2018年7月5日木曜日

ライラの祖父は元日本兵


三日続けて、メイドのライラおばさんの話題です。
今日は、まず最初にお詫びと訂正。ライラが家政婦として出稼ぎに行ってたのは、カタールじゃなくてクウェートでした。面接の時に家内が勘違いしたようです。どうも失礼しました。

さて、かれこれ4年もメイドさんの雇い主をやっていて、今回のライラが初めてちゃんとした会話ができる相手。カトリーナ、アニー、ジャジャの3人は、高卒なので英語はできたものの、如何せんまだティーンエイジャー。親子ほど年齢差で、文化背景が違うとなると、共通の話題を見つけることが難しい。映画や歌のネタを振っても、I don't know. で終わってしまいます。

ネルジーは、もう少し年齢は近かったけれど、極度の人見知りで「超」恥ずかしがり屋。しかも英語はお世辞にも上手とは言えないので、やっぱり5分と会話が保たなかった。

その点、すっごいお喋りで、初対面の家内とも延々と話し続けるライラさん。英語も、ネグロスの方言訛りのブロークンながら、さすがにクウェートで長いこと仕事をこなしただけに、出稼ぎ時代の逸話は豊富。生まれも育ちもシライの、シライノンなので、近隣の噂話の引き出しも多い。

隣街に住む、私の日本人の友達や、家内の弟を知っていたり。高校の先生だった私の義母(家内の母)も面識があるとか。やっぱり狭い街ですね。どこでどんな繋がりがあるか分からない。下手なことはできません。今日は昼食の用意で、私が魚をさばいている合間に、クウェート時代のことをいろいろ聞かせてくれました。

つい最近、フィリピン人メイドが殺害され、ドゥッテルテ大統領まで乗り出す外交問題にまでなったクウェート。いじめられたりしなかったかと訊くと、まったく大丈夫で、ずいぶん優しい雇い主だったそうです。

他にも3人のフィリピン人の使用人がいて、食事は専門のシェフがいる大邸宅。ところが、週に一回しか米食をしない習慣の家で、ほとんどパスタやパンばかり。マダムに「フィリピン人は毎日お米を食べないとダメなんです。」と訴えたら、あっさりOK。中東での家政婦仕事って、キツくて大変なイメージだったんですが、そんな家ばかりでもないんですね。

という感じで、取り留めもなく話し続けて、何の拍子か「私のおじいちゃんは、日本人なんですよ。」とポロリ。え〜っ、ほんまかいな?

ライラによると、祖父は旧日本軍の兵士としてネグロスに駐留。シライの隣のタリサイには、戦時中、陸軍の司令本部があったのは知ってたけど、それについてフィリピン人から直接聞くのは初めてです。

アメリカ軍の反撃に追われたライラの祖父。8000名もの戦死・戦病死者を出した過酷な戦闘の中、幸運にも祖父は住民に匿われ、それが縁で地元の娘さんと結婚。生まれた子供がライラのお母さんだったというわけです。

戦後しらばらくは、対日感情が極度に悪い時期が続いたので、おそらく身元を隠してたんでしょうね。ライラは祖父の本名は知らないくて、ニックネームだけを記憶。日本に復員することなく、ずっと山岳地帯の農園で暮らして、80歳で亡くなりました。

こういう経緯なので、たとえ事実でも今となっては、ライラが日系人だと証明する手立てはありません。

最初の印象では、ちょっと苦労はしてるけど、普通のネグロスのおばちゃんにしか見えなかったライラ。思いもよらず、びっくり箱みたいな人だったんですね。


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