2018年12月12日水曜日

モノへの愛着


昨年5月の一時帰国の際、梅田ロフトで見つけた、しっかりした作りでちょっと洒落た弁当箱。家内用にと買って帰って、それから毎日のように、私が作った弁当を、それに詰めておりました。

昨日ショックなことに、家内が職場で落っことして、カバーをホールドする樹脂の部品が破損。容器自体は何ともないし、ハンカチで包めばまだまだ使えるけれど、やっぱりお気に入りの道具だっただけに、ちょっと落ち込んでおります。


元々工業製品をデザインするという、工業デザイナーの職に就いていた私。作り手の気持ちが感じられるような、出来のいいモノへは、人一倍愛着を持つタイプ。

一時的にモノへの愛着も薄れたことがあります。それは1995年の阪神淡路大震災の時。兵庫県尼崎にあった実家は、屋根や壁の一部に若干の被害が出たものの、幸いにも、住めなくなるようなダメージは無し。それでも揺れは相当なもので、食器棚が盛大にぶっ倒れて、瀬戸物やガラスの食器はほぼ全滅。使えなくなった家電製品も多数。

形あるものは、皆すべて滅ぶとはこの事。しばらくの間は物欲が完全に失せて、何も買う気が起こらなくなりました。ただ、そんな悟りの境地も、ものの半年もすれば元の黙阿弥。気が付いたら、以前よりもたくさんの、食器や家電製品に囲まれる生活に逆戻り。

月日は流れて、フィリピン移住。
本当ならば、日本で買い集めた家具調度類は全部持参したかった。でも、家電製品は電圧が違うし、あまり大きな家具は、新品で買うより運送費の方が高くつく。人に譲れるものは譲り、引き取り手がないモノは、粗大ゴミとして捨てるしかありません。

最後に住んでた福岡市では、ずいぶんと分別が詳細で、燃える物・燃えない物だけではなく、家具の種類でも出せる日が違う。さらに個別に引き取り料金が設定。なんでモノ捨てるだけで、こんなに高くついて面倒なのかと、うんざりしたのを覚えてます。

当日の朝には、前の晩まで使ってた布団一式も処分。自分で捨てたのなんて、生まれて初めてで、まだ体温の残る敷布団を、丸めてゴミ置場に持って行くのは、自分の分身を置き去りにするようで、実に切なかった。

ということで、日通さんの国際サービスでネグロスまで運んだのは、全体の1/4程度。それでも、食器や調理道具、下着などをしまうキャビネットなど、使い慣れたものが手元に戻ると、生活が継続する感じ。これは6年近く経った今でもあって、特に自宅完成後は、まるで日本国内のどこかに住んでいるような気分が抜けません。

そんな愛着のこもった、日本からの持ち込み品の数々。昨日の弁当箱もそうだし、新婚の頃に家内が教会のバザーで買い込んだ、妙に可愛らしい食器をメイドさんに割られたりすると、大げさに言うと、心の一部が欠けたみたい。

感傷的になるだけでなく、フィリピンで同等の品質のモノって、なかなか売ってないんですよね。それ相応の価格の家電製品ならば、大抵は満足できる代替品が見つかっても、食器に調理道具、時計や文房具、サンダルと言った、日本で買えば軽く10年やそこらは保つモノが、2年も経たずにダメになる。これでは半額でも引き合いません。

そのせいなのか、家内にしてもメイドのライラにしても、本当にモノを捨てませんねぇ。先月には、使い古してテフロン加工がハゲハゲになった中華鍋を、ライラが大喜びで持って帰ったり。あるいは、屑屋さんに売るとかなら理解できる。でも、穴の開いたシャツや靴下まで、後生大事に溜め込んでおく目的は何なんでしょう?

放置しておくと、ガレージ奥にある四畳半の物置がオーバーフロー。年に一度ぐらいは、有無を言わさぬ断捨離を行っております。さすがの私も、使えないモノにまでは、愛着は感じませんので。


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