2018年7月24日火曜日

フィリピンに救われた日本人


少し前のこと、大学生3人が「スラムの暮らしを肌で感じたい」「スラムの子供たちに夢を与えたい」などとして、クラウド・ファウンディングでフィリピンへの渡航資金25万円を集めようとしたことが、ネット上で話題になりました。

結局、集中砲火の大炎上となって、16万円が集まった時点でプロジェクトは中止となり、全額返金という結果。

確かに文章の書き方も内容も浅薄で、文句のひとつも言いたくなる気持ちも分かります。でも、気に入らないんなら放っておけばいい話。賛同してお金を出した人もいるんだから、現実がどんなものかを、見せてあげても良かったんじゃないか。夢を与えられるものなら、与えてみれば?とも思います。

それとは対照的なのが、昨日(2018/7/23)フェイスブック上でシェアされていた投稿。執筆者は、高山義浩さんという、かつて厚生労働省に在籍、現在は沖縄の病院に勤務し、大学の非常勤講師もされている方。講義中、学生から海外でのボランティアの紹介を頼まれた時の返答として、このように語ったそうです。
「まずは、あなたが関心をもった国について、楽しく旅行されたらどうですか? その国の悲しい部分を先に見ようとするのではなく、素敵なところを発見してみてください」
本当にその通り。ごもっともですと、頭が下がる。

高山さんが意識して書かれたのかどうかは分かりませんが、前述の大学生3人を寄ってたかって袋叩きにするのではなく、こういう温かい眼差しで穏やかに諭す方が、ずっと効果的だったろうなぁ。

翻って、私とフィリピンの関係を考えてみると、この国と関わって23年。最初はビジネスの場として訪れ、家内と知り合ってからは、愛する人の生まれ故郷となり、今では家族全員が住まわせてもらっているホームタウン。

自分が、助けるとか与えるなんて立場になったことは一度もなく、ほぼ一貫してフィリピンは、私にとっての救いの場。カトリックの洗礼を授かったのもここネグロス島だし、与えられてばかりで感謝の言葉もないぐらい。

フィリピンとの出会いがなければ、今でも辛い毎日を送っていたでしょう。ひょっとすると鬱が高じて、自分の命を絶っていたかも知れません。

ボランティアやNGOへの参加からよりも、最初にフィリピンという国やネグロス島に魅力を感じ、そこに住む人々への愛情や共感を持つ。そうなってから、自分にできることは何かと考えるのが、私にとっては自然な姿。

とは言え、最初の目的がなんであっても、まずはその場所へ行かなければ何も始まりません。前回の投稿で散々非難した、女の尻を追いかけてフィリピンに来る連中だって、結果的には、フィリピンの外貨獲得を助けているとも言えます。決して奨励はしませんが。

ということで、フィリピンに救われた日本人としては、まずはフィリピンに関心を持ち、この国に足を運んでもらいたい。できれば、悲しいところから入るのではなく、ハッピー
な旅人として。


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