2020年7月30日木曜日

ネグロスでママチャリ



ママチャリに乗る姪っ子たち

私たちが住む、ここネグロス島のシライ市で、コロナ禍以降になぜか流行っているのが、日本のママチャリと植木。植木の方は、外出がままならないから、暇つぶしで庭や屋内の空いたスペースに、観葉植物を並べるんだろうと想像できますが、なぜ突然、日本のママッチャリ?

実は、ここ最近、日本から輸入した中古自転車を、シライ市内で売る店がオープンしたから。日本からと言っても、ほとんどは日本市場で流通したというだけの、中国製が多いんでしょう。いくら中古でも、一台4,000ペソ(1万円足らず)で販売できるんだから、そんな高級品の訳はない。

以前にも何度か投稿したように、フィリピンでも自転車に乗る人は結構います。ただ、需要は両極端で、自転車の横に、人が乗れる荷台みたいなのを取り付けた輪タクか、そこそこお金のある若者が、趣味でやってるスポーツサイクル。

輪タクは、暑い中を歩くの大嫌いなフィリピン人にとって、文字通り「市民の足」。バイクを使ったトライシクルよりさらに安価に利用できます。乗る方も漕ぐ方も、はっきり言うと貧乏人、なので、その自転車たるや、サドルは硬いし一漕ぎするたびにギシギシ。一度乗ってみたことがありますが、慣れないと、ハンドルさばきも覚束ない代物。

それとは真逆のスポーツサイクル。週末になれば、カラフルな柄で身体にジャストフィットのサイクルウェアを着込んだ連中が、何キロ、何十キロとツーリングをしています。

つまり、日本で一番たくさん出回っているであろう、ママチャリを始め、カジュアルに街乗りできるタイプがすっぽり欠落していたわけです。日本生活歴が15年で、ママチャリ愛用者だった家内は、ここでもママチャリがあれば便利なのにと、時々こぼしてます。

さぁ、それはどうかなぁ?ほんのちょっとの距離でも、暑いから、荷物があるから、はたまた雨が降ってるからと、歩かずトライシクルに乗る人たち。トライシクルが捕まらないのが、仕事や学校を休む理由になる国。歩くよりはマシとは言え、日常生活で普通のオバちゃんが、進んで自転車を漕ぐとは考えにく。

と思ってたら、意外や意外。時々、日本から入荷する中古ママチャリが大人気。買っているのは、その名前の通り、普通の主婦が多いらしい。家内の友達や親戚が買い込んで、休日の朝に、ちょっと遠くまで家族でサイクリングを楽しんだり。

私たちが住む宅地でも、朝、夫婦らしき中年カップルが自転車漕いでるのを、時々見かけます。買い物や、近所で用事を済ませに乗るというより、ジョギング代わり活用しているらしい。

日本で、まだ乗れるのに捨てられたり、駅前に放置して没収された、行き場のない自転車が、海外に輸出されるという話は、以前聞いたことがありますが、フィリピンの、しかもこんな田舎のネグロスにまで送られてたんですね。

この投稿の執筆に当たって、ネットで少し調べてみたところ、マニラやセブでも、まだ話題にはなっていないようです。ここ最近は、コロナ騒ぎで、それどころではないのか?

いずれにしても、想像してたより、フィリピンで受け入れられそうな日本式のママチャリ。まだ台数が限られているようで、何台か入荷してすぐ売り切れ。次の入荷までしばらく待たされるという感じ。

この調子で、ネグロスでもママチャリの認知度が上がって、そこそこ普及すれば、中国製の安い新品が出回るかも知れません。さらに、廉価版電動アシスト自転車がフィリピンに登場するの期待してます。


2020年7月27日月曜日

そして連休だけが残った


先週の木曜日から日曜日、日本では四連休だったそうですね。フィリピンにいると何の関係ないけれど、パソコンやスマホのカレンダーを日本語で表示させている関係で、自動的に祝日が日本仕様。嫌でも気が付いてしまうわけです。

それに、フェイスブックの友達が日本人とフィリピン人が半々ぐらい。家内のために作っているお弁当の写真を投稿すると「あれ、なぜ今日もお弁当?」みたいなコメントが。

さて日本の連休とは、言うまでもなく、東京オリンピックの開会式に合わせて設定されたもの。ずいぶん前に決められて、オリンピックが延期になった春頃にも、臨時の祝日は延期にならず、形骸化して連休だけが残った格好。

まぁ、本来の目的が失われても、休みのままにして困るわけでもなさそうだし、これはこれでいいんでしょう。ただ、フィリピンと比べると、物事を決めるのも止めるのも、ずいぶんと時間がかかるし、日本って、途中での方向転換が難しい国なんだなぁと思ってしまいます。

フィリピンに住んでる人には、毎年お馴染みながら、変動祝日が多い。それも一週間前とか、数日前になって、イスラム関連の日が急にお休みになったり。マニラで国際会議がある時も、首都圏限定で、この手の「ドタ休」大統領令が頻発。

さすがに独立記念日とかクリスマスは変わりませんけど、去年は休みだったのは、今年はなくなった、なんて日もあったりします。

仮にオリンピック開催国がフィリピンだったとして、延期が決まった時には、開会式を祝日にするかどうか、ドゥテルテさんがまだ大統領令を出してなかったかも知れませんね。仮に祝日でも、簡単に「やっぱり止めとこ」とか言いそう。

政府や大統領がこの調子ですから、フィリピンの場合は、役所関係も責任者が変わると、ルールがコロコロ変わる。それも国民に周知徹底されないもんだから、窓口では無駄に待たされたり、無意味な手間がどれだけ多いか。

ただ、日本のように決まり事にがんじがらめで、融通がまったく効かないのと比べると、長い目で見た時に、果たしてどっちがいいのか、最近はちょっと分からなくなってきました。

よく例に出されるのが、大規模公共事業。青函トンネルとか本四架橋の類。高度経済成長の真っ只中に立案・着工された内容が、どれだけ時代が変わっても、まったく見直しもされない。航空運賃が下がるとか、そもそも、それほどのコストをかけて、人やモノが移動する需要が減ったとしても。

実は私の地元でも、セブ〜ネグロス〜ギマラス〜パナイの島々を結ぶ橋の建設が、来年(2021年)にも着工するそうですが、このコロナ禍。お金がないと判断したら、速攻で中止になるかも知れません。実際、ドゥッテルテさんは、前政権が決めたプロジェクトを、たくさんキャンセルしてますからね。

無駄な金を使わなかったから、コロナ対策の資金が残ったと、スピーチで自画自賛してましたっけ。

翻って、我が母国の日本。
四連休をそのまま無駄にするのが、よっぽど悔しかったのか、約1兆7千億円という、フィリピンの2020年国家予算の1/5に匹敵する税金を突っ込んだ「Go To トラベルキャンペーン」を、この連休にぶつけた日本政府。

ところが、新型コロナの第二波の影響で、またもや感染者数が激増し、結局東京だけは外出自粛に逆戻りしてしまう混乱ぶり。東京だけでも強行せずに取り止めにしたのは、良い判断だったと言うべきか?

世界史に残るであろう突発事件のコロナ禍。これを教訓として、日本も物事の決定や、中止を含めた方向転換を、もっと機敏にできる国にならないかなぁ? フィリピンを見習えとは言いにくいけれど、それぐらい最初は大雑把で、走りながら進路を修正するのは、この変化の激しいご時世、決して悪いやり方じゃないと思いますよ。


2020年7月22日水曜日

コロナ患者で病院が満床


やはり一筋縄には行かなかった、フィリピン・ネグロス島でのコロナ禍。一旦は規制が緩和されたのを狙いすましたかの如く、西ネグロスの州都バコロド市では、患者が急増してしまいました。

私も時々お世話になっている、市の中心にある「リバーサイド医療センター」。一昨日(2020年7月20日)この総合病院が、新型コロナの患者で満床になったとして、今後の新規患者の受け入れを拒否するという報道がありました。

報道のあった時点で、バコロドで確認された累計患者数は92。うち36名が入院中で、52名が既に回復。残念ながら4名の方が亡くなったとのこと。

また、バコロドの対岸にあって、フェリーで1時間の距離にある、隣島パナイ最大の都市イロイロでも、バコロドより少し前から第二波が襲来したらしく、同じように病院がキャパシティオーバーの状況。医療関係者に多くの感染者が出て、治療活動自体が難しいことになっているらしい。

そのため昨日から、ネグロス島とパナイ島、さらにその中間にある、観光地として知られるギマラス島の海峡が封鎖の措置に。バコロドとイロイロは、西ビサヤ地方経済の要所なので、この間の移動ができないとなると、景気に与えるダメージは相当なものになりそうです。

先週、我が家の週末限定のメイドを、フェイスブックで募集したところ、あっという間に20名もの応募があったことでも分かるように、コロナ禍による経済への影響は、庶民感覚でもはっきり分かるぐらい大きくなっている。

身近なところでは、同じ宅地内にある、日本人向けの英語学校が一時閉鎖。日本人経営者の方々は、一旦日本へ帰国されました。ここだけでも、ざっと10名程度の英語教師の収入が、吹き飛んだことになります。再開の目処は立たないし、他の仕事もそう簡単には見つからないでしょう。

私にとっても、まったく他人事ではありません。コロナ禍がなければ、裏庭に建てたゲストハウスに、そろそろ英語学校の生徒さんが宿泊を始めていた筈の時期。7月〜9月が書き入れ時なので、丸々3ヶ月分の家賃がパー。

我が家の場合、そこそこ資金に余裕があり、300平米の土地を放置しておくのも勿体ないと、将来、子供が世帯を持った時にと考えていたゲストハウスを、前倒しで建てました。もし、家賃収入を当てにして、ローンを組んでたりしたら、今頃は土地家屋が差し押さえられていたかも。

冗談ではなく、現に私の住む宅地内でも、月々の支払いが滞って住人が追い出され、銀行が管理する無人の住宅もあったりします。大きな錠前で閉じられたままの門扉が、何とも寂しい。

さらには、日銭で暮らしている人々にすれば、コロナ禍で失職したら、それこそ明日食べる米が買えないような事態。メイドの応募メッセージの中には、子供が5人いて生活に困ってます、みたいな、お母さんから悲痛な叫びも。

案の定、ここ最近は、まにら新聞がフェイスブックでシェアしている記事に、殺人やレイプなど、凶悪事件の関するものが増えた気がします。衣食足りて礼節を知るとは、本当によく言ったもので、貧困と犯罪がリンクしているのは、フィリピンに住むと皮膚感覚として分かります。

歴史を紐解いてみると、約100年前の「スペイン風邪」の時は、1918年から1921年までの3年間に渡って、インフルエンザ・ウイルスが世界を3周しました。当時とは状況が全然違うので、単純な比較には意味がありませんが、少なくとも今回のコロナ禍が、年内に収まるとは考えにくい。有効な治療法や特効薬、ワクチンの開発方法が確立されるまでは、安心できません。

となると、本格的に治安が悪化した時に備えて、護身用の拳銃を購入するとか、個人でガードマンを雇うとか、何かしら具体的な行動をしなければならない。フィリピンの場合、
金持ちだと思われがちな日本人なので、こういう事も、現実の選択肢としてあるんですよね。


2020年7月18日土曜日

急転直下の週末メイド


3回続けて、新たにメイドさんを雇う件。遂に土曜日の今日から、新人さんが働き始めました。

今までの経緯は、こちら。
フェイスブックでメイドを求人
助っ人メイドは、子連れで出勤

前回までの流れでは、コロナ禍の影響なのか、口コミでの求人が思うに任せず、フィリピンでの普及率が95%以上とも言われる、フェイスブックを頼ることに。シライ市内での私設職安みたいな感じのグループに入って「求む、週末の土日限定家政婦さん」と英語で投稿したら、あっと言う間に20人ぐらいからメッセージ。

フィリピン人家内の協力を得て、3人まで候補を絞り、さらに返事のあった1人を面接しようとしているところまで、前回お話をしました。ところがここで、思わぬ横槍というか、伏兵が出現。

やっぱり家内は、イマイチ素性の分からない人を、家の中に入れるのが不安。なので、現在、月曜から火曜までのメイドのライラおばさんに、もう一度ダメ元で訊いてみたらしい。

以前ライラにお願いした時は、見つからなかったのが、どういう巡り合わせか、近所に住む姪っ子が働きたいとのこと。そんな人がいるなら、最初から教えてくれよ〜。

名前はグレッチン。27歳の既婚女性で、何人の子持ちながら、仕事に幼い子供同伴はすることもないし、若過ぎない。何よりライラの身内なので、性格や素行に関しては、かなり信頼度が高い。

それならと、フェイスブックで探した人より一足早く、前日の金曜日に、家内の仕事が終わるのを待って、夕刻6時頃に面接することになりました。

その時間丁度に、やって来ましたグレッチン。ゲストハウスを建てた時の大工さんの一人で、ライラを紹介してくれたマーロンのトライシクル(3輪バイク)に揺られての登場です。


まさにライラの血縁と納得するほどよく似てて、肥満度はライラの1.5倍ぐらいの堂々たる体格。お祖父さんが、旧日本陸軍の兵隊さんで、1/4は日本の血を受け継ぐライラおばさん。ということは、グレッチンも1/8は日本人なんですよね。

ただ外見はライラ同様、それっぽい感じはまったくありません。

今までのメイド雇用時に習って、家内をメインに私と3人で面接。特にお喋りではなく、かと言って過度に内気でもない。太り過ぎなのを除けば、ネグロスではごく普通の女の人。結局、断る理由がないし、ライラの紹介なので、あっさり採用決定。

早速、フェイスブックでの求人投稿や、その後も追加で来ていたものも含めて、メッセージは全部削除。申し訳ないけれど、面接予定だった人には「ごめんなさい」の連絡をしました。

明けて、今日土曜日。約束通り、朝8時半から出勤のグレッチンは、事前にライラからいろいろ教えてもらって、甲斐甲斐しく洗い物や掃除。家内の要望に沿って、魚や野菜を買ってきて、お昼ご飯の用意もしてくれました。


慣れた手付きで七輪を使うグレッチン

家内との相性も悪くないみたいなので、これは定着しそう。ということで、新人メイドのグレッチンについては、これから追々、このブログで詳しく紹介していきます。


2020年7月15日水曜日

助っ人メイドは、子連れで出勤


前回の、追加でメイドさんを雇おうという話の続報です。

月曜日から金曜日、朝8時半から夕方6時半まで、我が家でメイドとして働いているライラおばさん。仕事ぶりは問題ないけれど、週末が休みなのと、時々体調を崩して、突発欠勤。その穴埋めにと、もう一名、週末限定メイドの成り手を探しておりました。

今回、初めての試みとして、友達や親戚の口コミに頼るのではなく、フェイスブック内の求人グループ経由で呼びかけてみたところ、丸一日経たないうちに、20人もの応募者が。

やっぱりコロナ禍で仕事が減っているのと、私が日本人だからというのもあるでしょう。今でもフィリピンでは「日本人=お金持ち」神話が根強いので、金払いがいいと思われる。そのせいで、吹っかけられることもあるけれど、今回に限っては、良い方向に働いたようです。

そしてフィリピン人の家内に頼んで、3人まで絞り込み、さらにその中の1人を面接しようと、我が家までの御足労をお願いしたところまでが、前回の投稿。

まぁ、ある程度予想をしてたんですが、仕事が欲しいをいうから返信してるのに、いざ、来てくださいと言ったとたんに、急に梨の礫。既読になってるから、これは意図的に無視してるんですね。フィリピンでは、こういうのが本当に多い。

家内の推測では、途中まではやる気だったけど、ぎりぎりになって、コロナのことで怖気付いたんじゃないかと。

仕方がないので、次点で保留していた、もう1人の候補者に打診したら、この人はちゃんとメッセージを返してくれました。フェイスブックの写真を見る限り、穏やかそうな感じの女性。旦那さんと子供が一人いるらしい。

一時保留にしていた理由は、その6歳のお子さんを連れてくるということ。メイドの仕事に子連れや孫連れは珍しくないネグロス島。我が家でも以前、単発ながら、そういうケースがありました。

ただ、子供の一人や二人、居場所は十分にある家とは言え、何かを勝手に触って壊さないか、怪我をしたりしないかと、家内が難色を示したわけです。一回だけでなく、雇うとなったら毎週のことですから。

ということで、次の土曜日の朝9時、そのメイド候補が来ることに。話をしてみて、何とかなりそうだったら、そのまま土日、働いてもらうことになりそうです。私の予想では、ご本人の能力や性格よりも、子供が静かにしていてくれるかどうか。特に家内との相性が、採用可否のポイントになるでしょう。

ところで、この方。住んでいるのが、我が家からトライシクルで10分ぐらいの場所にある、ギンハララン地区。何と、メイドのライラ、家庭教師のアンと同じバランガイ(最小行政区)。「最小」と言っても、住人は軽く1,000人ぐらいはいるので、お互いに面識はありません。

偶然ながら、ギンハラランは、我が家の人材派遣会社みたいな様相を呈してきました。


2020年7月12日日曜日

フェイスブックでメイドを求人

この一週間ほど、日本の豪雨災害の報道で、遠く離れたフィリピンにいても気分が塞ぎがち。昔から、梅雨時には前線が停滞して大雨、というのはよくありましたけど、ここ最近は、ほんとうに異常。

同じく雨季のフィリピンと比べても、どっちが熱帯なんだか分からないぐらい。私が日本にいた時に、十年に一度あるかの被害が、毎年どこかで発生している感じがします。

ここネグロス島では、もちろん雨が多い毎日ながら、比較的穏やか。午後から激しく降ることはあっても、朝には止んで午前中は晴れて暑い日が多い。日課になっている朝のサイクリングや夕刻の犬の散歩も、雨で見合わせた記憶がほとんどありません。

それはさて置き、実は先週から、またメイドさんを募集しております。と言っても、今働いているライラおばさんが、辞めたり、働きぶりに不満があったりではない。自宅から通いのライラ。一緒に住む子供や高齢のお母さんの世話や、洗濯屋さんの仕事をしたりで、土日は我が家には来ません。

日本で主婦業に追われる人々からは、週に二日ぐらい、家事をしろよと言われそう。フィリピン人の家内にまで「洗い物や洗濯ぐらい私がやるから、別に必要ないよ」。ただ、追加で家政婦を雇っても、1日500円〜600円ぐらいのネグロス島。

今はコロナ禍の規制で、お客さんは来ませんが、普通なら、だいたいホームパーティは土日の週末。料理やら後片付けで、一番手伝いが欲しい時に、メイドがいないのは、何だかもったいない。便利な方に慣れてしまうと尚更です。

さらに、やや健康面で不安のあるライラおばさん。1〜2ヶ月に一度ぐらい、突発で休むことがある。そのバックアップに、との要望もあります。

ようやくコロナ規制が少し緩くなったのを機に、ライラを始め、地元の友達や知り合い何人かに、紹介を頼んでみたけれど、フルタイムならともかく、土日だけでは、なかなか見つかりません。

諦めかけていたところで、ふと気づいたのがフェイスブック。シライ市内限定「Silay City Jobs」という名前の求人グループがあるんですよ。これがなかなか面白くて「韓国で働きませんか?」などの海外出稼ぎとか、プログラマーやコックの専門職。事務系のオフィスワーカーから、子供を世話をするヤヤまで幅広くカバー。もちろんメイドの求人もあります。

さらに雇う方だけでなく、「仕事ください」の売り込みも可。ただ「何でもやります」「どこでも行きます」と、セールスポイントもなしに、助けてください、みたいなのが多い。そう言えば、近所の日本人向け英語学校の経営者が、このグループで英語の先生を探してたこともありましたね。

早速「求む週末家政婦」と短い投稿をしたら、驚いたことに、24時間しないうちに、20人ぐらいから「興味あります、家政婦できます」とのメッセージが来てしまった。半分以上が30代以上の既婚女性で、それ以外は、高校卒業したての若い子や、男性もいましたね。やっぱりコロナの影響か、仕事がなくて困ってる人が多いらしい。

ここから先は、あまり乗り気でなかった家内に、敢えて選抜を頼みました。というのは、何だかんだ言っても、メイドのボスはその家の主婦。私が勝手に選ぶと夫婦不和の原因にもなりかねません。私の場合、どうしてもプロフィール写真で、女性としての魅力に引っ張られてしまう。

それに、メイドをやろうという人は、英語が堪能なことは考えにくい。やっぱり、能力や性格の問題の有無は、地元の方言でやり取りできる家内でないと、判断が難しいのもあります。

そんな経緯で、家内に、20人から3人に絞り込んでもらい、個別のメッセージ送付。返事があった2人のうち、1人は6歳の子供を同伴したいとのことで一旦保留。ということで、最後に残ったメイド候補の女性に、家内が在宅勤務の火曜日、我が家に来てもらって面接することにしました。

さて、移住して初めて、SNS経由で人を雇おうという試み。うまくいくでしょうか。



2020年7月7日火曜日

ちょっと遠乗りサイクリング

移住後2〜3年は、結構マメにやってたサイクリングを、先月(2020年6月)から再開しました。

まだ日本に住んでいた、40代の後半ぐらいの頃には、毎週末に大阪の茨木市内の自宅から、吹田や千里ヶ丘のテニスコートまで、そこそこアップダウンのある片道約10キロぐらい漕いで、テニスを3時間やって...みたいな、今にして思えば、かなりハードなことしてました。

その時に、マイカル・サティで購入した、安ぅ〜い中国製のマウンテンバイク。フレームに印刷してある名前が、なぜかフランス風に「Gavotte」。このガボット号を引越しの時にフィリピンにまで運んでもらって、今でも乗っております。

中国製とは言え、日本市場向けの製品だったせいか、こちらに来てから、タイヤのチューブは、前後とも取り替えて、サドルがかなりボロボロになっているものの、まだまだ基本性能に支障なし。


愛車ガボット号とサトウキビ畑

ところで、フィリピンの、しかも田舎のネグロス島でなんて、スポーツサイクルに乗ってる人はいないだろうと思ってたら、これが大いなる偏見。土日ともなれば、身体にピッタリフィットの派手なウェアに、それっぽいヘルメットの兄ちゃん・姉ちゃんたちが、サトウキビ畑の中の道を軽快に走ってます。

家内の親戚にも、二人サイクル野郎がいて、聞く所によると、何と山間部のパタッグやランタワンまで遠征してるらしい。これは、シライの中心部から、ざっと20キロの距離で、しかも途中はかなりキツい上り坂が多数。本格的ですね。

さすがに、そこまで無茶なことはできないけれど、最近は、雨さえ降っていなければ、ほぼ毎日午前中の30分程度、私が今すんでいるビレッジ(宅地)内をグルっと一回り。宅地とは言え、3ヘクタールぐらいあるので、一汗かいて良い運動。


宅地なのに空きロットばかりで
水牛が放牧されてます。

まだ三分の二ぐらいが空きロットのままで、周囲がサトウキビ畑しかなく、360度見渡せる場所がお気に入り。遠く、マンダラガンやカンラオンの山並みも見えます。それにしても、あの中腹か、それより高いところまで自転車で登る人がいるって、すごいですね。


さて、そろそろ身体も慣れてきたので、先週末は、もう少し遠乗りして、シライ市街地の南北縦断を思い立ちました。

西が海岸で、東はマンダラガンの山間部まで達するシライ市域。東西に細長く30キロぐらいあっても、南北にはせいぜい5〜6キロ。縦断と言っても、市街地が見える範囲ぐらいなら、そんなにすごい距離でもありません。

目的地に選んだのは、北の外れに建設中で、もうすぐオープンの新しいホームセンター、シティ・ハードウェア。日本のコーナンみたいな感じの店構え。郊外型の車での来客を前提にした大型店舗です。

南は、我が家のメイドのライラや、家庭教師のアンが住む、漁港があるギンハララン地区。

日曜日の朝、9時過ぎに家を出て、まず向かったのがシティ・ハードウェア。シライの中央を走る、通称「ハイウェイ」こと、リサール・ストリートをひたすら北に向かって、自転車を漕ぐこと30分。サトウキビ畑の中にポツンと建つ、外観はほぼ完成した店舗に到着。もちろんお客さんはいなくて、まだ内装の工事中らしい。


帰りは、隣接する、これまた造成途中の広大な宅地内の、舗装仕立ての道路を通って、再び市の中心部。そこを抜けて約15分ほどで、何度か来たことのある、ギンハララン・バランガイ(最小行政単位)の入り口へ。

ギンハラランは、ハイウェイを挟んで、両側に住宅地があります。日曜の午前中なので、野菜や魚を売る露天商やら、道端で話し込むオっちゃん、オバちゃんで、いかにもフィリピン庶民の佇まい。移住して7年経っても、こういう場所に来ると「珍しい他所者」という感じで、ガン見されてしまうのは、仕方ありません。

ちなみに、魚を陸揚げする同じ敷地で、平日には、家畜の屠殺と解体が行われています。


ギンハララン漁港

ということで、ざっと1時間半の行程で、移動距離は10キロ強ぐらいだったでしょうか。見た目は他所者でも、知り合いは結構いるシライ市内。ライラとアンだけでなく、ここは友達の職場だとか、家内の親戚が住んでるとか...。同じような街並みでも、そこにいる人の顔が浮かぶと、風景はまったく違って見えてきます。

幸い、少し雲があって、炎天下のサイクリングではありませんでしたが、お尻は痺れるし、日には焼けるし。お昼前に帰宅した頃には疲労困憊。昼食後には、久しぶりに2時間ぐらい、ガ〜っとお昼寝。

でも、これぐらいなら悪くないですね。今後もできれば、週一ぐらいで続けたい、ちょっと遠乗りサイクリングでした。


2020年7月4日土曜日

勤続丸2年のメイドさん


7月4日が記念日と言っても、アメリカの独立記念日のことではありません。超ローカルな身内ネタで恐縮ながら、メイドのライラおばさんが我が家で働き始めて、今日でちょうど丸2年。

今住んでいる自宅が竣工して以来、ライラは五代目のメイドさん。初代カトリーナと二代目アミーは、共高校卒業したてのティーンエイジャー。まだまだ遊びたい盛りだったようで、カトリーナは無断外泊が続いて、家内が解雇。アミーも年末年始の休みで実家に帰ったまま音沙汰なし。二人とも申し合わせたように、半年でいなくなりました。



着任当時23歳だった、三代目ネルジーは、すごい人見知りで無口な性格。菜食主義ではなく偏食で肉類が一切ダメ。当初は、大丈夫かいなと思いましたが、意外にも長続きして2年3ヶ月。でもやっぱり最後は、選挙の投票を理由に、田舎に帰省してそれっきり。だいぶ後になってから、我が家の近くに住むお姉さんが、荷物を取りに来ましたっけ。


勤続の最短記録を作ったのが、19歳の四代目のジャジャ。長続きするかどうか、考える暇も与えてくれず、たった四日で逃げ出しちゃいました。家族が恋しいというのが理由。ただ、その前の3人よりマシだったのは、ちゃんと辞める意思表示をしてくれたこと。


そんな我が家の、歴代メイドの平均年齢を一挙に上げたのが、今勤務中のライラ。元OFW(海外フィリピン人労働者)でクェートで働いた経験もある、45歳の大ベテラン。さすがに掃除・洗濯・買い物と、何を頼んでも大きな失敗はなく、抜群の安定感。


私にすれば、いくらメイドさんでも、昼間の時間に若い女性と自宅で二人だけとなると、変な遠慮をしたものですが、そういうことがないのが助かります。もうすぐ還暦とは言え、男ですからねぇ。家内も、直接は口に出さなくても、その点は安心はしている様子。

特に昨年(2019年)、裏庭にゲストハウスを新築した時には、何かと活躍してくれたライラ。大工さんの休憩用に、パンやインスタントコーヒーの用意は、私が黙っていても、欠かさずやってくれました。

唯一ライラが危なっかしいのは、健康面。丈夫そうに見えて、結構、風邪引いたり、膝が悪かったり。胃潰瘍やら血圧が高いやら。その上どうもアルギー体質のせいか、サトウキビの焼畑の時期には、咳がひどくなる。1〜2ヶ月に一度ぐらい、急に数日休んでしまうのが玉に瑕。

とまぁ、いろいろありましたけど、他家でたまに聞く不祥事、お金や物を盗んだとかは皆無。どの人も正直で、気立てが良い人ばかり。そして不思議と後になればなるほど、メイドさんとしての質が上がってます。これは今までのところ、メイド運が良かったと言うべきなんでしょう。

考えてみると、メイド以外で我が家に出入りする人たち、家の修理を頼む大工さんや電気屋さん、出張マッサージのセラピスト、イロンゴ語の家庭教師、運転手などなど。辞める時に多少のゴタゴタはあっても、概ね人材には恵まれている感じがします。

まだ一人目の運転手、ナルシソおじさんは別として、どの場合も、前任より後任の方が、専門性の点で尻上がりに良くなっているのも、似通っている。

これは、結局のところ、口コミ社会のフィリピンで、人付き合いを大切にしたことの結果。私ではなく家内の功績。地元で人間関係の起点になるのは、何と言っても、ネグロス島シライ市生まれの家内。

大工さんたちは、シライ市役所で建築関連の部門長をやっている、家内の弟の伝(つて)だったし、ライラは、その大工さんの一人からの紹介。運転手はライラのお隣さんで、セラピストは家内の父がお得意さん。家庭教師のアンだけは、日本のNGO経由で私が知り合った高校の先生、ティンティンの同僚という繋がり。

ということで、これからフィリピンに移住しようとお考えの方へ。健康のこと、経済面のことのみならず、快適な移住生活が送れるかどうかの鍵は、地元での人脈作りの成否、と言ってもいいぐらい大事ですよ。


2020年7月2日木曜日

コロナで覚える英単語


我ながら不謹慎なタイトルだと思いますけど、もう笑い飛ばすしか他に方法がないというぐらい、閉塞感で息が詰まりそうな最近。コロナ発生元の中国だけでなく、日本もフィリピンも、どうやら感染の第二波が来たようです。

マニラ首都圏は相変わらずのようですが、今ヤバいのはセブ周辺。一旦は緩和されたと思ったら、一段深刻な検疫体制に逆戻り。それに呼応するように、私が住むネグロス島の西隣、パナイ島の州都イロイロが封鎖状態に。多数の医療関係者がコロナ感染しているとのこと。

先週、イロイロ在住の家内の友人が、誕生日をレストランで祝う写真を、フェイスブックに投稿していた矢先。

さて、コロナ騒ぎでオリンピックの延期が決まったぐらいの時期から、東京都知事やマスコミ各社が、聞き慣れないカタカナを連発。「パンデミック」「アウトブレイク」「ロックダウン」「クラスター」「オーバーシュート」などなど。

代表的なカタカナ職業である「デザイナー」をやってた人間が言うのも何ですが、「世界的流行」「感染爆発」「都市封鎖」「集団感染」「患者急増」と、初見でも意味が分かる日本語があるのに、なんでわざわざ英語を使う?

そう思ったのは、私だけではないようで、ちょっと検索したら、批判的な記事やら、意味の説明一覧のサイトが目白押し。聞きかじりの生半可な知識を、さも「俺はよく知ってるんだ」とばかりに吹聴する時に、やっちゃうんですよね。

私の場合、それでなくても日常的な作業や道具が、カタカナ名前ばかりでした。「アイデア」「スケッチ」ぐらいは分かるにしても、「コンセプト」を立案し、「マーカー」で「レンダリング」を描き、「モデラー」に依頼して「モックアップ」を作成。それを使って「プレゼンテーション」して、その結果を「3Dデータ」に反映する。

もう訳分からんでしょ。
デザイン実務経験のない偉いさんに説明する時は、それはそれは気を使ったものです。下手にカタカナ用語を多用すれば反発されるし、いちいち解説したら、素人扱いするなと怒られる。

そういう経験を積むと、どんな知識レベルの人がいるか分からない公の場で、生のカタカナを説明なしに使うのは、ただの馬鹿にしか見えません。あるいは最初から自慢したいだけで、理解してもらう気がないのかと思ってしまう。

考えてみれば、表意文字である漢字を取り入れた日本語って、誰にでも理解可能な造語が容易にできる。例えば、今流行りの「在宅勤務」。初めて見聞きした人でも、職場に行かず自宅で仕事することだと分かります。それをまた「リモートワーク」って言い換えて、意味を分かりにくくするって、どこまで頭悪いんだか。

フィリピンでは、政府や役所からのお達しは英語が基本。タガログ語も使いますが、本気で全国に通達する時には、やっぱり英語になることが多い。

ご存知の通り、英語は26の表音文字だけの言葉。比較的簡単な単語を複数使った表現ならば、私でも分かります。厄介なのは一語で難しいヤツ。「検疫」を意味する「quarantine」って、最初は何のことやら全然分かりませんでした。くぉれんてぃーん???

そんな言葉、普通に生活してても、まず使うことないですから。

さらにそれを他の言葉と組み合わせて、頭文字だけの略語に。GCQ / General Communitiy Quarantine (一般的な検疫地域)、ECQ / Enhanced Community Quarantine(防疫強化地域)。在フィリピン邦人の方々には、うんざりでしょうけど、初めてネットで目にした時には、恥ずかしながら、BCG(結核の予防接種)でも始めるのかと思ったぐらい。

実はこれ、笑い事ではなくて、公用語である英語を満足に理解できない人が、意外に多いフィリピン。貧困のため教育機会に恵まれなかった中高年層に、その傾向が顕著。7年前のスーパー台風ヨランダ来襲時に、事前に高潮警報が出ていたのに、高潮を意味する英語「Surge」が理解されず、避難が遅れて多くの犠牲者が出たそうです。

ということで、日本であれフィリピンであれ、緊急時になるほど、言葉の理解が切実な意味を持ってくることを、思い知らされております。ちなみに、私の父がドバイで建築現場の監督をしていた1970年代、パキスタン人労働者のために「危ない!」をウルドゥー語で覚えたと言ってたなぁ。