2021年1月31日日曜日

自転車で大コケ

少し前に、「梅雨明けネグロス?」なんて投稿をしましたけど、実際は「梅雨の中休み」だったようで、また鬱陶しい雨が続く、ここネグロス島。とは言え、1月前半のような、終日降り続く感じではなくなり、深夜から朝にかけて土砂降りでも、午後には雨が上がって、日差しが戻ることもあります。

今日、日曜日もそのパターン。雨音で目が覚めて、遅い朝食を食べ始める頃には小雨で、お昼前には、雲の切れ間から熱帯の太陽が。晴れたら速攻で真夏日になるのは、お決まりのコース。

この一年ぐらい、私が日課にしている、ストレッチ〜筋トレ〜サイクリング。こう書くと「全力で体を鍛えてます」っぽいですが、全部こなしても1時間もかからない、軽ぅ〜いメニュー。それも雨が多くて、最後のサイクリングがスキップになることも。

今日も、筋トレまでは済ませて天気待ちの状態で、青空が覗いたのを見計らって、勇んで自転車に飛び乗ったという次第。

雨上がりで涼しいし、空気も澄んでいて、絶好のサイクリング日和。唯一の問題は足元。コロナによるロックダウン以来、専ら、宅地内を走っている私。3ヘクタールもある敷地なので、広さは十分でも、外の道路とは違って、車があまり走らない。こう雨続きだと、路面に薄っすら苔が生えるんですよ。

その上、まだ家が建っていない空きロット周辺では、落ち葉がいっぱい。誰も掃除しないもんだから、苔と落ち葉で、すごく滑りやすくなっている。

この状態で自転車を漕ぐと、危険なだけでなく泥水のはねがすごい。なので最近は、できるだけ乾いたルートを選んでいるほど。ところが今日は、雨上がり直後だったので、いつもはそれほどでもない場所もユルユル。案の定、カーブの時に車輪が横滑りして、派手に転倒してしまいました。

コケでコケたなんて、洒落にもならない。ネグロスに移住してもうすぐ丸8年。日本から運んだマウンテンバイクにずっと乗ってましたが、ここまで見事に「すって〜〜ん」というのは、多分初めて。誰も見てなくて良かった。

それでも、何かに衝突したわけではないし、スピードも出してなかったので、偶然サッカーのスライディングみたいな体勢で着地。身体も自転車もほぼ無傷。大学時代にちょっとだけやってたサッカーが、意外な所で役に立ってしまいました。

少々転倒しても、まだまだ大丈夫なんて思ってたら、時間が経ってから、倒れた側の太腿の外側が腫れてきました。痛たた...。よ〜く考えたら、運良く大したことがなかったけど、誰もいない場所で動けなくなってたらと、今頃になって冷や汗。病院もコロナ対応で多忙だし、下手すると、救急車で運ばれても、満足な治療が受けられたかどうか...。

ということで、自分の体力や反射神経を過信すると、痛い目に会うというお話でした。



2021年1月30日土曜日

ネグロスの建築業界は好景気?

今日のタイトル。正確には、「メトロ・バコロド(州都バコロドとシライ・タリサイの三市)の」か「シライの」なのかも知れません。とにかく、私が直接見聞できる範囲では、こんなご時世なのに建築ラッシュ。

バコロドでのコンドミニアムやら商業施設の、新規着工とか大規模な増改築は、数年前から始まったこと。マニラやセブに遅れること、4〜5年という感じ。

それだけでなく、ネグロスの北部山岳地帯を突っ切って、島の東西を結ぼうという横断道路や、まだ着工には至ってないものの、ネグロスとパナイを結ぶ海上架橋など。コロナ禍の影響を受けて、工事がストップしたり、計画が白紙撤回なんで話は、全然耳に入ってきません。

そう言えば、行政センタービルを、新しくタリサイ市に建設する、という情報もありました。ひょっとして、州都を移転するつもり? そんな大きな物件だけでなく、ざっと我が家の周囲を見回しても、何軒もの個人住宅が工事中。


タリサイに建設予定の
西ネグロス州・行政センター
常識的に考えて、ここまで人の動きが規制されて、間違いなく経済は縮小しているはずなのに、みんな、どこから資金を捻出しているのか、不思議で仕方がない。もう予算取りは済んでいるので、着工しないと違約金が発生するとかの事情なのでしょうか?。

あるいは、時間差で、これから建てたばかりのショッピングモールが閉鎖になったり、住宅が銀行に差し押さえられる事態が頻発するのかも。フィリピン政府の見通しでは、早くてもコロナ禍の終息は、2022年以降になりそうだと言うし。

とまぁ、別にフィリピンの会社に投資したり、ビルを買おうなんて身分でもないので、私には関係ないのですが、困るのは、自宅のメンテナンスをしたくても、大工さんが集まらないこと。

一昨年の11月に竣工した自宅裏のゲストハウスを、早々に手直しした話を、少し前に投稿しました。あの工事、3ヶ月ぐらい前から連絡していて、やっと大工さんが来てくれたのが、年末ギリギリ。それまでは、バコロドでの大きな仕事があって、動きが取れなかったんだそうです。

そして、まだ終わってない修理がもう一箇所、ずっと手付かずのまま放置されてるんですよ。

実は、7年前に建てた母屋の屋根の雨樋が、こちらも何ヶ月も前から盛大に雨漏り。屋内ではないので、生活に支障を来すようなことはないけれど、とにかく最近の多雨。家の前の道が冠水するような降り方が、毎週のようにあって、その度に庭が滝のような状態。

二階の屋根なので、そう簡単に取り替えるわけにもいかず、やっぱり、スチール瓦を葺いてもらった専門の業者さんに頼むしかないらしい。当初は、ゲストハウスを直してくれた大工さんの知り合いに依頼するつもりが、こちらも多忙なようで、全然つかまらない。

結局たらし回しのようになって、一番費用のかかる、正規業者に頼むしかないとなったわけです。ところが、この業者も一度は見に来たものの、連日の土砂降りで屋根に上がることができず、かれこれ2週間も進展がない。

修理を頼んでも、なかなか人が来ないというのは、建築関係に限らず、フィリピンあるあるなのですが、やっぱり困ったことです。



2021年1月26日火曜日

ワクチンの憂鬱

 最初に断っておきますが、私は「反ワクチン」を唱えるつもりは全くありません。それどころか、現在、世界を覆っているコロナ禍を食い止める唯一の現実的な手段は、可能な限り速やかに、大多数の人がワクチンを接種するしかないと信じております。

ほんの半年ぐらい前まで、こんな驚くべきスピードで、複数の有効なワクチンが開発されるとは思ってなかったし、これは近年稀に見る、人類史上の快挙と言えるでしょう。

と、ここまでは最善のシナリオだったのに、その後、日本でもフィリピンでも、なかなか上手くいかないのが、具体的なワクチン接種のプロセス。まず、日本政府とマスメディアの対応が、どうにも理解に苦しむ。

私がここに書くまでもなく、行き当たりばったりにしか見えない、現政権のコロナ対応。今の総理大臣の態度や喋り方に非難が集中してますけど、そんな表層的な話ではありません。これは前政権はもちろん、もっと以前から、有事への備えが甘いのが日本政府。これは阪神淡路大震災の頃から、ほとんど進歩してないんじゃないか。

規制をするにしろ緩めるにしろ、例えば、〇〇日以内に、陽性患者が〇〇人増えたから、あるいは減ったから、という基準を示さないのはマズい。また、オリンピック開催の是非にしたって、ただ精神論で「必ずやります」じゃなくて、どう開催するのか、どういう状況なら中止なのかを説明しないと、誰も納得できないでしょう。

しかも、ワクチン開発の進捗は、何ヶ月も前から分かっていたはずなのに、いまだに(2021年1月末時点)接種開始の詳細日程すら公表できないのは、ちょっとお粗末過ぎ。

そして、それ以上に信じられないのが、大手新聞やテレビ局の報道姿勢。これもすでに、多くの人、現場の医療関係者が、厳しい口調で非難している通り、マスメディアが率先して「反ワクチン」キャンペーン(としか思えない)を展開しています。

特にひどいのが、専門家と称する人物を招いて、根拠のない不安を煽るだけのワイドショー。フィリピンに在住の私は、幸いにして目にする機会はないものの、ネット上で、本物の専門家の方々が激怒するレベルの番組が、多々あるとのこと。

実際、安全性に疑問があるのならともかく、ファイザーやビオンテックなどが開発した、その成分や治験プロセスの情報をきちんと公開しているワクチンに関しては、コロナに感染して重症化するリスクと天秤にかけたら、接種しないという選択肢は考えにくい。少なくとも、私は、ファイザーのワクチンだったら、今すぐにでも打ちますよ。

さて、ここからは、フィリピンでのワクチン接種について。

5年前の当選以来、概ねどの政策も支持してきた(外国人の私が支持しても意味ないけど)ドゥテルテ大統領ですが、今回のワクチンに関する一連の決定や発言には、残念ながら、首を傾げざるを得ません。

まだ第三相の治験も終わらず、有効性の数値も50%とか70%とか、イマイチ確定的でもない、中国シノバック製のワクチンにご執心。イギリスBBCの報道によると、安全性はほぼ問題ないらしいし、ファイザー製ワクチンが摂氏マイナス70度での保管が必要なのに比べると、家庭用の冷蔵庫でも大丈夫なぐらい。

ただ、それでなくても、数年前のデング熱ワクチンによる薬害事故で、60人以上もの死者が出て以来、他の感染症のワクチンも忌避されるようになり、2019年には、麻疹が大流行のフィリピン。こんな状態なのに、データをきちんと公開せず、透明性に欠けるシノバック製ワクチンを選ぶのは、なぜなんでしょう。

そして価格が安いのならともかく、どうやらそうでもない。最近のフィリピン国内の報道では、同じシノバックのワクチンを導入したインドネシアより、ずいぶんと高いとの情報も。これは腐敗を疑われても仕方ないですねぇ。

ということで、仮に有効性が50%そこそこでも、集団免疫の観点からすると、十分接種の意味はあるし、順番が回ってきたら打つことになるでしょうけど、やっぱり憂鬱になりますね。


2021年1月24日日曜日

梅雨明けネグロス?

 昨年のクリスマスの頃から、ネグロス島を含むビサヤ諸島やミンダナオ上空に停滞していた前線。大晦日から元日にかけてとその一週間後の二度、ネグロス島北部に十年に一度あるかどうかという大洪水をもたらしました。このブログでも年頭から何度も投稿した通り。

その後も雨模様の天候が続いて、1月も第4週になろうかというのに、終日雨が降らなかったのは、ほんの数えるほど。さすがに、3回目の洪水にはならなかったものの、少し心配になるぐらいの土砂降りは何度かあったし、朝、激しい雨音で目が覚めるのは、実に嫌ぁな気分。

基本的に寒さのないフィリピンでは、貧困層の子供が夢見る将来というのが、大雨が降っても、雨漏りや浸水がしない家に住むことなんだとか。もう8年も住んでいると、その話があまりに切実に分かってしまって、少々辛い。

例年、1月頃の西ネグロスでは、数日から一週間程度の長雨はあっても、ここまでしつこいのは、少なくとも私の移住生活では初めて。

そんな鬱陶しい雨雲がようやく去って、ここ西ネグロスのシライ市内に、まるで日本の梅雨明けのように、熱帯の日差しと青空が戻ってきたのが、一昨日(1月22日)の金曜日頃から。やっぱり朝は、鳥のさえずりと柔らかな朝日が一番です。


そして、変化が極端なのが熱帯の天候。当然のように、晴れたらいきなりの三十度越え。数日前までエアコンどころか、就寝時に扇風機付けるだけで風邪ひきそうな気温だったのが、日曜日の今日は、冷房なしだとブログ執筆に集中できないほどの暑さ。

さて、その暑さと歩調を合わせるように、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師、アン・デ・ジャン嬢が、昨日、戻って来ました。年末最後の授業がクリスマス前だったので、かれこれ1ヶ月振り。

本当なら1月9日が2021年最初のレッスンの筈が、洪水でキャンセル。翌週の16日は、今度がアンの本職、高校の英語教師の仕事が忙しすぎて、またもやスキップ。

真面目に宿題だけは終わらせて、ずっとアンを待っていたものの、やっぱりレッスンがないと、イロンゴ語を喋ろうという気分にならない。家内は普通に関西訛りの日本語を喋るし、息子は小一まで日本育ち。

その上、またもやメイドのライラおばさんが、今度は膝が痛いと、一週間の欠勤。これでは言語習得のモチベーシュンが上がるわけもない。

というわけで、ただでさえ貧弱な私のイロンゴ・ボキャブラリーは、さらに痩せ細り、久し振りにアンを目の前にしても、立て板に水ならぬ、横板にとトリモチ状態で、言葉が出てきません。やっぱり継続って大事なんですね。

そのリハビリ的レッスンでの話題は、やっぱり洪水の事。幸いアンが年末年始を過ごした、カディス市(シライから車で2時間ぐらいの場所)の実家は、被害を受けることはなかったけれど、シライに借りてる部屋は水浸し。しばらくは着るものに困ったそうです。

さらに、常々私が思っている、なぜシライの川には堤防がないのかという疑問をぶつけてみました。

Pamatyag ko damo nga baha halin sang una. Nga-a wala embankment sa mga suba sa Silay?

昔から、洪水が多いと思うけど、どうしてシライの河川には、堤防がないのですか?

堤防は英語で「エンバンクメント(Enbankment)」。どうやら、この言葉に対応するイロンゴ語がないらしい。というか、そもそもアンは、エンバンクメントの概念すら知らない様子。仕方がないので、日本の河川の写真を見せたり、断面図を描いて説明したり。

そりゃ堤防が何かも知らないんだから、なぜ無いのかと訊いても分かるわけがない。

ちなみに、後で家内に教えてもらったのが「パンパン(Pangpang)」。タガログからの借用語のようです。


2021年1月23日土曜日

私的フィリピン美女図鑑 浴衣美人シーラ

今年、2021年最初の美女図鑑のモデルは、家内の友達シーラ嬢です。

このイラストは、珍しいことに、私がモデルになってほしいと頼んだり、事後承認で勝手に描いたのではなく、本人さんから「私を描いて」との依頼が発端。

3年前、シーラの歳の離れたお姉さん、イロイロ市在住のフランチェスカの還暦誕生日の時に、ポートレイトをプレゼントしたことがあります。それを側で見ていたシーラが、ず〜っと、自分のイラストも描いてほしいと思ってたんだとか。(フランチャスカの還暦祝い

なんだ、それならもっと早く言えばいいのに。実は、清楚で知的な雰囲気の美人、シーラのことは、昔から気になっていて、結婚祝いにイラストを描こうと思ってました。ところが一旦婚約したのに、どういう理由だか破談になってしまったシーラ。(婚約破棄

それ以来、なかなか会う機会もなく、そうこうしているうちにコロナの流行。最後に顔を合わせたのが、前述のフランチェスカの還暦祝い。

そして昨年の12月初旬、たまたま以前描いた親戚のイラスト(オフィレニア5人姉妹)を、フェイスブックに投稿したら、そのコメント欄にシーラがリクエストしてきたという次第。その後、姉貴分と慕う家内へのメッセージで、衣装は日本風にしてほしいと、さらに難題が。

まぁ、別嬪さんからのお願いだし、こっちは最初から描く気満々だったので、二つ返事で引き受けましたけどね。

さて、典型的なセルフィ大好きのフィリピーナ、シーラのタイムラインには、素材になる自撮り写真が満載。しかも、衣装もはっきり指示してくれてるし、描画開始までのプロセスは、いつになくスムーズでした。

ただ、ネット上のサンプル写真が豊富な、浴衣をモチーフにしようと決めたのはいいけれど、やっぱり、それなりのインパクトを持たせるには、相当詳細に描き込まないといけません。難題と思ったのは、そこの手間があるから。

ということで、途中にクリスマスや正月、2回の洪水騒ぎを挟んで、2ヶ月近く経過した昨夜(1月22日)、ようやく仕上がったのが、このイラスト。


お陰さまで、モデルにして依頼主のシーラは、すっごく喜んでくれたみたい。またまた家内へのメッセージによると、早速、写真屋さんにデータを持って行って、大伸ばしのプリントアウトを頼むと意気込んでいるらしい。

丸1ヶ月遅れのクリスマス・プレゼントになってしまいましたが、ここまで喜ばれると、手間を掛けた甲斐があったというものです。

過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年

2019年

2020年


2021年1月20日水曜日

ダブル発電機・設置完了

 フィリピン・ネグロス島に自宅を建てたのが7年前。その1年後、あまりに頻繁な停電に音を上げて、発電機を購入しました。日本では、一度も使ったことがないし、ましてや買うことなど想像もしていなかった発電機。

まず心配したのは、揮発性の高いガソリンを、年中真夏のフィリピンで家の敷地内に保管することのリスク。発電機購入を検討していた時期は、ガソリンを使った犯行の、京都アニメーション放火事件のずっと前。それでも、福知山花火大会で3人が亡くなり、多くの人が負傷したガソリン発電機の事故は、まだ記憶に生々しかった頃。

そういう意識があったので、自然とディーゼルエンジンを選び、どれぐらいの発電量が適当なのかも分からず、店員に勧められるままに。6.5キロワットに決めました。4万ペソぐらいしましたから、日本円なら10万円近く。(停電撃退 発電機始動

今にして思えば、そんなに大出力じゃなくても良かったし、ディーゼルの騒音については、まったく念頭になかった。

実際に使い始めてみて、やかましいとは思ったけれど、なにぶんにも初めての経験。発電機とはそんなものだと諦めて、音さえ我慢すれば、停電中でも電子レンジや炊飯器、エアコンも使える。特に半日に及ぶような、計画停電の時は重宝しました。

ところが、1年2年と使い続けるうちに、バッテリーがダメになって、肝心な時にエンジンが掛からなかったり、エンジンオイルが漏れたり。図体がデカいので、手でワイヤーを引っ張る式のスターターでは始動が難しく、自動車並みにバッテリーが必要なんですよ。

しかも、排気口に付いているフィルターを時々交換しないと、オーバーヒートすることもある。結局、ほぼ毎年、メンテナンスにかなりの手間とお金がかかる羽目に。購入したお店に持っていくのも、大人二人でも持ち上げるのが難しいほどの重量で、毎回たいへんでした。

そして約6年が経過した今年。周囲でも発電機を使う家が増えてきて、そのすべてがガソリンエンジン。なぜ分かるかと言うと、騒音のレベルがディーゼルと全然違うんですよ。発電機って、こんなに静かだったのかと感心するほど。

案の定、ご近所さんからは、赤ん坊が眠れないと苦情が出るし、特に最近、停電が多くて、何時間も使ってると、騒音のすごさに使っている側の神経も参ってしまう。ということで、一昨年竣工したゲストハウスに発電機を導入するのを機に、母家の古い発電機も買い替えようと思い立った次第。

昨年、ここシライ市内に新規開店したホームデポ、シティ・ハードウェアで発電機を物色した件は、少し前に投稿した通り。(長雨・停電・発電機

当初は、母家用に3.1キロワット、ゲストハウスには1.8キロワットと考えていたけれど、1万8,000ペソと1万5,000ペソで、出力が倍近く違う割には、値差が3,000ペソ。1.8キロワットだと、エアコンが使えないので、結局3.1キロワットのガソリンエンジン発電機を2台買うことにしました。

これには、営業のにいちゃんが大喜び。別に彼のセールストークで、購入を決めたわけじゃないけど、多分、給料が歩合制なんでしょうね。


折からの土砂降りの最中、店の前で2台の試運転をして、始動の手順を教えてもらいました。バッテリー無しの手動スターターでも、実に軽くて簡単始動。これなら家内でも何とかなりそう。しかも、タンクが空なら、一人で持ち上げられるぐらいの重量。これは助かる。

見た目もすいぶん変わりました。以前は無骨で、いかにも「業務用」みたいなのばっかりだったのが、この何年かの好景気のお陰で家庭用発電機の需要が増えたらしく、ずいぶんスタイリングもカラーも洗練された印象。これなら、家電製品の範疇と言えるかも知れません。


気になるガソリン保管。一応、携行用の10リッター入る樹脂タンクも買ったけど、これは飽くまで携行専用。面倒でも、発電機に入る分だけのガソリンを小まめに補給して、これに入れたまま保管はしないようにします。

そして、昨日。少し前から依頼していた、お馴染みの配線工サルディーが来てくれて、ようやく設置完了。試運転をして低騒音を実感。これで、いろいろな意味で、肩の荷が下りました。やれやれ。


その数時間後、夕食後にまたもや停電。待ち構えていたように発電機始動!...と思ったら、ものの5分もしないうちに電気が戻っちゃった。灯りがついてがっかりしたのは、フィリピンに移住して初めてでした。


お役御免のディーゼル発電機
まだ使えるので、中古で転売予定



2021年1月17日日曜日

フィリピンで建てた家のメンテナンス


今日も朝から雨模様のネグロス島

 別にフィリピンじゃなくても、家のメンテナンスはとても大切。日本でも、当たり前ながら、フィリピンでは、これを怠ると、住めないほどの事になったりします。

日本とフィリピン以外で、長く暮らしたことがない私なので、ひょっとすると日本だけが特別なのかも知れませんが、フィリピンの場合、一戸建てであろうがコンドミニアム(マンション)であろうが、何の不備もなく5年10年と住み続けられる住居って、まずないんじゃないか。

それも最初からの欠陥が、やたら多い。

いきなりトイレの水が流れないとか、二体式エアコンの配管の傾きが逆で、水が室内に漏るとか。私が8年前に建てた家の場合は、スチール瓦を葺いた屋根が、最初の雨で盛大に雨漏り。まぁ、まだ建ててる最中のあからまさなドジだったので、すぐに業者を呼びつけて、やり直したけれど、もし雨の少ない乾季だったら、内装が全部済んでから漏りが発覚なんてことも、十分あり得ます。

それ以外によくあるのが、シャワールーム床のタイル貼りの失敗。傾斜がちゃんとついてなくて、排水が流れず足元に溜まってしまうケース。こんなの、プロの左官屋さんじゃなくても気が付く事なのに、なぜかフィリピンでは多い。一泊数千ペソ(五千円から一万円)もするようなホテルの部屋で、時々見かけるぐらい。

さらに多いのが、建材の品質に起因する不具合。

配管時の不手際がなくても、パイプや蛇口が劣化して、水漏れが起こることもあります。それも、10年以上も経ってから...じゃなくて、2〜3年もしないうちにダメになる。フィリピンで配管周りの建材を買う時は、安過ぎる品物は要注意。

と、そんな愚痴みたいなことを書き連ねたのは、一昨年末に竣工したゲストハウスのメンテナンスをしたからです。正直に言うと、メンテナンスというより、仕損じのリカバリーなんですけどね。

だいぶ前から依頼して、結局年末ギリギリの12月最終週にやっと来てくれた、ゲストハウス建築時の大工さん、リーボイとビンゴル。やり直してもらったのは、水溜りができるシャワーの床と、建て付けが異常に悪くなった寝室のドア。

どちらも、住めないほどの不具合ではありませんが、すごく気になってました。タイルの貼り直しは、鈍臭い仕事をしたビンゴル君が再度の担当。嫌味の一つも言ってやろうかと待ち構えていたのに、ニコニコ笑顔で罪悪感のカケラもなし。まぁいいか。

そして年を越して、今日(1月17日)修理してもらったのは、同じくシャワー関係。これは、最初に配管してもらったアントニオ君の雑な仕事のせいで、給湯器へのパイプの途中から、ジワジワと水漏り。ついでに不調だったポンプの調整も。

ちなみになぜポンプが必要かというと、フィリピンでは水道の水圧がとても低い。これは配管の老朽化や、途中で管に穴を開けての盗水があるから。給湯器を使おうとすると、ある程度の水圧が必要なので、自宅に加圧用の水タンクとポンプが必須。

ということで、竣工後1年ちょっとで、やっと本当に完成した感じ。もちろん、これで終わりではなく、次から次への問題が出てくるのは、母家を建てて今住んでる経験から分かってます。ただ救いは、人件費の安さ。今回の修理も、材料費込みの総額で五千円もかかってませんから。


2021年1月14日木曜日

二週間ぶりのメイドさん

フィリピン・西ネグロス州のダブル水害から一週間。昨日の1月13日水曜日、我が家のメイド、ライラおばさんが、ようやく今年初出勤しました。やっぱり、隣市タリサイにあるお姉さんの家に避難していたとのこと。まずは無事で何よりです。

実は、三日前の日曜日。音信不通になっていたライラを心配して、家族で出かけたついでに、ライラの家に様子を見に行きました。もう雇って2年半になるけれど、私がライラの家に行くのは初めて。

だいたい予想はしていたものの、フィリピンの貧困層が住む場所というのは、やっぱりすごい。洪水の直後でまだ雨が降り続いていることもあって、足元は汚泥のままでゴミが散乱。剥き出しのブロック塀とトタン屋根の家が、ぎゅうぎゅうに建て込んでいます。よくこの環境に住んで、しかも子供を育てられるなぁ、というのが率直なところ。

もちろん、こういう住宅自体を見るのは初めてではなく、フィリピンに長くいると、もうお馴染みの感覚。それでも少しショックだったのは、私がよく知っている人が、そこの住人だからでしょう。

ライラだけでなくその子供、私の息子と同い歳のドドンくんや、家の修理などで時々手伝いに来てくれるご近所さん。そして話には何度も聞いていた、お父さんが旧日本兵だという、ライラのお母さん。

前述の通り、ライラはお姉さん宅にいたので不在でしたが、こんな状況で、しかも突然訪問した私たちを、皆さん、満面の笑顔で出迎えてくれたのは、さすがのフィリピン人気質。考えてみれば、私にはとても真似のできないメンタル・タフネスです。

いろいろ問題が山積のフィリピン社会。それでも、市民レベルの慈善活動は迅速で、家内のように、ライラとその家族のために古着を用意したり。私と同じ宅地に住んでいて、自宅の庭でカフェ・レストランを営んでいるクリスは、もっと積極的。フェイスブックで呼びかけて集めた救援物資を、自前の車で困っている人に届けて回っています。(ご近所の日比ハーフ姉弟

これこそ、私がとても真似のできない行為。すごいなぁ。

もちろんシライ市役所も、お米の無償配布を開始。昨年は、コロナ禍ですいぶん大量の米を配ったシライ市。まだ備蓄が残っていたのか、それとも急遽買い集めたのか、とにかくアクションの速さは、評価に値します。

ということで、食器洗いや洗濯をライラに任せられるようになって、落ち込んでいた気分も多少なりとも上向きに。やっとのことで、新しい年が本格的に始動した感じです。

それにしても、苦労続きのライラおばさん。少し痩せて、白髪が増えたんじゃないか?




2021年1月12日火曜日

長雨・停電・発電機

 金曜日夜から土曜日にかけて、今年2回目の水害に見舞われた、私の住むフィリピン・ネグロス島のシライ市。元日の洪水と同様か、それをさらに上回るような水位に達した場所もあるようです。その後も雨は降り続き、三日経った今日、火曜日になってもまだ小雨が。

相変わらず、ネグロスを含むビサヤ地方やミンダナオに豪雨をもたらした前線は、上空に居座ったままで、熱帯にしては少々肌寒く感じるぐらい。これはいくら陽気なフィリピンの人々でも、精神的に参ってきそう。

そして、追い討ちを掛けるのが停電。

洪水当夜は、施設が水浸しになるなど、電気が止まるのは仕方ないにしても、一旦、送電が復旧して24時間以上してからの長時間停電って、なんでそうなるのかなぁ?

数十分からせいぜい1時間程度の停電は、洪水がなくてもよくあるネグロス島。最近は、フェイスブックにあるネグロス中央電力(Central Negros Electric Cooperatiove / 略称 CENECO セネコ)のホームページで、停電の原因とか復旧の見通しなどが投稿されます。

ところが、今回の停電が発生した日曜日の午後、セネコのページを見たら「現在、原因を調査中」。どこかの送電施設の部品の老朽化や、電柱の下で焚き火して燃え移って、電柱が倒れて送電線が切れた(冗談みたいですが、時々あるんですよ)みたいな、素人にでも理解できる原因ではないらしい。後から分かったことですが、システム全体に関わる不具合だった模様。

送電停止範囲は、シライ市だけではなく、お隣のタリサイ市にも及んだ、ブラックアウト。結局、午後2時過ぎに停電して、戻ったのは夜9時前。約7時間に及ぶ、大停電になってしまいました。

こうなると、活躍するのが発電機。数万円から十万円以上もする機材だし、後付け設置するには、配線工事が必要になるので、ネグロスの一般家庭では、おいそれとは手が出せない高級品。発電機の有無で金持ちがどうかを判定する、リトマス試験紙みたいなもの。

購入して7年目の我が家の発電機。実は最近、ご近所さんから騒音で文句を言われたばかり。それも選りに選って、以前にも書いた、わざわざ我が家の前の道で自転車を乗り回して絶叫する、小学生の悪ガキ兄弟の家から。

家内に苦情を言ってもらったその翌日、「昨日の今日」で、またやらかしてくれたので、とうとう私がキレて、子供を怒鳴りつけてしまいました。そこから、その両親が出て来て大喧嘩。

ただし、途中から私も頭を冷やして、毎日朝から夕方まで騒音を聞かされるのが、日本人である私には、どれだけ苦痛かを切々と訴えたところ、どうやら向こうは理解してくれました。私が英語を喋れないと思っていたそうです。最後には笑って握手するところまで漕ぎつけたのですが、別れ際に「お宅の発電機もうるさいですよ」と一言。

やっぱりフィリピン人でもそう思うか...。気付いてなかったのではなく、日本では発電機など買ったことがなかったので、必要以上の大出力6.5キロワットで、ガソリンに比べると騒音が大きなディーゼル発電機を選んでしまったんですよ。

購入後にネットで調べたら、今家にある家電製品の数からして、半分の発電量でよかったし、ディーゼルは、家庭用には不向きとありました。やっぱりなぁ。

そんな事があったので、暗くなるまで発電機を回し続けるのは、少々罪悪感。それを受けて家内と一緒に、シライ市内のホームデポ「シティ・ハードウェア」へ。3キロワット台のを母家へ、さらに小さな1キロワット台のものをゲストハウスに置く算段をつけました。

一つだけ気になるのが、ガソリンの扱い。専用の携行缶は入手するにしても、年中真夏のフィリピンで、自宅にガソリンを保管するのは、どう考えても危険。実際に使い始めたら、発電機のタンクに入るだけのガソリンを、こまめに供給するしかなさそうです。

ということで、この週末には、騒音小さめの発電機二台を導入しようと計画中です。配線工のサルディにテキストしたのに、まだ返信がありませんけどね。


2021年1月10日日曜日

新年早々、鬱々として楽しまず

 今年(2021年)2回目の週末、私の精神状態は惨憺たるものでした。

原因ははっきりしていて、まずベースに昨年3月頃から続く新型コロナの流行。これは、フィリピンにいようが日本にいようが、誰だって多少なりとも気伏せりな状況でしょう。日本から流れてくるネット情報は、陽性患者数が新記録だの、各国で始まったワクチン接種で副作用が出ただの、徒に不安を煽る内容ばかり。

最近では、あまりの鬱陶しさに、朝日・読売・毎日・産経などの大手新聞の記事はほぼブロック。代わりにイギリスBBC、アメリカCNNの日本語版と、ロイター、共同通信などだけを読んでます。不必要に感情を刺激しない簡潔なまとめ方だし、裏付けになるソースをちゃんと示してくれるから重宝してます。

ところが金曜日の1月8日は、例のトランプを支持する暴徒により、一時連邦議会が占拠されるという、とんでもないニュースで丸一日振り回される羽目に。英語で叛乱を意味する「インサレクション / Insurrection」なんて言葉を、まさかアメリカの国内報道で聞くとは思いませんでした。

それに加えて、日本での緊急事態宣言。どう考えても時期を逸してるし、集団感染発生場所としては、教育機関や一般のオフィスと比べて突出しているとは言えない、飲食店だけを標的にした営業規制。日本にいる友達の何人かは、飲食店を経営してます。それを思うと、一体何を考えてるんだと、腹が立って仕方がない。

いまさら比べて申し訳ないけれど、我が母国のリーダーより、フィリピンのドゥテルテ大統領の方が、よっほど国民が納得する政策を、タイミングよく打ち出しています。

そして最後のダメ押しが、金曜日の夜から土曜日の未明にかけての、私の住むネグロス島北部を襲った今年2回目の水害。当然のように深夜に停電はするし、自宅の周囲が冠水して、外に出ることもままならない。

幸運にも、我が家は浸水などの深刻な被害はなかったものの、フェイスブック経由で知る、友人知人たちの近況は、どれも気分が落ち込むようなことばかり。年末以来ずっと欠勤のメイドのライラおばさんは、連絡すら取れない有様。おそらくどこかに避難してるんでしょうね。

これだけネガティブな情報に接し続けたら、私でなくても気分は鬱になるでしょう。金曜の夜は眠れないのが分かっていたので、すごく久しぶりに、入眠に薬の力を借りました。お陰で、翌日の寝覚めは最悪で、1日何をする気力も湧かず。

道路が水浸しで、サイクリングは無理にしても、日課のストレッチと筋トレ、ボイストレーニングはしなかったし、三度の食事の用意も全部、家内にお任せ。今年初めてのイロンゴ語レッスンもキャンセル。何とか、洪水についてのブログを一本書きましたけどね。

ということで、寒くはならないフィリピンの気候に、助けられてはいるけれど、とにかく日差しが戻ってほしいと願っております。


2021年1月9日土曜日

今年二度目の大洪水


出典:Rural Areas

 ほんの一週間前、大晦日から元日にかけての大雨で鉄砲水が発生し、一般市民、特に川沿いに住む貧困層の人たちを中心に、床上浸水や家屋流失などの大被害を被ったばかりの、ここネグロス島シライ市。追い討ちを掛けるように、昨日1月8日深夜、またもや洪水となりました。

前回は、シライ市とその両隣のタリサイ、ビクトリアスに集中していた被害が、昨夜はさらに拡大し、カディスやサガイ、エスカランテも含むネグロス島北部のほぼ全域に。シライだけでも住民295人が市民センターに避難し、全体での避難者は、数千人規模になったと思われます。

元日の洪水以来、ずっと欠勤が続いている、我が家のメイド、ライラおばさん。やっと週明けには出て来てくれるかと期待していましたが、連絡も取れなくなって、まだ安否の確認ができません。

シライ出身の家内によると、台風以外で、市街地全部が水浸しになるような水害は、だいたい十年に一度あるそうです。前回が2011年で、前々回が2001年。それならば、向こう十年は大丈夫なはずだったのに、二十年分の洪水が、同じ月に押し寄せてしまいました。

フィリピンの天気予報は、日本と違って、観測点が少ないのか、観測機材が旧式なのか、気圧配置などを使った説明がなくて、とても大雑把。自分でインターネットを見て、雨雲レーダーや気象衛星からの情報を調べた方がまだマシというぐらい。

それにしても、今更ながらに溜息が出るのが、フィリピンの水害対策のお粗末さ。

洪水になる原因は、昔から分かっているのに、少なくともシライ市内で、堤防がある川は皆無だし、排水管の敷設工事も遅々として進まず。大きな道路沿いの側溝も、レジ袋が詰まったまま放置で、大雨じゃなくても水溜りがいっぱいありますからねぇ。

要するに、何度ひどい目に遭っても、市長から一般市民の端々まで、何とかしよう、あるいは何とかできるとは、思わないらしい。事が起こってから、避難先を視察する様子をネットで拡散して「やってる感」を見せるだけが、市長の役目じゃないでしょうに。


避難所となった、昨夜の市民センター
視察するゴレツ市長

私の家があるビレッジ(宅地)では、ちょうど自宅前の道路が、やっぱり排水溝が詰まっていて、何年も前から、ちょっと土砂降りがあると、くるぶしぐらいまで冠水。何度も管理事務所に苦情を入れてるし、月々の管理費はちゃんと支払ってます。

ただ、一応は市内で最も高級なビレッジだし、最近は冠水がやたら多いので、ようやく重い腰を上げて、少し前から側溝の再敷設工事が始まっていたようです。工事といっても、オッちゃんが二人来て、チンタラやってるので、今回の洪水には、全然、間に合いませんでしたけど。

ということで、二週連続での大被害となったシライ市。今度こそはこれに懲りて、根本的な解決策を講じてくれませんかね?


2021年1月6日水曜日

我が家のメイド出勤せず

 ぼんやり過ごしてたら、もう一月も六日になってしまった。今年は三日が日曜日だったので、日本もフィリピンも、四日の月曜日から出勤のパターンが多かったと推察。側から見てて、そんなにストレスがあるとは思えない家内でも、やっぱり連休明けの前夜は「どよよ〜ん」な気分らしい。それを思えば、我が祖国日本での同胞諸氏の心中は、察するに余りある感じです。

我が家のメイド、ライラおばさんも、本当ならば月曜日に今年初勤務...のはずだったのが、大晦日の昼過ぎに仕事納めをして以来、今日もお休みのまま。自宅が正月の洪水で水浸しになって、まだ片付け作業に追われているらしい。

ここネグロス島シライ市では、大晦日深夜から翌未明にかけての豪雨で市内各所で浸水被害が出たと、元日の投稿で書きました。ライラの住むギンハララン地区では、特にひどかったらしく、河岸に建つライラの家の辺りは、なんと一階の天井まで冠水したとのこと。


シライ市内で流された家屋
出典:MANILA BULLETIN

それでもライラの家は二階建てだったので、まだ何とか凌いでいるけれど、ご近所さんは、家を丸ごと流されてしまったと言います。そのご近所さんとは、ゲストハウス新築時に、庭に設置してあったバンブーハウスの屋根を、葺きかえてくれた大工さんとその家族。気の毒なこと、この上なし。

改めて、今回の洪水に関する報道をネット上で調べてみたら、Flash Flood(フラッシュ・フラッド / 鉄砲水)と表現されてました。短時間にものすごい雨量が降って、ギンハララン川へ大量の水が一挙に流れ込んだことが原因なんでしょうね。

ギンハラランは、決して大きな川ではなく、やや幅の広いドブ川という程度。シライの市街地が水源で、大した流域面積もないのに、今までもちょっと大雨が降ったらすぐに周囲が冠水。

そんな、住むにはリスクのある土地柄なので地代が安い。自然と経済的に余裕のない人たちが集まることになります。結果として、水害のある度に、貧乏な人はさらに生活が苦しくなる悪循環。シライ市ならば、バカ川沿いの第二バランガイやマリスボッグ川沿いのイーロペス地区などは、貧困層が多い。

それにしても、咋年末から今年にかけての半月ほど、本当に雨が多い。日本の梅雨のように終日降ったり止んだりもあるし、午前中はいい天気で暑かったのに、夕刻から、屋内で人の話し声が聴き取れないほどの雷雨になったり。今、このブログを書いている、フィリピン時間午後8時も、そんな土砂降り真っ只中。

さて、ライラが来られないし、オフィスの業務が再開して、昼間は家内も不在。仕方がないので、100%主夫が続くここ数日。今日は、久しぶりに市の中心部にある公設市場へ食材を買いに。お馴染みの八百屋のオジさんに「明けましておめでとう。元気?」とあいさつしたら、苦笑いで「ちっともめでたくないよ〜。洪水でひどい目に遭った。」

元日は、比較的高い場所にある我が家の周辺ですら、くるぶしぐらいまで道路が冠水したぐらいなので、海岸線に近い八百屋のオジさんの家は、川沿いじゃなくても、床上浸水したようです。

ということで、洪水や火事で友達や知り合いが被災した時の、フィリピンでの一般的な対応として、ライラとその家族のために、家内が古着を用意しています。そろそろ明日ぐらい、出てきてくれませんかね。


2021年1月3日日曜日

同世代のひとびと

 局地的な大雨による洪水、その影響での停電で始まった、今年2021年。来年私は、とうとう60歳の還暦を迎えます。

きっちり老眼はきて、すっかり食べる量も減りました。昔は一人で残り物を全部食べて「生ゴミ箱」と言われたほどだったのに。休みの日には昼まで寝ちゃうという芸当もできなくなったし。それでも、若い頃に想像していた60歳前後とは、ずいぶん様子が違うものです。

まず、髪の毛。まぁ、これは個人差が大きいので一概には言えないものの、私の場合、ほとんどボリュームに変化がなく、生え際も後退したように見えません。白髪もよ〜く見たらチラホラあるかなぁというぐらい。

体力の点では、毎日30分程度のサイクリングと、ストレッチとダンベルを使った筋トレの、有酸素+無酸素運動の組み合わせのお陰で、特に弱った感じもない。むしろ、日本でサラリーマンをやってた頃より調子がいい。ストレスがないので、40代にお世話になった睡眠導入剤も不要。

その上、女性への興味は、肉体的に精神的にも、ちっとも衰えません。この歳になったら、少しは「枯れてくる」のかと思ってたのに。なので、飽きもせず「美女図鑑」と称して、セクシーな女の子のイラスト描いていたり。同様に、「丸くなる」とは程遠い心境で、相変わらず、つまらない事に腹を立ててます。

なるほど。最近の日本では「老害」などと言われ、60歳前後のオっさんたちが、暴力的なクレーマーになったりするのは、必要以上に元気だからなんでしょう。ネトウヨ化して、ネットで暴言を撒き散らしているのも、私の世代が多いらしい。日頃、よっぽどストレスを溜め込んでるでしょうねぇ。

その反面、私と同じ1962年 / 昭和37年と、その周辺生まれの人たちには、尊敬すべき方々も多い。今日は、そんな同世代のひとびとについて書いてみます。

最初から畏れ多いことながら、一昨年に即位された今上陛下が、1960年のお生まれで私とほぼ同世代。歴代の天皇の中で、奈良時代の光仁天皇の60歳に続く、第2位の高齢での即位なんだそうです。この歳から、こんな重責を担われるとは、想像するだけで眠れなくなりそう。ちなみに皇后陛下のご生年は1963年です。

私と同年生まれで、誕生日も1ヶ月しか違わないのが、9年前にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥博士。この方、生まれが東大阪。同じ学年で、しかも近くにこんな優秀な子がいたなんて、もうそれだけで親近感。

同郷ならば、尼崎出身のダウンタウン、松本・浜田のコンビ。二人とも1963年生まれ。私は阪急塚口でしたが、彼らは国鉄尼崎(現在のJR尼崎)が最寄り。自転車ででも行ける距離でした。今ではすっかり「お笑いの大御所」みたいな扱いで、松本さんは、世界的な映画監督にして、バラエティ番組「探偵ナイトスクープ」の局長になっちゃいました。

お笑いでは、とんねるずの石橋貴明さん(1961年)と木梨憲武さん(1962年)も同世代。

政治家で私と同級生(1963年の早生まれ)なのが、現行政改革担当大臣の河野太郎さん。英語が堪能な総理大臣は過去にもいたものの、IT関連企業出身で、インターネットのことをちゃんと分かって使いこなしている国務大臣って、河野さん以外に誰かいましたっけ?

まだ政治の世界では若造なのかも知れないけれど、特定の人物に、本気で総理大臣になってもらいたいと思ったのは、河野太郎さんが初めて。ハンコに関する改革で、一躍、時の人。それ以前に外相や防衛相を歴任。

コロナ禍にあっては、「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」などの耳慣れないカタカナを使わずに、日本語での表現提言したり。つまり、普通の人の感覚を持っていて、それを政治家としてエラくなってからも、ちゃんと発信しているのがすごい。

それ以外だと、最近、テレビに出たりしている(らしい)、脳科学者の茂木健一郎さんに、漫画家で、ツィッター発「夜廻り猫」の作者、深谷かほるさん。深谷さんは、ツィッターでフォローしてます。

そう言えば、80年代のアイドルで、今でも現役バリバリの松田聖子さんも。アルバム買ったなぁ。何の接点もありませんが、俳優のトム・クルーズさんと、ジョディ・フォスターさんも、1962年生まれなんだそうです。へぇ〜。

ということで、調べればまだまだいくらでもいる同世代の有名人ですが、今日は特に私が敬意や関心を持っている方々を上げてみました。



2021年1月1日金曜日

正月から洪水と停電

 新年明けましておめでとうございます。

予想だにしなかった厄災に見舞われた2020年が、やっと終わったと思ったら、ここフィリピン・ネグロス島シライ市は、いきなりの洪水と停電で2021年の幕が開いてしまいました。

猛烈な台風が来たわけでもないのに、大晦日の未明から、店の底が抜けたような大雨が断続的に続き、水捌けの悪い我が家の前の道路は、くるぶしぐらいまで冠水。この程度なら数時間で水が引くので、よく降ったね〜で終わるところが、一度止んだと思って油断してたら、午後から再開。

さらに、日本で言うなら紅白歌合戦が始まった頃から雨足が強まり、日付が変わる年越しを挟んでのゲリラ豪雨状態。しかも雷を伴ったエゲつない降り方。

移住後、フィリピンで迎える大晦日は7回目。まるで戦場のような爆竹と花火の音には慣れたし、ちょうどカウントダウンを狙っての長時間停電も経験したけど、爆竹の音が、雨と雷の音に掻き消されるなんてのは初めてです。もう壮絶。

さすがにこれだけの雨なので、外に出て花火を上げる根性はないようで、例年に比べると音は散発的。向かいの家の酔っ払い共も、今年は静かになってしまいました。ははは、ザマァ見ろとばかりに、午前1時過ぎには、耳栓をして就寝。

そして新年の朝。もう雨は止んで、薄曇りの空の下に広がっていたのは、一面、川面のようになった自宅周辺の景色でした。

う〜ん、当然冠水は予想してたけど、これはひどい。床をかなり高めに作っておいたので、我が家は余裕で浸水は免れたものの、ガレージは半分ぐらい水が来てました。しかも、お約束のように停電。

フェイスブック上で、ネグロス中央電力のホームページを見たら、朝4時に送電が停止したらしい。復旧の見込みは立っていないとのこと。仕方がないので、新年早々の発電機始動です。エンジンの音轟々と、穏やかな年明けとは程遠い騒音。

シライの市街地は、さらにひどい冠水で、目抜き通りのリサール・ストリート周辺は、場所によっては、膝ぐらいまで水浸し。特に土地の低い場所の住民98家族が、市民センターに避難して、一夜を明かしたとの報道。何とも気の毒なことです。



ただ被害範囲は、ここシライと隣市のビクトリアスぐらいまでで、州都バコロドでは大したことはなかったらしい。本当に局地的な集中豪雨だったんですね。

なかなか散々の新年の朝なれど、年明けの瞬間に鳴らせなかったリベンジとばかりに、市内各所からバンバン爆竹が。おっかないドゥッテルテ大統領の命令で、オフィシャルには年末年始の爆竹は、決められた場所でしかダメなはずなんですけどねぇ。

終日の発電機運転を覚悟していた電気の方は、幸にも朝9時半には復旧。予定していた、毎年恒例、親戚一同が我が家に会しての新年パーティも開催できました。

今年は、家内の弟夫婦が大奮発で、バレンシアーナにパンシット・カントン(焼きそば)、ルンピア(春巻き)などなど、山盛りで注文。私が用意したカレーと炊き込みご飯、たこ焼きもあって、とても豪華な食卓になりました。よかったよかった。




ということで、家内たちは、シカゴ在住の従妹とフェイスブック・メッセンジャー、私は日本の両親や弟たちとスカイプで、それぞれの親戚・家族と、新年の挨拶を交わしました。もうすぐ2歳になる私の甥っ子が、パソコンの前で大はしゃぎ。

良い一年になってほしいですね。今年もよろしくお願いします。


昼前にようやく青空