2021年8月31日火曜日

ツイッター始めました

あちこちから、 いまさら何を言ってる?と突っ込みが入りまくりそうですね。

正確に言うと最近始めたんじゃなくて、何年も前から使ってたツイッター。でも、お世辞にも使いこなしているとは言えない、ROM(読むだけ)ユーザー。各方面で著名な人を、ただ追っかけてるだけの、情報収集ツールでした。

ところが、今年(2021年)の初めぐらいからフォローし始めた、マニラ在住の日本人ビジネスパーソンの方。フィリピン在留邦人ならば、知らない人はまずいない「まにら新聞」の代表者。日々、紙面を飾るトップニュースに短い解説をつけて、ツイートいただいてます。

細かい経緯は忘れましたが、リプライかリツイートに返事をいただき、以降相互フォロー。その方を通じて、マニラやセブ、その他フィリピン各地在住の日本人の方々のつぶやきに接する機会が激増。

以前フェイスブックでも、かなりの数のフィリピン在留邦人や、日本在住ながらフィリピン人配偶者がいるなど、この国と縁の深い人たちと知り合いになりました。ところが、だいたい私と同年代か年配の男性で、娘ほど歳の離れたフィリピン女性が妻というお決まりのパターン。

還暦間近のオっさんである私が言うのも何ですが、この属性に当てはまる日本人って、嫌中・嫌韓に加えて、フィリピン人を見下す傾向がやや目立ちます。単に同族嫌悪なのかも知れませんが、タイムラインに、その手の記事がずらりとシェアされてると、ドン引きで速攻ブロック。

念の為に書いておきますと、日本のオジさんが若いフィリピン女性を妻にすること自体、悪いんじゃないですよ。ただその場合、経済的に恵まれず満足な教育を受けられなかった人がお相手になりがち。結果的に、その友達や親戚との付き合いだけが元になって、一面的で、かなり歪んだフィリピン像を持ってしまうのが問題だと思います。

その点ツィッターの場合、ハブとなった人が実名で、私よりずっと若い、現役バリバリの経営者。ツイート内容もバランスが取れてるし、間違えても罵詈雑言をつぶやいたりしない。

やっぱりそういう人とつながるのは、ネットリテラシーが高く、礼儀をわきまえた人ばかり。おかげさまで、私のフィリピンでの交友関係(と言ってもネット上だけ)で欠落していた、マニラやセブ在住の私より若い邦人、特に女性の方々と知り合う機会を得ました。

いまだにフィリピンに住む日本人って、若いフィリピーナに騙された男ばかりという色眼鏡で見る人もいます。確かに1980〜90年代前半ぐらいなら、そんな人も多々いたでしょうけど、時代はとっくに変わりました。

留学やボランティア活動がきっかけでフィリピンが好きになり、この地で仕事やパートナーを見つける若い日本人が、私の想像以上の数。閉塞感著しい日本を飛び出して、フィリピンに新天地を求めるバイタリティは、どちらかというと女性の方が旺盛なぐらい。

さて、こうなって来ると気付くのが、ネグロス島在住日本人の発信って、コンテンツとして見たら意外と面白いらしいということ。ネグロスからテレビやネットで見るマニラ首都圏って、まるで同じ国とは思えない感じですが、逆から見れば、ネグロスこそフィリピン離れした離島。天候も言葉も文化も、ずいぶんと違うんですよね。

ということで、本当にいまさらながらSNSの面白さに目覚めて、ツイッターだけでなくインスタグラムにまで手を出してしまいました。おかげで、そっちですっかり時間を溶かす毎日で、イラスト描きやこのブログがなおざりになっている今日この頃。

そろそろブログ投稿頻度を二日に一回へ戻さないと、ツイ廃への道まっしぐらになりそうです。


2021年8月26日木曜日

イロンゴ語のテスト

 今日は私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)学習のお話。

当ブログのレギュラーネタになって久しい、イロンゴの家庭教師アン嬢。相変わらず、真面目に授業の準備をしてくれてまして、この間は久しぶりのテスト。一応、前日には「テストしますよ〜」とフェイスブックのメッセンジャーで告知はあったものの、テスト範囲なんてないので、特別な勉強もせず当日のぶっつけ本番。

ただのペーパーテストかと思ってたら、4つのパートから成る、TOEICの縮小版と言いたくなるほど充実したもの。まずパート1は黙読。フィリピン初の金メダリストになったディアズ選手に関する記事のプリントを黙って読む。

続くパート2は音読。1で黙読した文章を私が読み上げて、アンがその発音や流暢さ(読む速度)を判定します。これは例によって関西弁訛りで読んだら「ほぼエクセレント」が付きました。

パート3は筆記。アンが自分でスマホに録音した10の短い文章を、私が聴いて書き出します。これが結構難しくて、正解が6つだけ。我ながら失笑してしまったのは、「アラス・トレス・サン・ハポン(Alas tres sang hapon)」午後三時を、「アラ・ストレス・サ・ハポン」(Ara stress sa Hapon.)日本ではストレスがあります、と思い込んだこと。

そうだったら、May ara stress sa Japan. なんですけどね。お得意のR音とL音の聞き違いもやらかしてるし。「ハポン」には「日本」の意味もありますが、午後とかお昼の意味で使うのが一般的。ほとんどの人は、日本のことはJapanと言います。

そしてパート4は読解。なぜか私が、学生を集めて音楽の授業をするという設定で、集合場所や時間を学生に知らせる文章。それに続いて、いくつかの質問とその回答として4つの選択肢があり、正しいものを選ぶマークシート式の問題。

30分ほどで済ませて、採点の結果は77点。アン先生に「合格」のお墨付きをいただきました。

それにしても、高校の英語教師が本職のアン。ちょうど夏休み明けが近づいているタイミングで、すごく忙しいはずなのに、よくこんな手の込んだテストを用意してくれたものです。

ちなみにこのテストは、アンが英語教師としての適正を判定する時のフォーマットを下敷きにしたそうです。読む・話す・書く・理解するのすべての能力を測るというわけで、おそらく日本の英語教師より、かなり高いレベルが要求されるんでしょうね。

そんなプロ意識を垣間見せてくれたアンですが、今日アンが8年前、2013年の写真をフェイスブックに投稿してました。2013年と言えば、ちょうど私たち家族はネグロス島に引っ越してきた年。現在25歳のアンは、当たり前ながらまだ高校生。制服に身を包み、クラスメートと思しき数人の学生たちと一緒に撮ったもの。

こんな可愛らしい女の子が、8年後には私の教師になったわけです。これまた当然ながら、50歳だった私は、現在58歳。見た目も中身もほとんど変化はないけれど、やっぱり8年という年月は、それなりに長いんですね。

というわけで、2年目に突入して、若干の中弛み感は否めなかったこの頃。ネジを巻き直してくれたので、次の1年また頑張りたいと思います。



2021年8月23日月曜日

公用語ふたつの重圧

 いきなり親バカな話で恐縮ですが、今月16歳になったばかりの、日本・フィリピンハーフの我が息子。現在、ネグロス島シライ市内の私立学校、聖テレシタ学院というミッション系の小中高一貫校に通い、日本で言うなら中学生。親の贔屓目をさっ引いても、勉強はできる方だと思います。

年に4回ある定期試験の度に、英語・数学・理科(サイエンス)で、学年トップの賞状やメダルを貰って来るし、コロナ禍前は、州都バコロドで開催される学校対抗学力コンテスト(公開模試みたいなもの)の常連メンバー。

母親はフィリピンの最高学府、フィリピン大学に奨学金貰って入学した秀才で、私も美大を志した時に担任の先生から「もったいない」と言われる程度には、理数系はできました。なので、フィリピンの地方都市とは言え、それなりに学力優秀な子供が生まれたのは、それほど訝しむことではありません。

とまぁ、聞き苦しい自慢はここまでとして、そんな息子の超苦手が国語。つまり公式にはフィリピノ語と呼ばれるタガログ語。全科目の平均点ではクラストップ争いしているのに、タガログ語だけはいつも80〜70点台で、この夏休み前の学年末テストでは、とうとう欠点。

全般的にフィリピンの学校は厳しくて、できる子には飛び級がある代わりに、できない子には落第もある。息子の場合、さすがに落第にはならなかったけれど、タガログ語だけ補修授業。こういう時に家内は、教育ママの本領発揮。息子の勉強机の隣に座って家庭教師みたいになりますが、私は何の助けもできないので、いつも家内のなだめ役。

普通に考えて、ひとつでも飛び抜けた得意教科があれば御の字で、苦手がない方が不自然。落第じゃなくて補修だけなんだったら、そんなに神経質にならなくても、と思うんですけどね。

実際、英語がネイティブ並みに読み書き・聞き取りができれば、フィリピンでの生活や英語圏でビジネスするのにはまったく困らない。将来を考えても、不得意分野に時間を割くぐらいなら、好きで得意なことを深める方がいい。

そもそもフィリピンの子供たちにとって、公用語が二つあるのが重圧。聞くところによると、タガログを母語とするマニラ周辺でも、科目としてのタガログ語を苦手とする子は少なくないらしい。

しかも厄介なのは、社会科の教科書はタガログ語、数学や理科は英語で書かれているので、言語で落ちこぼれると、一気に他の教科でついていけなくなる。それでなくても経済的な理由もあり、大学進学率が決して高くないフィリピン。ドゥテルテ大統領によって、国公立校が無償化されても、せいぜい30%程度。日本の54.4%に比べると、かなり見劣りします。

せめて必須言語は英語だけに絞ったら、貧しい家の子供でも、大学進学できる可能性がぐっと上がるんじゃないでしょうか。学歴重視社会のフィリピンなので、大学を卒業できるかどうかは、貧困撲滅に向けてたいへん大きなポイント。

さらに厳しいのが、地方の方言生活者。それも、家内の母語であるイロンゴ語や、隣島セブのセブアノ語のように、百万、千万単位の話者がいるメジャーな言葉ならばまだしも、離島や山奥に住むマイノリティの場合、母語以外に習得すべき言葉が三つになってしまう。

歴史的に見ると、タガログ語が公用語として選出された1937年(昭和12年)当時、まだ実質的にアメリカの植民地だったフィリピン。多島・多言語である実情も考慮すれば、公用語は英語でも良かったんでしょうけど、民族感情として母語を選びたい気持ちも分かります。

日本の場合、日本語ですべての教科を学べるのが当たり前と思われますが、これは幕末から明治初期、並々ならぬ労力を注いだ国語改革があったお陰。主にヨーロッパから導入された物品や制度を、漢字をベースに造語したり、恋愛の詩歌を作るだけでなく、政治や法律、科学を論じられるよう表現方法を整えたり。

和製漢語をちょっと調べただけでも、文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義 などなど...。

つまりタガログ語って、江戸時代の日本語みたいなものと言えるかも知れません。そりゃ、英語やスペイン語からの借用語が多いわけだ。数学や理科を昔の言葉で勉強するなんて、できなくはないけど、すごく面倒なことになりそう。

ということで、わざわざ公用語を二つにしたわけではなく、結果的にそうなったフィリピン。その背景も理解できますが、教育現場で子供たちが受ける重圧を考えると、そろそろどっちか一つにした方がいいと思うんですけどね。



2021年8月19日木曜日

関西訛りのイロンゴ語


 常々考えているフィリピンに関する私の説「ビサヤ地方はフィリピンの関西」。

私の住む西ネグロスや隣島パナイで使われるイロンゴ語(別名ヒリガイノン語)は、日本語ならば京都弁で、セブや東ネグロスのセブアノ語(別名ビサヤ語)は大阪弁みたいだと感じてます。ついでに言えば、タガログ語は東京弁になるのかも。

これは単に私が、東大阪生まれの父と、大阪の都島生まれの母を持ち、尼崎で育って京都に学び、就職先が門真という、サラブレッド的関西弁話者だから。実感を持って比較できる日本の方言が、それしかなかっただけとも言えます。

その分はさっ引いて考えても、イロンゴはフィリピン人にとっても柔らかく優しい響きで、イロンガ(イロンゴを喋る女性)は魅力的。これはまさに京都弁。それに対して、普通に喋っていても喧嘩してるみたいに聞こえるセブアノは、やっぱり大阪弁っぽい。

ちなみにパナイ島および西ビサヤ地方の中心都市で、イロンゴ語名称の元になった(と思われる)イロイロは、記録に残っているだけでも、スペイン侵略の遥か前、13世紀(日本の鎌倉時代)には、商業都市として栄えていたそうです。日本の京都ほどではないにしても、古くから様々な人々が往来し、言葉も洗練されたんでしょう。

19世紀には、ネグロスで砂糖生産が発展したことによって、州都バコロドから運ばれた砂糖が、貿易港イロイロ経由でヨーロッパにまで輸出。なるほど、昔からパナイと西ネグロスは、結びつきが深かった。だから今でも同じ方言なのか。

同じくスペイン以前からの繁栄を誇るセブ。ただ、イロイロに比べると反骨精神が旺盛なようで、初戦のみの勝利とは言え、当時の領主ラプラプは、侵略者マゼランを殺害したフィリピンの英雄として讃えられています。

また公用語のフィリピノ語が、タガログを母体に決められたことにも不満を持つ人も多い。なぜなら、セブアノを母語あるいは第二言語とする話者は、合わせると2,8000万人もいて「タガログ喋ってる奴らより、ワシらの方が多いやんけ〜」というわけです。

これって、関西人の標準語アクセントに対する屈折ぶりと、とてもよく似てると思うのは私だけしょうか。聞くところによると明治維新直後、新政府を代表する大久保利通は、新首都を大阪にする腹積りだったそうです。ところが直前になって前島密の意見に影響され、一転、天皇は江戸へ「行幸」という形で事実上の江戸遷都。

惜しかったなぁ。前島さんがいらんこと言わへんかったら、今頃NHKのアナウンサーは、大阪弁喋っとったのに。この気持ち、セブアノ話者の諸君には分かってもらえるはず。

そんな歴史的なポジションだけでなく、実際にイロンゴ語って関西訛りに近いんですよ。

私の友人で、以前にイラストのモデルにもなっていただいた日本人女性で、私と同じく関西出身の「マダムM」。(マダムMの肖像)彼女はセブアノ語が堪能なんですが、そのセブアノが、地元の人に言わせるとイロンゴ訛り。つまり、関西的抑揚で話すと、イロンゴ語っぽくなるんだそうです。

実は私もそれは実証済みで、最初は英語の影響を引きずっていた私のイロンゴ。家庭教師のアンに「外国人みたいなアクセント」だと言われ、開き直って私にとって一番自然な関西訛り丸出しで喋ったら「きれいな発音ですね」と褒められてしまった。

ということで、「ビサヤ地方はフィリピンの関西」説は、私の中で日々強化されております。


2021年8月17日火曜日

死者と向き合う8月

 もう8月15日も終わってしまいましたが、多くの日本人にとって8月は、鎮魂の月だと思います。

お盆〜盂蘭盆〜は、語源がサンスクリットともアヴェスター(古代イラン語)とも言われているそうです。いずれにしても、遥か西方からインドや中国を経由して日本に伝わった習慣らしい。真冬じゃなくて真夏なのは、浄土から死者の魂が帰って来た時、窓を開け放していられる季節だからでしょうか?

本来、旧暦の7月15日だったお盆は、明治の改暦後も1ヶ月早めることはせず、多くの場所で旧暦のまま、つまり現在の暦で8月15日前後になったとのこと。7月だと、まだ梅雨が終わってないかも知れない時期ですからね。

まず忘れてはならないのが、8月6日広島、9日長崎の原爆忌と、その一週間後の15日が敗戦記念日。戦後17年も経ってから生まれた私でも子供の頃は、それぞれの平和祈念式典をテレビで見るのが、夏休みの恒例行事。学校の図書館には、空襲や原爆、戦争に関する本がいっぱいあったし、「8月=戦没者への慰霊」が、心に刷り込まれています。

そして8月12日は、1985年に日航機が御巣鷹山に墜落して、520名の命が失われた日。忘れもしないあの日は、初めてもらったボーナスと盆休みを利用して、伊丹〜羽田の空路で、東京ディズニーランドへ観光中。1日遊んでホテルに戻ってテレビを点けたら、「日航機行方不明」のニュース。家族には詳しいスケジュールを告げずに、当時のガールフレンドとの旅行だったので、実家では大騒ぎになってました。


さて、私の住むフィリピンでは、まったく同様に死者の魂が家族の元に帰ると信じられているのが、11月1〜2日の万聖節と万霊節。そして、フィリピンにとっては解放記念日になる8月15日にも、特別な催しとかテレビの特集番組って、少なくとも私は、日本人が主催するもの以外、見聞きしたことがありません。

また、真夏のバケーション・シーズンが4〜5月。つまり一般的なフィリピン人にとって、8月には特別な意味が、あまりないんですよね。コロナ禍の今は別として、そもそも学校では普通に授業やってるし。なので、8月の前半にしんみりした気持ちになってるのは、ひょっとするとここネグロス島のシライ市内で、私だけなのかも知れません。

ただ8月6日は、私と私の家内の家族にとっては特別な日。たまたま広島原爆忌と同日、15年前、2006年のこの日、家内の母がガンが原因で亡くなりました。まだ60代の前半で、私が建設の計画をしていた家も同居前提。ちゃんと義両親の部屋も用意していたんですよ。その宅地も、義母が探してくれた物件。ずいぶん楽しみにしていたのになぁ。


今年も義母の命日にはお墓参り
私個人には、さらにもう一つ。

実は数年前に亡くなった前妻の誕生日が、なんと8月6日。さすがに今の家族の前で大っぴらに悼むことはできないし、離婚してずいぶん経っているので、それほど重い感情ではないものの、やっぱり心の奥底に引っ掛かりを抱えております。


ということで、私には何重もの意味で鎮魂の月も、半分以上が過ぎました。そろそろ気持ちを切り替えて、9月を迎えたいと思います。何と言っても、フィリピンでは9月からクリスマスの準備ですからね。


2021年8月14日土曜日

コロナ明けの夢は、アニソン歌手

 日本のワクチン接種は、目標1日100万回どころか150万回以上の日もあったそうで、あれよあれよという間に累計1億回超え(2021年8月9日)。かなりもたついているフィリピンでも、8月13日現在で、累計2,600万回以上で、100人当たりの接種回数が24.2回。正直言って、この国の現実を知っている者としては、頑張っている方だと思います。

その努力を嘲笑うかのように、感染力が強まったデルタ株の蔓延。マニラ首都圏でのロックダウンは、案の定、当初予定の2週間から延長されそうな状況で、かなり楽観的に考えても、2021年内の収束は難しいでしょう。

まだまだ行く先不透明なコロナ禍真っ只中で、ほぼ唯一、私にとってポジティブだったのがボイストレーニング。以前の投稿でも書きましたが、私は昔、日本のカトリック教会で聖歌隊に属していて、クラシックのアマチュア・コーラスグループでも歌っていたことがあります。

元々歌うことは大好きだし、フィリピン・ネグロス島に移住後も毎週日曜日朝のミサでは、英語、タガログ語、そして地元の方言であるイロンゴ語の三言語で、聖歌を歌うのが楽しみでした。

ところがこのコロナ禍で、もう1年半もミサに参加することができません。最寄りのチャペルでは、人数制限して再開したようですが、マスクとフェイスシールド着用必須で、信徒の歌唱は厳禁。そりゃそうでしょうね、普通に喋るより何倍もの飛沫を拡散すると言いますから。

そんなわけで、昨年の初めごろから始めたのが、自室を締め切っての一人ボイストレーニング。ミサの聖歌代わりに...なんて言うと、どれだけ敬虔なクリスチャンかと思われますが、ポピュラーソングを中心に、日本語・英語・タガログ語などなど、自分の好きな曲を歌い散らしているだけ。

最近はユーチューブを探せば、キーを上げたり下げたりした練習用のカラオケが、たくさんアップされているので、素材には困りません。これは実に助かります。

こんな素人の趣味でも、毎日1時間前後きっちり歌い込めば、出なかった声も出るようになるもの。最初はキーを下げていた、平井堅さんの「瞳をとじて」も、今では原曲キーで無理せず歌えるようになりました。

とは言え、さすがに一人の練習ばかりでは、どうしてもマンネリ化。家内に聴かせたり、たまにごく少人数で親戚が集まるパーティなどで1〜2曲歌ったりしても、不完全燃焼の感は否めない。

そこで思いついたのが、ストリート・ミュージシャンの真似事。

もちろんコロナ禍収束が大前提として、ここネグロス島シライ市の市役所前にある広場、通称「プラザ」で、ブルートゥース・スピーカーとスマホをバックに、歌ってやろうという目論見。

以前からプラザでは、楽器やダンスの練習をする学生たちがいるし、パフォーマンスを披露するのはお咎めはないでしょう。ここで日本のアニメソングを歌い上げれば、そこそこオーディエンスが集まるんじゃないかと思います。

特に、フィリピンでも大人気のジブリ映画。宮崎監督の名前はもちろん、若いジブリファンの中には、久石譲さんの音楽に傾倒している人もいるぐらい。「ラピュタの、要塞からシータを助け出す時のBGM、すごいよね〜。」なんて会話が、年代も国籍も超えてできちゃうのが、ジブリ音楽のすごさ。

ということで、「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などの主題歌を準備して、トリは「ボルテスV」というプログラム。どうですかね?ウケると思うんだけどなぁ。


2021年8月12日木曜日

整体か呪術か

 前回の投稿したフィリピン妻の腰痛。まだ完治とまではいってないみたいですが、かなり痛みがマシになったようで、昨日からは普通に出勤。腰痛や関節の痛みって、露骨にクオリティ・オブ・ライフを下げるもので、家内もず〜っと眉間にしわ寄せて不機嫌な顔。やっとあの表情を見ないで済むと思うと、どこも痛くはない私もやれやれです。

で、結局のところ原因はよく分からないけれど、本人曰く、庭仕事のやり過ぎじゃないかと。それも大いにあるなぁと思うのは、コロナ禍以降、職場以外の場所には行きにくくなり、自宅にこもってできる植木の世話に没頭していた家内。しゃがんだり中腰姿勢になりがちなので、思った以上に腰に負担が掛かっていたのかも知れません。

植木にハマるのは家内だけではなく、ここ最近ネグロス島では植木ブーム。以前からあった素焼きの植木鉢屋さんは、ずいぶん景気良く店先に商品を並べてるし、フェイスブック内にもシライ市内限定で植木売ります・買います・譲ります、みたいなグループが。

このブログで着物姿の似顔絵を披露した義妹のジーナは、そんなに広くもない自宅庭の一角をきれいに整理して、ご自慢の植木や花を撮影。嬉々としてフェイスブックに投稿してます。


ジーナの庭

原因はともかく、二週間も続いた痛みを癒したのは、尋常に考えれば先週末に来てもらった出張カイロプラクティック。1時間のオイルマッサージが500ペソ(約1,100円)だったので、普通のマッサージに比べるとかなり割高。ちなみに私が毎週施術してもらっているセラピストは、同じくボディマッサージ1時間で300ペソ。

近所で評判のマッサージ師のオバちゃんだし、終わった後、かなり体が楽になったそうなので、普通のマッサージとはいろいろ違うんでしょうか。

ところが家内が打った手はそれだけではありません。

咳と鼻水がひどくて十日も休み、やっと月曜日に復帰した我が家のメイド、ライラに頼んで、買ってきてもらった炭。焼き魚とかバーベキューに使う炭火用の炭なんですが、これを七輪ならぬ、使い古しの錆びた金属製油漉しにくべて砂糖を振り掛け、その煙を全身に焚き込めてます。



これはネグロスに伝わる(?)古式ゆかしい悪霊退散の呪術。家内もライラも、呪術の心得があるわけではないけれど、二人とも何の疑いもなく「当然」って顔だったので、少なくともネグロスでは、特別変わった行いでもないんでしょう。

私と中学生の息子は、冷ややかな態度で見守りましたけど。

ただ、こういう土俗信仰ってバカにできません。かく言う私はカトリック信者なので、他人の信じることを頭から否定するのはフェアじゃない。同じくカトリックで、フィリピン大学の大学院まで出て、自然科学の徒である家内も「それとこれとは話が別」とのこと。

もっと言えば、お正月の初詣や節分の豆まき、七夕やお盆などなど...。その習慣を知らない外国人からすれば、多くの日本人は特定の信仰を持たないはずなのに、その生活は宗教的、言い方を変えれば、一種の迷信で満ちています。煙で体を癒そうとするフィリピン人も、似たようなものでしょう。

ということで、どっちの効能があったにせよ、穏やかな表情で朝の挨拶を交わせるのは、たいへん結構なこと。まったくもって、神さまに感謝です。



2021年8月9日月曜日

フィリピン妻の腰痛


 またもや、丸一週間も放置してしまったこのブログ。

今回は理由がはっきりしていて、メイドさんの長期欠勤とフィリピン妻の腰痛。つまり、重要な家事担い手が二人ともダウンで、私がワンオペ主夫と化していたから。

まずは家内。

二週間ほど前に、幸運にもジョンソン&ジョンソンのワクチンを接種。若干の副反応はあったようで、注射した腕がしばらく痛かったり、体が怠いといった症状は出たものの、発熱もなく仕事をや休むこともなし。

ところが、数日してから急に「腰が痛い」と言い出した家内。もう五十代の半ばなので、年齢的にはいろいろ出てくるのは仕方がないけど、腰に来たのは初めて。ワクチンの副反応で腰痛?と思い調べてみましたが、ない話ではなく、いくつかのページに、副反応の例として発熱や頭痛、筋肉痛などと並んで書いてありました。

ただ、副反応にしてはもう二週間。それもだんだんと痛みが増している。心配になって医者に診てもらうように言ったら、コロナが怖くてクリニックに行きたくないとのこと。まぁ気持ちは分からんでもないけど、何が原因が分からないし、変に我慢して悪化させる方がよっぽど怖い。

土曜日の朝からちょっとした夫婦喧嘩になってしまいましたが、結局家内は、渋々ながらその日の午後に、自宅からトライシクル(オート三輪)で10分ほどの診療所へ。

そこは下痢をしたり風邪引いたりした時、私も時々お世話になってる場所で、内科や外科など各種開業医さん4〜5軒集まった長屋みたいな建物。受付だけは一箇所。問診と血圧測定なんかもしてくれて、どの部屋に行くかの仕分け業みたいなオバちゃんが一人常駐して、電話対応も。

同じビルに薬局もあり、医師からもらった処方箋で薬を買って帰るというシステム。もちろんそこで買わなくても、ワトソンとかマーキュリーなどの、全国展開している大手ドラッグストアでもOK。

さて、ものの1時間もしないうちに帰ってきた家内は、痛み止めやらの薬をたくさんもらってきました。ベッドに寝たままできる軽いストレッチを教えてもらったそうです。でも対処療法っぽいので、すぐに良くなるような感じでもない。案の定痛み止めも、やたら眠くなるばかりで、肝心の痛みにはあまり効かなかった様子。

されば、とばかりに今日月曜日は、仕事を休んで自宅に出張カイロプラクティックを呼ぶことに。家内の高校以来の友達で、筋向かいに住むナンシーがいつも頼んでいるセラピストがいるらしい。フィリピンでは、中年女性に腰痛持ちが多いのかなぁ? 職場の人も、同じ悩みで、わざわざ隣街のタリサイのカイロプラクティックに通ってると言うし。


そして我が家のメイド、ライラおばさん。

こちらは、焼き畑の季節恒例の咳とくしゃみ。側から見てると、まるっきりの花粉症。鼻のかみ過ぎで耳が痛くなるほど。それでもしばらくは仕事をしてくれたけど、あまりひどいので、遂に先々週の木曜日、家内が見かねての早退指示。

コロナ禍の今、この有様では、市場やスーパーに入れてくれないかも知れないし、家内の判断もやむ無し。でもライラはこうなると一週間は休んじゃうのが常。

そういう事情で、この一週間ほどは、いつもの料理に加えて、洗濯、掃除にゴミ出しなどなど。日本の主婦の方々からすれば当たり前の仕事だし、犬の散歩や皿洗いは中学生の息子が手伝ってくれたので、大したことないと言われそう。

それでも、気持ちに余裕が少なくなって、どうしてもブログを書く気構えができない。こんな雑文でも、それなりの集中力がいるんですよ。

そして本日、満を辞してのライラ復帰。咳と鼻水は完治して、朝イチから大車輪の活躍。家事を任せられるって、本当に気が楽です。もうこの一事だけでも、フィリピンに移住する価値があるとさえ思うぐらい。

ということで、やれやれのブログ再開となりました。


2021年8月3日火曜日

デルタの恐怖

 つい数ヶ月前の4月、新型コロナのデルタ株によって、インドが大変なことになりました。このブログを書いている8月3日現在の数字では、何と新型コロナによる死者が、約42万5千人!いくら母数となる人口が世界で一番多いと言っても、これは信じられない。しかも実際には未確認を含めると、死者数はその十倍の、340万人から470万人に上ると見られているそうです。

このデルタ株、フィリピンの隣国インドネシアでも猛威を振るい、死者は10万人に迫る勢い。この中には在留邦人17名が含まれており、まったく他人事ではありません。日本航空によりチャーター便で、146名の日本人が帰国したニュースも、まだ記憶に新しいところ。

その他の東南アジア諸国では、タイ、マレーシア、ベトナム、ミャンマー、などで感染が拡大中。初期の流行をほぼ完全に水際で封じ込め、防疫の優等生と見なされていた台湾が苦境に陥り、日本がアストラゼネカのワクチンを送り緊急支援した件は、当ブログでも取り上げました。

我が母国の日本では、オリンピック開催中の東京周辺が、文字通りの緊急事態。私はツィッターで何人かの信頼に足ると思う医療関係者をフォローしています。彼らが異口同音に訴えるのが、救急医療現場の切迫状態。コロナ陽性で高熱を発し、通常なら即入院の患者でも受け入れられない状況。

とうとう首相が「入院は重症に限り、軽症・中等症は自宅療養」との発言。最近になって、医療関係者と一般の人の間で、症状のイメージに著しいギャップがあると指摘されましたが、ネットで拡散されたイラストを見るとゾッとします。

今回自宅療養が基本とされた中等症。酸素吸入が不要なだけで肺炎が広がっていても重症にはならない。素人が考えたって、こんな状態で一人暮らしだったら、容態が急変して孤独死なんてことも十分あり得ます。実際にインドでは、近隣の病院でことごとく治療を拒否され、遠方の医療機関に向かう途中で亡くなる例が多かったらしい。

そして我が第二の母国フィリピン。

デルタ株感染者のニュースは、連日テレビでも報道されています。幸運にも、フィリピンへのデルタ侵入は比較的遅れていますが、周辺国でこれだけの大惨事が繰り広げられれば、警戒するのは当然。

当初8月15日とされていたマニラ首都圏での防疫強化は、なし崩し的に前倒し。8月6日からのECQ(強化されたコミュニティ隔離措置)よりさらにフライングで、すでに7月31日には、テイクアウトを除く事実上の飲食店閉鎖状態。

私の住むネグロス島シライ市では、一旦10名前後で落ち着いていた陽性患者数。それが6月頃から一気に100〜150名で推移。ここ数日はピークアウトして50名以下になったものの、デルタによる感染爆発の嵐の前の静けさではないかと、戦々恐々としております。

本格的な医療崩壊が起こった時、何が怖いかって、コロナ以外の急病や事故でマトモな治療が受けられない可能性が大きいこと。特に州都ですらないシライ。コロナ以前でも院内感染のリスクがある公立病院しかない場所柄。

このタイミングでデング熱にでも罹ったら、一巻の終わりになりかねません。盲腸でもヤバいかも知れない。頼みの綱のワクチン接種は、8月2日現在で100人当たり17.9回(日本は70.6回)。しかもファイザーやモデルナでも、デルタに対しては若干効果が落ちるとされています。フィリピンで主流の中国製シノバックって、果たして有効なんでしょうか?

いずれにせよ、まだまだ先は長いですね。



2021年8月1日日曜日

なぜか速いぞ180Mbps

 先週の木曜日(2021年7月29日)、やっと来たPLDT(フィリピン長距離通信 / 電話会社)の担当者。これは、先日我が家に導入した光ネット敷設作業の続きで、一階に仮設置したモデムを、本来の要望である二階に移動する件。

最初からそうしてくださいと頼んでたのが、二階へのケーブル引き回しができないから、配線工にやってもらってくれ →配線工は配線だけして、モデムに繋ぐ光ケーブルの加工が、道具がなくてできないから、PLDTに頼んでくれ →PLDTに連絡したけど、1ヶ月以上放置、となっておりました。

2週間過ぎたぐらいから、このままでは埒が明かないと思い、不具合が出たから早く来いと、家内経由でマキを入れて、そこから3週間経ってやっと来たのが二人組の修理担当。本当なら担当違いなんでしょうけど、ケーブルの先端にソケットを取り付けてモデムに繋ぎ、不要になった一階の配線を回収するだけのこと。案の定、ものの30分もせずに作業は完了しました。

もう毎度のことで、敢えて書くのも気が引けますが、日本だったら当日に全部済むような仕事が、申し込みから数えるとほぼ2ヶ月。早期退職で毎日が日曜日の私ですら、忍耐力の限界を試されている日々なので、こっちでビジネスしている邦人の方々には、心から同情いたします。

さて作業完了後、担当者を帰す前に必須なのが確認。すぐさまスマホを取り出して、ネット速度を見たところ、これが何と94Mbps(秒速94メガバイト)。100Mbpsの契約とは言え、それは条件が最高の時の理論値みたいなもの。調子が良くてせいぜい80Mbps台だったので、驚きました。

それだけではなく、その後パソコンでSNSを閲覧したら、明らかにページの再描画がすごく速く感じる。もう一度測ってみると、180Mbps!700~800Mbpsぐらいは出るという日本であっても、それははっきり言ってオーバークオリティ。おそらくこの速度ならよっぽど特殊な使い方をしない限り、YouTubeやNetflix見るぐらい全然問題ありません。



ただし、時間帯によってずいぶん差が出るのは、さすがのフィリピン・ネグロス島。週末の夜などに測ると一気に1/10ぐらいに速度が落ちて、16〜17Mbps程度の時もあります。まぁ、それでもナローバンド時代の、下手すれば1Mbpsを切るような状況に比べれば雲泥の差ですけど。

ということで、今回の契約が3年縛りなので、年季が明けた頃にはプロバイダーの乗り換えを視野に入れおります。実はPLDT、Globeに続く、フィリピン第三の通信会社DITO(ディト)が、ここネグロス島のシライ市内でもサービスを開始しました。

大統領のネットでのプレスカンファレンスの通信が切れた時、PLDTじゃなくてDITOにすれば良かったと、ジョークとも本気とも取れるような発言があるぐらいのフィリピン。速さに加えて、サービスの質がもう少しマシになれば、この国の居心地もずいぶんと改善されるんですけどねぇ。