2018年11月9日金曜日

軽やか海外移住


ちょっと前に、「自己責任で萎縮する日本」というタイトルで、どういう経緯かに関係なく、苦境に陥った日本人を支援するのは、日本政府の義務だ、という趣旨の投稿をしました。つまり、若いフィリピーナを追いかけて、国外逃亡同然のオっちゃんが、まんまと女に騙されて、身包み剥がれて路頭に迷ったとしても、大使館が日本への帰国を補助するぐらいは当然だということ。

改めて書くまでもなく、日本国憲法では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と明確に定められいます。マニラでの路上生活は、どう考えても「健康で文化的な」生活とは思えない。政府の代表である大使館の職員が、助けを求めている日本人を黙殺するのは、やっぱりダメでしょう。

全財産も、日本にいる親類・縁者からの信用も、すべて失ってるんだから、これ以上ないというほど、自己責任は果たしている。せめて帰りの飛行機代ぐらい面倒見たれよ。可哀想やんか。

これに対して、私はたとえフィリピンでのたれ死んでも、政府の世話にはならないし、期待もしてない。と自己責任の権化のような、肩に力の入ったコメントを頂きました。ある程度は予想してましたけどね。

本人さんが断固として拒否するなら、それは当事者の勝手。ただ、私が言いたかったのは、そういうことではなく、痩せ我慢が当たり前と思う人が多過ぎるから、日本国内でも海外でも、本当に困っている人が、受けられるはずの支援から外れてしまっている事実。

まぁ、痩せ我慢してエエ格好する気持ちも、分からないではありません。私だって、言ってみれば日本に住むのがつらくて、逃げ出したという側面もある。たとえ予想外の災害や戦災に遭ったとしても、いまさら政府の助けを受けたいとは思わない。

ただ、勘違いしてはならないのは、「世話になる」「情けを乞う」などの感情に訴える話ではなく、これは、在外公館の仕事の一部。税金を払っているとか、住民票の有無とか、関係ない。だって「すべての国民は、...権利を有する」って、書いてあるでしょ。

もちろん実際に助けてもらったら、職員さんにはお礼を言いますよ。権利がどうこう以前に、礼儀ですから。災害時、被災者救援のために働く自衛隊員の方々に、感謝の念を持って接するのと同じことです。

フィリピンに関わり始めて、かれこれ20年以上。いろんな事情でこの国に住む同胞の姿を、数多く見てきました。フィリピン女性を伴侶とし、フィリピンを永住先に選んだ男性の中には、「死んでも帰らない」「誰の世話にもならない」と、必要以上の悲壮感で、ガチガチになってる人が時々います。

海外移住そのものが、お金も時間もかかるし、中高年以上の年齢なら、やり直しが難しくなるのも分かる。でも正直なところ、そこまで思い詰めなくても。何か、よっぽど日本に居られないような事でもやらかしたのか、あるいは日本に恨みでもあるのか。実際、そういう人もいるでしょうけど。

ところが最近の、日本からの若い移住者や長期滞在者は、ずっと軽い感じ。別に真剣さが足りないとか、不真面目だと言いたいのではありません。住む場所にフィリピンを選んだ動機が、シンプルに住みやすい、ビジネスチャンスがある、などなど。印象が、カラッと乾いている。

やっぱり話していて気分がいいのは、こういう「軽やかさ」のある人たち。こっちで暮らせば、それなりに不便はあっても、基本的に楽しもうとする姿勢なので、考え方が前向き。

50歳、60歳を過ぎれば、背負いこむものが増えるのは仕方がない。でもそれを敢えて表に出して深刻ぶった顔しても、何もいいことはありません。せっかく残りの人生を楽しむために海外移住したんだから、軽やかに過ごしたいものだと、自戒の意味も含めて、日々考えております。


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