2015年4月13日月曜日

家庭を壊すということ

聖週間、イースター、通夜、葬儀...と計らずも長いこと行事が続いてしまい、ようやく週明けの月曜日で、今度こそ日常生活が戻りました。それにしても先週の叔父の葬儀では、実にいろんな事を考えさせられました。

結婚・離婚を繰り返した叔父。その間に分かっているだけでも男の子2人、女の子3人の子供を作り、男の子1人、女の子2人を養子として育てました。上の子はもう40歳を過ぎて孫までいます。しかし一番下の女の子がまだ10歳になったばかり。

今さら言うまでもなく、両親が別れると子供にはとてつもなく大きな影響が出るんですね。実は私も20年前に日本で離婚を経験しています。(子供はいませんでした)なので夫婦別れを非難する気も資格もありません。しかし側から見ると、なぜあんなに優しい最初の奥さんにさよならして、問題だらけの最後の奥さんとの間に3人もの娘を作ったのか不思議。

もちろん男女間、特に夫婦の間のことは当事者にしか分からないことがあるもの。どっちがいいとか悪いとかは軽々しく言えません。また親が再婚とか初婚とか、生まれた子供にとっては関係ない。両親の出会いがなければ、自分の存在がなかったわけですから、これだけは否定するわけにはいかない。

しかし今回、親の意向に振り回され、怒り泣き傷つく子供たちの姿を目の当たりにして、やっぱりできることなら、両親がいる環境で子供は育ったほうがいいという、当たり前のことを思いました。

死別や諸般の事情でそうならないこともあるでしょう。親がいない子供が必ずしも不幸になるわけでもありません。でも父母同士の都合だけで家庭を壊すならば、それ相応の覚悟が必要なんですね、日本人でもフィリピン人でも。


棺の蓋に書かれた、子供たちの名前


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