2021年12月30日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 アイドルまーちゃん

早いもので、もう今年(2021年)最後の美女図鑑更新です。

今日のモデルは、フィリピン在留邦人のアイドル的存在の「まーちゃん」。アイドルというのは、私が勝手に思い込んでるだけかも知れませんけど。

まーちゃんは、フィリピンのお母さんと日本のお父さんを持つ日比ハーフ。フィリピンの音大を出て今も音楽活動を続け、ボイストレーニングを欠かさない正真正銘音楽のプロ。楽器演奏や歌唱など、ミュージシャンの層が厚いフィリピン。ギターの弾き語りぐらいお茶の子サイサイで、YouTubeにガンガン自分の楽曲をアップしてるアマチュアは私も知ってますが、正規の音楽教育を受けたっていう人のは、あんまり聞きません。

もちろんそれだけではなく、私がモデルになってほしいと思うぐらいなので、そりゃぁ別嬪さんなんですよ。リアルではお会いしたことはないものの、日刊まにら新聞が発行している情報紙「ナビマニラ」の顔。マニラ首都圏のお店やレストランを紹介するナビマニチャンネルのナビゲーター役を務めたり、タガログ語の歌を歌って、その美声を披露したり。


とは言え、決して雲の上の人ではなく、ツイッターで私のくだらないジョークにも返信してくれる、等身大のアイドル。まーちゃんのお父さんと同世代であろう私が、追っかけするのも迷惑でしょうけど、ダメ元で「イラストのモデルになってくれませんか」と尋ねたところ、二つ返事で快諾をいただきました。

でもよ〜く考えてみたら、これって逆にプレッシャーだと気づいたのは後の祭り。そもそも舞台で歌うような人なので、自分がどう見られるかは熟知しているはず。自分の外見に関してもプロ意識を持っている方に、ポートレイトをプレゼントしようというのですから。

女優さんをファンアートと称して、本人の意向関係なしに好き勝手に描くのとは全然違いますわなぁ。

フィリピンの女の子なら、大抵SNSにはアホほどたくさんのセルフィー写真が投稿されているので、比較的容易に頭の中で似せるためのイメージを結ぶことができますが、まーちゃんがシェアしてる写真は意外にも少ない。この辺りは、普通の日本人女性のメンタリティなんでしょう。

久しぶりに描き始める前のイメージ作りに、難渋してしまいました。

もうひとつ悩んだのが衣装。最初はクリスマスに合わせて、サンタさんのコスチュームか?と思ったものの、あまりにも安直すぎる。クリスマス柄の浴衣なんてアイデアも出したけど、どうしてもマンガっぽくなっちゃうんですよね。

考えに考えた揚げ句、クリスマスには間に合いそうもないので、お正月向けに晴れ着。結局、今まで何度も描いた着物シリーズの続編と相成りました。


とまぁ紆余曲折は経たものの、まーちゃんには喜んでいただけたようで一安心。「画像だけで、ここまで似るもんなんですね」とツボを突いたコメントも頂戴しました。

さらに嬉しかったのは、最近までナビマニチャンネルでまーちゃんの相方役だった、日本人芸術家のあつこさんが「すご〜い、まーちゃんそのまんま」と評してくれたこと。実物のモデルさんをよくご存じで、しかも現役のアーティストにお褒めいただくとは、これこそ望外の喜び。

ということで、来年にはぜひまーちゃんにお会いして、サラ・ブライトマンとアンドレア・ボッチェッリの「Time to Say Goodbye」をデュエットで歌うのが、目下の夢でございます。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年12月22日水曜日

まだら模様の被害状況

 フィリピン中部のビサヤ地方とミンダナオ北部に、甚大な被害をもたらした台風22号、フィリピン名オデット襲来から一週間が経過しました。連日テレビのニュースでは、被害の大きかったスリガオやボホール、セブ、そしてネグロス南部のシパライなどの、惨憺たる街並みの映像が流れています。

このブログで度々触れているように、私たち家族の住むネグロス島シライ市では、各所で樹木や電柱が倒れて送電線が寸断。トタン屋根を飛ばされる家屋も多く、市民の避難先だった市立体育館も天井が崩落、人々はさらに市内の高校へと再避難を余儀なくされました。

それでも他の被災地に比べると、幸いにも死者はなく、台風通過後24時間以内に一部の電力が復旧し、まだ完全ではないものの、大部分で通常の生活が戻っています。

自宅向いの空きロットから、我が家の塀に倒れ込んできた樹木は、数日前に宅地のメンテナンススタッフによって枝が除去。台風4日後に出勤してくれた、メイドのライラおばさんにも手伝ってもらい、路上に散乱した小枝と大量の落ち葉を清掃。翌日には腰や腕が盛大に筋肉痛になったけれど、取り敢えずは車両は通行可能になりました。


ゴミ回収車は無理ですが
普通の自家用車なら大丈夫。


台風通過直後はこんなでした。

まだ時々、1時間程度の停電があったり、ネットが不安定になるといった後遺症はあっても、敢えて意識しなければ、たった一週間前に「猛烈な台風」の直撃を受けたとは思えないほど。

それに比べて隣島のセブでは、依然として厳しい状況が続いています。

電気と水道は完全にストップしたまま。発電機と貯水槽をそなえたビルが林立するビジネス街ITパークでは、最初は明かりも空調もあり、飲食店も営業。それも数日経つうちに、燃料切れや発電機の故障などがあって、現在では真っ暗な状態とのこと。

日本では自宅で発電機を使っている人はほとんどいないと思うので、我が家の発電機について少し説明しますと、発電量3.1キロワットのガソリンエンジンのものを2台使用これで照明器具に冷蔵庫・洗濯機、電子レンジなどが稼働できますが、エアコンはちょっと厳しい。電気給湯器はオーバーキャパシティでエンスト。価格は1台4万円程度。

満タン10リッターで、連続12時間ぐらいは保ちます。ちなみに現在のガソリン価格はリッター160円ぐらいで、就寝中はオフにするとして1日1,600円。

ここシライでは、台風が来なくても毎週のように停電があるので、頻繁に発電機を回してますが、電力事情の良い大都会セブだと、おそらくあまり使ってなかったと思われます。

車のエンジンと同じく、定期的に動かさないと不具合が出やすいのが燃料式の発電機。しかも不慣れな人が操作や給油となるといろいろ不安があります。今回のセブでは、何を勘違いしたのか、ガソリンの代わりに水を入れて故障したなんて話を聞きました。

それは論外だとしても、ディーゼルオイルとガソリンを間違えると異常燃焼が起きて、エンジンをダメにしてしまうことも。

セブの現状に話を戻しますと、故障はしなくても、燃料入手はかなり困難なようで、ガソリンスタンドでは連日長蛇の列。当然のように価格も高騰。中にはこれを商機に変えて、自宅の発電機で携帯電話の充電サービスを始めた人もいるとか。

さらに飲料水購入や生活用水を探すだけで、1日走り回ってクタクタになったり、ネットがなかなか繋がらずイライラしたり。聞くところによると、フェイスブックのメッセージが着信しているのは分かるのに、内容を読めず返信不可という現象も多発。これはストレスが溜まると思います。

そんな状況でセブ在住邦人の方々は、何とか情報を交換しつつ、助け合いながら過ごされているそうです。当初に比べると多少はネットは繋がりやすくなり、一部ではカードが使える場所もちらほら。今はどこもATMが激混みで、唯一の決済手段である現金が手に入らないので、これはかなり助かるでしょう。

ようやく日本国内でもフィリピンの台風被害が報道され始め、日本政府も支援物資を送り届けることで、動き出しました。初動の遅れは否めないものの、そのニュースを聞くだけでも嬉しい。

ということで今日の投稿のセブに関する部分は、主にツイッターでフォローしている方々のつぶやきを元にしております。私の誤解や、すでに状況が変わっている箇所もあると思いますので、間違いに気づかれた方は、ご指摘ください。



2021年12月19日日曜日

SOSセブ


出典:ABS-CBN

 先週木曜日(2021年12月16日)午後から翌金曜日未明にかけて、フィリピンのミンダナオとビサヤ諸島を駆け抜けた、台風22号フィリピン名オデット。上陸直前に「強い」から「猛烈な」に急成長して、まるで不意打ちのように甚大な被害をもたらしました。

前回の投稿でも書いたように、ここネグロス島シライでも市内でも樹木が根こそぎになったり、電柱そのものが倒壊して各所で電線を切断。ネグロス中央電力管轄の州都バコロドやシライ、タリサイ、バゴ等々西ネグロス州の主要部が広域停電のブラックアウトに見舞われました。

電力の復旧には数日が必要とのことで、我が家では発電機用のガソリン20リッターを新たに買い込んで備えたところ、信じられないことに台風通過の当日夕刻、つまり前回の投稿をアップした数時間後に電気が戻りました。配電盤のグリーンのパイロットランプ点灯に気づいた時には、我が眼を疑うほど。

もちろん全カバーエリアで一挙に...というわけではなく、できるとこから少しづつだったようで、我が家と周囲の数軒は、その最初だったらしい。それでもその後二日で、順調に電気が回復して、昨夜(12月18日)には、2階の窓からは台風前とほぼ同等の灯りを見ることができました。

断水はまったく無かったし、やや繋がりにくくなったもののネットも無事。当初は稼働しているシステムが限られていたため、大行列だった銀行のATMも翌日には混雑が緩和され、家内はキャッシュを下ろしてスーパーで買い物することができました。

しかしこれは、今回の被災地域の中では、極めて幸運だったことが次第に明らかに。

まず、最初にオデットが上陸したミンダナオの北スリガオ州や、ボホール、ネグロスの反対側の東ネグロスや、同じ西ネグロスでも南部では、わずかに台風の中心に近かったためか、桁外れに大きな被害。

中でも大惨事になってしまったのが、フィリピン第二の大都会にして、数千名の邦人が住むセブ。貧困層の住むような簡素なトタン葺きの家だけでなく、しっかり作られたはずの立派な家屋や、規模の大きな商業施設でも屋根や門扉が吹き飛ばされる被害が続出。

セブ在住のユーチューバー、いくぴーさんが被災直後のセブ市街地の様子を、バイクで回って記録された貴重な映像によると、シライが受けたダメージをはるかに超える惨状。何度も旅行したことのあるセブなので「え、あの場所がこうなっちゃったの?」と驚きました。

深刻なのは、停電に加えて水道が使えなくなったこと。しかも何週間なのか何ヶ月なのか、復旧の目処が立っていない。ツイッターでのセブに住む日本人の方々からは、発電機の燃料がなくなった...飲料水を買うのに長蛇の列が...と言った悲痛なつぶやき。

日本でも東日本大震災や大規模な水害を知っている人は実感できると思いますが、何日もの停電は何とか凌げても、水が出ないのは本当に危機的状況。私も阪神淡路の地震で僅かに経験があります。ただあの時は、私がいた場所では数日で電気も水道も元に戻りました。

災害時ではなくても各種インフラが脆弱で、日本の自衛隊のように迅速な災害救助も期待薄なフィリピン。この状況がいつまで続くか分からないことほど、精神的に堪えることはありません。

それにしても、ここまでの被害が出て、たくさんの日本人が追い詰められているのに、日本では大して報道されていないのが驚き。8年前に、同じくビサヤ諸島を直撃したスーパー台風ヨランダの時は、高潮で壊滅したタクロバンの映像や、死者6,000名以上という、パッと見のインパクトが強かったため、連日大きく報じられたそうですね。

ネットが回復した時に、メールの受信箱やフェイスブックのメッセンジャーがパンクするかと思うほど、大量の安否問い合わせが届いてました。

それに比べると、特にフィリピン関係者とか、家族や親戚・友人がセブに住んでいるとかでもない限り、ほとんど日本では災害そのものが知られていないようです。私がヨランダの時に、日本からの励ましで元気づけられたことを思うと、これは逆に辛い。

フィリピン国内ですら何もできないので、日本で知ったところで、無力感に苛まれるだけかも知れませんが、せめて日本政府は早急に何らかのアクションを起こしてほしい。それこそ自衛隊の船舶を派遣して、港に停泊してシャワーだけでも提供するとか。

セブの日本領事館のホームページを見ても、月曜日(12月20日)から相談窓口を開設するとあるだけ。もう絶望的な気持ちになってます。


2021年12月17日金曜日

台風直撃ネグロス島

 年末のクリスマス一週間前という時期、またもや台風がやってきたフィリピン。昨日(12月16日)午後、急激に勢力を増した22号台風「オデット」は、猛烈な強さとなってスリガオ島付近に上陸後、南部ミンダナオと中部レイテの間をすり抜けるように私たちの住むビサヤ諸島を直撃。ボホール、セブ、そしてネグロスの各島を横断して、今朝スールー海に出ました。

ここ西ネグロスのシライ市では、最接近直前の午後10時頃に停電。これは局所的なブラウンアウトではなく、CENECO(ネグロス中央電力)管内の州都バコロド、近隣のタリサイ、バゴ、など人口100万を超える全地域が電力喪失のブラックアウト(広域停電)。CENECOの発表によると、復旧には2〜3日程度を要するとのことです。

幸いにして、自宅では断水もなく、電話線とインターネットは無事。前日満タンに給油しておいた発電機を稼働させているので、こうしてブログへの投稿ができています。

8年前に同様にビサヤ地方を横断したスーパー台風ヨランダの時には、ネグロスでの被害は主に洪水によるもの。その時の鉄砲水で家を失ったシライ住民のために、建設が続けられていた宅地、通称「ヨランダハウス」が竣工したのが、ほんの去年のこと。

シライでは、オデットによる目立った水害がなかった代わりに、秒速50メートル(推定)の暴風が吹き荒れ、市内各地で倒木が送電線を切断する事故が多発。加えて、トタン板を葺いただけの貧困層が住む家屋では、屋根が吹き飛ばされるケースが多かったようです。

メイドのライラおばさんとその家族は、当夜は近所の小学校に避難していて無事だったものの、自宅の屋根が壊れたそうで、先ほど家内に「修理のために脚立を貸してください」と連絡が。

鉄筋コンクリート二階建ての我が家は、幸い特に大きなダメージもありませんでしたが、向かいの空きロットに自生していた樹木が倒れかかってきて、道を塞いでしまいました。

それにしても今回は油断してました。

前述の通り、直前まではそれほどの強さでもなかったので、飲料水や食料は特に用意せず。幸い今朝も近所の水屋さんが営業していたので、後付けで1週間分程度の水は確保できたから良かったものの、おそらく前日、水屋さんが多めに用意していた備蓄水。電気が止まってしまうと、新たに精製することができない。よく通常の値段で売ってくれたものです。

午前中に、市内中心部を自転車で見て回ったところ、水だけでなく、市場や銀行、マクドナルドのハンバーガー店も店を開けていて、車も思ったより多くの量が走ってました。お陰さまで家内の弟や父、甥っ子、姪っ子もみな元気。

ということで、しばらくはお湯のシャワーが使えないとか、毎日発電機のためにガソリン購入など、若干の不便や手間はかかるとは言え、ほぼ平常通りの生活ができそうなのは、ほんとうに神さまに感謝です。


市役所前広場に設置されたツリー
倒壊は免れました




2021年12月14日火曜日

バンビはギターの先生

 先週の土曜日(2021年12月11日)、フィリピン教育省の地方分室勤務の家内からの紹介で、やって来ました新しいイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師のバンビさん。もちろんこれはニックネームで、本名はヘラ・ゴレツといいます。

8年前の移住当初、最初にイロンゴ語を教えてくれたティンティンことクリスティーナは、当時30代。その後20代の先生が3人続いて、今回のバンビは39歳。歳のわりにはずいぶん可愛らしい名前ですが、フィリピンではそんなに珍しくはないらしい。

私にとっては5代目となる家庭教師のバンビは、その中でも一番のおしゃべりで明るい性格。もちろん語学の教師やるぐらいだから、今までも無口だったり暗い性格の人はいなかったものの、もうブッチ切りのフィリピナ気質満載。

前回投稿した通り、家内の同僚で、教育省勤務。学校所属ではなく公務員として、病気や貧困などの理由で学校に通えない子供のために、家庭訪問して授業をしたり、刑務所に収監されている囚人を対象に教えたりする先生。ふ〜ん、そういう仕事もあるんですねぇ。

そして家内によると「子供っぽい」とのこと。まだ独身なんですが、何回か恋人と同棲して失恋。その度に上司に怒られるほど職場で号泣したりするらしい。子供っぽいというより、隠し事ができないストレートな性格。確かに実際に会って話してみたら、その通りの天真爛漫さ。

ただ、教師としての心構えはしっかりしているようで、わざわざ約束の時間を遅らせて、私のイロンゴ語力チェックのためにイロンゴ例文を用意してきました。私としては最初なので、30分ぐらい面接っぽく喋っておしまいのつもりだったのが、終わってみれば2時間ガチのレッスン。

全教科の教員資格はあるし、ギターとピアノも教えるというオールラウンドなバンビ。ちょっと雑談しただけでも、話題はずいぶんと豊富だし教養も感じさせます。やっぱり或る程度の年齢と経験を積んでる人ですね。

これはメイドさんの雇用でも感じたことで、最初は高校卒業したてのティーンエイジャーから、20代中ば、そして現在のライラおばさんと、歳を重ねただけスキルは上がるし、それだけ仕事を続けているだけあって、腰が据わってる。

女性とかフィリピン人に限った話ではなく、若いと体力はあるけど、自信が伴わない分、仕事を任せても危なっかしいし、なかなか長続きしない。メイドさんが5人目、セラピストが3人目で、結局バンビ含めてほぼ40代で揃いました。

もちろんこの先バンビが、3年5年と定着するかどうかは未知数ながら、教師としては10年以上のキャリアがある人。今までの先生たちと比べると、第一印象での安定感は抜群です。

何より気が合ったのは、音楽大好きな点。ただ好きなだけなく子供に教えるレベル。フェイスブックに投稿された動画を見ると、ギターはプロ並みの演奏です。それならばと、嬉しがりの私が早速英語とイロンゴ語の歌を披露したところ大喜びのバンビ。

実は、最初の頃に歌でイロンゴ語を覚えようと、私の好きな日本語を歌をイロンゴ訳してもらって歌うという取り組みをやってまして、そのトライアルを約2年ぶりに再開できそうな運びに。1曲だけあるのが「上を向いて歩こう」。そして未完だった「シクラメンのかほり」(どっちも古くてすみません)をバンビに完成させてもらうことになりました。

ということで、次週はギター持参でイロンゴレッスン。まったく予期せぬ展開ながら、これは面白くなりそうです。



2021年12月10日金曜日

新しい家庭教師

 2013年の移住以来、私にとっては4人目だった、イロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師のアン嬢。先月(2021年11月)のイロンゴ語によるビデオログの提出を最後に、休講が続いておりました。理由はシンプルで、徐々に通常に戻りつつある本職の高校教師の仕事が忙しくなってきたから。

コロナ禍真っ只中の時には、就業日が週4日。土日は実家のあるカディスに帰るので、最近は木曜日の午後がイロンゴ・レッスンでしたが、週5日に戻って上に新たな学位修得が必要になったらしい。ここシライ市内の感染者数も一桁台になって、やっと日常生活が普通になったと安堵したんですが、それで忙しくなる人も増えるわけです。痛し痒し。

思い起こせば、初代先生で近所の私立高校に勤務するティンティンにアンを紹介してもらったのが、シライのロックダウン解除直後の昨年6月。(「本気でプロの家庭教師」)かれこれ1年半もお世話になりました。ティンティン以降の前任者二人は、プロの教師ではなかったこともあり、私のイロンゴ力はあまり変化しなかったのが、現役英語教師のアンに就いてからは、自覚できるぐらいに学力向上。

アンはいろいろ工夫してくれましたからねぇ。

現地小学校で使われている、母語(マザー・タング)用の教材を使ったり、自分で録音した聴き取りテスト。或る程度私がイロンゴ作文できるようになってからは、毎週の出来事をA4一枚にまとめた「ジャーナル」や、前述のビデオログなどなど。

何より明るいアンは、私のくだらないジョークにも大笑いしてくれる、関西芸人風に言うと「ええお客さん」。教師としてはもちろん優秀だし、一人の女性として実にチャーミングなアンなので、週一回会えなくなるのは寂しい限り。最近も似顔絵イラストをプレゼントしたところなのに。(「アン in キモノ」)

アンも含めて、4人すべての家庭教師さんは、私の都合で辞めさせたことはなく、どの人も止むを得ない事情ばかり。家庭教師だけでなく、我が家に出入りするワーカーは、メイドとマッサージ・セラピストがいますが、だいたい辞める時は先方の理由ですね。なので、しばらくは軽い喪失感が伴います。

とまぁ、残念がってばかりもいられないし、折角だいぶ上達してきたイロンゴ語会話を諦めるのも勿体無いので、早速後任探し。またもやティンティンにメッセージをしたら、気立の優しいシライ小町の彼女は、二つ返事で引き受けてくれました。ただシライの学校教師は、アンだけでなく、どこもこれから多忙になりそうで、ちょっと難しいかも。

そう言えば家内が、教師の総元締めであるフィリピン教育省勤務。私がイロンゴ語を少しは喋れるようになって、家内も喜んでいるので、頼まない手はない。結果的にはこっちが当たりで、数日で候補をピックアップ。

家内の話によると40代の女性。学校勤務ではなく教育省に籍を置く教師。病気や家庭の事情、遠隔地に住むために学校に通えない子供や、刑務所に収監されている刑務者を対象に、巡回授業をしているとのこと。英語だけでなく全教科見てるので、かなり経験豊富で教養がありそう。

しかもギターを弾くのが得意で、それも教えているんだそうです。これはひょっとして私の歌でセッションできるかも?

ということで、明日の土曜日朝、家内を交えての面接を控えて、いやが上にも高まる期待。結果はまた投稿しますね。



2021年12月8日水曜日

或るフィリピン系日本人の死

 今日は一種の懺悔か告白みたいな内容で、書くのが少々気の重い投稿です。

先月(2021年11月)の末、家内の叔母の夫がマニラ空港で亡くなりました。この人、戦前にフィリピン・ネグロス島に渡って来た日本人男性と、現地の女性との間に生まれた日比ハーフで、仮にMさんとします。享年91歳、死因は末期癌でした。

このMさん、以前にもこのブログで少し触れたことがあって、実は私とネグロス島生まれの家内の出会いのきっかけを作った人。四半世紀前の1996年、兵庫県の私の実家近くにあるカトリック教会で、Mさん夫婦と知り合いになり、お盆休みを利用してネグロスの別荘に遊びに行くことになったのか発端。

最初からMさんは、姪っ子の花婿候補として、私を家内に紹介してくれたので、言ってみればお見合いみたいなもの。まんまとこれに乗った私と家内は、2年もしないうちに国際結婚となったわけで、Mさんとその連れ合いである家内の叔母は、私にとっては恩人。

ところが事は、かなりの紆余曲折を経ていて、まだ私たちが交際中だった時期に、何が気に入らなかったのか急に絶縁。大工の棟梁だったMさんは、以前から結婚相手がいなくて困ってる大工さんに、ネグロスの伝手でお見合いを世話していて、それまではフィリピンはおろか、海外旅行もしたことがなく、英語も全然ダメな人ばかり相手にしていたらしい。

幸か不幸か私は、フィリピンを含む東南アジア諸国が仕事の舞台。言葉は問題ないし、すでにフィリピン女性との恋愛も経験してました。何よりも私と家内は話も合ったし、双方一目惚れに近い状況だったので、初対面以降はMさんの助けはなくても、勝手に話が進んだのが面白くなかったようです。

後から聞いたところでは、家内の両親、特に義母は「紹介だけしてあとは放ったらかしってどういうこと?」と怒り心頭。仕方がないので、Mさんとは没交渉のまま、私と家内はゴールイン。

それでも結婚が決まってからは機嫌を直したMさん。披露宴にも出てくれたし、その後の日本での結婚生活でも、家内の手前もあってか、普通に付き合いが続きました。

やれやれ、これで一件落着かと思ったら、久しぶりに教会で会ったMさん夫妻になぜかシカト。挨拶しても目も合わさない子供のような完全無視。この時も理由は全然分かりません。

時を同じくしてMさんと義両親との関係も悪化。電話で義母と話をしたら「仲直りしてほしければ、娘をあの男と別れさせろ」と言われたと憤ってました。もう何様のつもりなんだか。

どう考えてもここまでの仕打ちを受けるような落ち度があったとは、まったく心当たりがない。いくら恩人とは言え理不尽に過ぎる。それ以来の約20年、絶縁状態が続きました。結局義母は、仲違いしたままその4年後に死去。私たち家族がネグロスに移住してからは、親戚の葬儀で一度顔を合わせたものの会話はなし。

これだけのことがあっても、家内やもう一人の叔母はさすがに血縁者なんですね。何度か私とMさんの間に入って関係改善を働きかけてくれましたが、こちらから詫びを入れる道理がない。そうこうしているうちに、日本に帰国していたMさん夫妻は、コロナ禍のためフィリピンに戻れなくなり、Mさんは癌にかかったという次第。

そして癌が末期になり、死ぬのなら生まれ故郷のネグロスでとの本人の強い希望で、叔母に付き添われたMさんが、マニラ空港に到着したのが11月の半ば。2週間のホテルでの隔離にも耐え、ようやくネグロスへの国内便に搭乗というタイミングで力尽きたそうです。

棺桶に入れられたMさんの亡骸がネグロスに戻った日が、何の因果か家内の誕生日。そして先週行われた通夜〜葬儀には、申し訳ないことながら家内だけが参列。どうしても叔母にすら会う気にならなかったんですよ。

「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します。」とは、カトリックで最も重要とされる「主の祈り」の一節。私もカトリック信徒の末席を汚す者としては、この言葉の実践者になるべきなのは百も承知なんですが、やっぱり無理でした。

ということで今日は、心に溜まった澱を吐き出す気持ちでの投稿です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



2021年12月3日金曜日

日本もフィリピンも迷走する感染対策


出典:Inquirer

 もう今年(2021年)こそは、長引くコロナ禍も収束に向かうのかと思ったら、やっぱり一筋縄ではいきません。新しい変異株の出現は予測されていたものの、またも各国がヒステリックな対応になってしまった12月。

伝え聞くところによると今回のオミクロン株、あたかも南アフリカが発祥みたいな報道されてますが、これはたまたま最初に確認されたのがそこだと言うだけで、騒ぎ出した頃にはすでに世界各国で感染者が見つかっていたそうです。

しかも、感染力は高いものの、それまでの株に比べて重症化率が高いわけでもないのに、正直に報告した南アフリカを罰するような完全渡航禁止策。これは将来に禍根を残すでしょうね。

在フィリピン邦人として衝撃だったのが、岸田新政権による「鎖国」。当初の外国人の一律入国禁止でもやり過ぎぐらいだったのが、続いて日本への航空便の予約停止要請で、事実上の在外邦人の締め出し。どうやらこれは勇み足だったようで、すぐに撤回されたものの、それでなくても海外の同胞には冷たい印象だった日本政府。残念を通りこして、呆れてしまいました。

SNSで知り合ったフィリピンに住む日本人の方々にも、動揺や怒りが広がってます。タイミング悪く、日本とフィリピンに恋人や夫婦が離れ々れになってしまい、1年以上も会えなくなったり、2年ぶりのクリスマス/年末年始の里帰りを諦めたり。

かく言う私も、コロナがなければ昨年には年老いた両親を日本から引き取って「介護移住」する予定で、そのために裏庭に離れを建て増し。やっと来年(2022年)には何とか動けるかと思った矢先ですから、かなり落ち込んでおります。

考えてみれば、100年に一度の世界的な感染爆発。今生きてる人は経験のないことだし、完璧な対応を政治家に求めるのは無理。本当の発祥地である中国が、下手に隠蔽しようとしたから、どの国の政府も初動の遅れは仕方ない側面もあったでしょう。

また、当初はうまく処理して、感染を抑え込んだかに見えた国でも、デルタ株による感染者急増が起きたりして、自然相手の戦いがどれほど厄介な事かを改めて実感。まぁ、こういう前例のない大規模な規制って、戦争と似て、始めるのは意外に簡単でも、それを緩めたり撤廃するのって、タイミングやさじ加減がとても難しいようです。

とは言うものの、祖国日本も、第二の故郷フィリピンも、どう控えめに見たって打ち出す対策が科学的・合理的な見地ではなく、気分や雰囲気で決めてるとしか思えない。

特にここフィリピンでの検疫。一応警戒レベルがあるんですが、どのレベルで何がダメで何がOKなのかがイマイチ不明瞭。人や場所によって言うことがコロコロ変わるもんだから、せっかく久しぶりに家族全員で外食できると思ったら、子どもだけ門前払いだったりする悲劇が頻発。

そもそも、2年近くも未成年者に学校はおろか外出もさせない国って、他に聞いたことないし意味が分からない。フェイスシールドも然りで、あまり効果も期待できない割に、鬱陶しいことこの上ないのに、なぜかフィリピンのお役人はこれにご執心。

やっと解除されたかと思ったら、オミクロン騒ぎに乗じて、また着用義務を復活させると保健相が発言したらしい。よくこれで国民による暴動が起きないものだと思ってしまいます。

ということで、12月に入ってカトリック的には待降節(アドベント)。師走&本格的クリスマスシーズン到来の時期ですが、来年もまだまだコロナ禍は続きそうですね。



2021年11月30日火曜日

ハーフ息子の言語教育


出典:東京書籍

 多くの国際結婚/カップルの皆さんは、両親の母語が異なる場合、子供の言語教育には頭を悩ませるでしょう。日本人の親御さんなら、将来子供がどこに住むとしても、日本語はせめて基本だけでも身につけてほしいと思うかも知れません。

今年(2021年)に16歳になった日本・フィリピンハーフの息子。小学校1年生を日本とフィリピンで一回づつやっているので、こちらではグレード9、つまり日本の中学3年生。結果から言うと、日本語が第一言語として定着したようです。

小さい頃から言葉はずいぶん早くて、それもどういうわけか喋るよりも読む方が大好き。家電製品の取説や、商品のパッケージに書かれている原料表示など、放っておけばいつまでも飽きずに読んでいる。私が活字中毒的な読書好きなのを見て育ったせいでしょうか。

保育園の送り迎えでは、途中にある看板を漢字込みで読み上げながら歩く毎日。ママ友がずいぶん驚いていました。特に本を読むように指導した覚えはないんですけどね。この時に根付いた読書の習慣は移住後に磨きがかかり、今ではハリーポッターを原書と日本語訳で読み比べるほど。最近では上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」シリーズを全部読んで、1冊だけある英語訳も読了。

そしてフィリピンの第二公用語でもある英語は、田舎の学校ながら、学年トップで何度も表彰されているレベル。発音はジャパニーズイングリッシュっぽいけれど、CNNのニュースやハリウッドの映画は何の問題もなく理解しているし、もう私の英語力は完全に追い越されて、息子の背中も見えないぐらい。

ただ、マニラやセブと違い、日本人密度がきわめて低いネグロス島。日本人学校なんてあるわけないので、日本語の会話相手は、私と家内のみ。家内の日本語は20年前の来日時、公文の日本語学校で学んだので、敬語もそこそこは出来ますが、やっぱりネイティブではありません。

このままでは、もし将来日本で働きたいとなった時、ちょっと難しいかなと思い始めた矢先、先日インタビュー記事を掲載いただいた、マニラで発行されている月刊誌「ナビマニラ」。自宅に送付されてた紙面に、たまたまあった「まにら新聞」のオンラインによる国語・作文教室の広告を息子が目敏く見つけて、受講したいと言い出しました。

科目は、日本の学校で使用されている教科書をベースに、国語と歴史。一回3時間を土曜日の朝の週一回。入学金が3,000ペソ(約7,000円)で、月に4回授業で6,000ペソ(約13,000円)。フィリピン・ネグロス島の物価からするとかなりの金額ながら、講師は日本に住む日本人の方々。毎月テストもあるし、むしろ良心的な価格と言えるでしょう。

またタイミング良く、数ヶ月前に待望の光ケーブルを敷設したばかりなので、ネット環境は以前に比べるとずいぶん良くなってます。相変わらずの停電はありますが、こちらは発電機で、5分程度のロスで再開。

このように日本語と英語は、親馬鹿バイアスを差し引いても、年齢からするとまぁ悪くない。ただ、フィリピンの第一公用語のフィリピノ語(タガログ)は、お世辞にも得意とは言えません。

フィリピン大学卒(日本の東大に相当)の家内はそれを気に病んで、テスト前には机の横で教育ママぶりを発揮。それでも他の科目が90点以上で、フィリピノだけが70〜80点という程度で、一度補習となったけど落第したわけでもない。私からすれば、一教科だけでも大得意があれば、他は少々悪くても問題なし。

とまぁ、延々と我が子自慢を書いてしまいましたが、今のところ息子の言語教育は、成功したと言えるでしょう。もちろん子供さんによって得手不得手もあるし、生まれ育った環境にも大きく左右されるので、誰でも同じではないにしても、「これ大事だったなぁ」と思う点は以下の通り。

まず第一言語(息子の場合は日本語)をきちんと教えて、その言語で考え、コミュニケーションできるようにすること。実はフィリピンに移住するタイミングも、小学校1年終了時の6歳。ちょっと早かったけど、それを考慮しました。

次に、第二言語(英語)が必須な状況に置くこと。これに関しては、英語で全教科を教える私立の小中高一貫校が近くにあったのが幸いでした。先生や友達とは英語でやりとりできるし、タガログやイロンゴ(地元の方言)が出来ないからと、いじめられることもなかった。どちらかと言うと日本人とのハーフなので、人気があるぐらい。

そして、家族唯一のネイティブ日本語話者の私が、早期退職でずっと家にいたことは大きいと思います。日本人の父と息子なので、ベッタリで喋るわけではないけど、共通の話題であるテレビ番組や映画、日本の書籍に関してなど、食事時には意識して会話をしました。

ということで、これからノン・ジャパニーズのパートナーと、子供を産み育てようという方々へ、少しでも参考になればと投稿しました。



2021年11月22日月曜日

イロンゴ語のビデオログ

YouTubeが世界的に市民権を得て、自撮りビデオを編集してネットに投稿するなんて、当たり前過ぎて今更言うのも恥ずかしながら、とうとうやってしまったVlog。ご存知ない方のために説明しますと、文章主体の記事がWeb Log、それを略してBlogと言われるものを、動画で投稿するのがVideo Blog つまりVlog。日本語表記するとヴログかブイログ、ビデオログになるそうです。

さてそのビデオログ。これからユーチューバーになって、ひと稼ぎを目論んでいるわけではなく、イロンゴ語レッスンの課題で先生アンから宿題。なので日本語や英語ではなく、全編イロンゴ語が前提条件。

アマチュアとしてのビデオ撮影や編集ならば、かれこれ20年ぐらい前からやってた私。何代にも渡って愛用してきたアップル・コンピューターの標準アプリとして、iMovieが実装されて以来。それほど凝ったエフェクトはできないけれど、子供の成長や家族旅行の記録を残すぐらいなら十分すぎる性能。

最近のは、効果音やBGM、背景画像なども充実してきて、これが高校生ぐらいの時にあれば、ひょっとすると映画監督を目指してたんじゃないかという素晴らしさ。実は8ミリ撮影に凝った時期があったんですよ。

お題は「セント・フランシス(今住んでいる宅地)の自転車ツアー」。このブログでも度々触れている、毎朝のサイクリングについては、イロンゴ・レッスンでもよく話題にしてるので、アンが提案してくれました。

さて、11月のネグロスは、かなり気まぐれなお天気。朝はピーカンでも昼過ぎには土砂降りなんてことは珍しくありません。起きた時には撮影日和と油断してたら、朝ご飯食べてる間に灰色の雲が広がったてたり。

何日か空振りが続いて、やっと安定した青空が広がったある日、素材撮影に出かけました。素材撮影なんて書くと大袈裟に感じますが、実は事前に絵コンテならぬ写真コンテを作って、かなり細かい部分まで流れを組み立てていたので、実際の撮影は1時間もかからず。

そもそも広いとは言え、それほど変化に富んだ風景があるわけでもない、私の住むセント・フランシス・ネイチャービレッジ。何軒かの大金持ちの邸宅に、プールとバスケットボールコートのある管理事務所、あとは延々と続くサトウキビ畑ぐらいのもの。

さらにイロンゴ語のシナリオも、アンに文法と語彙を事前チェックしてもらうために、完成していたので、それぞれのシーンでどの程度の尺が必要なのかも分かってます。何より、勝手知ったる自宅周辺。

とまぁ、ここまでは天気待ちを除けばすんなり済んで、厄介だったのがナレーション。YouTube慣れした人なら、スマホを固定して一人喋りを撮るんでしょうけど、動画で自分の姿を見るのがどうにも苦手なんですよ。大抵のフィリピン人が大好きなセルフィーの写真すら滅多にやらないぐらい。

仕方なく息子に頼んで、黙って自転車を漕ぐシーンだけは撮ってもらったものの、それ以外はアフレコのナレーションのみ。実は自分の声聴くのも嫌だったんですが、それやらなかったらイロンゴ語の課題になりません。

ということで完成したのが5分ちょっとのビデオログ。お陰さまで、アン先生の受けは上々。多分高校のクラスで英語版を生徒に作らせる授業でもやったようで、ちゃんと評価用紙まで用意。それによると、オリジナリティ、文法、動画クオリティが満点で、発音だけがちょっと減点で、97点を頂きました。「外国人だからしゃぁないしなぁ」とのことです。

やっぱり褒められるって、いくつになっても嬉しいもの。早速フェイスブックに動画を投稿したところ、イロンゴ・ネイティブの家内や親戚、友人たちが結構面白がってくれました。と言うことは、あの関西訛りの棒読みイロンゴでも、意味は分かるらしい。

これで味を占めたのは言うまでもなく、ビデオログ第二弾は年内目標に「日本式カレーの作り方」を制作する予定です。次は日本語字幕をつけましょうかね?



2021年11月15日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 アン in キモノ

 ブログ自体はスローダウンしてますが、美女イラストの方は比較的順調で、3週間ちょっとでの更新です。今日のモデルは、我がイロンゴ語の家庭教師、アン嬢。

ずっと本名がアン・デヤン(Ann Dejan)だと思ってたら、最近フェイスブック上の名前を変えて、それがアナリン・アロヨ・デヤン(Analyn Arroyo Dejan)。急にどうしたのかと思ったら、新しい学位を取るのに、関係者とFBでやり取りしてて、本名じゃないといけないとなったらしい。つまりこちらの少々改まった感じの方が本当のフルネーム。

週に一回のイロンゴレッスンで「ミス・アナリン」と言ったらすんごく嫌がってたので、本人はそう呼ばれるのが、好きではないらしい。多分、家族や友達がずっとアンと呼ぶので、定着しちゃったんでしょうね。

さて、そのイロンゴの授業では、毎回その週の出来事をイロンゴ語で日誌風にまとめて読み上げ、それを添削する形式。無職の私にすれば、書くことというと、家族のこと、日々の食事のこと、そして美女イラストのことが何回も出てきます。

有名なモデルや女優だけでなく、親戚や友達も描いているし、それを1年半も見てるアンからは「私も描いてほしいなぁ」オーラがキラキラ。そもそもフィリピン人、特に若い人は、セルフィ大好きだし、ショッピングモールなどでは似顔絵描きが盛況になる国民性。

今年に入ってからは、家内を筆頭に、家内の友人や親戚を立て続けに着物や浴衣の和装で描いていて、モデルになった女性たちは「キモノ・クラブに入った♪」みたいなノリになってるらしい。

ということで、まぁ一応「イラストのモデルになる?」って振ったら、待ってましたとばかりに「じゃぁキモノでお願いします!」となった次第。

例によってフェイスブックのタイムラインから参考になる写真を探すわけですが、典型的若いフィリピン女性のアン。もういくらでも出てくる出てくる。ただ面白いのは、これもフィリピン女性っぽく、自分のビューティー・アングルを熟知していて、八割方が同じ角度。

アンの場合は、顔の左側をカメラに向けて首をちょっと右側に傾ける。ロングヘアが右目を三分の一ぐらい隠す。笑顔もテンプレート化で、唇の端の上げ方まで同じ。つまり、それぐらい被写体になることに慣れてるってこと。

今回は珍しく、どんな着物が好きかを本人に選んでもらったり、途中のプロセスを何回か見せながらの作業。今までは完成品をいきなり FBにアップしてサプライズばかりでした。

そして、満を辞して描き上げたのが土曜日の夜。アンは速攻で自分のプロフ写真にして、友達からは、あっという間に100を超える「いいね」。嬉しさ爆発のお礼メッセージも来るし、予想通りのリアクション過ぎて、深夜の書斎で一人ニヤけておりました。

似顔絵って、ひょっとするとフィリピンでは、最強のコミュニケーションツールなのかも知れませんね。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年11月9日火曜日

フィリピン式子育ての功罪

 珍しく中三日での投稿です。今日は、以前から気になって仕方なかった、フィリピン式の子育てについて。

これは日本と同様に、親や家庭によって振れ幅が大きいので、あんまり主語を大きくすると誤解の元。なので以下は飽くまでもフィリピンに10年近く住まわせてもらっている、一外国人として感じたことです。

私自身は、取り立てて厳しい躾で育てられたわけでもないけれど、フィリピン人の子供に対する接し方を見て思うのは「甘やかし過ぎ」。レストランなどで子供が全力疾走で大暴れしても、叱りつけてる親って見た記憶がありません。また周囲のお客さんも全然気にしてない様子。

昨年の出来事で、隣家の小学生ぐらいの兄弟が絶叫しながら自転車乗り。これがたまになら仕方がないで済ませるのが、連日、早朝から夕方まで、それも選りに選って我が家の、それも私がいる書斎のド真ん前。2週間ぐらい続いて遂にキレた私が、少々キツめに子供を怒鳴りつけたら、速攻で両親が出てきて大喧嘩になってしまいました。

別に手を出したわけでもないのに、警察を呼ぶとすごい剣幕。さすがにこれはダメだと、自宅に招き入れ、お互いに頭を冷やして話してみると、どうやら彼らの教育方針では「叱責」はタブー。体罰はおろか、声を荒げることすらしないらしい。子供たちはショックを受けて泣いてるし、トラウマが心配だと真顔で言われました。

見たところ、悪ガキ兄弟二人は両方かなりの肥満体型。おそらく甘い物でも何でも、欲しがるものはあまり躊躇せず与えてるんでしょうねぇ。

それまでは、どっちかというと貧困層の親が子供を甘やかせるものだと思ってましたけど、この家は両親とも大学の先生。決して教育がないわけではありません。

また、たまたま今日見たナビマニラ(NaviMani Channel)のYouTube動画が、野菜が苦手なフィリピン人カメラマンに、いろいろ食べてもらってインタビューという趣向。野菜嫌いになった理由というのが、やっぱり親が子供の言うがままに、好きなものばかり食べさせてたから。

昨今の日本では「自己肯定感の欠如」がトレンドみたいになってます。躾が厳し過ぎて、やることなすこと全部ダメ出しされ続けて育つと、何をやっても「どうせ私なんて...。」な感情が先立ち、褒められても素直に喜べなくなり、自分が何をしたいのか分からなくなる、という話。

その点、多くのフィリピン人は自己肯定感に関する限り、世界一なんじゃないでしょうか? もう肯定し過ぎて、自分大好きセルフィーマニア。若い女の子ならまだしも、エエ歳したオっちゃんまで自分の写真をSNSのタイムラインにずらりと並べるのは、あんまり良い趣味とは思えませんが。

それだけでなく、仕事でも「根拠なき自信」に溢れかえっているので、できもしない要望でも全部引き受けてパンク。できなくても「私は、俺は、悪くない」。

さらに憶測を深めると、男女とも異常なほど嫉妬心が強い人が多いのは、親からの愛情が過多だからなのかも? 一方的な愛情がシャワーのように降り注ぐのが当然と思って育てば、ギブ&テイク前提の男女の愛情って、根本的な部分で理解できにくくなるように思います。

ところで最近私が知ったのが「自己効力感」。自己肯定とは対照的に、言葉で説明できる理由を背景にした自信、みたいな意味。これを持つには、当然ながらいろんな体験を通じての成功が必須。自己肯定も大切だけど、フィリピンの、特に若い人々には、自己効力がもっと必要な気がしますねぇ。

結局のところ、フィリピンでプロダクトやサービスの質がイマイチで、ひいては、社会システム全体が脆弱なのも、行き過ぎた自己肯定が原因だという気がします。物事を改善する作業って、ある種、それまでの自分の仕事を否定しないとできませんから。

とまぁ、偉そうにフィリピンの子育てを批判っぽく語りましたが、もちろん日本式が優れているとも思えません。私も含めて大多数の日本人は、与えられた仕事はキチンとこなせる実務能力はあっても、創造や挑戦といった分野では弱い。直近の例で言うと、革新的なワクチンは作れないけど、全国民に整然と接種を行うのは世界一。

もっと言うと、主観的にはどっちが幸せなんだろうと考えたら、どうもフィリピン相手では日本の分が悪るそうです。


2021年11月5日金曜日

まだら模様のフィリピン・ワクチン事情

 もう週刊誌ペースも覚束なくなってきた当ブログ。「日記」という呼び名を返上したほうがよさそうになって来ました。

さて、久しぶりの更新は、ありがたいことに息子のワクチン接種の話題。

お陰さまをもちまして、本日11月5日、16歳の息子がファイザー製ワクチンの第一回接種を受けることができました。奇しくも今日は、ネグロス島では123年前にフィリピン全土に先駆けて、ネグロス単独で独立宣言を行った「シンコ・デ・ノビェンブレ」の祝日。

早朝に家内と一緒に、集団接種会場になっているシライ市立の体育館へ出かけた息子。オフィシャルなお達しがあったわけではなく、たまたま小学校の先生をやってる義妹のジーナからの情報で、ダメ元トライ。

当然、同年代の子供がいっぱいかと思いきや、本当は週明けの月曜日から未成年者の接種が本格化する前の、言うなれば前哨戦みたいなものだったらしい。しかも今日の対象は、第1と第2バランガイ住民。我が家は第5バランガイなので、イレギュラーもいいところ。

それでも、人脈が物を言うフィリピンの田舎。公立校教師のジーナと教育省勤務の家内の組み合わせが功を奏したのか、それとも他に人が少なかったからか「まあいいか」となって、家を出て2時間ほどの午前10時には、接種完了で帰宅できました。

ちなみにジーナの娘、つまり息子の従姉で同じ歳のジャスミンも行ってみたのですが、数日前に持病の喘息の発作があったのが引っかかって、今日の接種は見合わせになってしまいました。

それにしても、相変わらずの情報伝達がお粗末なフィリピンのお役所。フェイスブックの普及率が世界一の割には、テレビも固定のインターネットも無い世帯がまだまだ多く、中央政府や地方自治体からの連絡事項が徹底できない。その結果、担当窓口や末端の担当者ですら、人や場所によって言うことが変わったり、勝手にローカル・ルールが付け加えられたり。

これはワクチン接種に限ったことではなく、各種書類申請に際しての頭痛の種。フィリピン人パートナーとの婚姻や、ビザ申請、ビジネス始めようという日本人は、みな異口同音に不満を言うところ。

聞くところによると、規制が緩まったマニラなど大都市周辺でも、細かい点で混乱があるらしい。そもそも発表は実施前日の深夜とか、詳細が不明のまま実施など、やっつけ仕事が多いしなぁ。まぁ今回は、そのエエ加減さのおかげで、息子はワクチン接種できたので、文句も言えません。

そしてもう一つは、ワクチンの種類が多くて、それを選べないのがフィリピン。メイドさんも家族の準構成員とすると、我が家は4人。家内がジョンソン&ジョンソン、メイドのライラが中国製のシノバック(地元では「サイノバック」と発音)、先月1回目を済ませた私がアストラゼネカ。息子のファイザーを合わせると、これでモデルナがあれば、メジャーなところは制覇できるほど、各自バラバラ。

ということで私は来週、息子は月末の26日に2回目接種予定なので、今年のクリスマスは、家族全員が晴れて「フルチン」を称することができそうです。



2021年10月25日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 スタートレックの美女たち

 1ヶ月以上ご無沙汰のフィリピン美女図鑑。このブログの更新自体がずいぶんとスローテンポになっているので、それに引っ張られてる感じです。どうもすみません。ただ、時間がかかったのは3人描いてたから、というのもあります。

今回は、4年前に投稿したイラストの再描画です。このところ昔のイラストの描き直しが多いのは、フェイスブックが「思い出」と称して、昔の同月同日にアップした内容を見せてくれるから。「あ〜、◯年前はこんなの描いてたんや〜。それにしてもこの描き方、手直ししたいな〜。」のパターン。

それに加えて、インスタグラムにもイラストを載せてるので、どうせならちょっとでも良くして、インスタにアップするか...という心理も働きます。特にアニメや特撮ネタは、知り合いだけでなく、世界中のファンが見にくてくれるので。

今日のお題は「スタートレックの美女たち」。スタートレックと言えば、超ヲタクな、スーパーディープでコアなファンがグローバルにいる、アメリカ製SFテレビ・映画シリーズ。重症化すると、レギュラーの登場人物だけでなく、あるエピソードにチラッ出てただけのマイナーなキャラを追っかけ出したり。

何を隠そう私も重症患者の一人で、今日のモチーフは、数ある劇場版スタートレックの、それほどヒットしなかった1本に、ほんのちょっとだけ出てる人。詳しくは4年前の投稿をお読みいただくとして、さらに我ながら屈折してるのは、そんな役をフィリピンの有名な女優さんが演じたらという妄想を絵にしたところ。

ディモーラ・スールーという、フィリピン系日本人(という設定)の父を持つ、宇宙艦の操舵士。1994年の劇場版での脇役。演じていただくのは、フィリピンでは超有名な女優・モデルのアン・カーティス嬢。両方ピンと来る人は、国籍・性別・年齢関係なく、もうそれだけで私の親友。

さすがに、そこまでピンポイントでは、知らない人に不親切過ぎなので、その他メインキャラクターの中でも私が大好きな二人をピックアップ。美女三人の群像にしてみたというわけです。

さて再描画とは言え、背景以外は完全新作と同じ作業量。やっぱり丸々1ヶ月かかっちゃいました。なので一人描き上がる毎に、インスタに投稿。案の定、最初の24時間ぐらいで、私にすれば結構な数の「いいね」がつきました。



そして3人が同じ画面に収まった完成形。ありがたいことに、フォロアー1万人を超える、アン・カーティスさんのファンページがシェアしてくれて、これはひょっとして本人さん(公式ページ)のいいねがつくか?と期待しましたが、そこまではいかず。

それでも、トレッキー(スタートレック・ファン)からの分と合わせて、久しぶりに100いいねを突破。100程度でここまでエキサイトするんだから、千とか万単位が日常茶飯事のインフルエンサーが中毒になるって言うのも分かります。

ということでこの路線は、描いてるだけでも十分楽しめたので、スタートレック・キャラとフィリピン女優・モデルの組み合わせは、また時々やってみようと思います。



過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年10月19日火曜日

フィリピンのメガネ屋さん

 3年前にフィリピンで買った遠近両用メガネ。作ってもらったのは、ネグロス島シライ市の自宅から、車で20分ほどの西ネグロスの州都バコロドにある、ショッピングモール内のメガネ屋さん。店名が「サラビア・オプティカル / Sarabia optical

フィリピン人の家内が教えてくれた店で、読書好き、ネットゲーム好きの中学生の息子が早々に近視になった時も、ここでお世話になりました。

それほど広くはないけど、小ざっぱり整頓された店内には、デカデカと創業者Dr.フェデリコ・サラビアさんの写真が掲げられています。

このサラビアさん。アメリカ・北イリノイ大学に学び、1906年にフィリピン初の眼鏡店を、ネグロスの隣島パナイのイロイロ市に開いたというパイオニア。その後マニラに移転して、歴代大統領、ケソン、キリノ、ロハス、オスメーニャという錚々たる人たちが、彼の顧客に名を連ねたそうです。

そんな老舗中の老舗なので、接客態度はフィリピンにしては上々。まずフィリピンでありがちな、担当者によって対応がゴロリと変わることがない。どのスタッフもちゃんと商品知識があるし、にこやかな表情。そしてものの見事に、技術スタッフ以外眼科医に至るまで全員女性。蛇足ながら高い美人率。

扱っている商品が、フレームもレンズも高価な外国製なので、品質に問題はなく、納期は「〇〇営業日」と明確。今までの経験では、それより少し早めに連絡が来るぐらい。

とまぁここまでは、フィリピンにしてはかなり稀有の優良店なのですが、惜しむらくは唯一男性が担当している加工の技術がイマイチ。

実は3年前のメガネは、毎年どこか不具合が出て、何度もサラビアで修理してもらってます。その原因は、メガネそのものが繊細過ぎるから。フレームレスと呼ばれるタイプで、プラスティックレンズに直接穴を開けて、耳にかけるテンプルと、左右レンズをつなぐブリッジを取り付けたもの。

フレームがないので、メガネかけた時の印象があまり変わらないし、すこし若く見える。要するに私はエエ格好しぃなんですよ。

その代償が壊れやすさ。それほど乱暴に扱ったわけではないけれど、やっぱりかけたり外したりする度にヒヤヒヤ。結局、4箇所あるレンズと部品との接合部のうち3箇所が、順番に破損して修理。以前、日本で同じタイプのメガネを作った時も、壊れ方は似てても、ここまで頻繁じゃなかったなぁ。

そして今月になって、またもや同じ不具合発生。

サラビアで買ったメガネなら、新しい部品と交換しない限り修理費は無料とは言え、もう少しなんとかならんものか。考えた挙句、修理のついでに丈夫なプラスティックフレームを追加で作ってもらうことにしました。もう見栄えにこだわるのも限界です。

前回のレンズはHOYA製の両眼で5万円もする高級品。ド近眼の上に老眼が加わり、かなり特殊なレンズなので仕方ないんですよ。ところが今回は同じ度数でニコンのレンズが選択肢に。これがほぼ半額のお買い得価格。

そして大事なフレームは、イタリアのベネトン製。ブランドで決めたのではなく、とてもオーソドックスなスタイリングがポイント。買ってからベネトンだったのかと気付きました。

さて、出来上がったのが、10営業日との約束より数日早い週末。日曜日に取りに行って、今もそのメガネをかけてこのブログを書いてます。

かけ心地は期待通り。ただ、前のと同じのはずなんだけど、なぜか遠視の度が少しユルい。スマホの小さな字が若干読みづらいのですが、パソコンを使う時はちょうど良い。今まではパソコン仕事の時だけ、老眼の入ってないメガネにかけ替えてたのが、それが不要に。なるほど、メーカーが違うと、焦点深度が微妙に異なるのかも知れません。

ということで、これからフィリピンでメガネを作ろうという同士の皆さま。お勧めのメガネ屋さんはサラビアで、フレームレスじゃないタイプのメガネにしましょう。



2021年10月14日木曜日

ナビマニラのインタビュー

このところ、にわかにツイッターでの交友関係が広がり、SNSで溶かしてしまう時間が激増中の私。10年以上前にミクシィを始めた頃に似た感じで、そろそろセーブしてかからないと、いわゆる「SNS疲れ」が出てしまいそうです。まぁ何度か経験したことなので、心配するほどでもないですが。

そのツィッターでのお付き合いは、主にマニラ首都圏やセブなど、フィリピンの中でも飛び抜けて邦人の多い場所に住む方々。僻地ネグロスでは、中高年・男性・娘のような若いフィリピン妻比率が極端に高い、偏った属性が目立つのとは違い、年齢・性別・フィリピンに住む理由など実にさまざま。

相互フォローの方だけでも、その職業は、実業家、通訳、アーティスト、獣医師、食品販売...etc。すぐKTVのお姉ちゃんネタになっちゃうオジさんとの会話より、正直ずっと面白い。

おかげで、最近やたらとマニラ周辺の、日本食レストランや新しいくできた日本食材スーパー、新発売のスイーツなどに詳しくなってます。私が初めて来た当時からすると、日本関係の商品が入手しやすくなったネグロス島でも、さすがにマニラとは比べ物になりません。

CoCo壱番屋、吉野家、丸亀製麺、ローソン...。なんで、マニラばっかりなんや〜。かろうじて、ラーメンの一康流、UCC珈琲、ユニクロ、ダイソーは最近バコロドにオープンしたものの、やっぱり10年は遅れてる感じ。

さて、そういう関係を通じて、マニラを中心に配布されている、ナビマニラというフリーマガジンから、取材の依頼をいただきました。お題は「フィリピン在住の国際結婚カップルインタビュー」。家内のことはツィッターでよく呟いているので、これは記事になりそう...と思ってもらったんでしょうか。

根が嬉しがりで出たがりの私。待ってましたの渡りに船とばかり、二つ返事で引き受けましたよ。

コロナ禍のご時世、直接会ってインタビューとはならなくて、担当の方とメールでやりとり。送られてきた質問はわりとオーソドックな内容で、私と家内の馴れ初め、カルチャーギャップ、親の反応について。

幸いこのブログで散々書いてきたことばかりで、引き出しはいっぱい。どこからどの話を持ち出そうかと迷うほどで、あっと言う間に返信できました。ただ、少々勝手が違ったのは、「国際結婚カップル」。私一人が勝手に答えるのではなく、家内にも同じ質問が。当然のように先方からも英文併記だし。

結果、私がサービス精神満載で面白おかしく書いた部分より、「国際結婚に大切なことは?」「辛抱です。」の一行で、全部持っていかれてしまいました。まるでお釈迦様の手のひらで暴れまわって疲労困憊の孫悟空の気分。

それにしても、やっぱり日本人が編集・発行している雑誌だけのことはあります。印刷物もネット版もちゃ〜んと約束の期日に届きました。これって、日本国内とかオンラインだけで完結しているなら驚きませんが、フィリピン国内でのリアルなお仕事。多分、スタッフのご苦労は並大抵じゃないとお察しします。

そして届いた雑誌を見た家内の一言。「印刷も紙もきれい!これがタダってお金持ち〜。」あなたはやっぱりフィリピーナなのね。

ということで、お時間のある方は、ご一読願ください。--> ナビマニラ Vol.82

ちなみに、ご紹介いただいたのは、同じインタビュー記事に寄稿されている、デセンブラーナ悦子さん。この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。


2021年10月11日月曜日

素直に喜べないノーベル平和賞


出典:ABS-CBN

 2〜3日に1回更新のつもりが、いつの間にか週刊ブログになってます。いかんなぁ。更新頻度が落ちると、当然アクセス数も減る。アクセスが少ないとモチベーションが落ちるの悪循環。少し前まで1投稿につき100ページビューはあったのに、最近は50いくかどうか。

そういう愚痴はさて置き、先週10月8日に、今年(2021年)のノーベル平和賞は、フィリピンのニュース・サイトを運営する、マリア・レッサ氏が受賞の報道。その少し前に、真鍋淑郎さんの物理学賞で注目が集まっていただけに、日本でもフィリピン人初のノーベル賞が話題になっているらしい。

日本から見れば、この快挙に国をあげての祝賀ムードかと思われそうですが、実は今回の受賞はとっても微妙。ご存知の方には今更言うまでもなく、ラップラーは政権に対して極めて批判的な論調で知られており、その舌鋒の鋭さゆえに、昨年マリア・レッサ氏は名誉毀損の罪状で、フィリピンの裁判所から有罪判決を受けています。

それでなくてもフィリピンは、ジャーナリストが殺害される事件が多発する国。そんな中で、強権的な政治手法で有名なドゥテルテ大統領に、真正面から喧嘩売るって、すごい度胸だと感心します。しかも大統領は就任以来、どう控えめに見ても重大な人権侵害としか言えない、ドラッグ戦争を継続中。

死刑が廃止されたフィリピンで、警官が違法薬物の売人や中毒者を、問答無用で殺害することを積極的に奨励してきたんですから、ラップラーだけでなく、世界中の人権団体から非難の集中砲火。最近では、国際刑事裁判所(ICC)が、「人道に反する罪」の容疑で、捜査着手を宣言。報復としてフィリピンはICCを脱退する騒動となっています。

ところがフィリピン国内では、圧政に敢然と立ち向かう英雄マリア・レッサ!とはならないのが複雑なところ。ドゥテルテのやり方には両手をあげて賛同はできなくても、以前の薬物蔓延の惨状を身に沁みて知っているフィリピン国民。現実に多くの逮捕者を出し、目に見えて状況は改善されました。

それだけでなく、数々の政府機関による汚職が摘発されている。2年前、久しぶりにマニラを訪れた際、空港から乗ったタクシーの運ちゃんが「ドゥテルテのおかげで、街がきれいになった」としみじみ言ってたのが印象に残ってます。

一般に、フィリピンのインテリ層は、現大統領に批判的でラップラーを支持する人が多いとされていますが、フィリピン大学卒の家内は、条件付きながらドゥテルテの実績を高く評価。政府の後手後手の対応が問題視されるコロナ禍にしても、もしドゥテルテ以外の大統領だったら、もっとひどくなってただろうと見ているぐらい。

なので、マリア・レッサ受賞のニュースを聞いた時の家内は、苦虫を噛み潰したような表情。「あの人アメリカ人やんか。フィリピン人の受賞とちゃうで。」と憤る。私もよく知りませんが、10歳の時に渡米しプリンストン大学に学んだマリアは、二重国籍なんでしょうか?

これは感覚的な話ながら、フィリピン人が、マリア・レッサの受賞を喜ぶか腹立たしく思うかは、半々ぐらいで拮抗してるようです。いずれにせよ、同時に受賞したロシアのジャーナリストも同様に「報道の自由を守るために戦った」という理由なので、国にとって不名誉なのは間違いありません。

ということで、政権批判に関してすっかり腰の抜けてしまった、日本の大手マスコミを憂う私としては、マリア天晴れ、フィリピン万歳と祝福したい気持ちはあっても、ドゥッテルテさんを悪代官として罵る気にもなれません。

久しぶりの投稿なのに、なんとも歯切れの悪い終わり方で申し訳ない。


2021年10月5日火曜日

アンチエイジングな女性たち

いつまでも若く見られるのは、大抵の人は嬉しく感じるでしょう。 これは女性に限った話ではなく、男だって同じ。

なぜ唐突にこんなことを書き始めたかというと、私の住むフィリピン・ネグロス島でも、ケーブルテレビを引けば普通に視聴できるNHKワールド。その定時ニュースで最近よくお見かけする山本美希アナウンサーの年齢を知ったから。


2014年よりNHK国際放送局勤務の
山本美希アナウンサー

実は私、かなり以前から山本アナウンサーのことは気になっておりました。私が社会人になってしばらくした頃には、NHKの大阪放送局でローカルニュースを担当。童顔で可愛らしく、毎朝彼女を見るのがちょっとした楽しみに。

その後ニュースだけでなく、デジタル・スタジアム(愛称デジスタ)やきょうの料理などに出演され、連続テレビ小説「カーネーション」(2011年)、「純と愛」(2012年)「ごちそうさん(2013年)」のナレーターも。

これだけのキャリアを重ねているので、年齢もそれなりになっているはずが、久しぶりにテレビで拝見した姿は、一瞬「え?」となるほど変わってない。むしろ以前の子供っぽさが影を潜めて、ぐっとチャーミングに。それも年相応と言うより、ごく自然に、せいぜい30代前半にしか見えない。

思わすネットで調べてみたら、何と今年(2021年)で52歳におなりになる。もちろんこれは、運動や食事、その他諸々の努力や、メイクの効果もあるんでしょうけど、やっぱりすごい。フィリピン人の家内や家庭教師のアンに山本アナウンサーの写真を見せて年齢を言ったら、二人とも驚いてました。

最近では、宮崎美子さんの61歳ビキニやマクドナルドのCMが話題になってるし、もっとすごいのが、我が永遠のアイドル吉永小百合さん。失礼ながら小百合さんは76歳。さすがに私の母よりは10年近くお若いとは言え、その年齢でそのルックスはもう奇跡のレベル。

ご紹介した御三方は、見られるのが仕事だし、アンチエイジングへの投資もずいぶんされているであろう特別な存在。ただ、それほどではなくても、私の身近にいる高校、大学の同級生とか、友人・知人のごく普通の人でも、私がの子供の頃の感覚からすると、実年齢よりはるかに若々しい人が少なくない。

これは日本だけでなく、フィリピンでも同様。

一番身近な例が、手前味噌&頻出で申し訳ないことながら、私の家内。別に父娘みたいな年齢差でもない、たった3歳違い。なのでもう50代も半ば過ぎなんですが、職場やら行きつけのビューティーパーラーで、驚かれたり羨ましがられたりしているらしい。20代は無理でも、15年程度の年齢詐称は余裕でカマせる童顔ぶり。

おそらくこれは、平均寿命が伸びていることと無関係ではないでしょう。以下、私の推測ながら、フィリピンにしても中流〜富裕層だけに絞ってみれば、日本と同様な傾向が出るかも知れません。個人差はとても大きいとしても、単に老後が長くなったのではなく、健康で過ごせる時間も伸びている。

ちなみに外見と体内の老化は、かなり密接な関係があるらしい。そう言えば、深酒したりヘビースモーカーの人って、やっぱり実年齢より老けてるように感じます。

ということで男女関係なく、せっかく神さまからいただいた命。内面は経験を重ねて熟成し、外観はいつまでも若々しくありたいものです。



2021年10月3日日曜日

反ワクチンはリトマス試験紙

気がつくともう10月。今日10月3日は私の誕生日。今年(2021年)で59歳になってしまいました。50代も残すところ1年。50歳で退職せず会社に残ったとしても、あと1年で定年退職という年齢。いや、今の日本では、年金だけではとても生活できないので、まだまだ働かないと立ち行かないかも。

それはともかく、ワクチンの接種状況。

日頃このブログで、日本のダメなところをあげつらってばかりの、もうすぐ還暦の私ですが、物事を粗漏なく、時間と場所とキチンとマネージメントする能力って、やっぱり日本が世界で一番じゃないかと舌を巻いております。

日本経済新聞による「世界の接種状況」によると、今日現在で、100人当たりの接種回数が130回余り。最終コーナーで驚異の巻き返しという感じで、先行していたアメリカ(117回)を抜き去り、西ヨーロッパ諸国と肩を並べるトップグループ。今は若年層への接種が課題とか、3回目のブースター接種をどうするか等々が話題。

それに比べて我がフィリピンは、まだ41回ちょっと。ずいぶん日本の背中が遠くなっちゃっいました。フィリピンなりに頑張ってはいるんですよ。国全体がまだまだなのに、日本人の接種に尽力してくれたりしてます。先日はマニラで、今月にはセブでも開催される見通し。

少し前に投稿した通り、地方在住・ノンシニア・外国人の私ですら、アストラゼネカの第一回目の接種を受けることができました。教育省勤務の家内と、持病が高血圧のメイドさんは、二人とも接種完了。ネットで流行ってる言い方だと、二人「フルチン」(フルワクチン接種)私が「ハミチン」(半分未接種)ということに。

ちょっと残念なのは、私のイロンゴ語家庭教師のアン嬢。一昨日に接種の予定だったのが、ドクターストップで結局打たなかったそうです。公立高校の教師なので、本当はもっと前に接種の機会があったはずなのに、どうも忌避してたらしい。まぁこればっかりは本人の意思。無理強いできるものではないし、健康上の理由があるなら尚更です。

その他には、高校生の甥っ子が1回目を打ったとか、セブ在住の若い日本人の友達が接種したけど、目立った副反応がなくてホっとしてるとか、明るい話題も徐々に増えてきております。

ここからが今日の本題。

相変わらず、反ワクチンのデマが後を絶たないネット界隈。

ワクチン打った方が感染リスクが上がるとか、不妊になるとか。ちなみに不妊に関しては、新型コロナに限らず、昔から新しいワクチンには必ずと言っていいほど囁かれる、定番デマとのこと。

笑ってしまうのは、ワクチンにはマイクロチップが混入しているので、金属製品が腕に張り付くと冗談でネットに投稿されたネタ動画が、ワクチン有害説の証拠として拡散したり。これは作った本人が驚いて謝罪してます。人の肌って汗や脂で、小さなものだったら、簡単に張り付くんですよ。

この程度なら「アホちゃうか」なんですが、現役の政治家がとんでもないデマを発信したり拡散したり。つい最近も有名な俳優さんが、怪しげな健康法に頼ってワクチンを忌避した挙句、コロナが原因で亡くなるという痛ましい報道がありました。デマが人の生き死ににかかわるって、分かってるんでしょうか?

中には、私が良識ある著名人と思って、SNSでフォローしていた人の中に、反ワクチンに傾倒するケースもちらほら。知的に見えたり、社会的に高い地位があるからって、必ずしも科学的な思考するとは限らないということが、図らずも露見してしまった。こうして見ると、ワクチン接種に対する姿勢って、リトマス試験紙みたいなもの。

少し前までは、私がSNS上で、問答無用のブロックをするのは、フィリピン文化やフィリピン人を見下したり、「味の素を一粒でも口に入れたら死ぬ」みたいな極端な健康食品志向、嫌中・嫌韓、プロフ写真に旭日旗や日章旗を使う人...だったところに、新たに反ワクチンも加わりました。

こういう人たちに共通しているのは、理屈が通じないこと。もう信仰の域にまで達しているので、最初から議論も何もあったものじゃない。今回のパンデミックが、世界中で分断を生んでいる所以です。これが一つの家族内で起こったら、本当に悲劇。

ということで、パンデミックが収束して以前の生活が戻ってくるには、単にワクチンの供給量の問題だけでなく、それ以外の手間も時間も、まだまだかかりそうな情勢です。



2021年9月28日火曜日

騒音を気にしないのは特殊能力?

もうすぐ9年が経とうという フィリピン・ネグロス島暮らし。日本にいた頃に比べたら、心の平安は取り戻せたし、毎日の筋トレ・サイクリング、そして歌の練習のおかげで、身体も健康。概ね満足度は高いものの、やっぱりストレスに感じることも多少はあります。

その代表格が各種騒音。もう何度このブログで、取り上げたことやら。

野犬・飼い犬問わず、昼夜ワンワンやるし、夜中でも雄鶏は時を告げる。発情期の猫に牛の遠吠え。深夜、雷鳴と豪雨が屋根を叩く音で目が覚めることもしばしば。それに加えて、人間の出す騒音がすごい。

音楽好きなのは分かるし、私だってブログ書いたり、イラスト作業中はBGMかけます。ところが、フィリピンの一般ピープルは、自分が聴くだけでは飽き足らず、周囲にも聴かせたくて仕方がないらしい。

ラジオでもテレビでも、ボリューム最大がディフォルトで、わざわざバイクや自転車にどデカいスピーカー積んで、重低音を撒き散らしたり。ウォーキングやジョギングの人は、ヘッドホンじゃなくて小型ブルーツゥーススピーカー。聴かせる人も強制的に聴かされる人も、それが迷惑と思ってないのがすごいところ。

音楽に比べると数は少ないけれど、バイクや車のエンジン空ぶかしも時々あります。何ブロックも離れた家の、駐車スペースでやってるのがとんでもない轟音で、何時間もやるから、風向きによっては結構聴こえちゃうんですよね。

とまぁ、今まではもっぱら被害者意識満載で「フィリピンの悪しき慣習」っぽく書き連ねたわけですが、彼らの側に立って考えてみたら、当たり前のこと。どうして日本人は、この程度の音が不快なのか、理解に苦しむと思ってるでしょう。

実際、半年ほど前、近所の宅地で畑仕事してるオっさんのラジオがうるさいと文句言ったら、「居候の日本人が、フィリピンの文化にケチをつけるな」とばかりに、バランガイに訴えられてしまいましたから。(バランガイからの召喚状

以下、私の推測。

生まれた時から、犬・猫・牛・ヤギ...の家畜に囲まれているし、隣からは爆音でカラオケ。赤ちゃんって、最初から大人と同じ感覚が備わっているのではなく、見るのも聴くのも、少しずつ獲得していくもの。なので、こういう環境が聴覚に影響を与えないわけがない。

言わば、環境音として順化していくので、それがないものとして普通に生活できるようにもなるでしょう。ものすごい騒音のジプニー車内で、ちゃんと相手の言葉を聞き分けて会話したり、隣家の騒音なんかまったく気にせずグゥグゥ眠れたり。ここまで来ると、一種の特殊能力と呼べるかも。

だからと言って、難聴なわけでもなさそうで、ギターなどの楽器を器用に弾きこなす人が多いことからしても、耳は悪くないんですよね。うっかり聞き逃しで、仕事を指示通りにしてくれない人はいるけど。(苦笑)

乳幼児期から培われる音への感性って、意外なところで気付いたりします。鈴虫やコオロギの声は、一般的な日本人にはリラクゼーション・サウンドですが、これが耳について眠れない人もいる。フィリピン人の家内に尋ねたら、虫の音はいいけど蛙の鳴き声はダメ。オバケが出そうで怖いとのこと。ふ〜ん、そうなのか。



2021年9月24日金曜日

「家政婦は見た!」フィリピン・西ネグロス編

 今は亡き、名優・市原悦子さんが1983年から2008年まで、四半世紀も主演を続けたテレビドラマ「家政婦は見た!」。上流階級の家庭に雇われた家政婦が、その乱れた私生活を目撃するという、お馴染みのストーリー。

ドラマとしては面白いけれど、日本だとかなり特殊な状況。最近でこそ家政婦サービスが徐々に一般化はしているけど、住み込みのメイドさんがいる家はごく少数。

ところがここフィリピンでは、大金持ちの地主階級だけでなく、中流レベルならメイドさんを雇うのが当たり前。そこそこ収入があるのにメイドさんがいないと「あの家はケチだ」と陰口を叩かれることもあるぐらい。

特に夫婦共働きでは、ナニー(ベビーシッターか乳母みたいな存在)兼務のメイドさんも珍しくありません。中には何十年も同じ家で働いて、自分が面倒を見た子供の、さらにその子供のお母さん役を務める人も。家内の友達で、メイドを奥さんにしちゃった人がいるらしい。

こうなると「家政婦は見た!」に近い話も出てきます。

そのターゲットが、以前にも何回かこのブログで取り上げたことのある、豪邸を構えるご近所さん。家庭環境が、いかにもフィリピン的に複雑。つい数ヶ月前に、オーナーだった70代の女主人がコロナに感染して亡くなったばかり。

このお婆さんの亡夫がアメリカ人男性。フィリピンあるあるで、外国人夫は高齢で、故国には亡くなったか別れたかの先妻がいて、子供や孫がいる。妻になったフィリピン女性も結婚してたかどうかはともかく、連れ子がいるというパターン。

つまり旦那さんが先立つ数年前には、共に年老いたアメリカ夫とフィリピン妻、連れ子である息子(と言っても、もう40代後半か50代)が同居していて、その息子には中学生になる娘もいました。

その娘さんの母親が、お婆さんの大反対で入籍できず家にも住めない。仕方がないので、朝来て夕方、実家に帰るという「通い妻」状態。

なぜ、こんなに立ち入った事を、私が知っているかというと、その家の住み込みメイドさんが、見たこと聞いたことを向かいの隣人ナンシーに全部喋っちゃうから。そのナンシーは、家内の高校の同級生で、我が家のメイド、ライラおばさんとも仲良し。

犬の散歩に出かけたライラが、毎度1時間近くも帰ってこないと思ったら、どうやらナンシーの家に上がりこんで「情報収集」をしているらしい。こちらでは、その手の噂話を「ティスミス」と呼びます。

さらにライラが、ボスの家内に「ご注進」して、家内が私に話してくれるという経路。間に4人も入ってるから、多分、かなり尾鰭がついているんでしょうねぇ。

その、やや不確かな情報によると、お婆さんが財産を相続したのが、仲の悪い息子ではなく、旦那さんの生前、どこかの貧しい家から迎えた養子の女の子。まるで「犬神家の一族」。

ところが予定よりだいぶ早く、お婆さんは天国に召されてしまい、未成年である養女の後見人になったのが、実の息子。これで、息子は、事実上豪邸も遺産も手に入れて、この頃は、やたら親戚を呼び集めて、明るいうちからどんちゃん騒ぎ。

そして今週の月曜日、早朝から大音量カラオケが近隣に響き渡り、夕方になっても静まらない。例によって犬の散歩ついでに「偵察」したライラの報告では、なんと息子の結婚パーティなんだそうです。何年も連れ添って、子供まで成した女性と、晴れて正式な夫婦になったという次第。

まぁ、大喜びなのは分からないでもないけど、このウェディング・カラオケパーティが、深夜になっても終わらない。さすがに真夜中はしばらく休憩したらしいけれど、翌朝の6時過ぎには再開して、何と終わったのが約36時間後の翌日夕刻。

う〜ん、この異常なテンションは、覚醒剤常用者の疲れ知らずかも知れませんよ。いくらフィリピン人がお祭り騒ぎが大好きでも、これは常軌を逸してます。さすがのライラも呆れ顔。

ということで、今日も情報収集に余念のない、ティクトッカーならぬティスミサー家政婦のライラおばさんなのでした。



2021年9月20日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 5人姉妹のアップデート

前回「ララァ・スン」のイラストから、2ヶ月も経ってしまいました。その間、営々と描いてたんですよ、美女イラスト。なぜこんなに時間がかかったというと、単純に5人分の作業量だったから。実は4年前に投稿した、家内の従妹にして美人揃いの5人姉妹のイラスト。それを再描画していた次第。

4年前の2017年というと、現在の手法でイラストを描き始めて間のない頃。今見るとテクニックはまだまだ拙いし、手抜きが目立って仕方がない。去年ぐらいから、描き直したい気持ちでした。

着手のきっかけは、年初からスタートさせた、家内を始めとして、義妹、家内の友達、叔母と続いた身内の和装似顔絵。最初は5人姉妹も浴衣姿で...と思いましたが、最初のイラストに心残りがいっぱいだったので、ほぼ全面的にリドローすることに。

似顔絵本体以外の構成やデコレーションは、デジタル画の強みで、再利用の腹積り。1ヶ月も見ておけば大丈夫かな?と踏んだのが甘かった。長女のダヤンをずいぶん手間をかけて描いたので、次女のドリセル以降、同じレベルに揃えないと、後で絶対にひがまれるに違いない。

最後まで描き溜めて一気に大公開では、途中で集中力が萎えそうだったので、一人づつ小出しにインスタグラムやツイッターにアップというスタイル。特にインスタは、5人ともアカウントがあるので「いいね」やお礼のコメント貰ったりして、ずいぶんと励みになりました。やっぱり褒められるって、いくつになっても嬉しいものです。

さて、三女ダリア、四女ハルメニアは、4年前にもう高校〜大学生。前回のタッチから微調整ぐらいで済んだものの、末っ子ダリルは小学生から高校生。いくらなんでもそのままでは怒られそうで、ダリルのみ完全新作となりました。この子はほんとにきれいになってて、美少女感が半端ない。

というわけで、カラーコンセプトは、相変わらずの赤・青・緑・黄・桃のゴレンジャーで、イメージは若草物語。オっさんが描くには少々の気恥ずかしさはあっても、モデルさんがみな喜んでくれてるようなので、最後まで描き切ることができました。

そして最後に、5人が一枚に収まった完成版を、フェイスブックにアップしたのが昨夜遅く。さっそく今朝、三女ダリアから、プリントアウトして額装するので、jpgの元データを送ってと可愛い催促。やっぱり大変でも、描いてよかったですね。



過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年9月18日土曜日

ワクチン接種は、突然ゼネカ!

 このタイトルで元ネタ分かる人は、間違いなく関西出身(またはかつて在住)で、私と同世代でしょうねぇ。分からんけど知りたい場合は「突然ガバチョ!」でググってみてください。

それはさておきゼネカ、つまりアストラゼネカ。驚くほど幸運なことに、フィリピンの地方、ネグロス島のさらに田舎のシライ市、しかも外国人にして微妙にシニアでもない私が、昨日アストラゼネカ製の新型コロナ予防接種を受けることができました。

たまたま本日(2021年9月18日)は、日本人商工会議所が世話役で、フィリピン政府の協力で実現した、日本人向けワクチン接種事業の第一回目。このブログを書いている時間に、マニラで行われているそうですが、それとは無関係でまったくの偶然。

ひょっとすると、裏で金をつかませたとか、日本人だけの隠しルートで...なんて邪推されるかも? もしそんなことができるぐらいなら、ずっと前に接種を済ませてますって。

現在ここシライでは、医療従事者、高齢者、持病のある人、エッセンシャルワーカーの順番で、各バランガイ(フィリピンの最小行政区画)が作成したリストに沿って接種が行われています。それに加えて、キャンセルやワクチン忌避が出た場合にワクチンを無駄にしないため、ウォーク・イン・ヴァクシネーションと称して、当日に会場に来た人に対して、予約なしの接種も。

前日に家内が教えてくれたのが、このウォーク・イン枠。ワクチンの種類がアストラゼネカだと言うので、ダメ元で行ってみることにしました。

こういう時にありがたいのが、地元出身の家内。業務時間中にもかかわらず、朝から会場の市営体育館に出かけて様子見をしてくれました。その家内によると、まずはリストアップしてる人が優先で、駆け込みは午後からとのこと。

これはどっちにしても長期戦になりそうだと、キンドル本を仕込んだ携帯と、電池切れに備えて紙の本も用意して、昼食後トライシクル(オート輪タク)に飛び乗って体育館へ。ちょっと拍子抜けしたのは、もっと大勢が「密」状態で待ってるのかと思ったら、意外にも人は少ない。それでも20〜30人ぐらいはいたでしょうか?


結局、アストラゼネカは品切れらしく、シノバックになりますだって。まぁ、それもある程度は想定内。接種済み証明がないと、今後の行動の自由が著しく制限されるので仕方ない。

気を取り直して、さぁ何時間かかるかなと悠然と構えてたら、ものの15分ほどで市役所の係員から「はい、そこの人」と家内が指さされました。待ってる順番なら最後の方だったし、係員の顔見知りでもない。

とは言え、無理に割り込んだわけでもないし、早いに越したことはないと接種場所へ移動。ところが後から聞いたところでは、この時に呼ばれた約10人は、当日最後に残ったアストラゼネカを割り当て。何ともフィリピンらしい大雑把な采配ですが、超ラッキーだったのは間違いなし。

さて、問診を受けた後、看護師のオバちゃんが注射器を構えています。この人たちも一日中同じことやってて退屈だろうと、「優しくしてね、痛かったら泣いちゃうから」と軽口を飛ばしました。(もちろん英語で)このオヤジギャグが思いの外ウケて、オバちゃん大笑い。よかったよかった。

注射自体は、これまで多くの体験者が語ったのと同様、それほど痛くもなく、少し心配していたアナフィラキシーらしき反応も皆無。体育館に入って1時間もしないうちに、すべて完了です。早々に帰宅したら、すでにシノバック2回接種済みのメイドさんが「おめでとう!」とお出迎え。

その後、派手な副反応でも出たらブログネタになるなと待ち構えてましたが、これも拍子抜け。確かにワクチン打った場所は24時間経った今も筋肉痛のように痛むし、心なしか全身がダルくて、若干、頭もボ〜っとした感じ。でも熱はなさそうだし、寝込むほどではない。用心して、日課の筋トレとサイクリングは控えましたけど。

ということで、取り敢えずは家内のサポートへの感謝と接種祝いで、フライドチキンを買ってきてもらい、幸せな気分で一日を終えることができました。



2021年9月17日金曜日

隣のチェーンソー

 途中で数日の休みはあったものの、この約3週間、隣家からチェーンソーの騒音が鳴り響いておりました。この時ならぬ「13日の金曜日」祭り。一体何があったのかと言うと、別に殺人鬼がチェーンソーを振り回していたのではなく、庭木の伐採作業。

庭木というと、多くても2〜3本と思われるでしょうが、隣家は、敷地数千平米はあろうかという、大金持ちの大邸宅。数年前までその広大な庭で闘鶏用の雄鶏を多数飼育して、時々闘鶏大会も行っていました。

闘鶏って、試合前に大音量の音楽を聴かせて「場慣れ」させるらしく、深夜〜早朝お構いなしの騒音。本当は宅地で闘鶏やっちゃいけないルールなのに。さすがにこれは酷すぎるので、家内に頼んで苦情を入れてもらい、その後、高齢のオーナーが病気で寝たきりになるなどして、最近はすっかり静かになりました。

ところが、それとは別で何ヶ月かに一度の芝生の手入れ。手押しの芝刈り機をコロコロなんて長閑なものではありません。エンジン駆動で剥き出しの円い刃がビュンビュン回転する芝刈り機で、専門の業者が刈り取り作業。それも一日では終わらず、2〜3日は要する大仕事。何しろ広いですから。

それだけならまだしも、今回は何を思ったか、芝だけでなく、ちょっとした鎮守の森ぐらいの規模に植わった庭木を、全部伐採の暴挙に出たわけです。

もちろん道具はチェーンソー。これが芝刈り機の何倍もの騒音。それも朝8時から夕方5時まで、フィリピンらしからぬ勤勉さで、きっちり仕事をしてくれるもんだから、こっちは、窓を全部締め切って、冷房をかけないと、ブログ執筆やイラスト描きもままなりません。

さらに厄介なのは、切り倒したら終わり、ではなく、運び出せるサイズに切るのもチェーンソー。つまり隣家が突然、製材屋になったようなもの。これが延々3週間も...。


枝打ち作業中

ただ、救いなのは、5〜6人は雇われている伐採業者の態度が良いこと。壁際の樹木を伐るには、家屋の上に倒れないよう、張り出した枝を先に落とさないといけない。その際には礼儀正しく、我が家の屋根に上に登る許可を取りにきました。

また、みんな笑顔を絶やさぬフレンドリーな兄ちゃんやオッちゃんばかり。その後は、私がベランダに上がって彼らと目が合うと、挨拶をしてくれるように。相手の顔が分かって愛想良くされたら、同じ騒音でも「まぁ仕方ないか」と思えるのが不思議なところ。

本来ならばオーナー自ら、作業に先立って「ご迷惑をおかけします」と、手土産の一つも持参してくるのが日本式ながら、フィリピンの、特に地主階級の富裕層は、相手が自分より金持ちでもない限り、そういう配慮はまずしない。

ということで、やっと一昨日、伐採作業がすべて終わったようで、昨日は久しぶりに静かな朝を迎えました。直射日光を遮っていた緑のカーテンがなくなったので、我が家の裏庭はとても明るくなりました。(午後はちょっと暑いですが。)

それにしてもフィリピンに住むと、騒音ネタは尽きませんねぇ。


2021年9月13日月曜日

メイドとチューターの受難


 早いもので、ちょっとうっかりしてたら、またブログを一週間も放置してしまいました。申し訳ありません。

実は先週、メイドのライラおばさんと、私のイロンゴ語・家庭教師(チューター)アンが相次いでダウン。家事に追われたり、またもやの水漏れ事案が発生したり。それに合わせたわけではないけれど、いつも以上に手の込んだイラスト描きが佳境を迎えたりで、ブログがすっかりご無沙汰。

さて、ライラおばさん。

先々週の金曜日に、めでたくワクチン接種の二回目。一回目の時も多少の副反応があり、今回は、それに輪をかけてキツかったようで、翌月曜日は、いきなりの無断欠勤。多分副反応だろうとは思ったものの、連絡ぐらいしろよ。

そのままズルズルと、例によって1週間の計画外バカンスに突入してしまったライラ。「そろそろ米を買う金がなくなるから、来週は絶対出勤するよ」と、フィリピン的リアリティを熟知した家内の予言通り、本日月曜日、久しぶりに元気な顔を見せました。やれやれ。

一応、主夫を自認する私なので、炊事・洗濯・掃除はこなせます。ただ当然ながら、ライラがいないと家事に取られてしまって、自分の時間が細切れ状態。例えばイラストに没頭しようとしても、すぐに「あれ、もう晩ご飯の支度が...」となってしまいます。雨の多い時期なので、洗濯物もなかなか乾かなかいし。

食事の用意以外は、手抜きしまくりでこれなのですから、日夜、完璧を求められる日本の主婦の皆さまの苦労や、いかばかりか。かなり控えめに言っても「苦行」ですね。

そして、家庭教師のアン。

高校の英語教師が本業のアンは、9月からの新学期に向けて大忙しでした。本来なら6月のはずが、2年目に突入したコロナ禍で、スケジュールが大幅に変わってしまったフィリピンの学校教育。

日程がシフトしただけでなく、オンライン授業が毎日ある上に、ネット環境が整わない家庭の子供のために、紙に印刷した宿題、通称「モジュール」を毎週大量に用意して、翌週に回収・添削。単純に負担が倍増。

さらにアンは、それに加えて、学校のフェイスブックページ上での、新入生歓迎イベントを担当。どうもこれが曲者で、一緒に作業をしたメンバーとの相性が良くなかったらしい。毎回文句言われまくった挙句に、メンタルやられてダウン。

気分の落ち込みだけでなく、食欲がなくなって夜も眠れない。とうとう発熱までして、学校はもちろん、私の週一のイロンゴ・レッスンも、二週続けての休講となった次第。

そして一昨日の土曜日、こちらも久しぶりに元気な顔を見せてくれたアン嬢。レッスン中は、以前と変わらぬ笑顔だったアンですが、終わり際に「どうしてたの?」と軽く訊いてみたら、上記の理由。可哀想に、大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、溜まってたものを吐き出したのでした。

実家のあるカディスはここシライからバスで1時間以上の場所。学校にはこの手の話をできる友達もいないし、親には心配かけられないので、週末に帰省しても相談できない。

う〜ん、これは分かるなぁ。まさに私がフィリピン移住を決めたのも、勤務先の人間関係が原因の鬱病のため。治療中は、40過ぎのオっさんがセラピストの前で号泣したこともあるし。

幸い、学校の上司は理解のある人で、今は出勤2日、オンライン業務3日にするなどの配慮をしてくれたそうです。取り敢えず、また辛くなったら、いつでもチャットの相手するよと言ったら、やっとアンは落ち着いた様子。

ということで、両者とも体調不良の近因・遠因はコロナ禍。ここまで長期化して、しかも終息の見通しが立たない状況だと、さすがに楽天的な人が多いフィリピンでも問題が多発。田舎街のシライですらこうなのですから、新規感染者が連日、数千から万単位のマニラ首都圏など、想像するのも恐ろしい状況。

とは言え、暗い顔しても仕方がないし、ライラもアンも戻ってきてくれたので、ブログ執筆やイロンゴ学習を、通常運転に戻したいと思います。