2020年5月28日木曜日

ネットと電話が半日不通


一昨日の火曜日(2020年5月26日)、朝8時ごろだったと思います。スマホでニュースを閲覧していたら、突然「プツン」という感じで、リンク先にページが切り替わらなくなりました。フェイスブックやツィッターも同様。

ルーターを見ると、通常は緑色に点滅して、インターネット接続を示すLEDが赤色に変わってます。数分から数十分程度の通信障害は、日常茶飯事のフィリピンのプロバイダー。ところがこの日は、待てど暮らせどシグナルが戻ってきません。

もしやと思って固定電話の受話器を上げてみたら、発信音が通常の「ツーー」ではなく、「ツーツーツー」と明らかに異常。どこにも通話できないし、スマホから電話してみてもダメ。

それどころか、ネットではなく、電話回線を使った通話やショートメッセージも相手によっては通じない。当然のように、自宅のWiFiを介さないデータ通信によるネット接続もできない。要するに双方向の通信手段は、ほぼ全滅の状態になってしまいました。

こういう時に困るのは、この障害が、自宅付近の架線の破損などの局所的なものなのか、広範囲なのかがまったく分からないこと。実は過去に2回、近所の電気工事中に間違って電話線を切断されて、数日から一週間もネットと電話がつながらなくなった事故を経験してます。

その時と同様に、オフィスで勤務中の家内に頼んで、契約しているプロバイダーの「グローブ」に、何度も電話してもらいましたが、ずっと話し中。サポートセンターにメールしても、自動返信の「システム確認中なので、24時間お待ちください」。本当に確認してるのかどうか怪しいし、一体どの時点から24時間なんだ?

これって、停電とか断水もそうですが、トラブルの原因も復旧の目処も、まったく情報なしというのがツラい。

それにしても、私を含めて、フィリピン人、日本人に関係なく、ネットにどれだけ依存しているのかがよく分かりますね。SNSはもちろんのこと、最近はNetflixにハマっているので、映画やドラマも視聴できない。

さらに、このブログ。投稿はできなくても、書くだけなら大丈夫そうに思えます。ところがちょっと書き始めると、いろいろ事実関係を調べる必要が出てくる。この程度の他愛もない内容でも、真面目に書くとそうなるんですよ。ましてや英語版なんて、グーグル翻訳の助けがなければ、ほんの数行も覚束ない。

後から分かったのは、これが自宅近辺だけではなく、シライ市内全域で同時に起こったと思われる、通信障害だったということ。「思われる」としたのは、丸二日経った今でも、グローブからは、何のアナウンスもないから。電力会社の場合は、フェイスブック経由で、計画外停電の原因説明や謝罪がちゃんとあるんですけどね。

シライ在住の家内の友人でグローブ使用者からは、非難轟々状態。ダイアルアップじゃなくて定額制なので、使えなかった分の料金を返せと言いたくなります。結局、ネットと電話が復旧したのは、当日の深夜11時ごろ。ざっと13時間も不通でした。

家内の実家では、以前グローブを使ってましたが、トラブって修理を頼んでも放置が続き、プロバイダーをPLDT(フィリピン長距離通信)に変えた経緯があります。また、我が家と同じ宅地内の、日本人向け英語学校では、かれこれ2ヶ月ぐらいグローブの回線が不通。

だからと言って、グローブのライバル会社、PLDTの信頼性が高いかというと、そんなことは全然ありません。グローブがauだとすれば、PLDTは、フィリピンのドコモみたいなものなんですが、サービスのダメさ加減は五十歩百歩。日本人の私だけがそう思ってるんじゃなくて、家内を始め、地元の人たちは、もっと憤っている。

こんな状況なので、どちらか一方に依存すると、痛い目に遭うフィリピン。さすがに固定電話を2本も契約する気にはならないけれど、せっかく持っているSIMフリーのスマホ。スマート(PLDTのモバイルサービス)のカードも買って、グローブが死んだ時には、そっちからのネットアクセスに備えようと思ってます。


2020年5月24日日曜日

コロナ禍で得たもの


今回のコロナ禍では、国家や社会全体、そして個人としても、失った時間、お金、健康、生命は、とんでもないレベルになったわけですが、それと引き換えに、今回の騒動がなければ得られなかった教訓や気づきが、これまた世界中で、とんでもなくあったのも間違いないでしょう。

特筆すべきは、これが、インターネットがグローバルに普及した後、最初の世界規模の厄災だったこと。特に、当初は「対岸の火事」視していたアメリカが、あっという間に感染者数が世界一になって、ネット上での英語の情報量が激増。我が家の夕食時に視聴しているCNNでも、この数ヶ月、コロナ以外のニュースが流れているのを、滅多に見なくなりました。

もちろんフィリピンの国内報道も、ほぼコロナ関連一色。先日、停波処分を受けたはずのABS-CBNのゴールデンタイムのニュース番組、テレビ・パトロール(TV Patrol )が違うチャンネルでシレっと放送されているのも含めて、テレビもネットも、さらにはSNSでの友達の投稿さえ、もうそればっかり。マニラ首都圏やセブ周辺の主な情報は、すぐ日本語に翻訳されて記事になってます。

私たち家族がフィリピンに移住したのが、もしネットのない時代だったら、相互のリアルな状況を知ることは、容易ではなかったことでしょう。それが、私がフェイスブックで共有した記事を通じて、日本に住む友達が日本の最新ニュースを知ることすらある時代。

デマやフェイクが大量に出回ってしまうのは大問題ながら、一次情報の確認やダブルチェックを厭わなければ、概ね正しい現状認識は、世界のどこにいてもできてしまう。少なくとも、何がどうなっているのか、まったく分からないという不安に、苛まれることはありません。

ここまでは、どちらかと言うと受け身。能動的な話では、在宅勤務の一般化。別にコロナ前にできなかったわけではなく、私が日本で働いていた10年以上前から、やろうと思えばできた事。実際、私も時々活用してましたよ。やってみたら、多少のデメリットと引き換えにして十分お釣りがくるほど、メリットが圧倒的に大きい。

最近では当たり前に言われているように、無駄な通勤をしなくていいし、生産性を下げるためだけで何も決まらない会議もない。自分の好きなペース、ラフな格好で作業に没頭できるのが、どれだけ効率がいいか。女性の場合は、毎日のメークから解放されたとのこと。

案の定、日本では、緊急事態解除の動きが出るにつれて、また以前のように地獄の満員電車に揺られ、顔を見るだけで、心の病を誘発するような上司に会うと思うと、憂鬱になると言う声が、ツィッターで拡散されています。

ただ、まともな経営者だったら、在宅勤務の方が仕事がはかどることを理解して、事態が鎮静化した後も、積極的に仕事のやり方を変えていくと思いますよ。図らずも、1ヶ月間も在宅勤務を社会全体で実験できたわけですから。

おそらく今後は、在宅勤務ができるかどうかで、人材の確保や定着率に大きな差が出るだろうし、合理的な理由なしに、毎日の出勤を強いる企業は、淘汰されるでしょう。やればできる、しかも、やれば楽なことを、みんな知っちゃいましたからねぇ。

そして、後進国のフィリピンでは、そんなこと関係ないだろうと思っているとしたら、大間違い。日本ほど広範囲には無理でも、家内の勤務するフィリピン教育省シライ分室では、規制が大幅に緩和され、毎日の通勤ができるようなってからも、週の半分は在宅勤務に切り替わりました。

実は、たまたまオフィスの冷房設備の不備で、建物の半分で空調が止まってしまい、修理の目処が立たないのが直接の原因ながら、やっぱりデスクワークの多い家内の職場では、在宅のメリットが大きい。

ということで、ほとんど全世界を覆い尽くした、今回のコロナ禍。日本でもフィリピンでも、思いもしなかった「働き方改革」「学び方改革」が、否応無しに推進されたようです。大きな代償を払ったんだから、得るものがあってもいいでしょう。


2020年5月21日木曜日

規制緩和


日本では、今日(5月21日)から、緊急事態宣言が出されていた八つの都道府県のうち、関西地方の大阪、京都、兵庫で、解除するとのこと。解除と言っても、フィリピンのような強制力のある「封鎖」「検疫」ではなく、「自粛」。仕事を失った国民への収入の補償や経済支援をケチるためと言われても仕方ない、実に曖昧な措置。

また、市場ではマスクが値崩れするほど供給が追いついた今になっても、例のアベノマスクはまだ、配布は終わってないし、現金の支給は、金額や対象者の制限で迷走状態。貧困層へのお金や食糧の無償援助に関しては、途上国のはずのフィリピンの方が、よっぽどスピーディな対応でした。

ちなみに我が家のメイド、ライラの世帯では、約一ヶ月に及ぶ封鎖の間、彼女の月給の倍額に相当する6,000ペソを貰ったそうです。米や鶏肉などの配給も、毎週のようにあったし、なんと、生活に困っていない外国人世帯、つまり私の家にまで、シライ市の職員が米10キロを持ってきてくれました。さすがに申し訳なくて、もっと困っている人にあげてくださいと、辞退しましたが。

もちろんフィリピンの事ですから、バランガイのキャプテン(選挙で選ばれる町内会の会長)が、政府からの援助金を横領したり、不平等な分配に不満を爆発させた住民が、デモを起こしたり。拙速ぶりは相変わらずながら、とても面倒な手続きが必要な上、完全に時期を逸している日本よりは、ずいぶんマシだと思いますけどね。

さて、日本の事はともかく、ここネグロス島。私が住む西ネグロス州のシライでは、まだコミュニティ検疫は継続中ですが、この月曜日(5月18日)から、規制緩和。一世帯一人に限られていた外出制限は無くなり、ほぼすべての店舗やレストラン、カフェが営業再開。

飲食店は、テイクアウト、宅配に限定で、マスク着用義務は残っているものの、バスやトライシクル(オート三輪)が動き出したお陰で、シライ市内も隣街への移動も、何とかできるようになりました。

我が家のゲストハウスに2ヶ月近く滞在していた日本人の方も、4月最初から入居予定のバコロドのアパートへ、やっと引越しできる目処が立ち、規制緩和が始まった月曜日の朝、めでたくチェックアウト。

ライラは5月の第二週から、仕事に戻ったし(ようやく仕事再開のメイドさん)、今日は、ざっと2ヶ月ぶりに、出張マッサージのラケルおばさんが来てくれました。クーラーの効いた部屋で、癒し系BGMを流しながら、1時間のボディマッサージ。コロナ騒ぎ前の日常にグっと近づいた感じでリラックス。

ということで、気が付けば5月も残すところ一週間。規制は徐々に緩和されているとは言え、コロナ禍の影響は、フィリピンでも今年一杯ぐらい軽く続きそうですね。


2020年5月14日木曜日

日本女性に贈られたハラナ


前回、フィリピンの由緒正しい、男性から女性への求愛儀式「ハラナ」について書いたところ「実は、私もハラナ(っぽいものを)を受けたことがあります」と、友達の日本女性「マダムM」からコメント。

かつてボランティアの一員として、フィリピンにある孤島に長期滞在されたMさん。今でも「お父さん、お母さん」と慕う、フィリピン人ご夫婦の家にホームステイされていました。

英語はもちろん、公用語のタガログに加えて、島の方言まで自在に操り、何より日本的な美貌のマダムM。現在でもあの美しさですから、さらにお若い頃は、それはそれは魅力的だったろうと思います。何を隠そう、私もMさんに憧れて、美女イラストのモデルになってもらったぐらい。

さて、Mさんによると、ある夜、顔見知りの若い地元の男性が、Mさんの住む家のバルコニーの下で歌い始めたとのこと。ご本人は「それっぽい」なんて仰ってましたが、スタイルを聞く限り、紛うことなく古式ゆかしいハラナではありませんか。

ただ、映画やドラマとは違って、Mさんに捧げられた愛の歌は、聴いているほうが恥ずかしくなるぐらいのレベル。すぐにMさんは飽きてしまって窓辺を離れ、フィリピンのお母さんに、花とプレゼントまで用意して来た彼は、可哀想なことに、敢えなく追い返されてしまったそうです。

フォーマットは完璧だけど、肝心のコンテンツがダメダメだったんですねぇ。

実年齢で言うと、今の私は、当時のMさんの「お父さん」みたいなもの。しかしながらこの話を聞いた時は、ハラナをしくじった「彼」に同情してしまいました。アホやなぁ。せっかくフィリピンには、こんなロマンチックな風習があるんだから、もっと上手に使ったらいいのに。

そこで、もし私が彼の友達とか親戚の立場だったら、どうアドバイスしたかを、ちょっと真面目に考えてみました。

まず歌が下手ではどうしようもない。3〜4曲でいいので、せめて最後まで聴いていられる程度に、ボイストレーニングでみっちり鍛えるところから始めますね。また、歌が平均以上のレベルだったら、ギター一本でも何とかなるでしょうけど、どうも短期間では難しそう。

ここは、ちゃんと歌える青年を数名引っ張ってきて、アカペラコーラスの伴奏はどうでしょう。決まり切ったことを愚直にやるより、多少伝統から外れてもスマートな粗隠し優先で。

そして選曲。最低3曲、できたら5曲。「掴み」に日本の曲を一つ入れて、「中押し」に軽快なリズムの英語のスタンダードナンバー、場が十分温まったところで、「取り」は、歌い上げ系のOPM(タガログ語歌謡曲)か、いいものがあれば、地元の歌。

当然、マダムMの音楽の好みを、事前にリサーチしておくことは必須。まったく恋愛の対象とは思っていない相手でも、自分の好きな曲を上手に歌ってもらったら、悪い気分のはずがありません。

ついでに、年季を積んだオっさんの手練手管で言うと、10人や20人のサクラは用意しなくっちゃ。行き当たりばったりに、一人でいきなり歌い出すんじゃなくて、まず前振りとして、派手なのを一曲。サクラたちに盛大に拍手喝采させます。こういう演出をすれば「何が始まったのかしら」と、Mさんが窓から顔を出すこと間違いなし。

ここまでやるなら、照明にも凝りたいし、鳴り物も欲しくなります。

とまぁ調子に乗って、暇を持て余したアラ還オヤジの妄想になってしまいましたが、こういうイベントは、女性に「私のために、ここまで準備してくれるなんて」と思わせなければ負け。それも、金があればできることじゃなくて、手間隙がかかっている点を強調するのが大事。もちろんお金に余裕があれば、鬼に金棒。

たとえお金がなくても、元来、この手のサプライズが大好きなフィリピンの人々。友達や知り合いに上手く持ちかければ、みんな寝食を忘れて協力してくれると思いますよ。ただ、喜びすぎて大騒ぎになってしまい、決行のずっと前に、当のMさんにバレちゃいそうですけどね。


2020年5月11日月曜日

プロポーズで歌う


むか〜しむかしのイタリア映画とかで、見たような記憶があるシーン。道端で若い男性がギターをかき鳴らして朗々と愛の歌を歌い、それを2階の窓から、うら若い女性がうっとり聴いている。

映画以外ではあり得ない光景で、ましてや日本人が真似したら、見ているだけで気恥ずかしくなりそう。やっぱりこれが似合うのは、ラテン系の情熱的なカップルだろうと思ってたら、かつてフィリピンでは、これをしきたりとして実際にやってたんだそうです。

この風習は、ハラナ Harana あるいは、セレネイド Serenado と呼ばれ、旧宗主国のスペイン経由で伝わった、ヨーロッパを発祥とする求婚の儀式。ハラナとはギターよりちょっと小振りな弦楽器で、セレネイドは言うまでもなく、セレナーデ。日本では夜曲とか小夜曲(さよきょく)と訳され、元来は、男性から女性への求愛の歌。

正式なハラナでは、男性はギターの弾き語りか、伴奏する協力者と一緒に演奏するそうで、時には、トランペットやバイオリンが入って、ちょっとしたコンサートの体を為すことも。

恋人の前で、男性が歌うなんてのは、今でも普通にフィリピーノがやりそうですが、これは彼女のためというより、主に恋人の父親から、結婚の承諾を取り付けるためのもの。歌った後に、家族への贈り物を手渡し、それから家柄や資産、娘への気持ちについて根掘り葉掘り「尋問」される。

うわぁ〜、これはフィリピーナを嫁に貰った男としては、想像するのも恐ろしい。事前に話が通っていて、形式的に歌うぐらいならともかく、プロポーズの成否を賭けたガチ勝負だったりしたら、私には絶対に無理。最近ではあまり流行らないようで、本当にラッキーでした。

なぜ突然、ハラナの話が出てきたかと言いますと、実は昨日(2020年5月10日)の母の日。今年は、花束を買ったりケーキを用意したりが難しかったので、その代わりにと、家内の前で、ラブソング中心に、6曲ほど歌ったんですよ。

以前にこのブログで書いたように、イースターのパーティで、集まった親戚に披露しようと、かれこれ2ヶ月以上も、自主ボイス・トレーニングに励んでました。残念ながらパーティは当分できそうにないものの、毎日やってると、素人なりに声が出るようになるもの。楽しくなって、レパートリーも日本語・英語・タガログ語と、合わせて30曲ぐらいに増えました。

こうなると、誰かに歌ってきかせたくなるのが人情。まぁ、毎日自室でのトレーニングで、いくら日本の一般的な住宅に比べたら広い家でも、防音設備なんてない筒抜け状態。なので家内も私の歌は耳タコ状態。それでもランチの後に、歌ってあげようと言ったら、満更でもなさそうで、半時間ばかり、ちゃんとダイニングの椅子に座って、神妙に耳を傾けてくれました。

その後、フィリピーナの友人に、この事をチャットで話したら「今のフィリピンでは、ハラナの習慣が廃れしまって残念ですね。」「え?ハラナって何?」。彼女は、私がハラナのことを理解した上で、家内のために歌ったんだと思っていたらしい。そんな習慣がフィリピンにあったなんて、全然知りませんでした。

そう言えば、家内と超・長距離恋愛をやっていた四半世紀前。婚約指輪をプレゼントした時に、家内の実家でタガログ語の曲を、アカペラで歌ったなぁ。家内の両親もいたし、あれって、ひょっとして簡易のハラナだと思われたのかも? それ知ってたら、緊張して声が出なかったに違いない。

ということで、フィリピン女性と恋愛中の、我が日本人諸兄へ。今からでも遅くありません。とにかく一曲(できればフィリピンのラブソング)、それなりに歌えるようになって、プロポーズに臨むことを強くお勧めします。

ギターが弾けなくても、私がやったように、ユーチューブから適当な伴奏を見つけて、スマホとブルートゥースのスピーカーを駆使すれば大丈夫。カラオケボックスじゃなくて、彼女の実家でトライするのがポイント。ネグロス島から、諸兄の幸運を祈ります。


2020年5月9日土曜日

フィリピン最大の放送局停波


日本を含むフィリピン国外もで、かなり大きく報道されている、ABS-CBNの停波。コロナ騒ぎ以前から、ドゥテルテ大統領との確執が話題となり、停波の話は出ていましたが、まさか、この近年稀に見るほどの世界的大事件のコロナ禍の真っ只中、報道の重要性が一番高まっているタイミングで、最も情報発信力に優れた放送局をシャットダウンするとは思いませんでした。

表向きだけで言うと、フィリピン憲法で禁じられているマスメディアへの外国資本参入に抵触しているとして、放送免許の更新が認められず、免許の期限が切れる2020年5月4日に、国家放送委員会によって停波が命ぜられたということらしい。

ただ、これを額面通りに信じている人は誰もいなくて、選挙時から一貫してドゥテルテの政治手法を批判し続けてきた、同局への報復であることは、間違いないでしょう。

民主国家の常識から考えて、やっぱりこれは大統領にとって悪手だったでしょうね。いくら自分に批判的だからと言って、メディアそのものの口封じをすれば、独裁だと非難されるのは当然のこと。

しかもこれは、最初のメディア弾圧ではなく、昨年(2019年)、同じく大統領の政治手法を批判してきた、ニュースサイトのラップラーの編集長を、名誉毀損を理由に逮捕したり。

ドゥテルテさんにしてみれば、少し前に、長年に渡って何億ペソもの空港ターミナル使用料を滞納してきたフィリピン航空に対して、ターミナル閉鎖の荒療治で対応したのと同じ。ナメられたら黙っていない、やると言ったらやる、という強い意思の表れ。

もう少し深読みすれば、たとえ独裁だと言われても、麻薬撲滅や連邦制の導入など、大統領任期中に、何がなんでも道筋をつけたい。邪魔する者は、誰であっても排除する。任期満了後は、投獄や暗殺されても構わない、ぐらいの勢いなのかも知れません。

もう一つ付け加えるならば、今回のABS-CBNの停波を、当然の報いだとする意見も、国民の中に一定数あるらしい。ドゥテルテ支持の家内によると、ABS-CBNの報道姿勢は、大統領批判以外にも、かなり偏向していたとのこと。

また、移住以来の友人で、イグレシア・ニ・クリスト(フィリピン発祥のキリスト教系の新興宗教)の信徒であるティン・ティンは、同局が彼女の属する教団に対して、偏見に基づいた報道をしているとして、ABS-CBNボイコット運動に参加していました。

以上、人伝てや私の推測を並べただけなので、実際のところはどうなのか、分からない。たとえ分かったとしても、この国に住まわせてもらっている一外国人の私が、どちらかを声高に非難、あるいは擁護する資格はありません。

ABS-CBNのことを、フィリピンのNHKみたいな存在と思っている日本人もます。この投稿を書くに当たって、その歴史を調べてみたら、NHKが視聴料による独立採算ながら、事業予算や経営委員の任命に国会の承認が必要なのとは違い、純然たる民間放送局。

マルコス治世の戒厳令下では、施設を政府に接収され、当時の社長ジェニー・ロペスが、5年間の獄中生活を経てアメリカに亡命。エドゥサ革命後にロペス氏が帰国して以降、一から再建して、現在のフィリピン最大のメディア企業となりました。

さて、いずれにしてもフィリピン憲政史上の大事件とも言える、今回の停波命令。予定調和的に、一定期間を経て、放送免許が更新されるのか、それとも、少なくともドゥテルテの任期が続く限り、停波措置が継続するのか。しばらくは、目が離せない状況ですね。


2020年5月5日火曜日

ようやく仕事再開のメイドさん


コロナ感染防止対策のため、西ネグロス州が封鎖される2週間も前から、自主的に自宅待機していた、我が家のメイド、ライラおばさん。先月(2020年4月)末で、ここシライ市内での封鎖が解除になり、週明けの昨日(5月4日)から、ようやくライラが戻って来てくれました。

封鎖の間、お米を分けてあげた時に一度だけ顔を見せたのを除くと、約1ヶ月半振りの出勤。休業前は、毎日散歩に連れていってた飼い犬は、ライラの顔も匂いもすっかり忘れてしまったらしく、最初は「侵入者!」とばかりに吠えまくる始末。現金なもので、しばらくして、ライラから餌をもらう時には、尻尾を振ってましたけど。

若かった以前の4人のメイドに比べると、格段に安定勤務のライラ。これほど間隔が空いたのは初めて。それでも流石のベテラン。仕事の段取りを忘れるようなこともなく、淀みない動き。

食器洗いに、床掃除、洗濯と、瞬く間にルーティンを片付けて、そろそろ埃が気になっていた扇風機も、こちらから指示する前に清掃完了。仕事上手なメイドさんの存在価値の高さを、改めて実感しております。

私のような、退職して毎日自宅にいる者にすれば、何度か書いたように、封鎖になったからと言って、日々の生活パターンが大きく変わることはありません。唯一変わったのは、掃除や食材の買い物など、家事の分担が少し増えたこと。日本で専業主婦をしている人にすれば、当たり前のことながら、この「少し」が結構な負担。

「気が向いたらたまにやる」のとは違い、義務的な家事というのは、完璧を目指すもんじゃありませんね。料理の場合は、半ば趣味で、自分も食べるので楽しめますが、掃除や洗い物は、マイナスをゼロに戻す仕事。これをいちいち完璧にしようとしたら、他のことする時間が無くなってしまうし、精神衛生上よろしくありません。

夫や姑が、専業主婦でもない嫁の掃除や料理に難癖を付けるって、最低な行為だというのが、よ〜く分かります。

ということで、掃除と洗い物はライラに任せ、朝からブログ書いて、もう少ししたら昼食と、職場に復帰した家内のお弁当の用意。弁当配達はライラ。(まだ一家族一人の外出しか許可されないので、ライラがいないと配達不可)

お陰さまで、私の生活は、一足先にほぼ通常に戻りました。


2020年5月1日金曜日

商魂たくましい人たち


あっと言う間に5月に。結局、今年の4月は、新型コロナウイルス感染対策のため、封鎖に明け暮れた一ヶ月になってしまったネグロス島シライ市。

一応、今日5月1日から、封鎖は解除という形にはなったものの、ECQ(Enhanced Community Quarantine / 強化されたコミュニティ検疫)から一段緩くなった、General CQ(一般的コミュニティ検疫)になっただけで、各種の規制は残っています。

週明けの月曜日から、オフィス勤務は通常に戻り、トライシクル(オート輪タク)も走りますが、バスとジプニーは止まったまま。飲食店営業は持ち帰りと配達に限られるし、相変わらず外出は一世帯に一人。外出許可証の携帯と、マスク着用が義務付けられています。

フィリピン全体では、マニラ首都圏周辺とセブ、ダバオなど、人口の集中している地域は、大統領令で2週間ECQが延長され、5月15日まで封鎖。西ネグロスの州都バコロドがこれに含まれるため、実際のところ、バコロドの衛星都市であるシライの経済活動は、まだまだ限定的な再開に留まりそう。

そんな中でも、この苦境をビジネスチャンスに変える、商魂たくましい人たちがいます。

私の知る範囲で、目立って活発になったのが、宅配ビジネス。元々、デリバリー専門だった近所の手作りピザの店は、営業時間が短縮されたにもかかわらず大盛況。我が家でも、4月に2回利用しましたが、配達のバイクがフル回転のようで、2回目など、自分で取りに行ったぐらい。


4月25日の結婚記念日には
ピザを注文

魚や肉を、電動バイクに満載してやってくる行商のオっちゃんとは、最近すっかり顔馴染みになったし、私たちの住む宅地内で、自宅ガレージを利用して、週一の簡易市場も営業開始。要するに市場で食材をたくさん買って、値段を少し上乗せして売るだけのことながら、トライシクルが運休していた時には、重宝した人が多かったようです。

そして、以前このブログで紹介した、最近、日本からネグロスに戻って来たフィリピン女性。(ご近所の日比ハーフ姉弟)日本人のご主人は、まだしばらく日本に残り、二人の子供とシライに暮らすクリス。自宅の庭でのカフェ・レストランが、営業規制になったことにもめげず、今度は、シーフードやフルーツの宅配業務を始めました。

フィリピンでの普及率が90%以上という、フェイスブックを上手に活用して、「明日は、カニが入荷しますよ」という投稿を写真付きでタイムラインにアップ。コメント欄には「じゃぁ、1キロ持って来て」「何時ごろに伺いましょうか?」のやりとり。

ネットワークは知人・友人に限られるけど、なかなか精度の高いマーケティング。本当に商売上手ですね。私と家内も、常連客になってしまいました。



クリスから買った食材が
我が家の食卓を飾ります

また、日本に住んでいるネグロス出身の友達は、経営している英語学校が休業の間、手作りマスクを販売。こちらも、かなり注文が入っている様子。

こうして見ていると、日本での在宅勤務の普及や、ハンコ文化の見直し、学校の9月入学への移行など、長らく閉塞状況にあった社会を変えたり、固定された格差から抜け出すには、危機的な状況が、そのきっかけになることもあると気づきます。

私が以前に深く感銘を受けた、NHKスペシャル「地球大進化」という番組があります。それによると、平穏で同じ環境がずっと続くより、数億年に一度ぐらい大量絶滅がある方が、実は、生命の飛躍的な進化を促すとのこと。

例えがちょっと大袈裟になりましたが、やっぱりたまには環境の激変がないと、人間は進歩しないのかも知れませんね。