してそんなことはない。

だたちょっと気になるのは、すぐ近くに建設中の大型ショッピングのガイサノ。あの規模ならば、当然レストラン街は併設するだろうし、そうなるとジョリビーやチョウキン(Chowking)などフィリピンで人気のファーストフード店も入るでしょう。一概にファーストフードが悪いとは言わないし、たまに食べるのもいいけれど、その影響で昔からあるシライの飲食店が潰れたりするのは困りますね。


2017年3月13日月曜日

おはようございますの魚屋さん

フィリピンに移住したら、食事の内容がずいぶん変わる...というか変えざるを得ないだろうなぁと思っていました。ところが実際には野菜も肉も、日本で食べてたものとそれほど違わないものを売っているし、醤油・味醂・出汁の素・味噌に豆腐、調味料はだいたい入手できるので、自炊していれば意外なほど日本にいた頃と変わらない献立の毎日。

フィリピンに住み、フィリピン人の奥さんに料理を任せっきりの人は、毎食肉が中心で脂っこい料理ばかりで、飽き飽きすると言うのをよく耳にします。確かに、たまにフィリピンの友人と外食すると、豚肉や鶏肉主体の料理にご飯を山盛りのオーダー。ちょっとは野菜食べろよ〜と言いたくなることも。

でも、フィリピンには野菜料理もたくさんあります。フィリピン版八宝菜のチョプスイ。見た目が緑一色でデトックス向きな野菜スープのラスワ。以前、このブログでも紹介したナスビを使ったトルタン・タロンなどなど。フィリピン人がみんな、肉偏重の不健康な食生活を送っていると、思い込んでいる日本人もいるようですが、決してそんな人ばかりではありません。

私の場合は、移住後の方が献立のバリエーションが豊富になって、日本ではそれほど頻繁には口にしなかった、魚を食べる機会がぐっと増えました。魚が嫌いなわけではないけれど、以前は刺身や寿司がメイン。たまに自分で料理するのは、ブリの切り身を焼く程度。

魚をよく食べるようになった理由はシンプルで、週に3〜4回も、家の前まで魚を売りに来てくれるから。新居を建てて引っ越してから、かれこれ3年間ずっと同じオジさんが、朝7時過ぎぐらいに自転車漕いでやってきます。一回に運んでくるのは2種類かせいぜい3種類程度の魚。それでもその日の献立に悩んでいる時は、実に助かる。


値段は公設市場で買うのと同じで、例えばフィリピンで一番人気のある大衆魚のミルクフィッシュだと、1キロ300円ぐらい。日本では魚の値段なんて、あまり気にしたことがないけれど、これはかなり安い。ミルクフィッシュ以外には、日本でもお馴染みのアジやイトヨリ、カマスなど。たまにラプラプなどの高級魚も。エビ、カニ、イカも持って来てくれます。高くても一回の購入額はせいぜい500円というところ。










2年前に、日本からのお客さんにお願いした出刃包丁も、すっかり使い慣れました。移住前は、自分で魚をさばくことになるなんて、想像もしていなかった。


玄関先まで来てくれる食材の行商。マニラ首都圏などの大都市ではどうなのか分かりませんが、ここシライでは生活の一部。私が子供の頃には、日本の住宅地でもよく見かけました。軽トラの荷台に棚を取り付けて、毎日たくさんの野菜やお肉に魚を売りに来ていた八百屋さん。最寄の駅前が再開発されて、ダイエーが進出してきた1980年代を境にして、いつの間にか来なくなってしまいました。

ここシライでも、生鮮食料品を売るスーパーが新たにできたり、かなり大きなショッピングモールが開店を控えていたりと、30年前の日本の地方都市のような状況に。もう何年かしたら、やっぱりここも日本と同じようなことになるんでしょうか。それはちょっと寂しいですね。





時々、名前が分からない魚も


2017年3月11日土曜日

あれもフィリピン、これもフィリピン



少し前に、自宅から自転車で5分ほどの距離にある、サトウキビ畑の中の一本道で撮影した写真。360度周囲が見渡せる場所で、条件が良ければ夕焼けがとても綺麗に見えて、日暮れ時に写真を撮りに来る場所。


赤道に近いフィリピンでは、年中日没の時間があまり変わらず、ちょうど日が沈む頃には、畑仕事を終えた農家や、農作業用の水牛を飼う人たちが帰路に。夕焼け撮影中には、時々すれ違います。この日はたまたま、家族が牛の引く台車に乗っていました。

撮った自分で言うのも変ですが、ほのぼのとしたいい雰囲気。この家族、特にお父さんと思われる牛に背中に座るオジさんは、きっとストレスの少ない暮らしをしてるんでしょうね。時間の流れまでゆったりしてそうです。

この写真だけを見ると、ネグロス島ってのどかで平和なんだろうと思うかも知れません。もちろん、郊外や山間部に行けばその通り。だからと言って、全島民がこんな生活しているわけではない。車で15分も走れば、巨大ショッピングモールはあるし、高層マンションも建っている。最近ではユニクロもオープンしました。


「貧困」という切り口でフィリピンを語る場合も同様。どん底の貧乏に苦しむ人たちが多いのは事実。しかし実際に生活してみると、貧乏人でもなく大金持ちでもない、電気も水道もある家に住み、冷蔵庫も液晶テレビもあり、子供はちゃんと学校に通わせている中流階級をたくさん見かけます。スーパーへ買い物に出かけたら、むしろそんな人ばかりの印象。


考えてみると、フィリピンも日本も人口1億以上で、面積も約30万平方キロと38万平方キロ。共に多くの島から成る島嶼国家。さすがに熱帯に位置するフィリピンは、日本ほど気候のバリエーションはないけれど、場所によって文化も、言語すらも異なる。当然、いろんな側面を併せ持つ多面体。民族的には、マレー・中国・インドなどのルーツが色濃く残っているので、ある意味日本よりもずっと多様性があると言えます。

そういうわけで、このブログで繰り返し書いているように、どうかフィリピンだから、フィリピン人だからと決めつけないでほしい。特に最近の日本語のネット内では、言葉尻を捉えて、すぐに右だとか左だとか、反日だとか在日だとか、無茶苦茶な理屈でレッテル貼って、罵詈雑言を投げつけるケースが散見されます。

また、なぜかフィリピンについての記事は、両極端に振れてしまうものが多い。定年退職すれば、南国フィリピンで極楽暮らし、なんて言うかと思えば、どこもかしこも犯罪と貧困ばかりで、地獄のような場所と言ったり。

人間も物事も、それほど単純ではありません。スマホやパソコンだけを通じて世の中を見ていると、物の見方が単純になってくるのか? 別に海外に移住までしろとは言いませんが、もっといろんな場所に行って、経験を積んだ方がいいと思うんですけどね。特に若い日本人は。


2017年3月9日木曜日

そろそろリノベ?


フィリピンに自宅を建ててから、もうすぐ三年が経ちます。鉄筋コンクリートの二階建てで、敷地300平米に、延床面積236平米(屋根付きガレージ、ベランダ含む)。日本だと相当な豪邸になりそうな広さでも、このサブディビジョン(宅地)内では、比較的小さい部類。建築業者に丸投げではなく、建築業を営む父に現場監督を頼み、大工さんや職人さんを直接雇う形式だったので、総工費が350万ペソ(約800万円)とかなり安くできました。

詳細は、このブログの開始当初に書いておりますので、興味のある方はそちらをじっくりご覧ください。

基本設計は、大阪高槻市在住の日本人建築士に依頼。フィリピンの気候風土に合って、なおかつ普通の日本人にとって快適な住宅という難題を、見事に解決していただき、たいへん満足な住み心地。日本人・フィリピン人を問わず、お客さんにも大好評。

以前、私が見て回った住宅は、せっかく広い敷地があるのに、小部屋がいっぱいの間取りにしてしまうケースが多かった。フィリピンでは、部屋数の多さがステータスとされるようです。それも寝室の数が多ければ多いほど自慢できて、3畳〜4畳半程度の小割りにするもんだから、狭苦しく風通しが悪い。実にもったいない。

我が家の場合は、最小の部屋でも32平米(7畳強)。メインベッドルームは、専用のトイレ・シャワーとウォークイン・クローゼットを合わせて、32平米(19畳)の広さを取りました。また各部屋、できるだけ窓を2か所以上設置。おかげで真夏の時期でもかなり涼しく、扇風機だけで暑さを凌ぐことができます。

と、良いことだけ書いて終わりたいところなんですが、そこはやはりフィリピンの大工さん。いろいろとスカタンをしてくれています。

最大の失敗は、2階のベランダ。屋根なしで約20畳の気持ちいいスペースをと思ったのが裏目に出て、完成後1年もしないうちに階下の4か所で雨漏り。仕方なく追加で屋根を付ける羽目になりました。約10万円ほどの費用はかかったものの、結果的には屋根が付いたことで、日差しが遮られて、ちょうどいいセカンド・ダイニングに。


次が、1階のシャワールーム。本来の傾きとは逆になるように洗面台を設置してしまったので、壁際に水が溜まってしまいます。また最近では、シャワーブースの足元からじわじわと漏水。どちらも我慢できないほどではないけれど、やっぱり気になる。

その他にも、外に張り出す形のダーティ・キッチン(土間)の屋根のひさしが狭すぎて、ちょっと強い雨が降ると屋内に吹き込んだり、隣家との壁が低すぎて騒音がダダ漏れだったりと、住めば住むほど問題点続出。

実は、建てている当初から、この手の不具合が出るだろうなぁとは感じていました。当初のプランにはなく、後付けでお願いしたり、大工さんたちの仕事を見ながら不安に思ったりした箇所。やっぱりこうなったか、というのが正直なところです。まぁ、あれだけ頑張ったから、この程度で済んだとも言えますが。

ただ、どれも具体的な対処案は頭の中には浮かんでいるので、いつ図面化して工事を始めるかです。ここ最近はどこも新築ラッシュで、大工さんを集めるのも簡単ではありません。どうせなら、全部まとめて一気に終わらせたい。さらには、裏庭にゲストハウスを増築する話もあるので、結構な大仕事になる気配が濃厚。

ということで、年内には第二期工事の着工ができるでしょうか? またお金が...。(泣)


2017年3月7日火曜日

オフィレニアの美女たち


3月に入ってからは「フィリピンから見た日本社会」みたいな、少々辛辣で重たい話題が続いたので、今日は軽い目の投稿を。

最近でこそ、フィリピンに旅行したり長期滞在する日本人女性が増えましたが、以前はほとんどが男ばかりだった在留邦人。フィリピン女性の魅力に捕まってフィリピン通い。気が付いたら、フィリピンに愛情も財産も...全人生を捧げていたというパターンで、おそらく大多数は、パブ勤めフィリピーナとの出会いがきっかけだったと思われます。

ところが油断できないのが、水商売関係者とは無縁の一般フィリピン女性の魅力。容貌の美しさやスタイルの良さはありますが、何より愛嬌があって陽気。「愛すべき」という形容がピッタリ。すごい美女というわけでもなく、必ずしも若い年代に限らずとも、表情や仕草が可愛いくて、話をしてるだけでも飽きないという女性が、友達や知り合いに何人もいます。

ここで家内の話を始めると、ただのノロケになってしまいますので、今日は家内の母方の親戚、オフィレニア家の女性についてのお話。まずは一番身近な、私の義妹ジーナとその娘のジャスミン。もう20年近く前、義弟の婚約者としてジーナを紹介された時は、こんなに可愛い女の子が身内になるとは、なんとラッキーなと喜んだものです。


ジーナとジャスミン

ジャスミンは、まだ11歳だというのに身長は160センチもあって、これは将来モデルか女優を目指せるのでは?というレベル。少し前に投稿したように、小学校のビューティ・コンテストで見事クィーンに選ばれました。


家内の叔父で、一昨年69歳で亡くなったパパ・ボーイには5人の娘。この子たちが揃いも揃って美人ばかり。特に長女のディアンは、あまりの色気で、近づくと呼吸困難になりそうです。挨拶のハグをするする時は、どんだけ緊張するか。また、三女のダリアも、シライ市主催のビューティ・コンテストに、バランガイ(フィリピンの最小行政単位)代表に選ばれた美女。


三女ダリアと長女ディアン

オフィレニア家からは、シカゴに8名の移住者がいて、最近お母さんと一時帰国した、女子大生のケビンも魅力的。外見はスペインや中国の血はあまり感じさせない、褐色の肌のケビン。スリムで足が長く、モデル並みのプロポーション。フェイスブックに投稿する写真を見てると、いつもボーイフレンドと一緒で、ずいぶんモテるようです。そりゃそうだろうなぁ。


ドクター目指して勉強中のケビン

そして、この頃では一番頻繁に自宅に来てくれるのが、家内の従弟ラルフの奥さんのエリアン。一番新しいオフィレニア家のお嫁さんも、色白の美人。エリアンは先日、このブログで紹介したばかりですね。


保険の外交員 エリアン

ということで、今日は結論もオチも何にもありません。ただただフィリピン女性が、キレイでチャーミングだというだけのお話。フィリピーナに魂を吸い取られてしまった男の戯言でした。


2017年3月5日日曜日

脱・日本並み


日本からの旅行者や移住者が、何かにつけストレスを感じるのが、フィリピンでの接客対応。

例えば、そんなに混んでもいないスーパーなのに、やたらとレジで待たされる。レジはたくさんあっても、人件費をケチっているのか2〜3箇所しか人がいなくて、しかも、値段がわからない商品があったり、なぜかカードが使えないなどでストップする。そんな時でもレジのお姉さんは急いだり焦ったりはしないので、余計にイラついたり。

家電製品で不具合があっても保証期間が過ぎていれば、修理屋の連絡先を書いた紙を渡されるだけ。そこに電話しても大抵通じない。何回も電話してやっと来てくれることになったと思い、約束の日時に待っていても連絡なしにすっぽかし。

大工さんに家の修理を頼むと、道具がないから貸してくれ、なんてのはよくあること。雇い主の家の庭にタバコはポイ捨てで、仕事が終わっても掃除もしない。とまぁ、この類の話を書き始めると、一冊の本ができるかも知れません。

だからと言って、フィリピン人が劣っているとか、頭が悪いとか決めつけているうちは、まだまだフィリピンという国の本質が分かっていない。

レジのお姉さん、修理屋の兄ちゃん、大工のオジさんたちの給料を考えてみてほしい。かなり稼ぎがいい人でも、日給(時給じゃないですよ)が1,000円に届くかどうか。大抵は500円程度も貰えばマシな方。いくら物価が安いネグロスでも、家族4〜5人もいれば、相当苦しい生活を強いられます。

これでお客さんの身になって、愛想よくテキパキ仕事しろという方が無理。たとえ頑張っても、経営者の都合ですぐクビになるし、転職が当たり前の社会。勤め先や上司へ義理立てなんかしてたら、この国では生きていけません。

考えてみれば、コンビニやファーストフード店の学生アルバイトにまで、「お客様は神様」式の接客態度を求める日本が異常なんですよ。神や信仰について真剣に考えたことすらない連中に、安易に神様なんて口にしてほしくもない。

フィリピンだって、すっごく高級なレストランやホテルに行けば、ちゃんとしたサービスをしてくれます。チップをはずめば、それこそ下にも置かぬ対応。つまり、素晴らしい接客態度というのは、正当な対価があってこそ。これは世界中どこに行っても通用する常識。

一部の日本人の頭の中には、日本こそあるべき理想で、それに合致しない社会は遅れているという気分が根強くあるようです。しかし、そんな「お客様=神様」精神の代償が何だったか? 誰もがストレスを抱え、過労死・自殺が蔓延する社会が最先端なんでしょうか? 日本が進んでいるのではなく、袋小路に入ってしまっているだけ。低賃金なのに無茶苦茶な要求をされて、それでも死ぬまで働くなんて、奴隷制の時代まで退行しているようなもの。

フィリピンが素晴らしい国だと、手放しで褒める気はまったくないし、日々イライラすることがあるのは事実。それでも日本と比べて、フィリピンが一方的にひどいとは、とても言えない。人それぞれ事情が違うので、フィリピン暮らしが性に合うかどうかは、その人次第。しかし少なくとも私は、日本にいた頃よりも幸せだし、自分の子供を将来日本で働かせたいとも思いません。


2017年3月4日土曜日

今年も花粉症?

今年も日本では花粉飛散のピークを迎える時期。私の実家がある兵庫県尼崎市も、ネットで調べたら、今日・明日の花粉飛散は「非常に多い」とのこと。日本の風土病化してしまった花粉症。年明けぐらいから憂鬱になる人もいらっしゃるでしょう。

花粉症があまりにひどくて、それが原因で海外移住を考えるケースもあるそうです。ならばフィリピンは大丈夫!...と言いたいところなのですが、ネグロス島に限っては、必ずしもそうではないらしい。

実はこのブログで花粉症を取り上げるのは、もう三回目。それも1月の終わりから3月にかけてと、だいたい同じタイミング。今年も一昨日あたりから、軽い咳と洟水にくしゃみ。日本の花粉症に比べると、大したことはないけれど、今回は小学4年生の息子も咳をし始めました。思い当たる原因と言えばただ一つ、サトウキビの刈り入れに伴う焼畑です。
 2015年:これはひょっとして...花粉症?
 2016年:ネグロス島の花粉症

全島がサトウキビ畑に覆われ、「フィリピンの砂糖壺」とも称されるネグロス島。ほんの数日間限定ですが、一斉に刈り入れが行われると、街中でも薄っすらと煙の臭いが漂い、遠くの景色が茶色くにじんで見えるほどになります。


上空から見たネグロス島の焼畑

以前、私が日本語を教えていた大学生のポール君は、どうやら煙アレルギーのようで、ちょうど去年の今頃、日本の花粉症患者と同じように、授業の間ずっと洟水とくしゃみで、とても辛そうでした。まぁ、こんなに煙が立ち込めたら、アレルギー体質ではなくても、体調も悪くなるでしょう。

さて、今年の煙シーズン。日本の花粉とは違って、数日乗り切れば大丈夫なので、去年一時帰国の時に買い込んだコンタック600を服用することにしました。相変わらずよく効く薬です。晩ご飯の用意中に、洟水が垂れそうになったので2錠飲んだら、食事ができた頃には、効果が。食後すぐに強烈な睡魔に襲われて、シャワーも浴びず8時過ぎに就寝。そのままま今朝の6時までノンストップ睡眠でした。

今日もいい天気のネグロス島。どうやら焼畑も終わったらしく、朝の空気から煙臭は消えていて、咳とくしゃみも快癒。薬のせいでまだ少し頭がぼぉ〜っとしてますが、気分は爽快です。さて、そろそろフィリピンは真夏の季節。息子も残り1か月弱で夏休みですね。



2017年3月2日木曜日

美貌のアクサ・レディ


出典:AXA Philippines

今日は前回の続きで、フィリピンでの民間保険への加入についてのお話です。フィリピン人の家内が加入している、フィリピン国営の医療保険フィルヘルス。家内の扶養家族の資格で、私と息子も医療費の40%がカバーされるのは、前回書いた通り。

今年55歳の私は、今のところ目立った持病はなく、筋トレ・サイクリング・テニスが習慣で、喫煙も飲酒もしないという健康優良オヤジ。それで人生、何がオモロいんや?との言われそうですね。とは言っても決して若くもないので何かと心配になるし、年金貰えるまでまだ10年(それもどんどん目減りしそう)。しかもまだ息子が小学生。

まるでそんな私の思いを見透かしたように、家内の従弟ラルフの新妻エリアンが、最近保険会社のアクサに就職しました。中国系フィリピン人のエリアン嬢、見た目は日本人と言っても通用する顔立ちで、今年28歳。南国生まれとは思えぬ肌の白さと、なかなかの美貌の持ち主。一時はラルフと一緒にマニラで暮らしていましたが、昨年夫婦でネグロスに戻り、ラルフはフードコートでビジネスを始め、エリアンはアクサの外交員として働き始めたというわけです。


私の身近にいるフィリピン人は、家内を筆頭としてなぜかフィリピン離れしている人が多い。金銭や時間の感覚は平均的な日本人と同じだし、将来設計もしっかりしてる。私のレベルに合わせて分かりやすい英語を喋り、フレンドリーさだけは典型的フィリピン人。ラルフとエリアンもまさにこのパターンで、話していても気分がいい。

さて、そのエリアンに保険の話を聞きたいと連絡したところ、二つ返事。(まぁ商売だから当たり前か)早速その週末の午後、約束の5分前に夫婦で我が家に来てくれました。事前に具体的な話はしてなかったけれど、ちゃんと私の状況に合わせたプランを書類にして持参。

その一つをざっと説明しますと...。
癌、脳卒中、心臓病、パーキンソン病など、56種類の疾病や症状に対して、100万ペソ(約227万円)の保障。これは医師の診断書さえあれば無条件に現金で支払われ、どう使うかは加入者の自由。気になる掛け金は、月々7,484ペソ(約1万7,000円)で、1年分一括払いだと、1か月分が割引。これを55歳から65歳までの10年支払って、満期になるというもの。疾病だけでなく、死亡・失明・手足の切断などにも全額保障され、健康に80歳まで生きれば、支払った金額よりも高い配当金が出ます。

用意してくれた書類は全文英語。しかしちゃんとPDFの用意もあって、グーグル翻訳を使いながら日本語で理解。それにアクサ社員のエリアンだけでなく、ラルフも内容を熟知。二人して、とても分かりやすく痒いところに手が届く説明をしてくれました。

これで契約となると、日本の保険会社ならば健康診断書が必須なんでしょうけど、フィリピンの慣習なのか、アクサだけなのか、外交員の判断で省略できるそうです。私の場合は、書類にサインするだけでOKとのこと。

最近の保険事情はすっかり疎くて、これが日本国内の保険と比べての良し悪しは判断できませんが、我が家の状況を考えると、決して安いとは言えないものの、妥当な線だという気がします。もうしばらく考えて、次の週末には返事をしましょう。

なんだか今日は、アクサの提灯持ちのような投稿になってしまいました。


2017年3月1日水曜日

フィリピンリスクは妻と医療


出典:PhilHealth

先日フェイスブック内にある、フィリピン在住者やフィリピン人を配偶者に持つ人たちが集うグループ内でシェアされていた、日本のドキュメンタリー番組をYouTubeで見る機会がありました。5年ほど前に放送されたもので、老後を過ごそうとフィリピンに移住した人々を追跡取材した内容。

少し前にこのブログで取り上げた書籍「脱出老人」に良く似ていて、成功した事例も取り上げつつも、重点は、フィリピン人配偶者に騙されて資産を奪われたり、重病の治療のため、帰国するお金すら失ったという、悲惨な失敗例に置かれていました。

海外でトラブルを起こしたり巻き込まれたりする日本人が、一番多いのがフィリピンなんだそうで、それを思うとそんな結論も仕方ないかと思う反面、日本人側の問題も多いと感じます。

番組に登場する、フィリピン妻に騙された日本人。なんと、フィリピンでは外国人による土地所有ができないことすら知らずに、奥さんに任せっきりだったらしい。この手のトラブルは1980年代(あるいはそれ以前)からある、もう定番とも言える話で、土地家屋を買うほどの資金を動かすなら、ちょっとぐらい調べろよ〜と言いたくなります。ご本人には気の毒ですが、あまりに学習能力が無さすぎる。

もう一つは、フィリピンに建てられて老人ホームに入居したものの、大病を患い、その治療費を全額自己負担したという例。この話にしても、年齢的に考えて、何らかの医療保険に入らないと危ないことぐらい、誰にだって分かるでしょうに。

フィリピンの永住権を取得しても、住民票を残せば日本の健康保険に加入し続けることはできるし、フィリピン国内でも月数万円も払えば、いろんな保険があります。この方は、無知だったのか、知っていてケチったのかは分かりませんが、フィリピンだから起こった悲劇ではなく、保険皆無の状態なら日本でも同じことだったでしょう。

そういう私も、もう今年で55歳。経済的な準備をして移住してきたし、昨年は家内が就職して、生活費は稼いでくれているとは言うものの、不慮の事故、疾病は予測ができません。現在私たち家族が加入している唯一の健康保険がフィルヘルス(PhilHealth フィリピンの国営医療保険)。移住後すぐに家内が契約して、私と息子はその扶養家族扱いなので、医療費の40%がカバーされます(契約内容によって差異あり)。実際に私が食中毒で3日間入院した時には、ずいぶんと助かりました。

因みにフィルヘルス、日本人でフィリピン人配偶者がいなくても、フィリピン国内で就労していれば、加入することができるそうです。詳しくはこちら(英語)をご覧ください。

ただ、やはり癌や心臓病、脳卒中などの医療費が高額な成人病の場合は、フィルヘルスだけでは心許ないのも正直なところ。というわけで、移住満4年を迎える今年、追加で民間の保険に加入することにしました。長くなったので、その詳細は次回に投稿します。