2022年1月30日日曜日

面倒になったアニュアル・レポート

 フィリピン在住の方ならご存知のように、毎年1月〜2月はアニュアル・レポート(年次報告)の季節。

これ、フィリピン人の配偶者だとか、労働許可をなど、ビザによってフィリピンに滞在している外国人が、1年に一度、フィリピンの入国管理局に相当する、Bureau of Immigration、略称 BIに「まだ、ちゃんと住んでますよ」と報告すること。つい忘れててバレると、何千ペソかの罰金を支払うことになります。

ただ、アニュアル・レポートにどういう意味があるのか、もう移住生活10年目になろうというのに、いまだによく分かりません。毎年手数料310ペソ払って、一人1枚、所轄のBI事務所(私の場合は、西ネグロス州の州都バコロド市内)で作成した顔写真入りの書類にサインするだけの年中行事。体の良い集金のような気がします。

日本人を含めた外国人が数多く住む、大都市のマニラやセブ、ダバオなどと違い、ネグロスなど微々たるもので、小さな窓口なのに混雑することはまずないアニュアル・レポート。1月〜2月の都合のよい時に飛び込みで入っても、30分もかからないのが常。

ところが今年はどういう事情なのか、事前予約制になり、1日の受付が4人まで。突然のルール変更はフィリピンのお役所の得意技なので、今更驚きもしませんが、通達がないのが困る。今回は、たまたまツイッターで友達になった、在比邦人の方々からの情報があったから良かったものの、それがなかったら、間違いなく無駄足踏まされてました。

その予約は、ネットでできるとのことなので、家内に頼んだら「全然予約取れない」。そりゃそうでしょうね。いくら微々たる数と言っても千人単位にはなるネグロスの外国人数。これはBIに限ったことではなく、フィリピン人のパスポート申請なども同様。

せっかく手間を省いてストレスフリーになるはずが、何日、何週間かかってもシステムがパンクして受付不可。結局、中間搾取する代理店や業者に無駄な費用を計上することになってしまいます。

BIにしても「急ぐなら代理店を通せ」って、明らかに役所と結託して、外国人から金を巻き上げようという魂胆が丸見え。私はフィリピン人の悪口は言いたくないけれど、こういうの見聞きすると、フィリピンってまだまだダメだなぁと思ってしまいます。

幸い私の場合は、別に急ぐ必要もないので、家内に何度かトライしてもらううちに、やっと予約が取れました。画面に表示された日時とバーコードをプリントアウトして持参せよとのこと。

さて、せっかく久しぶりにバコロドまで行くんだから、ショッピングモールにも寄って買い物したいし、外食も楽しみたい。偶然にも予約の取れた日の週は、オミクロン株で学校の先生たちに自宅待機がかかり、オンライン授業もお休み。私も息子も、昨年のうちにワクチン2回済ませているし、二人で出かけることにしました。ちなみに功労者の家内は、残念ながら仕事。

アポイントは午後2時で、それを最初にして復路が帰宅ラッシュに巻き込まれると嫌なので、朝10に自宅を出ました。運転手さんは、いつものように少し早めに来て、車を洗ってくれました。


平日昼とは言え、お客さんが少ないSM

実はクリスマス前に日本食材やらをバコロドで買い出ししようと思ってたのが、12月16日にネグロスに上陸した台風オデットの影響で、それを果たせず。気がついたら年が改まっていたという次第。

食料品だけでなく、筋トレ後に服用しているプロテインとか、新しいスニーカーを購入。息子の分も買ったら、私と同じサイズになってました。もう今年17歳ですからねぇ。


お昼はアヤラモール内のイエロー・キャブでピザとスパゲティ。そして主目的のアニュアル・レポートは、窓口に行ったら私の書類が用意されていて、本当に支払いとサインだけで、5分もかかりませんでした。やれやれ。


ということで、買った品物やお昼に食べたピザの写真をフェイスブックに投稿。帰宅した家内に、真顔で「私の分のピザは、テイクアウトしてくれなかったの?」と問い詰められてしまいました。やれやれ。

2022年1月23日日曜日

シロアリ戦争

 かれこれ1年近く前の昨年3月、私が今寝起きしているゲストハウスに、シロアリが出没しました。フィリピンの住宅は、貧困層など、よほど経済的に余裕がない世帯じゃない限り、鉄筋コンクリートが基本。我が家もゲストハウス含めてすべてそうなので、木製部分というと、ドアとフレーム、モールとクローゼットの棚板ぐらい。そのわずかな木を狙っての侵入でした。

やっかいなのは、例えば居間のクローゼットだけだと油断してたら、一晩でトンネル状の通り道(英語ではチューブと言うそうです)を作り、隣の部屋や家具にまで拡散。たまたま木製の引き出しと、その中に保管していた、パスポートを食い荒らされてしまった。


この時は、そのチューブを全部掃除機で吸い取り、近所の建材店で買ってきたシロアリ用の殺虫剤を散布。一旦は収まったかに見えました。

ところが、しばらくすると隣の部屋のクローゼットやドアフレームに、シロアリが移動したらしく、チューブが出てきては、吸引・殺虫剤を繰り返すうちに、フレームがベコベコの状態に。ドライバーの先端で破ってみたら、出てくる出てくる。シロアリの大群。

フィリピンのシロアリが独特なのか、それとも世界中どこでも同じなのか、ポロポロ落ちてきたのが、人間にも噛み付くんですよ。取り敢えずいつものように殺虫剤を撒きましたが、これはもう素人の手には追えないと悟り、家内に相談して、専門の駆除業者を頼ることにしました。

さてそこは、シロアリが日本以上に蔓延っている熱帯のフィリピン。家内の高校以来の友人で、当ブログにも時々登場する、噂話大好きなナンシー。たまたま最近、彼女の家が同じようにシロアリ被害があって、駆除依頼したという業者を紹介してもらいました。

名前はMAPECON(マペコン)。Manila Pest Control の略称だそうです。ペストって入ってるから、あの怖い病気のことかと思ったら、これは害虫の意味。疫病のペストは英語で「Plague」ですね。我ながら不勉強でお恥ずかしい。

このマペコン。フィリピン全国に展開している有名企業らしく、対応も思いの外しっかりしている。連絡した翌日の火曜日にはちゃんと担当者が見積もりで来訪。「木曜日に駆除に伺います。」とのこと。

ちなみに見積もりは13,000ペソで、ざっくり3万円弱。こっちではメイドのライラおばさんの数ヶ月分の給与に相当する金額でも、日本で同様のサービスを考えると、破格の安さらしい。しかも1回だけではなく、2ヶ月毎に作業して1年間6回分の価格。

当日は「午前中」という約束ギリギリの11時半、2名の作業員が到着。まぁフィリピンだから上出来。

まずは、2LDKゲストハウス全部の木製部分に、ニードルのような道具で小さな穴を開けて、薬剤を注入。これは市販されている殺虫剤に比べ木材への浸透度が高く、効果が強いとのこと。さらに、電気の配線に伝って移動することもあるので、電源スイッチやコンセントの蓋を一つ一つ開けて、同じく薬剤注入。



ダメ押しに、家の外も中も薬剤散布。特に離れとして使ってる竹製のニッパハウスとベンチは、びしょびしょになるほどしっかりと。



これで終わりかと思ったら、コロナ禍以降の追加作業で、別の噴霧器で除菌液の散布。ご苦労さまなことです。

ここまでやって、ざっと1時間。フィリピンの業者さんにしては、いかにもプロって感じのテキパキした仕事だったので、はなはだ些少ながらチップを手渡しました。

作業が終わってからは、クローゼットの棚やドアフレームから「カサカサ」というような音が。たぶんパニックになったシロアリたちが大騒ぎになってるのかも。それも数時間ほど経つと静かになりました。

ということで、取り敢えずは我が家のシロアリ戦争、油断は禁物ながら、大反攻作戦の第一陣は人間側の勝利に終わったようで、ホっとしております。

2022年1月17日月曜日

トンガの大噴火に思うこと

 驚きました。ネットでシェアされた、南太平洋の島嶼国家トンガでの大規模な噴火。強い既視感があったのは、1989年公開のハリウッド映画「ディープ・インパクト」での隕石衝突シーンにそっくりだったから。「まるでCGみたい」というのが、私の偽らざる感想。同じことを2001年9.11の同時多発テロでも感じました。

SNSで指摘する人もいたように、ここ最近、100年に一度レベルの世界的な大災害が立て続け。ちょうど27年前の今日1月17日、私の住んでいた兵庫県南部を襲った阪神淡路大震災から、2004年インド洋沿岸諸国にに壊滅的な被害を出したスマトラ沖地震、2011年の東日本大震災とそれに伴う大津波・原発事故。

その他、今思いつくだけでも、アメリカ・ケンタッキー州の竜巻や、フィリピンでは2013年の、上陸した台風としては史上最強だったスーパー台風ヨランダ。それに続いて、まだ記憶も生々しい昨年(2021年)の、同じくスーパー台風オデット。

何よりもまさに今、100年に一度の新型コロナ・ウイルスによる感染症の世界的大流行の真っ只中。これって1970年代に、作家の五島勉氏が仕組んだ「ノストラダムスの大予言」の喧騒が、そのまま現実になっているとさえ思えます。

そしてトンガの大噴火。

あまりに衝撃的な映像を見過ぎたせいか「まるでCGみたい」となってしまったわけですが、その後の情報によると、驚くべきはその規模。人工衛星から撮影された、不気味に拡散する噴煙は、何と関東平野と同じぐらいの広さなんだそうです。周囲が海なので、スケール感が全然分かりませんでした。

それもそのはずで、実は今回噴火した巨大な山体は大部分が水面下で、見えている小さな島は、火口のごく一部が海上に顔を出したもの。

日本で、噴火の影響と思われる津波(正しくは「潮位上昇」)が観測され、一時は警報まで出た頃、ここフィリピン・ネグロス島にいる私は戦々恐々でネット情報を注視。ところがずっとABS-CBNを見てても、フィリピンに津波が押し寄せたとの報道は皆無。トンガからの距離は、日本より近いはずなんですけどね。

結局、日本では潮位上昇による直截的な被害は、当初の危惧に比べれば最小限だったようです。ただそれは後になって分かったことで、賞賛すべきは日本の気象庁。

学術的に津波と呼べるかどうか不明でも、敢えて「津波警報・注意報」を発令して、国民に強い注意喚起を促したのは、ファインプレー。東日本大震災の手痛い教訓が生かされたと見るべきでしょう。アホな政治家が後出しで「場当たり的」と批判したことが、逆にネット上では炎上してます。

フィリピンではヨランダの時、高潮で大きな被害が予測されていたのに、英語で高潮を意味する「Storm Surge」を使って警告したため、多くの住民にその深刻さが理解されず、レイテ島のタクロバンでは数千名が犠牲に。「ツナミと言ってくれたらすぐに逃げたのに」との声が上がりました。

緊急時には、言葉の定義の正しさより、いかに危険を該当者に伝えるかが最重要。

ということで、私たち家族がフィリピンに移住してもうすぐ10年。地震や台風の報道で、NHKワールドを付けっぱなしにしたテレビの前に釘付けは、もう何回目やら。2022年の年が明けて、まだ半月ちょっとなんですけどねぇ。



2022年1月13日木曜日

一時帰国のはずが逆永住

 とうとう足掛け3年目に突入してしまったコロナ禍。100年前のスペイン風邪が1918年から1920年までの約3年間、全世界で猛威を振るったそうなので、終息するまでは今年(2022年)いっぱいは、かかるのかも知れません。

それにしても3年は長い。

フィリピンが事実上の国境封鎖に近い状況になってからでも、すでに2年近く。日本からフィリピンにやって来る旅行者や学生を対象にしたビジネスは、オンラインでサービスが提供できるような一部の業種を除いて、ほぼ全面撤退。

私の住むネグロス島シライ市内で、自宅から徒歩10分程度の場所で営業していた、日本人向けの英語学校は、一昨年の3月に閉鎖。若き経営者は、半年ぐらいで戻れると信じて一時帰国されましたが、ご存知の通り未だ目処すら立たない状況。

英語学校に限らず、観光に依存していた日本人経営の宿泊施設や飲食店も、次々と店を閉めました。地元資本の大型ショッピングモールですらシャッター街になっているのですから、それも仕方のないことでしょう。

半年か1年ぐらいなら、蓄えを切り崩したり、一時的な仕事で食いつなげても、2年3年となったら、フィリピンのことは諦めて、日本で腰を据えざるを得ない人も出て来るでしょう。特に小さなお子さんがいる場合は、つらい選択を迫られていると推測。

日本で働くのが向いてない、国外に出て自由に生きたいと思ったからこそのフィリピン移住。私が今ネグロスに居を構えているのもそれが理由なので、当初の夢に反して日本に逆永住する無念さは、察するに余りある。

そして残念なことになったのは、ビジネスだけではありません。海を隔てて、フィリピン〜日本で愛を育んできたカップルにも、コロナ禍は大きな壁。

もう一緒に暮らしているならば、生活に不自由はあっても何とかなるんでしょうが、観光あるいは短期のビザで、どちらかの国にいるような場合、一時帰国のつもりだったのが、そのまま1年以上も会えないケースが頻発。

つい最近知ってショックだったのが、ネグロス島で出会い、一時は同棲までしていた日比カップルが破局を迎えていたこと。やはりビザの問題で一旦戻るしかなくなり、その後の再入国できず。先の見えない状況に、精神的に耐えきれなくなって、遂にお別れとなったそうです。我が家にも何度か来たことのある若者たちだったので、本当につらい。

私も家内と一緒になった時は、日本で暮らそうと申請したビザが発給され、家内の来日まで約4ヶ月。期限が不明で、いつになるか分からない再会を待つ気持ちは想像できます。それでも、その時の相手は所詮お役所だし、どうしても会いたければ、多少の費用はかかっても飛行機に乗って会いに行けました。実際、6月申請〜10月来日の間に、盆休みを利用して2回目の新婚旅行をしましたから。

ということで、日本でもフィリピンでも、多くの人々の運命を狂わせてしまったコロナ禍。フィリピンでは1日の新規感染者数が過去最高に迫る勢いの、オミクロン株によるリバウンドの真っ最中。

1年前の今頃に比べれば、ワクチン接種は進んでるし、発症後に有効な治療薬も、間もなく利用可能。明るい兆しを信じて、今しばらく耐えるしかなさそうです。


2022年1月12日水曜日

神に感謝で朝シャンプー

 昨年後半辺りからツイッター経由での在フィリピン邦人、特に若い方々との交流が重なるにつれ、日比カルチャーギャップも人それぞれだなぁと面白がっております。

一つ目は、初めてフィリピンに渡航した人が必ず目にする、朝、髪の毛ビチャビチャのロングヘアをなびかせて通勤・通学するフィリピン女性の姿。以前このブログでも取り上げた話。(濡れ髪の乙女

つまりフィリピンでは朝シャワーするのが一般的で、しかもドラヤーを当てると髪が傷むと思っているから、結果として濡髪で家を出ることになるわけです。もちろん女性だけでなく男性も同じなんですが、長髪男性が少ないから目立たないだけのこと。

私からすれば、濡れた髪を埃っぽい街中の空気に晒せば、そっちの方がよっぽど髪にダメージなんじゃないかと思うし、寝る前にシャワーせずそのままベッドに入る方が抵抗があるけど、そういう習慣だから仕方がない。

そんな日比カップルがフィリピンで一緒に暮らすと、日本人が「朝シャワーもせずに出かけるなんて汚い」と指摘され、返す言葉で「そっちこそ汗まみれのままベッドに入るなんて汚い!」となってしまうらしい。

私の場合、ほんの少しだけアメリカで生活する機会があって、それ以来、起きてすぐシャワーが定着。帰国後は朝シャワー夜はお風呂の燃費の悪い生活で、家内と一緒になった時も特に違和感はありませんでした。当初家内は専業主婦だったので、濡髪のまま出勤もなかったし。

次に意外だったのが「ありがとう」にまつわる件。

アジア最大のカトリック国であるフィリピンなので、なにか良いことがあった時、とりわけ諦めていたことが叶ったりすると、心の中だけでなく「Thanks to be God」「Salamat sa Dios」(神さまありがとう)と口に出すのは珍しくありません。

ところが、フィリピン人の友達や恋人、配偶者に贈り物をしたり、困っているところを助けてこれを言われると、「神さまじゃなくて、感謝するのは私でしょ?」とモヤモヤするそうです。

これまた私の場合は、そもそもフィリピンに移住する前からカトリック信徒だったので、「神に感謝」は違和感なく受け入れられるし、偶然そうだったのかどうか、家内もその親族・友達も、ちゃんと私にお礼を言う人ばかり。目の前にいる恩人を差し置いて、神さまだけに感謝するフィリピン人って会った記憶がない。

想像するに、幼い頃から、神さまにありがとうを忘れないようにと躾けられて、ひょっとすると「お母さんありがとう。」「お礼を言うのは私じゃなくて神さまでしょ。」みたいなやりとりがあるのかも。

ただ「神に感謝、以上終わり!」は、いくらフィリピンでも、少々社会経験が足りないんじゃないか?とは思います。まぁ悪気はこれっぽっちもないので、人間へのお礼も込みなんだと思っておけば平和。

そして、冗談で済まされないのが、裸の問題。何の話かというと、入浴に関するカルチャーギャップ。

日本でフィリピン人配偶者と一緒に暮らし、めでたく妊娠・出産。さて赤ちゃんをお風呂に入れようとなった時に、このギャップが発覚するという次第。

ご存じの通り、フィリピンでは毎日お湯に浸かるという習慣がない。家に備え付けのバスタブがあるなんて、相当な富裕層。なので、親子で一緒にお風呂という場面がまずあり得ない。シャワールームで小さな子供の体を洗う時は、親は着衣のままが当たり前。なので、子供が親の裸を見る機会はまずない。家内に聞いても「見たことない」。

風俗関係からフィリピンを知った日本男性の中には、フィリピン女性が肌の露出に対して誰でも奔放だと勘違いする人がいるかも知れませんが、私の知る限り、街中でへそ出しルックを躊躇わないのはむしろ少数派。ヌードはもちろん、過剰な露出には結構強い拒絶感があります。

これはキリスト教的倫理観に加えて、日常的にリアルな全裸を見る機会がほぼないからじゃないかと思います。子供なら男女どちらの公衆浴場に入っても可なんて、たとえ7歳に混浴可能年齢が引き下げられても、フィリピン人からすれば常識外れもいいところ。

フィリピンにもスパ(温泉)リゾートはありますが、入浴には水着着用が絶対条件。素っ裸で露天風呂に入ったりしたら、警察に通報されるのは確実。

さて我が家の一人息子。乳幼児の時は私もよく一緒に風呂に入りましたが、4歳ぐらいにはもう一人で入浴してました。これは家内がフィリピン式に、かなり早い段階で自分の体は自分で洗うという躾を徹底してたこともあります。ただ一時帰国時に銭湯行ったりしてるので、生粋のフィリピン人ほど裸に対しての抵抗感は少ないでしょう。ちなみに息子はお風呂大好きです。

ということで、今日は久しぶりに日本とフィリピンのカルチャーギャップについてのお話でした。



2022年1月10日月曜日

台風でメンタル・ダウン


出典:Philstar

 昨年12月のスーパー台風22号オデット襲来から、もうすぐ4週間。クリスマスと年末年始を挟んでいるせいか、ずいぶん昔のように感じますが、まだ1ヶ月経ってなかったんですね。

コースはほぼ直撃だったものの比較的被害が軽かった、ここネグロス島シライ。我が家の周辺は幸いにも断水はなく、翌日には電気も復旧。場所によってずいぶん差はあったものの、年内には大体の場所で、台風前の生活が戻ったようです。(家が全・半壊したような世帯は、当然ながらその限りではありません。)

家内に言わせると、直撃と言っても、ネグロスを南北に貫くシライ〜マンダラガン〜カンラオン山系が盾になってくれたから、この程度で済んだとのこと。確かに東側に遮蔽物がない、上陸地のシャルガオ、ボホール、セブ等の各島の被害は甚大で、さらに同じネグロスでも東ネグロスや、山陰に入らなかった南部のシパライは、たいへんな状況。

そんな中でも、フィリピン第二の都市であるセブとその周辺は、私の友達や知り合いの在留邦人が多数。最初の数日はネット接続すらままならず、安否不明の方々も何人か。連絡が取れるようになってからも、ライフラインがいつ戻るかの目処すら立たず、日々、食糧や、生活用水、ガソリンなどの確保に追われる苦労話で、一時ツイッターのタイムラインが埋め尽くされました。

以前にも書いた通り、1995年の阪神淡路大震災の被災地に住んでいた私なので、どれだけ辛い状態にあるかを想像するのは難しくありません。その上、1日で電気が戻ったことが変な罪悪感を引き寄せてしまったようで、気分が落ち込むこと甚だしい。それだったらSNSを見なけりゃいいのに、ついつい深夜まで入り浸り。

もちろん、被災地から懸命の発信を続けている人には1ミリの責任もなく、そもそもツイッターやYouTubeに情報を流し続けるのは、被災者同士の助け合いだったり、支援を求めていたり。私のようにただ見ているだけの外野は、まったくどうでもいい存在。

しかし、当初は電気が戻るだけで何ヶ月単位になるかもという悲観的な見方を早々に覆し、今日1月10日現在で、セブのかなりの範囲で送電が再開されているようです。軒並み電柱がぶっ倒れてた台風翌日の風景からすると、フィリピンの電力会社もずいぶん頑張ったんですね。

印象的だったのが、電気が戻って通電したウォーターサーバーの前で、大喜びで踊り出すフィリピン女性のショートムービー。日本人のご主人が投稿したもので、見ているこっちまで一緒に踊り出したくなりました。うんうん、気持ちは痛いほど分かるよ。

聞くところによると、盗電してたのが送電線の修理時にバレてしまい、電気を盗まれてた隣人と大喧嘩になったとか、発電機付きの集合住宅で、家主から高額の電気料金の請求が来たとかの悲喜劇も起こっているそうです。

ちなみに我が家の発電機で、満タン10リッターで約12時間稼働。半日で1,700円ぐらいはかかるので、単純計算で1週間2万円以上はいっちゃいます。知らなかったら暴利だと思うでしょうねぇ。

ということで、実はあまりのツラさに、たいへん失礼ながら、何人かの方はツイッターでミュートしてたのが、ここ数日でやっと私のSNSも復旧完了。まだまだ不安や不自由はあるでしょうし、私の視界の外では電気も水道もない場所は多々あるのは承知ですが、なんとか自分のメンタルを通常レベルに取り戻せました。

それにしても、足掛け3年目のコロナ禍と合わせて、台風被災地では文字通りのダブルパンチ。今年も一筋縄ではいかない1年になりそうです。



2022年1月5日水曜日

2021年10大ニュース

 来年のことを言うと鬼が笑うのなら、去年のこと言えば誰が笑うのか?

2020年はコロナ禍の気伏せりでパスしちゃった「10大ニュース」。2021年は書かなくちゃと思ってたところに台風襲来。結局年内は台風の投稿ばかりで終わってしまいました。でも2年連続でキャンセルは少々悔しいので、三が日も過ぎた後でやや気が抜けた感は否めませんが、2022年頭に2021年の10大ニュースを振り返ってみます。


第10位 「バランガイの調停」

これってまだ1年経ってなかったんですね。ずいぶんと昔のことのようです。

ご近所さんの騒音はもう慣れっこの私ですが、この時はちょっと様子が違いました。宅地を畑にして、通い農夫をやってるオジさんが、自転車に積んだデカいスピーカーで大音響音楽を流しながらの農作業。

直接「静かにしてくれ」と言って、宅地の警備員経由でも苦情を入れたところ、まさかの逆ギレ、バランガイ提訴。さすがにこれはフィリピンでも無理筋だったようで、当のオジさんは体よくバランガイ・キャプテンにあしらわれ、最後は握手して和解。そのオジさんの奥さんが、家内と同じ高校の同級生だったというオチまで付いて一件落着。


第9位 「光ケーブルで100Mbps」

日本に遅れることざっと20年、マニラ首都圏からも5〜6年遅れで、やっとネグロス島シライも光ファイバー網が上陸して、2021年は我が家も21世紀。世界最速のシンガポールに比べると全然大したことないけど、高画質でNetflixやYouTubeを楽しむには、もうこれで十分。残る問題は安定性の確保だけ...なんですけどね。

気まぐれにも程があるってぐらい、速い時は180とか200超えたりするのに、ダメとなったら単位がKbpsに逆戻り。何なんですかこれは?


第8位 「2021年も描いた美女イラスト」


「私的フィリピン美女図鑑」と称して、2021年に投稿したイラストが14枚。思ったより描いてますね。そのうち6枚が、家内や親戚、友達のフィリピン女性や日比ハーフの方をモデルにした和装の肖像画。

ご覧の通り着物や浴衣の柄って、描画の作業量が半端なく膨大。それでも平均して2ヶ月に1枚も描けたのは、モデルさん全員が身内や知り合いだったから。費やした時間分だけ、喜んでもらえるんですよね。親に褒められたくてお絵描きする子供みたいな動機ながら、それはある意味、私の創作活動の原点なのかも。


第7位 「歌う角には福来たる

私にとって、コロナ禍のお陰で良かったと言える数少ない事柄の一つがこれ。日本にいた頃は、教会の聖歌隊やらアマチュアのコーラスグループで歌ってたのが、移住後は週に一回、日曜日のミサで数曲。ところが一昨年からはミサにも行けず、歌う機会がほぼ消滅。

それではとばかりに、有り余る引きこもり時間を使って、毎日1時間のボイストレーニングを自分に課したところ、以前以上に声が出るようになりました。

年末には初めて日本人のお客さんの前で歌ってみたところ、たいへん好評をいただき、気を良くしております。今年は機会を作って、ストリートミュージシャンの真似事でもしてみようと画策中。日本のアニメソングを歌えばウケると思うんですよね。


第6位 「大活躍のダブル発電機」

相変わらず多発した停電。こればかりは、何年たっても変わり映えがしない、ネグロス中央電力の体たらく。自宅新築以来、ずっとディーゼル式の大出力発電機を使っていた我が家ですが、一昨年に増築したゲストハウスまではカバーできておらず、稼働時のエンジン音のデカさも気になってました。

そこで私が、自分の居室をゲストハウスに移したことを機に、比較的静かで出力そこそこのガソリン式発電機を2台購入したのが去年の1月。結果は大正解で、スターターは手動なので、バッテリー絡みの不具合はないし、以前の爆音に比べると近所への気兼ねもない。最初からこれにしておけば良かったと思うぐらいです。


第5位 「家族全員のワクチン接種

やっぱりコロナ関係の投稿が多かった2021年。ただ昨年はここフィリピン・ネグロス島でもワクチン接種が進みました。年頭はどうなることかと心配で、案の定、驚異的なスピードで接種を推進した日本の背中はどんどん遠くなる焦燥感はあったものの、お陰さまで家族全員、メイドのライラも含めて全員が接種完了の「フルチン」世帯。

その上、家内はジョンソン&ジョンソン、息子はファイザー、私はアストラゼネカ。なんとか効果がはっきりしているワクチンの恩恵に。

一時は100人単位の陽性患者が出ていたシライ市内も、年末には一桁台に抑え込み。まだまだ新株オミクロンの蔓延が懸念され、マニラ首都圏では一旦緩和されていた規制がまた1ランク上がってしまいましたが、1年前の先が見えない感覚からすれば、ずいぶんと明るく感じる年明けです。


第4位 「家庭教師バンビ登場

一昨年の6月からお世話になっていた、私のイロンゴ語家庭教師のアン嬢が、勤務先高校の授業平常化移行に伴い急に忙しくなってしまい、敢えなく辞職。それ以前の先生が半年前後ばかりの短命だったことに比べると、1年半も続いたのは立派でした。

思えばアンのお陰で、私のイロンゴ語力はずいぶんと向上しました。ちょっとした冗談もイロンゴで言えるようになったし、ネット上で手作りの日本語・イロンゴ語辞典も充実。正直、もう少し長く教えてほしかった。

とは言え、いつまでも寂しがっているわけにもいかず、早速、教育省勤務の家内に頼んで見つけてもらったのが、アン同様の現役バリバリの教師バンビ。39歳のベテランで、小学校の全教科プラス、ギターとピアノのレッスンもするというマルチタレント。まだ授業は2回しか行ってませんが、相性はなかなか良さそうです。


第3位 「新境地のイロンゴ語学習


第4位の新しい先生の話題を受けて、2021年は、私のイロンゴ語学習の幅がグっと広がった年でした。アン先生の時は、イロンゴ語の日記を書いて週一でチェックしてもらう手法が定着。教科書や辞書がない中の苦肉の策でしたが、こういう地味なやりかたも継続すれば力になります。そこで習った単語を、前述の辞典に加えていくことで、復習もできる。

それに加えてアンが提案してくれたのが、ネット時代ならではのビデオログ作り。高校の英語の授業でも取り入れてるらしく、1本作っただけでながら、とても楽しかった。今年は5〜6本は制作したいもの。

そして新任のバンビ先生は、何と言ってもプロレベルのミュージシャン。最初の頃にやってみてしばらく挫折してた、日本語の歌をイロンゴ訳してもらい、歌でイロンゴ習得するスタイルを再開させることにしました。目下練習中は「シクラメンのかほり」イロンゴ版。益々勉強が楽しくなってます。


第2位 「洪水に始まり暴風に終わった1年」


残念なトピックが上位に入ってしまいました。前年大晦日から元旦にかけての、10年に一度の大雨と洪水で明けた2021年。例年の季節風が強まる時期には、道路が冠水する程度の雨は珍しくないネグロスとは言え、この時は鉄砲水を引き起こす豪雨。

我が家のメイド、ライラが住む川沿いのギンハラランや、郊外のイーロペス地区では、建物の1階が水没する被害。10年に一度のはずが、同じ規模の水害が翌週にも発生して、散々な年明けになってしまいました。これも地球温暖化の影響による異常気象なんでしょうか?

そして年の瀬が迫る12月16日には、ネグロスを含むビサヤ諸島を直撃した台風22号「オデット」。ここネグロスも相当な被害でしたが、特に酷かったのが、台風進路の直下だったスリガオ、ボホール、セブ。3週間経った今でも電気や水道が止まったままの地域も多く、フィリピン第二の大都市セブでは、多くの在留邦人の方々が、先の見えない不自由な暮らしを強いられています。


第1位 「ツィッターで広がる在比邦人の輪

いろいろあった2021年ですが、私にとって一番インパクトがあったのが、ツイッターへの本格参入。ずっとROMを決め込んでたツイッターで、このブログのリンクを貼るのが、ほぼ唯一のつぶやきだったのが、気が付いたらフォロワーが100人越え。

特別気の利いたつぶやきするわけでもなく、ネグロスの日常や料理の写真、時々イラストをアップしてただけなんですが、マニラやセブ在住者がマジョリティのツイッターでの日本語フィリピンコミュニティ。リアルな地方暮らしの断片が面白く感じられるようです。

私にしても、ほぼ無縁だった、都会での詳細な情報を得ることができるし、何より変にフィリピンやフィリピン人をディスらない、フィリピンを愛しフィリピンライフを楽しんでいる人たちとのつながりができたのは、大きな喜び。

思いがけず、まにら新聞が発行している月刊誌「ナビマニラ」にインタビュー記事を掲載いただいたり、翻訳家、芸術家、獣医師、実業家、教師、シンガー、ユーチューバー...実にさまざまなプロの方々とも会話してます。情報収集や娯楽としては、フェイスブックをはるかに上回るSNSだと、今頃になって知った次第。


ということで、年明けてから書いてる年賀状みたいな投稿を、最後まで読んでいただきありがとうございます。「ネグロス島永住日記」は2022年も続けますので、これからもよろしくお願いします。