2019年12月31日火曜日

2019年 10大ニュース


ついに2019年も大晦日。年末恒例の「10大ニュース」をお届けします。

今年は、ゲストハウスの着工に始まり、竣工で終わった一年。当ブログを読んで頂いている方には、この話は、少々食傷気味かも知れません。それほど時間もお金も、そして集中力もずいぶんと費やした一大事業。無事に終わってホッとしております。

さて、もちろんそれ以外にもいろいろあった2019年。例によって10位から発表してまいります。


第10位 「ギブアップ『フィリピン主婦 / 主夫の友』」

2週間のお休み



いきなりネガティブなネタで申し訳ありません。昨年、フィリピン在住の友人と一緒に立ち上げた、フェイスブック内のグループ「フィリピン主婦 / 主夫の友」。下ネタ合戦やメンバー同士の諍いで荒れることが多い、既存フィリピン関連グループに嫌気がさし、健全で投稿しやすいコミュニティを目指しておりました。

ところがモデレーターの私が、メンバーと喧嘩になってしまい、いかに自分がグループを管理することに不向きかを、改めて実感。ストレスを無くすために、わざわざフィリピンに移住したのに、これでは本末転倒もいいところ。なので、あっさり退去してしまったという次第。


第9位  「結婚3連発」

新郎新婦はウェディング・プランナー
新郎新婦に親三組


ブログでは取り上げませんでしたが、去年(2018年)の5月まで我が家の住み込みメイドだったネルジーが、今年1月に結婚しておりました。無口で極度の人見知りだったので、実は密かに心配してたんですよ。フェイスブック経由で花嫁姿の写真を見た時は、こっちまで幸せな気持ちになったものです。

それ以外にも同じ1月には、家内がフィリピン大学時代にお世話になった、教授の息子さんが挙式。隣島パナイのイロイロに住む資産家で、お相手もお金持ちの令嬢。ものすごい豪勢なパーティでした。

そして10月、家内の従弟ボンボンの一人息子、ジャッドの結婚式。こちらは、離婚したボンボンの昔の奥さんサラ・ジェーンが、それぞれの後添いを伴っての参加。親が三組の不思議な披露宴。


第8位  「相変わらずのお役所仕事」


運転免許が更新できない
申請図面の発注
申請図面ができました
苛立つ雨季
永住ビザ更新で日帰り弾丸ツアー
ようやく電気引き込み

毎年、どうしても逃げられないのがお役所通い。今年は、前年申請して交付待ちだった運転免許、車のエミッション・テスト(車検)、フィリピンでの永住ビザの更新、そしてゲストハウス建設申請に、水道・電気の敷設。どれも時間・手間・手数料の三拍子揃った面倒な手続きばかり。本当にこれさえなければ、フィリピン暮らしはもっと快適になるんですけどね。

特に電気の引き込み工事に関しては、散々バタバタして数ヶ月。工事完了が、ゲストハウスに最初のお客さまをお迎えする、1週間前という綱渡りでした。


第7位 「今年も描いた美女イラスト」




天使は舞い降りた
ゴースト・イン・ザ・シェル
白いノースリーブ
聖母マリアの青い服
マスター・オブ・キングギドラ
モスラの小美人
ドロンジョさま〜
マイティ・フィリピーナ 再び
可憐な少女 アゲハ
妖鳥シレーヌ

結構サボって、ゆっくりのペースだったように感じてた、フィリピン美女図鑑のイラスト描き。数えてみればアニメや特撮キャラを中心に、10枚もアップしてました。特に反響が大きかったのは、巨乳に仕上げたドロンジョさま。一番のお気に入りは、このドロンジョか最近作の妖鳥シレーヌ。来年は、リクエストがあればお応えしてみようかと、思っております。


第6位  「来し方を振り返る」



本当に驚きました。今年1月、東ネグロスに御自宅を新築しようと、昨年末からハウジングデザインを承っていた、日本人クライアントさん。年明けから連絡がないと思ったら、脳梗塞で急逝。亡くなる10日ほど前にお会いした時はお元気で、よく食べよく喋っておられたのに。

この方だけでなく、私と同い年だった前妻の自殺や、近くに住む日本人の知り合いが命に関わる病の治療のため、止む無く帰国。間違いなく人生の折り返し点を過ぎた私には、自分の来し方を振り返り、考え込んでしまう事が多い1年でした。


第4位  「お隣さんの新築工事」



一足先に隣が着工
やかましい現場
家が出来ても引っ越せない
新築のお隣が床上浸水



我が家の裏庭でのゲストハウス着工に先立つこと約2ヶ月前、お隣さんが自宅の新築工事を開始しました。お隣さんとは仲良くなれそうですが、大工とは揉め事が絶えなかった。

わざわざ私の居室に向けてラジオの大音量、自家用車の出し入れを邪魔するように、公道に砂利を山積み。最初は穏やかに「お願い」してたのが、何度言っても同じことの繰り返しで、最後にはブチ切れて大喧嘩。10月頃にはやっと家屋ができて、問題の大工チームが姿を見せなくなって安堵しました。

ところが建設業者と何やらトラブったようで、いつまで経っても空き家のまま。11月には洪水で床上浸水。その後、フェンス作りで工事が再開しましたが、大晦日になってもまだ完成せず、引っ越しもまだ。もうすぐ着工から1年だと言うのに。


第3位  「相次ぐ自然災害」



やっぱり地震は怖い
踏んだり蹴ったりの日曜日
停電のこと
日本の皆さま、どうかご無事で
スーパー台風ハギビス
居座り台風24号
誕生日に床下浸水
何もしなかった地震大国日本
台風・日蝕・地震

2019年は、フィリピン・日本の両方で災害が多かった。特に東京や関東周辺で、暴風・大雨の被害が大きかったですね。

フィリピンでも各地で台風被害が多発。私たちが住むネグロス島のシライでも、道路の冠水が数回。クリスマス・イブから翌日、フィリピン中部を横断した台風「ウルスラ」は、死者41名、行方不明者12名(12月30日付けの報道)の大惨事となりました。

それだけでなく、ルソンやサマール、ミンダナオの各島で地震が発生。特にミンダナオでは10月以来、死者を出す地震が立て続けです。さらについ数日前には、隣島パナイでもマグニチュード4.8の地震。おかしいなぁ、移住前に、フィリピンは地震が少ないって聞いてた筈なのに。
 

第2位  「ライラの人脈で大助かり」




移住してもうすぐ丸7年、まだまだ「メイドネタ」は尽きませんなぁ。特に我が家の5代目メイドのライラおばさんは、ネタの宝庫。こう見えて実は、お爺さんが旧日本兵だったという日系三世で、中近東への出稼ぎ、離婚も経験。人生波乱万丈の44歳です。

今年は、世話好きで顔の広いライラに、ずいぶんと助けてもらいました。
喘息持ちで、時々通院のために休んでしまうのを気に病んでか、一週間の欠勤の際には、自腹で二十歳の助っ人メイドを連れて来てくれたり、運転手さんを紹介してくれたり。直近では、バンブーハウスの修理のための大工さんの手配まで。

ライラの住む、シライ市内のギンハララン地区は、貧乏な人々がかたまって住んでいます。つまり、仕事が十分になく、安い人件費で働いてくれる人がいっぱい。直接声をかけて雇うのはリスクがあるけど、ライラのように信頼できる仲介人がいれば大丈夫。

やっぱりメイドさんは、若い子よりも、ある程度の人生経験を積んで、情緒もスキルも安定している「おばさん」がいいですね。来年も我が家で、機嫌よく働いてください。


第1位  「ゲストハウス建設」



ゲストハウス関連の投稿一覧

今年の投稿が昨日までで152本、そのうち45本に「ゲストハウス」のタグが付いてます。投稿数では全体の1/3ながら、実感としては、1年の半分以上の時間を、そちらに注ぎ込んだ印象。工期が7ヶ月ですからね。もう、これを1位にしないわけにはいきません。

母屋を建てたのが6年前で、ゲストハウスは総床面積にして母屋の半分。平家でシンプルな造りなので、もっと簡単に済むだろうとの予測してたら、これが見事に大外れ。前回同様、家内の助けは大きかったものの、図面描きも施工の管理も全部自分でやったので、もうクタクタ。

その分、今後のフィリピン暮らしに向けて、かなりの自信にもなりました。やっぱり他人任せにせず、一つのことをやり切るって大きな経験になるもの。もしフィリピンで家を建てたいという日本人がいたら、お金をいただいてお手伝いできると思います。ハウジングデザイン&コンサルタントですね。

思い切った投資となったこのゲストハウスを足がかりに、来年以降、たくさんの素晴らしい出会いがあればと期待しています。



それでは皆さま、良い新年をお迎えくださいませ。


2019年12月30日月曜日

盛況ゲストハウス






裏庭に建てたゲストハウスが完成してから、約1ヶ月が経過しました。有料でお客さんに泊まってもらう目的だったので、驚くことではないのですが、昨日までで、もう4人のゲストを受け入れ。うち1人は一週間のご滞在。意外と需要はあるものなんですね。

何度かこのブログでも書いたように、当初は、フィリピンに移住を検討している方を対象にした、1〜3ヶ月の体験移住というビジネスを考えておりました。もちろん、これは年が明けたら本格的にフェイスブックなどで宣伝を打とうと考えております。

ところが、それより先に、我が家から歩いて10分の、同じ宅地内にある、日本人向け英語学校「アクティ・ラボ」さんからの予約が入りました。最初に書いた1週間のご滞在も、そこの生徒さん。すでに1月の後半から3月半ばまでの、日本の学生さんが冬休み〜春休みの時期には、ほぼ満室。

さらには、駐車スペースや、先日修理して新品同様になったバンブーハウスなどを利用して、マンツーマンの英語レッスンも行いたいとのご要望。ありがたい事です。

やっぱりフィリピンでの英語留学というビジネスが、日本でかなり認知されてきてるんでしょうね。アメリカやオーストラリアなどより近いし安い。また、マニラやセブがもう飽和状態で、大都市に比べるとさらに物価が安く、セキュリティの点でも悪くない地方都市が人気。ネグロス島で言うと、バコロドやドゥマゲテ、あるいは隣島パナイの州都イロイロなど。

つい先日、ゲストハウスに泊まった、セブ在住の私の友達(日本人女性)が、セブでは、日本人母子の親子英語留学が大流行だと教えてくれました。人数が多いもんだから、ママ友コミュニティまで出来てるとのこと。すごいですね。アクティ・ラボでも、親子で勉強する人の話を聞きます。

ちなにみ、1週間滞在したアクティ・ラボの生徒さんに、チェックアウトの朝、軽くヒアリングをしてみました。建物は新しいし、全室エアコン付き、しかもメイドさんが毎日掃除してくれて、洗濯にも対応。快適に過ごしていただける自信はありましたが、一番評価されたのは、洗浄便座付きのトイレとシャワーが清潔だったこと。

そんなの日本では当たり前と思われそうですけど、フィリピンでは、ホテルでもかなりお高い場所でないと、水回りがイマイチ。特に安いペンションなどだと、トイレにペーパーを流せないのが普通。使用済みの紙だけ、別に備えたゴミ箱に捨てないと、詰まってしまう。

それに比べれば、フィリピンの田舎街にいることを忘れてしまいそうな住環境、と言えるかも知れません。私が自分で図面を引いたので、部屋の間取りが、まるっきり日本の賃貸マンションと同じということもあるし。

ということで、早速アクティ・ラボのホームページに、ゲストハウス2号館として、室内の写真を掲載していただきました。(1号館は、開校当初から使用しているレンタルの一軒家)

こうなると、有料の宿泊施設として、シライ市役所に届けを出して、正式なビジネスの許可を貰わないといけません。ゲストハウスの工事が終わって、ゆっくりするつもりが、2020年は、思ったより多忙な年になりそうです。


2019年12月27日金曜日

台風・日蝕・地震


被害が大きかったパナイ島イロイロ州
出典:ABS-CBS

前回は、クリスマスにフィリピン中部を直撃した、29号台風ウルスラ(フィリピン名)についての投稿でした。その後の報道で、私の想像をはるかに超える被害が出ていたとのこと。

12月27日付まにら新聞の記事によると、私たちが住むネグロスの隣島パナイのイロイロ州や、レイテ、サマールを中心に、死者28名、行方不明者17名、負傷者100名超。我が家の周辺では、風雨は強かったとは言え、家屋倒壊や人的被害が出るほどではなかったので、ここまでの大惨事になっているとは、思いもしませんでした。

ABS-CBNによると、フランシスコ・ローマ教皇が、被災者のために祈りを捧げられたそうです。

そんな大災害が重なった今年のクリスマス。その翌日12月26日に、フィリピンと日本を含む、ほぼアジア全域と、アフリカやオセアニアの一部にまたがる広い範囲で、日蝕が観測されました。特にフィリピン南部のミンダナオでは、太陽がリング状に見える金環蝕。ここネグロスでも、午後2時過ぎ(フィリピン時間)には、8割近くが欠けるまでに。

クリスマス休暇で、家内も息子も家にいて、台風一過の好天にも恵まれた真夏日の昼下がり。以前、日本で日蝕があった時に購入した、ソーラー・オペラグラスを使って、みんなで日蝕観測。


ずいぶんと細くなった太陽ですが、思ったほど暗くならないものなんですね。言われなければ、太陽が欠けてるなんて分からないぐらい。昔のテレビ番組で見た、完全に太陽が隠れる皆既日蝕。星が瞬くほど暗くなり、地平線の近くだけが薄明るいという映像の印象が強かったので、ちょっと期待してたんですが。

さて、穏やかな1日が終わり、クリスマス向け料理の残りで夕食を済ませて、2階の寝室でリラックスしていた夜8時過ぎ。ユサユサとベッドが揺れてる。気のせいかなと思う程度の揺れなので、おそらく震度1ぐらい。揺れはすぐに収まりました。

階下のリビングにいた家内と息子。クリスマスツリーが揺れたので、すぐに気付いたものの、二人とも日本に住んでいたせいか、驚いた様子もない。通いのメイドさんは帰った後で、もしその場にいたら大騒ぎしてたかも知れません。

震源はネグロスの隣島パナイのイロイロ州。何と台風ウルスラで一番被害が大きかった場所の一つで、まだ電気も復旧していない。マグニチュード4.8なので、大地震というわけではないけれど、台風直後でしかも真っ暗闇。地震慣れしていない人々は、さぞ恐ろしかったことでしょう。

こんな具合に、そう度々は起こらない事象が3連発となると、それらを関連付けてしまいたくなるのも人情。ネットで調べてみたら、案の定、金環蝕の前後に大地震が起こると、何の根拠もなく煽っている投稿がちらほら。

フィリピンも日本も、災害が多かった2019年。来年は、静かな年になってほしいものです。


2019年12月26日木曜日

台風直撃のクリスマス


フィリピン・ネグロス島に移住してから7回目のクリスマス。今年(2019年)は、何とイブからクリスマスにかけての時間帯に、29号台風「ウルスラ」(フィリピン名)が直撃。

熱帯地方だし、今までも12月に台風が接近することはありましたが、自分たちの住む場所で、ここまでピンポイントの、ジャストオンタイムというのは初めてです。今回は、本当にちょうどクリスマスなので、ネット上で日本語の報道がありました。日本在住の方でも、ご存知だったかも知れません。

コースだけの話をすれば、2013年にフィリピン中部のビサヤ地方を中心に、史上最悪の被害をもたらした、スーパー台風ヨランダと酷似。ただ、勢力はそれほどでもなく、ここシライ市の平野部では、風雨とも特筆すべきレベルではなかった。

それでも、ネグロス島への最接近が、まさにイブの宵に重なったので、とうとう今年はクリスマス・ミサに参加せず。後から思えば、行って行けないことはなかったけれど、雨脚が強まって道路が冠水したら帰れなくなるので、敢えてリスクは取りませんでした。

日本と違って、こういう時に無理をする人の少ないフィリピン。おそらく、台風の進路にあたった地域では、今年はミサに与る人が、かなり少なかったんじゃないかと思われます。

さて、イブ当日。何とまるで台風の接近に合わせたかのように、ゲストハウスへのお客さんがお一人。幸いマニラからのフライトは遅延もなく飛んで、定刻より少し早めに、最寄りのシライ・バコロド国際空港に着陸。これが午後1時過ぎ。

早朝の日差しは、この時間にはすっかり厚い雲に隠されていたものの、まだ雨は降っていませんでした。当初の予報よりウルスラが速度の鈍ったらしい。これは何とかミサは大丈夫かなと思ったものです。

お客さんのお迎えを終えて、クリスマス・ディナーの準備。エビをたくさん使った炊き込みご飯や、お祝いの定番スパゲティ・ミートソースなどなど。下準備を終えた夕刻4時前には、やっぱり降り出しました。この時点で、用心してミサ欠席を決定。神さま、ごめんなさい。


ミサが始まる夜8時には、それほどでもありませんでしが、終了時刻の11時頃になると、かなりの土砂降り。道路の冠水はなくても、もし出かけていたら帰路はかなり難渋したでしょう。


そして一夜明けて、12月25日の朝。先月の洪水に比べれば軽微ながら、やっぱり家の前の道路が一部水浸し。前日到着の方とは別に、数日前から近所の英語学校に通うために、ゲストハウスに宿泊されていたお客さんを、車で学校まで送っていくことに。本来なら、歩いて行ける距離なんですけどね。


結局、台風の影響はクリスマス当日一杯残り、日差しが戻ったのは26日の朝。我が家の近所では、この程度で済みましたが、台風が最初に上陸したサマールなどでは、建物に被害が出たり、フェリーやフライトが軒並み欠航。クリスマス休暇の帰省客が、大勢足止めを食らったそうです。

ということで2019年は、今までと全然違った意味で、記憶に残るクリスマスとなってしまいました。


2019年12月23日月曜日

バンブーハウスの大修理

「まだ残ってたんか?」というぐらい引っ張り続けている、裏庭のゲストハウス建設に伴う作業。クリスマスまで一週間という土壇場になって、ようやく最後のアイテム、バンブーハウスの修理が終わりました。

バンブーハウスとは、名前の通り、竹で作った小さな家。広さは三畳分ぐらいでしょうか。ちゃんと床もあり、屋根は茅葺。日本のものとは違う種類かもしれませんが、フィリピンにも千萱(ちがや / Cogon )が自生してるんですよ。

これは、母屋を建て始めた6年前に購入したもの。完成品をトラックに積んで、裏庭に人力で据付けたという代物。クレーンも何もなしに、10名ぐらいの人夫さんが「エンヤコラ」と人力で下ろしてくれました。





相当しっかりした造りで、熱帯の強烈な日差しも、滝のような豪雨でも大丈夫ですが、さすがに竹と茅。3年に一度ぐらいは手入れが必要です。具体的には竹材にはニス塗り、茅の屋根は葺き替え。

実はゲストハウスを着工した今年(2019年)4月頃には、茅がかなりずり落ちていて、隙間からは雨漏りする状態。一時は鶏舎にもなっていたので、床にはこびり付いた鶏糞だらけ。大掃除して、工事中は大工さんの休憩所になっていました。

当初は、購入したお店に修理を頼むつもりでしたが、メイドのライラが、ご近所さんに修理できる大工さんがいると言うので、そちらに頼むことに。

やって来たのは、大工の旦那さんと、以前、ゲストハウスの大掃除に来てくれた奥さん、そして12歳の男の子ボージ、10歳の女の子ダカ。子供二人はクリスマス休みに入ったそうで、材料の茅を運んだり、掃除をしたりの大活躍。お昼休みに、おにぎりを作ってあげたら、家族全員大喜びで頬張ってました。







ダカとボージ兄妹

ライラから聞いたところ、旦那さんが大酒飲みで、せっかく稼いだお金もアルコールに化けてしまうらしい。なので、すごく小さな家に住んでいる。何と、今回修理してもらったバンブーハウスよりも狭い場所に、家族四人が寝起きしてるというから驚き。

案の定、旦那さんは英語が全然ダメ。つまり小学校をギリギリで卒業したけれど、中・高等教育には縁がない。こうなると子供にも教育を受けさせることができず、下手すると女の子の場合、16、7歳で妊娠するケースも多い。巷で言われる「貧困の連鎖」をリアルで見る思いです。

それでも、見た感じは仲のいい家族で、笑顔もいっぱい。少なくとも不幸な印象は全然ありません。こういう姿を見た、日本からの観光客や短期間滞在者は「貧乏でも幸せなフィリピン人」みたいなステレオタイプを量産するんでしょうね。

実際には、子供が病気にでもなったら、薬も買えないし医者にも診せられない。救えるはずの幼い命が、たくさん失われているのが、フィリピンの現実。

と、感傷的になっている間も無く、バンブーハウスの修理は二日で完了。ニスを塗った竹は購入時の光沢を取り戻し、真新しい茅葺屋根も、散髪したての男前。照明を入れて、テーブルを置けば、来客時のカフェテラスには最適の空間。ハンモックでも吊るせば、昼寝もできます。




ということで、翌週から泊まり客を受け入れる予定のゲストハウス。タイミング良く作業が完了しました。


2019年12月20日金曜日

国際感覚の無い国


ずいぶん以前から、その酷いやり方が指摘されている、日本の入国管理局。断片的な記事による情報だけでも、裁判なしで何年にも及ぶ無期限の「収容」という名の監禁、家族や弁護士への面会拒否、体調不良を訴えても医師の診察・治療を受けさせない等々。

ネットでちょっと検索しただけで、その非人道ぶりを糾弾する記事や投稿がズラリと並んでます。例えば、今年(2019年)1月付けで関東弁護士会連合会が、その実態を告発した「入国管理局による外国人収容問題に関する意見書」をご一読いただきたい。

まるで戦前か戦時中の特高(特別高等警察)かと、疑ってしまうような内容ながら、これは紛れもなく21世紀の日本。それも公的な政府機関による仕打ち。自殺者まで出ているという、恐るべき人権蹂躙。

そして数日前に投稿された、同じく入管に3年間も収容されているという、在日フィリピン女性の記事。(入管により3年以上引き離され続ける母と娘。果たして、ここまでやる必要があるのか

フィリピーナを妻とする日本人の私にすれば、これはまったく他人事ではありません。来年、オリンピックを開催しようという国とは到底思えない。さすがに国会でも採り上げられて、法務大臣が対応を明言したとのことなので、今後の展開に期待します。

ただ、日本の実態は、日本人が思っている以上に、海外の知識人には知れ渡っていることを肝に銘じるべきでしょう。私の住むフィリピンでは、今でも若者たちを中心に日本への憧れを語る人は多いけれど、少しは物の分かった大学生辺りになると、だいぶ日本の金メッキが剥がれている感じ。

隣島パナイに住む家内の親友、その一人娘のゼニアは、アニメやJ-Popなどを愛好する、典型的日本大好き少女でした。医学系の学校に進学し、一時期は看護師として日本で働きたいと頑張ってましたが、最近は、フィリピン国内でドクターの道へ。もうインターン(研修医)なので、夢の段階ではありません。

いくら日本のアニメが好きでも、日本で看護の仕事へ就くための努力と就労後の待遇が、全然釣り合わないことに気づいたんでしょうね。高度な医学知識プラス、完璧な日本語ができるような人材なら、わざわざ、給料は安いのに、過労死(フィリピンでもKaroshi の意味は知られています)のリスクまである日本で働かなくても、いくらでも仕事はある。

ドクターになろうかという優秀な彼女なら尚更で、同じ海外でも、アメリカやシンガポールなどへ行く方が、言葉の壁もないしお金は稼げるし、よっぽどリーズナブル。

以前にも少し書いた通り、ネット経由で海外のメディア、BBCやCNN、ニューズウィークなど閲覧していると、かなり日本の政治や経済、人権に関する事件などが報じられています。

最近では、ラグビー ・ワールドカップについては当然として、ローマ教皇訪日や台風被害、アフガニスタンでの中村医師の殺害。長引く日韓の関係悪化も、その歴史的背景も含めて、継続的に記事になっているし、高齢者の運転による重大事故や現政権への疑惑の数々、そして相対的貧困の拡大。

直近だと、ジャーナリストの伊藤詩織さんがレイプ被害を訴えた裁判での勝訴。特にBBCは、事件発覚直後から、独自にドキュメンタリーを制作するなど、詳細に至るまで報道しており、日本の大手メディアがほぼ黙殺していた状況と対照的。

当然、元の記事は英語で執筆されているものが多いので、日本に関心のある海外の人たちは、日本での政局・人権・報道の自由について、生半可な日本人より、よく知っていると思われます。そしてかつては日本で働こうとしてたゼニアのように、日本に幻滅するケースもあるでしょう。

それ以外にも、有名なお笑い芸人が、黒人を真似た黒塗りをしたり、あからさまに同性愛者を見下したギャグを演じたりするのは、国際感覚が無さすぎ。インターネットでは、投稿された写真に注目が集まれば、一瞬にして世界規模の炎上になる怖さを、全然理解してない人が多すぎる。それを批判した在日外国人に対しては「嫌なら日本から出て行け」との暴言が集中して、恥の上塗りまでする始末。

個人が海外に出る気がなくても、海外からの労働力に頼らないと、国そのものがやって行けない時代。外国人労働者の搾取や虐待などの直接的な問題だけでなく、間接的に日本のイメージを落とす行為が続けば、たとえ特別な技能者じゃなくても、いずれ日本は敬遠されるでしょう。

外国からの労働力も投資も、厳しい国際競争の中にある現在。それをちっとも理解せず、昭和の意識のまま「日本えらい」「日本すごい」で、頭の中を凍結させている人々が、日本を亡国へ導いている気がしてなりません。


2019年12月18日水曜日

水回りが暮らしの質を決める

やたらと水回りに関する話ばかり書いている、このブログ。フィリピンでの暮らしって、突き詰めて行くと、水といかに上手に関わるかで、その質が決まってしまうような気がします。

まず暮らしの中で、一番量の多い水と言えば雨。
例えば東京の年間降水量が約1,500ミリなのに対して、マニラでは2,000ミリ以上。ざっと1.3倍。年間降水日数は、東京の約30日、マニラで約140日。それも、屋内で人の話し声が聴こえないような土砂降りだと思うと、1時間ぐらいで止むといった極端さから、感覚的には、もっと雨量が多い気がします。

さらに、排水インフラが未整備で洪水が多発。雨量の差以上に、水害被害が大きい。これはマニラ首都圏に限らず、フィリピンのどの街も抱える問題。

とは言え、街中どこでも同じではなく、川沿いや低地はちょっとの雨で水浸しで、高台ならば大丈夫。宅地を買ったり借家を探す時には、洪水になりやすい場所かどうかの確認が必須。

マニラ近郊に家を購入した私の友人(日本人)に、2009年の台風オンドイによる河川氾濫で、たくさんの家財道具を失った人がいます。その惨状をご本人から直接伺って、ネグロスに建てた自宅の設計に、大いに役立てました。つまり、2階床面積を拡大して、いざという時に備えて、家具の避難場所を確保したわけです。

そこまで大変なことにならなくても、重要なのが屋根。
こんなに雨が多い地域なのに、意外と貧弱な屋根の家が多いフィリピン。まず、日本ではお馴染みの粘土を焼やいて作った本瓦は、一般の住宅では滅多に見ません。だいたいがステンレスをプレス加工した金属瓦。さらに多いのが、ただの波板トタン屋根。

一概にトタンだから安物でダメとも言えなくて、二重に噴いたり、棟や谷をきちんとカバーして錆止め塗装すれば、それなりの耐久性はあります。しかし所詮はトタンなので、10年もすれば錆びが浮いてくるし、雨漏りもする。また、かなり大きな家でも、雨樋を設けないケースがあるのは驚きます。

我が家の場合、専門メーカーに発注した金属瓦。竣工後6年経過して、雨樋に落ち葉が溜まったことが原因で、腐食して修理はありましたが、それ以外は一度も雨漏りはしてません。多少お金がかかっても、屋根だけはちゃんとした業者に任せることが大事。

そして最後が水道関連。
建材全般が、イマイチの品質なので、自分で蛇口やシャワーなどの部品を選んでも、物によっては数年で破損することがあります。そんな水回りトラブルは、どうしても起こってしまうと心得て、信頼の置ける配管工を見つけておくこと。

また、できることなら、トイレやシャワー、浴室はできるだけ広くしておくことを、強くお勧めします。設計・施工を現地の人に任せると、どうしてもCR(コンフォート・ルーム、フィリピンでのシャワー・トイレスペースの名称)は、必要最小限の狭い空間にしてしまいがち。

そんなフィリピン的な常識を無視して、今回のゲストハウス増設では、バスタブを置くだけでなく、広さ半坪強の洗い場を作ってもらいました。日本人にとって、湯船に浸かることが入浴での最重要ポイントなのは言うまでもなく、この座って身体を洗えるスペースが思った以上に大切。

私など、お湯に入らなくても、ただシャワーを浴びるだけに、ゲストハウスの浴室を使ってます。何でもないことのようですが、座って足の裏を洗っていると、それだけでかなりリラックス。気持ちもゆったりしてくるから不思議。





広さ+採光で、快適な浴室

ということで、これからフィリピンで生活を始めようと考えている方々へ。水に関する事柄は、些細なことでも他人任せにしたり、地元の人の意見だからと鵜呑みにせず、納得がいくまで検討してください。


2019年12月15日日曜日

ネット回線が足りない

11月22日に竣工したはずなのに、電話線がまだだったゲストハウス。電気の引き込み工事終了直後、隣街のバコロドにあるグローブ(フィリピン第2の通信会社)で、新規の申し込みをしたのが、2週間前の土曜日。すぐに伺いますと、調子の良い返事をしたくせに、待てど暮らせど音沙汰なし。

一週間して、もう一度同じ窓口に行ったら、私たちの住むサブディビジョン(宅地)用の回線はもう一杯で、新規受付ができないとのこと。それやったら、すぐに連絡せんか〜い。こっちから聞きに行くまで放ったらかしって、どういうこっちゃ〜。

とブチキレても、屁の突っ張りにもならないのが、フィリピンの公共サービス。最近では、そんなことに怒るだけ無駄だと悟っているので、すぐにもう一つの通信会社、フィリピン最大手のPLDT(フィリピン長距離通信)の窓口へ。

ところがこちらも同じような感じ。作業員が現場に行かないと分からないので、一週間から十日ぐらい待ってほしい。う〜ん、これはダメっぽい。それならばと考えたのが、ルーターの増設。

実は、この手は既に実施済み。中途半端に広い我が家なので、2階に設置した通信会社支給のモデムだけでは、1階の子供部屋や客間までシグナルが届かない。それを補うために1ヶ月ほど前に購入した、ワイヤレスタイプのルーター。

当初は、これを使ってゲストハウスまでカバーできるかと試しました。結果、届かなくはないけれど、シグナルが弱すぎて使い勝手がとても悪い。YouTubeを視聴しても、ブチブチ途切れる。ただ、もっと大きくて、遠くまで届きそうなのがあったはず。それを買ったら何とかなるかも。

ということで、やって来たのがIT関連の専門店オクタゴン(Octagon)。日本ならば、差し詰めソフマップに相当するようなお店。フィリピン全土にチェーン店があって、バコロドだけでも3店舗あります。家内のパソコンや私のプリンターもここで調達。

さて、店員さんの説明によると、高い機種になってもシグナルの届く範囲は同じで、通信スピードが速くなるとのこと。まだ光ケーブルが来ていないシライなので、それはまったくの猫に小判。でも考えてみたら、ワイヤレスに拘らず、LANケーブルで繋げばいい。

そう気付いて購入したのが、900ペソ(約2,000円)の増設用ルーター。これをモデムに直結して、そこから通常のWiFiでネット接続するわけです。なんだかひと昔前のやり方ですが、回線が無いと言われれば仕方ありません。さらにLANケーブルを20メートル。

帰宅後さっそく、母屋の2階から隣のゲストハウスまで、延々とケーブルを繋いで試してみたところ、何の問題もなくインターネットが使えました。最初からこうすれば良かった。



新しく買ったルーター







2階にあるモデム

そして、今度は配線工のサルディを待つこと一週間。あちこちで新築ラッシュのネグロス島なので、信用できる大工や職人は、なかなか捕まらないんですよ。

作業内容はシンプルで、ドリルで外壁に穴を開けてケーブルを通し、ゲストハウスの屋根裏を経由で増設ルータへ。2時間もしないうちに工事完了です。20メートルのケーブルは、まるで測ったかの如く、過不足なしに収まりました。


作業中のサルディ
「海坊主」みたいな巨漢




なんだかんだと手間取ったものの、結果的には新規の通信費用、月1,300ペソ(約3,000円弱)を払う必要がなくなり、私も家内も一安心。工事の前日にやってきたPLDTの担当者には「お前の会社に払う金はないわ〜い」と言いたい気持ちをぐっと抑えて、「悪いけど、キャンセルすることにしました。」と丁重にお断り。

それにしても、今もすごい勢いで新しい住宅が建設中の、私たちの住むサブディビジョン。どの家も、電話やネットが使えないということなんですね。PLDTでは、これから回線を増やすとは言ってましたが、何ヶ月先になることやら。

景気の良さに、インフラ整備が追いついていない、フィリピンの現状を垣間見た、この二週間でした。


2019年12月13日金曜日

何もしなかった地震大国日本



先週(2019年12/4〜12/8)日本では、NHKスペシャル「パラレル東京」という、日本の首都圏で直下型大地震が発生したという想定のドラマが、4日間に渡って放送され、大きな反響があったそうです。SNS経由で予告編が共有されたり、番組に関する記事がニュースサイトで多数投稿。

ネットでの評判によると、被害の映像がリアルすぎて吐き気がしたとか、ここまで深刻な内容を地上波の総合テレビで放送した、NHKの英断への称賛など、概ね高い評価。

ネグロス島の我が家では、日本語のNHKはケーブルテレビの契約に入っていないので、フィリピン国内で同時期に視聴できたのかどうかは分かりませんが、翌日にはYouTubeに上がっていました。

そこまでの評判なら、これは見ないわけにはいかないと、パソコン画面で鑑賞。放送時刻と、架空の地震発生時間をシンクロさせ、NHKお得意の分かりやすい映像表現で、実際に東京周辺に大地震があったら何が起こるかを、視聴者に実感させるという点では、大成功と言っていいでしょう。

確かに、被害が想定される場所に、家族と一緒に住んでる人なら、吐き気...とまでは行かなくても、背筋が凍る思いだったと思います。

ただ、これを見てヤバいと思ったとしても、現実問題として何ができるかとなると、少々疑問。1995年の阪神淡路大震災を経験した者としては、地震発生がいつで、その時自分がどこにいるかで、生死の運命はほぼ決まると思うのが、正直なところ。

あの時は、たまたま地震発生が通勤ラッシュ前の早朝5時台。3連休明けだったので、もし7時とか8時だったら、おそらく多くの人が混雑する電車内や駅構内にいたはず。当時も言われていたように、その数時間の差で、死傷者数は何倍にもなっていたでしょう。今頃私は、フィリピンに移住どころか、兵庫県内のどこかのお墓の中だったかも知れません。

私の実家は、倒壊こそしなかったものの、重たい本棚・食器棚が軒並みぶっ倒れて、もし下敷きになっていたら、死なないまでも大怪我は間違いなし。実際に多くの方が、それが原因で亡くなっています。私と家族が無事だったのは、偶然以外の何でもない。

人口がざっと300万人程度だった、阪神大震災の被災地域でもそうなのですから、その10倍以上の人口3,800万の首都圏が同程度の地震に見舞われれば、個人や町内レベルでどんなに防災活動をしても、劇的な効果は望めないでしょう。

率直なところ、ドラマの出来云々より、テーマ自体に関しては、今頃何を言うてんねんと感じ。番組で紹介されていた「群衆雪崩」や大火災で発生する「火災旋風」など、呼び名は多少違っても、今まで何度も映像化や書籍化されたものばかり。

最も有名なものは、私の敬愛する小松左京さんが、半世紀も前に書かれた「日本沈没」。これを機会に、フィリピンにまで持ってきたこのSF小説の「第二次関東大震災」の箇所を読み返してみました。

さすがに、携帯電話の広域障害はありませんが、地震発生時が冬場の夕刻という設定は同じだし、被害のアウトラインはよく似ている。地下街でパニックになった人々が折り重なって多数圧死、大火災が都内各所で同時に発生。つまり、パラレル東京で描かれた状況は、1970年代初頭にはかなり予測可能だったわけです。

要するに、この50年間。あるいは、堺屋太一さんが「遷都」を論じた、1980年代以来の30年間としても、日本は、首都を襲うであろう直下型地震に対して、抜本的な対策は何も講じてこなかった。何もしないどころか、東京への一極集中は、21世紀に入ってもまったく止まる気配もありません。

「明日、起こるかも知れない」なんて口では言っても、おそらく心底そう考えている首都圏住民は少数派。そうでなければ遠の昔に大勢の人が、地方に移住しているでしょう。

冗談ではなく、私が今ネグロス島に住んでいる理由の一つには、日本に比べると地震が少ないということがあります。台風被害や治安の悪さはあっても、大地震の予測のできなさ、被害の防げなさに比べれば、まだ何とかできる。

兎角、後進国扱いされるフィリピンですが、連邦制を導入して、行き過ぎた首都圏への一極集中を防ぐという点では、日本より現実を直視している。実現には至っていないものの、剛腕大統領ドゥテルテさんの公約の目玉。少なくとも、日本ではすっかり忘れられた(としか思えない)「道州制」「遷都」の議論に比べれば、本気度が段違い。

ということでせっかくNHKが、わざわざ東京オリンピックの開催直前にぶち上げた渾身の問題提起。結局今まで同様、せいぜい対処療法的な政策が小出しに講じられるだけで、終わっちゃうんでしょうね。


2019年12月10日火曜日

またも水難

過去の投稿を紐解いてみると、「水難」をテーマに4本ぐらい書いてました。ここで言う水難とは、洪水などによる水害ではなく水漏りのこと。

母屋が完成してしばらくの、5年前ぐらいまでは雨漏り。2階のベランダは、当初、屋根のないオープンな設計。ところが防水工事が全然ダメで、階下の玄関や子供部屋に雨がダダ漏り。広さ30畳分にも及ぶ大屋根を増設して、この水難とはサヨウナラ。(2階ベランダのリノベーション

それ以降は、新築時に購入した洗面台やシャワーブースが、大ハズレの不良品だったことによる、水漏れ対応。こちらは小規模リノベを繰り返すことで、何とか凌ぎました。(シャワールーム・リノベ大作戦

しばらくは、大丈夫だったのが、またもやあちこちにガタが出始めた今年(2019年)。雨樋の腐食でベランダへの派手な雨漏り。たまたま同時期にゲストハウスを建て始めた頃だったので、新築の屋根を発注した業者に修理を依頼。これだけでも結構な出費に。(やっと終わった屋根修理

そして今年2度目の水難は、例の洗浄便座の設置に伴って起こりました。と言っても、洗浄便座の品質が問題だったのではなく、その取り付けを頼んだ大工さんが「やらかした」失敗。

試験的にゲストハウスに導入した、アメリカン・スタンダード製の洗浄便座。(快感、洗浄便座)これがとても良かったので、母屋にある2つのトイレ用に追加購入したのが、先週の土曜日。新規に雇ったドライバーに運転してもらい、隣街のタリサイ市にあるホームデポのウィルコンに行ってきました。

まだ売ってるか、品切れしてないかとの心配はまったくの杞憂で、トイレタリー商品の売り場では、洗浄便座の大キャンペーン状態。ずらりと並んだアメリカン・スタンダードの商品だけでなく、18,000ペソ(約40,000円)という、日本のウォシュレットと同じく、温水、温風乾燥機能など備えた高額機種も。



”スパレット”という呼称で商品訴求


まだまだ庶民に行き渡るまでは、時間がかかりそうですが、元々、排便後に水洗いするカルチャーを持つフィリピン。おそらく価格が下がれば、使ってみようと思う人は多いでしょう。

さてこれでトイレが一段と快適になると喜んだのも束の間、翌日の日曜日に来てもらった、大工のリトとリーボイ。やたら取り付けに時間がかかってると思ったら、2階トイレで元栓パイプと便器をつなぐ、樹脂のコネクター部分を壊してしまったようで、ジワジワと水漏れが止まらない。

日曜日なので、新しい部品を買うにも、店が開いてない。仕方がないので、月曜日の朝に再工事となりました。その上、水を止める時に、関係のないバルブをいじってしまい、使っていない水タンクに注水。いつまで経っても加圧ポンプが動きっぱなし。それに気づいてバルブを閉めたら、今度は家中の水圧が下がってしまった。

水圧が足りないので、せっかくの洗浄便座は使えないし、シャワーもダメ。まったく何やってんだか。やっぱり専門外の大工さんじゃなく、配管工に頼めばよかった。

翌日、約束通り朝8時に来てくれたリーボイ君。防水テープぐらいではラチが開かず。結局周囲のタイルをカチ割って、大穴を開けてコネクターの交換。水漏れは何とかなりました。


ところが、加圧タンクは空っぽになっているのに、ポンプが動かないので、やっぱり水圧は上がらない。大工さんが3人ぐらい寄ってきて、ワイワイガヤガヤやってるけど、所詮は専門知識のない烏合の衆。勤務中の家内に電話して、職場にいる配管工の人に、終業後に来てもらうことに。

家内が勤務する、フィリピン教育省の地方事務所。教師のサポートやカリキュラム作りだけでなく、田舎の小さな学校で、電気や水道メンテナンスの面倒も見ているんでしょうね。配線、配管関係のエンジニアも雇っている。来てもらったのは、そのうちの一人。実は以前にも、ポンプの修理を頼んだことがあり、私も顔見知り。

夕方、暗くなってから来てくれたエンジニアによると、ポンプ自体ではなく、タンクの水圧を感知してポンプの自動オンオフをする部品が、ダメになっているとのこと。手動でポンプを動かして、明日、新しい部品と交換するまで保たせることになりました。やれやれ。

ということで、今年も最後まで、「水難」に追われることになってしまいました。


2019年12月9日月曜日

声優さんの訃報に思う


フィリピンでも若年層を中心に人気の日本製アニメ。フェイスブックで、若いフィリピンの友達のプロフィール写真を見ると、日本のアニメキャラか、韓流ポップス・映画のスターというパターンも多い。

おそらく、私を含む昭和30年代生まれの日本人は、物心ついた時に既にテレビがあって、連日のようにアニメが放映されていた最初の世代。母によると、2歳の私は、日本初のテレビアニメ(当時は「テレビまんが」と呼ばれていました)「鉄腕アトム」の主題歌を「でんで〜ん、あと〜む〜」と歌っていたそうです。

つまり、日本でのアニメの発展と共に育ったようなもの。「巨人の星」でプロ野球に憧れ、「サスケ」「忍風カムイ外伝」を見て忍者ごっこ。「マジンガーZ」が流行れば、親に「超合金」の玩具をねだったり。

「ガッチャマン」を始めとするタツノコ作品には大ハマりして、「ふしぎなメルモ」で性に目覚め、「宇宙戦艦ヤマト」でハードSFの世界を知ったという具合。その他にも最初の「機動戦士ガンダム」は、たまたまリアルタイムで放送第1回を見て、衝撃を受けました。

私にとって、キャラクターを演じる声優さんは、ヒーローであり恋人、時には親友だったり、家族の一員にすら匹敵するほど近しい存在。ちょっと大袈裟に言うと、人生の伴走者。

ところが最近立て続けに、声優の方々の訃報が。

2013年/納谷悟朗さん(銭形警部、沖田艦長)、内海賢二さん(ブライキング・ボス、則巻千兵衛)

2014年/永井一郎さん(磯野波平、佐渡酒造、ダイス艦長、錯乱坊、小鉄)、仲村秀生さん(力石徹、島大介)

2015年/大塚周夫さん(ねずみ男、石川五エ門)、熊倉一雄さん(ヒゲオヤジ、ゲゲゲの鬼太郎・主題歌)

2016年/大平透さん(宇宙の帝王ゴア、ハクション大魔王、南部博士、喪黒福造)、肝付兼太さん(ジャングル黒べえ、ギャートルズの父ちゃん、銀河鉄道999車掌)

2018年/藤田淑子さん(一休さん、マライヒ)、麻生美代子さん(磯野フネ、ロッテンマイヤー)

2019年/白石冬美さん(星明子、サイボーグ001、ミライ・ヤシマ、パタリロ)

()内は、私にとって印象深い役

私がフィリピンに移住してからだけでも、お馴染みの声優さんが、こんなにたくさん鬼籍に入っています。そしてつい先月(2019年11月)、ルパン三世の第2シリーズ以降の石川五エ門や、巨人の星の花形満、キャプテン・ハーロックなどを演じた、井上真樹夫さんが亡くなりました。

この他には、ルパン三世役で有名な山田康雄さんと、タイガーマスクの伊達直人、侍ジャイアンツの番場蛮、宇宙戦艦ヤマトの古代進などで知られる富山敬さん。(二人とも1995年逝去)

こうして書き並べてみると、本当に溜息が出る思いですね。

どの声優さんも、草創期から日本のアニメを支えたパイオニアばかり。今回、この投稿を書くに当たって調べたら、戦前の中国や旧満洲ご出身の方もちらほら。考えてみると、私の親の世代。

声優さんの場合、テレビや映画でお姿を見ないことが多く、声だけでは年齢がよくわからない。中には、観る人の夢を壊したくないと、敢えてカメラの前には出ないことを信条にする、峰不二子役の増山江威子さん(ご存命)のような方もおられる。

私が子供の頃から活躍されているんだから、もう相当な年齢になっているのは当然。それでも突然の訃報に接すると、その役のキャラクターも一緒に死んでしまったかのように錯覚して、ショックも大きい。

井上真樹夫さんが亡くなった時、ルパン三世の次元大介役で共演の小林清志さんが、「残されたのは不二子ちゃんと次元の二人になっちまった」とコメント。そうなんですよ。こうなると私も、自分の年齢についてしみじみ考えてしまいます。


2019年12月8日日曜日

運転手・メイド・セラピスト


前回に続いて、個人で運転手を雇ったお話。

メイドのライラに紹介してもらった、57歳の運転手ナルシソおじさん。約束は土曜日朝の10時だったけど、15分前には自家用トライシクル(三輪バイク)に乗って、我が家の前に到着。フィリピンでは、これだけでも信頼の証になる快挙。

実は先週、家内のオフィスで働いている、別の運転手さんを頼んでいたけれど、まさかのドタキャン。それも時間を過ぎてからの連絡でした。

さて、やって来たナルシソ。よく日に焼けて、年齢よりだいぶ老けて見えます。ただ、いい感じに年齢を重ねてたようで、表情が柔らかな田舎のおじさんという佇まい。オートマティックには不慣れなようですが、運転は見かけ通りの穏やかさ。

無茶な運転はしない私でも、ナルシソの真似は難しそう。横暴なトラックが強引に割り込んで来ても、すんなり減速して道を空けるし、そのあとノロノロ走られても、十分余裕ができるまで、追い越しをかけない。

日本の職業ドライバーなら、安全運転は当たり前と思われるでしょうけど、フィリピンに限っては決してそんなことはありません。どちらかというと、タクシーやジプニー、路線バスの運転手の方が、総じて運転は荒っぽい。

特にバスは、運行スケジュールはなく歩合制なので、できるだけ速く、たくさん乗客を詰め込んだ方が手取りが増える。満員でブっとばすから、事故ったら大惨事。ネグロスのバスのコーポレートカラーは黄色。そこから「黄色い棺桶」なんて、恐ろしい渾名で呼ばれています。

そんな公共交通に比べると、はるかに穏やかな運転のナルシソ。タクシーに比べたら少し時間は長めだけど、久しぶりにゆっくり周囲の景色を眺めてのドライブ。土曜日は天気も良かったし、家内と無意味な言い争いをすることもないし、なかなか快適な時間でした。

この日回ったのは、隣街のタリサイ市内にある、一部で日本の食材も扱っているスーパー、その近くのホームセンター、その後、州都バコロドのショッピングモールでお昼を済ませて、別の場所をさらに2箇所。最後はバコロドの街外れにある、家内の叔母の家を訪問。

自宅に戻ったのは夕方4時過ぎだったので、ざっと6時間。車で移動している時間は、全部足してもせいぜい1時間程度。つまり運転手さんは、5時間もただひたすら雇い主を待っているということになります。それこそ絶対に私には真似のできない仕事。

本当は最後に、近所でもう少し買い物をしたかったのですが、途中で奥さんから「待ってるから、早く帰って来て」との催促電話。スピーカーを使っての通話だから、会話の内容がダダ漏れなんですよ。これでは、早く仕事を終わらせてあげないと可哀想。

ということで、昼食時の待ち時間に渡した、ランチ代100ペソと合わせて、支払ったのは500ペソ(約1,000円強)。半日拘束でこの値段は、やっぱり安い。ちなみに、自宅からバコロドの市街地までの片道で、タクシーやGrabだと、時間帯によっては400ペソもかかります。

好調な経済成長が続くフィリピンで、物価はどんどん上がっているとは言え、相対的に、まだまだ安い人件費。メイドのライラと、週一で出張マッサージに来てもらってるセラピストのリケル(中年女性)、それに続く運転手のネルシソ。日本では想像もできなかった、使用人に支えてもらう、フィリピンでの生活です。