2015年10月29日木曜日

インドネシアからの煙害 ヘイズ


このところ日本のメディアでも伝えられている「ヘイズ」(Haze)。英語でモヤとか霞という意味。インドネシアでパームオイルやパルプのための焼畑が大規模に行われ、そこから森林火災につながって大量の煙が近隣諸国のマレーシアやシンガポールに流れ込む現象です。

日本でも春先の黄砂で、アレルギーのある人には辛いことになりますが、このヘイズはそれどころではなく、視界悪化で空港が閉鎖になったり呼吸器障害で死者まで出るほどの惨状。私が東南アジア向けの仕事をしていた20年ほど前から既に被害は出ていて、マレーシアの首都クアラルンプールでは、危なくて昼間でも車の運転ができないようなことも。

しかし今回は過去にないほどの酷さのようで、ここフィリピンでもヘイズが観測されています。影響が大きいのは一番インドネシア寄りのミンダナオ島。そして私たちの住むネグロス島でも南寄りの強い風が吹いたりすると、薄っすらと霧がかかったような状態になります。

実はネグロスでもサトウキビ栽培で焼畑農法を多用しているので、刈り取りの時期になるとあちこちで煙が上がります。言われなければ、インドネシアからの煙だとは気づかないレベル。サトウキビ畑からの煙と違うのは、島の中央部のカンラオン山が晴れているはずなのに霞んで見えない日もあること。

そして本日(2015年10月29日)在マニラの日本大使館から「ヘイズ発生に伴う注意喚起」というメールが来ました。この時期、フィリピンはインドネシアの風上になるのですが、フィリピンの東海上を台風が通過したりすると風向きが変わって、ボルネオ島からの風が吹き込むことがあります。大使館からの連絡では先日ルソン島を中心に、大きな洪水被害をもたらした24号台風(フィリピン名「ランドー」)の影響もあるらしいとのこと。

中国の公害で日本でもよく知られるようになった有毒なPM2.5が、インドネシアからの煙にも含まれているそうで、不要不急ではない外出を避けろとか、マスクを着用しろという指示がありました。シライ市内では台風通過後はよく晴れて暑く、カンラオン山もよく見えているので、しばらくはどうということはなさそうですが、難儀なことですね。


2015年10月25日日曜日

フィリピン妻の日本出張


フィリピン人と結婚してフィリピンに移住した日本人。移住2年半後にそのフィリピン人妻が、単身日本に業務出張。何やら妙な話です。4月に家内が日本のNGOに就職した話を投稿しましたが、今日はその続き。

その後、このNGOの支援で10名近いフィリピン人を日本への研修旅行に送り出し、家内は研修生のパスポートや日本でのビザ取得のために大忙し。日本のパスポートを持ってると、世界中多くの国でノービザで入国できます。ところがフィリピン国籍で日本に入国するのは、とっても面倒。家内と結婚して日本人の配偶者として呼び寄せるのにも半年かかったぐらい。

今回は招聘者が実績のある日本のNGOなので、それほどの時間はかかりませんでしたが、何しろフィリピン国外に出るのは初めての、出生届から書類揃えないといけないという人が数名いたので、本当に大変そうでした。

約3か月ぐらいかかって、出発直前にようやく準備完了。その働きが認められたのか、今度は家内本人に日本へ行かないかと声がかかりました。実は、長らく不在のメイドさんを慌てて探し始めたのも、この日本行きがひとつの理由。

家内の渡航に際しては、すでに数年前に日本での永住ビザを取得済みなので特に問題はありませんでした。しかし今度も他に6名のフィリピン人が一緒だったので、ちょっと手間はかかったようです。

それにしても、この研修旅行のスケジュール。たった10日間なのに、富士登山やら東京ディズニーランドやら、どう見ても観光旅行。まぁ何ヶ月とか何年とかいうのとは違うので、すぐに忘れてしまうような会議やプレゼンばかりに時間を使うよりも、日本のファンになってもらって、今後の活動のモチベーションにしようという意図なんでしょう。多くのフィリピン人にとって、まだまだ日本は憧れの国。日本に行くチャンスがあるとなれば、もっとたくさんの優秀な人材を集めやすくなるのは間違いありません。

さて、昨日の土曜日に無事成田空港に到着した家内一行。フェイスブックで動画通話すると、常夏フィリピンから10月末の東京なので、相当寒く感じているようです。厚着した家内が日本で短パンTシャツの私と息子がフィリピンにいるのは、生まれて初めて。やっぱり変な感じですね。


2015年10月23日金曜日

愛しのヤヤ・ダブ

フィリピンのお昼のバラエティ・ショーと言えば「イート・ブラガ!」(Eat Bulaga!)。フィリピンのテレビ放送史上最長の長寿番組で、もう36年も続いているそうです。日本ならば、「笑っていいとも」(放送終了してしまいましたが)と「徹子の部屋」を足したぐらいの人気という感じでしょうか。

このイート・ブラガ!の中に「フワン・フォー・オール、オール・フォー・フワン」(Juan for all, All for Juan) 〜フワンとはフィリピンでよくある名前で「一人は万人のため、万人は一人のため」みたいな意味〜 というコーナーがあります。

これはスタジオと屋外のライブ・ロケの二元放送で、ロケに登場する「ヤヤ・ダブ」ことメイン・メンドーザという二十歳の女の子が、今フィリピンでは大人気。3人のオカマさんが演じる、大金持ちのオバちゃんたちのお世話役(ヤヤとは、子守とか世話人という意味)という設定で、狂言回しみたいな役どころらしい。全編タガログ語で、細かいニュアンスは分かりませんが...。


出典:GMA NEWS ONLINE

フィリピンのタレントさんだから、歌はプロレベルでドラム演奏もする。しかも相当な美人なのに、コメディアンヌということもあって気取ったところが皆無。そりゃフィリピンでなくても、人気が出るでしょう。ウィッキペディア(英語版)で調べたら「インターネット・セレブ」という肩書きがついてました。

最初はダブスマッシュ(Dubsmash 取り込んだ音源に合わせて、自分の口パク動画が撮影できるアプリ)で作った、フィリピンの有名な歌手クリス・アキノのモノマネ映像をフェースブックにアップしたところ、一晩で100万ビュー稼いだのがきっかけ。ダブスマッシュの女王と呼ばれたそうです。だから今の役名がヤヤ・ダブなんですね。

ウチの二人のフィリピーナ、つまり家内とメイドのアミーもこの番組にすっかりハマってます。毎日飽きもせず、「フワン・フォー・オール...」が始まる1時半頃にはテレビの前に陣取って、ゲラゲラ大笑い。


澄ましていたら美人なんですが...。


番組では変顔オンパレード

出典:Zeibis.com /  pageone



2015年10月21日水曜日

メイド教育

 今日は我が家のメイドさん、アミーのお話。美人で働き者で言うことはあまりないアミー。それでも4か月以上も経つといろいろと気になることも出てきます。だいたい文句をつけるのは家内なんですが、まず最初にお小言を頂戴したのが照明の消し忘れ。メイド部屋にしている客間や台所など、ちょっと用事を頼むとすぐ動くのはいいけれど、その前に何をしてたか忘れちゃうんでしょうね。

アミーの住んでいた集落は、何とほんの数か月前まで電気がなかったそうです。夜はマッチで火を灯す昔ながらのランプ。いちいち部屋の出入りの度に、電源をオンオフする習慣が身についていないのかなぁ。

これは余談ですが、アミーに限らずメイドさんは、雇い主の家に洗濯機があっても自分の洗濯物は手洗いする決まりとのこと。洗濯機がグルングルン回っている傍らで、別に何の疑問も持たずに手洗い洗濯しているのは、さすがというべきか。


アミーが来てから芝生の手入れは万全

もう一つが水道の閉め忘れ。そんなことなんで忘れるかと思われそうですが、台所の一部や2階のベランダの水道は、自家用ポンプを通していません。水圧の低いフィリピンでは朝夕の使用量のピークには時々水が出なくなることが。その時に蛇口を開いたまま放置してしまうんでしょうね。水道代が急に倍近くになったので、家内の血圧が上がってしまいました。

それから、これは落ち度ということでもないけれど、アミーが苦手な料理。もちろん私が厨房に立つ時は、食材切ってもらったり煮物の番を頼んだりで、助かってはいます。でも、例えば野菜を切ってもらうのも、カットするサイズをいちいち指示しないといけません。黙って任せると、カレーに入れる人参が5ミリ角ぐらいの細切れになってたり。

一度は調理をさせてみようと、味噌汁を手伝ってもらいました。もう少しで完成というところで溶き卵を任せたら、お菓子でも作るんか?というほどいつまでも混ぜてる。鍋に入れた後も、ポタージュスープでも作るんか?というほど、ず〜っと混ぜてる。何度も味噌汁は食べてるし、出来上がりを知らない訳ではないはずですが、やっぱりまだ無理だったか。なんだか微妙なミソ・スープが出来てしまいました。ということで、今のところ安心して頼めるのは、ご飯炊きとスパゲティの麺茹でぐらい。


バーベキューは安心して見ていられる

最後に冗談抜きにヤバいのが、シャワーの後バスタオル一枚で居間を横切ること。こらぁ〜。これはわざとではなく、たまたま着替え持って入るのを忘れて、誰もいないと思ったらしい。それにしてもびっくりした。もしこれが家内のいる前でだったら、即日解雇されてたかも知れません。


2015年10月19日月曜日

マスカラ・フェスティバル

私たち家族の住むシライ市が属するフィリピンの西ネグロス州。この州は日本の四国よりやや小さなネグロス島の西半分を占めていて、その州都がシライから車で30分ほどの距離にあるバコロド市。県庁所在地みたいなものですね。

この時期は、そのバコロドで年に一度のお祭り「マスカラ・フェスティバル」が開かれます。マスカラとはスペイン語の「仮面」Mascara のこと。しかし、マスカラ・フェスティバルの場合は Masskara と綴ります。Mass は群衆とか集会のことで、カトリックの礼拝「ミサ」も英語では Mass。Kara はスペイン語の「顔」に由来していて、「仮面」と「たくさんの顔」というダブル・ミーニングなのだそうです。

私は名称からして、スペインの統治時代から続くお祭りかと思っていましたが、調べてみると意外に新しく1980年から。この頃世界的な砂糖価格の暴落があって、ほとんどサトウキビの生産だけに依存しているネグロス島の経済は、相当な打撃を受けました。そんな状況での暗い雰囲気を吹き飛ばすために、笑顔の仮面をつけてみんなで踊ったのが始まり。

今も経済のサトウキビ依存体質は変わっていませんが、マスカラ・フェスティバルはフィリピンを代表するフィエスタ(お祭り)の一つに成長し、フィリピン国内だけでなく、海外からもたくさん観光客が見にきます。メインは目抜通りで盛大に行われるパレード。一見リオのカーニバルを思わせるような賑わいです。


ところが私は人混みが大嫌い。関西に住んでいたのに京都の祇園祭は1回だけしか行ったことがないし、大阪の天神祭に至っては参加経験ゼロ。十日戎も初詣もダメという、まったくひねくれた性格です。当然ながらマスカラの場合もすぐ近くに住んでいながら、お祭りの時期にはネグロス市内に入ったことすらありません。

それが今年はアメリカのシカゴに住む家内の義理の従弟ルパートが、お父さん危篤の報を受けてバコロドの実家へ急遽戻ることになりました。フィリピンに滞在できるのは、ほんの数日でマスカラど真ん中の日曜日にしか会うチャンスがない。仕方なしに昨日の日曜、家族で行ってきましたバコロド市。

自分で運転するのが怖くて、途中のタリサイ市で自家用車を置いてタクシーで向かったのが、バコロド最大のショッピングモール。ここのレストランで、ルパートとその他の親戚数名と一緒に昼食。やはりモール内はお客さんがいっぱいで、マスカラをテーマにした派手な飾り付けがあったり、ウェートレスや売り場のスタッフが仮面つけたりタットゥー状のメークをしたりのお祭りムード満載。


しかしパレードがあるラクソン通り以外では、それほどの混雑はありません。もう終日動きが取れないのではと覚悟していただけに、ちょっと拍子抜けでした。



2015年10月14日水曜日

南国映画館「プライベート・ライアン」

前回の「トラ・トラ・トラ」に引き続いて、若いお客さんたちとDVDで鑑賞したのは、またも戦争映画「プライベート・ライアン」。今回はこの春大学を卒業したばかりで、いきなりフィリピンで働き始めたという女性Aさんが参加。またなんで選りに選ってフィリピンで、しかも若い女性と一緒にこの映画?と思いましたが、Aさんを含めて、お客さんたちの立っての希望ということで。


この作品は1998年公開。私にすれば、本当にごく最近の映画。でもAさんたちにとっては、まだ小学校に行くかどうかという時代。思えば、結婚して家内が日本に来た当初、まだ新婚ホヤホヤの頃に一緒に見に行きました。これまたなんでデートにこの映画を選んだのかと言われそう。

ずいぶん真新しい映画館だった記憶があってネットで調べてみたら、ちょうどこの頃に大阪・梅田に新装開店したTOHOシネマズだったんですね。そう言えば、まだ家内をどこに連れて行っても、初めての日本ということで大喜びでした。

それはともかく「プライベート・ライアン」。戦闘シーンがあまりにもリアルで、その後の戦争・アクション映画の映像の作り方が一変するほどのインパクトでした。この作品の後は、手持ちカメラを使って臨場感を再現する手法が、すっかり定着。

さて、Aさんの反応。ものすごい集中力でご覧になってました。狙撃シーンでは、着弾の音にびくっと体を震わせるほど入り込みよう。私も久しぶりに観ましたが、筋書きを知っていても同じように全力で集中。エンド・ロールでは昔映画館で観た時のように、しばらくは全員無言で呆然自失状態。

Aさん曰く「すっごく面白かった」。そうですか〜。若い世代は、長くて重い映画は敬遠しがちだと変な思い込みがありましたが、それは世代に関係なく人それぞれだと、当然なことに改めて気づいた次第でした。


2015年10月12日月曜日

南国映画館「トラ・トラ・トラ」

ここ最近我が家には日本人のお客さんがよく来てくれます。それも30歳〜20歳の若い人たち。環境NGO関連の仕事をしていて、まだ学生の方も。ネット上でも「最近の若い連中は...。」的なボヤキを時たま見かけますが、我が家に来てくれる人を見ている限り、全然そんなことはない。むしろ私が同じぐらいの年齢の時より遥かに優秀だし、自分の考え方もしっかり持っている。

テニスを一緒にしたり、パーティだったり。お互いに現地に溶け込んで生活している分、やっぱり日本語での会話は貴重。来ていただく理由は何であっても、だいたい話し込んでしまいますね。先方にしてみれば、父親ぐらい歳の離れたオッさんの長話に付き合わされて、迷惑かもしれませんけど。

先日は、何からつながったのか昔の戦争の話になり、お客さんの一人、Yさんのお祖父さんが海軍に在籍されていたことが判明。実は私、子供の頃はハセガワのウォーターライン・シリーズの軍艦や、タミヤ模型の1/35スケール戦車などのプラモデルを一生懸命作ってました。小学生のくせに軍事関連専門の月刊誌「丸」を読んでいた変な子供だったこともあり、お祖父さんの搭乗されていた戦艦「榛名」も名前は知ってました。

そんなこんなで会話が弾んで戦争映画の話になり、私の中では太平洋戦争を扱った映画の最高傑作だった「トラ・トラ・トラ」に話題が及びました。この映画、公開は1970年。もう45年前になるんですね。製作は20世紀フォックスで、1941年、当時ハワイ真珠湾(パール・ハーバー)にあったアメリカ軍の基地を、日本海軍が奇襲攻撃をして壊滅的な打撃を与えたという史実を映画化した作品。「トラ・トラ・トラ」とは奇襲攻撃が成功したことを知らせる暗号通信です。


当然のことながら、映画の公開当時はYさんも、一緒に来ていたHさんも生まれる前。下手するとご両親がまだ出会ってないかも。そして二人ともこの映画のことは知りませんでした。日本人俳優がたくさん出演していて、日本側エピソードは監督から脚本からスタッフが全て日本人。ハリウッド映画としては、奇跡的に日本がきちんと描けている作品なんだけどなぁ。生まれる前の映画だったら、知らないのも仕方ないか。

そういう流れで、浜村淳さんのように(という冗談も多分若い人には通じない)映画解説したところ是非観たいとなって、翌週末、日本人三人のDVD映画鑑賞会。こう言う時に50インチの大画面と5.1サラウンドはいいですね。

途中で退屈してしまうのではとの心配をよそに、若いお二人さんずいぶん真剣に見入ってました。CGによる特殊効果など存在しない頃の映像。ゼロ戦を始め、登場する航空機はちゃんと人間が操縦して飛ぶ機体を改造して再現し、戦艦長門は原寸大のセット。圧巻は空母赤城からの朝日を受けての発艦シーン。これも空母はアメリカ海軍から借りた本物で撮影。やっぱり丁寧に作られたものは、時代や世代を超える力があるようです。

まぁ、選りに選ってわざわざフィリピンでこんな映画を?と思わなくもないですが、これに味を占めて時々みんなで映画鑑賞会をしようと企んでます。

2015年10月10日土曜日

ここまでやるか、町内会美人コンテスト

正直に言いまして、こんなレベルだとは...。せいぜい町内会の秋祭り(フィリピンに秋はありませんが)の余興だと思ってました。まぁ、ちょっと冷やかしに覗いてくるかな、ぐらいの軽い感じで見に行った、私たちの住む宅地「セント・フランシス・ネイチャー・ビレッジ」のフィエスタ。

夜8時前頃、管理事務所と屋根付きの集会所のある通称クラブハウスに行ってびっくり。周囲は厳重にシートで目隠しされていて、覗き見できないようになってました。しかも、入口にはいつもの守衛さんの兄ちゃんが、いつになく緊張した面持ちで立ってます。何と宅地住人の名簿を用意して、入場者確認。

そこで入場料50ペソ(!)払って中に入ると...うわ、まるでホテルでパーティでもするのか?というぐらい凝ったステージが用意されていて、音響も照明も超本気レベル。しばらくすると本職の司会のおじさんがステージに現れて、「レディース & ジェントルメン!」と高らかに開会の宣言。


次にきちんとカトリックのお祈りを捧げ、全員起立でフィリピン国歌斉唱。ここまでやるか、町内会の美人コンテスト。さらにシライ市長が登壇して来賓や審査員の紹介。こういうのは慣れきっているフィリピン人。ジョークも交えながら退屈させない喋りを心得てますね。市長になるぐらいの人物だから当然というべきか。

開場から小一時間ほど経って、ようやくコンテストの参加者たちがステージへ。9名の女性たちの衣装がまた凝ってる。ちょうどこの時期、隣街の州都バコロドでは「マスカラ・フェスティバル」というリオのカーニバルみたいなお祭りやってますが、そこにそのまま出られるぐらいのコスチューム。ダンスもスピーチもなかなか堂に入っていて、とても思いつきで応募した素人さんには見えません。



聞くところによると、ちゃんとイベント・コーディネーターが仕切っているらしい。イベント大好き、パーティ大好きのフィリピン人。おそらく大きなビジネスなんでしょうね。以前出席した大金持ちの誕生日パーティなども、こうしたプロに依頼してたのかも知れません。

で、肝心の審査ですが、最後まで見届けると深夜になりそうで、家内が超本気レベルで怒り出すのが容易に想像できたため、早々に退散してしまいました。我ながら度胸のないことで。


結核、侮るべからず


近所で罹患者が出た結核の続報です。
どういうつもりかよく分からないのですが、問題の結核を患ったメイドさんがシライ市内で活動する日本のNGOの事務所兼スタッフの宿舎に復職しました。感染が発覚してからまだ3ヶ月ほどしか経過していないので、最低でも半年の投薬治療が必要とされるこの病気が、完治しているはずがありません。

しかもこの宿舎には、日本人マネージャーの1歳にもならない娘がいて、その世話を結核患者にさせているというのです。相変わらず同じ建物の中で働く他の日本人、フィリピン人のスタッフには検査も受けさせず、その後も日本からの研修生を受け入れ続けている。心配になったスタッフが問いただしても「フィリピンにはよくある病気」と一笑に付しているとのこと。結核は空気感染することを知らないのか?

以前、私がまだこのNGOの手伝いをしていた頃、インターンの学生さんを山奥のパタッグという村に連れて行って宿泊させ、アメーバ赤痢に感染させたことがありました。その時も感染が分かった後も入院もさせず隔離もせずに、宿舎に放置して看護はフィリピン人スタッフ(医療関係者ではない)に任せたきり。

この日本人マネージャーは、住宅専用の場所で豚を飼育して、部屋中蝿だらけにしても平気で生活しているような人なので、元々常識的な衛生の観念がない。この宿舎は、豚の飼育は禁じられている区画であって、かつ隣は美容院。隣人とのトラブルも相当あったようです。

もしこれで結核の集団感染ということになったら、深刻な事態になることは間違いないでしょう。感染したメイドさんにも他のスタッフにも家族はいるし、何人もの子供の親もいます。病気に対してだけでなく、フィリピン人とフィリピンの地域社会を侮っているとしか思えません。


2015年10月8日木曜日

日本のカケラ

日本の隣国と言ってもいいぐらい近いフィリピン。こんな片田舎の街シライにいても、日本の影響はいつも感じます。自動車はトヨタが4割のシェアで、日本車以外といえばフォードやヒュンダイがちらほら程度。家電製品も一時期の勢いは衰えたとは言っても、まだまだソニーやパナソニック(最近はエアコンや冷蔵庫が強い)は一流ブランド。バイクに至っては日本ブランド以外は、ネグロス島で見た記憶がありません。

それだけではなく、ちょっと意外な場所で日本の製品や日本語に出くわすこともあります。家内の友達や親戚の結婚式や誕生日パーティでは、フィリピン人から日本語で話しかけられるのは割とよくある話。昔日本で働いてたというパターンですね。それも水商売やエンターティナー系ではなく、会社勤めをしていた人が思いの外多い。

車も新車だけでなく日本からの中古車がよく走ってます。20年ほど前はマニラの街中で「大阪駅前」という表示そのままの、昔懐かしいグリーンのストライプの大阪市バス(昭和40年代に運行)を見て驚いたことがあります。さすがにそこまで凄いのはないけれど、「〇〇運輸」とか「法定速度遵守車」と大書したままのトラックが、普通に使われていて苦笑いしたり。

トライシクル(輪タク)の運転手が「◯◯工務店」とネームの入ったジャケット着てたり、なぜか日本の中学か高校らしき校章が印刷されたシャツを着た学生を、見たこともあります。

買い物していても、成田や関西空港の免税店で貰ったと思しきペーパーバッグ持ってる人がたまにいます。日本向けの物は、安価でも作りがしっかりしてますから、使い捨て用でもとても長持ちするんですよ。町内会で配ったような「〇〇商店」とか「夏のバーゲン」とか印刷したうちわも。

少し古参のところでは、公文。こっちで看板見るまで、公文が海外展開してるって知りませんでした。公文のホームページによると、世界48か国に教室があるそうですね。シライ市内のこの看板を初めて見たのはもう10年ぐらい前です。そういえば、家内が日本に来た時、変な日本語を覚えられたらいやなので、在日外国人向けの日本語に通わせてましたが、それも公文でした。結構な費用でしたが、その甲斐あって家内は一応敬語も使いこなしてます。


そして家の外だけではなく、家の中でも意外な日本の発見。3か月前からウチで働き始めたメイドのアミー。なんか見たようなイラストを印刷したTシャツ着てると思ったら、これが水森亜土さんの描く可愛い女の子。あまりに予想外の組みあわせだったので、最初は分かりませんでした。訊くと、日本からのお土産だとのこと。


水森亜土さんと言えば、私が子供の頃すでにテレビに出たりしていたので、相当なお歳のはずですが、ネットで調べたらまだまだ歌手としてもアーティストとしても、現役で活躍されてるんですね。アニメ「ひみつのアッコちゃん」エンディングの舌ったらずな歌声はまだ耳に残ってますよ。




2015年10月5日月曜日

創立記念日はダンステリア

ネタが溜まっていて早く書かないと忘れてしまいそうなので、連発の投稿です。
このタイトル、何から引っ張ってきたのかすぐにわかる人は、私と同世代かシンディ・ローパーのファンでしょうね...。

それはさて置き、ちょうど私の誕生日の時期、10月の第一土曜日は息子が通う聖テレシタ学院(小〜高校一貫校)では創立記念日のお祝いをする習わし。その祝いというのが、日本で言うと学園祭か運動会みたいなもの。最近、日本の運動会では10段積み人間ピラミッドがやり過ぎだとか危ないとか話題になってますが、ここフィリピンでは競技ではなくダンス。

そのダンスも基本は全部創作で、先生が振り付けをするそうです。そして学年対抗のスタイルで各学年お揃いのTシャツを用意して、高学年だとかなり凝った衣装やメイク。練習は何週間も前から念入りに。こういう催し物には情熱を注ぐフィリピン人気質の本領爆発です。私の息子はというと、日本人っぽい含羞を遺伝子に刷り込まれているのか、あんまり乗り気ではないなぁ。

本番は土曜日で、それに先立つ木曜・金曜は授業なし。ダンスの練習や創立記念日祝いのゲームに明け暮れます。お祭り好きの国民性は、こうやって幼少時から叩き込まれるのですね。

こうして迎えた記念日当日。昨年・一昨年もそうでしたが、雨季でしかも台風シーズン真っ只中なのに不思議と朝から熱帯の日差しが照りつける晴天。朝一番はさすがのカトリック国のミッションスクール。6時半からミサ。それに続いて最初はシライ市内で活躍する本職のダンサーたちが「模範演技」を披露します。



そして子供達のダンス。
学年別に鮮やかな原色のTシャツに身を包んだ子供達が、たどたどしくも一生懸命踊る姿はなかなか微笑ましい。しかし親の方は炎天下を物ともせずに我が子の撮影に勤しみます。こういう風景は日本も同じ。と書いている私もスマホ片手に写真撮ってるんですけどね。



それにしても、毎年全校生徒分プラス親(しかも父親参加率が高い)のTシャツをオーダーしているわけで、街中のTシャツ屋さん、印刷屋さんは笑いが止まらないでしょうね。しかもこの学校だけではなく、どこでも揃いのTシャツは一般的だし、同窓会でも毎年学年毎にシャツ揃えるから結構大きなビジネスになっていると思われます。




お昼はフィリピンならではの持ち寄り形式。これまた学年別に各自テーブルを用意して、みんながそれぞれ一品持ってきます。綿密な打ち合わせをしたわけでもなさそうですが、毎年ちゃんとバラエティ豊かなオカズが集まって、ちょっとしたパーティ気分。日本で同じことやったら、誰が何作るかで大揉めになりそうですね。


バースデイ・ロスト症候群

先週は、子供の通う学校の3日間も続く行事と私の誕生日が重なり、しばらくブログが更新できずにいました。学校の行事というのは創立記念日。日本だと1日休校してお終いですが、この学校では学園祭レベルの扱いで、最大の年中行事。そちらは別に投稿するとして、今日は私の誕生日のこと。

フィリピンで誕生日がどれだけ大事な日かは、今までも何回か書いてきました。家族はもちろん親戚、友達、果ては友達の友達...。子供の誕生日パーティなんかだと、子供に凝った衣装を着せて王子様、お姫様状態。招待状もプロのデザイナーに発注、大量に印刷して学校の友達やその父兄にばら撒いたりします。

今回は50過ぎたオっさん(私のこと)の誕生日で、そんなに盛大にやるつもりでもなかったのですが、親戚や友達に声をかけていくと結局20人ほどの、ホームパーティとしてはかなり大層なことになりました。

特に食事を注文したりもしなかったので、家内やメイドさんに手伝ってもらい、ほとんど自分で料理。前の晩に煮物を一品、当日におにぎりや炒め物、揚げ物で五品。前日の買い出しや掃除からだと、丸二日掛りでした。メイドのアミー大活躍で、家でパーティするからメイドさんを雇う習慣があるのかと思うほど。こりゃボーナス出さんとアカんか?


久しぶりに家内と連れ立って公設市場へ

最後の最後は家内が担当のバーベキューが間に合わず、急遽出来合いのローストビーフとルンピア(フィリピン版の春巻き)を追加購入。ちょっと多過ぎかと思いましたが、フィリピン人の家内の感覚では、ちょうど食べ切れるぐらいだと少ないんだそうです。このおもてなしは中国風ですね。


ということで、約束のお昼12時には準備も整い、フィリピン時間で全員揃ったのは12時半ぐらい。パーティ自体は特別なことはなく、いつも通りという感じ。しかし今回は日本人のお客さんが二人来てくれて、日頃ネイティブ日本語の会話に飢えている者同士で話し込んでしまいました。

すべてのお客さんが帰ったのが夕刻4時頃でしょうか? 早朝から立ちっぱなしの作業の疲れとパーティ後の寂しさが一気に押し寄せてきました。最近、日本では人気ドラマが終わった後のロスト症候群(元々はペットロストから転じた?)が話題になったりしてますが、ちょうどあんな感じというべきか。 またタイミング良く翌日の今日、月曜日は突然決まった国民の祝日「世界・教師の日」。朝寝坊して燃え尽き感に浸っています。