2018年1月31日水曜日

杉谷善住坊 日本・フィリピン交流史1


今日の投稿は、前回予告した通り、日本・フィリピン交流史というテーマの第1回目です。

杉谷善住坊(すぎたに・ぜんじゅぼう)の名前を知っている人は、そんなに多くないでしょう。もし知っていて、あなたが女性ならば、今流行りの「歴女」と呼ばれるかもしれません。善住坊は、戦国時代のスナイパー(狙撃者)。その来歴は謎に包まれていて、忍者、雑賀衆、伊勢の国・杉谷城の城主など、いろいろな説が。

いずれにしても、火縄銃での織田信長の狙撃・暗殺を試みて失敗し、その科によって、鋸引きで刑殺されたのは確かなようです。でも、なぜその善住坊が「日比交流史」の最初に出てくるのか。

「交流史」と銘打ちながら、いきなりフィクションで申し訳ないのですが、1978年(昭和53年)のNHK大河ドラマ「黄金の日日」に、主人公の助左こと呂宋助左衛門(るそん・すけざえもん)の若き日の相棒という設定で、杉谷善住坊が登場。信長暗殺をしくじって捕まる前に、助左と共にルソン島に潜伏していたというストーリー。

呂宋助左衛門、本名・納屋(なや)助左衛門は、日本史上最初にフィリピンとの大規模な交易を行った人物。現地から持ち帰った数々の珍しい交易品、特に「呂宋壺」が珍重され、豊臣秀吉の保護で豪商としての地位を確立。太閤記にその経緯が記されているそうです。

ところが、呂宋壺は、名器の類でも何でもなく、庶民が便壺として使用していたものだと発覚し、秀吉の怒りを買って日本を追われフィリピンへ。のちにカンボジアで再び富を築きました。

そういった伝承の一部を踏まえたドラマでは、助左は一介の船乗りとして参加した最初の航海で難破。乗り合わせていた善住坊、そしてなぜか石川五右衛門の3人がルソン島東岸にあるアゴー村(Agoo 実在する地名)に漂着。そこから身振り手振りで日比交易が始まります。

善住坊役は、カップ麺「どん兵衛」のCMで少しづつ知名度が上がっていた、川谷拓三さん。凄腕のスナイパーなのに、気が小さくて怖がりで、全然格好よくない、とても人間臭い男を好演。この演技が素晴らしく、テレビ初出演だった、五右衛門役の根津甚八さんと並び、主役の松本幸四郎さん(現・二代目白鷗)や並み居るベテラン大物俳優を食って、ドラマの顔として脚光を浴びました。

劇中の善住坊は、族長の娘マリキッドの侍女、ノーラと恋仲になり、結婚。ところが婚礼の当日に、日本へ向かう交易船がアゴー付近を航行しているのを見つけ、新妻を残して帰国してしまう。結局善住坊は、フィリピン再渡航の夢叶わず、非業の死を遂げます。

放送当時、高校生だった私は、ノーラに思いっきり感情移入してしまい、可哀想で仕方なかった。と言いつつ、その十数年後に、私もフィリピン女性を泣かせるようなことを、やらかしたんですけどね。

ちなみにこの話、ジャパゆきと呼ばれた出稼ぎフィリピン女性が大挙来日して、社会問題になる前のこと。まるでその後の、日本男性とフィリピン女性の、典型的な恋愛パターンを予言しているよう。日本を食い詰めてフィリピンに逃亡。現地妻まで持ったのに、やっぱり日本が恋しくて、妻を残して日本へ。今では善住坊の気持ちが、痛いほど理解できます。

さて現実には、杉谷善住坊がフィリピンに渡った記録はありません。呂宋助左衛門の日比交易も、偶然ではなく、計画的に船を仕立てて、おそらく通訳も用意したんでしょう。それでも「黄金の日日」は、大河ドラマ史上最高傑作と言われ、日比の交易事始めに人々の興味を引きつけたという点でも、高く評価されるべき作品だと思います。

実は日本で購入した「黄金の日日」DVD-BOXを、ネグロスにまで持参しております。そろそろ息子と一緒に鑑賞しようかと思っている、今日この頃なのでした。


それでは、次回の日本・フィリピン交流史では、同じく戦国時代。キリシタン大名の高山右近を取り上げたいと思います。


2018年1月30日火曜日

日本・フィリピン交流史 予告編


出典:photo AC

2016年度に厚生労働省が発表した「婚姻に関する統計」によると、2015年の日本人の国際結婚(夫・妻のいずれかが外国籍)は、全体で20,976件。そのうち相手がフィリピン人のケースが3,237件だったそうです。

これは、中国人6,478件、韓国・朝鮮人3,834件についで第3位。国際結婚数が4万件以上で、ピークだった2006年に比べると半減した中でも、依然としてこれだけの日比カップルが生まれていることを思うと、日本とフィリピンの交流の絆は、たいへん強いと言えるでしょう。

ただ、離婚もかなりの数に上っているようだし、フィリピンでの事業に失敗したり、恋愛絡みで騙されたりのトラブルも頻発。その絆もやや腐れ縁が混ざっているのかも知れません。

内訳はいろいろあっても、欧米に比べるとすぐ近くで、人の交流も密。特に最近は格安航空会社のお陰で、私がフィリピン通いしていた頃に比べると、ずいぶんと渡航が楽になりました。時間的にも心理的にも、そして経済的にも近い国フィリピン。

ところが、いつから日本〜フィリピンで人の往来が始まり、それがどういう変遷をたどったかを知る人は、フィリピン在留邦人でもどれだけいるか。下手をすると、太平洋戦争中に何があったかの知識もあまりないまま、英語留学でネグロスに滞在する若者もいるようです。

そこで、誰に頼まれたわけでもない私が、自分の勉強も兼ねて、このブログで約400年に渡る、日本・フィリピン交流史について書いてみたいと思い立ちました。と言っても、ネット上に流布されている情報と首っ引きだし、教師の経験があるわけでもない。しかも妙なサービス精神だけは旺盛な関西人の私が書き手なので、教科書に載るようなものにはなりません。

奇説・珍説・暴論・極論の類もドシドシ盛り込んでいきます。なので、このブログの受け売りで人前で喋ったりすると、恥をかくことにもなりかねませんから、その点はご注意くださいませ。

ということで、自分にプレッシャーをかける意味も込めて、投稿内容を事前告知します。

第1回 杉谷善住坊
第2回 ユスト高山右近
第3回 ベンゲット移民
第4回 ダバオ産のマニラ麻
第5回 戦火に引き裂かれた絆
第6回 キリノ大統領の決断
第7回 からゆきとジャパゆき
最終回 再逆転

いきなり「なんじゃそら?」のタイトルもありますが、こうして並べてみると、そんなにふざけた感じでもないですね。万人受けするとも思えませんが、これからしばらく、フィリピンにお世話になっている中高年日本人の、「お勉強」にお付合い頂けましたら幸いです。


2018年1月29日月曜日

火山大国 フィリピンと日本


噴火前のマヨン山

このところ、火山噴火について連日報道が続く、フィリピンと日本。両国にとって不幸なことに、どちらも自然災害が多い。台風・地震・津波、そして火山。死者1名を出してしまった今回の草津白根山以外にも、私のフィリピンに移住以降では、58名もの方が亡くなった、2014年に木曽御岳の噴火がありました。また、強く印象に残っているものとして、1991年の雲仙普賢岳の噴火が上げられます。この時は大規模な火砕流によって、報道関係者や海外からの火山学者を含む43名が犠牲に。

そして、フィリピン国内だけでなく、日本でも報道されているマヨン山。今月(2018年1月)15日に、当局が、数日または数週間以内に噴火の可能性あるとして、付近の住民へ避難命令を出しました。

1月26日時点で、すでに警戒レベルは、5段階で上から二つ目のレベル4「危険性の高い噴火が近い」まで引き上げられ、住民約7万5千人が避難。夜間には、溶岩流が遠くからもはっきり確認できて、夕食時のテレビニュースでは、画面が二つに分割され、火口付近の映像が流れっ放し。


よく言われることですが、マヨン山は、成層火山特有のシルエットと、その高さから、富士山と並び称されます。フィリピン人にすれば、富士山より美しいと自慢の種。国内最高峰ではないけれど、その知名度は抜群。つまり日本ならば、富士山が噴火したようなもの。大騒ぎになるのも分かります。

ただ富士山が、大規模な活動は、宝永大噴火(1707年)以来なく、ここ300年は静かな状態であるのに対し、マヨンは文字通りの活火山。1993年の噴火で70名以上の死者を出し、2006年には台風の影響も重なって、火山泥流が発生し、1400名以上の死者・行方不明者。そしてつい最近の2013年には、噴石によって登山客5名が命を落としています。

さて、一口に両国が火山大国と言っても、実際にどれぐらい火山があるのでしょうか。ということで、フィリピンと日本の火山分布を調べてみました。





出典:Cralaw 気象庁

確かに多いですね、フィリピンも日本も。背骨のように、急峻な山岳地帯には漏れなく分布している感じ。火山からの噴出物が堆積して、国土が形成された様子が見て取れます。

私たち家族が住む西ネグロスにも、3つの火山、シライ山・マンダラガン山・カンラオン山があって、天気のいい日に近所のサトウキビ畑に出れば、山並みがきれいに見えます。中でもカンラオン山は、時折山頂から水蒸気が上がることも。あんな近くで大噴火があったらと想像すると、背筋が凍りつきますね。


カンラオン山


2018年1月28日日曜日

まにら新聞からのメッセージ


フィリピンに住んでいたり、頻繁に渡航する日本人なら、一度は紙面を見るか、ネット上でその記事を目にしたことがあると思われる「日刊まにら新聞」。フィリピン国内から発信される、数少ない日本語による情報源です。

その歴史は比較的新しく、東南アジア初の日刊邦字紙「Kyodo News Daily」として、共同通信の記事を主体としてスタートしたのが、1992年。4年後の1996年には「まにら新聞」に名前を改め、独自取材・編集の記事をメインとした紙面作りへと移行。

私が業務出張で初めてマニラを訪れたのが、1995年。その後、仕事とプライベートの両方で頻繁に来比するようなり、ホテルの売店に置かれているまにら新聞を、よく購入したものです。当時はてっきり老舗の邦字紙だと思ってましたが、その時にはまだ、発刊して数年だったんですね。

そして移住してからも、まにら新聞のサイトには、グーグルのニュース一覧や、フィリピン国内の英字新聞と並んで、頻繁にアクセス。このブログの元ネタにも活用。日本のマスコミでは報道されないような、在留邦人関係の行事や事件・事故をきめ細かく網羅しているので、本当に重宝しております。

さて、フォローして毎日読んでいる、フェイスブック(以下FB)内のまにら新聞ホームページ。最近、鬱陶しいことがありました。日本のテレビでも紹介され、ネット上でちょっとした騒ぎになっている、マニラ市内に建立された、いわゆる慰安婦像。この出来事に関しては、私も思うところがありブログにも書きましたので、興味のある方は、そちらをお読みいただくとして、問題は、その記事に付けられた読者からのコメント。

数名の人が、追加の記事が出るたびに、繰り返しコメントを書いている。それはいいとしても、その内容がひどい。記事への意見とか感想に名を借りて、ひたすらヘイトスピーチ。フィリピン・中国・韓国とその国民へ偏見、差別、侮辱、を書き殴っている。知的レベルも最低で、もう子供の喧嘩みたいな調子。

正直に言って、私もフィリピンの日常生活ではイラつくこともあるし、中国や韓国政府の反日むき出しの態度、ソウルの日本大使館の前や無関係な第三国内に慰安婦像を置くという、アクの強いやり方には、少々うんざりしています。過去の日本の行いを正当化する気は毛頭ないけれど、こういう徒らに感情を刺激する方法は、問題解決を難しくするだけだと思いますよ。

だからと言って、感情的になって侮蔑の言葉を吐くのは、もっと程度の低い行為。自らの幼稚さを公言しているようなもの。しかも日本語で同じ日本人に対して発言しても意味がない。どうせ喧嘩を売るなら、ちゃんと理論武装して、タガログ語か北京語、ハングルぐらい習得して、相手の土俵でやれと言いたい。そこまでやったら、いい度胸だと褒めてあげますよ。

とにかく心静かに、まにら新聞の記事を読みたいのに、ドギツイ言葉で汚されたコメント欄を見たくはありません。まぁFB内のことなので、嫌ならブロックすればいいのですが、あまりに腹立たしいので、FBの事務局に通報すると同時に、まにら新聞へも「何とかしてください」とメッセージを書きました。

すると数時間もしないうちに、こっちが恐縮するような丁寧な文面の返信が。やっぱり、まにら新聞の編集者の方も、差別的コメントを苦々しく思っておられたようです。そりゃそうでしょうね。こんなコメントばかりになったら、その意図はなくても、まにら新聞の編集方針として、差別や偏見を黙認しているように見られてしまう。

このやり取りがあった翌日。次のような告知文が掲載されました。


そして、問題があると思われたコメントは、きれいに削除。メッセージの内容といい、対応の迅速さといい、実に素晴らしい。益々まにら新聞のファンになってしまいました。これは、タダで立ち読みするだけじゃなくて、ちゃんとお金払って購読するべきですね。


2018年1月27日土曜日

日本は大雪

ここ数日(2018年1月下旬)、日本は大雪や寒さの話題で持ちきりなようです。関東地方は、平野の都心部でも相当な積雪があり、公共交通機関がストップしたり大幅に遅延。比較的雪の少ない、私の生まれ故郷の兵庫県尼崎を含む、近畿の瀬戸内でも薄っすら積もるほど。寿司屋の大将で、中学の同級生だった友人が、尼崎の様子をビデオに撮ってフェイスブックで見せてくれました。本当に寒そう。

東京近辺の大雪は、前日には予想されていて、ネット上でも帰宅困難者が出そうだと警告が発せられてました。それでもジャパニーズ・ビジネスパーソンズは、出勤するんですね。早退指示をしてくれる会社ならまだしも、やっぱり深夜まで居残って、オフィスに泊まりだとか、電車に閉じ込められたとか。もう少しご自分と家族を大事にしてください。

ここでいつものように、フィリピンとの比較を持ち出すわけです。フィリピンは雪はないので、雨を例に取りますと。まず警報が出るようなレベルならば、出勤・通学時は降っていなくても、自動的にすべての職場や学校はお休み。ここシライでも、台風の時に通学しようとして、子供で満員だったジプニーが崖から転落。たくさんの死者を出したという痛ましい経験から、このルールは極めて厳格に守られています。

しかし、たとえ警報が出なくても、ちょっと強い雨だと、トライシクル(オート輪タク)は、てきめんに捕まらなくなるし、道路が冠水して車も動かないなんてことはザラに起こるフィリピンのネグロス島。「雨だから休みます」が当然の欠勤理由になるお国柄。ちょっと自分を大切にしすぎかも。

ちなみに今日(1月27日)の尼崎の最低気温は-2度。ここシライの最高気温が29度。季節が逆転してしまう南半球ならまだしも、同じ北半球で、飛行機で3〜4時間の距離でも、気温差が約30度。こんなに違うんですね。ここまで別世界で暮らしていると、国民性に違いができるのも、実感として理解できます。

アリさんとキリギリスさんのように、寒く食料は不足する冬に備える必要の有無は、やっぱりメンタリティに決定的な影響を及ぼすもの。ただし、アリの生き方が正しくて、キリギリスが間違っているという意味ではありません。人間を含めてすべての生き物は、天から与えられた条件に適応するのが自然の摂理。だいたいイソップの寓話なんて、こじつけもいいところだし、実際はアリもキリギリスも本能に従っているだけ。

寒かろうが辛かろうが、働ける時に働いておかないと、冬場に自分も家族も飢えてしまう。そんな厳しい自然環境で何世代も過ごすうちに、滅私奉公だとか、若い頃の苦労は買ってでもしろだとか、自虐的なまでにストイックな労働観ができてしまったんでしょうね。

それはともかく、雪の話。以前にも少し書きましたが、フィリピン人の家内が私と一緒になり、半年かかってビザ取得して来日した最初の冬。泊りがけでどこかに遊びに行こうとなって、家内からのリクエストが「雪を見たい」。そりゃそうでしょうね。冬がないどころか、年間最低気温が20度を下回ることさえ稀という、ネグロス島の平地で生まれ育ったんだから。

ということで、出かけたのが、兵庫県の日本海側にある城崎(きのさき)温泉。確か2月だったと思います。JRの特急列車に乗っての往路。福知山を過ぎた辺りから、車窓からの景色は一面の銀世界。当時すでに30をいくつか過ぎていた家内は、こっちが恥ずかしくなるほど大はしゃぎ。城崎温泉駅に降り立った頃には、テンションが最高潮。この感覚って、私たちが南国のビーチリゾートに憧れるようなものなんでしょうか。


日本からの雪の便りに、いろんなことを思ったり、思い出したりしてしまいました。


2018年1月26日金曜日

小学生の誘拐騒動


移住前に、フィリピン在住の方やネットでの情報で、言われていたのが営利誘拐。金持ちだと思われている日本人やその子息は、誘拐のターゲットにされる危険があるから、徒歩での外出や、パターンの決まった行動は避けるべきだと、よくアドバイスを受けました。

50代半ばの私の世代で、フィリピンの誘拐事件と言うと、若王子さんの名前が思い出されます。これはエドゥサ革命直後の1986年11月、当時の三井物産マニラ支店長だった若王子信行さんが、マニラ郊外のゴルフ場からの帰宅途中、武装した新人民軍(NPA)のメンバー5人に拉致されたという事件。結局三井物産から1000万円もの身代金が支払われ、若王子さんは翌1987年3月に無事解放されました。

では現実のネグロス島、シライ市ではどうかと言うと、強盗やホールドアップの類いは時々耳にしますが、誘拐は、少なくともこの5年間で聞いたことがない。家内に聞いても、シライでは知らないそうです。ただ、ネグロスの山岳地帯には、いまだにNPAの残党が潜伏していて、つい最近も隣街タリサイで、金品目的のアメリカ資本企業の事務所への襲撃事件が。

そしてこのシライ市内で、先日、時ならぬ誘拐騒ぎがありました。私の息子が通う、私立の聖テレシタ学院の向かい、公立のシライ南小学校。我が子を迎えにきたお母さんが、子供がいないとパニック。先生や学校関係者が校内を探しても見つからず、警察に通報。大騒ぎに。

しばらくして、この子の友達の親が、誰にも知らせず自分の子供と一緒に、自宅に連れて帰っていたと分かりました。もちろん誘拐ではありません。しかし同じフィリピン人からも、この親の行動は「アホか?」と言われるレベル。いなくなった子供のお母さんは、生きた心地もしなかったでしょう。本当にお気の毒でした。

この件で一番問題なのは、誰にも知らせず勝手に他人の子供を連れて帰った人でしょうけど、学校のセキュリティにも大問題ありと言わざるを得ません。

シライのような小さな地方都市だと、学校や商店・金融機関の警備員、交通整理の警官の人たちとは、数年も住めばほとんど顔見知り。私にしても、家内の勤務先のDepED(フィリピン教育省)には、顔パス状態。息子の小学校では、車のフロントグラスに貼付する通行章や、メイドさんなど、家族以外でも送迎ができるように、IDを発行しています。でも、よく知っている人なら、いちいちそれを確認しない。

つまり、顔見知りならば事実上のノーチェック。今回のようなことが起こってしまう可能性がある。親の一人としては、なかなか恐ろしい現実。日本の学校のように、規則でがんじがらめにして、子供を囚人のように扱うのは行き過ぎかとも思いますが、いくら平和なシライでも、もう少し厳しくした方が良さそうです。

最後にもっと恐ろしいことを書きますと、新車の自家用車を所有するぐらいの家庭なら、拳銃の1丁ぐらい所持していても不思議ではないフィリピン。つまり銃を持って学校の敷地内に入ることだって、やろうと思えばいくらでもできる。実に恐ろしい...。

【追記】
子供の友達まで連れて帰ってしまったお母さんは、その後、校長先生、担任の先生、学校スタッフ、そして警察官にまで、泣くほど怒られたそうです。こういうところが憎めなくてフィリピンらしい。ちなみに担任の先生は私の義妹にしてこの件について教えてくれたジーナでした。


2018年1月25日木曜日

3年目の豪邸建設

ここネグロス島シライ市内にあっては、一番の高級住宅地セント・フランシス・サブディビジョン。中でも私たちが自宅を構えたフェイズ・エグゼクティブは、最低2ロット300平米が購入条件。投資目的の人が多かったのか、10年前には完売したはずなのに、まだまばらにしか家が建っていません。

高級住宅地だ、エグゼクティブだと、自慢したいわけではなく、私がフィリピン人の家内名義でこの宅地を買った時は、まだこの区画しか整備が終わっておらず、他に選択肢がなかった。また、車で10分もかからない新しい空港も出来る前だったし、今ほど景気も良くなかったので、2ロットでも100万円に届かず。なので、一介のサラリーマンがオーナーになれたのです。

さて、そんなフェイズ・エグゼクティブでも、ここ数年ぐらいは、ちょっとした新築ラッシュ。そして我が家のすぐ近くで建設中の家は、正真正銘の富豪が施主らしい。一度だけ、その人が車から降りるところを、チラっと見たことがあります。

アメリカ人男性で、年齢は私と同世代の50歳前後という感じ。ラテン系で褐色の肌と白いものが混じり始めた頭髪と立派な髭。堂々たる体格で身長は190センチはありそう。まるでジェームス・ボンドの映画に出てくる、大金持ちの悪役といった風情。私のような、日本〜フィリピンの経済格差のお陰で成りすました、ナンチャッテ小金持ちとは訳が違う。

住宅の規模もすごくて、4ロット600平米を丸々使いきったレイアウト。フィリピンの個人住宅ではあまり見たことがない一部3階建て。外装もかなり凝っていて、デコラティブなタイルを贅沢に使い、白い窓枠がお洒落。規模は比べものにならないとは言え、自分で一軒建てた経験から、どれだけの費用をかけているか想像できるだけに、感心することしきり。




問題は工期。実はこの状態になるまで、着工から約1年半、足掛け3年もの時間がかかっています。ちょうど去年の今頃に、ほぼコンクリート打ちが終わった状態だったので、普通に工事が進めば、いくら手の遅いフィリピンの大工さんでも、8月ぐらいには完成しても良さそうなもの。



去年の1月に撮影

この豪邸の隣人で、家内の高校からの友人ナンシーによると、建築業者との間にトラブルがあったらしい。道理で途中で何ヶ月も工事が止まっていたわけだ。

建て始めてから、当初の見積もりとは懸け離れた追加費用を請求されたり、大工や職人が、これと言った理由もないのに現場を放棄して、行方不明になったりする話は、時々耳にします。

特にこの家のように、施主が外国人で、たまにしか現場を見に来ないような案件は、リスクが高い。我が家の場合、市役所の建築関連担当者の義弟から紹介してもらった、かなり信頼できる大工さん相手。しかも日本の一級建築士である私の実父と私自身が、毎日付きっ切りでも相当危なかったぐらい。丸投げの放置にすればどうなるかは、実感として分かります。

3年目にして、ようやくその威容を現した豪邸。ここは関係者の苦労を偲び、素直にその完成を祝いたい。この様子だと、インテリアも相当なレベルだろうし、施主の懐具合からして、新居の祝福パーティ(神父さんを呼んで聖水をまき、親類縁者や隣近所の人を招くお祝い)は、さぞや盛大に行われると思います。久しぶりに豚の丸焼き、レッチョン・バボイのご相伴に与れるかも。もうすっかりフィリピン人の感覚になってますね。


2018年1月24日水曜日

被害者を鞭打つ日本の常識


先日このブログで紹介した、日本で働くフィリピンからの技能実習生に関する報道。職場での暴力に耐えかねて労働組合に加入したところ、実習生の受け入れ窓口の監理団体から、組合からの脱退を要求されたというもの。

このニュースは私が調べた限りでは、東京新聞共同通信日刊スポーツの3社が記事として取り上げているところを見ると、群馬県のローカルニュースにとどまらず、社会問題、あるいは外交問題になりかねない気配を感じます。

職場環境や、フィリピン人労働者(名目上は実習生)の勤務の詳細な内容が分からないけれど、暴力を振るったという時点で、少なくとも日本の法律では、刑事事件として警察が捜査に乗り出すべきもの。叱責や指導などの理由も、被害者の国籍も関係ありません。

ところが、フェイスブック内でこのニュースがシェアされた投稿に、被害者を誹謗中傷するような、信じられないコメントがありました。要約すると、フィリピン人は馬鹿だから、勤務態度に問題があったに違いない、殴られるだけの理由があったはず、といったニュアンス。

こんなアホなことを、いい歳した大人の日本人、しかも自称フィリピン在住者が言うとは、怒りを通り越して呆れ返るしかありません。ツッコミどころが多すぎて、どこから指摘しようか迷うほど。ここは感情を抑えて、何が問題なのかを冷静に分析してみましょう。

偏見に無自覚


そもそも、1億人もいるフィリピン人を、一絡げにして決めつけることが、おかしいと思わないのでしょうか。この記事には、フィリピン人労働者の勤務態度に関する記述はまったくないのに、自分がフィリピン人に仕事を頼んだら、ひどい結果だったという経験だけを根拠に、フィリピンの男は、まともな仕事ができる奴はいないと断定。その理屈が通るなら、日本人の男は全員フィリピンに買春目的で来る、と言われても、反論できません。

いじめの論理


フィリピン人=馬鹿と決めつけることで、イジメても、殴ってもかまわない、とする心理がたいへん危険。これは日本の教育現場や日本人同士の職場でも蔓延する、いじめの論理。不倫を暴露された芸能人が、袋叩きにされるのと同じ文脈。大人が平気でイジメに加わるから、子供も当たり前に真似をする。特に中学時代にイジメを受けた体験のある私には、到底他人事とは思えません。

遵法精神なし


最初にも書いたように、どんな理由があっても殴ったら犯罪。しかも、労組加入を阻止するなんて、日本国憲法で定められた労働基本権の重大な侵害。相手がフィリピン人なら、日本の国内であっても、刑法も憲法も無効になると、思っているのでしょうか。フィリピンに住んでいる私が、フィリピン国籍がないことを理由に、暴力を受けても文句も言えない状況を想像すると、恐ろしくなります。

日本の立場が分かっていない


少子化で労働人口が急減している日本。現状の経済や生活レベルを維持するには、海外からの労働者に頼らざるを得ないのは、まともに考えられる頭があれば、理解できること。そして日本の賃金は長いデフレの影響で、諸外国と比べての魅力が薄れている現在、フィリピンからの労働者を虐待することが、どんな結果を招くか想像してみてほしい。

それでなくても、東南アジアの人からすると、難解な日本語や寒い冬というハードルがあるのに、賃金はそれほどでもなく、長時間の重労働。その上虐待のリスクまであるとなったら、誰がそんな国で働きたいと思うでしょう。働かせてやるどころか、こっちからお願いして来てもらうという日本の立場が、全然分かっていない。



ここまで書いて、なんだか悲しくなってきました。今回話題にした記事へのコメントに限らず、ここ数年の日本での出来事は、ネットを通じて見聞きするだけでも、ひどいものが多い。ヘイトスピーチは言うに及ばず、心の病で療養していた皇太子妃が嫌味を言われたり、電車内で出産したお母さんへ誹謗中傷が集まったり。沖縄での学校への米軍機からの落下物や、レイプ被害者を巡るネットでの発言には、しばしば目を覆いたくなります。

一体いつから、被害者を鞭打つのが、日本の常識になってしまったのでしょうか。


2018年1月23日火曜日

私的フィリピン美女図鑑 人妻フィリピーナ


「人妻フィリピーナ」とは少々刺激的なタイトルですが、期待されるような内容ではないですよ。今回のモデルは、私がフェイスブックで知り合った日本の友達の、フィリピン人の奥さま。直接お会いしたことはありません。

このご夫婦、フェイスブックの投稿で拝見するに、たいへん仲睦まじく、いつもお二人でツーショット。そして奥さまが実にきれいな方。ぱっちりの円らな瞳に、童顔で可愛らしい感じ。ヘアスタイルはフィリピーナの定番、ストレートのロング。美人とかセクシーと形容をしても、もちろん間違いではないけれど、チャーミングという言い方がぴったり。

女優さんに例えると、ローマの休日に出演した頃の、オードリー・ヘップバーンさんに通じる雰囲気。と言っても1953年(昭和28年)の映画なので、モデルの奥さまはもちろん、私も生まれてません。若い人には全然ピンとこないでしょうね。ちょっと小悪魔っぽいところは、デビュー当時の加賀まりこさんに似てるかも。もっと分かりにくいか。

この美貌は「フィリピン美女図鑑」で紹介するべきだと、勝手な義務感に駆られて、ドキドキしながら旦那さまにお願いしたところ、どうぞどうぞとばかりにご快諾。ところが、いざ描き始めようとすると、意外と難しい。技術的なことではなく、当然モデルご本人も旦那さまも見ることになるので、印象を外すとダメだし、変に大胆なポーズにもできず。お得意のきわどい衣装や水着は、今回は封印となりました。

そういうことで、今日のイラストは、服も背景も至ってシンプル。モデルさんの素の魅力だけが頼りの直球勝負。さて、その結果は...。お陰さまでお二人に、たいへん喜んでもらえたようで「家宝にする」と、過分なお言葉を頂戴しました。



過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び
日比カップル

2018年1月22日月曜日

OFWの受難


OFWとは、Overseas Filipino Workers 海外で働き本国に仕送りをするフィリピン人のこと。つまり出稼ぎ労働者。国家予算に匹敵する額の外貨を稼ぐOFW。フィリピンで国家の英雄と言えば、ボクシングの世界チャンピオンやミスコンの優勝者よりも、OFWにこそふさわしい称号。クリスマス前には、マニラ国際空港の到着ロビーにて生バンドが音楽を奏でる中、歴代大統領が一時帰国するOFWを出迎えるのが、恒例行事となって久しい。

私も移住前に、年末の家内の里帰りに付き合った際に、アロヨ大統領のお出迎えに遭遇しました。当時は家内も、日本国内での幼児向けの英語教師の仕事で、月30万円程度のサラリーがありました。その貯金でフィリピンの父親に車を買ったりしていたので、出迎えを受ける資格は十分あったと思います。

そんな良い話ばかりではないのが、OFWの現実。一口にOFWと言っても、家内の高校の先輩のように、ドバイで大企業の管理職をしていたり、アメリカなどで医者や弁護士として活躍したりする人もいる傍ら、多くは家政婦や建設現場の肉体労働などの仕事に就いている。

中でも中近東で家政婦として働くフィリピン女性が、パスポートを取り上げられた上、賃金不払いで働かされたり、性的虐待を受けたりという悲しいニュースは、テレビやネットでよく見聞きします。そして遂に今月(2018年1月)、クウェートでのOFWの虐待被害が絶えないとして、フィリピン労働省が、同国への渡航禁止の措置に踏み切りました。

家政婦への虐待は、フィリピン国内でも時々ある話。やはり密室状態での就労なので、どうしてもそういうリスクはあるようです。ただ海外と違って、よほどひどい監禁状態でもない限り、大抵は逃げようと思えば逃げられる。我が家のメイドさんも、以前働いていた家で、家事も育児も丸投げで早朝から深夜までの重労働に加えて、子供がひどく乱暴で、メイドさんが泣き出すまで叩くという状況。その上賃金不払いが続いたので、そこを辞めて我が家へ来たという次第。

そんなひどい出来事は、日本とは無関係な遠い外国のことと思うなかれ。技能実習生の名目で東南アジア各地から来日した人たちの中にも、信じられないような劣悪な環境で、労働を強いられているケースもあるようです。

日経新聞の記事によると、2014年には岐阜県の鋳造会社で働いていた、27歳のフィリピン人、ジョーイ・トクナンさんが、約100時間の残業を3ヶ月続けた挙句、心疾患で死亡。これはフィリピンでも報じられました。過労死 Karo Shi などという言葉をフィリピンのニュースで聞くことになるとは、まったく情けない限り。

そして、東京新聞の本日(1月22日)付けの記事では、職場の暴力に耐えかねた25歳のフィリピン人技能実習生が、労働組合に加入。これだけでも常軌を逸しているのに、実習生受け入れ窓口で、本来実習生を守るべき立場のはずの監理団体「AHM共同組合」が、この労組に実習生の脱退を求めていたことが発覚。傷害事件というだけではなく、日本国憲法で定められた労働基本権すら無視した行為。

そもそも「実習生」などと綺麗事でごまかすような、「貧乏な国の連中を、お情けで働かせてやっている」という、歪んだ優越感丸出しのやり方は即刻見直すべき。実際に人手不足で困っているのに、どうして正式に労働力として招聘しないのか、理解に苦しむ。

考えてみれば、長く続くデフレの影響で、日本の賃金は世界的に見ても、決して高いレベルではなくなっている。働く側にしても、日本語習得という高い障壁を克服するほどの、時間と労力に見合うものかどうか、そろそろ気づくでしょう。

特に技能実習生ならば、単純労働しかできない人材ではないはず。英語が通じる他の国の方が、よほど働きやすい。こんな不当な扱いをしていれば、クウェート同様、いずれフィリピン政府から労働者の渡航禁止を言い渡されてしまいますよ。


2018年1月21日日曜日

サント・ニーニョ 幼きイエス



今日1月21日(1月の第3日曜日)は、サント・ニーニョ(Santo Niño)「幼きイエス」のフィエスタ(お祭り)。これは16世紀、スペイン王の命を受けて、ヨーロッパ人として始めてフィリピンに到達した、ポルトガル人探検家のフェルディナンド・マゼランが、サント・ニーニョの像をセブ王フマボンの妃に贈ったことに因むものです。この時、王を含む400名のセブ人が洗礼を受け、カトリックに改宗。

その後マゼランはセブの隣島でフィリピンの英雄ラプラプとの戦いで戦死。その44年後に、ミゲル・ロペス・デ・レガスピが征服者としてスペイン兵を率い、セブの街を占領。その時にマゼランが贈ったサント・ニーニョ像が民家から発見され、その場所に現在のサント・ニーニョ教会が建てられたそうです。

これがフィリピンでのカトリック信仰の起源とされ、戦火を免れたサント・ニーニョ像は、奇跡を起こす力があると信じられるに至りました。地元セブではこの日、シヌログ祭としてパレードなどがあり、300万人もの人々が集まるフィリピン最大のお祭り。またセブだけではなく、フィリピン各地で催事が行われ、ここシライでも市役所前の広場で花火が打ち上げられたり、屋外ディスコで深夜まで騒いだり。

このような経緯で、サント・ニーニョは、ローマ法王も認めるセブの守護聖人になりました。ついでに言いますと、日本の守護聖人はカトリックをもたらしたフランシスコ・ザビエル(私の洗礼名でもある)で、守護天使はミカエル大天使とされています。

こういう話を聞くと、フィリピンの一般家庭やタクシーの中にまで、サント・ニーニョ像が飾られている理由がよく分かります。こちらでは、居間や庭に祠を設けて聖人の像を飾るのが一般的。我が家では私の好みで、フィリピン全体の守護聖人でもある聖母マリア像を置いてますが、どちらかと言うとサント・ニーニョの方が人気のようです。

現在は、サント・ニーニョ教会の中に安置されている、オリジナルの像。私たち家族が移住した年に、私の移住ビザ取得の手続きでセブの入国管理局に行った時に、ここに立ち寄って、この像を拝みました。




そして3年後の2021年は、フィリピンへのカトリック伝来500年。今朝のミサで神父さまが説教の中で話していました。将来の計画について考えるのが、あまり好きでも得意でもないフィリピンの人々が、3年も前から話題にするぐらいだから、よほどの大騒ぎになるんでしょうね。今から少し怖い気もします。


出典:Cebu Daily News

セブ島北西部のトゥブラン町でのサント・ニーニョ祭で撮影された写真。お祭りのクイーンに選ばれた女性が、我が子のように像を抱きしめる姿と、その後ろで直立不動の姿勢で立つ男性が、私にはフィリピン人のカトリック信仰を象徴するように思えました。


2018年1月20日土曜日

熱帯でも寒冷前線

年末年始は台風さえ来なければ、例年比較的天候が安定する西ネグロス。ところが1月も半ばを過ぎるころから、決まったように雨が降り続くことが多い。これはフィリピンの中央部、ここネグロス島を含むビサヤ諸島やミンダナオ島上空に、寒冷前線が発生するのが理由。

日本の梅雨よりも雨量が多い感じで、日本だったらゲリラ豪雨と呼ばれるような降り方が、一晩続くことも。自宅周辺は部分的に冠水するし、未舗装道路の多い貧しい人たちの住む地区は、泥田状態。

昨年の投稿を振り返ってみると、寒冷前線の影響で、ミンダナオ島のカガヤン・デ・オロの市街地が洪水で大変なことになってました。今年1月16日付のまにら新聞の記事によると、フィリピン全国で大雨による土砂崩れなどで、16名もの死者が出ているとのこと。

それにしても、熱帯地方であっても「寒冷」前線。確かにこの時期、フィリピンの避暑地として有名な、ルソン島中部のバギオでは、最低気温が10度を下回ったとニュースになったりします。日本の方向から寒気が流れ込んで来るらしい。シベリアからの寒気団などと比べると暖かいんでしょうけど、相対的な寒暖差では、雨雲を大量に発生させるには十分な冷たさ。


出典:GMA News Online


出典:OCEAN+α

日本で大寒を迎える頃には、フェイスブックで寒さに震え上がっている友達の投稿を読んで、変な優越感に浸ったりしてますが、日本の寒さは、ネグロス島の天候とも関連があるんですね。

こうも雨が続き、しかも気温が熱帯にしては上がらない日が続くと、家の中にいてもいろいろな不具合が。一番分かりやすいのは、木製のドアが湿気を吸って膨張してしまい、開け閉めに苦労すること。何回大工さんに直してもらっても、毎年こうなってしまいます。

そして、カビ。食品だけでなく、しばらく使わなかったフライパンの表面や、靴やベルト、札入れなどの革製品、本棚や机にまで、埃がかかったようにカビが浮いてくる。

涼しいのは助かるけれど、就寝時は油断すると風邪を引くことも。そもそも分厚い掛け布団など使ってないし、Tシャツ短パンが標準。この時期だけは、長袖長裾のジャージをクローゼットから引っ張り出してきます。

さらに、ちょうど今月、メイドのネルジーが1ヶ月の休暇で不在なので、洗濯は私と家内の共同作業。洗濯物がなかなか乾いてくれないのは、ちょっとしたストレス。散歩やサイクリングもできないし。やっぱり国が違っても、雨の多い季節は、何かと鬱陶しくて面倒なものですね。


2018年1月19日金曜日

フィリピンに生活保護はないけれど


最近、日本語のネットで頻繁に話題になっている生活保護。たいへん幸運なことに、生まれてから日本を離れるまでの50年間、一度もお世話になったことはありません。私が赤ん坊の頃には、両親は相当生活が苦しくて、母親(私の祖母)にお金を借りに行こうにも、たった数十円の電車賃が手元にない、なんてこともあったそうです。

それでも、高度経済成長真っ只中の時代。真面目に頑張れば、景気も個人所得も右肩上がりの昭和40年代。私が物心付いた時には、贅沢ができるような境遇ではないにしろ、借家ながらも一軒家に住み、ごく普通の中流家庭の体裁になっていました。

しかし今。これから経済が急激に上向くような気配もなく、人口は減り老人は増えていく。結婚しようにも貯金すらままならず、妊婦や幼い子供を連れて歩くお母さんが、嫌がらせを受けるような社会。

最近、日本の生活保護について調べて、気分が落ち込んでしまいました。収入が生活保護レベルになっているのに、実際に保護を受けている人(捕捉率)が20パーセントにも満たないんですね。そして何かと言うと目の敵にされる不正受給は、総額のたった0.38パーセント。受給窓口担当者が度を超えた厳しさで、本来助けられるべき貧困者を追い返しているという話。

曰く、窓口で「体を売れ」と言われたとか、生活保護を打ち切られ、電気も水道も止められて餓死したとか。これが本当にあったことかと、耳を疑いたくなります。

日本の社会は、一体どうなってしまったんでしょう。個人もお役所も、異常なまでに不寛容。他者に厳しすぎる。同様に自分にも厳しく当たるから、心を病む人も多い。ここネグロスのシライで会った、若い日本人が一様に口にするのが、日本の労働現場で感じる「理不尽な厳しさ」。1分遅れただけで車掌が謝り、レストランでは些細な失敗に土下座しろと罵られ、新入社員が責任を押し付けられて自殺する。

フィリピンは日本より貧乏だと言われるし、生活保護なんて気の利いた制度はありません。それでも貧困層に対しての見方は、そこまで冷たくはないですよ。隣近所や親戚で、食べるのにも困っている人がいれば、誰かが救いの手を差し伸べるのが当たり前。

20年近く前、私がフィリピンの旅先でひどい下痢になって、どうにもならなくなった時、家内の友達がどれだけ親身になって看病してくれたことか。夕食時に急な訪問をしても、嫌な顔一つせず食事を分けてくれるし、ホテルが取れずに困っていると、当たり前のように泊めてくれる。すべて私の実体験。

犯罪は多いし、それほど親しい間柄でもないのに借金を頼まれたりといった、あまり気分の良くないこともあります。それでも、日本にいた頃のような、絶えず緊張して、綱渡りをするような精神状態に追い込まれることは皆無。

日本に生まれ育って日本しか知らない、特に若い人。今がとても幸せならば、何も言うことはないけれど、毎日が辛くて、閉塞感に押しつぶされそうならば、早く日本を出て外の世界を見ることをお勧めします。

定時退社や年休完全消化は、別に責められることもないし、時間に少々遅れても大丈夫。近所を散歩すれば、顔見知りの誰もが笑顔で挨拶してくれて、道端には子供が溢れんばかり。文句を言えばいくらでも言えるし、理想郷には程遠くても、そういう国でしばらく暮らせば、ずいぶんと気楽な生き方もできるんだと、気付かされますよ。


2018年1月18日木曜日

不便を放置する国

人口約12万7千人で面積が214.8平方キロもある、西ネグロス州の中核都市シライ市。私が生れ育った尼崎市が50平方キロ足らずで、4倍以上のサイズ。それでも市内には、交通信号がたったの4箇所。その虎の子の信号が昨年から全部壊れて、黄色の点滅だけだったり、完全に消えっぱなしだったり。

信号がなくても渋滞が起こるわけでもなく、どっちかと言うと車の流れがスムーズになるぐらいなので、市民からの苦情もあまり聞こえてきません。これだけなら、ご愛嬌で済むのですが、フィリピンでは、明らかに人々の迷惑になっているような事柄でも放置されているケースが多い。

例えば、隣街の州都バコロド市の道路の冠水。大型ショッピングモールのロビンソンズの前の大通り付近が、ちょっと強い雨が降ると膝下ぐらいまで水浸し。運悪く車で出かけた時に遭遇してしまうと、その日はシライに戻れず、バコロド市内の親戚の家に泊めてもうらうことになったり。もう何年(何十年?)も前から同じ状況。こんなの土管でも埋めて水捌けを良くすれば、すぐにでも解決するのに。(と思ったていたら、工事が始まったらしい)


マニラでは、悪名高いニノイ・アキノ国際空港(NAIA)。新しいターミナルビルが2つも出来て合計4つもビルがあっても、どういうわけかターミナル間は、一度空港外にでないと移動不可。別にモノレールを作れとは言わないけれど、なぜこんな不便を放っておくんでしょう。マニラ暮らしの長い日本人なら、もっともらしい理由を訳知り顔で教えてくれるんでしょうね。できない理由なんか聞いても、何の役にも立ちませんが。

同じく空港絡みでは、昨年(2017年)初め頃、空港職員が大量に退職した問題も1年経っても解決は遅々として進まず。お陰で出入国審査は、タイミングが悪いと何時間も待たされるハメに。最近ようやく新規雇用が始まったとの報道がありました。職を探している人はいくらでもいるのに、なぜ解決に1年もかかるのか理解に苦しむ。

他にもマニラの鉄道メトロレール(MRT)とライトレール(LRT)の乗り換え。共通の駅がなく、乗り換えには炎天下でも大雨でも外へ出て歩かなくてはならない。何年も前から問題が指摘され続け、やっと半年ほど前に、共通駅の建設に向け関係者の合意ができたところ。

過去10年ほどの好景気で、ショッピングモールやコンドミニアムは建設ラッシュでも、肝心な場所にメスが入らない。東南アジアの病人と呼ばれた頃の経済状況に比べると、税収も上がっているはずだし、お金がないという言い訳はもう成り立たないでしょう。既成権力とのしがらみがない、ドゥテルテ氏の大統領就任以降、一部で改善への動きが始まったように感じるのが、唯一の救い。

この状況に慣れてしまうと、ヨドバシカメラと大阪駅ビルをつなぐ連絡橋ができた、なんて話に感動してしまいます。日本にはない良さがいっぱいのフィリピンですが、こういうところだけは、日本を見習ってほしい。


2018年1月17日水曜日

ネットのお陰のオムライス

フィリピンに限らず、海外に住んで一番切実な問題は、毎日の食事と言い切ってもいいでしょう。若い人でも1週間も外国で過ごせば、大抵の場合、味噌汁や、そば・うどんにカレーなど、日本の味が恋しくなるはず。中高年にもなれば、味覚の順応性が摩耗していて、もう飢餓感のレベルになる。中華料理にしても、本場の中国でも、日本の餃子やラーメンとは別物。それはそれで美味しくても、やっぱりかなり違う。

数週間ぐらいならば、なんとか乗り切れるでしょうが、年単位の生活や、私のように本格的な移住となると、何かしらの対策を考えないといけません。日本人が多い地域、フィリピンならば、マニラ・セブは、日本人オーナーや料理人のいるレストランも、相当な数があります。フィリピン在留邦人の情報交換サイトを覗くと、新しい日本食レストランの情報は、実に早い。

でも、やっぱり高くつくんですよね。安くて便利な場所に日本食レストランがオープンして、大喜びで家族と出かけたら、日本食とは名ばかりの、似ても似つかぬ無国籍料理のような物だったり。日本食に関する悲喜劇は、本当によく耳にします。いよいよ自分で包丁を振るうしかないか。さぁ困った。

ところが今は、ネグロス島の地方都市シライ市内でも、普通にインターネットにアクセスできる。当然のように、クックパッドを始めとする、お料理サイトは日本国内同様に閲覧可能。

実は日本から、和洋中をだいたい網羅したレシピ本を一冊持って来ておりまして、当初はこの本と首っ引きで色々調理してました。でも魚料理となると、材料の欄には「切り身○○グラム」みたいな記述しかない。こっちでは魚というと、公設市場か行商の魚屋さんから、何も加工していない丸々一尾の魚を買うのが普通。

魚をどうやって捌けばいい? となって探したのがYouTube。あるんですよ、三枚の下し方の解説ムービーが。それだけではなく、餃子の包み方やたこ焼きの作り方。何だってあります。それをスマホで見られるのは、実にありがたい。YouTube先生の指導よろしく、今では、卵焼きやオムライスも、かなり美しく作れるようになりました。


家内がメイン・ユーザーのつもりで設計した、我が家のキッチン。カウンターでダイニングと仕切られた調理スペースだけでも8畳ぐらいの広さ。流しは2箇所あって、鶏の丸焼きもできるグリルを設置し、メイドさんと二人で料理しても全然窮屈ではない。

自宅が完成してから4年が経ち、結局このキッチンの主は、私ということに。一昨年からは、家内がフルタイムの仕事を始めて、私がこの家の主夫。まさかこんな状況になるとは、日本にいた頃は想像もできなかった。それが思ったよりも楽しく、毎日クッキングに勤しんでおります。広いキッチンがあって、洗い物は全部引き受けてくれるメイドさんがいれば、当然かも知れません。

それもこれも、インターネットのお陰。紙の本だけでは、ここまで一生懸命にはなっていなかっただろうし、最近では、フィリピンに住んでいる日本人の「本物の主婦」から、料理や食材の情報を頂いたり。まったくいい時代になったものですね。

2018年1月16日火曜日

私的フィリピン美女図鑑 赤い誘惑


2018年最初のフィリピン美女図鑑です。前回からもう1ヶ月近くも間が空いてしまいました。本当は、セクシーサンタを描くつもりで構想を練り、画像資料を集めてたんですよ。

ところが、年末年始は思ったより多忙で、忘年会や新年会の料理作りに追われ、年明けからは、メイドのネルジーが1ヶ月の休暇。家事があると、どうしても時間が飛び飛びになり、集中が途切れてしまいます。そんなこんなで、いつの間にやら三が日も成人の日も終わってしまい、今さらサンタでもなくなってしまいました。

だからと言って、途中まで描いたものを消してしまうと、絵の中の女の子が可愛そう。表情は仕上がっていたので、私にとっては娘みたいなもの。すっかり情が移っております。そこで、当初クリスマス向けと思って用意した赤い衣装のイメージはそのままに、画面全部を赤でまとめて、春節(チャイニーズ・ニューイヤー)風にしてみました。顔立ちも、ちょっと中国系っぽく。

なので、タイトルが「赤い誘惑」。こんな題名のドラマが昔ありましたね。ほら、山口百恵さんが主演の「赤いシリーズ」。てっきり「赤い誘惑」もあったと思ってしらべたら、「迷路」「疑惑」「衝撃」などはあっても「誘惑」はありませんでした。それにしても40年前の番組だったとは。

さてイラストです。
これってボディスーツっていうんですかね? それもできるだけ刺繍やら何やらで凝ったもの。そしてロングの髪がぱらっと拡がって、艶かしく。細切れの時間を縫って、チマチマと細部を描いていると、我ながら自分を虐めているみたい。


何とか「誘惑」の名前通り、誘っている感じは出てるようです。でも何十時間もかかったボディスーツは、あんまり効果的でもなかったような。いろいろと気になる箇所はありますが、とにかく仕上げました。「Happy New Year」の文字を入れると、月めくり美女カレンダーの表紙の一枚みたい。

それでは、私的フィリピン美女図鑑、遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び
日比カップル

2018年1月15日月曜日

現代版 読み書きそろばん


フィリピンに移住して、もうすぐ6年目に突入する私たち家族。引っ越した時は小学校1年生だった息子は、今年、6年生になります。こちらでの学校生活にもすっかり慣れたようで、英語だけでなく、地元の方言のイロンゴ語も、そこそこは理解している様子。

息子は日本とフィリピンで1年生を、1回づつやったので、親としての日本の学校経験は、1年間だけ。それ以後は、日本で子育て中のフェイスブック友達の投稿や、ネットの日本語記事を通じての断片的な知識のみ。

それでも時々、日本の教え方に首を傾げたくなることがあります。例えば英語。以前にも少し書いたように、いまだにネイティブの英語教師による本格的な授業はなく、和訳中心。実際の会話を考えると、時間の無駄のような内容。さらに驚くことに、高校では日本史が必須科目ではなくなったそうです。

英語が公用語であるフィリピンの英語教育と比べるのは、公平ではないとしても、中学から習い始めて、高校や大学まで6年から10年かかって、普通に英語でコミュニケーションできる人材が育たない30年前のやり方を、いまだに墨守している。

そして、旅行・仕事を含めて、海外に出る機会が増えた時代にもかかわらず、自国の歴史、とくに明治以降の近代史をきちんと学んでいないのは、ちょっと空恐ろしくなる。道理で、私がこのブログで「太平洋戦争中に日本兵がフィリピンで行った残虐行為は...。」と書くと、「その具体的な証拠を示せ」と、アホなコメントされたりするわけです。

こういう人たちは、ネットに溢れている英文の記事から情報を得ることもせず、日本語のみで書かれた、歪曲・捏造だらけの文章を、そのまま信じ込んだりするんでしょうね。判断材料になる歴史を、体系立てて学んでいないから、フェイクニュース(デマ)がいつの間にか常識だと思われたり。

手前味噌ながら、私がフィリピンの社会や歴史について書く時は、日本語だけでなく、英語やフィリピノ語の記事を必ず確認しています。そうしないと、素人さんのブログはともかく、大手新聞社のサイトでも、すごい勘違い(あるいは意図的な偏向)をしていることがあるから。

それよりも気になるのが、日本語の読解と作文が、どうやらまともに教えられていないこと。若者の読書離れ、活字離れなんて、一部の年寄りが騒いでいますが、実際はネット全盛で、誰もが携帯端末を持つ今こそ、読解と作文が重要なスキル。

でも、その実態は寒気がするほど。プロが書いた新聞記事ですら、時々何を言いたいのか分からないものがあるし、誤字脱字も散見。SNSでのやり取りなんて、本当に酷いものがある。たとえ友達同士の軽いコミュニケーションでも、分かりやすく、誤解されないように書くという、基本中の基本ができていない人がなんと多いことか。よくあるのが、句読点も入れず改行もなしで、延々と長文を書くケース。

はっきり申し上げて、読書感想文なんてどうでもいいから、自分が見聞きした事実を、できるだけ感情を交えずに、分かりやすく、簡潔に文章化する訓練を、小学生の頃からやるべきです。箇条書きでもいいぐらい。母国語で基本が出来ていないのに外国語を詰め込んでも、混乱を招くだけで、コミュニケーション能力は全然身につきません。

そして算数。私の子供の頃から不思議に思っているのが、つるかめ算。なぜ最初から連立方程式を教えないんでしょう。わざわざ分かりにくいやり方を最初に持ってきて、算数嫌いや落ちこぼれを増やしたいのでしょうか。

クイズではないんだから、算数・数学こそ実社会で役に立つことを教えるべき。数Iなんて、近代日本史を必須にする代わりに、選択科目にしてもいいぐらい。つまり、学校卒業後に一番必要になる数字、お金のことを学ぶのがとても重要だと、私は言いたい。

企業勤めが当然で、金勘定は金融の専門家や経理社員に任せておけばいい時代ではありません。ネットがこれだけ普及して、誰でもやる気さえあれば、学生でも起業ができる。そんな時、何がネックになるかと言うと、お金の知識がないこと。

どんな専門職に就いても、どこの国で働いても、金勘定なしでは何もできない。そして日本では、いまだに子供にお金について教えるのは、一種のタブーのような雰囲気。生活の基礎であるお金について、ちゃんと教えないから、会社に入る以外に生きる道はないような錯覚を起こす人が出てくる。三角関数を教えている暇があるなら、簿記や税金の知識をちゃんと身につけさせた方が、よっぽど生きた教育。

要は、読み書きそろばん。現代版なので、手書きをしたり紙に印刷された文字ではなく、パソコンやパッド、スマホ。そして電卓や計算ソフト。漢字の書き取りすら不要なんじゃないかと思うぐらい。書けなくても読めれば、何の不自由もないのに、書き順を重要視するなんて、本末転倒もいいところ。


今日は、フィリピンと日本の小学生の違いについて、ほのぼの路線の投稿にするつもりが、いつの間にか熱が入って、日本の教育改革提言みたいな調子になってしまいました。我ながら、かなりの暴論ですね。


2018年1月14日日曜日

虐待の犠牲となったフィリピン女性のために


昨年(2017年)12月8日、日本がハワイ真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まってから、ちょうど76年目のその日、マニラ市内で、ある像の除幕式が行われました。フィリピンの民族衣装を身にまとい、目隠しをされた女性。両手は胸の前で固く握られ、何かを訴えるような口元。

これが「フィリピン初の慰安婦像」として、日本でも報じられたものです。しかし、少なくとも像の台座に記された、フィリピノ(タガログ)語碑文を読む限り、「慰安婦」や「性奴隷」などの文言はありません。


Ang bantayog na ito ay alaala sa mga pilipinang naging biktima ng pang-aabuso sa pilipinas noong panahon ng pananakop ng Hapon (1942-1945). Mahabang panahon ang lumipas bago sila tumestigo at nagbigay pahayag hinggil sa kanilang naranasan.

この記念碑は、1942〜1945の日本の占領下で、虐待の犠牲となったフィリピン女性の記憶のためのものである。彼女らが、その体験を証言し話すまでには、長い時間を要した。


日本のマスコミは、最初から「慰安婦像」と決めつける記事ばかりで、その場所も、わざわざ在マニラ日本大使館がすぐ近くという表現までして、韓国のソウルに設置された慰安婦像と同列のものだという印象を、読者に与えようという意図が見え隠れ。

案の定ネットでは、多額の援助を受けながら、日本を貶めるような像を作るとは許せん、とばかりに、瞬間湯沸し器のように熱くなった罵声が満ち溢れる結果に。確かに、中国系の団体の寄付によって建てられてものなので、裏の意味があるのは当然。でもなぜ、このタイミングだったのかを、少しは考えてほしい。

日本からの円借款による、マニラの地下鉄建設決定が象徴するように、今のフィリピンと日本は、政治的に極めて良好な関係。それと競うように、日比の間に割り込んででも、自国の影響力を拡大したい中国。

ここで日本とフィリピンが対立すれば、誰が得をするでしょう。つまり、この像を政治問題にして、フィリピン叩きを始めれば、まんまと狙いにハマるようなもの。日本の官房長官や来比中の総務大臣の発言は、あまり賢明だとは思えない。

それだけならば、戦争犠牲者のためとしか見えない記念碑に、日本政府が圧力をかけて撤去させたとなると、フィリピン国内の人権団体や、諸外国からどう見えるか。過去の犯罪行為を揉み消すために、援助国の立場を悪用したと批判されるのがオチ。その意味で、ドゥテルテ大統領が、マニラ市の管轄であって、フィリピン政府としての底意はないとしたのは、正しい対応。

これは感情的になったほうが負け。直接的に像の建立に動いた中国系フィリピン人たちにしても、日本憎しというような子供っぽい動機ではなく、中国からの資金が流れ込めば、何かと利益が見込めるからでしょう。だいたい、あそこまで立派なものを秘密裡に作るとすれば、相当な金と手間がかかったはず。

そして私の知る限り、現地でのテレビ報道や、身近にいるフィリピン人の間で、この件にそれほどの注目が集まっているとは思えない。太平洋戦争時の日本兵による残虐行為は、戦後生まれでも、まともに教育を受けた人なら誰でも知ってるし、慰安婦の存在も周知の事実。今さら像が建ったからと、日本人の評判が落ちたり、態度が変わるものでもありません。家内など、私が教えるまでニュースそのものを知らなかったぐらい。

もういいかげん、ネットでの片言隻語だけで脊髄反射的に感情を爆発させて、罵詈雑言を吐くのは止めた方がいい。特にフィリピンに住んでいる日本人は、こんなデリケートな問題に対して発言するのなら、もっと冷静に考えてからにするべきだと思いますけどね。


2018年1月13日土曜日

彼女の名はアオイ


日本でキラキラネームが話題になり始めてから久しい。多少当て字っぽい名前でも、字面が良くて、普通に読めるものならば、私はそれほど気にしないのですが、月と書いてルナだったり、海でマリンとかになると、さすがにやり過ぎじゃないかという気がします。

フィリピンの場合、表音文字のアルファベットしかないし、カトリックを始めとするクリスチャンが人口の9割を占めるため、ほとんどは、英語やスペイン語かキリスト教の聖人に由来するものばかり。私の親戚や友達にしても、ヨランダ(義母)、ロイ(義弟)、ジーナ(義妹)、クリスジャン(甥)、ジャスミン(姪)、(以下友人)クリスティン、マジョリー、シャロン、シェリル、などなど。欧米での名前とほとんど同じ。

中にはパワーレンジャー(アメリカ版ゴレンジャー)のピンクレンジャーがキムベリーなので、そこからキムと名付けられた女の子も知っていますが、名前そのものは特別に珍奇なものでもない。キラキラネーム的な名付け方は、あまり聞いたことがありません。

どちらかというと、目立ったり、他人と違うことを嫌う国民性の日本人が、子供の名前だけは、奇妙奇天烈な命名に走る人がいて、目立つの大好き、嬉しがりの集団みたいなフィリピン人が、名前に関してはオーソドックスなのは面白い。

そのせいか、フィリピンでは同じ名前の人は、日本に比べるとかなり多い印象があります。私の家内の「ジョイ」なんて、ぱっと思い浮かべるだけでも、友達や知り合いに3人もいる。私のフィリピンでの通り名であり洗礼名のフランシスにしても同様。つい最近、同じフランシスで、誕生日まで同じという人に会いました。

ところが、ここ数年の間に、ネグロス島のシライ市内で会った日本人女性のうち、3人が同名の「アオイ」さん。日本国内ならまだしも、観光名所でもないシライ市で、しかも私と知り合う確率を考えると、これはかなりの偶然。

ネットで調べると、2008年に宮崎あおいさんがNHKの大河ドラマ「篤姫」で主役を演じてから、赤ちゃんに「あおい」と名付ける人が急増して、今でも人気のある名前なんだとか。それにしても、私が会ったあおいさんたちは、みんな20代。生まれたのは、あおいブームが起こる前なんですけどね。

最初のあおいさんは、シライ市内で活動する日本のNGOのマネージャーとして赴任。二人目は隣街のバコロドでの英語留学が縁で、頻繁にネグロスと日本を行き来。そして3人目は、自宅から徒歩10分の場所で、ただいま英語の勉強中。

考えてみると、全部母音のAoi。発音しやすいし、響きがやさしい。しかも、ひらがな表記でもいいし、いろんな漢字を当てることもできる。その上、男女どちらでも可。ずいぶんオールマイティな名前と言えるかも。キラキラネームでもないし。

もしこれから娘ができる可能性があるなら、名前の有力候補。家内の年齢を考えるとそれも無理なので、孫娘が生まれた時に取っておきましょうか。ちなみに家内が息子を身ごもって、まだ性別が分からない時に考えた女の子の名前は、サクラ・ソフィアでした。


2018年1月12日金曜日

フィリピン狐のお嫁入り


12月から1月にかけてのこの時期、ここネグロス島の西側では、天候がとても不安定になります。昔からそうなのか、それともここ最近の傾向なのかは分かりませんが、台風や熱帯低気圧の接近が多いし、そうでなくても、晴天が2日続くことは稀。たとえ昼間は日差しがあって暑くても、夕方や夜間は、天の底が抜けたのかというほどの豪雨。日本のゲリラ豪雨と言われる降り方が、週に何回もある感じ。

日本ではこんな雨をスコールと呼ぶ人が多いけれど、実はこれは誤り。3年前にも同じことを書いているので、その記述を転用しますと、

スコール(Squall)という言葉が意味するところは、突発的な風の強まり。もちろん豪雨を伴う場合もあるでしょうけど、大雨とか夕立ちという意味ではありません。

とエラそうに書いてるけど、私も仕事で東南アジアによく来るようになるまでは、完全に間違って使ってました。現地スタッフと英語で喋っていて、いくらスコールと言っても全然通じない。突然の大雨は、シャワー(Shower)なんですね。

さて、このような天候でよく見られるのが、天気雨。俗に言う「狐の嫁入り」。それも薄日が差している中の小雨などという、優しげなものではなく、かんかん照りなのに土砂降り。もちろんいくらネグロスでも、そんなに極端なのは比較的珍しい部類。それでも日本に比べれば、頻度はかなり高いでしょう。私が移住してからの5年でも、少なくとも10回以上は見ていると思います。

ちなみにネットで調べてみたら、英語だとSun Shower となるこの現象のことを、フィリピンでは「馬の結婚」Ikina kasal ang kabayo (タガログ語)と言うそうです。フィリピン人の家内に訊いてみたら、そんなの聞いた事ないとのこと。おそらく地方限定な言い回しなのかも。

また韓国では「狐雨」여우비とか「虎の婿入り」호랑이 장가간다、マレーシアではまったく日本と同じ「狐の嫁入り」Kurukkande kaiyabam 。へぇ〜。これって元になった伝承があって、そこからバリエーションが世界に広まったんでしょうか?

そして天気雨に付き物なのが虹。自宅付近は空き地が多くて空が開けているし、歩いて10分ぐらいの距離には、サトウキビ畑の真ん中で周囲が360度見渡せる場所もあります。去年、天気雨の直後に夕焼けを撮影しに行って、壮大な日没時の虹に遭遇。

ただでさえこんなに大きな虹には、お目にかかったことがないのに、それが西陽を浴びている姿は感動的な美しさ。ネグロスに住んで良かったと、心から思った瞬間でした。



2018年1月11日木曜日

健康のためにフィリピン移住


50代も半ばを過ぎると、いくら健康だとは言っても、小さな字は読めなくなるし、集中力も記憶力も確実に衰えているのを感じます。また、激しい運動をしたりすると、翌日は疲れが残るし、少し食べ過ぎたら、日本から持って来た太田胃散のお世話になったり。生き死にかかわる重病や大怪我の経験はなく、これと言った持病もないけれど、何かにつけ、若い頃のようにはいかない年齢。

一般的にフィリピンの医療に対しては、不信や不安を感じている在留邦人の方は、少なくないと思います。年末にも少し書いたように、5年前、食中毒で入院した時には、料金の割には劣悪な設備に閉口しました。

定期的な通院治療・投薬などが必要な現状だけれど、信頼できる主治医の確保が難しくて、フィリピンでの生活を諦めざるを得ないという話も、時々耳にします。また、いざという時に、病状を英語などで説明する自信がない人も。

しかし私の場合はその逆。5年前に日本を離れたのは、少なからず健康面の理由がありました。40歳になる頃から、仕事でのストレスのために患った鬱病が原因。幸い、すぐに退職が必要なほど重くはありませんでしたが、10年間で3回の休職。睡眠導入剤として処方された、デパスやサイレースなどの錠剤がないと、眠れない日々。特に冬場は堪えました。

そこで考えたのが、家内の国、常夏のフィリピンへの移住。そういう経緯だったので、私の場合は、海外移住と早期退職の引退生活がワンセット。とは言っても、最低限の生活で年金受給年齢まで食いつなぐだけの人生では惨めすぎる。それなりの住居と生活レベル維持のために、必要な資金を貯めようと、50歳を目標と定めて、何とか働き続けました。

この時私が学んだのは、漠然と頑張るのではなく、具体的な目標と時期を明確すれば、今まで苦行にしか思えなかったことでも、意外と何とかなるということ。

そうこうするうちに、50歳到達まで残り数ヶ月という頃、まるでタイミングを合わせたかのように、勤め先で希望退職者の募集が始まりました。発表当日に速攻で応募。上司が驚くほどのクイックレスポンス。まさに「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書 マタイによる福音書)

会社を辞めた日は、本当に気分晴れ晴れ。著作「バカの壁」で有名になった、元東京大学教授の養老孟司さんが、大学勤務を辞めたら世界が明るく見えたと書いておられましたが、まさしくその通り。それまでの10年が嘘のように、何をしても、何を考えても、楽しくて仕方がない。

この勢いでネグロスに移り住んだせいか、半年もしないうちに、あれほど頑固だった不眠もなくなり、睡眠導入剤も使い切ることなくサヨナラ。生活が規則的になって、やや太り気味だった体形が、30代前半の頃まで戻りました。

こうなると、医療設備に不安があるから、フィリピンで暮らせないのは、ちょっと違うんじゃないかという気がしてくる。食中毒や熱帯特有の感染症、不慮の事故は仕方ないにしても、成人病や生活習慣病は、ストレスフリーな環境こそ最大の予防。その上、もともと酒もタバコも嗜まないし、テニスやサイクリングは移住後も継続。少なくとも心臓病や糖尿病とは縁がなさそう。もちろん、何が起こるか分からないので、医療保険は、フィルヘルスとアクサの二重で契約。

ということで、取り立てて持病はないけれど、健康のことが心配で、フィリピン移住を躊躇している中高年の方がいたら、移住後に心も体も健康的な生活ができるかどうかで、判断してはいかがと、アドバイスしたい。

フィリピンの食べ物や人間関係でストレスを溜め込んだりするようならば、日本に住み続けることをお勧めします。また、仕事なり趣味で、時間を忘れて打ち込めることがない場合も、難しいでしょう。生きがいがないと思うほど、健康を蝕むものはありません。

それでも、ガンを始めとして、予期せぬ病魔に襲われる可能性もあります。しかし、それは日本にいても同じこと。突然倒れて、救急医療が間に合わなければ、それが運命だったと思うことにしています。

いずれにしても、先の心配をしすぎて、今現在の生きる楽しみを削るような生き方は、もうしたくありません。残りが何年あるのか、神ならぬ身の知るところではないけれど、今の所、自分の健康に関しては、人事を尽くして天命を待つ心境です。


2018年1月10日水曜日

ヤギ身事故

またもや去年の話で恐縮なのですが、実は事故ってしまいました。クリスマス休暇中に、愛車のトヨタ・アバンザで子供を迎えに行っての帰り。しかも自宅のすぐ前で。

高級住宅地と呼んでも差し支えない、セントフランシス・サブディビジョン。投資目的の土地オーナーが多くて、我が家の周囲はまばらにしか住宅がなく、昼間でも車も人通りも少ない。その割には道路はちゃんと整備されていて、穴ぼこなどないし、空き地からはみ出た雑草も、定期的に刈ってあります。

やや曇ってはいたものの、まだ黄昏にはだいぶ間があって、運転にはまったく支障はなかった時間帯。唯一困ったことに、この辺りは、放し飼いされている家畜が多い。犬猫は言うに及ばず、鶏に水牛、最近は向いのばぁちゃんがヤギ数頭の飼育を始めました。そのうちの1頭をはねてしまったという次第。






飼い始めの頃、ヤギたちは、ちゃんとロープに繋がれていて、空き地内で平和に草を食む毎日。ときどき、んむぇ〜んむぇ〜と、ずいぶんやかましくても、概ね共存できていました。ところが数週間ほど前から、ばぁちゃんが面倒になったのか、それとも逃亡の心配がなくなったからか、ロープはどこにも繋がれない完全放牧状態。

雨の日など、なぜか我が家の門扉の前で雨宿り。やかましいだけでなく、たんまり糞の置き土産をしてくれるので、その都度、箒や竹棒で追い払っていました。これが何度追い払っても、しばらくするとまた戻って来て、糞をぽろぽろ。だんだんヤギ憎しの感情が。

この日は、すっかりずうずうしくなったヤギが、道のど真ん中でお昼寝。日頃の苛立ちがあったので、ちょっと脅かしてやろうと、減速もそこそこに、ぶつかりそうなところまで車を進めました。ところが本当にヤギが驚いたのか、まるで予想と反対側に走り出して、首から引きずったロープを車輪に巻き込んでしまった。

糸巻きを手繰るように、車体に引き寄せられたヤギの頭が、運転席側のドアに「ど〜ん」と鈍い音を立てて衝突。自転車並のスピードだったので、ヤギは無傷。全力でばぁちゃんの家の敷地に「当て逃げ」。

それでも思ったよりヤギの頭は固かった。ドアには凹み。相手はヤギだし、飼い主だからと言って、いつもオカズのお裾分けを頂いて、世話になっているばぁちゃんから、修理費を取り立てるような非人道的な真似はできません。こっちにも非がないわけでもない。私の気持ちは、ドアよりもっと凹みました。



これよりずっとひどい状態で、恥じる様子もなく走っている車はいくらでもいるし、年末年始の何かと物要りの多い時期。しかも車で10分ほどの場所に、トヨタの新しいディーラーがオープン間近。運転に支障はないので、あと数ヶ月で迎える2万キロの点検も含めて、新ディーラー開店を待つことにしました。

それにしても、野良犬や野良猫が多いフィリピン。轢かれてぺちゃんこになった死骸を時々見ますが、あれって轢いた方もダメージがあるんでしょうね。痛い勉強代になった「ヤギ身」事故でした。


牛身事故じゃなくて良かった


2018年1月9日火曜日

フィリピンで考える食の安全


食の安全という観点からすると、フィリピン暮らしは少々分が悪いようです。日本を始め多くの国では、市販されている食品に、原産地や材料、成分などの表示があるのが常識。ところがこの国では、原産地表示がなかったりするものも多い。

そもそも表記があったところで、その真偽を確かめる方法もない。移住して5年以上も経つと、それほど頻繁に新しい食材にも手を出さないし、あまり気にしなくなりました。食の安全に、すごくこだわる人からすると、信じられないと言われそう。

我が家では、米や野菜、卵や魚は、地元の公設市場で買っています。これだと何となく安全なイメージ。しかし、米には小石が混ざっているし、茄子やキャベツなど虫食いがかなり多い。ジャガイモ、にんじんは土で汚れたまま。買ってすぐ洗わないと、たちまち傷んでしまう。家内など、卵まで洗剤とスポンジでごしごし。本当に養鶏場から直接運びましたと言わんばかりに、血やら糞やらですごいことになっている。

これらにしたところで、本当の有機栽培ではないだろうし、ネグロス島の土壌や河川の水は、長年のサトウキビ栽培で使われた化学肥料のために、相当なダメージを受けているらしい。まぁ虫がいるということは、農薬だけは使ってなさそうです。

つまり、あからさまにヤバそうな食材には手出ししないけれど、そんなに神経質になっても仕方がない、というのが、私の食の安全に対する基本姿勢、のようなもの。

ところが、自分もフィリピンに住んでいながら、中国製の加工食品を買ったというだけで、わざわざ指摘する人がいるんですよ。フィリピンで中国製とは完全に無縁な食生活を送るのは、まず不可能なのに。

中には、原産地表示の有無と関係なく、商品名の表示が間違った日本語だから、中国製だ、農薬まみれの偽物だと決めつけて、購入者を小馬鹿にする人もいたり。でも最近のフィリピンでは、日本語を使うのが一種の流行で、対象はフィリピンの消費者。少し表記が間違ったところで、誰も気付かないし、品質とは別問題なんですけどね。

さらにタチが悪いのは、それを食べさせられる子供が可哀想だと言う輩。だいたい昔から、子供をダシに使うのは、詐欺師の常套手段。得体の知れない拝み屋が、あなたは大丈夫でも子供に霊障がある、などと不安を煽る手口。この場合、言ってる本人は、脅すつもりはないんでしょう。だからと言って、確証もないのに、相手の気持ちを逆撫でするのはやり過ぎ。

以前、糸井重里さんが、センセーショナルで感情的に怒鳴るような話しぶりより、冷静に理詰めでやさしく語る方を信じる、というような意味の文章を書かれていました。私はこの意見に心から同意します。本当に危険な食品の警告ならば、被害の実情や、なぜ危険なのかを分かりやすく説くのが筋。間違っても、子供の健康を人質に取るような言い方、書き方をするべきではない。

典型的だと思うのは、味の素が体に悪いとする、ネットでの反応。私は子供の頃から当たり前のように、味の素を使って母が調理したものを食べてきたし、何の問題もなく、今も使っています。81歳になる両親は、それが原因と思われるような病気を患うことなく元気。(フィリピンでも味の素は一般的な調味料)

調べてみたら、引用元が明らかな記事では、昔は疑念があったものの、現在では健康被害を及ぼすような事実は、認められないという記述がほとんど。どうやら発端は、1960年代にアメリカで発生した「中華料理店症候群」に遡るようです。ところが、その後の調査では、味の素の主成分である、グルタミン酸ナトリウムとの因果関係は否定されています。

いまだに味の素=毒物説を叫ぶ記事は、味の素は犯罪会社だとか、100%神経毒だとか、ドギツイ言葉と断定口調のオンパレード。やたら「!」を使う。そしてその根拠が、どれも曖昧なものばかり。信じたい人は、お好きなように、としか言えません。

最近私が聞いた話では、原発事故による放射能汚染を恐れて、フィリピンに移住したという人がいました。そして移住しただけでは安心できず、世界の海はつながっているから、フィリピン近海の魚ですらもう食べられないと、海産物は一切口にしないと言います。食の安全を求めるなら、敢えてフィリピンを選ぶのはどうかと思うし、黒潮にしても対馬海流にしても、フィリピン方面から日本へ流れているんですけど。

中国製だ、放射能だ、米も調味料も精製した塩も砂糖も、何もかも全部ダメだと言いだしたら、食べるものが制限されすぎて、食費は恐ろしく高くつき、栄養失調になってしまいそうです。さらに他人にまで、自分の意見を押し付けられては、堪ったものではありません。

そういうことに神経過敏になるよりも、バランスの良い食事を摂って暴飲暴食を避け、ストレスを溜めずに、適度な運動と規則正しい生活。昔から言われていることを、当たり前にやった方が、ずっと健康で長生きできるように思いますよ。


2018年1月8日月曜日

クリスマスイブに見る天の川

もう二週間以上も経ってしまいましたが、今日はクリスマスイブのお話。フィリピン人のクリスマス好きは、このブログで何回も取り上げて来ました。それに関しては、もうお腹いっぱいという感じなので、今日はお祭り騒ぎのことではなく、宗教行事としてのクリスマスイブについて。

イブとは言うまでもなくイブニング、夜のこと。なのでクリスマスイブとは、クリスマスの前夜祭だと思っている人が多い。前夜祭にパーティして騒いで、翌日のクリスマスは教会へという感じなのでしょうか。ところがこれは勘違い。

そもそもキリスト教の母体となったユダヤ教。ユダヤの習慣では、1日の始まりは朝ではなく日没。つまりクリスマスイブとは、まさしくクリスマスの始まり。イブのミサこそがクリスマスの宗教的祝祭の中心なんですよ。通常フィリピンでは当日、このミサが終わるまで飲食は控え、家族揃って夜のミサに与り、その後にパーティで、主イエスの御降誕を喜び、大いに飲み食いをするのが正しい姿。

日本では何をどう解釈したのか、いつしかクリスマスイブは、恋人同士が二人だけのディナー。そしてベットを共にするのが、当たり前のように思われています。それって完全にセント・バレンタインズ・ディと混同している。カトリック信徒にとっては、どちらかというと日本のお正月のようなもの。セックスがダメというわけでもないけれど、やっぱり家族や親戚が一堂に集うお祝いのイメージが強い。

さらにフィリピンでは、クリスマスに先立つ9日前から、「ミサ・デ・ガロ」Misa de Gallo(雄鶏のミサ)という早朝ミサが始まります。「シンバン・ガビ」Simbang Gabi(タガログ語で夜のミサ)とも呼ばれ、クリスマスまで毎朝、夜明け前の4時とか5時に教会でミサ。これはフィリピンやスペイン、プエルトリコなどの風習らしく、日本のカトリックでは聞いたことがありません。

この期間フィリピンでは、テレビやラジオなどを通じて、ミサ・デ・ガロに参加しクリスマスに備えるよう、呼びかけがあります。これが始まると、それまでのお祭りムード一色だった街の雰囲気が、にわかに宗教行事の色彩を帯び始める。まぁそう感じるのは、私がカトリック信徒だからで、信徒ではない日本人には、何も変わらないのかも知れませんが。

と言いつつ、私はこの早朝ミサに与ったことがない。ミサ・デ・ガロに行こうとすると朝3時半ぐらいには起きないといけなくて、逆算すると、前夜は8時ぐらいに就寝することになり、ちょっと主夫の身には厳しい。家内もクリスマス直前まで仕事なので、毎年せいぜい1回か2回ぐらいしか無理なようです。でも、フィリピン暮らしも6年目だし、次回は頑張って早起きしましょうか?

さて、昨年のクリスマスイブも、我が家では例年通り、最寄りの神学校付属のチャペルで、午後7時のミサに与りました。今シーズンは、数日前まで台風の影響があり、天候が危ぶまれたものの、当日は見事に回復。無事にクリスマスイブを祝うことができました。





美しく飾りつけられた
クリスマスイブのチャペル

そして、教会から自宅までの徒歩約15分ほどの帰路。何気なく空を見上げると、満天の星。田舎のネグロスでも、平地でこんなに見事な星空は、よほど好条件に恵まれないと、そうそうお目にかかれません。おそらく年に数回程度。

この夜は単に星の数が多いだけでなく、天の川がはっきり見えました。まさしく天空の大河。手持ちのiPhoneのカメラでは写せないのが残念。自宅玄関前で、しばらくアホのように空を見あげてしまった。

日本では冬の星座として有名なオリオン。真夏並みの気温でオリオン座を眺めるのも不思議な感じ。しかも、オリオン座の背景には、こんなにたくさんの星があったんですね。こうなると日本で見るのとは、まったく別物。

まさに救い主の誕生を祝うのに相応しい、2017年のクリスマスイブでした。


2018年1月7日日曜日

ブラック・ナザレ



1月9日は、フィリピン在住の方、特にマニラ首都圏の在留邦人には、お馴染みのブラック・ナザレ祭(Black Nazarene)。カトリック関係の催し物が多いこの国にあっても、一際盛大で、毎年100万人もの人々が集まります。

ただ信徒ではない人にとっては、迷惑以外の何物でもない。ただでさえ日頃の交通渋滞が末期的なレベルの首都圏周辺。中心部の道路が封鎖されて、とても仕事どころの話ではありません。毎年この時期には、在マニラの日本大使館から、テロの危険があるとの注意喚起メールが送られて来るほど。

そもそも「ナザレ」とは、イエス・キリストが大工ヨセフの息子として、成人するまでを過ごした街の名前。イエスが生前に「ナザレの人」と呼ばれたことから、イエスその人の呼称としてナザレが用いられることがあります。つまりブラック・ナザレとは、黒いイエス・キリスト像のこと。

このキリスト像は、17世紀初頭にメキシコからフィリピン・マニラ市内のキアポ教会に移送。途中の船火事のために焦げて、黒く変色したとされています。以来400有余年、度重なる火災や太平洋戦争中のマニラ市街戦でも焼失を免れ、今ではこの像には病を癒す奇跡の力があると信じられるに至りました。


このように、カトリックの祭事とは言っても、キアポ教会だけのローカルなもの。フィリピンの他の地域では、特別なことは何もない。もし日本人の知り合いでカトリック信徒の方がいても、フィリピンに詳しい人でなければ、まずご存知ないでしょう。20年前にネグロス島で洗礼を受けた私も、5年前に移住するまで、このお祭りについての知識はありませんでした。


キアポ教会

それにしても、ブラック・ナザレに対する、マニラ周辺のカトリック信徒の熱狂ぶりはものすごい。カトリック伝来以前から、祈祷師による病気治療が行われ、現在でも本気で信じている人も多いフィリピン。我が家のメイド、ネルジーが耳の不調を訴えた時も、向いの家に住む婆ちゃんが、祈祷の心得があるからと、祈ってもらってました。結局は、お医者さんに行って耳掃除したら、一撃で全快しましたが。

そんな下地に加えて、やっぱり400年前の像が現存するという即物性、分かりやすさが、人気の理由なんでしょうね。像を拝めば病気が治るなんて、タチの悪い新興宗教みたいと言われそう。それでも医療費が高額で、医者に診てもらうこともできない患者が、いくらでもいるフィリピンならば、すがりたくなるのも分かる気がします。しかも拝む対象が、当時のローマ法皇、インノケンティウス10世による認可を得たという像ですから。

お祭りが行われる1月9日は、この像のキアポ教会への移送「トラスラシオン」(Traslacion)を記念する日。沿道を埋め尽くす信徒をかき分けて、イントラムロスやマニラ市内を、像を積んだ山車が、20時間にも渡って行進します。

ブラック・ナザレは、ゴルゴダの丘で磔刑に処せられる直前の、十字架を担いで歩くイエスの姿を模したもの。市民に見守られながらの行進は、降誕節の最中ではあっても、主の復活を彷彿とさせる行事とも言えるでしょう。