2018年7月31日火曜日

1週間の大運動会


前々回は宗教がらみの投稿、前回はその後の顛末。戦う武闘派ブログのノリで、気力・体力を消耗しましたので、今日は息抜きです。

先週火曜日(7/24)から昨日(7/30)までの一週間。土日は除いてずっと運動会だった、息子の学校。小中高の一貫校なので、実に12学年全部が夏休みでも国民の祝日でもないのに、5日間授業なし。

こう書くと、すぐに日本の学校と比べて、だらしないとかエエ加減だとか、すぐ上から目線の批判の言葉を浴びせる日本人がいる。でも、自分が学生だった頃のことを考えると、授業の内容なんてほとんど覚えてなくて、鮮明な記憶に残るのは、運動会とか文化祭などの勉学以外の行事。本当はそっちの方が大事じゃないかと思うぐらい。

おっといけません、また勝手に敵を作って戦ってますね。やっぱり私は、根っからの喧嘩好きなんでしょうか。

この1週間の運動会、息子の学校だけが特別なのではなく、メイドのライラが小学生の時も、やっぱり同じような感じだったらしい。また「運動会」と訳してますが、正確には Intermural インターミューラル/陸上競技大会との呼称。

ただ、50メートルや100メートル走にリレー、綱引きは分かるにしても、バスケットボール、バレーボールの球技、校外プールを使っての水泳、さらには格闘技のテコンドー、おまけにスポーツですらないチェスまで。

すべての競技に全員参加ではなく、自分の得意分野で技を競うという、運動会というよりインターハイの予選みたいな感じ。この内容なら、1日で終わらないのも分かる気がします。

ところで我が息子。今年の夏休み(4〜5月)には水泳を習い始めて、多少はたくましくなったものの、やっぱり元来はインドア派。最終日の昨日は、何やらメダルを貰ってきたと思ったら、表彰理由はチェスで勝ったから。

6年生になったこの6月からは、美術部の部長だと言うし、血は争えません。スポーツ全然ダメで、高校では美術部の部長、挙げ句の果てに美大進学した、私の来し方をトレースしてるみたい。

ということで、今日はネグロス島の運動会のお話でした。


2018年7月30日月曜日

文句は読んでから


前回は、教義や布教活動の方法を巡って、何かと批判の多い教団について投稿。こうしたブログで宗教関係のトピックを扱うと、ネガティブな意見が集まりやすいもの。ある程度は覚悟していたものの、今回は思ったほどでもありませんでした。

むしろずいぶんと、内容を掘り下げて目を通したと思しきコメントがあったり、共感の言葉をいただいたり。中には教会での説教になぞらえて、該当するのは新約聖書のこの部分じゃないですかとの指摘も。書いた本人が、そこまで深く考えていたわけでもないので、これは少々赤面の至り。

驚いたのは、タイトルだけしか読まずに批判する人たち。おそらくこの教団に対しては、平素から面白からぬ感情を抱いてたんでしょう。もう投稿されたタイミングに間髪を置かず、脊髄反射的な反応でした。

そんなに裏読みを要求する書き方をしたつもりはないし、普通に読んでもらえれば、宗教や信条の額面だけで、そこに所属する人に偏見を持ったり、差別するのはよくないというだけの話。起承転結も一応用意して、文章の構成はありきたり。

なので、どう考えても読んでからコメントしたとは思えません。もし一回でも本文に目を通してから書いたとしたら、日本語の読解能力に欠陥があるに違いない。あるいは、教団名にアレルギーでもあるんでしょうか。個人の一人ひとりを見て判断しましょうと結論付けたブログに、タイトルだけで文句を言うのも、何とも皮肉なことですね。

ブログではありませんが、ツィッターで有名人に食ってかかる人って、元のツィートをどう読んだらこんな罵倒の言葉が吐けるのかというのが多い。最初から喧嘩を吹っ掛けようと待っていて、一言一句でも引っかかりがあったら、そこだけを目掛けて罵詈雑言。私は有名人でも何でもありませんが、今回の件は、それに似た雰囲気を感じます。

こういう人たちを見ていると、一度でも偏った見方を持ったら、それを補正するのは並大抵なことではないと痛感します。なぜそう思ったかは、理屈じゃなくて感情。そう思いたいから思う。それに反することは信じたくない。見るのもイヤ。

ずいぶん狭い世界で生きてるだろうなぁ。しかしその反面、物事の真贋を自分の目で見極めず、借り物の物差しを当てるだけなので、楽と言えば楽な生き方なのかも知れません。自分の間違いを認めるって、なかなかシンドイいですからね。

それにしても、現代の日本人にとって、良くも悪くも宗教とは特別なものなのか。フィリピンでのID発行の申請時に宗教の欄があっても、何と書くか悩む人が多い。でもこの国では、無宗教を公言する人の方が圧倒的少数派。

それはともかく、宗教の話に限らず、批判や反論をするなとは言いませんので、少なくともブログの本文だけは読んでからにしていただきたい。「お前の顔が気に食わん」的な言いがかりには、いくらなんでも付き合い切れません。


2018年7月29日日曜日

エホバの証人


日本でもわりと有名な「エホバの証人」。1870年代、アメリカでチャールズ・テイズ・ラッセルという人物によって設立され、現在全世界での伝道者数は820万人にのぼり、そのうち日本では21万人を超える信者がいるとのこと。日本のカトリック信徒数は44万人余りなので、決してマイナーな存在ではありません。

何と言ってもこの教団を有名にしたのは、輸血を拒む教義。信者を両親に持つ子供が、この輸血拒否のために亡くなったことから、エホバの証人を一種のカルトだと思う人もいるでしょう。

また、カトリックや正教会(オーソドックス)など、キリスト教主流の基本教義である三位一体を否定し、敵対的な姿勢を取っていることもあって、2008年のローマ教皇庁からの見解では、名指しで、宗教間の対話に困難をもたらす宗派とされたり。

フィリピンにも一定数の信者はいて、ネグロス島シライの我が家のすぐ近くにも、小さいながら王国会館(教会)が最近建てられ、それなりに人も集まっているようです。ちなみにフィリピンでは、こうした非カトリック系のキリスト教会は多く、その最大のものはフィリピン発祥のイグレシア・ニ・クリスト。

どうして唐突にエホバの証人の話を始めたかと言いますと、実は今日(2018/7/29)、事前のアポなしに、その信者の人たちが我が家にやって来たんですよ。しかも日本人夫婦。

たまたま家内と子供は、バコロドのロビンソンズ(ショッピングモール)に出かけていて、私一人が留守番中。お昼前に玄関先で「ごめんください」と日本語が聴こえたで驚きました。

このブログを読んで、わざわざ来てくれる人もいて、最初はそっちかと思ったら、そうではありません。日本から来て布教活動をしている二人。同じサブ・ディビジョンにある日本人経営の英語学校を訪問した時、ゲートにいる警備員に他にも日本人が住んでいると聞いたんだそうです。

これだけだと、かなり怖い話ですが、訪ねてきた二人は身なりも話しぶりも至って真面目で、むしろ好感が持てる雰囲気。年齢は30代の前半ぐらい。州都のバコロドに住んでいるんだそうです。夫婦共日本人の若いカップルは、観光客でもない限りとても珍しいネグロス島。

最初にエホバの証人の信者だと言われ、それに対して、自分はカトリックですよと告げたものの、険悪な態度になるわけでもなく、普通に外国の街で出会った日本人同士みたいな会話になりました。布教活動とは言え、わざわざ来てもらった同胞を無下に追い返すのも気が引けて、よかったらコーヒーでもと、同行していた助手らしきフィリピン人青年と一緒に、家に上がってもらうことに。

カトリックである私の、他宗教・他宗派への基本スタンスは「人様の信じているものは、たとえ理解できなくても最大限尊重する」。

とエエ格好しても、正直なところ、冒頭に書いたように、私自身エホバの証人には、あまりいい印象はなかった。まったく無警戒だったと言うと嘘になります。ところが、同行したフィリピン青年も含めて、とても礼儀正しく、押し付けがましいところは微塵も感じられない。

私がカトリック信徒だからかも知れないけれど、教義の話を持ち出すわけでもないし、カトリックへの批判も皆無。話題は、ネグロスでの暮らしぶりなどに終始しました。えっと思ったのは、旦那さんの方が、日比のハーフだと言われた時ぐらい。

つくづく思うのは、所属する集団や肩書き、国籍や民族で、人を色眼鏡で見てはいけないなぁということ。もし最初に、エホバの証人の信者だからとの理由で追い返していたら、その後の会話はなかったし、お互いに悪い印象を残しただけに。

むろん、エホバの証人の信者さんが、一人残らず好人物というわけでもないと思います。聞くところによると、ずいぶん執拗な勧誘をするケースもあるんだとか。でもそれはカトリックにも、尊敬すべき方もいれば、ロクデナシもいるのと同様。やっぱり人を判断するのは、その属性ではなく、その人自身を見ることに尽きると、改めて実感の日曜日でした。


2018年7月28日土曜日

他人に迷惑を掛けてもいい国


他人に迷惑を掛けるな。

いつ頃から、このセリフが日本中に浸透したんでしょう。私が子供の頃には、あんまり聞かなかった気がします。そして親に言われた記憶もないし、実際の会話でも耳にしたこともない。主にドラマ、それも下町を舞台にした人情劇で、貧乏な家庭で育った子供が、こう言って育てられるシーンぐらいでしょうか。

この言い方って、日本全体が貧しかった戦前から戦中、終戦後しばらくぐらいまでは、リアリティがあったように思います。貧しすぎて、犯罪に走ったり、他人の懐を当てにして生きたり。あいつの家は貧乏だから泥棒したんだと、後ろ指をさされないよう、プライドだけは保つための、最低限のモラルだったのかも知れません。

ところが、いつの間にか言葉だけが一人歩きを始めて、苦しくても人を頼るな、辛くても一人で耐えろ、みたいな、痩せ我慢の勧めになってしまった。あるいはそれを逆手に取って、他人の迷惑にならなければ、何をしてもいいと開き直ったり。

こういう考え方の行き着いた先が、今流行りの「自己責任」。他人に迷惑を掛けてないから、大酒飲んでギャンブルして。その結果、病気になってもホームレスになっても自己責任だから、そんな奴らのために、俺たちの払った税金を使うなんて許さない、という具合。

糖尿病で健康保険を使った透析治療をしても、好き勝手に飲み食いしたからだとまで言われる始末。何とも嫌な風潮です。ちなみに今の医学では、度を過ぎた酒やギャンブルは、依存症という疾病だと認識されています。

だいたい人間って、そんなに強い人ばかりじゃないし、間違いもすれば一時の感情に流されもする。あるいは、思いもしなかった不運に見舞われて、病気になったり怪我をしたり。誰にも迷惑を掛けずに生きるなんて、無理だと思うんですよ。

そこへ行くと、フィリピンの事実上の国教とも言えるカトリックの教えは、極端に言えば、神さまに慈悲を乞う宗教。日曜日のミサなんて、いきなり「主よ憐れみ給え」ですからね。

その教義に生まれた時から親しんでいる、多くのフィリピンの人々は、そもそも人間は他人に迷惑を掛けずに生きられるなんて思っていません。親兄弟や親戚だけでなく、頼れる人に頼るのは当たり前。また人に頼られることは一種のステータスなので、実力以上に無理をして見栄を張るのも、フィリピン的な人間風景。

私がこの国に関わり始めた二十数年前は、なんて甘ったれた国民性だろうと、正直なところ軽蔑の念を覚えたほど。ところがしばらくして、仕事でも私生活でも困難にぶちあたり、親の借金を背負ったり、鬱で休職したり。弱者の立場になった時、それまでの自分がいかに思い上がっていたかを悟りました。

まず「迷惑を掛ける」という言い方がよくない。「人に助けてもらう」に変えるべき。人助けって、決して苦痛ではなく、場合によっては喜びになることも。配偶者や子供など、愛する人の看病って、別に頼まれなくても自発的にやるし、何かの見返りを期待しているわけでもない。あるいは、まったくの他人でも、困っている人を見かけたら、見るに見かねて手を差し伸べることもあるでしょう。

「相身互い(あいみたがい)」とか「困っている時はお互い様」とか、日本には、もっといい格言もあるはず。

ここネグロスでは、挨拶代わりに「ご飯食べた?」と言ったりします。そして、もしまだなら、私の家で一緒に食べていきませんか?となる。また、結婚式や誰かの誕生パーティでも、昔ながらの風習だと、道行く他人にも用意した食事をご馳走したり。

やたらと金を貸してくれと言われるのは、ちょっと困りますが、それだって無理なら無理と、断ればいいだけの話。程度の問題はあるにしても、誰かに頼み事をする際に、現代の日本人に比べると、心理的な障壁がずっと低い気がします。

こういう社会って、全然悪くないと思うんですけどね。特に自分の命を縮めるほど、我慢に我慢を重ねるような国よりは、はるかにいいですよ。


2018年7月27日金曜日

ブログで学ぶイロンゴ語「数字と挨拶」


イロンゴ語のお勉強、第二回です。
このテーマで投稿すると、露骨にアクセス数が落ちるんですよね。やっぱり同じフィリピンでも、公用語のタガログ語に比べると、ネグロスやパナイにでも来ない限り、使えるシーンはすごく限定される。フィリピン・パブで知り合ったお姉ちゃんが、西ビサヤ地方出身とかでもないと、興味すら湧かないでしょう。

そんなネガティブな感情は振り切って、今日は言葉の基本中の基本、数字と挨拶について。

ここでタガログ話者におもねるわけでもないけれど、イロンゴの数字って、タガログとほとんど同じ。

1 Isa  イサ
2 Duha  ドゥア
3 Tatlo  タトロ
4 Apat  アパット
5 Lima  リマ
6 Anum  アヌム
7 Pito  ピト
8 Walo  ワロ
9 Siyam  シャム
10 Pulo  プロ

大きく違うのは、2(Dalawa)と10(Sampu)ぐらい。写真とる時に、Isa pa  イサ・パ(もう一枚)と言ったりするのは同じ。一桁や二桁の数字ぐらいなら、みなさんイロンゴを使うので、覚えておいて損はありません。

ただし、三桁以上の大きな数字では、イロンゴ・ネイティブでも、え〜っと何て言うかなぁと一瞬考えたり。例えば私の生まれた年の1962(西暦)を言うと、こうなります。

Mil nueve syentos sisenta y dos

ミル(千)、ヌエヴェ・シェントス(九百)、シセンタ(六十)、イ(と)、ドス(二)。

舌を噛みそうです。ややこしいのは、大きな数字の時だけ2の言い方がドゥアじゃなくてドスだったり、10の桁と1の桁の間に「と」が入ったり。

家内に教えてもらった時、こんなもん英語で言うたほうが早いやんか、とグチったら、ネグロス島民も普通は英語。確かに買い物をする時に、時々フィリピン人と間違われても、値段はちゃんと英語で言われますね。

さらにややこしいのは時間。イロンゴでも表現できるはずなのに、何時何分だけはスペイン語風になる。例えば7時15分。

Alas syente kinse アラス・シェンテ・キンセ

もちろんこっちも通常は英語。我が家のメイドさんだってそう。なので、数字は両手の指の数ぐらいをイロンゴで覚えれば、実生活で不便を感じることはなさそうです。


そして挨拶。さすがにこれはイロンゴで言った方が親近感が湧く。さらに、タガログとも違います。

Maayong aga マアヨン・アガ おはよう
Maayong hapon マアヨン・ハポン こんにちは
Maayong gab i マアヨン・ガブ・イ こんばんは
Babay ババイ さようなら
Pasensya パセンシャ ごめんなさい
Wala sang ano man ワラ・サン・アノ・マン どういたしまして

タガログで「おはよう」は Magandang umaga マガンダン・ウマガ。イロンゴに比べると硬い感じ。Maayong とは「良い」Maayo マアヨと、「の」(英語のof)に相当する nga ンガがくっついた表現。Aga、Hapon、Gab i は、朝・昼・夜。つまりGood morning などの英語と同じ。

挨拶に代表されるように、イロンゴはフィリピン人が聴いても、タガログやお隣のセブアノより、柔らかで優しげに感じるらしい。なので、女性のイロンゴ話者、Illonga イロンガは、魅力的だとも言います。京言葉を操る日本女性、みたいな響きなのかも知れません。

特にBabay ババ〜イって小さな子供みたいで、たとえオバちゃんでも実に可愛く聴こえます。本当はもうちょっと堅苦しい Paalam パアラム (タガログと共通)という「さようなら」もありますが、使ってる人を見たことがない。ちなみに Bye-bye バイバイと言うと、同じ発音の Baybay は、「海」の意味。

タガログの場合、挨拶の後に丁寧表現の Po ポをつけたり。これだけで、「おはよう」が「おはようございます」。でも、マアヨン・アガ・ポとは言いません。イロンゴには丁寧表現や敬語にあたる言い方はあんまりなさそう。敢えて言う時は、英語でSir や Ma'amを付加するぐらい。

ということで、マニラや日本に住んでいて、いつもは英語かタガログを喋っているイロンガがいたら、ぜひ挨拶ぐらいイロンゴで言ってみてください。喜ばれること間違いなしです。

それでは、Makita anay kita! マキタ・アナイ・キタ。(また会いましょう)


2018年7月26日木曜日

深い軒には意味がある

十日ほど前に書いた、台所の一部に屋根を増設するリノベーションについて。既にトタンを葺き終わり塗装もできて、あとは雨樋と軒天井の取り付け作業を残すのみとなりました。これは台所に付属した広さ約2畳ぐらいの、フィリピンではダーティ・キッチンと呼ばれる土間のような部分に軒の深い屋根を被せるというもの。

今は雨季。しかもフィリピン沿岸を通過する台風の影響で大雨。工事は何回か中断したので進捗も遅れ気味。でもそのお陰で、リノベの目的である雨の吹き込み効果を十分確かめることができました。

壁からが1.2メートルと、かなり深めの軒にしたのは正解だったようで、天の底が抜けたような豪雨でも、ほとんど吹き込みは気にならないぐらい。さらにスコールが去った後の強い日差しも遮ってくれるので、暑さもだいぶ和らぎます。




ここシライには、市によって保存されている、100年前の二階建て住宅が何軒かあります。それを見ると、一階より二階が大きく、そこからさらに軒の深い屋根がある。下はコンクリート造りで上は木造。構造的に無理がない範囲で、やや頭でっかちなシルエット。自宅のリノベをして、この二重に軒を深くする工夫の意味が、やっと実感できました。


熱帯のフィリピンでは、室内の日当たりの良さは、早い時間の朝陽を除けば、まったく価値が認められません。だって年中紫外線がキツいし、初夏〜真夏〜梅雨の繰り返しの気候。下手に日差しが入るような設計にしたら、無意味に暑いだけ。

そして赤道が近いので、冬至と夏至の昼間時間差もせいぜい1時間。南だ北だと家の向きを気にする人もあまりいない。敢えて言うなら、西陽を避けるぐらいでしょうか。ただし、直射日光はなくても、窓を大きめにするのは風通しの点で有効なやり方。

つまり理想的な南国の家は、できるだけ深い軒に、大きな窓がたくさんあって、天井は高く部屋は仕切らない作り、ということになります。窓に深い庇をつけた体育館みたいなもの。

でも現代のフィリピンの状況を考えると、あまり大きな窓だと、空き巣や強盗の侵入経路になりかねない怖さがあります。また、大金持ちの豪邸クラスならともかく、一般庶民向けの建売住宅の場合、部屋数、つまりベッドルームとCR(コンフォート・ルーム、トイレ・シャワーのこと)の数が多いほど売値が上がる傾向。なので、風通しを犠牲にして壁だらけの間取りが多い。

こうなると、いよいよ軒の深い屋根や庇が大事に。それなのに最近の個人住宅では、たまに屋根も庇も小さいものがちらほら。何となくモダンでお洒落に見えるからなんでしょうけど、これは完全に浅はかな建築屋に騙されてますね。

ちょっと強い雨だと、窓の近くに置いてある家具はびしょ濡れ。晴れた日は暑すぎて、風があってもカーテンを閉めるしかなく、エアコンなしでは過ごせない。実際に暮らしてみれば1ヶ月もしないうちに、住み難さを感じるはず。


そういう訳で、今日は、昔ながらのスタイルにはちゃ〜んと意味がある、というお話でした。


2018年7月25日水曜日

食べ物には保守的なメイドさん


2年以上住み込みで働いていたメイドのネルジーが、帰省したままあっけなく辞めてしまい、やっと見つけた19歳のジャジャは4日間でギブアップ。その後にやって来た、真打ちのライラおばさん。気が付いたら、今日でもう3週間が経過。

私より干支が一回り若い、と言っても43歳。クウェートでの家政婦経験もある超ベテラン。最初がたまたま大掃除のタイミングで、いきなり重労働だと、またすぐに辞めてしまわないかと家内の心配も何のその。瞬殺で全部片付けて、涼しい顔。

その後は、特に指示をしなくても、掃除・洗濯・洗い物、何でもソツなくやっつけて、ご飯を炊くタイミングや、弁当の配達、子供の迎えなど、我が家の家事ルールも最初の数日で全部マスター。私が忘れてても「旦那さ〜ん、今日は何合炊きますか〜」と訊いてくれる。ネルジーがこうなるまでは、1ヶ月ぐらいは必要でした。

そして助かるのは、ちょっとした食事なら、大雑把に頼めば、手元にある材料を見繕って適当に料理。三枚下ろしは無理でも、フィリピン式の魚の煮付けも揚げ物も、だいたいレパートリーに入ってます。ここ一ヶ月ほどはリノベ工事中でなので、大工さん用の昼食は主にライラ担当。

平日に所用で休みを取ったので、その振替で土曜日に来てもらった先週末。家族の昼食用に、クウェートで覚えたという、鶏肉と米を使った料理を振る舞ってもらいました。シナモンの香りが効いてて、結構美味しかったですよ。

そんなライラなんですが、自分が食べることについては、思いの外に保守的。好き嫌いとはちょっと違うようで、初めての素材や味付けには慎重な姿勢。焼魚や炒飯、ポークアドボ(豚肉の酢醤油煮込み)など、ネグロスで馴染みのある料理ならば、私の手によるものでも躊躇なく食べるけれど、味噌汁とかお好み焼き、ホワイトシチューみたいに、見たことがないものは、味見もせずに笑顔で拒否。おにぎりもダメでしたね。

時には、自分で冷蔵庫の奥から干し魚を探し出して、「私のお昼は、自分でこれを料理しますから」なんてことも。ちょっと傷つくなぁ。

ただこれは、ライラに限ったことではないようで、貧困とまではいかなくても、お金に余裕のない家庭で育った人は、食べ物に保守的な傾向が見られます。おそらく外食の機会が少なく、トロトロ(フィリピン独特のお惣菜屋さん)かファーストフードぐらいしか知らないから。

ある程度裕福な層ならば、比較的頻繁に日本食など外国料理に接っしているし、特に学歴の高い人ほど、何でも食べてみようと好奇心が旺盛。フィリピン大学卒の家内の友人たちには、私の作ったものが結構人気だったりします。美味しいからというより、物珍しさなんでしょうね。もちろん不味ければ食べてくれませんが。

観光地でなくても、世界中の料理が(日本風にアレンジしてますが)そこそこの値段で食べられるという点では、日本は世界でも珍しい国と言えるかも知れません。

それはさて置き、ライラには、昼食と夕食を毎回手伝ってもらっているので、材料を刻んだり鍋番したり。プロセスを全部見ているせいか、段々と警戒心も薄れて来た様子。そこで昨日、満を持して、とは少々大げさながら、前日の残り物のカレーを勧めてみました。

ネグロスでも輸入食材があるスーパーなら、普通に入手可能な日本製のカレールー。クウェートに住んでた経験があるので、スパイシーなものは大丈夫。まぁ、ゴールデン・カレーの中辛なので、辛さも知れたもの。ライラには、メヌード(トマトソースで煮込んだフィリピン式のシチュー)に、ちょっとスパイスが入ったようなものだと説明しました。

雇い主とは同じタイミング、同じテーブルでは食事を摂らないという、メイドのマナーには厳しいライラ。食べてるところは見なかったけれど、たくさんの白米と一緒に完食。良かった〜。

別に無理矢理、雇い主の料理をメイドさんに食べさせる必要はないし、こちらでは、わざわざメイドには、質を落とした食事を用意させる人もいるぐらい。家内によると、ひどい家では、安い米に塩だけなんてこともあるらしい。(よく考えたら、おにぎりと一緒か?)

今までは全部住み込みメイドで、家族と同じものを食べてもらっていました。そういう所に線引きするのは、メイド文化に慣れていない私としては、あんまり気持ちのいいものではありません。それに、今後は日本っぽい味付けも覚えてもらって、日本食も作ってもらいたいですし。


2018年7月24日火曜日

フィリピンに救われた日本人


少し前のこと、大学生3人が「スラムの暮らしを肌で感じたい」「スラムの子供たちに夢を与えたい」などとして、クラウド・ファウンディングでフィリピンへの渡航資金25万円を集めようとしたことが、ネット上で話題になりました。

結局、集中砲火の大炎上となって、16万円が集まった時点でプロジェクトは中止となり、全額返金という結果。

確かに文章の書き方も内容も浅薄で、文句のひとつも言いたくなる気持ちも分かります。でも、気に入らないんなら放っておけばいい話。賛同してお金を出した人もいるんだから、現実がどんなものかを、見せてあげても良かったんじゃないか。夢を与えられるものなら、与えてみれば?とも思います。

それとは対照的なのが、昨日(2018/7/23)フェイスブック上でシェアされていた投稿。執筆者は、高山義浩さんという、かつて厚生労働省に在籍、現在は沖縄の病院に勤務し、大学の非常勤講師もされている方。講義中、学生から海外でのボランティアの紹介を頼まれた時の返答として、このように語ったそうです。
「まずは、あなたが関心をもった国について、楽しく旅行されたらどうですか? その国の悲しい部分を先に見ようとするのではなく、素敵なところを発見してみてください」
本当にその通り。ごもっともですと、頭が下がる。

高山さんが意識して書かれたのかどうかは分かりませんが、前述の大学生3人を寄ってたかって袋叩きにするのではなく、こういう温かい眼差しで穏やかに諭す方が、ずっと効果的だったろうなぁ。

翻って、私とフィリピンの関係を考えてみると、この国と関わって23年。最初はビジネスの場として訪れ、家内と知り合ってからは、愛する人の生まれ故郷となり、今では家族全員が住まわせてもらっているホームタウン。

自分が、助けるとか与えるなんて立場になったことは一度もなく、ほぼ一貫してフィリピンは、私にとっての救いの場。カトリックの洗礼を授かったのもここネグロス島だし、与えられてばかりで感謝の言葉もないぐらい。

フィリピンとの出会いがなければ、今でも辛い毎日を送っていたでしょう。ひょっとすると鬱が高じて、自分の命を絶っていたかも知れません。

ボランティアやNGOへの参加からよりも、最初にフィリピンという国やネグロス島に魅力を感じ、そこに住む人々への愛情や共感を持つ。そうなってから、自分にできることは何かと考えるのが、私にとっては自然な姿。

とは言え、最初の目的がなんであっても、まずはその場所へ行かなければ何も始まりません。前回の投稿で散々非難した、女の尻を追いかけてフィリピンに来る連中だって、結果的には、フィリピンの外貨獲得を助けているとも言えます。決して奨励はしませんが。

ということで、フィリピンに救われた日本人としては、まずはフィリピンに関心を持ち、この国に足を運んでもらいたい。できれば、悲しいところから入るのではなく、ハッピー
な旅人として。


2018年7月23日月曜日

バカの壁@フィリピン・コミュニティ


このところ続いている、外国人への差別や偏見で凝り固まったオっさんたちへの反論シリーズ。(「部族主義の蔓延」「チャイナタウンと生活保護」)これって意外に疲れるんですよね。こっちは頑張って理論武装して、それなりのデータを集めても、相手が感情だけで喚く一種の狂信の徒なので、理屈で納得することは、まずあり得ません。

そろそろ今日は、もっとお気楽なネタにしようと思ってたら、月曜の朝から、またもや別件をやらかしてくれました。今度の火元は、セクハラ親父。

以前にも書いた通り、KTVやら政治・歴史絡みですぐ内輪揉めを始めるメンバーが巣食う、ネット上の既存フィリピン・コミュニティに嫌気がさし、「フィリピン主婦/主夫の友」という、フィリピン生活情報に絞ったグループを、フェイスブック内に立ち上げました。

冒頭には、遠回しな言い方ながら「エロ禁止」を明言し、守れなかったら追い出しますよと説明書き。さらに入会希望者には、かんたんな自己紹介もお願いして、面倒な人物はできるだけ水際で阻止できるようにしました。ところがそれを掻い潜って、やっぱり変なのが来るんですよ。

このオッさん、自分のフィリピン妻が、働き者でスリムだと自慢するのはいいとしても、他のフィリピーナは、怠け者だの、結婚したら太りだすだの、女性蔑視発言満載。それだけではなく、50人の女の中から選んだ嫁だとか、よかったら別の女を紹介するだとか、ここまでグループの趣旨を逸脱するかと、驚くような投稿。しかも若いフィリピン女性の写真まで添付。

まったく、まさかの無茶振り。仕方無く(というのは嘘で、ファイティング・スピリット満々で)、このグループに相応しくない投稿・コメントなので、投稿者ご本人が削除してくださいと、やんわり警告。

こうして相手の出方を待ったら、烈火の勢いで「嫌なら見るな」と来ました。すごいなぁ、この人。自分の立場とか、私がモデレーターだってことを全然理解していない。これも一種の情報弱者なんでしょう。

「主婦の友」と名付けただけあって、女性メンバーが多いグループ。こういう露骨な投稿が、セクシャル・ハラスメントになることすら分かってない。ネットだけでなく、マニラ空港の成田や関空への出発待ちのゲートでも、同類の連中はよく見かけます。

買った女の品評会みたいな会話を大声でする、見るからに品のない日本のオっさん共。周囲には、子供連れ、日本語を解するフィリピン人だっているだろうに、配慮や羞恥という言葉の持ち合わせがないらしい。

お陰で、いつまで経っても日本でのフィリピンのイメージは良くならないし、フィリピンに関わる日本人まで、白い目で見られたりするんですよ。迷惑なことこの上なし。

そんな日本の恥を見るのが嫌だから、わざわざ新規に作ったグループ。そこにまで踏み込んできて、嫌なら見るなとは恐れ入ります。仰せの通り、私も含めて誰も見られないよう、投稿の削除と、投稿者の除名・ブロックをさせて頂きました。

やっぱり「バカの壁」はどんな場所でも厳然と存在するようです。改めて養老孟司先生の卓越した人間観察力に脱帽する思い。ほんとに、日本人のはずなのに、日本語が通じないんですよ。疲れるなぁ。


2018年7月22日日曜日

チャイナタウンと生活保護


前回投稿の「部族主義の蔓延」で、日本の移民受け入れについて書いたところ、せっかく冷やした頭に、再点火するようなコメントが付いてしまいました。「池袋の状況、生活保護受給者の民族の割合を見てから投稿しろ」なんだそうです。図らずも、部族主義者がどれだけ蔓延っているかを、自ら証明したような言いぐさ。

まず池袋の件。1980代年以降、中国の改革開放政策の後に日本に移り住んだ、いわゆる「新華僑」の人々。彼らが中心となって作り上げたのが、池袋チャイナタウン。世界の中華街に精通する、立正大学教授の山下清海氏によって命名されました。

この新風景、確かにまるで日本とは思えないような感じはするものの、こういった中華街は、古くから世界各地に点在し、取り立てて大騒ぎするようなことでもありません。アメリカにもヨーロッパにも、東南アジア諸国、フィリピンのマニラにも。ここネグロス島の州都バコロドにだって、街の一角に中国語の看板が溢れかえるチャイナタウンがあるぐらい。

さらには、神戸や横浜には昔から華僑の街があって、観光スポットとして賑わっている。これを見て、日本が中国人に乗っ取られていると騒いだら、頭がおかしいんじゃないかと言われるでしょう。

もし違法滞在者や土地を違法占拠した外国人が集まっているんなら大問題ですが、合法的で、訪れた客が日本人であっても、普通に物品の販売や飲食サービスを提供している。地元経済を活性化させて、納税もしているのに、一体何が気に食わないのか、訳がわかりません。

数は少ないけれど、海外で暮らす日本人だって、同様に日本人街を作っています。移民というのものは、どうしても元から住んでいる人からの、偏見や差別にさらされやすい。自分たちの身を守るため、あるいは食べ物など、少しでも自分たちの文化にくるまって快適に過ごすため、同胞が固まって住むのは当たり前。

この気持ちは、ネグロスに住む日本人の私には、痛いほどよく分かります。

そして、生活保護の話。中国籍や韓国・朝鮮籍、フィリピン国籍の人も受給しているのは私も知っています。でも厚生労働省のサイトで調べてみたら、全受給者の約216万人中、外国籍は約7万3千人(2015年)で全体の約3.4%。受給者の半数以上が外国籍なんてデマもいいところ。

念のために書いておきますが、外国籍の人が受給すること自体は、何ら違法でも不正でもなく、正規の在留資格を有していて、所定の条件に当てはまれば、日本人ではなくても制度が準用されるのが、日本の生活保護。これは人道上の観点から、定められています。

むしろ、あまりに不正が不正がと騒ぎ過ぎて、本来保護を受けるべき状況の日本人が受給できず、捕捉率が2割に満たないとも聞きます。東京都江戸川区の職員が、受給者の弱みにつけこんでセクハラをしたなんて、情けないニュースも。

これは、チャイナタウンにしても生活保護にしても、日本人の不寛容さ、ここに極まれりの感。そりゃ中には違法行為に手を染めたり、意図的に不正受給を狙う人だっているでしょう。そんなの日本人だって同じこと。マニラに住む日本人にも、とんでもない輩がいます。

異文化に属する人たちが、同じ国、同じ街に住めば、ある程度の摩擦や衝突が生じるのは仕方がない。私もフィリピンに住んで、それを日々実感しています。音楽がうるさいとか、約束の時間を守らないとか。

だからと言って、それを相手が悪いと全否定するのではなく、折り合いをどうつけるかを考えるのが建設的な態度というもの。前回の投稿で、日本は移民を受け入れないと、この先難しいという趣旨のことを書きましたが、何の準備も対策もなしに、無条件で誰でも受け容れろという意味ではありません。

双方がお互いの文化や習慣を尊重し、折り合いをつける道を探すこと、具体的には相手のことをよく知るための、教育や学習が不可欠となるでしょう。対立や拒絶からは何も生まれません。共存こそ、日本の将来を明るくする唯一の道だと思いますよ。


2018年7月21日土曜日

部族主義の蔓延


前回、サッカーのフランス代表チームのメンバーに、フィリピン人がいるという話をベースに、移民について書きました。すると、日本が移民を受け入れたら、中国や韓国に国が乗っ取られてしまうとのコメントが。

久しぶりに怒り心頭。今の日本って、そんなことを平気で言う連中が、少なくないんだよなぁ。もしこれが、中国・韓国に何度も渡航し、北京官話もハングルも自由に使いこなせて、そこで政治家や経済人に友人がいるような人物のコメントだったら、私も襟を正して拝読しようというもの。

でも、こういう輩って、自分の思考や経験で導き出した内容を語る人はまずいなくて、どこかのデマサイトに書かれた流言飛語の類や、ケント・ギルバートの嫌中韓本の受け売りばかり。

そして今日、偶然まったく別の記事を読んでいて、「部族主義」という言葉を目にしました。これは、資本論で有名なマルクスとエンゲルスが、1848年に著した「共産党宣言」の冒頭に用いたもの。

部族主義とは、言語・文化・宗教などを共有する部族が、それが唯一正しいものと信じ、他部族を否定・排除する態度や精神を指します。記事ではトランプ大統領が、部族主義に陥っているとの論旨。以下、一部引用です。
自分が100%正しいと思いこみ、相手を完全に否定する政治。最たるものが、アメリカのトランプ大統領だろう。既存の政治制度への不信を煽り、人種的偏見を容認し、都合の悪い事実を認めず、ひたすら「敵」への憎悪を煽る。そこには「他者との共存」という視点はない。
これはトランプ大統領への批判ですが、そのまま日本の現状に当てはめても、まったく違和感がないのが恐ろしい。日本は100%正しく、中国・韓国は、ひたすら反日を国是とする「敵」で、労働人口の減少による自国の衰退という事実には、目を背ける。そこには在日外国人との共存という視点はない。

と、かなり頭に血が上った状態で書いてきたものの、現実的に考えてみれば、1980年代ならばいざ知らず、今の日本はたとえ移民を全面解禁したところで、大陸や半島から人々が大挙して押し寄せるほど、魅力のある国とは思えません。

外国人へのヘイトスピーチは横行し、労働者は過労や精神の病で死ぬまで働かされ、子供は自殺に追い込まれるほどいじめられ、夏は度外れた酷暑。日本にあこがれて、日本で働きたいと思うフィリピン人は、まだ多いけれど、それは実情を知らないだけ。知っていれば、誰がこんな国に移住したいと望むでしょう。

おそらく今、政府が新しい移民政策を打ち出したくても、歪んだ民族主義的な主張を感情的に叫ぶ人たちが怖くて、有効な手立ては講じられない。それでも労働力の不足は容赦なく進むでしょうし、年金や健康保険も維持できなくなる。そうなってから慌てて移民への門戸を開いても、貧困国になった日本には誰も見向きもしない。これが私が想像する、最悪のシナリオです。

お前は日本を捨ててフィリピンに逃げたから、そんな他人事のように書けるんだ、と言われるかも知れません。しかし私は、日本の年金システムを維持するため、30年近くに渡って、相当な金額を支払ってきた者の一人。

65歳を過ぎて、いざ年金受給の権利を行使しようとなって年金破綻になれば、老後の死活問題。自分のことだけではなく、不幸になってほしくない家族・親戚、友達も大勢日本に住んでいます。

今日は怒りにまかせて書き始めたものの、途中から何とも救いのない投稿になってしまいました。


2018年7月20日金曜日

フランス代表GKはフィリピン人

実は私、大学生の頃には一時期サッカー部に所属しておりました。と言って、上手いわけでもなく、卒業前に辞めちゃった不良部員。

そんな経緯で、サッカーにはそこそこ興味もあったけれど、最近の日本のサッカーは、ピッチ外での選手や監督の報道が少々鬱陶しい。特に移住してからは、変なナショナリズムを応援に持ち込む風潮もあって、やや敬遠気味。過熱するサッカー騒ぎに、嫌気がさしておりました。

フィリピンでは、バスケットボールやバレーボールに比べると、サッカー人気はそれほどでもない。義弟が趣味でやってたり、隣街の州都バコロドに本拠を置く、プロチーム(フィリピン・フットボール・リーグ)のセレスが時々試合をしてますが、ワールドカップで盛り上がったという話は、あまり聞かないですね。

そしてフランスが、20年ぶりに優勝して終わった2018年大会。フィリピン人の友達から聞いた話では、何と、そのフランス代表のゴールキーパーが、フィリピン人だというのです。

ほんまかいなと思って調べてみたら、第3の控えながら、アルフォンス・アレオラという、フィリピン人を両親に持つ25歳の選手が、ちゃんと登録されてました。英語版ウィッキペディアによると、フランスとフィリピンの二重国籍を持ち、6歳からサッカーを始めたとのこと。


出典:Daily Star UK

2013年のU20ワールドカップのトルコ大会で、決勝で3本のペナルティキックを止めて、優勝に貢献。現在パリ・サンジェルマンFCに所属するプロ選手で、なかなか素晴らしい経歴。フィリピンでも、ナショナルチームに参加する資格があるそうです。

改めて今大会でのフランス代表の顔ぶれを見ると、レギュラーにも移民系と思われる人が多いですね。20年前の主力メンバーだったジネディーヌ・ジダン選手も、アルジェリアからの移民の子供。「北アフリカ移民の星」と言われました。

だからと言って、フランスがことさら移民に優しいかどうかは分かりません。19世紀後半に人口が大幅に減少し、主に北アフリカからの移民を大量に受け入れたフランスでは、ざっと人口の10人に1人が移民。それに全国民が無条件に賛同しているわけではなく、今でも「移民が多すぎる」との声があるらしい。

サッカーのフランス代表にしても、移民系の選手が多いのは、単に実力のある人がたまたまそうだっただけでしょう。移民に対する差別や偏見が皆無とも思えないけれど、少なくとも出自に関係なく、実力次第で国の代表になれる社会を作ったことは、賞賛に値すると思います。

さらに有史以来、中国系、インド系など、多くの移民で成り立ってきた国フィリピン。前大統領のベニグノ・アキノ氏は中国系で、結果的とは言え、スペインの血や文化も大量に入っている。そして現在も外国人との結婚に、ほとんど抵抗感がないお国柄。ネグロスの我が家にも移民の子供が一人おりますな。

翻って我が母国を思うと、移民政策に関しては、フランスやフィリピンに学ぶことはたくさんある。労働力も総人口も減っていく、防ぎがたい現実を直視すれば、今や移民を認めないわけにはいきません。

ここまで追い詰められいるのに、国外から労働者には来て欲しいけど、定住されては困るなんて、都合のいいことを言ってる日本の為政者。相変わらず難民はほとんど受け入れないし、入国管理局の外国人の扱いなんて、もう非人道的なレベル。一般国民にしても、「在日」を蔑称に使う輩が、リアルでもネットでも野放し。

このところテレビなどで活躍する、日本・フィリピンのハーフタレントも、子供の頃に差別やいじめの経験者ばかり。直近では、ミス・ユニバースの日本代表に選ばれた宮本エリアナさんが、日本国籍で完璧な日本語を喋り、日本の文化も当たり前に理解しているにもかかわらず、ハーフというだけで、日本代表にふさわしくないなんて言われました。

因みに2015年のミス・ユニバースの栄冠に輝いた、フィリピン代表のピア・ウォルツバックさんは、お父さんがドイツ人で生まれもドイツ。エリアナさんの代表選出に文句を言った人たちは、知らないだろうなぁ。

もう「純粋な日本人」なんて幻想は、捨てるべき。日本人そのものが、大陸や半島からの渡来人の末裔なのは、遺伝子を調べれば分かることだし、明治以前の先祖がどこから来たか、ちゃんと分かってる人の方が少ない。いい加減に、せめてフランスやフィリピン並みの常識は、身に付けましょうよ。


2018年7月19日木曜日

ちゃんと調べて書かんかぃ 【追記】あり


ここ数年、ドゥテルテ大統領の派手な言動のせいもあって、フィリピンに関する日本語の記事をネット上でよく見かけます。また英語留学でネグロス島を訪れる若い日本人が増え、その体験談の投稿も珍しくない。

フィリピン在留邦人として、またネグロス在住者としては、この国や島のことを、良いことも、そうでないことも、一人でも多くの日本人に知ってもらえるのは喜ばしいこと。その意味で、私も毎日せっせとこのブログを書いているわけです。

ただ、事実関係や文言、数字などの間違いは、どうにも頂けない。例えば、英語の勉強でネグロスに滞在した若者が、シライについて書いたブログ。とても好意的にシライの紹介をしてくれるのはいいけれど、「シライは東洋のパリと呼ばれて...」なんて記述。

それは「ネグロスのパリ」Paris of Negros のこと。この呼称、ネグロスではよく見聞きするし、シライ市の公式サイトで使ってるぐらいなので、地元の人には有名なキャッチフレーズ。これを堂々と間違えるのは、かなり恥ずかしい。

東洋のパリと言えば、ベトナムのホーチミン(サイゴン)や、カンボジアのプノンペンでしょう。かつては仏領インドシナだったベトナムとカンボジア。美しい街並みを見たフランス人が、そう言い広めたのかも知れません。

また山間部のパタッグ地区は、太平洋戦争中に多くの日本兵が飢餓や病気で命を落とした場所。投稿の中でその事実に触れるのは感心ながら、「何十万人の日本兵が、ここで戦死して...。」と大間違い。

当時ネグロスに駐屯していた日本の軍属は、約1万4千人だと言われています。そこにいたより大勢の人が死んだことになっている。おそらくこれは、フィリピン全土での日本人戦没者がおよそ50万人という数字を、ごっちゃにしてしまったんでしょう。

ネグロス島の、しかも州都でもない地方都市のシライなんて、日本では名前さえ知る人は少ない。でもだからこそ、そこについて書くんだったら、細かいことまで注意するべき。たとえ素人の投稿でも、それは最低限の心がけ。

こんな初歩的なこと、ちょっとググればすぐに分かるはず。手前味噌ながら、私がこのブログを書く時は、ずいぶん下調べしてるんですよ。日本語で書かれたものとしては、数少ないネグロスやシライの情報源なので、これからネグロスに渡航しようとする人が、結構高い確率でアクセス頂いている。やっぱり責任を感じます。

さらに、プロの記者が書いた文章でも、時々ひどいのを見かけます。その一つが、日本人男性と結婚して18年、子供を3人産んで、夫の暴力と貧困に苦しむ在日フィリピン女性の話

これを読んだ、日本に長く住むフィリピン人の女友達によると、日本語を覚えるでもなし、受けられるはずの日本の行政支援について、何にも知らなさ過ぎだと、憤るような記事。まぁ30年も日本で暮らして、たくさんの同胞を支援をしてきた立場からすると、あまりに依頼心が強く、自立することができないフィリピン人に対して、苛立ちを感じるんでしょう。

そんな突っ込み所満載の内容だけならともかく、「フィリピンには離婚の概念がない」「一夫多妻が認められている」「日本では興行ビザの制度が廃止された」と、事実誤認のオンパレード。誤認どころか、意図的に嘘を吐いているんじゃないかと、呆れかえってしまいます。

確かに離婚(Divorce)は法的には認められていなくても、別居〜事実上の離婚〜(Separate)は多い。最初の配偶者や子供とは別に、新しいパートナーと暮らし、普通に子供も作っている人はいくらでもいます。また一夫多妻なんて噴飯物。フィリピンには、(建前上は)厳格な一夫一婦制を守るカトリック信徒が、人口の8割もいるんですよ。

興行ビザも、アメリカ政府からの人身売買だとの批判を受けて、フィリピン人への発給はかなり制限されてますが、制度自体は今だってちゃんとあります。

人様に読んでもらうつもりで、ネットで自分の文章を公開するんだったら、ちゃんと調べてから書かんかぃと、ドヤしつけたくなる。こういうことをするから、間違った知識に基づいて、ネット上でデマを拡散する人が出てくるんでしょうね。

それでなくても、何かと日本でのイメージが悪いフィリピン。フィリピン人に接したり、フィリピンに渡航・居住する人は、ある意味、日比の架け橋になる。ネット上での発言には、もう少し慎重になってほしいものです。

【追記】
日本人弁護士で、フィリピンの法律に詳しい方から、フィリピンでもイスラム教徒に限り、複数の妻を持つことが許されているとの指摘をいただきました。私こそ、ちゃんと調べて書かないといけませんね。申し訳ありません。

ただ、問題の記事では、人口の10パーセントに満たないイスラムの人々にのみ認可という背景には、一切言及がなかったので、やはりこの書き方では、徒らに読者の誤解を招くだろうと思います。


2018年7月18日水曜日

ブログで学ぶイロンゴ語「月と曜日はスペイン語」


先週予告した、フィリピン・西ネグロスの方言イロンゴ語の学習。第一回目は、イロンゴでの月や曜日などの表現についてです。

約400年前、スペインに占領された時に入ってきた週の概念は、今でもスペイン語そのまんま。これはイロンゴだけでなく、公用語のフィリピノ語(タガログ)と完全に共通。

週 Semana セマナ

月曜 Lunes ルネス
火曜 Martes マルテス
水曜 Miyrkules ミェルクレス
木曜 Huwebes フウェベス
金曜 Biyernes ビェルネス
土曜 Sabado サバド
日曜 Domingo ドミンゴ

綴りはスペイン語と微妙に違ってたりしても、ローマ字表記っぽいので、かえって日本人には読みやすい。書いてある通りに読めば間違いなし。まぁ日本語の日月火...も、中国経由とは言え、その元をただせば同様の月や太陽、惑星の名前から由来。関連さえ知っていれば比較的容易に覚えられます。

月=ルナ、火星=マース、水星=マーキュリー、木星=ジュピター(スペイン語では「J」の発音は「F」音になる)、金星=ビーナス、土星=サターン、日曜だけは太陽のサン/ソルではなく、ラテン語で安息日を表すドミニカが語源。

因みに、フィリピンでのカレンダーは、週の最初が日曜が一般的。これはスペインではなくアメリカに倣ったんでしょう。月曜始まりのものに慣れていると、最初は戸惑うかも知れません。

月(Moonじゃなくて1年を12に分割するMonth)は、ネグロスで元から使っていた言葉  Bulan ブラン。しかし各月の名称となると、やっぱりスペイン起源。

1月 Enero エネロ
2月 Pebrero ペブレロ
3月 Marso マルソ
4月 Abril アブリレ
5月 Mayo マヨ
6月 Hunyo フニョ
7月 Hulyo フリョ
8月 Agosto アゴスト
9月 Setyembure セティエンブレ
10月 Oktubre オクトゥブレ
11月 Nobyembre ノビェンブレ
12月 Disyembre ディシェンブレ

英語に似ているので、こちらもそんなに難しくはないでしょう。

ついでに年・日時表記。

年 Tuig トゥィッグ
日 Adraw アドラウ
時間 Oras オーラス
分 Minutos ミヌトス
秒 Segundo セグンド

時間以降の細かい区分はスペイン語由来。400年前には、年と日だけで十分な生活をしてたんでしょうか。口の悪い人にかかると、時間を守れないフィリピン人は、今でもそうだと言われそうですが。

日を重ねて日々、Adraw adraw アドラウ・アドラウとすれば「毎日」の意。これはタガログのAraw araw とほぼ同じ単語と用法。フィリピンは言葉を繰り返す言い方が多いですね。

「何時?」と訊くには、Ano oras? アノ・オーラス?と言えば通じます。

という具合に、ちょっと齧っただけでも、イロンゴへのスペインの影響が、いかに大きいかを実感。でも考えてみれば、現代日本語の外国語への依存度合いの方が、それ以上とも言えます。やまと言葉だけでは、ちょっとした会話も文章も成り立たないぐらい、漢字やカタカナ英語の使用は骨がらみ。

本家の英語にしたところで、実はフランス語からの借用が約1万語もある。若い者は正しい自国語を喋れず、外来語を混ぜて伝統を壊している、なんて世界中どこでも、年寄りの愚痴は大昔からありますが、これは実にナンセンスな話。

フィリピンでも日本でも言葉は生き物。好むと好まざるに関わらず、変わっていくものなんでしょうね。


2018年7月17日火曜日

フィリピンが避暑地?


昨日(2018年7月16日)は、日本各地の最高気温が軒並み35度以上を記録しました。岐阜や京都では38度以上の、聞くだけで気が遠くなりそうな猛暑。

私が日本にいた頃、すでに夏場の度外れた暑さは常態化。大阪府下でも、7月の中旬というと最初の熱波が到来する時期。ただ気温が高いだけでなく、昨日は場所によって、30度以上が12時間も続いたそうです。大阪では夜9時になっても真夏日が継続。

それとは逆にフィリピンでは、6月以降、雨の多い季節に入り、7〜8月のネグロスは、自宅でエアコンを使う必要はほとんどないし、夜間など扇風機でも涼しすぎるぐらい。降り方が日本でのゲリア豪雨レベルの時は、必ずしも快適とは言えないけれど、日本の状況に比べれば、天国と地獄。

もう冗談じゃなく、この時期のフィリピンは、バギオなどの山間部じゃなくても、日本からの避暑地になるぐらいの気温差。特に緑の多いネグロス島に来たら、飛行機で4〜5時間の距離で、同じ北半球なのにこれほど違うのかと、驚かれるかも知れません。

ここシライでは、昨日の昼過ぎから、まるで台風でも近づいているのかと勘違いするような、強風を伴った雷雨。夕方にはほぼ止んだものの、就寝時には窓を閉めないと風邪を引きそう。もちろん扇風機も不要。終夜カエルの大合唱でした。

ところで日本では、いくら暑くなっても、子供たちが炎天下でのスポーツを強制されてるんですね。常識で考えて、最高気温が35度前後になるようだったら、試合の中止か順延を考えませんか? 子供が死にますよ。

実際、学校の授業で生徒が熱中症で亡くなったというニュースを、時々見聞きするので、まったく取り越し苦労ではありません。夏休みのクラブ活動など、朝から夕方まで厳しい練習をさせてるんだから、現場では相当ひどいことになってると、容易に想像がつきます。

相変わらず高校野球も真夏の一番暑い季節・時間帯に開催されてる。甲子園に出場経験のある友人によると、摺鉢の底のようなグラウンドでは、球場の外より確実に暑いし、観客の熱気でさらに体感気温が上がるらしい。プロでも、この時期はナイターが普通なのに。

日本の教育関係者って、どうしてこんなに柔軟性がないんでしょう。ナイターができないなら、秋にするとか。多分、会期中に死者が出るまで放置なんでしょうね。そして2020年の東京オリンピックも、なぜか真夏に開催。

それでなくても、いろんな意味で日頃からストレスに晒されている日本の子供たち。やっと夏休みになったと思ったら、いじめのように大量の宿題は出る上に、35度以上の暑さの中でスポーツをやらされるって、可哀想すぎる。

フィリピンでは子供を甘やかせ過ぎると言われますが、この国で子育てしている親としては、むしろフィリピンの感覚がマトモで、日本は、親や教師がグルになって児童虐待している異様な国に見えてしまいます。


2018年7月16日月曜日

パッキャオの日曜日


出典:news.com.au

一度は引退を宣言したり、長いことノックアウトでの勝利がないことから、もうそろそろ限界じゃないかと思っていた、フィリピンの英雄マニー・パッキャオ。昨日(2018年7月16日)の試合では、2009年のミゲール・コット戦以来、久々のTKO(テクニカル・ノックアウト)でWBA世界ウェルター級チャンピオンに返り咲きましたね。

移住前は、私もかなり熱心にパッキャオの試合をチェック。特に、劇的な一発KOで有名になった、リッキー・ハットン戦には大興奮。この時すでに、世界で二人目、アジア人としては初めての6階級制覇を成し遂げていました。

ただ、ネグロスに移住した5年前辺りからは、前述の通り、KOですっきり終わらせるフィニッシュが見られなくなり、試合間隔も年に1〜2回程度。特に2015年のフロイド・メイウェザーに判定負けした時は、素人目には、最初から最後まで様子見のような展開で、正直ガッカリ。

フィリピンでは、まだまだ人気はあるようですが、ここ何試合か、私が生放送を見ることもなくなりました。

そして昨日。実はパッキャオの試合があることをすっかり忘れて、いつものように教会で日曜の朝のミサに与り、そのまま隣街のアヤラ・モールへ食事と買い物。ミサも途中の道路も、いやに人や車が少ないなぁ、となってから試合当日だと気づく始末。

依然として「パッキャオ伝説」は健在なんですね。彼の試合がある日は、渋滞はなくなり犯罪率も下がるという、あれ。

とはいえ、全盛期に比べると、やや陰りが見えてきた感じは否めません。日本食材を買いに来た大手スーパーマーケットも、そこそこはお客さんはいたし、髪を切ってもらった美容院も、ガラ空きというほどではなかった。

考えてみれば、パッキャオのプロデビュー1995年からすでに23年。初めて世界チャンピオンになった2001年からだけでも17年が経過しています。さすがの英雄も、来年40歳ですからねぇ。そのタイミングで、またもやチャンピオンベルトを手にしたと思えば、ちょっと信じられないぐらいの偉業。

以前ほど熱心にパッキャオの試合を見ることはないけれど、フィリピンにお世話になっている外国人としては、少しでも長く現役の英雄でいてほしいと思う次第です。


2018年7月15日日曜日

資産価値が上がる家


前々回、フィリピンの戸建て住宅は、建てることも大事だけど、メンテナンスはもっと大事という投稿をしました。実は我が家のメンテナンス、今また工事の真っ最中。

今回のは、水が漏ったとか、どこかが壊れて修理ではなく、小規模なリノベと呼ぶべき案件。フィリピン独特のキッチンスタイルで、昔の日本ならば「土間」に相当するような、ダーティ・キッチンに手を加えてます。

最初の設計では、盛り込まれいなかったダーティキッチン。「汚れた台所」とはすごい名前。これは、煙や臭いのある調理や、ホームパーティでたくさんの洗い物が一度に出る時のための、半分屋外の補助キッチンみたいなもの。

自宅の着工前、移住後1年間住んだ借家での経験から、網で魚を焼いたり、あるいはメイドさんに料理や洗い物を手伝ってもらうには、やっぱりこれは便利と気付き、かなり直前になって急遽プランに付け加えました。

そんな経緯だったので、ちょっとやっつけ仕事になってしまい、屋根はスチール瓦を葺かず、コンクリートで急拵え。広さは2畳分ぐらいだし、まぁいいか。

ところが外観がもう一つだし、軒幅は30センチぐらいしか取れず、強い雨だと盛大に吹き込んで来る。それだけではなく、1年経ってからダーティキッチンの傍に設置した発電機。面倒なことに、落雷に伴う停電時には、土砂降りの中を傘を片手にエンジンを掛けなければいけません。

そこで、ずいぶん長い事考えた末、竣工4年目の今年、ダーティ・キッチンに1.2メートルの少し深めの軒を設けるため、屋根を増設してもらうことにしました。工事を請け負ってくれるのは、例によって我が家の守護神、大工のアントニオくんとその仲間。

もうお互いによく知っているので、私が自分で描いた図面...というより走り描きのスケッチみたいなもので発注。日本だったら絶対にできない気軽さ。しかもこの絵一枚で、鉄骨の組み方や軒天井の取付け方法など、頭の中で暗算。見積もりもしてくれるし、材料もちゃんと買って来てくれるのがすごい。


フィリピンの場合、初めての大工だったら、現金渡して材料を買ってもらうなんて、まず恐ろしくて無理。持ち逃げはしないまでも、質の悪い品を掴まされたり、思っているのとは全然違うものを買ったり。もうアントニオ様々です。

というわけで、工事が始まって約1週間。私のイメージ通りに、ほぼ骨組みが出来上がり。次はトタンを張って、石膏ボードの軒天井。同様の仕事を2階のベランダ屋根で一度お願いしているので、頼んだ方も先が読めて気が楽です。




下に見えている、お地蔵さんの
祠みたいなのが発電機の囲い

日本では建築関係の経験は皆無でも、電気製品のデザイナーだったので、簡単な図面ぐらいは描けます。作り手が理解しやすように、完成形状を伝えることが主眼。正式な建築図面は描けなくても、勘所はだいたい分かる。意外なところで昔の知識が役に立つもの。

オーナー自らが絵を描いて発注することはないにしても、フィリピンの住宅は、小まめに手を入れてメンテナンスやリノベをすれば、通常は何年か住んでいる方が、資産価値は上がるようです。要するに、初期不良が出て当然のフィリピンの施工。出来てすぐの方がリスクが高いということらしい。

だいたい、どんな住宅でも新築の値段が高くて、時間と共に資産価値が下がる一方の日本が特殊。欧米では、何年も使われている住宅は、それだけ堅牢で、住みやすく手直しされていると考えるのが一般的。立地が良くて、手入れが行き届いていれば、購入時より高く転売できるのは、珍しいことではありません。

今のところ我が家は、少なくとも私が生きている間に売るつもりはないけれど、状況が変わったり、子供や孫の代になってから売るとなっても、安値で買い叩かれることがないよう、無理のない範囲で居住性の向上を目指したいですね。


2018年7月14日土曜日

私的フィリピン美女図鑑 白鳥のジュン

今日の美女図鑑は、タツノコプロの伝説的名作「科学忍者隊ガッチャマン」から、G3こと、白鳥のジュンさんにお越しいただきました。

タツノコプロの美女をイラストにすると言うと、「ヤッターマン」のドロンジョさまの方が人気かも知れませんね。最近の実写映画では、深田恭子さんがこの悪女を演じて話題になったりしました。確かにドロンジョの方が肌の露出度は高いし、見るからに大人のセクシー美女。

私の好みからしても、決して悪くはないんですが、肩や太腿全開なのに、顔半分をマスクで隠してるんですよ。一応「フィリピン美女」なので、顔が見えないと、フィリピン人か日本人か分かりにくかなぁと思って...。

それはさて置き、ガッチャマンについて。
吉田竜夫さん率いるタツノコプロ制作で、1972年に放送が始まったこの作品。よく間違われるガッチャマンとは、科学忍者隊のチームではなく、リーダーの大鷲の健、一人の名前。当初はシリアスなヒーローではなく、ギャグ漫画の主人公みたいだと言われたものです。

ところが番組が大ヒットして、2年ものロングランになると、そんな批判は雲霧消散。続編や劇場向け映画も公開され、40年以上経った今でも、タツノコプロの代表作と言ってもいいでしょう。

原作の吉田竜夫によると、科学忍者隊の5人のメンバーは、主役・主役のライバル・女性・子供・大男の、作劇上の典型的チームパターンを当てはめてんだそうです。今だったら、女性が二人以上とか、主役が女でもいいかも知れませんが、当時はそういうものだったんでしょうね。

その紅一点、白鳥のジュン。1970年代の流行だったとは言え、立ち回りの多い役なのに、なぜかミニスカート。白いパンティを見せて、敵役を蹴り上げる姿は、ガッチャマンのキービジュアルの一つになるほど有名。

今回も、よっぽどそのシーンを描こうかと思ったけれど、最近「美女シリーズ」は、結構リアルなタッチになってきたので、さすがに自粛。なんでそっちにしないんだと、マジ切れされるかも。


毎度のことながら、ずいぶんと悩んで試行錯誤。結局ポーズは大人しめに抑えて、容貌は有名なフィリピンの女優とかモデルではなく、ちょっとラテンっぽくて童顔な女性にしてみました。描いた本人としては、結構気に入ってるんですけど、いかがでしょうか?


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年


2018年7月13日金曜日

建てるよりメンテナンス


この先何十年かは、労働人口がどんどん減少していく日本。あちこちから指摘されているように、年金の財源は先細りの一方で、高齢者は増えていく。大幅に規制を緩和して、単純労働者を含む移民を大規模に認めるなど、思い切った政策を打たない限り、事態の改善は望めない。

今私がもし、20〜30代だったら、非正規雇用などの低賃金と、下手すれば自殺のストレスに耐えるより、海外に活路を見出すことでしょう。国内に住民票がなくなれば、税金や年金、健康保険も、支払い義務は消滅するので、若年の海外移住者が増えれば、いよいよ日本はジリ貧。私を含む、多く高齢者は、さらに厳しい生活を強いられるのは間違いありません。

やたら深刻な書き出しになって恐縮ながら、そうなると目減りした年金の受け取り金額でも、ある程度余裕のある暮らしを、と考えたら、やはり相対的に物価の安い外国へ、というのも有力な選択肢の一つ。もちろん誰でもできる事ではないけれど、潜在的な移住希望者はかなりの数でしょう。

フィリピンの場合、マニラ首都圏では日本並みに諸費高騰ながら、地方都市ならまだ望みがある。つまり我田引水、現在の私のネグロス暮らしのこと。

50〜60代で移住して、まず考えるのは自宅の新築。コンドミニアム(マンション)で十分な人もいますが、日本人でこの世代なら、一戸建て持ち家願望は大きいもの。何しろネグロスならば、場所によっては土地代も含めて1千万円もあれば、相当な家のオーナーになることも夢ではありません。

因みに我が家は、15年前に約200万円で600平米の宅地を購入。4年前に約800万円で2階建て、総床面積200平米の自宅を新築しました。今はもっと高くなっているにしても、日本に比べれば、まだまだ格安。

そこまでは容易に想像できる。問題は、その後30年も40年も続く家のメンテナンス。建設時に、水周りや配線関係を注意深く見ていても、やっぱり2〜3年もすれば、何かと不具合が出てくるフィリピンの住宅。住んでみて、やっぱりこうしたいという、ちょっとしたリノベ要望も出てくるでしょう。

我が家の場合、軽度の水漏れは年に1回ぐらいあるし、大きいところでは、完全オープンだった2階ベランダが、階下への雨漏りがひどくなって、竣工の翌年、広さ20畳ぐらいの大屋根を敷設。また、最初に設置した既製品のシャワーブースが粗悪品で、1階のトイレ・浴室のプチ・リノベなどなど。平均すると、1年に10〜20万円程度の改修費用は見込んでおくのは必須。(それでも日本に比べれば安い)

そして何よりも大事なのは、頼りになる大工さんや、電気・配管工の確保。フィリピンで、仕事ができて金銭的にも信頼できる職人さんって、本当に貴重な存在。安いからと頼んだ電気屋が、工事のライセンスがないモグリ業者で、雑な仕事の挙句に漏電して火事、なんてことが起きてしまう国。材料費を先払いしたら持ち逃げしたり、建材屋とグルになって割り増し請求という話も聞きます。

幸運にして我が家の場合、市役所で建築関連の仕事をしている義弟から、とても真面目な大工さんたちを紹介してもらいました。今でも大工のアントニオ、電気工のサルディたちとは、付き合いが継続。リノベをしたいけど、身近にロクな大工がいないと困っている、隣街在住の日本人の友人に、彼らを紹介したり。

というわけで、日本脱出の機会を虎視眈々と狙っている、潜在的フィリピン移住希望者の皆さま。めでたく移住が叶って、現地で念願の自宅新築の際には、半年やそこらは掛かっても、メンテナンスのことも考慮して、末長く信頼できる大工・電気工・配管工を探すことから始めましょう。


2018年7月12日木曜日

ブログで学ぶイロンゴ語「予告編」


フィリピンは5000とも8000とも言われる、大小の島からなる島嶼国家。微妙な差を含めると、島の数だけ言葉があるそうです。

それは大げさにしても、ざっと数えただけで85〜87。公用語の英語・フィリピノ語(タガログ)以外の主要なものだけでも、セブアノ、イロカノ、イロンゴ(別名ヒリガイノン)、ワライ、ビコール、カパンパンガン、パンガシナン、マラナオ、タウスグ、マギンダナオ、キナライ・アの11言語も。

それぞれは、重複する語彙はあっても、相互理解が難しいほど異なる。私の住むネグロスの西側を含む西ビサヤ地方では、イロンゴが母語となります。(イロン語じゃなくて、イロンゴ語。間違う日本人が多いんですよ。)

ビサヤ語という言い方もあって、これはセブアノやイロンゴなどのビサヤ全域の言語をひとまとめにした呼称。正しくはビサヤ語群と表現するべきでしょう。

フィリピンに住むのなら、公用語のタガログ語を勉強するのが本流ながら、たまたま住み着いたのがネグロス島。意外とタガログが下手な人が多い。なので、親戚や友達と喋ったり、買い物するには断然イロンゴが便利なんですよ。イロンゴを母語とするフィリピン人は200万人もいるそうですし。

ということで私にとって、日本語、英語に続いて、日常会話ができる程度に話せる第3言語は、イロンゴ語にしようと思ってます。思ってはいるんですが、なかなか学習が進まない。やっぱり50歳過ぎてから、まったく別の言葉を習得するのは、かなりの難度。

誤解してる人が多いので敢えて書きますと、外国に住んでいるだけで、その土地の言葉ができるようにはなりません。当たり前のことながら、中学で英語を始めたのと同様のお勉強が必要。しかもタガログと違って、日本語で書いた辞書も参考書も皆無のイロンゴ。

さらに言い訳っぽくなりますが、よっぽど貧しくて、小学校も行けなかったような人でもない限り、誰でも英語ができるフィリピン。どうしても困ったら、英語で何とかなってしまうんですよね。

それにイロンゴ話者同士の会話でも、英単語はいっぱい使うし、時にはワン・センテンス丸ごと英語が入ったり。無理しなくても、大まかな話の筋が分かることもある。家内との意思疎通も、相手が日本語を覚えるまでは、英語一本でしたからねぇ。

そんな感じで、移住して5年が経過し、このままズルズルとなるのも少々悔しい。そこで、このブログを活用したら、ちょっとでもやる気がでるんじゃないかと、思いついた次第。

毎回ではなくても、週に一回ぐらいのペースで、一まとまりの単語や文法などを、少しづつ解説して2〜3年も継続すれば、ちょっとしたイロンゴの参考書ができるかも。有り体に言えば、順調に老化しつつある私の脳を補う備忘録。

フィリピン美女のイラストほど、読者の興味を引くものにはならないでしょうけど、怠け癖がついた自分の尻を叩くために、しばらくは頑張ってみようかと考えております。どうか皆さま、暖かい眼差しで見守ってやってください。よろしければ、イロンゴについての質問とか頂ければ、それをネタにもできますので、よろしくお願いします。


2018年7月11日水曜日

進化する一体型エアコン

先月、隣街の州都バコロドにあるショッピングモールで、まとめて3台大人買いしたエアコン。約1ヶ月かかって、先日ようやく取り付けが完了しました。

日本なら、購入した電気屋さんが取り付けるのが当たり前で、タイミングが良ければ、買ったその日にすぐ涼しい。ところが、ここフィリピンのネグロス島。電気屋は売るだけ。さすがに配達はしても、それは有料。

電気屋で工事業者を紹介してくれる所もありますが、知らない業者さんだと、時間はかかるし仕上がりは雑、しかも高いと、三拍子揃ったスカタンだったり。さらにその業者は壁に穴を開けるだけで、配線工事は別。

こんな感じなので、4年前に家を建ててくれた時から昵懇にしている、大工さんや電気工に頼まないと、危なくって仕方がない。我が家の場合は、大工のアントニオに、電気工のサルディーが守護神みたいな存在。

でも、頼りになるだけあって、他所からも引っ張りだこ。いつも忙しくて中々捕まらないんですよ。ちゃんと仕事ができて、金銭的にも信頼感がある職人は、フィリピンでは本当に貴重。というわけで、彼等の都合を待っていたら、1ヶ月掛かってしまいました。

アントニオは、相棒のマーロンを連れての二人作業。それでも50センチ×40センチの大穴を、コンクリートの壁に開けるには1日ひとつが限度。その部屋は一旦家具を全部出して準備しないと、粉塵だらけになるし、受け入れる側もそれぐらいのペースじゃないと無理。

1日かかるのは、もちろん穴あけだけはなく、モルタルでの仕上げや、盗難防止のカバーを鉄筋溶接で手作りしたりの手間を含みます。多分、しょっちゅうこれをやってるんでしょうね。ずいぶん手際のいい仕事振り。


周囲の額縁は3台一括購入で無料


3日ががりでエアコン設置が済んでも、今度は電気工のサルディーが忙しい。しかも携帯番号をコロコロ変えてくれるから、連絡も取れず数日待ち。結局、全部完了まで丸1週間となりました。

さて、念願かなって私の書斎にもエアコン完備。そもそも当初は、二体型のセパレートのつもりで電源を配置。しかし、二体型と一体型の価格差が思ってたよりもすごい。一体型なら3台で8万円程度が、二体型だと20万円オーバー。2〜3倍近い。これは「もったいない」が口癖の家内でなくても、考えてしまいます。



2階ベランダのものは
カバーなしですっきり設置

そんな経緯で、最初の電源をコードを延長して位置変更。モールで隠してもらっても、やっぱりちょっと不細工になってしまった。まぁ仕方ないか。

ちなみに、この価格差を見ても分かるように、フィリピンではまだまだ一体型が売れ筋の主流。日本のように冬場の隙間風を心配する必要がなくて、壁に穴を開けることに、抵抗感が少ない。

それにしても、一体型=旧式との思い込みを見事に払拭した、日立製のエアコン。二体型より熱効率が良くて電気代が割安の代わりに、直付けなので室内がうるさいのは、もはや旧世代のこと。今や、二体型と遜色のない静けさです。やっぱり売れ筋商品なので、メーカーも日夜改善に努力してるんでしょうね。

これは移住直後の5年前に買った、夫婦の寝室用のエアコンも買い換えたくなります。昼間だったら気にならなくても、オフタイマーで寝入り端に使う時は静かな方がいいですからね。家内の決済は絶対下りないでしょうけど。


2018年7月10日火曜日

洪水で広がるレプトスピラ症

2週間ほど前に、マニラでは洪水が多く、悪臭を放つ河川や下水からの水が溢れてくるという投稿をしたら、その汚水から広がる病気の感染拡大情報が、在マニラの日本大使館からメールで送られて来ました。

レプトスピラ症という感染症、私は初めて聞く名前。
ネズミ、犬や猫の、フィリピンではあらゆる場所にいる動物に寄宿する、病原性レプトスピラ(細菌)が、尿中に排出され、それに触れたり、汚染された飲食物を口にしたことにより、人間に感染するというもの。

東南アジア諸国、特にタイでは、7〜10月の雨の多い季節を中心に、数千人規模の患者が出ている。そして今年の雨季、フィリピン保健省がマニラ首都圏などでの、感染拡大を宣言したというわけです。

症状は、風邪・頭痛・腹痛などの風邪に似たものから、重症だと黄疸や出血を伴う「ワイル病」(黄疸出血性レプストピラ)となって、死に至ることも。

読むだけで、いかにもヤバそうだし、熱帯特有の恐ろしい病気だと思ったら、実は40年ほど前まで、日本でも年間50人以上の死者が。古くは「秋疫(あきやみ)」「七日熱(なぬかやみ)」「用水病」と呼ばれ、今でも下水道工事従事者や、畜産関係者の職業病なんだとか。全然知りませんでした。

普通に考えて、洪水に浸かったりしたら、体に良くないのは当たり前だとは思ってましたが、やっぱり相当危険なことになるんですね。マニラに比べれば、ここシライはそれほど洪水は多くないけれど、自宅前の道路に、たまにくるぶしぐらいまで水が来ることもある。

ネズミもいるし、ヤギや水牛もいる。犬・猫なんて、ひょっとすると人間より多いんじゃないかというぐらい。これは本当に気をつけないと。

そう言えば、我が家の新しいメイドのライラおばさん。料理の手伝いで野菜のカットを頼んだら、キャベツでも白菜でも、すごく念入りに洗います。もちろん私もやりますが、そこまで一生懸命にはしないというぐらい。

メイドさんだけではなく、家内にしても、買って来たバナナや卵を洗剤で洗ってるなぁ。やっぱり熱帯のフィリピンで生まれ育つと、そんな習慣は、小さい時から叩き込まれるものらしい。実際に、感染症で亡くなる乳幼児が多いですからね。

【追記】
レプトスピラを知ってるかとライラに訊いたら、旦那さんが子供の頃、従兄弟が犬からの感染で亡くなったんだそうです。恐ろしい...。


2018年7月9日月曜日

フィリピンから英語教師を呼ぼう


3回連続の外国語習得についての投稿です。
今日のテーマは、わざわざ外国に住まなくても、外国語の習得はできるというお話。

私にしても、働き始めて業務上の必要から英会話を本気で学ぶ前は、ある程度の会話力は、アメリカやイギリス、オーストラリアなど、英語を母語にする人がいっぱいの場所に引っ越さなければ、身につかないだろうと思い込んでました。

今考えてみれば、これは日本の悪しき英語教育による一種の洗脳。英語に限らず、本来なら好きな人には面白くて堪らないはずの学問でも、徹底的に暗記モノに変換して、味も素っ気もない事務仕事みたいにした結果。

私が高校生だった頃は、宝塚歌劇にもなった「ベルサイユのばら」が大流行り。世界史でフランス革命についての試験の時だけ、ベルばらファンの女の子たちの得点が異常に高く、先生が苦笑いしてたことがあります。

つまり、興味が持てる内容や好きな事柄だったら、誰だって自発的に勉強するものなんですよ。なので、このブログで何度も指摘しているように、英語教師をネイティブか、それに準じる人にして、時間中だけは日本語禁止の会話中心にすれば、ものの半年もしないうちに、多くの生徒が普通に喋るし聞けるようになるのは間違いなし。なぜなら、授業が面白くなるから。

ただし、これをやろうとすると、先生は外国籍の人が増えるだろうし、最低でも生徒20人に教師1人ぐらいの構成にしないと、全員の発言機会を設けるのは難しい。何より、先生の質。これは米英風の発音ができるとかの意味ではなく、生徒を飽きさせない、インストラクターとしての資質をちゃんと備えていることが必須条件。

当然ペーパーテストだけでは採点できず、TOEICのような、聞き取り能力も同時に問う内容にせざるを得ない。要するに手間も金もかかる。だからいつまでも教育方法は変わらないんでしょうね。

逆に言うと、そんな環境を整えれば、わざわざ外国に住まなくても、十分言葉の習得はできるということ。早い話が、最寄り駅前にある英会話学校に行けばいい。最近なら、ネットでオンラインレッスンも受けられる。

でもそれでは続かないという人、それは元々、外国語を身につける差し迫った必要がないから。何となく英語が喋れたらカッコいい、ぐらいの動機だからそうなる。半年後に、仕事の都合で海外駐在、なんてことになったら、多分目の色が変わると思います。あるいは好きになった異性が、日本語が分からない人という状況ならば、必死になって勉強するでしょう。

もっと言えば、子供をインターナショナルスクールに入れる金があるんだったら、フィリピン人の家庭教師を雇えばいい。ホステスを偽装結婚までして日本に連れてくる人がいるぐらいなので、合法的に、ちゃんと教師の資格を持ったチューターをフィリピンから招聘するのは、ずっと簡単なはず。

看護士や家政婦もいいけれど、フィリピン人英語教師を呼ぶことにはもっと力をいれるべき。すでにビジネスとして立ち上げている業者もあるし、日本政府の支援で外国青年招致事業の名の下に、一昨年(2016年)には、28人のフィリピン人教師が日本の小中学校に派遣されました。

ただし学校の場合は、前述のように授業スタイルを変えないと、いくら優秀なフィリピン人を呼んできても無駄。相変わらずメインは日本人教師で、和訳主体の教え方では何の効果も期待できない。

ということで、戦後だけでも70年以上、ひたすら外国語コンプレックスを生み出してきただけの、日本の不毛な英語教育が、いい加減に変わらないものかと、切に願う次第です。


2018年7月8日日曜日

それでも勧める外国語


前回、外国語習得の必要なんてない、とも取れる投稿をしました。日本から出るなんて、たまに遊びに行く以外まったく考えてないし、日本は世界一素晴らしい国で、外国から学ぶことなど皆無、とお考えの方にはその通り。日本語だけの楽園で、死ぬまで暮らせばいいと思います。

嫌味たっぷりの冗談のつもりの書き出しが、本気でそう考えてる人が、少なくなかったりする昨今。サッカー場でゴミを拾ったぐらいで、感動だとか、世界に誇る日本人のマナーだとか、同じことばっかり言ってる人いるしなぁ。

それだけならまだしも、すぐに隣国と比べて、だから奴らはダメなんだ、という理屈になる。こういうのとフィリピンを見下す連中は、だいたいオーバラップしてますね。そんなに行儀がいいんだったら、徒党を組んでマニラに買春しに来たり、海外からの研修生に違法な重労働させたり、在日外国人を罵倒するヘイトスピーチしてるのは、一体どこの国の人間なんだか。

この話を書き始めると、ブログの2本や3本はすぐアップしてしまいそう。今日はそっちじゃなくて、やっぱり外国語を学ぶのは、とっても役に立つというお話。

もちろん、ただ外国語を勉強すればいいのではなく、基本となる母語がきちんと使えて、物事を論理的にも、感覚的にもちゃんと理解し、他者に伝えることができるのが大前提。外国語の能力が、母語より優れているなんて、まずあり得ません。

頭の中の教養すべてが、日本語でできている人は多いだろうし、それが悪いわけでもない。母語が英語の場合、海外に出てもちょっとした盛り場なら英語が通じてるもんだから、外国語音痴が多いぐらい。

そんなモノリンガルのインテリが、本気で外国語を学んだら、目からウロコ、発想の大転換が起こることは確実。

私が英語がそこそこできるようになって、瞬間風速的ながら、会話している時に英語で考える癖がつくと、発言の内容が変わりました。別に白いものを黒と言い換えたりするのではなく、日本語で言うより曖昧さが少なく、明確な表現になるんですよ。(今はすっかり錆び付いてます)

これは常に主語があり、対象の個数や時制がはっきりしないと文章を綴れない、英語(を含むヨーロッパ系の言葉)の特性があるから。3単現のSって、中学の英語で習いましたよね。主語の人称やその数で動詞が変化しちゃうやつ。大学で齧ったフランス語なんて、加えて、主語の性別による変化、さらにはすべての名詞に男と女があるという複雑さ。なんで机が男で、星が女やねん?

19世紀には大英帝国が、20世紀の後半からはアメリカ合衆国が、世界経済を席巻したこともありますが、英語そのものがビジネスに向いていたから、世界公用語的な位置を占めたんでしょう。フランス語を外国語として学ぶのは、英語と比べて大変過ぎます。

また、日本語ではニュアンスぴったりの訳語がない表現も多いし、その逆に英語で言いようのない日本的な言い回しも山ほどある。

思考が、使う言語に支配されるものだと、外国語を学ぶとよく分かります。少なくとも、容易に想像できるようになる。なので、外国語で丁々発止のやり取りはできなくても、何かの交渉事をする場合、相手の発想スタイルを理解して、こう言ってもダメだろうとか、この言い方なら受け入れやすいだろうと、出方を読むことができる。

つまり、日本語しか知らないのと、二つ以上の言葉を知っているのとでは、理解度や想像力の幅が段違い。日本のやり方が唯一正しいと、押し付けることの愚を悟れます。そして、日本を外から見る習慣も身につく。私もこのブログで、日本の出来事をフィリピン視点ではどう映るか、という手法をよく使います。

だからと言って、日本語が英語に比べて劣った言語であるわけでもない。私の知る限り、人の感情や自然の美しさを描写するのに、日本語は言葉数も表現方法も多彩。例えば雨を表すだけでも、春雨、五月雨、梅雨、俄雨、天気雨、驟雨...。一説には400もの言い方あるそうです。

要するに、各言語に思考形式の違い(優劣ではなく)がある、と分かるだけでもすごいこと。家内なんて、母語がイロンゴ語(西ネグロスの方言)で、小学校でフィリピノ語(いわゆるタガログ語)と英語をネイティブレベルまで学び、私と結婚してから公文で勉強した日本語は、敬語が使えるほど。私などより遥かに深く広い思考世界を持っているんでしょうね。

面白いことに、喋る言葉によって、性格や顔つきまで変わって見える。私も英語を使うと、たまにそう言われることがあります。

ということで、ペラペラになるほど会話上手にならなくても、身を入れて外国語を学ぶのは、かなり意味がある。本来なら日本の学校では、そういう部分をちゃんと教えないといけない。例えば古文や漢文を英訳してみれば、ずいぶんいろんな発見が、ある筈なんだけどなぁ。


2018年7月7日土曜日

子供をセミリンガルにしたいですか?


日本人は英語が下手、苦手、嫌い...。
昔からずっと言われ続けて耳タコ。もう国民的なコンプレックスになってますね。おそらく戦争に負けて、占領したのがアメリカ軍で、その言葉が英語だった影響も大きいでしょう。

映画もドラマもハリウッド製の英語コンテンツが多いし、相手がアメリカやイギリスでなくても、海外でビジネスとなったら公用語は英語。読み書き・会話ができれば便利なのは間違いないし、何となくカッコ良さげに見える。

はるか昔に付き合っていた彼女(日本人)との初デートで、結構な高級レストランで食事したら、外国人ミュージシャンが音楽の生演奏。曲の合間に英語でちょっと話をしただけで、彼女が私を見る目が、キラキラの瞳に豹変。

当時私は、所属するメーカーの海外担当デザイナーで、英語のプレゼンテーションは必須。大人になってから訓練した英会話で、大したレベルでもなかったけれど、英語が全然ダメと思ってる人には、すごく流暢に聴こえたようです。

なるほど。異性にモテたいがために、英語を必死で勉強するのもアリかも。それも悪いとは言いません。要するに何のために外国語を学ぶのかが問題。

そして昨今の英語留学ブーム。ここネグロス島のバコロドやドゥマゲテにも、英語を習うためにたくさんの日本人が渡航。中学や高校の学生さんが休みを利用して来るだけでなく、お母さんが幼いお子さんを連れての母子留学もよく聞きます。

ただ、ここで慎重に考えないといけないのは、母語である日本語との兼ね合い。子供によってかなり個人差があるので、一括りにするのは危険ながら、息子を見ていて思うのは、やっぱり小学生になるぐらいまでは、しっかり日本語を頭に入れておかないと、母語として根付かない。

知らない漢字の意味や読み方を、自力で調べる能力が付く以前の段階で、日本を離れて、英語だけの学校に放り込むのは、子供の将来に深刻な影響を残しかねません。当然ながら言語を二つ習得するのは、その分の時間と労力が必要で、いくら吸収の早い子供であっても決して楽なことではない。

しかもまだ母語の基本すら身についていない幼児期に、複数の言葉を詰め込んだら、悪くするとセミリンガル(またはダブル・リミテッド)〜二つ以上の言葉を喋れても、どれも中途半端で、母語としての表現能力が身につかない〜になってしまう。

これは時折、帰国子女に見られる現象で、日本語でも外国語でも、幼稚な話し方しかできず、就ける職業が限られてしまう。私が実際に会社で会った帰国子女の女性は、そこまでひどくはなかったけれど、誰に対しても日本語がちょっとタメ口。流暢な英語を買われて、社内の英語スピーチコンテストに出場したら、言葉使いがビジネスに相応しくないと、予選で落とされてしまいました。

親も子も、移住先、例えばフィリピンに骨を埋める覚悟だと言うなら話は別。それなら、現地の子供向けの私学にでも入れて、英語もフィリピノ語も、きちんと習得させればいい。そのかわり子供の意識は、「日本にルーツがあるフィリピン人」となるでしょう。下手すると日本語が外国語化して、親との意思疎通も不自由になるかも知れません。

私の経験から言うと、外国語は後からでもいいから、まず母語能力の確立が先決。次は自分の専門領域を固めるのが筋というもの。英語を使って何をしたいのか、私の場合なら、海外のクライアントに向けての商品デザインをする目標があって、英語はその目標達成のための道具。ここを間違えると、英語ができるだけの器用貧乏にしかなりません。

親が漠然と「子供が英語を喋れたらカッコいい」なんて思いだけで、母語確立の機会を奪ったら、これはもう悲劇。繰り返しますが、外国語なんて必要になってから始めても大丈夫。二十歳過ぎてから英会話を泥縄で習って、外国で仕事して、国際結婚までした私が言うのだから、間違いありません。


2018年7月6日金曜日

フィリピンから日本の豪雨を心配する



いくらまだ梅雨明けしてないからと言って、雨季のフィリピンで、西日本や関西地方の豪雨を心配するなんて、話が逆じゃないですか? 台風が来てるわけでもないのに、場所によっては50年に一度の大雨。

つい最近、大阪府北部地震があったばかりで、今年はもう関西在住の家族・親戚や友達の安否を気遣うのは2回目。今までの常識で考えて、自然災害も治安も、フィリピンの方が条件が悪いはずでした。5年前のスーパー台風ヨランダやボホー地震然り、ミンダナオ島マラウイ市の内戦然り。

あんまり無責任に煽ってはいけないけれど、地震に関しては、東日本大震災以降、地下活動が活発になっている気がします。火山噴火のニュースも多い。またゲリラ豪雨に象徴されるように、まるで熱帯地方みたいに雨の降り方が極端。私の実家近辺では、一ヶ月の間に、阪急電車の主要路線が2回も全面運休になるのは、多分初めてのことじゃないでしょうか。

それにしても、今回の豪雨は、ずいぶん広範囲に被害。雨雲レーダーの画像を見ると、ほぼ日本の半分が大雨にさらされている。梅雨時にこういう降り方って、南西諸島や台湾付近に台風があって、前線が刺激されるパターンかと思ったんですが、そういう訳でもなさそう。

さらに日本の場合、地震でも台風でも、仕事を休まない人が多いので、余計に心配になってしまいます。自分の命より大事な仕事なんて、世界を救うスーパーヒーローじゃないんだから、普通はまずありえない。いくら会社や上司から出社要求があっても、これは断って当然。

もう毎度のことで、フィリピンの事例を持ち出すのも恐縮ながら、この国では、ちょっと強い雨が降ったら、たちまち学校もオフィスもお休み。それも政府や地方自治体が早々に判断。

ネグロス島では昔、登校中の児童を乗せたジプニー(乗り合いバス)が、大雨で緩んだ山道が崩れて崖下に転落して、多くの幼い命が失われた悲惨な事故が発生。その教訓が活かされているそうです。確かに小雨でも、小学校が休みになることもあるぐらい。

日本人のメンタリティって、何か新しい仕事に挑戦するとか、やる人が少ない事柄には、異様なまでに慎重になるくせに、目の前にある怪我や落命のリスクには、恐ろしいほど鈍感。他人の指示や規則に盲目的に従うのは病的なほど。

空気読んだり、周囲を見回すことばかりじゃなくて、もうそろそろ緊急時ぐらい自分の頭で判断する癖をつけるべき。日本では人が死んでから、行動マニュアルがなかったとか、想定外だとか、他人の責任にしてばかり。なんだか溜息が出てしまいます。


2018年7月5日木曜日

ライラの祖父は元日本兵


三日続けて、メイドのライラおばさんの話題です。
今日は、まず最初にお詫びと訂正。ライラが家政婦として出稼ぎに行ってたのは、カタールじゃなくてクウェートでした。面接の時に家内が勘違いしたようです。どうも失礼しました。

さて、かれこれ4年もメイドさんの雇い主をやっていて、今回のライラが初めてちゃんとした会話ができる相手。カトリーナ、アニー、ジャジャの3人は、高卒なので英語はできたものの、如何せんまだティーンエイジャー。親子ほど年齢差で、文化背景が違うとなると、共通の話題を見つけることが難しい。映画や歌のネタを振っても、I don't know. で終わってしまいます。

ネルジーは、もう少し年齢は近かったけれど、極度の人見知りで「超」恥ずかしがり屋。しかも英語はお世辞にも上手とは言えないので、やっぱり5分と会話が保たなかった。

その点、すっごいお喋りで、初対面の家内とも延々と話し続けるライラさん。英語も、ネグロスの方言訛りのブロークンながら、さすがにクウェートで長いこと仕事をこなしただけに、出稼ぎ時代の逸話は豊富。生まれも育ちもシライの、シライノンなので、近隣の噂話の引き出しも多い。

隣街に住む、私の日本人の友達や、家内の弟を知っていたり。高校の先生だった私の義母(家内の母)も面識があるとか。やっぱり狭い街ですね。どこでどんな繋がりがあるか分からない。下手なことはできません。今日は昼食の用意で、私が魚をさばいている合間に、クウェート時代のことをいろいろ聞かせてくれました。

つい最近、フィリピン人メイドが殺害され、ドゥッテルテ大統領まで乗り出す外交問題にまでなったクウェート。いじめられたりしなかったかと訊くと、まったく大丈夫で、ずいぶん優しい雇い主だったそうです。

他にも3人のフィリピン人の使用人がいて、食事は専門のシェフがいる大邸宅。ところが、週に一回しか米食をしない習慣の家で、ほとんどパスタやパンばかり。マダムに「フィリピン人は毎日お米を食べないとダメなんです。」と訴えたら、あっさりOK。中東での家政婦仕事って、キツくて大変なイメージだったんですが、そんな家ばかりでもないんですね。

という感じで、取り留めもなく話し続けて、何の拍子か「私のおじいちゃんは、日本人なんですよ。」とポロリ。え〜っ、ほんまかいな?

ライラによると、祖父は旧日本軍の兵士としてネグロスに駐留。シライの隣のタリサイには、戦時中、陸軍の司令本部があったのは知ってたけど、それについてフィリピン人から直接聞くのは初めてです。

アメリカ軍の反撃に追われたライラの祖父。8000名もの戦死・戦病死者を出した過酷な戦闘の中、幸運にも祖父は住民に匿われ、それが縁で地元の娘さんと結婚。生まれた子供がライラのお母さんだったというわけです。

戦後しらばらくは、対日感情が極度に悪い時期が続いたので、おそらく身元を隠してたんでしょうね。ライラは祖父の本名は知らないくて、ニックネームだけを記憶。日本に復員することなく、ずっと山岳地帯の農園で暮らして、80歳で亡くなりました。

こういう経緯なので、たとえ事実でも今となっては、ライラが日系人だと証明する手立てはありません。

最初の印象では、ちょっと苦労はしてるけど、普通のネグロスのおばちゃんにしか見えなかったライラ。思いもよらず、びっくり箱みたいな人だったんですね。


2018年7月4日水曜日

最強メイド、ライラの初仕事


昨日の夕方、家内と私で面接して採用となった、我が家の通算5代目メイドのライラ、43歳。クウェートでの3年近い出稼ぎ経験や、明るくて貫禄すら感じる雰囲気から、かなり高い期待度です。今朝は約束通り、朝7時ちょうどに我が家へやって来ました。

今回は住み込みではなく、初めての通いメイドさん。昨夜は家内から、最初からあんまり仕事を詰め込み過ぎて、またいきなり辞めてしまうようなことがないよう、釘を刺されました。前回のジャジャが1週間も保たなかったのを、やっぱり気にしている様子。

とは言え、この3日続きでエアコン取付けのための壁に穴あけ作業。扉を閉め切るなど、コンクリートの粉塵が飛散しないよう、かなり気を配ったけれど、やっぱり家中が粉っぽい。私など、鼻やら喉やらの調子が悪いほど。いきなりで申し訳ないけど、やっぱり初仕事は大掃除ということになりました。

まず朝イチは、前日作業が終わったばかりで、床も壁もベビーパウダーをぶち撒けたようになった私の書斎から。箒・雑巾・モップの3点セットを持つ手付きも勇ましく「当たり前」の顔で、掃除開始。

と思ったら、私たちが朝ご飯を食べてる間に瞬殺で片付けてしまいました。それも床がピカピカのプロの手口。我が家で2年3ヶ月働いたネルジーも、決して仕事が遅かったり手を抜いたりはなかったけれど、これは次元が違う。

ライラおばさんは、これまた「当たり前」に、隣室を続けてモップ掛け。段取りを身体で覚えているんでしょうね。作業と作業の合間に逡巡がまったくない。テレビ台の背後の、埃やらクモの巣が溜まりまくっている箇所も、黙々とクリーンナップ。

箒や雑巾みたいなクラシックな道具だけでなく、日本で買って来た充電式の小型掃除機だって、器用に使いこなします。別に驚くことではないと言われそうですが、実は今までのメイドさん、誰も使おうとしなかったんですよ。それまで触ったことがないから、壊しちゃうかもと思うらしい。

こんな勢いなので、2〜3日はかかると踏んでいた大掃除が、昼過ぎにはほとんど完了。すごいぞ、ライラ。

さらに、料理も結構できる。家内が仕事に出かける前に、冷蔵庫にあった魚と、庭にあるバロンガイの木から葉っぱで、煮物を作るようにとの指示を忠実に守り、私だけでなく大工さんのお昼ご飯まで手回し良く用意。


昼食を準備する「肝っ玉かぁちゃん」ライラ

年齢的なもの、育児や海外での仕事の経験などを踏まえて、抜群の安定感。今までのメイドさんには申し訳ないけど、これがアマチュアとプロの差なんでしょうね。サラリーが月4000ペソ(1万円弱)で、本当にいいのかと思います。

唯一の問題は、長続きするかどうか。ホームシックとか仕事が厳しすぎるから辞める、なんてのは考えにくいけれど、旦那さんとは別れて、女手一つで息子二人の面倒を見ているライラ。もっと身入りが必要だと、また海外やマニラへ出稼ぎ、となる可能性はあります。

そんな先のことよりも、明日からの仕事配分を考えないといけません。手が早すぎて、時間を持て余すことがないようにしないと。クウェートでは、地階も含めて5階分のフロアーがある大邸宅の家政婦だったと言いますから、さぞかし鍛えられたんでしょう。それに比べたら、我が家は犬小屋みたいなものですよ。


2018年7月3日火曜日

クウェート帰りのメイドさん


我が家の新任メイド、19歳のジャジャが、たったの四日働いただけで辞めてから、十日が過ぎた今日の夕刻。次のメイドさん候補が、面接を受けにやって来ました。

年齢はジャジャのダブルスコア以上で43歳。最近まで中東の国クウェートに、メイドとして3年近くも働きに出ていたという、ここシライ市内在住のライラおばさん。さすがに18〜23歳(着任時)の歴代メイドたちに比べると、貫禄が違います。

家内の前でもまったく臆することなく、堂々としたもの。よく喋るし体格は、ちょっとしたお相撲さん並み。移住前に私がイメージしていた、フィリピン人のメイドさん(というより家政婦という感じ)とはこんな人。やっぱり、こうでなくっちゃ。

先月購入して、ずっとゲストルームに保管されていたエアコン3台。その設置工事のために、ようやく来てくれた大工さんマーロンの知り合いが、このライラさん。家内が「メイドさんがなかなか見つからなくて...。」とぼやいていたら、たまたまマーロンのお隣さんが就活中だったわけです。

エージェントのいない、地方都市でのメイド探しの成否は、どれだけの親戚や友人・知人がいるかにかかっている。これだけインターネットが普及して、しかもフェイスブック利用率が90パーセントを超えるフィリピンでも、やっぱり口コミしか方法がないんですね。

ライラさんが住むのは、我が家のあるセント・フランシス・サブディビジョンから、トライシクル(オート輪タク)で、10分ほどのギンハララン地区。今年(2018年)の2月に、偶然別件で行った場所。小さな漁港があって、住宅が建て込んだ、典型的なバランガイ。(フィリピンの最小行政区画)

二人の息子さんがいるそうで、下は7年生(日本ならば中学1年)。上はかなり歳が離れていて、すでに商船大学を卒業。ところが、船員になるための試験に失敗して、今は就職浪人中とのこと。だからお母さんが、フルタイムで働くことになったんでしょうね。

気になる労働条件は、話し合いの結果、月曜から金曜までの週5日。朝7時から夕方6時までで、給料は4000ペソ。(1万円弱)料理もそこそこはできるらしいし、経験は十分なので、まぁ妥当な線。

本当は、夕食の後片付けまでやってほしくて、朝はゆっくりでいいから、夜8時ぐらいまではと頼んだのですが、子供の世話があるので、それは無理でした。ちょっと残念。

ということで、エアコン取付けが終わって、家中コンクリートの粉塵だらけ。明日は、いきなり大掃除をお願いすることになります。ベテランの技が見られることを期待しましょう。


2018年7月2日月曜日

ニホンジン、ヤサシイ


最近やたらと、共通の友達が一人もいない、うら若きフィリピーナからフェイスブックで友達リクエストが来ます。

よくあるのが、きわどい水着や下着写真をプロフィールに使って、鼻の下を伸ばした日本人のオッさんをカモにしたろ、という金目当て見え見えの女の子。伊達に20年以上もフィリピンと関わっているわけではないので、そんなのはお見通し。だいたい本人の写真かどうか、本当に女なのかすら分からないフェイスブック。

ところがここ数ヶ月のは、どうも様子が違う。まずプロフ写真が普通。まぁセルフィ大好きなフィリピン人なので、日本的に見ると普通かどうかは微妙ながら、肌の露出度もそれほどでもなく、さほどの美人でもない。

一番不思議なのは、揃いも揃ってバコロド市在住となっている。バコロドは私の住むシライから車で30分ほどの距離にある、西ネグロスの州都。出身大学もラ・サールなど、実在する学校名。タイムラインを見ても、他の友人を見ても、怪しい感じはなし。

最初は薄気味悪くて、片っ端から拒絶してましたが、違う女の子が次から次へという感じなので、一体どういう訳だとメッセージを送ってみました。

「友達リクエストありがとう。共通の知り合いもいないけど、なぜ、私にリクエストしたんですか? 最近あなたのような人から、たくさんメッセージが来るんですけど。」と、かなり丁重な英語で。全然期待してなかったのが、意外にもすぐに返事が来ました。

それによると、バコロドでビジネスを始めようとしている、私の友達を知っているとのこと。少し前にこのブログで投稿した、若き日本人起業家のタカさん。まだ30歳そこそこで独身だし、スポーツマンタイプ。その上英語が喋れて男前と、3拍子も4拍子も揃っているので、女の子には人気があるんでしょう。

彼女の目には、どうやらタカさんが典型的な日本人男性とでも映っているらしく、片言の日本語をローマ字で書いてきました。「ゴメンナサイ、ワタシハ、ニホンジンガ、スキデス。ヤサシイカラ」

ほんまか〜、と突っ込みを入れそうになるのを抑えて、自分はタカさんみたいに若くもないし、ハンサムでもない。しかも妻も子供もいるんやで、と諭すような口調でチャットが進行。

別にお付き合いをしたいとか、どこかで会いましょうというわけでもなく、純粋に日本への憧れと興味。日本に行きたくてしょうがない。それなら、看護師の資格を取るとかの準備をすればいいと思うんですけど、具体的なアクションを起こしているわけでもなさそう。

自分の子供と言ってもいいぐらいの年齢だし、それ以上追求するとただの説教オヤジになってしまうので、適当なところで切り上げました。それにしても、20〜30年前に比べて、いろんな意味ですっかり精彩を欠いてしまった日本に対して、まだこんな感情を持つ人がいるんですね。大学まで卒業してるんだから、もう小娘でもないでしょうに。

そこで思い出したのが、家内の友人の娘ゼニア嬢。ゼニアもやっぱり日本大好き、アニメ大好き。それが高じたのか、本気で日本に行こうと医学の道を志し、看護師どころか医師になろうと勉強中。さすがにそのレベルだと、ネット経由でいろんな情報を集めて、自分の将来は自分で考えている。

そのせいか、ゼニアの「日本行きたい熱」もだいぶ冷めてきました。だいたい欧米のメディアが取り上げる最近の日本の姿って、若い女性が夢に見るような国とは、だいぶ違ってきてますからね。フィリピン人でも、ちゃんと新聞を読む人なら「カロウシ」という言葉を知ってるし。

と書いてたら、またフィリピーナからのリクエストが。今度はケソン市在住と言うとるぞ。


2018年7月1日日曜日

私的フィリピン美女図鑑 ウルトラ警備隊、南へ

フィリピン美女図鑑、今日のお題はウルトラ警備隊員。その女性隊員と言えば、アンヌに決まってるやんけぇ〜と、私と同世代のウルトラセブン信者から総突っ込みを食らうでしょう。

でも、アンヌ役をフィリピン女優が演じる設定だと、今度は菱美百合子さんのファンというか崇拝者からの怒りを買うのは見えている。百合子アンヌ以外は断じて認めんとか...。それほど今50代前後以上の世代にとって、菱見さんの女神度は高い。

考えてみれば、小学生や中学生が視聴者の中心だった、円谷プロ制作のウルトラシリーズ。主人公のモロボシ・ダンに想いを寄せるアンヌの存在に、初めて女性を意識した男の子はたくさんいたでしょう。有名な最終回「史上最大の侵略」では、ダンがアンヌに「僕はウルトラセブンなんだ!」と打ち明けるシーンは、どう見ても愛の告白。(すっごい時代がかった大層な演出でしたねぇ)

セブンの前作、ウルトラマンの科学特捜隊でも、実にチャーミングな桜井浩子さんが唯一の女性隊員、フジ・アキコを熱演されましたが、如何せん、ハヤタ隊員との恋愛関係の描写は一切なかったので、女性としての魅力をアピールする感じには、なりませんでした。

そこで、考えたのが「ウルトラ警備隊、南へ」なる架空のエピソード。これは「ウルトラ警備隊、西へ」と題して、神戸など関西でのロケを敢行した回のもじり。関西だから「西へ」なんですよ。ポートタワーや京都国際会館などが登場し、関西在住のウルトラセブン・ファンには、感涙もの。

本来国際団体である地球防衛軍やその下部組織のウルトラ警備隊。当然、日本以外にも基地があるはず。科学特捜隊なんて、パリに本部があったというぐらい。

なので、フィリピンが宇宙人の侵略に見舞われ、それに応戦するローカル社員、じゃなくてフィリピン人隊員を支援するために、日本からウルトラ警備隊の精鋭が派遣されても、おかしくはない。昔から女性の社会進出が進んだ国だから、当然隊員にも女性がたくさんいるでしょう。

というわけで、そのフィリピン人の警備隊員を演じてもらったのが、デビュー今年で4年目、まだ19歳の女優ガビー・ガルシア嬢(Gabbi Garcia)。すでに10本のテレビドラマと3本の映画に出演し、コマーシャルやポスターでも頻繁に起用されています。

これだけの美貌なので、日本から来た男性隊員とのロマンスも、作劇上はあってもよさそう。日頃影の薄いアマギ隊員がお相手だったら、面白かったかも知れませんよ。

さて肝心のイラスト。実際の衣装よりもタイトな仕様にして、身体の線がはっきり出るように少し変更しました。それでもウルトラ警備隊の制服だと一目で分かる、記号性の強さ。改めて見ても、実にいいデザインです。



過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年


ボランティアの難しさ


フィリピンは、青年海外協力隊や、各種NGO(非政府組織)・NPO(非営利団体)の活躍の舞台、という印象を持つ人も多いでしょう。貧困のため満足な医療や教育、福祉の恩恵を受けられない人々を助けるため、あるいは自然環境保全や、社会インフラの発展のために、多くの日本人が渡航。

私の友人の中にも、以前協力隊の一員としてフィリピンに数年滞在した人がいますし、このネグロス島にも複数の日本NGOが拠点を置いています。

こうした活動に欠かせないのが、ボランティアの存在。インターンの学生さんだったり、英語留学の合間に参加する社会人だったりの、フィリピンのために少しでも役に立ちたいと願う人たち。我が家にもボランティアの方が、よくお見えになります。

ただ一口にボランティアと言っても、ちょっと興味を持ったので、1週間ぐらいお手伝いのレベルから、何年もネグロスに腰を据える現地スタッフまで様々。本気でやるなら、何がしかの専門能力は必須だし、英語だけでなく、地元の言葉でのコミュニケーションも求められる。

私も移住当初は、すぐ近所に事務所を置いていたNGOに、ボランティアとして協力してました。地元の農作物を活かした、オーガニック・カフェの開店に向けて、私の専門であるデザイン面。店の看板、ロゴ、メニューのデザインから、内装や家具選び。

ところが、しばらくして分かったのは、このNGOの日本人マネージャーという人物が、たいへんな食わせ者。お祭りの屋台で、ローカルスタッフを徹夜で働かせて、その収入はポケットに入れてしまうわ、日本人ボランティアに仕事を丸投げして、自分は地元で知り合った恋人と遊び歩くわ。

私への要求も、どんどんエスカレート。深夜までかかって仕上げた仕事でも、平然とやり直しをさせるし、自分が招集をかけたミーティングに、1時間も遅刻。しかも一言の謝罪もなし。

半年後、ついにキレて絶縁。もうボランティアは懲り懲り。それでも別のNGOから、デザイン関連業務の依頼が来るので、今度は安価でもちゃんと報酬をいただくことを条件に引き受けました。

とは言っても、日本国内の業者に比べれば、桁違いの超良心的価格。相手に金がないのは分かってますからね。私にすれば、無茶振りされないよう、わずかな歯止めを設けただけで、事実上のボランティアみたいなもの。

...のつもりだったんですが、何件か仕事をこなした後に、別の業者さんと相見積もりを出せとの指示。要するに値引きをして欲しいということ。もうアホらしくなって、それならお好きなようにと、返事もせずに放っておきました。

しばらくすると、案の定、やっぱりこちらでお願いしますとのメール。そりゃそうでしょう。あんな値段で引き受けるプロがいたら、私がびっくりしますよ。

ボランティアに関わりを持つのは、本当に難しいものですね。
それよりも最近思うのは、そもそもフィリピンを助けようなんて言ってるどころじゃなく、日本の方が危なくなっている。

ワーキングプア、つまり職があるのに生活が苦しいという人が、一説によると1000万人を超えて、全労働者の実に4人に1人。さらに子供の6人に1人が貧困だという、恐るべき数字もあります。

若い日本人が、こんな辺鄙な場所を訪ねてくれるのは嬉しいけれど、わざわざ外国でボランティアをする暇があったら、同胞のためにできることを探した方がいいんじゃないか?と思ってしまいます。