2018年2月20日火曜日

黄昏時の屠殺場

以前にも少し書いた、屠殺のお話。ネグロス島に移住してまだ間もない頃、知り合いが家で飼っている豚をさばいて、肉を売るというので少し購入し、ついでに屠殺・解体を見せてもうらうことになりました。

日本人の感覚では、ずいぶん趣味の悪いことだと思われそう。でもこれは、結婚式のパーティなどで、豚の丸焼き、レッチョン・バボイを供する時に、「確かにケチらず、お客様のために1頭丸ごと用意しました」の意味で、出席者に見せるのが、昔ながらの伝統なんだそうです。


場所は、自宅から徒歩10分ぐらいの、建て込んだ貧民街。一人ではとても怖くて、足を踏み込めないでしょう。今は無き香港の九龍城ってこんなだったのかなぁと思わせる、迷路のように入り組んだ路地を歩いて、ちょっとした中庭みたいなスペースに出ました。そこで件の豚さんは、もう縛り上げられた状態で、死刑執行の待機中。もうすぐこの世におさらばと悟ったのか、ぴぎゃ〜、ぴぎゃ〜、と大騒ぎ。

そこへ現れたのは「いかにも」という感じの、痩身だけど引き締まって筋肉質なおじさん。出刃包丁みたいなナイフで、特に表情を変えることもなく、今まで生きてもがいていた豚を、あっと言う間に食肉へ。

あまりにもグロになってしまうので、詳細な描写は避けますが、気の弱い人なら、しばらく豚肉は食べられなくなりそうな光景。一緒に見に来た、近所で活動するNGOに、インターンとしてネグロスに滞在中だった大学生の女の子は、ショックで泣きだしてしまうほど。

こういうのを見ると、よくある感想ながら、やっぱり食べ物は粗末にしたり、残したりしてはいかんなぁと思います。動物にしろ植物にしろ、命を頂いている感覚は、大事にしなければ。平素はそんな高尚なことより、お茶碗やお皿にやらた食べ残しが多い人を見ると、洗う人の手間を考えろよと言いたいのが先立ちますが。

さて最近、フェイスブック上での投稿がきっかけで、友達になったばかりの人が、豚をさばくところが見られるのなら見てみたいとコメント。それならばということで、以前のような個別案件ではなく、日常的に豚をさばいている、屠殺場みたいな所がないか、シライ市内の公設市場で、肉屋のオッちゃんに訊いてみました。

教えてもらったのが、車で5分ほど離れたシライ漁港。おそらく港町としてシライが栄えた頃は、ここから船荷を陸揚げしたんでしょうね。今では、貧困層が固まって住んでいるバランガイ(町内)の奥。車で乗り付けることができず、バランガイの入り口付近に路駐して、そこからは先はトライシクル(輪タク)。前日の大雨で、未舗装の道は泥んこ状態。




小さな漁船が停泊する岸壁沿いに、集会場のような大きな建物があり、そこが豚の屠殺場。幸か不幸か、たまたま行ったのが夕方で、もう仕事は終わったあと。日曜日を除く毎日、早朝から午後3時までが業務時間なんだそうです。




すぐ傍で、魚の水揚げをやっているようで、言ってみればここは、シライ市民のタンパク源の一大供給基地。と書くと聞こえはいいですが、悪臭が立ち込めて、道は悪いし、お世辞にも衛生的とは言えません。

日本と違って、食肉処理への忌避感みたいなものは少ないフィリピン。それでも屠殺は、職場環境も賃金も、あまり恵まれた職業とは言えないようです。やっぱり誰もが憧れる、というものではありません。

ところで、日本ではどうやって処理してるんでしょう? 少なくとも大都市近辺では、あんまり見たことがないですね。社会見学とかでも聞かない。本当は、こういうプロセスは、隠さずにオープンにした方がいいように思います。小さな子供や、見たくない人に無理やり見せろとは言いませんが、日常的に口にするものがどんな経路を通って来るかを知るのは、決して悪いことではないですよ。


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