2018年12月31日月曜日

2018年 10大ニュース 後編


2018年の10大ニュース、前回に続いて後編です。


第6位 「パナイ、ギマラス、東ネグロス、ビサヤへの旅」

フィリピンの淡路島ギマラス
朝4時起き、ギマラスへの船旅
アイランド・ホッピング
ギマラスのお宿はマンゴー農園
南国リゾートの発電風車
ペドロッソ一家 in ギマラス島
ハネムーンはフィリピン大学で
スタッフハウスの泊まり心地
船乗りの町ミアガオ
フィリピン大学の旧友たち
東屋が買える S&R
おいでませ、ドゥマゲテへ
遥かなるドゥマゲテ
ネグロス縦断7時間の旅
東ネグロスの秘湯

今年もあちこち行きました、フィリピンの国内旅行。
マニラ周辺にはあまり縁がなく、もっぱらネグロス島を含むビサヤ諸島ばかりの近場が中心。それでも私には未踏の地がたくさんで、ずっと気になってたギマラス島や、同じネグロスながら、山越えの陸路しかない島の反対側、ドゥマゲテ。念願が叶った1年でした。




ギマラスは、行ってみたら近いし、美しいビーチを巡るアイランド・ホッピングに、子供連れでも楽しめるキャンプ場併設のマウンテン・リゾート。サイズも淡路島程度で、車で回るのも楽という、本当に手頃なリゾート地。





そして、憧れの東ネグロス、ドゥマゲテ旅行。
こちらは、車で片道6〜7時間。でも時間をかける価値はある、変化に富んだ美しい場所でした。残念ながら1泊だったので、クジラやイルカには会えなかったものの、保養地として有名なドゥマゲテの街並みや、地元の人にしか知られていない、温泉を堪能。来年もう一度、今度は1週間ぐらい滞在したいものです。


第4位 「日本人ホームステイ受け入れ開始」


机に座らない英語学校
英語留学生のホームステイ
ホームステイ終了
日本の若者13人
歴史を語る夜
誰が「甘ちゃん」やねん
日本史の先生になれば良かった

有難いことに、今年もたくさんの人との新しい出会いがありました。
私たちが住むサブディビジョン(宅地)内に、一軒家を借りて営業する英語学校。そこに通う日本人の生徒さんたちです。個人住宅としては十分な広さながら、生徒さんが途切れることがないほど経営は順調。書き入れ時の年末年始や日本の夏休みには、宿泊施設がオーバーフロー。

そこで、我が家のゲストルームを貸してくださいとのオファーがあり、臨時のホームステイ受け入れとなりました。今年は女性1名が3ヶ月に渡って滞在し、来年早々もすでに2組のお客さんが来る予定。

また、数ヶ月に一度ぐらい、他の学生さんを時々自宅に招いてホームパーティ。日本食に飢えた若人には評判がよくて、すっかり「近所の優しいオッちゃん」役に居座っております。さらに、来る人来る人みなさん素直。30年近い日本でのサラリーマン時代や海外経験の話など、すごく熱心に聞いてくれる。

親子ほど年齢差のある人となんて、日本だとほとんど接点がなかったので、これは実に新鮮。来年もたくさんの学生さんが来てくれそうで、なんだか大学の先生にでもなった気分です。


第3位 「相次ぐ来客」


ニュージランドから来た
ディオニシオ夫妻

バスケのリナ
海外渡航のすすめ
晴れ女、マダムMの訪問
マダムMとレディM
兄妹天使
ミスターM in セブ
ネグロス島で、Shall we ダンス?
やっちまった者同士
ニュージーランドのあしながおばさん
芸術家にして大学教授

若者だけではなく、ネットで知り合った何組かのフィリピン関係者が、今年もわざわざ我が家を訪ねてくれました。6月には私と同世代の東京在住の男性。夏休み期間は、このブログでお馴染みのマダムMが、二人のちっちゃな天使同伴で。美女図鑑のモデルになってもらった、リナちゃんの母、福島県に住むダイアナさんが来たのも今年でした。

11月にはセブ在住のMさんが、シライで開催されたソーシャルダンスの全国大会出場のためにお越しになったし、今月に入ってからだと、日本の大学教授にして芸術家のTさん。

その他にも、このブログを読んで、わざわざ味噌を届けてくれた人や、布教活動で訪ねてきた、エホバの証人の信者さん夫婦。性別・年齢・背景や目的など、実に多種多様ながら、こうして遠方から来ていただけるのは、本当に嬉しいことです。


第2位 「新旧メイド交代」



3代目メイドのネルジー



4代目ジャジャ



5代目ライラおばさん

メイドさんのいない1月
40日間のバカンス
旅人の木
ネルジーの妹
素手で漂白、鉄人ネルジー
メイドさんのお留守番
戻らぬネルジー
メイド不在で家庭不和?
四代目メイドは19歳
血縁社会フィリピン
たった四日で辞めちゃった
無理ならさっさと辞めなさい
クウェート帰りのメイドさん
最強メイド、ライラの初仕事
ライラの祖父は元日本兵
食べ物には保守的なメイドさん
るんるんメイド
カレー大好きメイドのライラ
ボラれ自慢

実生活での影響が一番大きかったのが、メイドの交代劇。

2年以上も我が家の住み込みメイドを務めたネルジーが、5月にまさかの無断退職。ネグロス山間部の田舎に一時帰休して、そのまま荷物も置き去りで辞めてしまいました。無口で好き嫌いの多かったネルジー。私も家内も信頼してたんですけどねぇ。ブログの読者からも落胆のコメントを頂いたぐらい、人気者だったのに。

その後、約1ヶ月。知り合いの紹介で来てもらったのは、弱冠19歳のジャジャ嬢。一安心したのも束の間、食べ物が合わない、家族と一緒でないと寂しいと、たった4日でギブアップ。ただしそれ以前の3人がクビだったり、バっくれたりに比べたら、ちゃんと辞意を表明して出て行ったのはまだマシ。

さらに1ヶ月経った7月。リノベ中の大工さんのご近所さんという縁で、5代目に就任したのが、クウェート帰りの43歳、「真打」ライラおばさん。何を任せても大丈夫で、抜群の安定感。実は母方の祖父が元日本兵だったという、日系3世のクォーター。(全然そうは見えませんけど)

仕事面だけでなく、ネルジーにも負けず劣らずのユニークなキャラで、ブログネタの宝庫。今年後半の半年だけでも、ずいぶんライラの題材に投稿しましたね。来年も引き続き安定した働きぶりを期待してます。


第1位 「姪っ子との再会」


いろいろあった2018年。やっぱり印象に残ったのは、4週間に及ぶ姪っ子の、我が家での居候。英語留学が目的でやってきた姪っ子は大学生。最後に会ったのが、6年以上前のお正月だったでしょうか。まだ小学生か中学入りたてぐらいの年齢だったので、バコロド・シライ空港で再会した時には、あまりの成長ぶりに驚いたものです。

最初は、何を話そうかと考えたけれど、それはまったくの杞憂。やっぱりそこは伯父・姪の間柄なので、いくらでも共通の話題はあります。英語学校のスクールメイトには、伯父さんとこんなに仲いいなんて羨ましい、とまで言われました。

それにしても1ヶ月足らずの間に、いろんなことがありました。たまたまセブに旅行に来ていた友達に会うと、単身出かけたのはいいけど、帰りの飛行機に乗り遅れて、マクタン空港で夜明かし。英語のフィールドワークで訪問した幼稚園では、あまりの英語の通じなさに悔し泣きして、子供に慰められてしまったなんてことも。

それでいて、関西人特有のウケ狙い精神は失わない。やっぱり私の血縁者やのぉ。

メイドのライラも、ずいぶん姪っ子が気に入った様子。今でも会話していると、時々姪っ子の名前が出てきます。娘みたいな感じだったのかも知れません。



ということで、ここまで書いて、フィリピン時間で12月31日の午後9時前。2018年も残り3時間となりました。ここ数年、宅地内の規制が厳しくなって、爆竹や花火の音はそれほどでもないけれど、やっぱり遠くでドンパチやってます。

そろそろ年越し蕎麦の準備を始めますので、今年はこの辺で失礼しますね。どちら様も、よい新年をお迎えくださいませ。


2018年 10大ニュース 前編


とうとう2018年も大晦日になってしまいました。今年365本目の投稿は、年末恒例の10大ニュースでございます。

それにしても、よく書いたもんですね。熱し易く冷めやすい私の性格からすると、これは異例なこと。やっぱり歳食って、多少なりとも忍耐強くなったのか、それとも、単に暇なだけだったのか。

毎日なんて、途中で書く事がなくなるかもと思ってましたが、意外にもいろいろ起こるんですよね。面白いことばかりでもなかったですけど。さすがに「出し切った感」は半端ないこの1ヶ月ほど。正直なところ、ネタはあっても少々疲弊して来た感じは否めません。

なので2019年からはペースを落として、1週間に2本程度にしようと思ってます。

2013年10月から始めたこのブログ。8月には通算1000回に到達しました。そして反響が大きかったのは、「日本・フィリピン交流史」や「人生の撤退戦」の連載シリーズ。1000回以上もやってると、日々の日記的な内容だけでなく、自分の勉強のためにも、深い内容に切り込めるものです。ユスト高山右近や明治時代のダバオへの日本人移民など、知ってるともりだったのが、調べてみると、いろんな発見がありました。

フィリピン国内よりも、日本の災害を気遣うことが多かった2018年。特に私の地元である関西地方は、地震水害が相次ぎました。

また、私たちの住むシライを含む、メトロ・バコロドでは、商業施設の開店ラッシュ。つい先日のアヤラ・キャピトル・セントラルを始め、シライ初のショッピングモール、ガイサノ・シライに、一昨日書いたトヨタ移転。中小規模のビル新築に至っては、数えきれないほど。

直近では、ずっと昔に家内の叔母に貸してた、30万ペソもの大金が戻ってきたのには驚きました。ほんの数百メートル、銀行間の移動だけとはいえ、この金額の札束抱えて外を歩いたのは、おそらく家内にとっては生涯、最初で最後の経験になったでしょう。

それでは、ネグロス島永住日記の10大ニュースです。


第10位 「近場の飲食店」


やっとジョリビーが来る
我が街シライにジョリビーがオープン
ネグロスの隠れ家的レストラン
ネグロスの高級イタリアン

シライで今年一番の話題は、いまや現代フィリピンのソウルフードとも言える、ジョリビーの開店。ジョリビーが入居している、ガイサノのオープン時よりも、人が集まったぐらい。もう3ヶ月経ったのに、人気は衰え知らず。終日の夕食時など、かなりの混雑が続いてます。

唯一の弱点は、数時間から半日の停電になると、提供できるメニューが激減してしまうことぐらい。これはジョリビーの問題というより、ガイサノの電力バックアップ体制が、十分じゃないからなんでしょうね。

ジョリビーほど派手ではないけれど、シライ市内の隠れ家的な高級レストランを見つけたり、バコロドでは、味もサービスも日本レベルのイタリアンレストランを教えてもらったり。箱物だけでなく外食に関しても、フィリピンの好景気を実感した1年でした。


第9位 「フィリピン主婦 / 主夫の友」



怖くないフィリピン・コミュニティ
フィリピン主婦 / 主夫の友
バカの壁@フィリピン・コミュニティ
いろんな人がいてますなぁ
退場処分

SNSでのフィリピン関連コミュニティというと、風俗やら差別・偏見ネタ、政治や歴史での言い争いなど、あんまりいい印象がありません。

ならば自分たちで作ってしまえと、マニラと日本に住む友達二人を中心に、女性が安心して参加できるグループを、フェイスブック内に新規立ち上げました。お陰さまでメンバーも500名近くになり、投稿もそれなりに活発。

ただ、やっぱり変な人が紛れ込んでしまうのもネットならでは。下ネタ禁止のルールを無視した暴走やら、確信犯的な荒らし、メンバー同士の諍いなど。管理する側に回ると、何かと面倒なことも見えてしまいます。

それでも、このグループを通じて新しい友達ができたり、主婦らしい視点の情報に接することができたり。いろいろあったけど、始めてよかったなぁと思っております。


第8位 「新境地・私的フィリピン美女図鑑」


年初に投稿した「赤い誘惑」

ウルトラ警備隊、南へ
白鳥のジュン
キューティーハニー
セーラー服フィリピーナ
誘惑の森雪
ラム・ザ・ビューティフル・ドリーマー
愛しのフィリピナ花嫁
4人のマーメイド
マダムMの肖像
セクシー・ヴァンパイア

美女図鑑については、昨日ベスト10企画で詳しく投稿した通り。シリーズも2年目に入り、このブログのキラー・コンテンツに成長しました。やっぱり文章より、絵を描くのが私の天職なんでしょうね。

美少女のイラストは、高校生ぐらいの時から描いてまして、テクニックは多少進歩しても、本質的なところはあんまり変わってません。当時、見せる相手は、家族か学校の友人だけ。高校のクラスメートだった人から、私の描いた松本零士風の美女や、F14トムキャット(映画「トップガン」で有名になった、アメリカのジェット戦闘機)を今でも覚えてると、言われたり。

今年は、素人ながら、何となくスタイルが確立してきて、描く楽しみも倍増。オっさんの手慰みっぽくはありますが、楽しみにしていると待っていてくださる読者もいて、来年もまだまだ続けていこうと思ってます。


第7位 「今年も我が家のメンテナンス」



エアコン3台 大人買い
進化する一体型エアコン
建てるよりメンテナンス
深い軒には意味がある
5年で家電製品の危機

フィリピンで家を持つとは、こういうことか。建てる時のたいへんさはもちろん、毎年必ずどこかに不具合が出る。まだ5年も経ってないんですけどねぇ。今年は不具合は比較的少なくて、雨季に湿気を吸って開け閉めが難しくなる玄関扉と、鍵の部分が壊れてしまった、プラスティックの倉庫と勝手口ドアの補修。

大きかったのは、新築時に積み残した作業として、外に飛び出した格好の、台所部分の屋根増築と、エアコン3台の取り付け。屋根は最初から大仕事になるのは分かってたけど、意外にたいへんだったエアコン。

日本では一般的な、室外機が別のセパレートではなく、一体型を選んだので、壁にバカ穴を開ける必要が。やっぱりセパレート型が高いもので、ついこういう選択になってしまいました。大工さんの手配がなかなかつかず、1ヶ月ぐらいダンボール箱のまま、エアコンを保管したのもフィリピンならではのお話。

来年はメンテナンスだけでなく、このブログでも何度か取り上げたように、本格的な第2期工事である、裏庭のゲストハウス新築が控えております。


半分だけで、かなりの文字数を費やしてしまいましたので、続きは後編にて。


2018年12月30日日曜日

2018年 私的フィリピン美女図鑑 ベスト10

例年、大晦日になると「10大ニュース」を投稿しております。今日はその前日ということで、ちょっと趣向を変えまして、美女図鑑で描いたイラストの中から、自分なりに気に入った作品を選んで、ベスト10を発表したいと思います。

2018年に描いた美女イラストは、全部で24枚。
多いのか少ないのか、よく分かりませんけど、単純計算すると1ヶ月に2枚のペースだったんですね。仕事でもないのに、我ながらよく頑張ったと思います。


それでは勿体をつけて、番外編から。
昨年初めて、日本人の友達から頼まれて、フィリピーナではない女性の似顔絵を描きました。これが意外と喜んでもらえたのに気を良くして3枚も描いてしまった、日本の友人やその関係者。


フィリッピーノを愛した女たち



モデルの二人は、共にネグロスで恋人を見つけたという、ある意味、私の同志。今でも時々リアルに会って、一緒にご飯食べたりしてます。


バスケのリナ




リナちゃんは、日本とフィリピンのハーフ。バスケットボールのフィリピン代表にして、ファッションモデル。来年はぜひお母さんと一緒に、我が家に来て欲しい。
では、ここからが本編。


10. ウルトラ警備隊、南へ


今年から始めた新機軸。懐かしのアニメ・特撮のヒロインシリーズ。要するにアンヌ隊員に憧れてたんですよね。ウルトラセブンも描きたかったし。

9. 白鳥のジュン


五人組の戦隊もので、紅一点。ゴレンジャーをベースにしたパワーレンジャーの世界的なヒットで、当たり前のようになった設定の、言わば元祖である白鳥のジュン。白いパンティをチラ見せして、大胆に敵を蹴り上げるポーズで、もう一回描きたいモデルさんです。


8. キューティーハニー




そして、実写やアニメで、今でも続編が作られている永遠のヒロイン、キューティーハニー。ポーズ決めに苦労しました。これはこれで悪くないんですが、もっと躍動感のあるポーズにもチャレンジしたいですね。


7. セーラー服フィリピーナ



ずっと描いてみたいアイテムの一つだったセーラー服。コスプレっぽくせず、現実にいるような感じがポイントでした。今では日本アニメの影響で、外国でも採用する学校があるらしい。フィリピンでもポピュラーになってくれないでしょうか。


6. 誘惑の森雪


再びアニメ路線に戻って、宇宙戦艦ヤマト。松本零士さんの描くイメージとは全然別物で、放送開始時の小学生の私だったら「あり得へん」と思ったかも知れません。あれからもう50年近くも経って、日本風の柳腰、大和撫子だけが美女ではないことに気づいたオっさんの感性で描くと、こうなっちゃうという見本です。


5. ラム・ザ・ビューティフル・ドリーマー


今だにコスプレでは高い人気を誇る、ラムちゃん。高橋留美子さんの作品って、ジプリと並んで、現在の日本アニメ人気の二大源流の一つという気がします。らんま1/2、めぞん一刻、犬夜叉...。世代も国境も越えて、輝きを放ち続けてますから。

この美女図鑑でも、ラムちゃんはエポックメーキング。手前味噌ながら、アニメ・特撮をフィリピーナが演じるスタイルは、このイラストが最初の試み。同世代の男性だけでなく、女性からも好評を頂いたので、その後の連作につながったわけです。ラムちゃんに感謝。


4. 愛しのフィリピナ花嫁


実は、20年以上前。初めて付き合ったフィリピン人ガールフレンドを喜ばせようと、彼女がウェディングドレスを着た似顔絵を、描いたことがあったんですよ。昔から同じような事してたんですね。ところが彼女の反応が微妙。フィリピンでは結婚前に花嫁の格好すると縁起が良くないと、信じられているらしい。

それ以来、花嫁のイラストは私の中ではちょっとしたタブー。今回もやっぱりそれを思い出したものの、やっぱり描いてみたいアイテム。折しも、ちょうど当時(1995年)に発表されたコミック「愛しのアイリーン」が映画化され、その表紙がアイリーンの花嫁姿。もうそろそろ過去は清算しようか、との思いで仕上げました。

実際は清算ではなく、蒸し返してる感じがしなくもない。改めて見直すと、モデルの顔が昔の彼女に似てるんですよ。困ったもんだ。


3. 四人のマーメイド



かけた時間と労力は、間違いなしに美女図鑑では最大。あんまり手間がかかったので、メイキング素材を別投稿で紹介したほど。ダリル・ハンナが主演の人魚を演じたスプラッシュ(1984年)見てから、ずっと思ってたんですが、リアルな人魚って、放送コードに引っかかるんじゃないかと思うぐらいエロティック。美女図鑑でもかなり長い間、構想を温めておりました。

そういう経緯だったので、なんだかんだと理屈をこねて、結局4枚も描いてしまいました。ここまで凝ってしまうと、次作のハードルを自分でどんどん高くしているようなもの。年末のバタバタを言い訳に、1ヶ月もイラストに手が付けられないのも、そんな理由です。

スプラッシュと同時期に見た、エマニュエル・ベアール主演の「天使とデート」(1987年)にもハマったので、来年の第1弾は、リアルでセクシーなエンジェルもいいかも知れませんね。相変わらずクリスチャンとは思えぬ、罰当たりな発言をしてます。


1. セクシー・ヴァンパイア


堂々の1位となったのが、セクシー・ヴァンパイア。
こちらは、突如思い立って描いた典型的なケース。いずれ描こうと、モデルさんの写真はずっと保存していたものの、かなり長い間放置状態。ところが、ハロウィン向けのイラストをと考えたら、吸血鬼、コウモリの羽、そしてこのモデルと、瞬間的に頭の中の回路が繋がりました。

純粋な作業時間は、それなりに要したけれど、途中で悩んだり描き直したりが、まったくなしで完成までは一直線。とても安産の親孝行な娘でした。(雰囲気はおどろおどろしいですけど)

嬉しかったのは、同業のデザイナーの方から、お褒めの言葉をいただいたこと。使用アプリのイラストレーターをお使いになる、プロの言葉には重みがあります。豚もおだてりゃ木でも何でも登りますので、これからもぜひ褒めてください。

この作品が自分の中では、技術的な基準になっちゃいそうですね。別に誰かと勝ち負けを競うわけではありませんが、最初の頃の「牧歌的」なタッチには、もう戻れそうにありません。


ということで来年は、新作ばかりではなく、以前に描いたテーマのリメイクもやってみたいと思っております。2019年もフィリピン美女図鑑を、よろしくお願いしますね。


2018年12月29日土曜日

トヨタが近所にお引っ越し

向かいに住むばあちゃんが、路上で「放牧」していたヤギに当て逃げされたのが、ちょうど1年前。(ヤギ身事故)我が愛車トヨタ・アバンザは、運転席扉にみっともない凹みを残したまま、年の瀬を迎えました。

運転に支障のない傷や凹みって、修理するかどうかは見てくれを気にするかどうか。それに加えて、懐具合のバランスでしょうね。フィリピンって、このバランスが「修理しない」側に傾いている人が多いようで、傷だらけの強者をよく見かけます。

少し前までは、フロントグラスが真っ二つになったのを、ガムテープで応急処置したタクシーが走ってたり。さすがに最近では営業許可が下りないらしく、そんなにひどい車両はなくなりました。それでもジプニー(乗り合いバス)とかトライシクル(オート輪タク)は、ボコボコの錆だらけなんてのは珍しくない。

周囲がそんな環境のフィリピン。遠目には分からない程度の凹みなんて、指摘する人も滅多にいないので、1年間も放置していたわけです。私の頭もかなり「フィリピナイズ」されてきたし。

それともう一つ、なかなかディーラーに持って行く気にならないのは、トヨタ・バコロドって遠いから。トヨタはバコロド市の南の端っこ辺りにあって、自宅のあるシライからだと、途中にある大きなショッピングモールや州庁ビル前、下町など、渋滞スポットをいくつか通過しないと辿り着けない場所。

ところが、半年ほど前。まさかシライに住むトヨタ車オーナーの利便性を、考慮したわけでもないでしょうけど、遠かったトヨタさんが近所に引っ越してきました。新たな所在地は、シライの南隣のタリサイ。タリサイの市街地からも少し離れた場所で、周囲にはお客さんが来なくて閉鎖寸前のアヤラ・モールがあるぐらい。

広さは移転前の2倍以上になって、駐車スペースもゆったり確保。これはいい。ちょうど2万キロ点検の時期も重なったので、先日、ようやく重い腰を上げて行って来ました。




スタッフはバコロド時代のメンバーがそのままスライドしたようで、見知った顔が多い。フィリピン独特の目配せだけの軽い会釈を受けながら、クリスマス休暇中でかなり人の多い受付デスクへ。

予約もなしで昼過ぎ来店なので、当日は無理だろうと思ってましたが、意外にも点検は3時間程度で完了しますとのこと。待っている間に同行した家内と、アヤラでお正月料理の材料買い出しや、地元の老舗カフェ、ボブズでケーキを食べたり。

現地法人とは言え、さすがのトヨタ。お金や時間の見積もりは、少し安く、早い方に振れてます。フィリピンでは、仕上がりが遅れる上に追加料金、なんてことが往々にしてあるので、国が違ってもトヨタがシェア・ナンバー1をキープしているのは、当然かも知れません。

エンジンの洗浄や点火プラグの取り替えなど、全部含めて6,500ペソ(約13,600円)。安くはないですが、まぁこんなもんでしょう。肝心の凹み修理の見積りはと言うと、こっちは本当に高くて8,000ペソ(約17,000)。修理工場は予約が詰まっていて、来年になるそうです。

というわけで、ずっと気になっていた懸案事項の見通しがついて、ちょっとだけ心が軽くなった年末でした。


2018年12月28日金曜日

キャッシュ・バック 30万ペソ!


いやぁ〜、びっくりしました。
フィリピン人に貸したお金、それも30万ペソ(約63万円)もの金額が、キャッシュで返ってきました。

これは相手が日本人でも同じでしょうけど、親戚や友人にお金を貸すのなら、戻って来なくても困らない額を、心の中では上げたつもりで貸せ、みたいなことを言いますね。このお金、貸した相手は家内の叔母で、もう10年以上も前の事。

ネグロス生まれの叔母ナンシー。今は、遠く離れたレイテに、息子のパウロと一緒に住んでいますが、当時は日本在住。1980年代に日本へ渡り、最初はビルの掃除婦からの下積み生活。何年も頑張ってオフィスワークの職に就きました。

そして、自分のための努力だけでなく、オーバーステイになって困っている同胞の相談に乗ったり、時には帰国の飛行機代を立て替えたり。NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられるほど、献身的な活躍をしてました。おそらく、そんなボランティア精神が重荷になり、ネグロスに残してきた二人の男の子(その頃はまだ学生)への送金すら、ままならなかった様子。

金銭感覚は、下手な日本人よりも余程しっかりしてるし、孤軍奮闘で生き抜いてきたプライドもある。そんなナンシーが借金を頼むぐらいだから、相当な苦境だったんでしょうね。

あの頃は、私たちにはまだ子供がなかったし、経済的には余裕がありました。「義を見てせざるは勇無き也」とは、まさにこのこと。これは断れませんよ。大げさに言うと、ここで見捨てたら一生後悔しそう。

そんな訳で、日本国内ではなく、フィリピンの銀行口座に30万ペソを振り込んだ次第。義理堅いアンティからは、「あなたは、命の恩人です」という感謝の言葉と、ネグロスに所有する宅地の権利証を担保として手渡されました。

とまぁ、文字にするとずいぶんドラマチックな話ながら、私も家内も、お金を貸したことなど、すっかり忘れてたんですよ。その後、フィリピンに戻ったナンシーは、体調を崩したりして、催促なんて出来っこないし、お金が返ってくる期待は皆無。

ところが人生は、どうなるか分かりません。
もうずいぶん前に別居して、最近亡くなった旦那さんが、実は地元レイテに結構な土地を持つ資産家だったそうです。詳しい経緯は分かりませんが、まとまった額の遺産を手にしたと思われるナンシー。まるで映画か小説みたいなストーリー。

やっぱりずっと気にしてたんでしょうね。にわかに「お金を返します」と言われた時には、かなり驚きました。

そしてクリスマス休暇も終わり、銀行が開いた日。ナンシーの代理としてシライにやって来た息子のパウロ。何を隠そう、私のゴッドチャイルドでもあります。別に人が来なくても、銀行間で送金してもらえば良さそうなもの。

ところが、フィリピンでは銀行が違うと、送金にはものすごく手間がかかる上に、手数料がバカ高い。仕方なしにナンシーの口座があるBPI(バンク・オブ・ザ・フィリピン・アイランズ)の、シライ支店で現金をおろし、それを数百メートル離れた、私のメインバンクであるメトロバンクまでハンドキャリーすることに。

63万円とは、決して少ない金額ではありません。しかもネグロスなので、物価ではざっと4〜5倍の経済格差。300万円相当のキャッシュを鞄に入れて持ち歩くなんて、日本でもビビりますよ。

こういう場合は、ノコノコ日本人が顔を出すとロクなことがない。すべて家内とパウロに任せて、私は自宅で待機状態。家内から「入金完了」の連絡があった時には、本当にホっとしました。

それにしても来年は、家族で日本に一時帰国とか、裏庭にゲストハウス建てるとか。これで全額賄えるほどではないにしても、正直なところ、かなり助かります。まったく予想外の、超ビッグなクリスマス・プレゼントを頂いた気分。神さま、ありがとうございます。


2018年12月27日木曜日

謙譲の精神

よく欧米に住んだ経験のある日本人が指摘するのは、贈り物を手渡す時に「つまらないものですが」と言い添えるメンタリティが、外国人には理解できないということ。自分を下げて、相対的に相手への敬意を表現する、謙譲の精神。

ビジネスシーンで、相手がアメリカ人だったりすると、謙譲や奥ゆかしさは、理解されないどころか、それが原因でバカにされたりすると言います。まぁ、それは相手と状況に依るもので、私がニューヨークで仕事してた時には、ドイツ系やらイラン系、香港にロシアと、マルチ・カルチャーなオフィスだったので、必ずしもそんな感じではなかったですけどね。

そして、今住んでいるフィリピン。
謙譲を意識しているのではないと思うけれど、褒められても「それほどでもないですよ」と照れ笑いする人って、意外に多い。

カラオケで人気者になれるほどの美声の持ち主だったり、びっくりするぐらいギターが上手くでも、「私は歌に自信がある」「俺のギターはプロ並みだ」と、大言壮語するフィリピン人って、少なくとも私は、会ったことがない。

まぁ、音楽やダンスに関しては、日本など比べものにならないほど層が厚い国。下手に自慢したら、もっとすごい奴はいくらでもいて、赤っ恥をかくことになるかも知れません。

それだけでなく、恥ずかしがり屋さん比率が高いこともあるでしょう。人見知りの激しい子供がいるのは万国共通でも、30代40代のいい歳した大人が、まるで初心な少年少女のように、人前で恥ずかしがったり。やっぱり親が過保護に育てるのが原因なのか。

半年前まで我が家で働いてたメイドのネルジーなんて、同じテーブルで食事ができるようになるまで、かなり時間がかかったし、初めてのお客さんが相手だと、声を掛けられても緊張のあまり返事もできないほど。

そして、最近知った、最近の若いフィリピン人の間で使われる慣用句が、Daw Jollibee ka ? (ダウ・ジョリビー・カ/お前はジョリビーみたいだ)。ジョリビーとは、フィリピンで一番人気のファーストフードのジョリビー。ここではそのマスコット、赤い蜂のキャラクターのこと。


つまり、何でも自分でやりたがる、目立ちたがりの嫌な奴、みたいなニュアンス。差し詰め関西弁ならば「エエ格好しぃ」というところ。出る杭を打っちゃうのは、どうも日本人だけとは限らないようです。

食べ物でも言葉でも、アメリカ文化の影響をモロに受けているフィリピンですが、根っこの部分には、日本と似たような感性があるみたいですね。


2018年12月26日水曜日

退場処分


先日投稿した、ネット上のトラブルのお話。ブロックしたりされたり、今年もいろいろありました。今日は、ネガティブ・ネタ納めの意味も含めて、私のネット問題対処法を書いておきたいと思います。

まず、私が立ち上げメンバーの一人として参加している、フィリピン関係コミュニティ。ここで数ヶ月に渡り、知能犯的に荒らし行為を続けていた人物が、とうとう退場処分となりました。

マニラの日本食レストランについて、和やかに情報交換してるところへ、「あの店のオーナーが変わったのは、外国人に乗っ取られたから」とか、街路樹のイルミネーションが美しいと写真入りでの投稿に、わざわざ「電飾は樹木の健康に悪い」との記事をシェアしたり。

何なんでしょうね?
みんなで歓談している宴会の席へ、ゴミをブチまけて喜んでいる変人みたい。別に何を投稿してもいいけど、自分のタイムラインでやってくれ。挙げ句の果ては、管理人さんに絡んで、敢えなく除名の上ブロック。

それでもこの人物、偽名の別アカウントを取得して、他のコミュニティへも繰り返し侵入しては荒らしを続けているらしく、まったくのイタチごっこ。その情熱をもっと人様の役に立つことへ向ければいいのに。

コミュニティ管理者の立場だと、なかなか対応が難しい時もありますが、私個人の場合は、至ってシンプルなルールを決めております。つまり、面倒だと感じたら、即刻友達解除かブロック。我慢は一切しない。

私もあと数年で還暦。友人や親戚、会社やら教会で、ずいぶんたくさんの対人関係を経験してきました。これはネットに限らずリアルでも同じで、たとえ先方に非があると感じても、そしてどんなに誠意を持って当たっても、相手の態度を変えることはまず不可能。どうしても関係を継続したければ、こっちが変わるしかありません。

業務上仕方なくというのが、一番の苦痛の種だったけれど、会社を辞めた今となっては、それもなくなりました。残ったのはプライベートなものばかり。何を無理して、外見だけの付き合いをする必要があるでしょう。

典型的なのは、キレた女性にサヨナラするパターン。これって、他の人も経験しているかどうかは不明ながら、私には過去3〜4回ありました。何気ない投稿や、このブログの内容から、前後の文脈とあまり関係なく、特定の文言だけを切り取って、それに対する詰問口調のコメントが。世に言う「逆鱗に触れる」というやつ。

普段のやりとりでは穏やかで、そんな感情の爆発を予想していないだけに、私にとっては結構なダメージ。もう豹変としか言いようがないぐらい、行間から「ギャーッ」っと叫び声が聞こえてきそう。

こうなるともうダメ。つい最初の結婚生活に挫折した時の、元妻の変わりぶりを思い出してしまいます。これはキツい。なので、恐怖心が先立って、即刻相手の声が届かない場所まで逃げ出してしまうという次第。

男性の場合は、そこまで極端なことは少ないにしても、どっちが正しいとか間違ってると言えない、ただの見解の相違に基づいて議論をふっかけられたら、友達関係はジ・エンド。また、私への直接コメントではなくても、特定の民族や国籍、宗教・思想への偏見を剥き出しにされた瞬間に、こちらからそっと姿を消すのが常。

それ以外にSNSで友達を整理する時の基準は、面識がないのにROM(リード・オンリー・メンバー/読むだけ)を決め込んでいる人。ブログを通じて友達申請して来る人に多い。これでは、つながってる意味がないですからね。ネット上の友達やイイネの数だけを競う趣味もないし。

邦人の多いマニラなどに住んでいて、フィリピン関係で知り合った相手を、下手な切り方したら、どこかでバッタリ顔を合わせるかも知れないと、ずいぶん慎重になってる方もおられます。特に女性の場合は、無理からぬ話。フィリピンで日本人が巻き込まれる殺人事件は、日本人同士の怨恨が原因というのも珍しくないし。

その点、僻地のネグロス在住だと気は楽です。まぁわざわざ飛行機に乗って、文句を言いに来る輩もいないとは限らないので、無闇に敵を作るのは得策ではないでしょうけど。ただ、ストレスから逃れてフィリピンに来た私は、やっぱり我慢は、もうしたくないですね。


2018年12月25日火曜日

移住後6回目のクリスマス




主のご降誕、おめでとうございます。

と、例によって日本のカトリック式挨拶で始める、クリスマスの投稿です。フィリピンでも日本でも、教会ではイブの夜にミサを行い、終わるのがだいたい9〜10時ぐらい。そこからお祝いのディナーという流れで、子供でも就寝は日付が変わる時間帯。ちょうど、大晦日みたいな感じ。

これは去年も書きましたが、クリスマス・イブとは前夜祭ではなく、昔のユダヤでは日没が1日の始まり。つまり、イブのミサとディナーこそが、信徒にとってのクリスマスのメイン・イベントなわけです。ちなみにクリスマス(Chritmas)とは、キリスト(Christ)のミサ(Mass)のこと。クリスマス・ミサと言うと意味がダブっちゃうんですよね。

25日の朝は、大抵の家庭では朝寝坊。我が家もようやく9時頃に起き出して、さきほど遅い朝食を摂りました。来年は息子も中学生の年齢。サンタのプレゼント配達も、かなりゾンザイになってきて、値札付きでラッピングもない剥き出し状態で、前日からツリー下に放置。

今年は「サンタの中の人」が、ちょっとだけ奮発して、チェスが好きな息子のために、繊細だけど壊れやすい、ガラスでできたチェス・セットを用意しました。リビングにある同じくガラスのテーブルに並べると、インテリアとしてもよく映えます。でも、こりゃ、すぐ割りそうですね。駒の予備として、もうワンセット、買っといた方がいいかも。


ところで、フィリピンではこの時期、雪が降ったりしないのは当然ながら、恐ろしいことに台風が来ることもあります。数日前も、低気圧の影響で東ビサヤ(ネグロスがあるのは、西ビサヤ)のサマール島や、首都マニラがあるルソン島の一部で大雨の恐れ、なんて情報もありました。

もう移住後6回目のクリスマスを迎える、ここネグロス島のシライ市。ありがたいことに、24〜25日は、毎年天候に恵まれております。特に24日のミサなど、日頃の3倍ぐらい人が集まるので、チャペルの外にテント掛けして椅子を並べる盛況ぶり。土砂降りなら、かなり辛い状況なだけに、神さまに感謝しております。



ところで、私たちがお世話になっている最寄り教会、聖十字架のマリア宣教神学校の付属チャペルは、規模が大きすぎず、神学校の生徒さんが活動主体。常任の神父さんは5〜6名もいて、半分以上が叙階して間もない30〜40代。とにかく若々しくてフレンドリー。

同じ教会でも、市の中心部にあるサンディエゴ大聖堂ぐらいのレベルだと、完全に権威に満ちたお役所という風情。神父さんは偉そうにしてるし、スタッフの態度もどことなく上から目線。平均年齢もかなり高めで、馴染みにくいんですよね。

そんな神学校でのミサのエンディングは、恒例のブラザーたちによるミニコンサート。タガログ語のクリスマス・スタンダードナンバーや、We wish you a Merry Chrstmas をメドレー。ちっとも固苦しくなくて、ノリノリのパフォーマンス。こういうの大好きです。


手前右でギター弾いてるのは神父さん

そういうわけで、クリスマス当日が過ぎても、まだまだ飾り付けはそのままで、お正月に向けて爆竹やら花火やら、毎晩テンションが上がっていくフィリピンです。







2018年12月24日月曜日

フィリピン「いいこと」あるある


今年は、フィリピンの「あるある」ネタを何度か投稿しました。最初は、日本とフィリピンの気候や文化の違いから生じる、笑えるエピソードのつもりが、前回は、フィリピンdisり大会みたいになってしまった。また、コメントの内容もエスカレートして、フィリピン人への悪口大喜利と勘違いする人まで出てくるし。

なので今日は、反省を込めて「いいこと」あるあるのお話。このブログをずっと読んでいただいてる方ならお分かりのように、本当に私は、ネグロス暮らしを楽しんでるんですよ。私の場合は、単に移住しただけでなく早期退職がセットなので、誰にでもあるあるかどうかは微妙ですけどね。



それでは、まず環境編


夕焼けの美しさに開眼

寒いという感覚を思い出すのに努力が必要

窓からの景色が半分以上緑色

小鳥のさえずりで目覚めるのは詩の世界だけではない

時々、ガラス窓にスズメが激突する音も混じる


もういきなりネグロス(あるいはフィリピンの田舎)限定で申し訳ありません。夕焼けがきれいだなんて、子供の頃は当たり前に感じてたはず。確かにネグロスでは、市街地をちょっと離れると、360度広がった一面のサトウキビ畑なので、空が広いというのはあります。ただ日本での会社勤め時代には、しみじみ空を眺める、心の余裕がなかった。

また小鳥がさえずっていても、時間に追いまくられ過ぎて、意識に上ってこなかったんでしょうね。都会のスズメは、窓ガラスにぶつかるほどバカじゃないけど。

そして特筆すべきはネグロスの緑の豊かさ。景色の半分どころか、裏庭を数ヶ月も放置すれば全面グリーンの密林状態。こちらでは自然の草木は保護するんじゃなくて、時には駆除の対象。蔦が道に蔓延って、車が走れなくなるほどです。



次に、自分自信の感覚の変化について


赤ん坊の泣き声がちっとも気にならない

子供が大好きになった

子供が来るとつい抱っこしようとする

犬猫が可愛いと思える

美人のストライクゾーンが拡大


さすがの人口分布ピラミッド、安定の二等辺三角形を誇るフィリピン。都会も田舎も子供がうじゃうじゃ。若い頃だったら、とても堪えられないと思うほど、実は私は子供嫌いでした。ところが人間、変われば変わるもの。

これほど子供率が高い環境に放りこまれれば、気難しい日本のオっさんでも、子供大好きのティト・フランシスに変貌。子連れで我が家に来た人など、昔は違ったんですよと言っても、信じてもらえないほど。

それと連動するかのように、ずっと犬猫は敬遠していたはずなのに、気がつくと両方飼ってます。毎日の餌やり当番をこなしてると、ペットにまで懐かれてしまいました。

さらには、醤油顔の日本的美人だけしか眼中になかったのが、マレー系、インド系、スペインに中国と、スリムもグラマーもチャビー・ガールも、美人のストライクゾーンが我ながら節操がないほど拡大したのには、苦笑するしかありません。



ネグロス時間は、流れ方がずいぶんと違ってます。


忙しがる人が周囲にいない

「お忙しいところ、すみませんが」と言われると不思議な感じ

朝起きた時の開放感が半端ない

昼寝は人間の本能だと思う

やりたいこと、好きなことしかしなくなった


おそらく、年中暑い気候と無縁ではないと思われる時間の感覚。このクソ暑い中、なにをあくせく働いとんじゃ?という感じなんですよ。第一走ってる人はまず見ない、歩く速度もゆったり。基本的に時間外労働はなく、5分や10分の遅れで大騒ぎする人も少ない。

今、私が一番幸せなのは、朝起きた時。毎朝、会社辞めてフィリピンに移住して、本当に良かったと思ってます。子供を学校に送っていったり、朝ごはん作ったりはあっても、あの寸刻を惜しむ戦場、みたいな状況とは雲泥の差。家事が一段落したら、二度寝も昼寝も好きにできる。生きる上で貴重なのは、お金より時間だと、日々実感しております。



時間だけでなく、羞恥心にも変化が。


寝巻き代わりのシャツ・短パンで、そのまま外出

音楽を聴きながら、窓を開けて大声で歌う

人前でも家内にキス

さらに親戚、妙齢の美女でも大胆ハグ


これって、フィリピンに関係なく単に、歳食って厚かましくなっただけかも。歌については、日本にいたころから大好きで、教会の聖歌隊にいたこともあります。もちろん日本の賃貸マンションでは、歌うにしても小声。それがこっちでは、タガが外れたように爆唱三昧。近所では、昼間っからヘタクソなカラオケ大会やってたりするので、誰も咎めたりしません。

挨拶のハグは、最初はずいぶん躊躇したけれど、今ではすっかり慣れちゃいました。女性とだけでなく、汗臭いオっちゃんでも大丈夫。嫌な相手だったら、最初から挨拶しないし。



気になるお買い物は、


物欲が減退した、特に衣類

安物はできるだけ買わない

ただし買う時は高くても即断即決

食材購入は、貪欲に


服にお金を使わなくなるのは、おそらく女性でもそうじゃないかと思います。やっぱりファッションって、ある程度の量を身につけないと、お金のかけようがない。Tシャツにジーンズで、装身具だけ凝っても意味がないし。サンダル履きじゃ、いくら高価と言っても多寡が知れてます。

雑貨の類にしても、安い=お得、では全然ないフィリピン。どう作ったら、こんなに簡単に壊れるのかと言うぐらい、掛け時計、充電式電灯、調理道具に玩具など、安物はすぐダメになる。

こうなると、どうしても必要なものだけ厳選して、それが少々高くても買う時は買う、となるのは当然ですね。ただ、家内はまだその感覚にはなっていないようで、変なところでケチって、すぐに買い直しをやってますけど。

例外は食材。物欲というより食欲だから、仕方がない。日本製の食材は、売り場にある時に買わないと、一旦品切れになったらなかなか入荷しないものですから。



日本人との付き合いに関しては、


日本語を喋るのが嬉しい

日本人の友達が増えた

しかも年齢、性別、出身地、仕事が見事にバラバラ

その上、若い女性が頻繁に自宅に来てくれる

ついうっかり、フィリピン式にハグしようとして拒否られる


たまに、まとまった量の日本語を喋る機会があると、つい嬉しくなってしまうのは、私に限らないと思います。思いがけなかったのは、仕事を離れ、フィリピンとかネグロスという共通項で括られると、見事なほどに付き合う人の属性が、バラバラになるということ。いかに日本のサラリーマンが、限られた人間関係の中で生きているか、よ〜く分かりました。

特に、英語留学やボランティア関係の人が多く、若い女性と会う機会が増えたのは嬉しい限り。「今時の若いモンは...」なんて誰が言ってるんでしょうね。我が家に来てくれるのは、素直で優秀な若者ばかり。

つい調子に乗って、ハグしようとして嫌がられたこともあったり。やっぱり相手がフィリピン人じゃなかったら、これは立派なセクハラですな。ごめんなさい。



続いて食事関係。


魚を3枚におろせるようになった

クックパッドがどんだけ便利かに気づいた

確実に家族と一緒に、夕食が食べられる

食事は大切なことだと悟った


フィリピンに住み始めて、日本ではあまりやらなかった料理にハマる人が、結構おられるんじゃないかと思います。いくらフィリピンの食文化に順応しても、たまには日本食も欲しくなる。

食材や調味料は、探せばほとんど日本と同じか、近いものが手に入るフィリピン。バカ高い日本食レストランに通わなくても、自炊で再現できる日本の味も多い。かくして、スマホ内で、クックパッドのブックマークがどんどん増えて、魚ぐらいは3枚におろせるようになるわけです。

料理の味だけではなく、晩ご飯を家族みんなで食べることが、どれだけ大切なことか、最近よく分かります。夫婦仲や親子関係、家庭の問題全般は、この習慣が失われたことに起因するケースが多いんじゃないでしょうか。



最後にメイド編。


金で解決する方が簡単だ

何でも自分でやるのは美徳ではない

家事にも経営感覚は生きる

自分は上司、メイドは部下と心得る


メイドを雇うと言うと、主婦 / 主夫の義務を盾にして批判する日本人がたまにいます。子供の世話や料理を任せたって、家族への愛情が減ったりしませんって。そんなの全然関係ない。むしろ、あまり創造的じゃない雑務から解放されて、家族と過ごす時間を持つ方が、よっぽど愛情溢れる行為。

変な感情論を持ち出すより、お金で解決できることは、お金を払えばいい。お金は貯めるのが目的ではなく、有意義に使うためにあるんですから。

またメイドを使う、イコール、全部丸投げにする、では決してない。知り合いに、日本食のレシピを英語で、「少々」とか「適宜」などの曖昧な表現を用いず、この通りやったら初心者でも大丈夫のレベルで、何十枚も書いている人がいます。

そこまでしなくても、明確な指示を出す、信賞必罰を徹底する、プロセスの確認など、部下を持つ経営者の感覚はとても大切。これを続ければ、自然とメイドとの間に信頼関係が築けます。それが理解できない人だったら、さっさとクビにすればいいだけのこと。



ということで、書いてみても「俺だけあるある」と思われる項目が多数。でも見方を変えれば、これに共感いただける人なら、フィリピン田舎暮らしの順応度は高いとも言えます。半分以上「あるある」と思われた方は、いますぐネグロス移住を検討してみてください。


2018年12月23日日曜日

発音コンプレックス


1週間前に投稿した、英語の発音についてのお話。成人してから英会話を始めた日本人が、オックスブリッジ・アクセントを目指しても無意味だとか、話し方より話す内容の方がずっと大事だとか。少々挑発的な書き方だったせいか、英語で苦労したと思われる人から、やや批判的な反響をいただきました。

中には「L」と「R」をちゃんと区別して発音するのは、どの地域の英語とか関係なく重要だと、基礎的なことを指摘する人がいたり。

もちろん、それが間違いだなんて言う気は毛頭なくて、英語として認識されなければ、いくら内容のある話をしてもダメ。私もアメリカの東西海岸主要都市から、中西部のむちゃくちゃ訛りのキツい地域。英国ではロンドンにもウェールズにも滞在し、インド系の営業さんや、アイリッシュの技術者とミーティング。頭が痛くなるほど難しいアクセントにも対処しました。観光じゃないので、逃げ出すわけにいきませんからね。

もし私がロンドン辺りからの帰国子女で、耳も舌も基本ができていれば、頑張ってBBC英語でも習得したかもしれませんけど、所詮は根っからの日本人。しかも、東大阪の父と、大阪市都島区の母の間に生まれた、「超」方言生活者。花登筺&じゃりン子チエ・ワールドの住民なので、日本語すら「きれいな」発音は難しい。

正直に白状しますと、私は強度の発音コンプレックスを持ってました。東京出張では、無理してフラットに喋ろうとしたら、気持ち悪いと言われ、社会人になってから勉強し始めた英会話では、イギリス人の先生に「君の英語は大阪訛りだ」と断じられる始末。日本語も英語も、発音の矯正には、それなりに努力したんですけどねぇ。

そんな私に転機が訪れたのは、20年前の東南アジア諸国長期出張。いきなり最初の滞在地マレーシアが衝撃的でした。地元ではマングリッシュと呼ばれる、中国なのかマレーなのか、とにかく訛りが強すぎて、英語がどうかすら分からないほどの代物。

それでも、なんとか結果を出さないと帰国できないので、相手の言うことの聴き取りも、こっちが喋ることを理解させるのも、大汗かいて悪戦苦闘。慣れというのはすごいもので、数日も得意先巡りをするうちに、ちゃんと会話が成立するようになりました。

私の発音が画期的に変わったわけではなく、勘所を掴んだとしか説明できません。マレーシア人に理解される英語の抑揚とか、強調する発音ポイントなどを体で覚えた感じ。理屈じゃないので、具体的に何をどうやったかを、理詰めで教えられないのが歯がゆいし、今ではすっかり忘れてしまってます。(またクアラルンプールに行けば思い出すかも?)

それ以後は、相手の要望に合わせて試作品を用意し、日本・マレーシア訛り混合の、みっともない英語でプレゼン、のサイクルを繰り返すうちに、現地の販売責任者からの信頼を勝ち得て、ずいぶん仕事がスムーズに。こうした成功体験から、英米式の発音が、海外ビジネスで必須条件だという、思い込みから抜け出すことができました。

前回の投稿で、いい仕事すれば先方が理解しようと耳を傾けてくれる、というのは、そんな経緯から出てきた発言。私の実感そのものです。

そういう下地があったおかげで、フィリピン初渡航時も、言葉に関してだけは(根拠なき)自信満々。1990年代を知る人ならば、その名前を聴き覚えているほどのヒット商品の開発に、携わることができました。ちなみに恋愛でもそれなりの成功を収めて、当時知り合ったフィリピン女性と、今でも一緒に暮しているわけです。

これは比較的最近気づいたことなんですが、外国で生まれ育ち、大人になってから日本に来たのに、日本語がすごく上手い人たち。例えば、私の世代ならば、大阪弁を自在に操ったイーデス・ハンソンさんや、ヒデとロザンナで有名な、ロザンナ・ザンボンさん。一挙に時代が飛んで、最近では、厚切りジェイソンさん。

彼らほどのレベルでも、普通の日本人が聞けば、外国人の英語だと一発で分かってしまう。逆に私からすれば、ネイティブとの違いがまったく分からない、DJやテレビのナレーションでお馴染みの、小林克也さんの英語(米語)が、生粋のアメリカ人なら一瞬でノン・ネイティブだと見破られるそうです。

ことほど左様に、素養のある人がどんなに努力しても、外国語として習得した言葉の発音には限界があるもの。それならば私のような凡人が、限りある人生の時間をそこに使うより、ある程度「道具」として使い物になるレベルに到達したら、自分がその道具で伝えたい内容に磨きをかける方が、意味のある時間なんじゃないでしょうか。

特に、「きれいな」発音を気にするあまり、外国語を話すこと自体に恐れを感じるぐらいなら、発音なんでどうでもいい!と開き直るのも、一つのやり方だと思うんですけどね。