2020年4月26日日曜日

在宅エンターテイメント


聞くところによると、世界中に吹きまくる都市封鎖の嵐で、ネットフリックスなど、インターネット経由で映画やドラマを鑑賞する人が千万単位単位で増えたんだとか。

昭和天皇崩御時には、レンタルビデオ店で軒並み人気タイトルがレンタル中だったことを思い出します。あの時は、ネットもなかったし、テレビは報道番組ばっかりでしたからね。人間の考えつくことは、古今東西あんまり変わらないらしい。

30年前に比べて格段にすごくなったのは、インターネットの双方向性。受けるだけでなく、こっちから発信することもできる。それもちょっと前のような、パソコンが必要で、事前の設定が面倒臭くて...みたいなことは皆無で、スマホがネットに繋がっていれば、いつでもどこでもOK。

かなり以前から推奨されていて、なかなか普及しなかった在宅勤務が、一瞬にして「当たり前」になり、オンライン会議ソフトのZoom(ズーム)が、標準アプリとなるご時世。我が家でも、フィリピン教育省勤務の家内が、客間を書斎にして、連日パソコンやらスマホを駆使して業務推進。

我が家ではやってませんが、真面目な信徒さんは、カトリックでもプロテスタントでも、オンラインミサ、礼拝に参加しています。

そして既に1ヶ月以上の封鎖が続き、すべての学校が休校中のフィリピン。たまたま4月、5月は夏休みでも、新学期が始まったらどうするのかと、中学生の親としては気になります。

家内によると、今のところ再開は9月になるらしい。つまり、6月から8月までの3ヶ月間は、本来あるべき授業ができない。この教育の空白を埋めるために検討されているのがオンライン化。

日本とは違い、朝の同じ時刻に一斉にビデオチャット形式でやったりしたら、回線がパンクするのは目に見えている、貧弱なフィリピンのネットインフラ。そうではなくて、オンラインで、宿題をやってもらうようなスタイルにするとのこと。これならトラフィックにも、教師にも、何より生徒や親への負担が、ずっと軽くなります。

ただ、フェイスブックの利用率が90%以上(一説には97%とも)の国であっても、すべての子供が、オンラインで勉強できる環境ではないのも事実。日本のゼロリスク信仰や悪平等が蔓延している社会ならば、到底実行は無理でしょうけど、そこは融通無碍なフィリピン。拙速OKで取り敢えずやってみるお国柄。

おそらく当初は不具合の連続で、苦情・批判が殺到するのは仕方がない。それでも、公立・私立を問わず、いきなり全学校でやってみようというのは大英断。まぁこれは、フィリピンに限らず、多くの国で初めての試みなので、走りながら修正するしかありません。

さらにオフィス業務や教育だけでなく、世界中のエンターテイメント業界でも、同様の変化が起こってます。冒頭の映画やドラマのネット視聴に加えて、プロが生演奏をネット配信。それも、ソロのみならず、本格的なオーケストラや合唱まで。調整するサウンドエンジニアが、ものすごくたいへんそう。

他に手段がなくて止む無くの側面はあるものの、コロナ禍以降も、一つの潮流として定着しそうな予感がします。実は先日、恥ずかしながら私も、この在宅エンターテイメント配信をやってみました。

以前にも書いたように、ここ数ヶ月、孤独に続けているボイストレーニング。素人に毛の生えた程度の歌唱力ですが、そこはノーミュージック・ノーライフ、カラオケパラダイスのフィリピン。こんな声でも、聴いてあげましょうと言ってくれる、奇特な若いフィリピーナが何人かいるんですよ。

そこで、フェイスブックメッセンジャーと、YouTubeでかき集めたピアノ伴奏を使って、4〜5曲程度で30分ぐらいの、ミニコンサートをやってみました。

音質も画質も全然大したことないけれど、リアルタイムで相手の反応が分かるのは、なかなか面白い。リズムに合わせて体を揺らして、大喜びしくれるのを見ると、こちらも楽しくなるというもの。日本語、英語、タガログ語などを織り交ぜて、予想以上にノってしまった。

ということで、相手が暇を持て余していることに乗じて、日頃やりたくてもできない事を、いろいろと試している毎日です。


2020年4月20日月曜日

少しづつ経済活動再開

テレビのニュースもネットも、SNSを通じた友人知人との会話も、寄ると触ると新型コロナの話題ばかり。これはフィリピンでも日本でも、あるいは世界中でこんな調子でしょう。それに加えてネグロス島は夏真っ盛り。夏バテとの相乗効果で、余計に疲れます。

ここ西ネグロス州が封鎖状態になってから丸3週間。ネグロスやパナイ島を含む西ビサヤ全体で、陽性確認された感染者数が、今日(4月20日)時点で累計52名と言いますから、決して楽観はできないものの、マニラ首都圏、あるいは東京に比べても、かなり穏やかな数字。シライ市民から感染者が見つかったという報告はありません。

そうなると、そろそろ締め付けも緩めようと、封鎖以来完全に止まっていたトライシクル(輪タク)の運転が今日から再開。登録番号による規制があって、動かせるのは約半分程度で、まだ各世帯から外出できるのは一度に一名だとか、マスク着用義務などの制限は残るものの、買い物などの移動が格段に楽になります。

また、一部の職場では、少しづつ業務が始まっているようで、家内が勤めるDepED(デプェド/フィリピン教育省)は明日から週二日の通勤。休んでいても賃金は変わらず支給されるので、家内は少々不服なようですが。

本当は、我が家のメイドのライラも復職するはずだったのに、結局顔を見せてくれませんでした。先週、困ってるんじゃないかと米を分けてあげたライラ。久しぶりにやって来て、月曜日から戻りますと言うから、給料の前渡し500ペソを払ったんですけどねぇ。

それ以外にも、ずっと閉店していたカフェやレストランが、宅配と持ち帰り限定でオープンいしたり、軽トラックで住宅地に野菜を売りに来たり。

さてここで唐突ながら、私のビジネス。
実は思いがけないことに、ゲストハウスには封鎖と同時に長期滞在のお客さんが。ネグロス在住の私のよく知る日本人男性で、州都バコロドにアパートを借りようとしたタイミングで封鎖。仕方がないので、空き家になっていた私のゲストハウスに、封鎖が終わるまで仮入居となった次第。

私にすれば、相手の弱みにつけ込んでるいるようで、ちょっと悪いかなとも思いましたが、家賃を値上げしたわけでもなく、先方も「助かりました」と喜んでいただいている様子。ウイン・ウインの共存共栄ということでしょうか。

まぁ、私たちのように、直ちに生活に困るわけではない場合はともかく、日銭暮らしの余裕のない人たちは、いろんな意味で限界に近づいています。近辺でも泥棒騒ぎが増えたとのこと。1回50ペソ(100円ちょっと)で髪を刈ってもらってる散髪屋のオジさんとか、困ってるだろうなぁ。

ということで、今日はようやく曙光が見え始めた、西ネグロスの封鎖状況についてお伝えしました。




買い物へ行く途中で見かけた
シライ市による支援物資支給の現場


2020年4月16日木曜日

関西弁訳で知るドゥテルテ大統領の真髄



出典:interaksyon

今、フィリピン関係邦人の間で話題になっているのが、先週4月6日に行われた、フィリピン大統領ドゥテルテさんの演説。ルソン島に発令中の封鎖を、当初の予定より延長して、4月30日とする事を告げたもの。

ただそれだけに止まらず、例によって「ドゥテルテ節」を炸裂させて、歯に衣着せず、直球ど真ん中で、現在の窮状をぶっちゃけて国民に訴える内容。何とそれを「全文」日本語、しかも関西弁に訳されたものがネットに投稿され、日本人の心まで鷲掴みにしています。(ドゥテルテ大統領演説完全版 関西弁訳

翻訳者は、デセンブラーナ悦子さんという、日本人の方。大阪外国語大学のフィリピン語学科卒業後、1992年にフィリピン男性と結婚して以来のマニラ住まい。日本語、英語、タガログ語の通訳として活躍。フィリピン在住の関西人としては、目に痛いほど輝く経歴をお持ちです。

彼女が、演説の関西弁訳を思い立ったのが、決して流暢とは言えない、ドゥテルテさんのビサヤ訛りのタガログ語と、立板に水からは程遠い語り口から。マニラ首都圏どころかルソン島から遠く離れた、ミンダナオ島のダバオで育った大統領。つまり、大阪生まれの叩き上げから総理大臣になり、関西訛り丸出しで演説しているようなもの。

また、話の筋が脱線しまくるところなど、きれいに標準日本語に訳してしまうと、本来のニュアンスがまったく失われてしまうのを、日頃から残念に思われてたんでしょうね。

フィリピンの言葉は、公用語も方言も片言レベルの私ですが、以前から、タガログ=東京弁、イロンゴ=京都弁、セブアーノ(ビサヤ)=大阪弁の説を唱えていただけに、彼女の素晴らしい思いつきを全面的に支援したい気持ち。(関西訛りのイロンゴ語

そしてこの関西弁訳、一読して「我が意を得たり」の分かり易さ。やっぱりなぁ、ドゥテルテさんは、そんな感じで喋ってたんや。言いかけた事を、「忘れてもたから、思い出したら言うわ」。「夜中に小便で起きて、考え事してたら朝になってまうんや」。

果ては、「家に入って鍵閉めて、パンデミック終わるまで出てくるな」と脅したり、「なんでこんな戦争よりひどいことが、ワシのときに当たんねん」とボヤいたり。およそ、一国の指導者が、公式の場で語る内容とは思えない、真っ正直さ。

かなりの長文ながら、私の雑な引用より、まず読んでいただきたい。

最初はゲラゲラ笑いながら読んでいた私ですが、たとえ乱暴な口調でも、フィリピンという国とその国民を、どうやったら守れるのかという、ドゥテルテさんの熱意が生々しくて、泣きそうになってしまいました。

今回のコロナ禍は、とんでもない厄災には違いないけれど、ドゥテルテさんの任期中に起こったことだけは、ラッキーだったと言えるでしょう。彼ほど非常時に力を発揮するリーダーは、世界中を見回しても珍しい。

ニューヨーク州知事のクオモさんや、ドイツのメルケル首相など、新型コロナ対策での目覚ましい活躍が注目されていますが、そんな人たちと比べてもまったく遜色がない。言いたくはありませんが、日本は、もうちょっと何とかならないものかと、溜息が出てしまいます。

ということで、封鎖がもうすぐ3週間になろうというネグロス島。ストレスで息切れしてきたところですが、大統領の演説のお陰で、頑張って我慢しようという気になりました。


2020年4月12日日曜日

誰も来ないイースター


私たちの住むフィリピン、西ネグロス州の封鎖が始まって2週間が経過。当初は今日、4月12日のイースター・サンデーが最終日で、明日からは封鎖が解除になるはずでした。当日は間に合わないにしても、ちょっと遅めの復活祭の祝いができるかと、微かな期待をしていたものの、マニラ首都圏に合わせて、さらに2週間の延長。

ネット上では、フィリピンの新型コロナの感染は、統計的に見て、もうピークを迎えたんじゃないかとの説も出ていて、そう考えると、ドゥテルテ大統領による封鎖延長は、とても妥当な判断だとのこと。

それにしても、カトリック信徒になって、かれこれ四半世紀近い私。枝の主日も聖週間(ホーリーウィーク)も、そしてイースター当日にすら教会に行かないなんて、まったく初めて。それも、おそらく世界中で同じ状況なんですから、恐るべき細菌災害。

例年のイースターならば、義父と義弟夫婦、甥っ子、姪っ子、それに叔母や従弟妹たちが、ミサ後のランチタイムに集まって賑やかなパーティ。このブログを書いている午前中など、私は料理の準備で大忙しのはず。

当然ながら、今年は誰も来られないし、周囲は静かなもの。時折犬どもが吠えたり、雄鶏が鳴くぐらいで、それが余計に静寂を際立たせています。

実は今日に備えて3ヶ月ぐらい、ずっとボイストレーニングをしてました。昨年のクリスマスで、叔母の家に親戚一同が集まった時、ちょっとした余興のつもりで聖歌を3曲ぐらいアカペラで披露したところ、二人の叔母が涙を流さんばかりに感激。日本の教会で聖歌隊に所属していた「昔取った杵柄」。

それほど喜んでもらえるならと、イースターには、英語や日本語の歌をお聴かせしましょうと、準備していた次第。

さすがに毎日3ヶ月、1時間かけて約10曲を歌い続けると、素人ながら、それなりに声が出るようになるものです。特に昨日など、キーがちょっと高すぎて、それまで歌いきれなかった曲が、すんなり仕上がったり。

考えてみれば日本人の私ですら、ここまで焦れてくるぐらいなので、生来パーティ大好きなフィリピンの人々。封鎖解除の暁には、どの家庭でも大祝賀会の嵐になるのは、想像に難くありません。多分、個人消費も瞬間的にガ〜ンと上がるでしょう。

ということで、追加になってしまった2週間。もうちょっとだけ我慢しましょう。


2020年4月2日木曜日

封鎖三日目の市街地へ


シライ市のシンボル
大聖堂には人影もなし。

月曜日(3月30日)に始まった、新型コロナウイルス感染対策のための西ネグロス封鎖。早くも四日が経過しました。封鎖前から、ほとんど引きこもりに近い生活だった私には、取り立てて変わったこともありませんが、三日もすると、市街地の様子が見たくなってきました。

封鎖と言っても、外出が完全に禁止になったわけではありません。食糧や燃料など、生活必需品の購入は日中ならば大丈夫。ただし封鎖前日に、バランガイ(町内会)オフィスから支給された外出許可のパスは一枚。同時に外に出られるのは、一世帯につき一人だけ。

このパス、マニラ首都圏ではペラペラの紙切れなんだそうです。ところが、バランガイの担当者が持って来たのは、シライ市長とバランガイ・キャプテン(議長)の名前とサインと、通し番号が印刷された本格的なもの。ちゃんとラミネート加工もされてます。


事前にフェイスブック経由でシェアされた、西ネグロス州知事の告知文も何だか変にテンション高かったし、どうも政治家や役人たちは、ここぞとばかりの権力行使を楽しんでいるんじゃないかと勘繰ってしまう。

さて、その「よく出来た」パスをカバンに放り込み、虎の子のマスクをして、行って来ましたシライの市街地。歩いている人はちらほらいて、ニュースで見るニューヨークみたいな、誰もいない街並みとは程遠い、平常と変わらぬ感じ。相変わらず晴れていい天気だし。

とは言え、トライシクル(オート輪タク)やジプニー(乗り合いバス)、黄色い路線バスのセレスも完全運休。車両の数はずいぶん少ない。空いている分スピードを出してるから、逆に危ないぐらい。


公設市場やスーパーなど、アクセス手段がないから閑散としてるかと思いきや、各バランガイがジプニーをチャーターしているらしく、封鎖直前と変わらないような、長蛇の列。入場前の検温・消毒、さらに人数を制限しています。ちなみに自家用車の使用に規制はありません。


米や野菜など2週間分の食材買い出しは、家内が済ませてくれていたので、市場に入るのは諦めて、少し離れた場所にある行きつけの果物屋さんへ。こちらは行列もなく、普段と変わらない様子。ちょっといいバナナ、一房149ペソで買うことができました。



せっかく、20分ばかり炎天下を歩いたので、市街地をざっと周回。飲料水とプロパンガスの店は平常通りの営業。銀行と送金所の金融機関は全部開いてたものの、マスク着用は必須で、一度に入店できる人数を3名までにする但書の張り紙がベタベタ。



ジョリビー、マクドナルド等のファーストフードは、閉店ではなく、営業時間を短縮しテイクアウトのみ。店内での飲食はできません。それ以外の飲食店は、ほぼ閉まってました。家内によると、休業補償は市がしてくれるそうです。時々お昼のおかずを買っている惣菜店の賄いのおばちゃんたち。生活に困ることはないようで、良かった。

昨日の報道では、長引くマニラ首都圏を含むルソン島の封鎖に対して、抗議に集まった人たちが逮捕されたとか。ドゥテルテ大統領はテレビで、警官や兵士が身の危険を感じたら射殺も辞さないとの警告を発しました。

強権政治で支持を集めてきたドゥテルテさん。このタイミングで抗議集会をするのは常軌を逸していると思うけど、射殺は行き過ぎじゃないかなぁ。

それに比べると、極めて平穏無事なシライ市内。当初の予定通り、2週間で封鎖が解ければ、おそらく混乱はないでしょう。でも、先がまったく読めない今回の事態。これが何週間、何ヶ月となれば、治安悪化の懸念も。

実際に、家を消毒すると偽って家宅侵入する泥棒や、外出許可パスと引き換えにバランガイ議長が住民に金を要求したりする犯罪が、起こっている。

このブログも、まだしばらくは、コロナ関連の話題から離れられそうにありません。