2018年10月16日火曜日

テクノロジーは国を助けず


出典:ABS-CBN News

もちろん、基本的にテクノロジーの進歩は、人間の暮らしを便利に、快適に、昔ならできなかった治療を実現したり、国を助けているのは間違いありません。ただ、ネグロスへ移住してから、フィリピンと日本の状況を見比べることが増えると、必ずしもそうじゃないのでは?という疑問も多々浮かんできます。

よく思うのは、東京を始めとする日本の大都市と、フィリピンのマニラ首都圏の比較。私が子供の頃に読んだ、長谷川町子さんの漫画「サザエさん」には、すでに通勤通学時の電車を表現した「酷電」(JRの旧称が国鉄で、山手線などは国電と呼ばれていたことからの皮肉)という文言が出てきます。

50年以上前から、過密ぶりは常軌を逸したレベル。普通に考えたら、とうの昔に全体システムが破綻しているべきところを、臨海副都心と称して、海側に都市部を拡大したり、地震が多発する国土で、超高層建築が難しいところを、世界に類を見ないような耐震技術を駆使して、50階建て、60階建てのビルを建設したり。

鉄道や道路なんて、私でも路線図を見て混乱するほどの超高密度。こちらもフィリピンなら、まず構想すらされないような、大深度地下鉄だったり、海底トンネルを掘り抜いての東京湾アクアラインだったり。それでも事足りずに、やれ3本の環状線を完成させろとか、東京〜大阪を1時間で結ぶリニア中央新幹線だとか。



それに遅れること約半世紀の、我が第二の故郷フィリピン。漸くと言うか遂にと言うか、ここ10年ほどの経済成長のおかげで、田舎のネグロスですら物価は高騰し、マニラ首都圏では市民の生活に深刻な影響出るほどの、慢性的な交通渋滞。言わば、1964年東京オリンピック直前の日本、みたいな感じでしょうか。

しかしながら、地下鉄の計画だけでもなかなか進まず、何十年も放置してきた、骨董品レベルの交通手段、ジプニーやトライシクルの改革事業が緒に就いたばかり。3年前に、世直しの期待を一身に背負って、大統領に就任したドゥテルテさんは、この問題に関して、テクノロジーで何とかする発想はではなく、マニラへの一局集中に歯止めをかける方向へ舵を切りました。それが、政治・経済の中心を各地方に分散させる連邦制。

フィリピンの国情からして、これしか方法がなかった側面もありますが、よ〜く考えてみたら、こっちの方がよっぽど無理のない、根本的な解決方法じゃないかと思えてきました。1980年代には日本でも、遷都や道州制など、似たような議論が盛んだったのに、バブル崩壊と同時に雨霧消散しちゃいましたね。

例えてみると、本来はずっと以前に引退するべき爺さんを、テクノロジーの力で無理やり生き長らえさせて、いつまでも社長をやらせているようなもの。次世代の経営者は育たないし、もしものことがあったら、大混乱は必至という状態。関東大震災並みの災害が、もう一度東京を襲ったらと、誰しもビクビクしているでしょう。恐ろしいのは、医療の現場がまさに同じという事実。

日本人の寿命が延びたのは喜ばしい反面、本当に生きている意味があるのかというような、死ねない老人を生み出してしまいました。医療費は高いし、本人も家族も、それ以上の延命は望んでいなくても、下手に治療を中止すると、担当医師が殺人で告訴されかねないので、止めるに止められない。「長生き地獄」なんて本が、よく売れてるらしい。

日本人は、確かに創意工夫の点では世界に誇れる能力があるし、短期的な目標達成に関しては、超人的馬鹿力を発揮します。でも、ひょっとしてこれは、言葉を換えると「器用貧乏」というヤツじゃないですか? 見た目は清潔で便利で長寿で、素晴らしい生活環境にいるはずが、幸せを実感できない人が過半数だったり。

もうそろそろ価値観や物の考え方を、見直してもいい時期に、来てるんじゃないでしょうか?


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