2021年6月28日月曜日

フィリピン・アニメ「トレセ」の受難

 十日ほど前にこのブログで紹介した、フィリピン発のアニメ・シリーズ「異界探偵トレセ」が、ネットフリックスで配信が始まったという話題。週一回のイロンゴ語(西ネグロスの方言)レッスンでも、その話を元にイロンゴ作文をしたところ、若き家庭教師のアン嬢も興味津々。カウンター・プロポーザル、というわけでもありませんが、少し前にマニラで起こった、トレセ絡みの事件について教えてくれました。

それによると、配信が始まる5日前、市内の幹線道路沿いに複数設置されたトレセの広告が、軒並み落書きの被害にあったとのこと。赤いスプレーで書かれた「俺たちの街だ」とか「出て行け」など言う文言が。ネット上に拡散した写真の中には、なぜか「ドゥテルテ追放」なんて、トレセとは無関係なものを、ちゃっかり紛れ込ませたり。

最初は、カトリック国のフィリピンならではの、悪霊や悪魔への拒絶反応が、少々過激な形で噴出したのかと思いました。何しろ、美貌の霊能力者トレセの敵は、人間の内臓を食らい、生き血をすする化け物たち。

私の年代だと、やっぱり思い出すのは、「エクソシスト」「オーメン」などの、反キリスト教のオカルト映画。古典的なところでは、十字架を恐れるドラキュラもそうですね。

でもよく考えたら、私が観たトレセの第一シーズンでは、キリスト教と関連付けられた描写って、見当たりませんでした。血塗れの残酷なシーンは多々あれど、どれも、おそらくはキリスト教伝来以前からの伝承にある、呪術的・土俗的な内容ばかり。トレセが唱える呪文も、ラテン語ではなくタガログ語。

これは私の推測ですが、原作者のブジェッテ・タンさんは、フィリピン人。下手にキリスト教を匂わせるようなストーリーにして、まじめなクリスチャンの信仰心を刺激したら、コミックの排斥運動が起こりかねないことは、承知しているはず。

記事の中には、ネットフリックスが話題作りのために自作自演したんじゃないかと、穿った見方をするものもあったり。さすがに私も、そこまではやらないと思いますけど。そんなことしなくてもフィリピンでは、韓流ドラマ人気もあって、ネットフリックは大成功してます。

ここまで書いて、ふと思い当たったのは、ひょっとすると敬虔なカトリック信徒ではなく、昔からの伝承を、信じている人の仕業なのかも知れません。

日本人の感覚からすると、まさか、と思われそうですが、都会暮らしの人たちでも、病気になったら呪術医に頼ることが多いフィリピン。貧困率が高くて医療費が高いことも、その背景にあるでしょうけど、教育がある富裕層ですら、頭から否定する人の方が珍しいぐらい。

我が家のメイド、ライラおばさんは、年齢的にいろいろと体調不良に悩まされて、時々呪術医のばあさんに診てもらってるそうです。それ聞いても、フィリピン大学出の家内は、決して笑ったりしませんから。

そもそも人々のあいだに、そんな感覚があるから、「超人的な呪術医」とも呼べるようなトレセが、人気を博しているんでしょうね。



2021年6月25日金曜日

イロンゴで語るガンダム

 私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)も、かなり使い物になって来たのか、それともただの自己満足なのかは微妙ながら、先週のイロンゴ語レッスンでは、ついガンダムのことを熱く語ってしまいました。

日本を代表するアニメ作品「機動戦士ガンダム」について、いまさら説明するのもどうかと思いますが、簡単に概要だけ。

最初のガンダム第一話「ガンダム大地に立つ」がテレビで放送されたのが、1979年の4月と言いますから、何と40年以上も前。その頃には「宇宙戦艦ヤマト」が、社会現象となるほどの大ヒットをしている最中で、すでに「アニメ=子供向け」でもなかった。

それでも、まだまだ巨大ロボットアニメと言えば、スポンサーの玩具メーカーによる、プラモデルなど関連商品の販売を最優先していた時代。大人の鑑賞に耐えうる凝ったストーリーや、複雑な人物描写など、子供に理解しにくい内容は無用の長物。

そんな中でよくもまぁ、あんな企画が通ったものだと、今になってみれば驚きます。そして何を隠そう、偶然にも私は、第一回をリアルタイムで観ていました。さらに、まさしく視聴者ターゲットど真ん中の、中学生だった私。一発で夢中になってしまいましたよ。

何がすごいって、あの頃に大人気だった「マジンガーZ」や「仮面ライダー」などでのお約束が、あっさり無視されていたこと。番組の最後まで、勿体ぶって取っておくのが必殺技。それも「ブレスト・ファイヤー」「ライダー・キック」と、主人公が技の名前を叫でたのに、ガンダムは、いきなり黙って武器を使って敵役をあっさり撃退。

私だって子供ながらに、最初から必殺技を出せば、ピンチにもならず簡単に勝てるのに、とは思ってました。なので、長年の溜飲が下がったような気分。ショーアップされたプロレスの観客が、初めてガチ勝負のリングスを知った時に似てるかも。

とまぁ、ガンダムの魅力を語り始めたらキリがないので、このぐらいで止めますが、要するに、1970年代末の中学生からすれば、とてつもなくリアルな戦争ドラマ。「正義と平和のために」じゃなくて、生き残るために否応なく戦争に巻き込まれた、子供たちの物語という趣向。

その後、テレビ版を編集した映画3本と、その続編「逆襲のシャア」までは観てましたが、あまりにもたくさんのスピンアウトや新シリーズが、洪水の如く作られたのについて行けず、ごく最近までガンダムとは縁が切れておりました。

ところが、そんな昔の初恋のような気持ちを思い出させてくれたのが、来週7月1日(2021年)から、フィリピンでもネットフリックス配信が始まる最新作「閃光のハサウェイ」。ただの新作ではなく、「逆襲のシャア」から直接の続編。しかも舞台が、フィリピンのダバオ。

YouTubeで主題歌のミュージックビデオを見たら、一瞬ながらフィリピンの街並みやスラムの様子が、実物を嫌というほど見てきた私でもリアルだと感じるほど、きちんと描写されていて、ダメ押しにジョリビーのマスコットがチラリ。本気ですね、富野さん。

しかも、この6月の後半から、ハサウェイ公開に合わせて、懐かしいファースト・ガンダム三部作と逆襲のシャアが先行配信。何十年ぶりかに一気に観てしまいましたよ。

さすがに画面は4:3で、作画も動きも古く見えますが、やっぱりストーリーの骨組みが緻密に作られてるんですね。決して退屈したりせず、最後まで集中力が途切れませんでした。なので、今中学生の息子にまで勧めてしまった。

ということで、その興奮をイロンゴ語レッスンにまで持ち越してしまった次第。家庭教師のアンには、事前に英語版ウィッキペディアを読んでおくように伝えて、授業では、1時間ぐらいガンダムの話題ばかり。アンが生まれる20年ぐらい前のテレビや映画なんですが、それでも、ガンダムについては知ってましたね。地元の玩具店トイザラスでも「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」は売ってますから。

少し前に、このブログで、マニラを舞台とした新作アニメ「異界探偵トレセ」について投稿したばかりで、何だか妙にフィリピン関係のアニメ作品が続いております。



2021年6月23日水曜日

ブロードバンドで書くブログ

 昨夜(2021年6月22日)の9時頃、突如としてPLDT(フィリピン長距離通信)が設置した電話が鳴りました。十日も前に光ファイバーを、ここフィリピン・ネグロス島の自宅に敷設してもらい、ず〜っとアクティベートを待っていた電話。

やれやれ、これでようやく我が家も、ブロードバンド時代を迎えることができました。やっと「INTERNET」のLEDが点灯したモデムの近く、私の携帯で速度を測ってみたら、86Mbps。理論値の最速が100Mbpsを謳うサービスなので、まぁこんなもんでしょう。試しにネットフリックスを観てみたら、感動的に読み込みが早いし、画質も良好。

それにしても、家内に頼んで申し込んでから、ファイバーが引かれるまで1週間。そこから、ネットが使えるまで十日。その間、連絡はまったく無しで、ひたすら待つのみ。ある意味、期待通りのフィリピンのサービス品質。1ヶ月以内に何とかなったので、フィリピンにしては上出来と言えるかも。

たださすがに、私が今寝起きしているゲストハウスまでは、新しいルーターでも信号が届かない。これは別途、配線をやってくれる電気屋さんに依頼する必要があります。前回に投稿した通り、電気屋のサルディに、開通したら工事をしてもらう約束が、今度はこっちの連絡が取れない。メッセージしても返事しないし、電話しても呼び出し音が鳴るばかり。

またもや私だけお預けか...と思っていた今朝。まさかのPLDT再訪問。100Mbpsのサービスには、拡張用の追加ルーター3台も付いているそうで、それを持って来てくれました。

現在のフィリピンで、100Mbpsで月3,000ペソ(約7,000円)払えるユーザーって、それ相応の広い家に住んでることを見越してなんでしょう。LANケーブルで繋ぐこともできるし、10メートル程度なら無線のブースターとしても使用可能。これは助かる。


ゲストハウス玄関に設置した
追加ルーター

早速、ゲストルームに置いてみたら、距離があるのでかなり減衰するものの、速度は30Mbpで、ブロードバンドの定義にはギリギリで合格。ネットフリックスもユーチューブも、感覚的には母屋で見るのと同様の快適さ。

というわけで、当ブログ開始以来、初めてブロードバンド環境で執筆中。読者の方々にとっては、何の関係もないですけど。

正直に言うと、新しいページを読み込む時以外は、普通にSNSを閲覧したりブログを書く程度なら、10倍〜20倍近い速度差も、あまり違いを感じない。やっぱり真価を発揮するのは、動画でしょうね。あとは安定性なんですが、これはしばらく使ってみないと、まだ評価はできません。

いずれにしても、そんなことを考えるのは最初だけで、すぐに慣れて当たり前になるのは間違いない。日本でも20年ぐらい前はダイヤルアップで、私もチンタラとナローバンド使ってたはずなんですが、当時の感覚って全然覚えてないんですよね。



2021年6月21日月曜日

気づいたら1,500回


移住直後に撮影した
ネグロス島の風景

実は当ブログ、もう2週間前に1,500回を超えておりまして、今回が1,505投稿目。いやぁ、我ながらよく続きましたね。

第一回は、8年前の2013年10月。フィリピン・ネグロス島に移住して半年後、自宅の建設が始まったのを機に、記録を残しておこうと思い立ったのがきっかけ。日本に住んでいても、自分の家を建てるのは、生涯に何回もある経験でもなし。ましてやフィリピンで日本人が...となると、そこそこの希少価値はありそうで、同様の計画を立ててる人の参考になるかも。

そういう動機だったので、家が完成してしまえば、オっさんの老後暮らしなんて、大して面白くもなさそうだし、ネタもすぐ尽きるだろうと思ってました。竣工は、さらに半年後の2014年6月。当初の腹づもりからすれば、そこで終わってもよかった。

ところが自分でも予想外だったのは、家ができてからも、文章にできるような出来事が意外に多い。別に、連日大事件が起こってるわけではないものの、半年書き続けて癖になった「これってブログに書けないかな?」という意識があると、ちょっとした日常の一コマでも、素材になります。

最初は、日本では馴染みのない、メイドさんを雇った話や、季節感の違い、言葉のこと、田舎暮らしの毎日などなど。生活環境が激変すれば、誰もが友人・知人に教えたくなるようなテーマ。

そして数年も経って、初めての体験もそうそうはなくなり、ネグロス生活に慣れてしまった頃には、いろいろと自分から動いて、新しいことを始めてました。なんて書くと、いかにも前向きで意識高い系みたいですが、要は、趣味や習い事でもやってないと、時間を持て余してしまうから。

当初は日本でもやってたテニスに精を出し、筋トレするためにジムに通ったり。その後、テニスは、毎朝30分程度のサイクリングに代わり、筋トレはダンベル買い込んで、自宅のベランダで。

一番熱中してるのは、つい先日も投稿したように、イラスト描き。もうとにかく、セクシーな美女を、描きたいだけ描くという、根が助平な中年男には十分過ぎる理由。拙いイラストでも、このブログを始めとして、フェイスブックに投稿すれば、それなりに見てくれる人もいて、中には心待ちにするファンまで現れました。

こういうのを承認欲求の充足と呼ぶんでしょうね。こうなると、サービス精神旺盛な関西人としては、ますます手の込んだ表現にトライしていこうと思うもの。最近では、インスタグラムに投稿したり。

ブログ、イラストと平行して注力しているのは、これも当ブログで何度も書いている、イロンゴ語(西ネグロスの方言)学習。何回か挫折の危機はあっても、何とか命脈を保って続いています。

さらに、移住してから本格的に始めたのが、日々の料理。家内やメイドさんに任せて問題はないとは言え、やっぱり50歳過ぎまで、ほぼ日本にしか住んだことのない日本人。純和食とまではいかなくても、カレーやハンバーグ、とんかつにお好み焼き...。ごく普通の日本食が恋しくなります。

鶏肉・豚肉と、ほとんどの野菜は、日本国内と変わらないものが手に入るし、ちょっと割高ながら、味噌、みりん、ほんだし、豆腐、素麺・蕎麦など、州都バコロドまで行けば、大抵の食材は売ってます。一番助かるのが、カレーのルー。

最初は自分のためだったのが、子供が育って、今や食べ盛りの中学三年生。もちろん家内も食べてくれるので、少々しんどくても、毎日三食の料理がすっかり定着。何より楽なのは、メイドさんが食器洗いをしてくれるので、作ることだけに専念できること。文字通りの美味しいとこ取り。

ということで、まだまだブログのネタは尽きそうな気配もありません。昨年は、コロナ禍に明け暮れてしまい、図らずも、全然有り難くないネタが提供されてしまいましたが、それ以外には、ゲストハウス建てたり、同居のために日本の両親が引っ越してくることになったり。

当分は、このブログを書き続けるだろうと思いますので、今後もどうかよろしくお願いします。取り敢えずの目標は、2,000回ですね。



2021年6月17日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 妹ジーナは小学校の先生

2021年は、年初から2回連続で、フィリピン人の友達と家内をモデルに、和装イラストを投稿しましたが、どうやらシリーズとして定着しそうな第三弾。今度は、家内の弟の連れ合い、つまり私の義妹がモデルです。

彼女の名前はジーナ。シライ市内の小学校の教師をやってます。妹が学校の先生なんて言ったら、一部のオジさんからは羨ましがられそう。私がイラストに描くぐらいなので、そりゃぁ美人ですよ。

高校生の子供が二人もいて、もうすぐ五十路を迎えるようには見えないジーナ。数年前に、手術を伴うような大病をしてしまい、若い頃に比べるとかなりふっくらしたとは言え、むしろそれが愛嬌になって、生徒には慕われ、頼りにされるそうな佇まい。

本当は、先月がジーナの結婚記念日だったので、それに間に合えば良かったんですが、やっぱり着物は手間がかかりました。

そもそも最初の構想では、フィリピンの民族衣装のつもりでした。ところが、それだと、どうしても身体の線がかなり出ちゃうんですよ。多分本人は気にしてるだろうし、ことさらイラストにしなくてもなぁ。

かと言って、中途半端にスリムな体型に描いたりしたら、ジーナの神経を逆撫でする危険も。幾つになっても乙女心の取り扱いは、細心の注意が必要です。特に今回は、頼まれたイラストではなく、サプライズ・プレゼント。

その点、日本の着物は、顔と手以外の露出はほぼなく、どんな体型でも無理なくカバー。よほど極端な表現をしない限り、見る人は、太ってるかどうかなんて意識しないはず。

さらに苦慮したのが顔。基本、似顔絵イラストなので、似てなかったら意味がない。でも、真に迫るがあまり、シワやシミを再現したら、いくら似てても最悪。以前にも書いたように、リアルに知ってる人は、これが難しい。

若くし過ぎず、せいぜい実年齢より7〜8歳程度、若く見える...辺りが落とし所でしょうか。似顔絵描きのプロって、毎回すごく苦労してるんだろうと思います。ということで、前回の投稿から丸1ヶ月かかって、ようやく完成したのがこのイラスト。

おかげさまで、ジーナをタグ付けしてフェイスブックに投稿した直後からバズりました。今見たら、公開範囲がジーナの友人だけなのに、いいねの総数が240。すごいなぁ。これは私のイラストがどうこうじゃなくて、ジーナの人徳が成せる技でしょうね。さすが人気の先生。

コメントもイラストではなく、ジーナを褒める言葉、Beautiful! Gwapa!(フィリピノ語で美人の意味)の嵐。中には写真と思ってる人もいるみたい。もちろん本人も大喜び。

何はともあれ、たくさんの人がハッピーな気持ちになってくれたようで、イラストレーター冥利に尽きます。よかったよかった。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年6月15日火曜日

フィリピン・アニメ「異界探偵トレセ」

 いやぁ〜、フィリピン人作家と漫画家によるコミックが、これほど有名になっていたとは、全然知りませんでした。2021年6月11日からネットフリックスで配信が始まった「異界探偵トレセ」(原題 Trese)。その原作は、2005年に発表された同名のコミック。

日本語のネット環境では「フィリピン発」と報じられてるし、作家のブジェッテ・タン(Budjette Tan)と作画担当のカジョ・バリディシモ(Kajo Baldisimo)の両名は、フィリピン人。しかしその作品であるトレセをここまで有名にして、ネットフリックスでのアニメ化に至ったのは、当初からオンラインで掲載され、アメリカで人気に火がついたことが大きいでしょう。

本編の前に、そのプロモである「トレセ・アフター・ダーク」という、出演者やスタッフを集めてのインタビュー番組を観たところ、アニメ制作のBASEは、シンガポールとジャカルタに拠点を置くスタジオ。プロデュサーは、マーベルのアニメ映画を多数手掛け監督もこなす、フィリピン系アメリカ人のジェイ・オリバー。

そして美貌のヒロイン、アレクサンドラ・トレセの声をタガログ語で演じるのが、フィリピンで活躍中の超有名女優のライザ・ソベラーノ。私が何度もイラストを描いた、憧れの女性。

とまぁ、作る人も演じる人も、基本的にフィリピンの文化や習慣を「分かっている」人たち。現在住んでいる場所が、フィリピン国外であっても、フィリピン生まれであったり、フィリピンから移住した両親や親戚に、生まれ故郷の伝承を聞いて育った人たちがメインスタッフ。

ところで、多くのハリウッド映画で描かれる日本って、当の日本人から見れば、実に妙ちきりんで「そんなヤツおるか〜!」「これは一体どこやね〜ん!」のツッコミ・オンパレード。昔からそうだし、今でも時々見かけます。

そこはさすがのネットフリックス。世界各国の映像クリエーターや俳優を起用して、ローカルな素材をグルーバルにヒットさせるノウハウはすごい。さらに、ローカルの観客にも違和感を抱かせないことに関しては、他に類を見ない。

実際に最初のエピソードを観てみると、かなり緻密なロケハンをしたことが垣間見えます。舞台となるマニラの街並みや、人物のキャラクター・デザインなど「確かにこんな感じの場所あるわ〜」「こんな人おるで〜」。

霊能力を持ち、格闘技の達人である女性探偵トレセが、警察の手に負えない、超自然現象が絡んだ事件を解決するストーリー。登場するのは、フィリピンの民間伝承に基づく、アスワンやホワイトレディなどの、フィリピンではお馴染みの妖怪変化の類い。

何となく、「ゲゲゲの鬼太郎」を彷彿とさせる設定。とは言っても、伝承の焼き直しではなく、伝承を皮膚感覚で理解している原作者やスタッフによって、外国人にも面白く感じられるよう、上手にアレンジされています。アクションシーンもたっぷりで、リアルでフィリピンを知っている私にも、楽しめる作品に仕上がっていました。

唯一残念だったのは、ライザ・ソベラーノ演じるアレクサンドラの声が、フィリピンの視聴者にはイマイチ評判が良くないこと。フィリピン人の家内によると、「エモーションが足りない」「役柄に合わない」などなどのコメントが、フェイスブックに投稿されているらしい。

う〜ん、やっぱりライザって、10歳まで父の国アメリカにいて、最初はタガログ語が喋れなかったそうなので、フィリピン・ネイティブの人には、不自然に聴こえるんでしょうか。その上、原作のコアなファンは、評価が厳しいだろうし。

ちなみにこの作品のアフレコは、英語版、日本語版など多言語対応。第二話以降は、そっちも試してみましょうかね?


2021年6月13日日曜日

光ケーブルは来たけれど

 十日ほど前の6月2日。遂に、私の住むフィリピン・ネグロス島の地方都市シライまで、光ケーブルがやって来たという投稿をしました。家内に頼んで、PLDT(フィリピン長距離通信)に、100Mbpsサービス加入を依頼して、約1週間経った金曜日。ようやくなのか、フィリピンにしては早いのか、突如、工事屋さんが我が家に。

来てくれるのはいいんだけど、せめて前日には「明日の◯時ごろ伺います。」ぐらいの連絡はできんかなぁ。平日なので家内は職場だし、私は出張マッサージで施術してもらってる最中。しかも、あと15分でランチタイム。

時間をずらそうにも、スケジュールが立て込んでいるので、次はいつになるか分かりませんって、何じゃそりゃ。まぁ、今に始まったことではないフィリピンのサービス・クオリティ。仕方がないので、大急ぎでシャワーして、対応しましたよ。

ところが、ここからがまた要領を得ない。

今、電話とモデムを置いている場所に、同じように設置してほしいだけなのに、現行ケーブルから光ファイバーへの差し替えで、家の中の配線引き回しができないとのこと。電柱から一番近い窓枠の隙間から、何とかファイバーを通して、仮設置するから、後は、専門のエレクトリシャン(電気屋さん)に頼んでくれだって。

それこそ、君らの専門と違うんか?と、キレそうになりつつも、怒鳴りつけて改善されることは、まず絶対にあり得ないフィリピン。しかも顧客対応では、この国でも札付きに評価の低いPLDT。プランAがダメなら、プランB。最善が不可だったら次善の策を選ぶしかありません。何だか、政治家の言い訳みたいになってきた。

さて、窓枠に穴でも開けるのかと身構えていたら、末端の光ファイバーって、断面がすごく平べったくて、薄いんですね。アルミサッシのねじ止めしてある部分を少し緩めて、必要な箇所のパッキンだけを削り、やや強引にファイバーをねじ込みました。

ただし、ドライバーや工作用のナイフは、全部こっちから貸し出し。あのな〜、そんな基本的な工具ぐらい持ってこいよ〜。たまたま我が家では、工具があったからいいけれど、そうじゃない家では、どうしてるんでしょうか。行き当たりばったり、ここに極まれり。

あとは、モデムと電話を置く場所まで、ファイバーをつなぐだけなんですが、黙って見てたら、壁に釘で打ち付けようとする。待て〜。仮設置て言うたやんか。どうせすぐにやり直すのに、ちょっとは考えんか〜い。

慌ててビニールテープを持って来て、自分でファイバーを固定しましたよ。「良いテープ持ってますね〜」って、感心してる場合かっ!



そんなドタバタを演じて、目出たく100Mbps開通かと思ったら、まだアクティベートしてませ〜ん。考えてみたら、新しい電話番号の通知もないしなぁ。「ははは、午後には開通しますよ。」と言い残して、工事屋は去って行きました。

後で家内に訊いたら、家内の職場では、この状態から実際に電話やインターネットが使えるようになるまで、三日かかったらしい。なので、今使ってるアナログ回線のグローブは解約できず、引き続き、公称5Mbps、実測値2〜3Mbpsで我慢するしかありません。

幸い、その日のうちに、家を建てた時に配線全般を任せた、電気屋のサルディーと連絡が取れて、アクティベートでき次第、ファイバー敷設のやり直しをしてもらうことに。二階の天井裏に入っての仕事なので、相棒を連れてきますわ〜。なんだかやっとマトモな受け答え。

ちなみに、私と同年代のサルディー。フィリピンでは珍しく、仕事が確実で、実に頼りになる電気屋さん。

ということで、再配線用のファイバーは確保したし、数日以内には快適なネット環境が実現されそうな気配となってきました。それにしても、さすがのフィリピン。一筋縄では行きませんな〜。



2021年6月12日土曜日

フィリピンのPASMO

 フィリピンでもICカードで、電車やバスに乗れるのか?

はい、そんなわけないですね。ごめんなさい、釣りタイトルです。そりゃ、あれば便利なのは分かってます。マニラで地下鉄でも開業すれば、ひょっとすると可能性は出てくるんでしょうけど、そもそも旅客鉄道が存在しないネグロス島。

路線バスはあるけれど、ICカードどころか、まだ車内で車掌さんが切符売り。ワンマンバスさえない、日本の昭和30年代と同様。残念ながら、PASMOも、SUICAも、ICOCAも、スルッとKANSAIも、なぁ〜んにもありません。

パスモとはイロンゴ語で、病名あるいは、体調不良状態を指す言葉。タガログ語のPasma(パスマ)と同じ意味。私は全然知らなかったんですが、ツィッターでフォローしている、フィリピンでは有名な日本人通訳、デセンブラーナ悦子さんが「ナビマニラ」に、パスマについて寄稿しておられました。

それによると、重労働や激しい運動で、身体が熱を持っている時に水に触れると、手の震えや筋肉の痛みが出るとされいるそうです。なので、メイドさんがアイロン掛けすると、しばらくは食器洗いはしてくれなかったり、屋外でバスケットに興じた後は、少し休憩して疲労が回復してからシャワーを浴びるんだとか。

我が家のメイド、ライラおばさんは、1時間ぐらいアイロン仕事しても洗い物してくれますが、よく考えたら、すぐじゃなくて、適当に昼寝したりしてますね。以前、テニスでへとへとになって帰宅して、汗まみれでシャワーしようとしたら、家内にちょっと待てと言われたことも。

フィリピン女性が、朝シャワーして、髪の毛びちゃびちゃのまま出勤や登校するのは、寝る前に身体を冷やすのがよくないと信じているから。こっちではシャワーは水が基本ですからね。毎日、お湯を使うのは、すごく贅沢で、地球環境に優しくないと諭されたりするお国柄。

さらに今日、毎週土曜のイロンゴ語レッスンで、家庭教師のアンに訊いてみたら、子供のいるお母さんは、ほとんどパスマード(Pasmardo パスモの患者さん)だと言います。家内はそんなことないよと反論したら、「奥さまは、メイドが家事をしてるし、お子さん一人だけじゃないですか〜。子供が5人も6人もいて、毎日の家事に追われてる人がなるんですよ。」

あなたも診てあげましょうと、アンが私に、腕を水平に上げてしばらくそのままで言うので、その通りにしたら、「震えがないから、あなたは大丈夫です。」

いやそれって、単なる過労か、更年期障害と違うかぃ? 

日本でも、冷えが身体に良くないと言ます。クーラー効き過ぎたオフィスで体調崩したり、冬場の浴室で、老人が急死することもある。でもそれって、かなり極端な温度差の話。

よほどの高地は別として、フィリピンの平地なら、気温が20度を下回ることはまずないし、水道水が冷たいと感じても、日本の真冬に水で洗い物することに比べたら、たかが知れてます。

ということで、多分パスモは、迷信の一種なんだろうと思います。でも、ライラもアンも、家内さえ、ある程度は信じてる様子だし、言下に否定するのも大人気ない。年中暑い国に住んでいると、そう感じるのも、あながち的外れとも言えないですし。



2021年6月8日火曜日

FがPになるフィリピン

 外国語の発音、特に英語に関しては、苦手意識を持っている日本人は多いと思います。よく例に持ち出されるのが「L」と「R」。乳児の頃からフィリピン人の家内が、英語絵本の読み聞かせをして、7歳でネグロス島に引っ越した、今中学生の息子。さすがにこの聴き分けは完璧で、最近は、テレビでCNNを観てる時の通訳をやってもらうぐらい。

一般のフィリピン人も、小学校から英語の正規教育はあるし、ハリウッド製のドラマや映画が溢れているので、聴く方も喋る方も、きちんと区別してます。

もちろんアクセントは、英語・米語のネイティブとはちょっと違う、フィリピン訛りなんでしょうけど、社会人になるまで日本国外に出たことのなかった私にすれば、むしろ聴き取りやすい。

そもそも国内で、意思疎通が難しいぐらい違う方言があり、日常会話の中に、英語やスペイン語の単語がとても多いフィリピンの言語環境。外国語習得に関しては、日本人ほど苦労しなくて済む人が多い。家内の場合、母語は西ネグロス方言のイロンゴ語で、公用語の英語とタガログ語は、ネイティブスピーカーに褒められるぐらいに流暢。スペイン語もだいたい分かるし、30歳を過ぎてから覚えた日本語も、日常会話はこなせます。

最後の日本語は、私と一緒になって来日した時、半強制的に在日外国人向け、公文の日本語教室に通わせたこともあり、最初の1年でなんとかなりました。まぁ、日本で暮らすには、日本語ができないと超不便。必要に迫られたと言えばそれまでながら、今私がイロンゴ語学習で四苦八苦してることを思えば、やっぱりすごい。

だからと言って、フィリピン人がどんな発音もオールマイティかと言うと、そうでもないらしい。典型的なのはF音がP音になってしまうこと。

多少なりともフィリピンと縁のある人なら、お気付きの通り、まず国名のフィリピン共和国 Republic of the Philippines は、フィリピノ語の正式名称が、Republika ng Pilipinas リパブリカ・ナン・リピナス。

400年前、スペイン人に占領される以前のフィリピンの言葉には、F音がなかったそうです。なので、その後入ってきたスペイン語や英語の単語は、今でもオフィス(office)がオピスィーナ(opisina)、フェイバリット(favorit)がパボリート(paborito)みたいなことに。これは、イロンゴ語でもまったく同じ。

それにしても、発音できないような国名を押し付けられたのに、独立してもなお、それを使い続けるって、忍耐強いというか寛容というか。(マルコス大統領の時代から、スペインによる侵略前の「マルハリカ」に戻そうという議論はあります。もちろん発音の問題ではありませんが。)

ただし、現代フィリピン人がFを発音できないわけではなく、最初に書いた通り、小さい頃から英語は聴いたり喋ったりしているので、私が英語のRをきれいに発音できない、というのとは違い、ついうっかり、ひっくり返ってしまうという感じ。

そりゃそうでしょうね。いくら英語が公用語でも、大部分の人たちは、タガログ語やそれぞれの方言で生活しているわけですから。日本では、ほぼ関西弁のみで暮らしていた私には、その感覚はよくわかります。

最近ツィッターで笑ってしまったネタに、「英語留学したいけど金がない」「それならフィリピンに行け」「フィリピン訛りの英語になるから嫌だ」「訛りが気になるレベルになってから言え」というのがありました。

ネタなんですけど、私はかなり言語習得の真髄を突いていると感じます。最近の日本の親御さんたちって、子供に、訛りのないきれいな英語を身に付けさせたいと思いがち。これって白人コンプレックスも、かなり混ざってる気がします。

考えてみれば、英語発祥のイングランド以外で使われてる英語って、イングランド人が聴けば、全部、地方の訛り。イングランド国内でも都市によって違うし、連合王国内のスコットランド、ウェールズ、北アイルランドなど土台から違う。

私が業務出張で訪れた、東南アジア、香港、インド・パキスタン、中近東に、ヨーロッパ大陸など。仕事は全部、日本訛り...というより関西訛りの英語で押し通しましたものの、訛りで馬鹿にされたことは一度もありません。インドなんて、向こうの訛りの方がずっとキツい。それでもちゃんと、仕事はできたわけす。

ということで、ネイティブも舌を巻くぐらい英語ができる日本人が、オックスフォード、ケンブリッジのアクセント(アクセントも訳せば訛り)を学ぶのなら意味があるかも知れませんが、大多数の人にとっての母語訛りって、むしろ誇ってもいいとさえ思います。訛りを気にし過ぎて、萎縮するよりは、訛り丸出しでも堂々と喋った方が、内容さえしっかりしていれば、相手は敬意を払ってくれると思いますよ。



2021年6月6日日曜日

1年続いた家庭教師

 本日6月6日は、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師を務めてくれているアン嬢が、初めて我が家にやって来てから、ちょうど一年目の記念すべき日です。(本気でプロの家庭教師

昨年2020年は、せっかく軌道に乗ったゲストハウスの仕事が、呆気なくダメになり、例年ならば、毎月のように開いていたホームパーティの機会も激減。特にネグロス島の外に出られないのは、実に気伏せりなこと。

そんな暗い雰囲気の中で、週に一回、2時間だけながら、アンが来てくれたことは、コロナに明け暮れた1年で、数少ない明るい話題でした。今、過去の投稿を見直してみたら、アンにまつわる記事は、6本も書いてますね。

それは、アンの性格が明るいというだけでなく(性格の暗いフィリピーナって、会ったことないですけど)、現役の高校教師だけあって、宿題は用意してくれるし、添削の仕方も堂に入っている。自然とこちらも真面目になって、準備もするようになったから、アンが来る以前に比べると、目に見えてイロンゴ語が上達しました。間違いなく、今までで最高の先生。

と書くと、日常会話ぐらいはペラペラになったのか?と思われそうですが、それまでが、ほぼゼロに近い状態だったので、上達と言っても、メイドのライラおばさんに、家事の指示をできるようになった程度。細かい話は、やっぱり英語に戻ってしまいます。

そして以前にも紹介した通り、昨年後半から始めた、ブログのフォーマットを活用した日本語 / イロンゴ語の辞書作り。これが思いの外、イロンゴ語学習に役立ってます。最近の宿題は、その週にあった出来事を「ジャーナル」と称して、日記風にイロンゴ作文。分からない部分は、英語で書いて、それをアンがイロンゴ語に翻訳。

翌週、また同じように作文するわけですが、なにぶん来年還暦を迎える年齢ゆえ、一度書いただけで、覚えられるはずもなく、辞書を見返すと、「あれ、同じこと前に書いてた。」と、自分の忘れっぽさに呆れる始末。

英語を身に付けた頃に比べると、ずいぶんと時間も手間もかかるものの、繰り返しが語学習得の基本であることに、違いはありません。3回、4回と同じ言葉を書いて喋れば、硬くなった頭にも入ります。

最初はただの単語帳だったものが、半年もやってると、ずいぶんとボキャブラリーも増え、辞書らしくなってきました。アクセス数も少しづつ増えているので、ひょっとすると、誰かのお役に立っているのかも知れません。

ところでアンは、私にとって4人目の家庭教師。移住して9年目に入って4人なら、そんなものかと思われそうですが、最初の先生で、アンを紹介してくれたティンティンこと、クリスティン以降、途中で長いブランクがあり、再開したのが2018年。つまり実質3年半ぐらいしか、イロンゴ語の勉強はしてません。

別に私が選り好みして、取っ替え引っ替えしたのではなく、レッスンとは関係ない、やむを得ない事情での交代続き。図らずも、1年以上続いた家庭教師は、アンが初めてとなりました。

ということで、ささやかながら感謝を込めて、昨日のレッスンでは、アンの大好物、ダンキンドーナツ6個入りボックスを用意。若い女性に甘いものを贈るのは常套手段ですが、私の期待値をはるかに上回る喜び方でした。子供か?(笑)




2021年6月4日金曜日

ほんとに梅雨入り?


出典:ABS-CBN News

 梅雨入りと言っても、日本ではなくフィリピンのお話。このブログでは、毎年6月初めごろには、だいたいこのネタです。

タイミングとしては日本と同じか、少し遅いぐらいのフィリピンの梅雨入り。今年は日本の梅雨入りはずいぶんと早かったようですね。年々夏に移行する時期が早まっていると感じるのは、私だけではないでしょう。

ただ、梅雨入りと言っても、フィリピンの場合は、夏が終わった後なので、「雨季入り」と言うべきか。だいたい3月後半辺りから暑くなり始め、4月〜5月が夏真っ盛り。緑の多いネグロス島でも、数日ぐらいは最高気温が40度にまで上昇することも。

まぁ、緑の多い分、大阪や東京のような、深夜まで茹だるような暑さ、というわけでもなく、日が落ちれば扇風機だけで、なんとか凌げる程度。就寝時にオフタイマーでエアコン使うのも、毎晩というわけではありません。

さて、本日6月4日、例年通り、6月の声を聞いた途端に梅雨入りが発表されたフィリピン。日本のように、近畿地方は...、関東地方は...、みたいな細かいことは言わず、「はい、今日から全国が雨季」という大雑把さ。

私の住むネグロス島の場合、だいたい梅雨入り宣言の数日前ぐらいから、文字通りの梅雨空になり、時折激しい雷雨になるのが常。そして一雨上がると、灰色の空を背景に、大発生した羽蟻たちが飛び交います。

季節の変わり目のサインでも、紫陽花が咲いたり、田植えしたばかりの田んぼでアマガエルが鳴いたり、という風情は皆無。家の壁にびっしり張り付いた羽蟻の大群を見ると、逆上して掃除機を振り回すのがオチ。カエルの鳴き声にしても、図体のデカいのが一斉に鳴くので、暴力的な音量。フィリピンの天候って、本当に極端から極端なんですよね。

ところが今年の梅雨入り前後。イレギュラーだったのは、台風の通過。3号台風、フィリピン名ダンテ。(Dだから4番目かと思いきや、ナンバリングする日本の気象台と、数え方が違うらしい)

ミンダナオ、ビサヤ諸島、ルソンと、ほぼフィリピン全域に大雨や土砂崩れをもたらし、4人が死亡、7人が行方不明、被災者4万5千人の大被害。幸い、自宅のあるシライ市内では洪水もなく、メイドのライラも翌朝、元気に出勤。

台風一過で一挙に涼しくなり、さぁ今年も雨季か〜と思ったら、翌日から、またもや熱帯の日差しが。日中はエアコン使わないと、ブログ執筆やイラスト描きなど、集中が必要な作業ができない環境に戻ってしまいました。寒の戻りならぬ、暑の戻り。

おかしいなぁ。いつもだったら、ある日突然雨季になって、鬱陶しい空模様の代わりに、気温だけは、ぐっと凌ぎやすくなるはずなのに。ほんとに梅雨入りしたんかいな?

そう言えば、今年は、ちょうどフィリピンの真夏と時を同じくして、台湾が熱波に襲われ、全土で渇水になったそうです。ルソン島北端と台湾の高雄付近って、実は200キロぐらいしか離れていない、お隣さん。ひょっとすると、台湾の異常気象と、なにか関係があるのかも知れませんね。



2021年6月2日水曜日

100Mbps やっと21世紀がやって来た

 ここフィリピンのネグロス島、そのまた地方の人口12万都市のシライに、ようやく21世紀がやって来ました。とまぁ、大袈裟なのは分かってますけど、こういう書き方になってしまうほど嬉しいのは、遂に自宅の前まで、通信用の光ファイバーが敷設されたから。

かれこれ2ヶ月ほど前に、PLDT(フィリピン長距離通信)に委託されたと思われる業者さんが、朝からなにやら電柱をガチャガチャ。こういうのが曲者のフィリピン。修理かメンテナンスで、関係のないケーブルをうっかり切ってしまい、周辺の家の電話が全部不通、なんてアクシデントがあったりする。

実は移住直後の借家住まいの頃に、そんなうっかりミスで、一週間ぐらい電話もネットも使えない羽目に。プロバイダーに電話しても全然繋がらないし、やっと連絡が取れても、約束の日時はすっぽかされる。

それはともかく、何の工事をやってるのかと、作業中のオっちゃんに聞いてみたら、どうやら光ファイバーの敷設。我が家のプロバイダーは、PLDTと並ぶフィリピン最大手のグローブなので、ちょっと残念だったものの、やっとシライ市にも、こういう日がやってきたかと、しばらく感慨に耽ってしまった。

何しろ、契約時に「これは業務用レベルですから〜。」と勿体ぶっていた内容が、たったの5Mbps。桁を二つ違えてるんじゃないかと思われそうですが、数年前はそんなレベルだったネグロス島の通信事情。

5Mbpsといえば、文字ベースのやりとりでストレスを感じない程度。Lineでチャットやってるぐらいならこれで十分。ただし、ユーチューブやネットフリックスで動画を見始めると、ちょっとイラっとなるぐらい止まったり、画質が悪かったり。

ちなみに2019年現在での、フィリピンのインターネット人口普及率は71%。日本の94%に比べるとかなり見劣りするものの、思ったよりずっと良い数字。経済的に余裕がなくて、家にテレビや固定電話がない人でも、スマホだけは持ってますから。

ところが回線速度になると、日本が 91.9Mbpsなのに対して、フィリピンが19Mbps。同じアセアンのシンガポールは、なんと世界最高速190.94Mbps。それにと比べるのは酷にしても、世界平均54.3Mbpsにも遠く及ばない。

そりゃ、ドゥテルテ大統領がブチ切れて、改善が見込めない通信会社は、免許取り消しじゃ〜と叫ぶのも無理のない話。2018年に、中国資本40%のフィリピン第3のプロバーダー、DITO(ディト)に市場参入を許したのも、PLDTとグローブの尻を叩く意味だったんでしょう。

どうやら、据えられたお灸が効いたようで、重たい腰を上げて地方都市に光ファイバー敷設になった次第。

しばらくすると、シライの繁華街や州都バコロドへ向かう幹線道路沿いに、PLDTの「100Mbps」の文字がデカデカと踊る広告が目立つようになり、最近では、同じ宅地のご近所さんに「この家に100Mbpsのサービスを提供しました」とビニールシートに印刷されたPLDTの告知が貼り出されました。

なるほど、こういうマーケティング手法もあるんですね。多分、料金を少し安くするか、広告料をいくらか支払うというインセンティブでもあるんでしょう。

さらに、以前はグローブを使っていて、不具合を放置されたためPLDTに乗り換えた、家内の実家。甥っ子がネットゲームにハマっていることもあって、25Mbpsコースで契約したそうです。それでも5倍の速度になったから、かなり快適な環境。

そして決定打は、家内の職場DepED(フィリピン教育省)が光ファイバーに。「すごっく速くなった〜」って、そりゃそうでしょう。

ということで、今日(6月2日)、家内に「ウチもPLDTに変えて、光ファイバーにしない?」と持ちかけてみました。やっぱり速さを実感しているだけあって、さっそくオンラインで申し込みをすることに。

価格は、以下の通り。100Mbpsが約3,000ペソで7,000円弱程度。この金額で日本並みの回線速度になると思えば安いもの。

とはいえ、インフラが完備しても、サービスの質まで改善されたかどうかは怪しいPLDT。すぐに工事に来るからどうかは「神のみぞ知る」なので、しばらくは状況を静観したいと思います。「我が家に光ケーブル開通」というタイトルで、このブログに投稿できる日が近いことを祈りつつ。