2017年10月31日火曜日

不透明なビジネス環境


フィリピンで起業する日本人ビジネスマンの方々。学生寮や、タクシー会社の経営、中には地方で農業だったり養豚だったりと、私が見聞きした範囲だけでも、かなりの数の日本人が、様々な職種で頑張っておられます。

私がフィリピンと関わり始めた20年ほど前は、たまたま知り合ったフィリピン女性に、引っ張られるようにフィリピン暮らしを始めた人が、簡単にできそうだからとジプニー(ジープを改造した小型乗り合いバス)のオーナーになったものの、トラブル頻発で結局大損、なんて話をよく耳にしました。

これは、フィリピン社会を舐めてかかって失敗した典型的な例。さすがに最近は、そこまで軽率な人は減ったようです。マニラ首都圏で永年に渡り、多種多様な事業を手がけて、いまでは地元日本人社会の名士というべき人もいるし、フィリピンと日本を股にかけて、投資ビジネスで堅実に稼いでいる人も知っています。

それでも失敗する人も少なくない。特に私が難しいという印象を持つのが飲食店経営。まだ日本食が珍しかった頃ならともかく、今では高級レストランだけでなく、フードコートの中にでも、フィリピン人が経営するTAKOYAKIの店があるほど。よほど低価格でコストパフォーマンスが良いか、日本から本物の料理人を招聘して、超一流のメニューとサービスを提供するか、とにかく他に抜きん出た特長がないと、利益も出ないし長続きもしない。

都心の一等地に、鳴り物入りで派手にオープンした日本人経営のレストランが、瞬く間に閉店に追い込まれるのは、珍しことでもありません。もちろんこれは日本人に限らず、誰がやっても難しさは変わらないようです。

例えばネグロスの州都バコロドで実際あった話。十数年前、ちょうど私がネグロスに宅地を購入し、日本人の建築家に現地に来てもらい、自宅の設計プランを練り始めた頃。出来立ての日本食レストランがあると聞いて、その建築家の方と一緒にバコロドで最大のショッピングモール、SMシティへ。

日本人シェフの元、日本で研修を受けたというフィリピン人コックが作る料理は、多少高くても、私たちが食べてもまったく違和感なく美味しかった。特にバコロドチキンで有名な地鶏の卵と、これまた地元産の豚肉を使ったカツ丼の味は、ネグロスにいることを忘れるほど。

ところが翌年、店構え・メニューはそのままなのに、味は別物に変わり果てていました。どうやら利益を出せずに、居抜きでオーナーが変わった模様。日本食の看板は降ろさず、材料や調理方法でコストダウンして、味付けもローカルテーストに変えてしまったようです。超ガッカリ。その店は今でも同じ名前で続いていますが、日本人が期待する日本食ではなくなってしまい、その後2度と行くことなし。

また、フィリピン独特の難しさは、ビジネス環境の不透明さ。私も運転免許やビザの発給で嫌というほど知っている通り、あらゆる種類の許可や書類の発行に、恐ろしいほどの手間、時間、そして費用が必要。それも事前に分かっていることではなく、担当窓口によって言うことが違うし、露骨にワイロを要求される。そして困るのが時間が全然読めないこと。上司が休みだから出直せとか、急にルールが変わったなんてのは日常茶飯事です。

さらに商売を初めてからも、日本では予想もできないようなリスクが。つい最近、マニラ首都圏のマカティで、昔から営業している日本食レストランが多数入ったテナントビルが、実は10年以上も、政府に対しての不動産賃貸料などが5億ペソ以上も未払だったと理由で、突然閉鎖となる事件があったばかり。(詳細は、こちら。)

こういうところが、外資導入で発展したシンガポールやマレーシアとの、決定的な違いでしょう。手間や経費の面で優遇しますから、末長く我が国に雇用と納税を、というギブ&テイクが明確なのに対して、片やフィリピンは、外国籍経営者への規制が大きいし、取れる奴らからは徹底的に搾取の姿勢が露骨すぎます。結局労働力の安さぐらいしか魅力がない。いつまで経っても貧困層が多いままなのは、この辺りにも原因がありそう。

私の場合、一応デザインという専門能力や知識はあり、フィリピン市場向け商品も担当したとは言え、30年近く企業内のインハウスデザイナーの経験のみ。こんなレッドオーシャン真っ只中で仕事を立ち上げる自信は、まったくありませんでした。なので無職でも、そこそこの生活ができる目処が立ってから移住したというのが実際のところ。幸い家内が政府関係の仕事が得られたので、今はメイド付きの主夫として気楽な生活を送っています。

はっきり言って、ストレスから逃れてネグロスにたどり着いたのに、またぞろストレス渦巻くフィリピンでのビジネスに頭を突っ込むつもりは、毛頭ありませんでした。そういう目で見ると、果敢にもこの国で起業し、成功している人を見るにつけ、心から尊敬の念が湧いてきます。本当にすごい。到底真似できません。


2017年10月29日日曜日

アレルギー大国ニッポン


フェイスブックで知り合った、フィリピン在住の方や、かつてフィリピンに住んでおられた日本人のお友達。その複数の方が異口同音に、一時帰国すると鼻や喉の調子が悪くなるとか、国外にいた頃にはそんなにひどくなかった病状が、戻ってから悪化したとか。いわゆるアレルギーの症状が出るそうです。

実は私も中学生ぐらいまでは、花粉症持ち。当時は花粉症という言葉が一般的ではなく、アレルギー性の鼻炎とされ、原因も分かりませんでした。その後、潜在的な患者で自覚した人も含めて、花粉症患者がどっと増え、スギ花粉を始めとする発症のメカニズムが知られるようになり、花粉症は日本の国民病と言われるまでに。

私のアレルギー体質は、なぜか周囲が騒ぎ始めた頃には沈静化。それでも完治ではなかったようで、大掃除をして埃っぽい空気を吸ったり、黄砂の季節になったりすると、数日間の限定ながら、くしゃみ・鼻水・鼻づまりの発作。そして最初に書いたお友達のように、フィリピンに移住してからは、パッタリと発症しなくなりました。

これが日本人特有のことかと思いきや、フィリピン人の家内は日本在住時だけ花粉症患者。それだけではなく、お世話になったカトリック教会のスリランカ人の神父さまや、ドイツから来日して同じ職場に在籍していたデザイナーなど、明らかに花粉症とは縁のなかった人も、国籍や生まれた場所と関係なく同じ症状。そして帰国すると治る。

春先のスギ花粉の時期とは関係ない発症もある。薄々感付いている人もおられるように、これはやっぱり日本の国土そのもの、空気なのか水なのか、何かの問題があるような気がします。排ガス規制なんてどこ吹く風で、ジプニーやトラックが黒煙を上げて走り回っているフィリピンの方が、アレルギー物質が蔓延しているような気がしますが、そういうことでもないらしい。

ただ、ネグロスだけは年に数回サトウキビ収穫後に、全島が薄っすらと煙に包まれるほどの焼畑をするせいか、少数ながら煙アレルギー患者は存在します。症状は花粉症にそっくり。原因は明確で、他の地域では見られないので、日本の花粉症と同じなわけではありません。

さて、日本のアレルギー患者。重篤な人は、全身の皮膚に発疹や痒みが出たり、ちょっとマスクをしたぐらいではどうにもならないほど、くしゃみや鼻水が出たりで、日常生活に重大な支障が。以前勤めていた会社の上司の息子さんは、それが主たる理由でカナダに移住したと言います。出国した途端に治って、一時帰国で空港ロビーに着いた途端にぶり返す。何だか書いていて、恐ろしくなってきた。

このブログでは、国外に移住した者の視点で、日本の社会的な要因での住み難さを再三取り上げてきました。でもそれは、日本人の意識が変われば改善できること。ところがアレルギー性疾病に関しては、こうすれば解決できるという手段さえよく分からない。困ったことです。


【追記】その後この投稿へのコメントで、都市部の若い在留邦人の中には、フィリピン渡航後にアレルギー症状が出た人が多いとの情報が寄せられました。やっぱり一筋縄ではいかない問題なんですね。


2017年10月27日金曜日

家猫のチャコ美

前回の続きです。

犬と猫を飼い始めたけれど、人と動物の距離は、それなりに保ちたい。なので基本は外飼いで、部屋の中には入れないというルール。これは私も家内も同じ感覚だし、日本ではあり得ないような、裏庭だけで300平米という恵まれた環境もあり、数日前までは問題なく運用されてました。

ところが猫の出産によって、状況が一変。
この雌猫、元々が野良。天井裏に居ついてしまったネズミを追い出すため、時々我が家の庭に出没していたのを餌付けした個体。すでにもう1頭の雄猫が餌付けに成功していました。おそらく、そのパートナーだったのでしょう。

以前拾ってきて、たった数日で死んでしまった仔猫の名前がチャコ。その2代目と3代目なので、雄はチャコⅡ(ツー)、雌はチャコ美(3=み)と命名。しばらくして、警戒心の強いチャコⅡは、あまり寄り付かなくなりました。チャコ美は野良にしては、ずいぶんと人懐っこくて、いつの間にか朝と夜は、ほぼ毎日我が家で餌を食べに来るように。


野良猫のチャコ美。去勢手術など当然受けてないし、本能のままに妊娠。つい3ヶ月ほど前に我が家の庭で、4頭の仔猫を産みました。ところが、どうやら新米母猫だったようで、雨水が溜まる場所を巣に選んでしまい、2頭を数日で死なせてしまいました。そして、いつの間にか1頭になり、その生き残りも、最後に見た時はすっかり衰弱して動けない状態。結局4頭とも育たなかった模様。

そして性懲りもなくまた妊娠して、2頭の仔猫を産み落としたのが、5日前の日曜日。日本では衆議院選挙の投票があった日でした。

前回の子育て失敗で少しは学習したのか、今度は別の場所を巣にしようと、庭のあちこちを生まれたての仔猫を咥えて徘徊するチャコ美。どうするのか見ていたら、庭にある東屋のテーブルの上に放置。案の定、赤ちゃんは落っこちて、タイルの床でミーミー。

その次に仔猫を連れ込んだのは、何と私の愛車トヨタ・アバンザのエンジンルーム。ガレージから鳴き声がして、車体の下を覗き込んでも姿なし。ボンネットを開けると隅っこに猫家族。これではエンジンをかけたら、仔猫の蒸し焼きかミンチができてしまう。

何度仔猫を外に出しても、チャコ美は余程ここが気に入ったのか、すぐに元に戻す。これが真夏だったら、多分こんなに暑い場所は選ばなかったんでしょうけど、季節は雨季。朝から雨だと、仔猫の体温を奪うには十分なほど気温が下がります。何回かイタチごっこの末、とうとう根負けして家の中に引き取ること。

赤いプラスティックの洗面器に、家内の古着を敷いて仔猫を寝かせました。しばらくは不満げなチャコ美でしたが、夜には母子揃って「猫鍋」状態。安心して授乳開始。まるでチャコ美と仔猫たちのために誂えたかのように、ぴったりサイズ。


これで一安心と思ったのは早計で、翌日からはチャコ美の野生の血が覚醒。十分餌をやっているのに、食事中の家内の目の前で、お皿から煮魚を掻っ払い。ちょっと目を離すと、暗くて狭い場所を求めて、すぐに仔猫たちをお引っ越し。クローゼットから服を出そうとして「ビックリ」が、2回ありました。


そんなわけで、個室は開けっ放しが基本の我が家だったのに、ドアを閉めるのがディフォルトに。いくら雨季でも、蒸し暑くって仕方がない。家内は怒って「ケージに入れろ」と怒鳴り出す始末。まだ目も開かない仔猫に免じて、なんとか1ヶ月の期限付きということで、その場は収まりました。やれやれ。


その後フェイスブックに仔猫の写真をアップしたら、フィリピン人の友達からは、屋根裏にネズミが入って困ってるから、乳離れしたら1頭ちょうだいとオファー。それは結構な話なんですが、まずはちゃんと育ってくれるでしょうか。チャコ美よ、応援してるから、今度は死なせずに頑張ってくれよ。


2017年10月25日水曜日

ペットとの距離感

突如として犬と猫を飼い始めてから、外を歩いていても他家の動物たちが気になって仕方がありません。私が見たことがある民家は、フィリピンでも、ほとんどここネグロスばかり。その限られた経験で言うと、日本よりも家畜との距離がずいぶんと近い。

一番ポピュラーな犬の場合、飼い犬でも家の前で放し飼い状態が多く、番犬用のでっかいジャーマンシェパードとかでもない限り、鎖で繋がれたりしているのは、あまり見ません。野良犬もたくさんなので、もうどれが飼い犬でどれが野良なのか、判別不可能のカオス状態。また優しい飼い主さんが博愛精神全開で、集まる犬全部に餌を上げたり。

家の敷地内だと、よく見るのがガレージで飼われているケース。こちらで一戸建て住宅は、ガレージ付きが当たり前。日本のように自宅から離れた場所に、駐車場を借りるなんて、少なくともシライ市内ではないんじゃないか? もし夜間、自動車をそんな置き方をすれば、車上荒らしはもちろん、車そのものを盗まれるのは確実。

ガレージと言っても、完全に居住空間と分離しているわけではなく、大抵その脇にベンチや小さなテーブルを置いて、夕涼みしたり、ちょっとした来客時に話し込んだり。そうなると、飼い主かお客さんかに関係なく、犬がじゃれついてきます。

実は我が家も、しばらく前まではそんな状態。家のリノベーションで打ち合わせしてる最中など、見知らぬ人に大興奮した飼い犬のゴマ。大工さんの足を舐めまくって、話にならず、仕方なくケージに放り込みました。すると今度は、話し声が聴き取れないほどのキャン鳴き。


私も家内も、犬猫に鶏まで飼っているぐらいなので、動物嫌いではないけれど、家の中には入れたくない。ソファやベッドに上げて、ペットを抱きしめたりする感覚は、ちょっと理解できないタイプ。もちろん、そういう接し方が好きな人を批判はしません。人それぞれ。

なので、ゴマも一番手のかかる時期は過ぎたようだし、そろそろもう少し距離を取ろうかと考えていた矢先。それまで糞は裏庭の土の上にしていたのが、長雨で庭に出られず、ガレージのタイルの上に粗相。それをゴマが見ている前で、水洗いしたのがいけなかったらしい。タイルの上に糞をすれば、飼い主に構ってもらえると、間違った学習をしてしまいました。

それ以来、雨じゃなくてもガレージ内に糞尿垂れ流し。さらに手に負えないことに、一箇所ではなくバラ撒き状態。急遽、ガレージと裏庭をつなぐ通路に、角材と竹で扉を作ってもらいました。自動車2台が駐車できる、広いプレイグランドから締め出されたゴマ。少々可哀想ですが、致し方なし。



そんなわけで、我が家では人とペットの距離感は、適度に保たれています...と格好よく締めくくるはずが、何と数日前から、猫を家の中で飼う羽目に陥ってしまいました。長くなりそうなので、猫編は次回に投稿します。


2017年10月22日日曜日

日本グルメは生きづらい

「文明」と「文化」はどう違うか。日常生活の会話で、そう頻繁に使う言葉ではないし、きちんと定義を意識することはあまりないかも知れません。ネットのブリタニカ国際大百科事典で調べても、ずいぶん難しそうな書きようで、イマイチよく分からない。

私にとって一番分かりやすかったのは、辞書や事典ではなく、司馬遼太郎さんが戦時下のベトナムについて綴った著書「人間の集団について」での記述。それによると、文明には普遍性があり、誰でも無条件に参加できるのに対して、文化には、それを育んだ国や地域の住民以外の参加が難しい、とのこと。

典型的な文明の産物は武器。銃器を使えば、世界中どの民族に属していようが、年齢・性別・宗教に関係なく、他人を殺傷できてしまう。もう少し穏当な例がジーンズ。19世紀のアメリカで現在の形のものが考案されたという、デニム生地のズボン。誰が身につけても格好よく見えるし、丈夫で動きやすい。冷戦当時の、アメリカと敵対していたソ連の若者にすら好まれたそうです。つまり人も場所も選ばない普遍的で合理的なもの。

これに対して文化は、非合理的で普遍性がない。例えば、襖を足で開けないとか、畳の縁を踏まないと言った類のこと。司馬さんによると、日本はたいへんな重文化の国。確かにそうでしょうね。日本人として育った私ですら、敬語や丁寧表現に始まって、親戚付き合いや職場での上下関係、冠婚葬祭の決まり事などなど、本当に息苦しくて仕方なかった。

文明と文化の差は、どれだけ多くの人を経由して、洗練されたかどうか。例えば「寿司」。もともと鮒鮨(ふなずし)とか熟鮓(なれずし)と呼ばれた一種の発酵食品だったもの。江戸時代に、食べやすくアレンジされた握り寿司が登場してから、日本中に広まりました。


さらに1980年代、カリフォルニアでSushiブームが起こったことが発端で、今や寿司は、代表的な日本料理として世界中で認知。これは、ごく限られた地域の文化だった寿司が、まず日本国内で洗練され、健康志向の流行に乗って、文明レベルに昇華した例。

こう書くと、合理的な文明に囲まれていた方が、生きやすいように思えます。ところが、なんでも理詰めでは、今度は寒々しく感じてしまうのが人間の不思議さ。フィリピンに住んでいても、やっぱり年末には大掃除をして、正月には雑煮が食べたいし、子供には「いただきます」「ごちそうさま」を言うように躾けてます。

特に食事。「食文化」という言葉に象徴されるように、食材選びや調理方法、食べ方の作法ほど、その国や地方の文化が色濃く反映される事柄もないでしょう。突き詰めれば、何を美味しく感じるかは、文化によってかなり違う。これは生まれ育った環境で刷り込まれてしまうので、成人してからは、そう簡単に変えられません。

ずいぶん長い前振りになりましたが、ここからが今日のポイント。

フィリピンの在留邦人は、最近でこそ若くて順応力がある年代が増えたものの、永住者は、私と同世代か歳上の男性が多数派。好奇心も柔軟性もかなり擦り切れた人が多い。和食回帰しがちな年齢層なので、フィリピン料理が嫌い、受け付けないという話を時々聞きます。

私もフィリピン料理を毛嫌いするわけではないけれど、毎日の食事には、日本的な献立も欲しい。なので、やや割高な食材や輸入品の調味料も使っています。アドボやチョプスイなど、地元スタイルの料理を作っても、やっぱり日本風の味付けに。

だからと言って「こいつらは、美味いものを食べたことがないから、味が分からない」とか「こんなものを食ってるから、早死にする」と罵詈雑言を吐くのは、フィリピン食文化への侮辱。これはちょっと許せません。別に、フィリピン政府に頼まれて移住したわけでもなし、住まわせてもらってる国に敬意を払えないのなら、早々に帰国しろと言いたい。

何かにつけ日本と外国を比べて優劣をつけたがるのは、一部の日本人の悪い癖。大抵の場合、それは単なる違いでしかない。料理の味付けなんて、母国の味、もっと言えば子供の頃に食べたものが、誰だって好ましいに決まってます。バロット(孵化寸前の茹で卵)が苦手な日本人がいるのと同様、納豆に生理的嫌悪を感じるフィリピン人がいる。単なる慣れの問題。私だったら「ほっとけ!」と怒鳴りつけるでしょう。

結局のところ、海外移住=異文化の中で暮らすことなのに、そこで現地の料理を頭から拒否するのは、ただ好き嫌いが多いことにしかなりません。いくらグルメを気取っても、食費は高くつくし、ストレスは溜まる。自分で自分を生きづらくしてるだけだと思うんですけどねぇ。


2017年10月20日金曜日

そしてアラ還


「アラカン」と聞いた時、鞍馬天狗の映画俳優がなんで今頃出てくんの、と思ってしまいました。これが分かる人は、少なくとも私と同世代か、それ以上。知らない若者は「嵐寛寿郎」でググってみてください。

当然、最近言われるアラカンは、嵐寛寿郎さんの愛称ではなく、アラウンド還暦。つまり60歳前後。アラサー、アラフォー、アラフィフまでは分かります。60だとアラシクスか? 言いにくいなと思ったら、こんな言い方を考えた人がいるんですね。ちっとも知りませんでした。

かく言う私が、この10月の初めに55歳に到達。四捨五入したら60歳のアラ還になりました。それにしても、この無自覚ぶりはどうでしょう。私が子供の頃、本家本元のアラカンさんが、まだ存命だった時期には、60歳と言えばもう完全に老人。30代にもなれば堂々たる大人だし、40歳は文字通りの不惑。50を過ぎれば初老と言われたものです。

ところが、体力的にあまり衰えを感じないせいか、いまだに30代の後半か40そこそこのような気がしています。太るわけでもなく禿げるわけでもない。微妙に白髪が増えたのと、近くのものが見えにくくなったぐらいでしょうか。特に50歳でフィリピンに移住後、日本でのストレス満載の勤め人生活とおさらばしてからは、食事は旨いし、あれほど頑固だった不眠に悩まされることがなくなりました。

もちろん本当の30代に比べれば、あらゆる面で老化は進んでいるんでしょうけど、「ガクッ」という落ち方でもない。やはり昔に比べると平均寿命は延びてるし、個人差はあっても、全体的に老けるのが遅くなってきたのかも知れません。私の場合は、頭の中もガキのままという気もします。

さて、フィリピンでの60歳。中国系の住民でもなければ、干支や十二支なんて意識しないでしょうから「赤いちゃんちゃんこ」の還暦祝いはありません。しかし60歳はこの国でも、リタイアする人が多い。また10年毎の誕生日祝いは、特に盛大にする習慣もあって、こちらでも大掛かりなパーティをするのが一般的。

フィリピン人が60歳前後にもなれば、大抵の人がそれ相応の外見になるようです。ただし歳を取っても、家族や友達に囲まれて、孫が何人もいるのが当たり前のお国柄。孤独だったり、気難しい人は多くない印象。老人ばかりが集まる光景も、あまり見かけないですね。

だからと言って、フィリピンのお年寄りが、一概に日本より幸福だと考えるのも短絡的。相対的に医療費が高額なこともあり、平均寿命は2015年現在で69歳(!)。医療的なケアという点では、恵まれているとは言えません。そう言えば、お隣の私と同い年の旦那さんは、昨年心臓発作で亡くなりました。

ところで、私の還暦までは5年ありますが、この12月に、家内の元同僚の女性が60歳の誕生日を迎えます。ご主人は大学の教授で、日頃から海外旅行を楽しんだりする富裕層。当然60歳のお祝いも盛大にやるらしく、半年近くも前から、家内を含めた友人一同に告知がありました。

ということで、自分の時のための視察も兼ねて、隣島パナイへ家族で出かけることに。このブログでもその様子を報告したいと思います。


2017年10月18日水曜日

物よりも知恵の支援を


国内では、あまり知られていないようですが、日本はフィリピンへのODA(政府開発援助 Official Development Assistance)でダントツのナンバー1。どれぐらいかというと、例えば今年(2017年)の1〜6月の支援額が、約5400億円なんだそうです。

2020年東京オリンピックでは、仮設会場の整備費用が当初見積もりの4倍近い、3000億円に膨れ上がったと騒いでいますが、それを上回る税金が、半年でフィリピに注ぎ込まれたことになります。

もちろんこれは融資。タダでお金を上げているわけではありません。しかし、金利は年0.1%の40年償還という条件。フィリピン・インサイドニュースの記事では、借り手のフィリピン政府からすると、この間の物価上昇を勘案すれば、実質的には儲けになっていると指摘されています。

日本のODAで建設されたものは、私が知っているだけでも、ここネグロス島シライ市のバコロド・シライ空港や、隣島パナイのイロイロ空港。ニノイ・アキノ・マニラ国際空港の第二ターミナル。セブとマクタンの海峡にかかる架橋など。最近では、このブログでも取り上げた、マニラの地下鉄プロジェクトも。

こうした気前の良さが、フィリピンでの対日感情に良い影響を与えているのは間違いない。フィリピン在留邦人もその恩恵に浴しているわけだし、先の大戦で日本がフィリピンに与えた被害の大きさを思えば、フィリピンに住んでいる私が、これを批判するべきではないでしょう。

とは言え、いくら政治的な思惑があっても、いささか常軌を逸した金額。まるで、タチの悪い商売女の色香に迷って、湯水のように金を貢ぐオっさんのようです。それなら、フィリピン女性と結婚して、その女性名義で土地を買い家を建てた私には、いよいよ批判する資格はないですが...。

金額もさることながら、JICAの作成した資料によると、ODAの内訳は、輸送インフラや水害対策など、物的支援にかなり偏っているのがわかります。4年前のヨランダ台風の被災時の緊急支援のようなケースでは、食料や医薬品、衣料が主体になるのは当然としても、ず〜っと箱物寄りというのは、いかがなものか。

民間でも、古着や中古自転車を、フィリピンの貧しい人たちに送り届けるといった活動があります。対費用効果を考えたら、現地で新品の服や自転車を購入した方が、はるかに効率的。それでもこの活動を通して、日本人にフィリピンの貧困の現実を知らしめるのが目的ということらしい。(日本でも貧困が問題になっているというのに)

それが無意味とは言いません。しかし、わずかな量の中古品ぐらいでは、砂漠にバケツで水まいているようなもの。同じお金を使うんだったら、他にやり方はいくらでもあると思いますよ。本当にそれを必要としている人に届くかどうかも不透明だし、受け取った子供の親が売っ払って、違法薬物購入のお金になってることも考えられる。悲しいことに、それがフィリピンの現実。

その点、昨年までの3年間、ここシライ市内で、日本のNPO法人 森は海の恋人 が行った活動には感心しました。簡単に言うと、環境問題を子供に教えるための、知識やスキルを持った教師の育成プログラム。まさしく物よりも知恵の支援。家内もセクレタリー兼通訳として参加しました。

地味で、遠回りな支援。森は海の恋人の日本人マネージャーも、即効性を求めるなら、日本企業を誘致して雇用を増やす方がいいとの意見。それでも長期の視点に立てば、教育に勝る支援は、ないのかも知れません。

物や食料を与えてもその場しのぎにしかならず、かえって依頼心を植え付けるだけ。助けになるどころか、悪い影響が出ることすらあります。川を渡れずに困っている人がいるなら、橋を作ってあげればいい。でも橋が壊れたり、老朽化したらどうする? 未来永劫ずっと助けることはできないのだから、川の渡り方を教えるのが、結局は一番いい方法だということでしょう。

2017年10月16日月曜日

前日に決まる休日


今日、2017年10月16日(月)は突然のお休み。フィリピン全土の公立・私立の学校と、政府機関の仕事はすべて休業。理由は、交通機関(乗り合いバスのジプニー)のストライキ。ストだから休みにするというのもすごいですが、もっとすごいのは大統領令による通達があったのが前日の日曜日。

フィリピンでは、突然、休日や祝日が決まるのは、それほど珍しくはありません。移住して4年半の経験では、平均すると年に2〜3回はある感じ。イスラム関連の祝日だったり、前年までは休日ではなかった「ティーチャーズ・デイ」をその年だけ休みにしたり。恣意的な運用と言われても仕方がない唐突さ。それにしても前日に発表というのは、初めて聞きました。

慣例的なやり方を、どんどんぶっ壊しているドゥテルテ大統領も、休日や祝日の決め方に関しては、あまり変える気がないようです。

日本で急に学校が休みとなったら、共働きの親は困るでしょうね。頼れる親戚も友達もいなくて、仕方なくどちらかが会社を休まないといけなくなったり。ものすごい抗議が殺到しそう。

フィリピンでも困る人はいるでしょうけど、ここネグロス島シライ市では、あまりそんな話を聞いたことがない。祖父母と同居は多いし、昼間からブラブラしてる大人もたくさん。隣近所に子供を預けるのも、日本よりはるかにハードルが低い。

また子連れ出勤も、職場によっては、さほど奇異な行動とも思われません。以前、週一で雇っていた通いのメイドさんは、時々孫娘を連れてきてました。家内もまったく問題視せず。

家内が勤務する、教育省の出先機関にしても、私や息子が急に訪ねていっても、守衛さんが止めるわけでもなく、上司が見咎めることもない。事情があって終日事務所に子供が一緒にいても、仕事さえちゃんとすれば、誰も苦情を言わないでしょうね。

本当に困るのは、急に休日扱いになった場合の経営者。レストランや小売業など、平日で通常営業のつもりが、突如として休日手当を支給しなければなりません。かと言って、休日の書き入れ時に店を閉めてしまうと、損失は大きい。これは痛い。

さて、今回の突然の休校。連絡は学校からではなく、フェイスブックのグループ経由。息子の通う私立小学校は、保護者有志が学年毎にFB内にグループを運営していて、何か連絡事項があれば、ここでシェア。


グループでシェアされた記事
スマホ画面のスクリーンショット
というのもフィリピンらしい大雑把さ

フェイスブック利用率が、世界でも最高レベルのフィリピンらしい。家内に訊くと、特に連絡網みたいなものは決めておらず、フェイスブックが普及する前は、もっぱらママ友、パパ友の口コミだったようです。規則でガチガチ、息が詰まりそうな日本の学校事情と比べると、あまりのユルさ加減に笑いそう。

ということで、3連休となった息子は、朝からリラックス。ところが本来なら当然休みになるはず家内は、今日から2泊の隣島パナイへの業務出張予定。これは50名以上が参加するセミナーの開催だそうで、今更ホテルや会場のキャンセルもできず、朝5時台のフェリーで出かけました。こういうフィリピン人もいるんですよ。ご苦労さんなことです。


2017年10月15日日曜日

英語落語、フィリピンへ


2週間ほど前(2017.10/6)のことになります。落語家の桂かい枝さんが、マニラ首都圏のマカティで英語落語の公演を行いました。フィリピンでの公演は今年2月に続いて2回目。

かい枝さんは、もう20年来、英語落語に取り組んでいて、日本にいる時は、私も家内と一緒にかい枝さんの英語落語を聞きにいったことがあります。落語を英語で演じるのは、桂枝雀さんを始めとして、何人かの方がおられます。

かい枝さんのマニラ公演のニュースをネットで見て、ちょっと調べてみたら、全米を半年かけて回ったり、東南アジア諸国やオーストラリアなど15カ国で英語落語を披露されているそうです。すごいですね。

日本語を解さない人に落語の面白さを分かってもらうのが、英語落語の本来の目的。でも私のような多少英語を聴きかじった程度の者でも、楽しく聴くことができます。教科書には絶対出てこないような超関西的な口語表現を、実に巧妙に英語で語る様は、たいへんためになる。聴いたらすぐに、家内やその友達との会話で試してみたり。

ただ表面的に英訳しているのではなく、落語の真髄を体で知っている落語家自身の言葉。本当に「なるほどなぁ〜。」と感心することしきり。しかも関西訛りの英語なので、聞き取りは100パーセント完璧にできます。おそらく、日本人の前で演じる時は、かなりの配慮もされているんでしょう。

元々落語が大好きだった私。特に桂米朝さんと、その門下の枝雀さん、吉朝さんは、よく寄席に行ったり、CD化された噺を聴いたりしました。吉朝さんは落語だけでなく、作家の中島らもさん主催の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の役者としても大ファン。とても残念なことに、らもさんも含めて、みんな鬼籍に入ってしまわれましたね。

実は、かい枝さん、高校の後輩。私と同じ兵庫県尼崎市の出身で、尼崎北高等学校(通称、尼北)を卒業されたそうです。私より7つも若いので、在学中の接点はまったくないけれど、やっぱり少しでも縁のある人がフィリピンでも活躍されると聞くと、嬉しくなります。

そういうことなので、もう少し前に知っていれば、ぜひ聴きに行きたかった。数日前に思い立って、マニラ行きを決められるほど、身軽でなくなった身上。こういう情報って、直前にならないと、中々入ってきません。ネグロス田舎暮らしの不便さとも言えるでしょう。これを教訓(?)に、フェイスブックでかい枝さんの追っかけをすることに。50代半ばをすぎたオっさんに追っかけられても、嬉しくもないだろうと思いますが...。

次回フィリピンに来られる機会がありましたら、マニラやセブばかりではなく、是非ネグロス島の州都バコロド辺りに来ていただきたい。とは言えさすがにたった人口50万の地方都市では集客が難しいし、スポンサーもつかないでしょう。日本人もあんまりいないし。

英語落語を生で聴くのは、しばらく先になるかも知れませんが、次のチャンスは逃さないよう、アンテナを張っておきたいと思います。


2017年10月13日金曜日

私的フィリピン美女図鑑 スーパーの警備員 再び

今日の美女図鑑は、以前の作品「スーパーの警備員」の描き直し。

本当は、気になる箇所を少し修正して、元の投稿のイラストだけ差し替えておこうと思ってました。ところが、いざ手をつけてみると、ここも気になる、あそこも直したい。そっちがそう変わったら他も整合性が取れない...てな具合で、芋づる式にどんどん修正箇所が拡大。気が付いたら、画面の基本構成からすっかり別物になってしまいました。

そんな経緯で、投稿もやり直すことに。

これが手描きの水彩作品だったら、ここまでの手直しはできなかったでしょう。油画の場合は、厚塗りをすれば下絵を隠すこともできるので、完全描き替えもできます。高校の美術部にいた頃は、先輩が放置していった使用済みのキャンパスを、上塗りして自分の絵を描いたこともありましたね。

デジタルのイラストでは、元のデータをそのまま残して、かなり初期の段階から描き直しができるので、たいへん便利。ただし、各部分をきちんとレイヤー別に分けておくことが重要。これをいい加減にして、詳細まで描き込んだ部分をごっちゃにすると、それこそオモチャ箱をひっくり返したようになって、収拾がつかなくなります。

今回はいい機会なので、どういう手順で描いたかを、プロセスを追ってご紹介します。

まず、人物。
当初のポーズやアングルはそのままで、詳細だけ追加しようという意図。ところがどう見直しても無理そうなので、人物は総入れ替え。顔の表情を描いて、頭髪、全体のプロポーションと進めていきます。


リアルに表現する場合は、陰影の描写がとても重要。元写真を減色して、陰影の段階を分解し、それをグラデーションに置き換える。このプロセスは、細くやればいくらでもできてしまうので、止め時の見極めが難しいところです。

 

着衣のベースが完成したら、ネクタイやベルト、ワッペンなどのアクセサリー類。衣服のような曖昧さが少ないので、工業デザインで培ったテクニックが活かせるところ。私としては、一番楽しんで描けるプロセスでもあります。

次に背景。
元絵で描き起こしたスーパーの正面図と後ろの雲は、ほぼそのままで、スケールを変更して使用。空いたスペースを埋めるために、やっぱり別の要素が必要なようです。


そこで思いついたのが、人物のアクセサリーに多用されたイエロー。スーパーの看板にも同系色があるので、全体をイエローで包むイメージが頭に浮かびました。モデルの女性も、とてもボーイッシュで、女性っぽさを強調するような赤とかピンクより、イエローの方が似つかわしい。私が子供の頃に流行った「ひまわり娘」という歌を思い出しました。

選んだモチーフは、そのひまわりと、フィリピンでは庭木によく用いられるイエローベル。我が家の裏庭にも一株植わってます。


そして完成品がこれ。
ずいぶん健康的なイラストになりましたね。1枚大きくプリントアウトして額に入れて、モデルのお嬢さんにプレゼントしてもいいぐらい。今日は思いがけず、フィリピン美女図鑑の裏舞台紹介になりました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年10月11日水曜日

駐在妻というレッテル


夫が仕事で海外駐在。その夫と一緒に日本からやって来た奥さんを、駐在妻、略して駐妻(ちゅうづま)なんて呼び方をするそうです。

私は現在フィリピンに住んでいるけれど、どこかの社員としてではなく、早期退職の個人での移住。しかも家内はフィリピン人だし、周囲に日系企業など皆無のネグロス島。駐妻なんて言葉はまったく聞いた事がありませんでした。

たまたまフェイスブック経由で知って、ネットで検索してみたら、ロクなこと書いてない。曰く、閉鎖的で関心事は狭い狭い日本人コミュニティのゴシップだけ。新しく来た人には偉そうぶって、仲間内の序列には厳しい。家事はメイドさんに丸投げで暇を持て余し、毎日遊び呆けている。

これって、メイドさんの部分を別にすれば、発言小町でよくある、ママ友の話とほぼ同じ。もちろん、日本の奥さんやお母さんたちが、全員そんな集団の一員の筈はなくて、ごく一部だったり、面白そうな出来事を誇張して言ってるだけのこと。また海外に住んでいても、同じ日本人で、永住する気もない人ならば、日本にいるのと同じような話になるのは、分からないでもない。

それにしても、この決めつけ方はうんざりします。実際に旦那さんの仕事の都合でマニラ在住の人と、友達付き合いをさせてもらってますが、こんなステレオタイプには、まったく当てはまらない。初めてのフィリピン生活に苦労しながらも、好奇心旺盛に新しいことに日々チャレンジされてます。おそらく日本人同士の面倒事に、頭を悩ませている暇などないでしょう。

それに、フィリピンに住む日本女性は、駐妻だけではありません。私が会った事のある範囲だけでも、フィリピン男性と結婚した人もいれば、起業した人もいるし、子供さんの留学の付き添い、NGOのマネージャーなど、いまや渡航目的は多岐にわたります。

だいたい、家事をメイドさんに丸投げで楽してる、などいうのは、自分で家事などやったことがないか、よっぽど雑にしかできない人の言い草。曲りなりにも主夫の立場からすれば、フィリピンのメイドさんに、ちゃんと仕事してもらうことは、そんなに簡単ではありません。

付きっ切りで監視はしなくても、要所要所で指示したり確認したりは必須。また人間関係の構築は、慣れないとかなりの難事。高圧的だと反発されるし、近づきすぎて友達みたいになると、舐められる。丸投げなんて恐ろしいことは、到底できない。完全に、職場で部下と仕事してるようなもの。中にはメイドさんとうまく付き合えなくて、心の病気になってしまうケースも。

私自身も、フィリピン女性と結婚してフィリピン移住で、同じように型にはまった見方をされる事があります。

15か20も年下の若妻とは、フィリピンパブで知り合った。妻の家族や親戚は貧乏人の怠け者で、いつもお金を要求される。趣味はゴルフでフィリピンではゴルフ三昧。日本食にこだわり、日本食レストランに通っている。マニラに住んでいる。タガログ語はそこそこ喋れる。

もう、全然見当はずれもいいところ。
家内とは3つしか歳が違わないし、結婚前はフィリピン大学の研究所勤務。家内の家族も親戚も、みんな中流でちゃんと自立してる。しかも友達の何人かは大金持ち。ゴルフじゃなくて、趣味はテニス。たまに日本食レストランにも行くけど、基本は自炊。マニラじゃなくてネグロスの田舎住まい。そして、現地の言葉はイロンゴ語だ〜!

これ以外にも、生まれ育ちが関西だったり、美大出身、デザイナーなど、微妙にマイノリティに属していることで、今までも時々「何だかなぁ」と感じることはありました。もういい加減、思い込みの色眼鏡で、人を決め付けるのはやめようよ。特にインターネット上では。

2017年10月9日月曜日

日本語訳は英語教育を殺す


最近フェイスブックでの友人に、教えてもらった記事があります。日本で英語教育に携わったという、ニュージーランド出身の教師に取材したもの。それによると、彼が着任した学校では、わざわざ招いた英語のネイティブスピーカーが、ただのアシスタント。しかも、彼が喋る内容を日本人教師が日本語訳してしまうもんだから、生徒が真剣に聴こうとしない。

まだ日本の教育現場では、こんなアホなことやっとるのかいなと、溜息が出る思い。このやり方は、単にリスニングの能力が伸びないというだけでなく、かなり致命的な欠陥があるように感じます。

英語に限らず、母語以外の言葉をある程度習得した人なら分かるように、一つの言葉を別の言葉に、完全に翻訳すること自体がまず不可能。分かりやすい例だと、日本語の「よろしくお願いします」「お世話になります」の類。挨拶での使用頻度が高い表現だけど、いざ英語に直せと言われると、ハタと困ってしまいます。

前後の文脈から意訳するか、もしくは元の文章の何倍も言葉数を費やして、長々と説明するしかありません。ところが自分で考えず、誰かに訳してもらうところから入ると、言語が違っても、対訳可能な単語が必ず存在するような誤解を生じてしまいます。さらに言うなら、どんな文章も「正しい」翻訳ができると刷り込まれる。

これは受験の道具としての言語習得なら、それでもいい。あるいはそうでないと、採点する方が困るのかも知れません。ところが実際に喋る必要に迫られた時、「正しい」言い方が口から出ないとか、頭にある日本語を、どう訳していいか分からない、となってパニックになってしまう。日本語訳前提の英語教育最大の弊害は、ここだろうと思います。

では、英語が第二公用語のフィリピンでは、英語をどう教えているでしょう。私自身がフィリピンで授業を受けた経験がないので、小学生の息子(私立学校に在学)の話を聞いたり、現地の教科書を読んでみると「英語は英語で教える」のが当たり前だと分かります。だいたい、英語の教科書には、英語以外の言葉が印刷されていない。

フィリピンの場合、子供の母語が、第一公用語のフィリピノ(タガログ)語とは限らない事情もあるでしょう。母語だけに限って言えば、タガログよりセブアーノ人口の方が多かったりもする。

しかし、そんな理由がなかったとしても、実用英語を勉強するならば、授業時間中だけでも、英語で聴き英語で喋る訓練をしなければ、意味がない。相手の言っていることを理解するのと、きれいな母語に翻訳するのは、まったく別のことです。実際の会話では、意味はよく分かったけど、さて日本語ではぴったりの表現がないなぁ、なんてことも少なくない。

そう考えると、本気で使える英語を習得させるなら、ネイティブスピーカー(国籍は日本でも構わない)が、日本語禁止のクラスで教えるのは当然のこと。補助に回るのが日本語ネイティブの教師ならば、まだ分かります。

そしてテストは、問題も解答も英語が基本。早い話が、TOEICやTOEFLを導入すればいい。小中学生にはハードルが高くても、せめて高校の授業や大学受験には使ってほしい。もちろん、TOEIC・TOEFLで高得点の人が、必ずしもネイティブ並みに喋れるとは限らない。それでも透明性はあるし、留学や就職の際にも役に立ちます。辞書にしたって、英和より英英辞典の奨励が望ましい。

ここまで読んで、それでも日本語訳が必要だと言うのなら、日本語の授業、つまり国語でやればどうでしょう。自分以外の誰かの理解のために、外国語から自然で分かりやすい日本語に直すのには、対象となる言葉の知識もさることながら、それなりの日本語能力が必要不可欠。これは自分でやってみれば一目瞭然。

名文・美文を書けというのではありません。できるだけ正確な意味を伝えつつ、読みやすさも保つには、ある程度の日本語の語彙とセンスが要求されます。例えば「under estimate」を、「低く見積もる」と直訳風にするか、「ちょっと見通しが甘い」と口語っぽく言うかは、前後の文脈と国語力の問題でしょう。外国語を勉強すると、母語の力もつくと言われる理由がここにあります。

最近のネット上では、翻訳じゃない普通の文章が、すっごく読みにくくて意味不明なことが多いので、別の意味でやった方がいいかも知れません。

それにしても、冒頭に紹介した記事の英語教師は、ずいぶん歯痒かったろうと思います。さらには、その授業を受けた子供が可哀想。想像するに、せっかく生きた英語に接する機会なのに、日本人教師の監視下で、自由な発言もできず、英語に対するコンプレックスを植え付けられただけの可能性が高い。もったいない話です。

(因みに「もったいない」も、ちょうどいい英訳語がないそうです)


2017年10月7日土曜日

私的フィリピン美女図鑑 メイン・メンドーサ

フィリピン美女図鑑です。
今日のお題は、このブログで取り上げるのは3回目のメイン・メンドーサ嬢。2015年、ダブ・スマッシュというスマホ用アプリで作った、フィリピンの超有名歌手クリス・アキノの、口パク形態模写から始まった、メインの芸能キャリア。フェイスブックに投稿したその映像は、一晩で100万ビュー。一躍フィリピンの有名人になりました。別名「ダブ・スマッシュの女王」

そして同年、お昼のバラエティ番組「イート・ブラガ」で、役名ヤヤ・ダブとして、テレビでも人気爆発。CMにも映画にも引っ張りだこ。素人デビューからたったの2年で、今や、フィリピンを代表する芸能人になったメイン。フィリピンでも、コカコーラのキャンペーンガールになるのは、かなりのステータス。

美人であることは間違いない。でも、取り澄ました二枚目狙いの美人ではなく、根っからのコメディアンヌ。とても庶民的で親しみやすいタイプ。この辺りは、先月投稿した、ジュリア・バレットにも通じるかも知れません。

美人でお笑いのセンスがあるというのは、フィリピンに限らず、人気がでるだろうと思います。ある意味、人気商売をするには最強。こういうタレントさんが、日本でも紹介されれば、内戦や犯罪・貧困の報道ばかり先行して、なかなか上がらないフィリピンのイメージを一気にアップしてくれるのに。フィリピン観光省の役人さんも、ちょっとは考えてほしい。

さて、メイン・メンドーサと言えば、その表情の豊かさ。単刀直入に書くと「変顔の魅力」。女優さんにしては、画像検索での変顔率が高いのは彼女ならでは。いくらフェイスブックで変顔セルフィーが多いフィリピンでも、今年22歳の女性(しかも美人)が、ここまで変顔を晒すのはすごいですね。笑顔も「おほほ」じゃなくて「がはは」という感じ。


ということで今日のイラスト。やっぱり一枚っきりで彼女を表現するのは難しくて、悩んだ末に四つのポートレートになりました。作業量は4倍になったものの、澄まし顔より変顔の方が描いてて楽しい。こういう似顔絵描いたのは、たぶん初めてだと思います。

今気付きましたが、このイラスト、パソコンの壁紙に使えそう。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年10月6日金曜日

フィリピンの蝿はどん臭い?


フィリピンに住んでいると、どうしても逃げられないのが蝿。熱帯では、人間の何倍(何百倍?)もの数がいると思われる、このやっかいな昆虫。ここネグロス島では、特別不潔な場所でない普通の道を歩いていても、1匹や2匹は必ずまとわりついてきます。

ショッピングモール内の小綺麗なカフェやレストランでも、やっぱり防ぎきれません。日本だったら、ファミリーレストランで蝿が飛んでたり、料理にとまったりしたら、激怒した客が店主に土下座を要求するかも。

その点、フィリピンのお客さんは慣れていて、少々蝿が飛んでいても適当に手で払いのけながら、喫食を続ける。蝿に目くじら立ててる人は、見たことがありません。

このフィリピンの蝿たち。日本の蝿に比べるとおっとりしてるというか、どん臭いというか、蝿叩きで簡単に退治できてしまいます。聞くところによると、蝿と人間は、時間を感じる速度に5倍ぐらい違いがあるそうで、蝿から人間の動きを見ると、1/5の超スローモーションなんだとか。確かに日本ではそれぐらいの差を感じても、フィリピンの蝿は、せいぜい2倍ぐらいしか変わらないんじゃないか?

我が家は、窓にも扉にも網戸をつけているので、蝿はそんなに入ってきません。それでもたまに侵入してくると、いつも私は蝿叩きで応戦。これがものの数分もしないうちに、ことごとく叩き潰せます。さすがに、飛んでいる最中のを撃墜するのは難しいものの、どこかに止まったりしたら、運の尽き。スナップを効かせて「ばちこ〜ん」

どん臭いのは、蝿だけではないらしい。幸いにも我が家では、滅多に姿を見せないゴキブリ。こいつらも、日本の眷属に比べると動きが格段に遅い。こっちは蝿叩きで潰すと後始末がたいへんなので、もっぱらバイゴン(フィリピンで市販されている殺虫剤)が活躍します。

蚊にしても、あんまり俊敏とはいえないし、刺された直後の痒みは同じでも、数時間もすると後も残らない。たまに翌日痒みがぶり返すこともありますが、10回に1回ぐらいの感じ。(ただし熱帯の蚊は、デング熱とかマラリアを媒介するので、決して侮れません。)

これは私の推測ですが、虫も人間も、気候が良くて食べ物が手に入りやすい場所では、みんなおっとりした性格になるようです。厳しい冬がある地域と異なり、「今食べておかないと、食べられなくなる」「冬に備えないと、生き残れない」といった緊迫感がないからでしょう。

そう考えると、この世界。あらゆる場所が熱帯や亜熱帯だったら、人間同士が争うことが、ずっと少なかったかも知れません。もっともそうならば、科学や技術がそんなに発展せずに、せいぜい石器時代、日本ならば縄文時代ぐらいのレベルが、未来永劫続いていたのか。それはそれで、人間は幸せだったようにも思います。


2017年10月4日水曜日

清掃はタダではない


バブル経済華やかなりし頃の1980年代。そのど真ん中に社会人となった私の世代は、幼稚園から小学校の低学年ぐらいまでが高度経済成長。小二の時に大阪万博開催。地元だったこともあって、ほとんど毎週末、父親か親戚の誰かに、千里丘陵の会場に連れて行ってもらいました。

当時想像された21世紀は、バラ色の未来。都心にはモノレールが走り(なぜか未来予想図と言えばモノレールが定番)、自動車は全自動運転。新幹線は日本全国に敷設され、時速250キロで青函トンネルを疾走する。その他にも人工衛星がたくさん上がって、世界中のテレビ放送が見られるようになるとか、腕時計が小型のテレビ電話になるとか。実にいろんな夢が語られたものです。

そして、現在。
鉄腕アトムも、2001年宇宙の旅も、バック・トゥ・ザ・フューチャーすらも過去になりました。考えてみれば、当時の夢はだいたい実現してます。

私の住んでいた大阪府・茨木市内のマンションからは、伊丹空港を起点とする大阪モノレールが当たり前のように走るのが見えました。自動運転はもう実証実験の段階だし、鹿児島や函館まで新幹線は延伸。アメリカCNNもイギリスBBCも、フィリピンのABS-CBNだって、スカパーで視聴できる。小型のテレビ電話にしても、スマホにアプリをダウンロードすれば、映像で国際通話ができる時代。

そんなハードウェアやインフラだけでなく、公共の場所がずいぶん清潔に。以前は、鉄道の駅周辺や公園など、どこでもゴミのポイ捨てが当たり前。公衆便所で大の用を足したりしたら、その夜は悪夢に悩まされかねないほどの汚れ方。そういうトイレもほとんど見なくなりました。

ところが全然バラ色になってませんね、21世紀の日本。
少子化や年金の財源枯渇、いじめに過労、原発問題にアレルギーの蔓延。特に、かつて私が所属していた電化製品の世界は、惨憺たる状況。1990年代末ぐらいまでは、日本が国際市場で圧倒的な強さを誇っていた、テレビやオーディオの分野。今では、最大手のメーカーが軒並み弱体化し、いくつかの有名ブランドは消滅。名門と言われた企業も、海外資本傘下に入ったり、倒産の危機を迎えていたり。

フィリピンの電気店を見て回ると、一番目立つところには、韓国・中国の製品ばかり。日系メーカーもまだ健闘はしていても、かつての独占状態からすれば、見る影もなし。フィリピン向けの製品をデザインしていた者としては、寂しい限りです。

そんな過去の栄光を忘れられず、今日本の書店には、嫌韓・嫌中や、「日本がスゴイ」を売りにした書籍が、大量に出回ってるそうです。工業製品で負けても、世界中どこでもゴミをポイ捨てしてる連中よりは、日本の方がずっと上等だと思い込みたい人が多いらしい。

そして何かにつけて引き合いに出される、2014年サッカー・ワールドカップのブラジル大会。日本の観客が試合後にゴミを片付けたという逸話。韓国人や中国人には真似できないだろうと、得意満面のネット上での書き込み多数。

でも、よく考えてみると日本以外の国で、公共の場所を清潔に保つのは、マナーの善し悪しよりも、清掃員を雇うお金があるかどうかのシンプルな話。ネグロス島のシライ市内でも空港に抜ける道路は、市の予算で定期的に清掃されています。市役所前の広場にしてもきれいなもんですよ。要は生活習慣が違うだけのこと。我が家では、メイドさんに掃除してもらってるしなぁ。

ワールドカップの会場にしたって、観客がゴミを放置したとしても、試合後にはちゃんとプロが掃除したはず。よく言われることですが、清掃員の仕事を奪っているだけ。

もちろん、汚いよりきれいな方がいいに決まっているけれど、ゴミの捨て方だけを捉えて、外国人を見下したり、日本人が優越感に浸るのは、あまりにも視野が狭い。ビジネスで勝てないことを僻んでいると思われても、仕方ないと思いますよ。


2017年10月2日月曜日

発電機のタイミング

1ヶ月半ほど前、不調だった発電機を修理に出した話を投稿しました。マニラ首都圏などでは、昔からするとずいぶん停電が減り、電力の安定供給がそこそこ実現してきたようです。地方のネグロス島シライ市でも、家内と一緒になった20年前に比べると、かなりマシに。

特に去年(2016年)辺りから、目に見えて停電頻度が低くなったと思ってたら、今年は、7月頃から、また停電回数が急増。それが理由で、重い腰を上げての発電機修理となったわけです。

我が家の発電機はディーゼルエンジンで、バッテリー搭載型。週に1度は停電がなくても10分ぐらいは動かして、バッテリーが上がってしまわないようにと、修理した店で教えてもらいました。ところが、修理以降、その必要がないほど毎週停電。



台所の裏に設置した発電機

特に、先週の木曜日は、さて夕食の用意を始めようかという午後6時前に電力が止まり、そこから5時間に渡る夜間停電。ちょうど給油直後で、我が家の発電機は順調に稼働し、久しぶりの長時間停電も乗り切りました。しかしいつも困るのが、発電機のスタートとストップのタイミング。


室内の配電盤上にある切り替えスイッチ

これは、自家発電の経験がないと分かりにくい話。事前予告のある計画停電ならばともかく、突発的なブラウンアウト(局所的停電)の場合、10分程度で電気が戻る可能性も高い。この間など、停電してすぐ発電機を動かしたら、ガス欠で動かなくなり、土砂降りの中で給油。やっと再稼働したとたんに、電力復旧。思わず「意地悪!」と叫んでしまいました。

また、発電機を止める場合、夜間ならば自宅前の街灯チェックで、電気が戻ったかどうかは確認できますが、昼間はそれが分からない。仕方がないので、近所にある家内の実家に電話して(停電でも電話は使える)、だいたい在宅している義父に「電気が戻ったら、教えてね」と頼んでいます。ただし、これも義父が忘れてたり、家にいないこともあるので、いつも有効とは限らない。

まぁ、大多数の、発電機など買えない一般家庭からすれば、贅沢な悩み。あんまり大声で不平を鳴らすのも気が引けます。それでも、不便なことは不便。本当は電力供給停止と同時に、自動で発電機がオンになり、復旧でオフというシステムが欲しいけれど、そんなことしたら、相当な手間とお金がかかりそう。我が家に出入りしている、電気屋さんのサルディに頼んで、確認用のパイロットランプでも付けてもらいましょうかね?



常に充電して停電時に点灯する緊急灯
最近はLEDが売れ筋です。