2019年1月31日木曜日

LRTとMRT マニラの旅客鉄道

前回に引き続き、今日も週末のマニラ旅行について投稿です。

家族3人(家内・息子・私)揃ってマニラに宿泊したのは、移住時に福岡からネグロスまでの乗り継ぎで、空港に近いパサイ市内のホテルに泊まった時以来の6年ぶり。今、小学校6年生の息子が小1の頃だったので、あんまり覚えてないでしょうね。空港とホテルの往復だけで、観光はなかったし。

なので、息子にとっては、ほとんど初めてと言ってもいいマニラ。息子なりに楽しみにしていたようで、彼にとって旅行の目玉は、LRTとMRTの乗車。LRT(Manila Light Rail Transit System)とMRT(Metro Manila Rail Transit System)は、マニラ首都圏を走る旅客鉄道。

ネグロスではごく稀に、サトウキビを積んだ小さな蒸気機関車が運行されているだけなので、乗り鉄成分を含む息子が乗りたがるのも分かります。

ウィッキペディアによると、アメリカ統治時代には、マニラ市内を路面電車が走っていたそうです。ところが戦争によって施設は破壊され、再建されたのはようやく1980年代になってから。

それも、ベルギーや韓国、日本など各国の支援によって建設・メンテナンスされているので、運営会社は二つだし、車両もベルギー製にチェコ製、韓国製、日本製が入り混じっている状態。一昨年頃にメンテナスの不備による事故が多発し、委託先の韓国企業との契約を打ち切り、三菱重工へメンテナンス・プロジェクトを発注

一部の嫌韓日本人は、「それ見たことか」と、大喜びだったみたいですが、普通に考えて建設時の不手際もあって、運営が技術的に難しい、まだら状のシステムになっていることが大きいと思います。そもそも三菱にしたところで、日本政府からの資金援助(355億円の円借款)、つまり税金をつぎ込んでいるわけで、日本の納税者ならば、そう無邪気に喜ぶようなことでもないんですけどね。

それはさて置き、LRTとMRT。

まず、私たちの泊まったマカティ市内のホテルから、Grab(スマホのアプリで車が呼べて、乗る前に料金が分かるカー・シェアリング)で、最寄りMRT駅のグァダルーペまで約15分。ここでは人がいる窓口で、乗車券を買います。乗車券は日本のテレフォンカードみたいで、機械化された改札を、乗る時は非接触でピッとやって、降りる時は回収口へ。

土曜日の割にはお客さんが多くて、降車時には階段まで続く列ができるほど。ラッシュアワーだと、さぞかし凄いことになるんでしょうね。

乗った車両は、電車というよりも路面電車ぐらいのサイズ。これが4両ぐらい連結されています。内装に本棚を模した壁紙が使われていて、それが妙にリアルなもんだから、一瞬、車内で貸本屋でもやってるのかと勘違いするほど。



この列車は、有名なマニラの交通渋滞の中でも、特に悪名高いエドゥサ通りに並走するコース。道路の方も、土曜日なのに相当な渋滞。それを横目に、悠然と時速40キロの低速でタフト駅へ。ここでLRT1号線に乗り換えて、目的地の国連通りに向かいます。

運営会社が違うせいか、LRTでは乗車券は自動販売機で。出てきたチケットや改札システムは同じ。何とも微妙な不整合。


というわけで、乗り心地そのものは悪くなくて、普通の交通システム。待たされることなかったし、駅構内・車内も清潔でした。やっぱり問題は、沿線距離が短すぎることですね。まず空港まで延伸しないのが、不思議でしょうがない。

また、エドゥサ通りを走らすんなら、各国大使館や大きなホテルが林立するロハス大通りとか、マカティ、アヤラの幹線道路を外してるのも大いに疑問。30年前の導入時に考えておけば、と思うのは私だけではないでしょう。


乗降位地だけでなく、マナーも示すピクト
なかなか合理的なデザイン

とまぁ、文句を言いだすとキリがないけれど、20年以上前に乗った時には、もっと路線も限られてました。車内は汚く、スリが横行してるから乗らない方がいいと言われたり。剛腕ドゥテルテ大統領の肝いりで、今後、地下鉄も作ることになったし、マルコス失脚後30年間の遅れを取り戻す勢いで、現在のクアラルンプールやシンガポール並みの公共交通を目指してほしいところです。


2019年1月29日火曜日

懐かしのザ・ペニンシュラ

この週末、ものすごく久しぶりにマニラ首都圏に家族で行った来ました。
移住から4ヶ月ほど経った頃に1泊したり、日本からの海外初渡航でネグロスに来た友人を迎えに、日帰りしたりはしてますが、いずれも駆け足。今回のように、仕事や所用抜きでマニラに2泊3日というのは、20年ぶりぐらいです。

実は土曜日に行われた、日本の落語家の桂かい枝さんの英語落語、マニラ公演を聴きに行く予定で、バコロド〜マニラの航空券を早手回しに買っていたけど、肝心の落語のチケットが抽選の結果、見事にハズれ。結果的にただのマニラ観光に。

それでもマカティを中心に、ゆったりした気分で家族と見て回れて、いい時間を過ごすことができました。

まず私にとって最大の変化点は、ここ何年かで、すっかりマニラ名物になってしまった交通渋滞。着陸時の飛行機からでもはっきり分かるぐらいの物凄さ。特に着いたのが金曜日の夜だったこともあり、市外へ向かう幹線道路は、どこも延々と続く光の帯状態。ひぇ〜。空港からマカティにあるホテルへも、タクシーで1時間ぐらいはかかりました。

ポジティブな話では、少なくとも私が見た範囲で、ずいぶん街並みが綺麗になったこと。フィリピン随一のオフィス街を擁するマカティだというのを差っ引いても、私がこの界隈をうろついていた1990年代の後半に比べると、見違えるよう。

高層ビルが立ち並ぶ、カマティやアヤラの通り近辺は、昔からそうだったにしても、ちょっと路地にで入れば、お世辞にも清潔とは言えない街並みに、ゴミだらけの路地。道行く車はポンコツが多く、中には何年エンジン整備してないのか分からんような、黒煙を上げる車両も珍しくなかった。

それが、私たちの泊まった、そこそこ安いホテルの周辺で、庶民が暮らすような場所でも、モワッとくる悪臭がないし、貧困に疲れ果てた無気力な表情の人もいない。乗り合いバスのジプニーが、古ぼけてはいても、まぁまぁ清潔感がある上に、排ガスも黒くない。



空港から乗ったタクシーの運転手さん(たまたま、お祖父さんが日本人で、日本で20年も働いた経験があり日本語が喋れる人)によると、やっぱりドゥテルテさんが大統領になってから変わったんだそうです。いろいろ問題はあっても、任期のど真ん中で、まだ高い支持率を維持するのも分かりますね。

さて、私的にこの旅のハイライトは、21年ぶりのザ・ペニンシュラ。マカティ通りとアヤラ通りの交差点に立つこのホテルは、私の知る限り、フィリピン国内でも五指に入るんじゃないかという格式の高さ。昔は業務出張で、こんな場所に泊まれたんですよね。今回は宿泊客を装って、1階ロビーにだけ入ってみました。

若い頃に豪華だと思っても、今行ってみると「あれ、こんなもんやったっけ?」になることが多いのに、ペニンシュラはまったく印象が変わりません。まずエントランスが表通りではなく、敢えて裏側の閑静な住宅地に向いているところに、設計者のセンスが光ります。


入ってすぐの、3〜4階分をぶち抜いた大広間の天井には、私が初めてここに足を踏み入れた1995年当時と同じく、太陽をモチーフにした巨大な装飾。壁も床も大理石を贅沢に使ってますね。スタッフも警備員まで含めて容姿端麗な人ばかり。これって、もし私が20代の頃だったら、気圧されてしまったかもしれません。



フィリピン風にCR(トイレ)どこですかって、格好いい制服のおねえさんに尋ねたら、”レスト・ルーム”は、あちらでございますと、サラっと言い直して答えてくれました。


トイレも美しい

それにしても、ここまで変わってないと、いろいろと思い出しますねぇ。フィリピン市場でヒットした家電製品の開発に携わったこと。一緒に仕事をした先輩社員のこと。その先輩に連れていってもらった盛り場のこと。そしてガールフレンドとの別れのことも。

その後、同じく20年前に、自前でフィリピン渡航時に定宿にしていた、ホリデー・インにも足を伸ばしてみました。こちらはマカティに比べると、かなり下町然としたパサイ市内。マカティほどではないけれど、やっぱり昔の、絶望的なまでに汚い感じは、ほとんど払拭されてました。残念なことにホリデー・インは閉鎖されて、解体を待っているような状況。もう少し早く来れば良かったと溜息。


とまぁ、昔の思い出に浸る感傷旅行記みたいになった今日のブログ。もちろんこれだけではなく、もう少し家族向けの場所に行きましたし、友達にも会いました。そのお話は、次回に投稿したいと思います。


2019年1月28日月曜日

2週間のお休み


お久しぶりです。

このブログ開始以来、最長のブランクから復帰しました。感覚的には、もう何ヶ月も休んでいたような気がしても、まだ2週間しか経ってなかったんですね。昨年ほとんど毎日更新で、執筆が習い性になっていたからでしょうか。

休みの理由は、前年に頑張り過ぎたことの反動が一番なんですが、それ以外にも、いろいろ批判的なコメントが重なって、書くこと自体が面白くなくなってきたのも大きかった。フェイスブックでシェアしているので、時には反対意見があるのは当然ながら、必要以上に皮肉っぽかったり、棘のある書き方をされると、やっぱり気分のいいものではありません。

そして、こっちが意図的に使った和製英語的表現に、まるで鬼の首を取ったかのように「正しい英語」を、得々と指摘した人もいました。つい夏目漱石が「草枕」で書いた「屁を数える人」※を思い出してしまった。

要するに「疲れてしまった」わけです。わざわざ早期退職してネグロス島に住んでいるのに、まったく何やってんだか。

さらには年末から、ちょっと手の掛かる、図面を描く仕事があって、年明けの1週間から10日辺りに締め切りのピーク。ブログを書く時間を取るのが難しくなりました。

ならば、この際と言うことで、ブログだけでなく、フェイスブックへの投稿も、ついでに5年ぐらい続けていたゲームの「キャンディクラッシュ」も一時休止してみました。我ながら極端から極端に走ったものですが、疲労回復の効果は抜群。

やっぱり就寝の直前までスマホ画面を見続けるのって、目にも頭にも負担だったんでしょうね。まず睡眠の質がかなり良化。20代の頃のような、「目を閉じる・開けるで、夜が朝に変わってる」みたいな熟睡ではないにしても、起きた時の爽快さが全然違います。

また、激減したスマホ凝視時間を埋めるように、昔読んだ本の再読を始めたところ、読みながらうたた寝、つまり昼寝もするようになり、さらに頭がスッキリ。この2週間で10冊以上を読了。紙の本を読むって、体にいいことだったんですね。

そうこうするうちに、体調面が戻っただけなく、書きたいネタも溜まってきて、意欲が湧いてきました。1ヶ月以上の休養が必要かと思ってたので、これはちょっと意外。

ということで、さすがに毎日更新はしませんが、「ネグロス島永住日記」をボチボチ再開したいと思います。


「草枕」の一節
五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁を勘定して、それが人世だと思っている。そうして人の前に出て来て、お前は屁をいくつひった、いくつひったと、頼みもせぬ事を教える。(中略)うるさいと言えば猶々言う。よせと言えば益々言う。分かったと言っても、屁をいくつひった、ひったと言う。


2019年1月14日月曜日

運転免許が更新できない

外国人からだけでなく、自国民の評価さえ超低空飛行のフィリピンのお役所対応。3年前にドゥテルテさんが大統領に就任して以来、その暴力的なレベルのリーダーシップで、一部でずいぶんマシになったとは言え、まだまだダメだなと痛感した、この土曜日。

一ヶ月ほど前に発覚した、私の運転免許のうっかり失効。本当なら昨年(2018年)10月に更新を済ませておくべきところ、政府の失態で、カードの発行が1年以上遅れたことから、まだもう1年あると思い込んでおりました。そこで、土曜日にも開いている、最寄りの更新センターに行ったら、土曜日は午前中だけで空振り。

その後、平日にもう一度トライしたものの。今度は年末で駆け込み更新が殺到する中に突っ込んでしまい、敢え無く挫折。3度目の正直とばかり、年が明けて年末年始休暇も終わったこの週末、1月12日の土曜日。

この免許更新センターは、開店時間10時のショッピングモール内。また長蛇の列だったら嫌なので、この日は朝5時半に起きて、8時前にはモールのエントランスで待つという気合いの入れよう。つまり2時間、立ちん坊したわけです。子供を留守番に置いて来たものの、これなら昼前には確実に終われると踏んでました。

それでもモールに着いた8時前には、もう何人かが待っている状況。開店30分ほど前になると、何十人もの人が集まる盛況振り。もちろん全員が免許の更新ではなく、イミグレーションや公共料金の支払いなどの他の手続き待ちや、買い物客もいたでしょう。こういうのを見ると、やっぱり景気がいいんだと思いますね。


そんな人間観察だけでは、間が持たない長丁場。こういう時に助かるのがキンドル。(電子書籍)。ヘッドフォンで音楽を聴きながら、結構硬めの内容の本を丸々一冊読了してしまいました。iPhone 依存、ここに極まれり。

さていよいよゲートが開こうかという頃になって、数名の男女が割り込んで来て、警備員も巻き込んで一悶着。さすがに2時間待ってこれをやられると、頭に来る。


と、いろいろあったものの、目論見通り一番乗りで更新センターの前まで来て愕然。免許証カード発行の機械が故障したとかで、何の事前アナウンスもなく臨時休業。なんじゃそりゃ〜〜!


すぐ後からやって来た何人かの男性もムカついてたし、同行してくれた家内ですら、珍しく気色ばんだ様子を隠さないほど。忙しい中、時間を捻出した職業ドライバーは本当に頭に来るでしょうね。帰りのタクシーで話した運転手さんも、LTO(フィリピンの陸運局で、更新センターを管轄する省庁)のだらしなさに関しては、もう匙を投げてる感じ。

ということで来週、西ネグロスの州都バコロド市の中心部にある陸運局に、ネットで事前申し込みをしてから、行くことにしました。ついでに、永住ビザの年に一度のチェック(アニュアル・レポート)や、オープンしたばかりのネグロス最大のショッピングモール、アヤラ・キャピトル・セントラルも見てくる予定。

今度という今度は、全部済ませられますように...。


2019年1月10日木曜日

クリスマスもお正月もおしまい

フィリピン・ネグロス島での移住生活も、今年(2019年)で6年目に突入です。最初の1〜2年は新しい事が目白押しで、経験も高密度。振り返るとずいぶん長く感じたものでした。ところがそれ以降は、基本は同じパターンの繰り返し。暮らしがすっかり日常化したせいか、あれ、もう新年?みたいな感じ。

フィリピンでは、バー・マンス(Ber Month)はクリスマスシーズンと言って、9月(SeptemBER)からクリスマスソングが流れ始め、お店のウィンドにはサンタやトナカイ。一般の家庭でもハロウィン/万聖節が終わる11月には、派手な電飾で家をデコレーション。


我が家の玄関には、11月からデコレーション

クリスマス当日が過ぎてもツリーは出しっ放しが普通で、新年会に片付けてたりしたら、一体どうしたんだと心配されるかも。教会にしても元日のミサでは、イブのミサの飾り付けがそのまんま。クリスマスとお正月がひとまとまりのホリデー。


主の公現までは、この飾り付けのまま

そんなお祭り気分も、オフィシャルにはカトリックの祝日「主の公現」(しゅのこうげん)をもって降誕節(クリスマス)は終わり。これは元々イエス・キリストの誕生日とされた1月6日の名残りみたいな祝日。当初は固定だったものが、フィリピンや日本のカトリックでは、1月2〜8日の間の日曜日が当てられます。

「公現」なんてカトリック信徒以外には、聞き慣れない言葉。生まれたてのイエスを、星に導かれて訪れた三博士(あるいは三賢人、英語ではThree Kings)の逸話に基づき、ユダヤ人以外の民族に、初めて救世主が公けに現れたことのお祝いです。

キリスト生誕を描いた絵画を見ると、両親のマリアとヨセフの他に、三人のペルシャ風衣装を着た男性と、彼らは持参した宝物(没薬・乳香)が描かれていると思います。


出典:Botanica

マニラ首都圏の場合、クリスマスの終焉は1月9日の「ブラック・ナザレ」の方が、感覚的にはぴったりくるかも知れません。このローカル行事については、昨年詳しく書きましたので、そちらを参照ください。

そして日本では、ちょうど十日戎の時期。私の実家近所にある、西宮神社を総本山とする戎信仰のお祭り。関西では「えべっさん」の愛称で親しまれ、商売を営む人たちが1月9〜11日の三日間、商売繁盛祈願で賑わいます。

だいたい十日戎の映像がテレビで流れると、正月気分ももうおしまい。フィリピンも日本も、宗教行事で一連の年末年始のお祝いを締めくくるのは、何となく似てますね。

我が家でも、別に頼んだわけでもないのに、主の公現の翌日、月曜朝には、メイドのライラがツリーを片付けてくれました。玄関ホールのパロル(星形の電飾)も仕舞って、長かったクリスマスシーズンも終了です。ちょっと寂しい。


2019年1月7日月曜日

一手間で食生活を豊かに

今日は1月7日の月曜日。日本ではオフィスも学校も、本格始動なんだろうと思います。ぬくぬくの布団から、冷たい屋外に飛び出しての出勤・登校は気合いが必要でしょうね。年末年始も余裕の真夏日、しかも風があって湿度も低めのネグロスに住んで、本当に良かったと実感する季節。

日本の皆さんには、当て付けのような書き出しになってしまった、2019年最初の投稿。昨年は、ほぼ毎日、366本も書いてしまったので、今年は1週間ゆっくりさせて頂きました。

とは言っても、毎日ゴロゴロ寝正月でもなく、親戚が集まっての元日の新年会や、1月3日から家内も子供も通常運転開始。一昨日の1月5日には、近所の日本人向け英語学校の臨時スタッフとしてシライに3週間滞在する、25歳の若者をホームステイもホスト・ファミリーとして受入れ。

そして昨夜は、その学校の経営者や生徒さんをお招きしてのプチ・日本人会などなど。ず〜っと調理担当主夫だったので、包丁の使い過ぎで、利き腕の左手がちょっと筋肉痛になっているほど。



毎年恒例となった我が家での新年会
オフィレニア一族が集合です

こんな感じで、移住後に始まった私の料理三昧生活。今日は、そんな中で気がついた、フィリピンで自炊する上で、ちょっとの手間で、日々の食生活が少しだけ豊かになりますよ、というアイデアをいくつかご紹介したいと思います。

まずはお米。

これは、マニラ在住、正真正銘の主婦の方に教えていただいた方法。日本人、特に中高年以上には、イマイチ評判の良くないフィリピンのお米。所謂インディカ米という、水分が少なく縦長な形。パサパサしてお茶碗と箸では食べにくいし、美味しくない。

もちろん炒飯やガーリックライスにすれば、それなりに美味しいし、おかずとごた混ぜにするフィリピンスタイルでは、そんなに気にもならないけれど、やっぱり毎日口にする主食なので、日本で食べ慣れたものが恋しくなる気持ちも分かります。

ならばインディカ米と餅米と混ぜればいい。言われてみれば、目からウロコのコロンブスの卵。餅米ならフィリピンの田舎にだってあるし、それほど高くもありません。この餅米を1に対して、インディカ米2程度の割合で混ぜれば、食感は、ほぼ違和感なし。

日本からの輸入モノもあるし、フィリピン、中国産のジャポニカはあっても、毎日それとなると、かなり家計を圧迫しますからねぇ。

お次は炒飯。

前述の通り炒飯は、インディカ米でも美味しく米を食べられる手軽な献立。夕食にレッチョン・マノック(鶏の丸焼き)を買って食べた、翌日のお昼にお勧めなのが、残りの鶏肉を使ったチキン・フライドライス。

レッチョン・マノックは安くて美味しい、フィリピン庶民の味。ただ、内臓と頭を除く、丸々1羽なので、どうしてもキレイに食べきれず、骨についたりして少し残ってしまいます。それを捨てずに冷蔵庫に入れておいて、メイドさんに頼んで、肉片を全部剥ぎ取って炒飯に投入。骨は犬の餌。

レッチョン・マノックは、スパイシーなタレをつけて、じっくり炭火で焼いて調理。なので肉の隅々までタレの旨味が染み込んで、塩コショウ程度の軽い味付けで、いつもの炒飯がぐっとグレードアップ。私はアルコールがダメなんですが、ビールと合いそうな気がしますね。あ、まだお昼ご飯か。

そして、フィリピンの家庭料理代表、ポーク・アドボ。

細かく刻んだニンニク、玉ねぎスライス、豚肉を酢醤油で煮込むだけのシンプルな料理。もちろん新鮮な材料で作れば、それだけで十分美味しいのですが、ここに一手間。

ポイントは豚肉を酢醤油+刻んだニンニク・生姜で漬け込んでおくこと。10分程度置いておくだけで、味が染みるし肉は軟らかくなる。我が家ではさらに野菜補充とボリュームアップの意味を込めて、少し小さめにカットしたジャガイモを一緒に煮ます。豚肉だけだと私にはちょっと油っぽ過ぎるけど、ポテトが一緒だと、日本人のお客さんにも好評。

最後に特製のクリームシチュー。

フィリピン版ビーフシチューのメヌードや、砕いたピーナッツをベースにしたカレカレなど、シチューはポピュラーなのに、なぜかこちらでは見たことがないクリームシチュー。ホワイトソースを使った料理は人気で、カレーなら日本製のバーモントやゴールデン、ジャワなどのお馴染みブランドが入手できても、クリームシチューのルーは置いてませんね。

ペシャメルソースを、一から作ってもいいんですが、それだと一手間どころではなくなります。そこで私が使うのは、キャンベルの缶入りポタージュスープ。フィリピンのスーパーでも普通に売っているキャンベルのマッシュルームスープを二缶。

肉と野菜を軟らかくなるまでお湯で煮込でから、スープ缶の中身とココナツミルク半カップ、生卵を混ぜてお鍋に。焦げ付かないようにオタマで5分ほど撹拌したら、日本のルーで作るのとまったく遜色がない、クリームシチューの出来上がり。ちなみにブロッコリーやマッシュルームもあるので、具材には困りません。

唯一の難点は、年中暑いフィリピンなので、シチューで温まる必要がないことぐらいでしょうか。

ということで、フィリピン在住の主婦・主夫の皆さま。それぐらいは先刻承知だぜ、と言われるかも知れませんが、もしご存知なかったら、ぜひお試しくださいませ。

それでは、今年もよろしくお願いします。