2022年12月31日土曜日

日本の餅、フィリピンの爆竹


 今年は、師走の半分を一時帰国に費やしたため、例年以上にあっと言う間に大晦日になってしまった感じです。思い返せば2022年は、前年クリスマス前にネグロス島を含むビサヤ諸島を直撃した、スーパー台風オデットの被害からの復旧で始まりました。年初の2ヶ月ぐらいは、何かとそちらに引っ張られましたね。

その後は、コロナ禍がようやく下火になったことに伴い、やむ無く失効となっていた息子の日本パスポートの再取得。戸籍謄本の写し取り寄せやら領事館のあるセブへの渡航でひと騒動。EMS(国際スピード郵便)は遅れに遅れ、セブパシフィックはフライト前日深夜にドタキャン。久しぶりにフィリピン住まいの不便さを実感させられました。

フィリピンの国全体として最大のトピックは、何と言っても大統領選を含む総選挙。前回のドゥテルテ旋風のような意外性はほとんどなく、実質的にドゥテルテ政策の後継者となった、ボンボン・マルコスが終始リードを保ったまま当選。副大統領候補がドゥテルテの実娘にして、ダバオ市長として父同様の政治手腕を発揮したサラだったことも大きかったでしょう。

選挙と時を同じくして、我が家は臨時支出のラッシュ。シロアリ被害でゲストハウスの押し入れやドア枠の総入れ替えに、突然の愛用パソコン Mac Book Proのクラッシュ。結局合計で10万円仕事となってしまい、年金支給までまだ5年も待つ身としては、厳しいものがありました。

明るい話題は、今年グレード10(日本の高校1年生に相当)になった息子が、丸々2年以上ぶりに学校での対面授業再開。私にとって、コロナ禍の終焉を一番実感したのは、この出来事。やっぱり街を歩いていて、子供をいっぱい見かけるようになると、フィリピンの日常が戻ってきたと感じます。

続けて迎えた、10月の私の還暦。一時は派手なお祝いは無理だろうと諦めムードでしたが、何とか親戚や友人にたくさん来てもらって、思い出に残るパーティを開くことができました。

ちょっと寂しかったのは、4年間我が家で働いてくれたライラおばさんが辞めちゃったこと。本人の健康問題が原因なので、仕方ありません。例によってなかなか次が見つからず、擦った揉んだの挙句、後任のメイドを紹介してくれたのが、私のイロンゴ語の家庭教師バンビ。何と連れてきたのがお姉さんのグレースでした。

ハウスキーピングのスキルは、ライラに比べると見劣りするものの、遅刻はほとんどせず、この半年で一度も無断欠勤がないのが、何より評価できます。

そして迎えた昨夜、12月30日の深夜。例年通り気の早い人たちが、あちこちで爆竹を鳴らし始めました。ちなみに、この日は小晦日と呼ぶんですね。しかも読み方が「こつごもり」。60歳になっても、まだまだ知らないことがいっぱいです。

その爆竹の音を聴いていてフト連想したのが、正月に餅を食べる日本の習慣。言うまでもなくフィリピンでは、毎年爆竹が原因で多数の怪我人が出ます。指を吹っ飛ばしたり火傷したり。運が悪いと大火事でたくさんの人が焼け出されたり、場合によっては命まで落とす羽目に。

方や餅と聞くと、つい脳裏に浮かぶのが、老人が喉に詰めての窒息死。調べてみたら、毎年しつこいほど注意喚起されているのに、やっぱり何百人もの方が亡くなっているそうです。どちらも危険なことは周知の事実。それでも大晦日にドンパチやるのも、正月に餅つきしたり、餅を雑煮に入れて食べるのも、今年から止めよう、とはならないんですよね。

ということで、今年一年を振り返った大晦日の朝でした。


2022年12月28日水曜日

高校生のクリスマスパーティで歌う

 日本への一時帰国の二週間、歌い倒してた私ですが、フィリピン・ネグロス島に戻ってからも、コロナ禍以降にすっかり習慣化した、毎日のボイストレーニングを続けております。冷たくて乾燥した日本の空気から一変、生暖かく湿った気候がどれだけ喉に優しいかが、よ〜く分かりますねぇ。

そして数ヶ月も前から予定していたのが、高校生が集まるクリスマスパーティでの歌唱。実は私から、イロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師のバンビにお願いしていたこと。とにかく歌うのが好きなので、日々孤独に練習するのも悪くはないものの、やっぱりある程度声が出るようになったら、人前で歌いたくなるというもの。

コロナ前は毎週日曜日に教会でのミサがあったので、曲がりなりにもこの欲求は満たされていたのですが、ようやく規制が緩んだ最近でも、まだまだマスクなしでミサっていうのはリスクが高い。特に不特定多数の信徒さんが全員で歌えるようになるのは、もう1年ぐらいはかかるかも知れません。

そこで、現役の学校教師で楽器を教えてもいるバンビに、何かの機会で歌える場所はないかと尋ねたら、高校の生徒たちを集めてクリスマスパーティをするので、歌ってください、となった次第。

ただ、バンビの教え子たちというのが訳ありで、家が貧し過ぎて通学の交通費もないとか、就学中に妊娠してしまい、通常の授業には出られないとか...。そういう児童や学生のために、フィリピンではALS(Alternative Learning System / 代替学習制度)というしくみがあります。

つまり通常の学校ではなく、各生徒の自宅やバランガイホール(公民館のような場所)図書館などに教師が出向いて勉強を教えるというもの。何を隠そうバンビは、このALS専任の教師なのです。

教えているのは高校生向けのカリキュラムですが、上記のような状況なので、年齢はバラバラ。中にはもう仕事をしていて煙草吸ったりする「オっちゃん」もいたり。

当初、生徒のパーティというので、日本のアニメソングなんてどうかなと思ったけれど、自宅でネットフリックスのような動画配信を視聴できる子は、まずいない。結局、フィリピン人なら誰でも知ってるようなポップスと、クリスマスソングの合計6曲準備しました。

パーティ会場は、バンビの知り合いの家。20〜30人程度は何とか飲み食いできるスペースではあるものの、お世辞にもきれいとは言えない建屋と庭。正直なところ、最初は引いてしまいました。本当は別のパーティスペースを借りるつもりが、高過ぎて予定変更したんだとか。日本円で5,000円ぐらいなんですけどね。

とは言え、こちらから頼み込んだ話なので、不平を言える立場ではありません。ちゃんと襟のあるシャツを着て革靴履いて、いつもと同じように歌いました。



会場となったお宅の飼い犬。
なぜかいきなり懐かれた。

曲目は、フィリピンでカバーされた日本発の歌、「Bawat Bata」として知られるゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」に、サザンの名曲「いとしのエリー」。クリスマス曲は「もろびとこぞりて」と「O Holy Night」。世界中でヒットしたエド・シーランの「Perfect」。最後に映画「アナと雪の女王」から「Lot it go」。ビューティフル・ネーム以外は、すべて英語で歌唱。

さて気になる歌への反応ですが、もっとドンチャン盛り上がるかと思いきや、超真剣に聴き込む一級品のオーディエンス。特に前の方に座っていた数人の女の子たちに、熱い眼差しで見つめられたのは、まったくの想定外。歌い終わってから「あなたの声は天使のようだ」って真顔で言われてしまいました。どっひぇ〜。

ということで、なかなか楽しく過ごすことができた約2時間。ちなみにバンビ先生は、こういう催し物には慣れきっているようで、ゲームやプレゼント交換など見事な司会ぶり。呼んでいただいて、ありがとうございました。



2022年12月27日火曜日

長雨と豪雪のクリスマス

 一時帰国からフィリピンに戻って、なんとなくバタバタしてる間にクリスマスが終わってしまいました。バタバタと言っても、クリスマスパーティが3回あって、ご馳走の残り物をたくさんもらったので、料理はほとんどしてないし、掃除はメイドさん任せ。日本の師走の風景に比べれば、かなりの余裕をカマしております。

パーティに関してはちょっと例年と違ったことがあって、詳しくは次回の投稿で書くとして、問題はクリスマス前後のお天気。

フィリピンでの12月は、通常、乾季の始まりとされていて、雨は降らないけどそれほど暑くもなく、一年で最も過ごしやすい時期...のはずが、なぜか今年は、私が日本から帰宅した翌日だけは晴れて、それから今日までの約二週間というもの、ず〜っとぐずついた空模様。

およそ乾季のフィリピンらしくない、灰色の雲が低く垂れ込め、時折の土砂降り。朝は一瞬だけ陽が差しても、1時間も持たない毎日。さすがの熱帯地方でも、ここまで日照時間が短いと気温は25℃前後止まり。フィリピン人ならぬ私には、「寒い」という表現は当たらないものの、短パンTシャツでは涼し過ぎ。就寝時には長袖・長裾のジャージ姿で、シーツにくるまらないと風邪を引きそうな勢い。

そう言えば昨年の12月には、レイテ、セブ、ボホール、そしてここネグロスを含むビサヤ諸島を、スーパー台風「オデット」が直撃しました。あれからもう1年経ったの?というぐらい、記憶も生々しいのに、今回の長雨で、またもやビザヤ東部とミンダナオで洪水。クリスマスに自宅が流されて何もかも失うという、慰めの言葉もかけられないような被害が出ているそうです。

スーパーコンピューターを駆使した超緻密な天気予報のある日本と違って、テレビのニュースで見るフィリピンの天気予報は、昔ながらの大雑把さ。気圧配置や前線の動き、予測される雨雲の位置を動画で見せるような工夫がイマイチなので、避難するほどの深刻さなのかどうか、あるいはどのタイミングでどこに逃げるかなんて、テレビを見てるだけでは、さっぱり分からない。

そして、フィリピンの異常気象的な豪雨とシンクロするように、同じ時期に日本では近年稀に見る豪雪に見舞われています。日本の気象情報の詳細なんて滅多に報じないテレビのCNNが、日本の大雪の映像を流すぐらい。これはよほどの被害らしい。

しかも極寒の中、北海道などで大停電。気候の良い時期なら「まるでネグロス島やんか」と笑いのネタにするところですが、これはちょっと洒落になりません。冬場、本当に寒い地方では、暖房を電気に頼らないので、生き死に関わるようなことはないかも知れませんが、さぞや心細く不便なことでしょう。

台風が接近する時によく見る「地球の風」というサイトがあって、大陸から日本上空を経た風が、巡り巡ってフィリピンにまで到達する様が分かる。こういうのを見てると、フィリピンの雨と日本の雪は、なんらかの関係がありそうですねぇ。




2022年12月22日木曜日

日本の老害にキレる

 私がフィリピン・ネグロス島に移住した頃からなので、ざっと10年前辺りから頻繁にネット上で見るようになった「老害」なる言葉。言葉自体はもっと前からあって、主に勤め先の会社で聞きました。しょっちゅう、ではないけれど、例えばどこかの部署の定年間近のトップが、必要以上に部下に威圧的だったり、意味なく形式的で物事が決まらない...なんて時に「あの部長は老害やからな」と使ってました。

ところが最近の老害は、どこかの組織内の話ではなく、普通にコンビニとか公共交通機関などで見かける老人を指すことが多いらしい。言うまでもなく、レジで店員さんを怒鳴りつけたり、駅員さんに絡んだりという輩。わざわざ老害というぐらいだから、実際の年齢よりも見た目重視。白髪だったりシワが多かったりの、パっと見が高齢者ってことなんでしょうね。

私が子供の頃は、年老いてくると性格が丸くなって穏やかになるってのが定説だったのが、この頃の老人は、脳の老化で堪え性がなくなると言われてます。この10年ほどで、日本人の老いのしくみが急に変わったとも思えないので、単に元気なジジババが増えたと推測。

今回の二週間の一時帰国で、ひょっとしてそういう難儀な爺さんに出くわすかもと、コンビニを利用する度に身構えてたところ、コンビニではなく地下鉄で遭遇しちゃったんですよ。


出典:株式会社HCI

久しぶりに乗った大阪メトロ御堂筋線。首都圏に比べると、それほどの混み具合ではない関西の地下鉄の中では、ダントツに乗客の多い御堂筋線。ベッドタウンの千里中央を起点に、新幹線の停車駅、新大阪を経て、梅田と難波という二大都心、天王寺から南は堺までを結ぶ大動脈。

その日も、ラッシュ時でもないのに、そこそこの混み具合。旅行カバンを持った外国人観光客の目立つ車内でした。ただ私は乗降客の多い梅田からの利用で、タイミング良く座ることができた...と思ったら、向かいに座ってた、白髪面長できちんとスーツを着た爺さんが、斜め前、つまり私の隣にいた人にブチギレの真っ最中。

怒鳴られているのは、まだ若い、ひょっとして学生さん?という感じのにいちゃんで、どうやら中国人か韓国人か、日本語がよく分からない人のよう。爺さんの言いたいのは、車内に持ち込んだ大きなスーツケース二つが邪魔で、他の人が座れないから、頭上の棚に上げろってことらしい。

でもなぁ、どう見ても棚に上げられるようなサイズでも重さでもない。そもそも混んでると言っても通勤時のギュウ詰めに比べると、かなり余裕の車内。そんなにギャーギャー言うほどじゃないでしょうに。当のにいちゃん、可哀想にどうしようもなくてオロオロするばかり。いくらなんでも、これは理不尽というもの。

そこで私は、義憤に駆られたわけではなく、単にあまりにも目の前の怒鳴り声が耳障りなので「やかましいわ、オっさん!」とブチギレ返しをしてしまいました。こじれるようだったら次の駅で降りて、駅員さんか警官を呼ぼうと覚悟して計画的にキレたんですが、運良く二言三言の応酬で爺さんが沈黙。もちろん納得したわけではなく、私が降りるまでずっとこっちを睨んでましたけど。

よく考えたら、同じことを私がしても、年齢的には立派な老害が成り立ちそうです。おそらく私とその爺さんの年齢差は、せいぜい10年ちょっとぐらいでしょう。この「事件」以降、電車や人混みなどで、周囲の人を観察するようになったんですが、気のせいか不機嫌な顔した高齢者が多く感じました。

こうなると、どうしても普段暮らしているネグロス島の高齢者と比べてしまうのは、自然な流れ。そりゃフィリピンにだって、見るからに不機嫌そうな爺さんはいますよ。ただ、これは高齢者に限ったことではないけれど、道行く人やショッピングモールのお客さんって、もっと穏やかな表情なんですよね。

まぁ、ネグロスが田舎だってのもあるかも知れませんが、やっぱり日本って、老人が心の平安を保つのが難しい国になったようです。



2022年12月21日水曜日

喋り倒した二週間

 早いもので、二週間に渡る日本への一時帰国から、フィリピンに戻って一週間。最大気温差が30℃という、還暦オヤジには少々キツい環境にもようやく慣れてました。10年前の移住以来、何度かの一時帰国はすべて初夏に設定。師走なんて初めてだったので、実質上日本の冬は10年振り。

もちろん、生まれてから50歳を過ぎるまで日本で暮らしていたので、別段驚くような寒さでもありません。しかも本格的な冬到来の1月とか2月でもなく、完全に想定内のはず。ところが意外なところで辛い。というのが、洗面所や浴室。

うがいの水が、こんなに冷たかったかというほど歯にしみるし、風呂上がりに身体を拭く時が寒くて仕方がない。老人が冬の風呂場で急死するというのも、なんとなく想像ができてしまいました。


実家屋上から撮影した早朝の空。気温3℃

ネグロス島自宅からの空。気温32℃

さらに侮り難いのが乾燥した空気。スマホのお天気アプリで比べたら、ネグロス島では湿度は90%超えてて、我が故郷の尼崎では65%ぐらい。今まで湿度なんて意識したことがなかったんですが、この差ってすごいんですね。もう手がエラいことになってしまった。

爪と皮膚の境目が、あちこちでパックリ傷が開いて痛いし、手の甲は粉を吹いたようになって、痒くて仕方がない。

そんな寒さをモノともせず、毎日よく喋った二週間。今回は急遽決まった帰国ということもあって、同窓会的な集まりはほとんど予定しなかったんですが、なぜかイレギュラーな場所でも延々とお喋り。

まずは叔父に、てっちりを奢ってもらった後、叔父の家に行って叔母さんと従妹に会うことになりました。このメンバーが、私を含めて「喋り」ばかりなので、これが当然の如く大阪弁のマシンガントーク応酬。話題はやっぱりコロナ禍をどう過ごしたか。普通に話せば暗くなりそうな内容でも、この親戚たちにかかると漫才になってしまうのが、関西人の不思議なところ。

そして前回も触れた、飲めない男が10年振りにお邪魔したスナック。目的はカラオケだったけど、それ以外の時間に、私が黙っているわけがありません。ある意味、お喋りが仕事の一部のようなママが相手をしてくれたので、実に気持ち良くお喋りさせていただきました。

そんな顔見知りだけでなく、たまたま買い物で立ち寄った心斎橋のアップル・ストア。商品の説明してくれた、流暢な日本語を操る韓国出身の若いスタッフ。私が1980年代からのアップル・コンピューターのヘビーユーザーだと言うと、興味津々で話に乗ってきました。気がつくともう一人の女性スタッフも加わって、30分ぐらい延々とアップル製品の昔話。

そう言えば、比較的最近できた、実家近くのショッピングモールの西宮ガーデンズで、マッサージをしてもらった時も、担当のお姉さんとずいぶん喋ったなぁ。後で壁みたら「コロナのため会話は最小限にさせていただきます」って張り紙してあったけど。

さらに最終日のダメ押しが、小学生からの友人がオーナー兼板前を務める寿司屋さん。「お前が言うな」となりそうですが、彼は私に輪をかけた喋りで、しかもなかなかの話術。平日の夜とは言え、持ち帰りのお客さんが一人来たきりで、夕方から深夜の閉店までほぼ貸切状態。それをいいことに、二人で4時間喋りっぱなし。この友人の驚くべき記憶力と、町内会長をやるほどの顔の広さで、ざっと半世紀に渡る共通の友人・知人の消息を知ることができました。

ということで、何年分かの日本語会話不足を一挙に解消したような気分で、無事フィリピン・ネグロス島の家に帰宅。話し相手になっていただいた方々に感謝です。



2022年12月14日水曜日

歌い倒した二週間

 二週間の日本滞在も実質的に本日が最終日。明日朝のフライトでフィリピンに帰ります。

日本生まれなので「フィリピンに帰る」というのは、変と言えば変なのですが、移住してもう10年。やっぱり私にとってのホームは、フィリピン・ネグロス島。特に寒い時期だったので、常夏の湿気いっぱいで生暖かい気候が、恋しくて仕方ありません。

さて今回の一時帰国。前回、前々回と、学生時代の友達や親戚との再会予定を入れまくって、連日慌ただしく過ごしたのとは違い、比較的余裕を持ったスケジュール。あんまり人と会うつもりはなかったはずが、終わってみれば歌って喋った二週間となりました。

まずは、帰国二日目で参加したゴスペルの1日ワークショップという催事。大学の同級生で、大阪市内の某プロテスタント教会に属している人が、たまたまフェイスブックでシェアしていたお知らせを目にして参加することに。

私も以前は教会の聖歌隊にいましたが、カトリックの聖歌というのは、映画「天使にラブソング」で知られるようになった、踊り歌うゴスペルとは全然方向が違います。日頃は陽気なフィリピンでさえ、ミサ曲はどちらかと言うと、ゆっくり静かに歌い上げるものがほとんど。

聖体拝領(信徒が一人づつ、ちっこい煎餅みたいのを頂くやつ)の時に、フォークっぽいのを歌ったりすることはありますが、そもそも典礼聖歌って、どの部分で何歌うか決まってますからね。なので、私にはまったく未知の領域であるゴスペル。興味津々で出かけました。

集合場所は、大阪市内の住宅地にある小さなチャペル。その2階がミサというか礼拝ができるホールになっていて、信徒さんでありプロのシンガーである女性が指導。予想よりも集まった人は多くて、30人ほどもいらっしゃったでしょうか。

ちなみに指導されたのは、大山奈緒さんという方で、思いっきり大阪のおもろいお姉さん。YouTubeでもピアノ弾き語りで美声を披露されていますので、ご興味のある方はお聴きください。(Nao Oyama - YouTube) 

曲目は、お馴染みのクリスマス曲「もろびとこぞりて」と、「This little light of mine」という、昔の高校生がギターでキャンプファイヤーに歌いそうな曲。1時間半だけだったので、軽い発声練習と数回ざっと歌っただけながら、日頃孤独にボイスとレーニングに励む者としては、10年ぶりのハモリ。懐かしく楽しい時間を過ごすことができました。

しかも、練習後は近所の駅前交差点に出て、フラッシュモブを初体験。ミュージカル映画みたいに、突然一人が歌い出して、通行人のふりしたみんなが、少しづつ集まって歌い、最後はきれいにハモったコーラスになるというアレ。12月4日の黄昏時、大阪環状線の野田駅付近でこれを目撃された方、あの中に私がいました。

そしてさらに翌週。

実は日本にいる間もだいたい毎日、自宅近くのジャンカラに通って、約1時間のボイストレーニングをやってて、面白半分にジャンカラの店の写真をフェイスブックにアップしたら、スナックのママをやってる友達が、歌うならウチの店においでよと、実に真っ当なご提案。

この友達、10年以上前のまだ日本に住んでた頃、ミクシィを通じて知り合いました。お酒は全然ダメな私ですが、移住直前に一度だけ遊びに行ったことがあります。その後もフェイスブックで付き合いは続き、折角のお誘いなので10年ぶりにスナックへ。

平日ど真ん中だったので、それほどお客さんがいなかったのを幸いに、薄ぅ〜いウイスキーの水割り一杯で、ひたすらマイクも持たずに歌い倒した2時間。ビートルズ、クィーンから始まって、日本の歌謡曲にタガログ・ソングなどなど。とっても気持ちよく歌わせていただきました。他のお客さん「今日はケッタイな奴が来とるなぁ」と思われたでしょうね。

ということで、乾燥した空気にも慣れて、ようやく声の調子がエエ感じになったと思ったら、もう明日で故郷にさよなら。でも週明けには、イロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師バンビの紹介で、彼女の教え子たちのために、クリスマスパーティで歌うことが決まってるんですよ。



2022年12月12日月曜日

B級グルメ三昧の一時帰国

 11月末以来、ほぼ二週間ぶりの更新は、兵庫県尼崎市の実家からです。

前回から3年半。コロナ禍のためにフィリピンから出ることも日本に入ることもできず、ようやく2022年も師走に入っての帰国。まぁ、コロナがなくても3年ぐらいは間隔を空けているので、それほど望郷の念にかられたわけでもないけれど、やっぱりいつ戻れるか分からないというのは、かなりのストレスでした。

こんなに寒い時期にわざわざ帰国した理由は、また後日書くとして、今日は久しぶりに日本の食べ物を満喫しているというお話。

満喫していると言っても、お高いレストランや料亭を回っているわけではありません。そもそもそんなお金もないし、微妙な味や香りの違いが分かるような食通でもない。早い話がB級グルメ。

今回は格安航空券で関西空港到着が深夜。空港内の、これまた格安のカプセルホテルで一泊。夕食は機内食で済ませたので、最初の食事は空港内の「なか卯」で朝ごはんとなりました。もういきなりの庶民の味。でもこういう何気ないレストランが、フィリピン在住者にはどれだけありがたいか。うれしいことに朝食のセットでうどんと明太子ご飯があったので、迷わず注文。


その後、昼と夜はほぼ外食か持ち帰り。ざっと並べてみると、こってりラーメンの天下一品、カレーのCoCo壱、餃子の王将、和食の家族亭などなど。チェーン店以外では、実家の近所にある、じっくり煮込んだカレーに、お好み焼き、たこ焼き。昨日は、神戸水野屋という関西では有名なコロッケ専門店からお持ち帰りで、さっき新大阪の駅ビルで食べたお昼は、スパゲティ・ナポリタン。我ながら、見事なまでにお子様テースト。




ちなみに朝は、驚くことに86歳になった父親が毎日作ってくれてます。なぜならば今、母が老人ホームにいて一人暮らし。世間的には「独居老人」なんですが、まだ仕事してるし、二人の弟が定期的に様子を見てくれている。なので意外にも家事や自炊を楽しんでいる感じ。

まぁ料理と言っても、野菜はカット済みのキャベツで、ハムとソーセージは袋から出して炒めるだけ。それと目玉焼きとトーストなので、それほど手間が掛かっているわけではありません。ただ、子供のころから父が作った料理を食べた記憶がなく、還暦過ぎて初めての経験。やればできるんや。

さて、朝は別として、外食ばかりだと体重を心配されるかも知れませんが、実は毎日、かなりの運動量。というのも、買い物や旧友に会いにいったり、あるいは昔住んでいた場所を巡回などなど、歩き回ってるんですよ。

しかも今回、なぜか高校生の息子の要望が「鉄道写真」。鉄っちゃんとまではいかないけれど、小さい頃から電車大好き。残念ながらフィリピン・ネグロス島には旅客鉄道がなく、鉄成分が慢性的に不足しているようです。

言うまでもなく関西地方はJR西日本と東海の旧国鉄に加えて、大手だけでも阪急、阪神、近鉄、南海を擁する私鉄王国。首都圏には及ばないものの、鉄道写真の撮影場所には迷うほどあります。





こんな具合に、足の指先に血豆ができるほど歩くのと、10年ぶりにさらされた寒さでカロリー消費が激増。それでなくても何食べても美味しい日本食に空腹が加わって、だいたい1日4食の日々。こんなの学生の時以来かも。

もちろんファーストフードの類ばかりでもなく、父と弟家族を伴って、中学時代の友人が経営する地元の寿司屋さんで腹一杯お寿司を食べたり、80歳の叔父(こちらもまだ働いてます)に、てっちりをご馳走になったり。数日前には、今ワールドカップで有名になった堂安選手ご贔屓の、阪神尼崎にあるてっちゃん鍋の店にもお邪魔しました。




ということで、帰国前はそれほど日本食に執着してない、みたいなエエ格好してたのが、すっかり手のひら返し。連日のB級グルメ三昧(たまにA級)となっております。



2022年11月30日水曜日

バスが時間通りに来る国

 一時帰国を明日に控えて、前回に引き続き「日本が良いのはこういうところ」第二弾。今回は公共交通機関についてです。

こう書くと、フィリピンに限らず、海外に長く住む日本人なら言わでもがなでピンと来ると思います。鉄道にしろバスにしろ、公共交通機関が時刻表通りに運行されているのって、多分日本だけじゃないでしょうか?

かれこれ30年ぐらい前になりますが、仕事やプライベートで頻繁にヨーロッパ旅行をしていた頃、ロンドン〜カーディフ(ウェールズの首都)、ハンブルグ〜ハノーバー(ドイツ)、アムステルダム〜ロッテルダム(オランダ)そしてアムステルダムからブリュッセル、ルクセンブルグを結ぶ国際列車などに乗車。当時はまだEU統合前だったので、客車の中でパスポートにスタンプを押してもうらう経験もしました。

地下鉄や都市内鉄道なら、ロンドン、パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、シンガポール、香港、台北...。思い出してみると、我ながらずいぶんといろんな国で鉄道を利用したもの。もちろんマニラのLRT・ MRTにも何度か乗ってます。

そのどれもが、定時運行という点では、日本に比べるとユルユル。定時どころか、突然の欠便があっても誰も驚かない国も多く、数分の遅れを神経質なまでに気にするのは、間違いなく日本だけ。

さすがに路線バスになると、日本でも寸刻の遅れなく...とはならないけれど、それと分かる渋滞や事故でもない限り、せいぜい10分以内程度の誤差で来ますからね。しかも路線によっては、次のバスがどの辺りを走ってて、到着時刻のデジタル表示があるバス停だってある。前回の一時帰国で、久しぶりに大阪市バスに乗って驚いた浦島太郎は、私です。

それとフィリピンの地方都市を比べるのは、あんまり意味がないかも知れませんが、そもそも私の住むネグロス島には、旅客鉄道がない。わずかに敷設された線路も、走ってるのは、サトウキビ運搬のための蒸気機関車。これがまた機関車ヤエモンを彷彿とさせる、博物館展示品級の車両。一時引退してたのが、ここ最近のガソリン価格の急騰を受けて、また使い始めたそうです。

運転が殺人的に乱暴で、ドライバーに覚醒剤中毒者が多いと噂される、ネグロスの路線バスのセレスなど、時刻表なんてあったっけ? 歩合制なのでぶっ飛ばしてできるだけたくさんの乗客を運んだ方が儲かるから、もしあっても完全無視でしょうね。乗り合いバスのジプニーに至っては、乗客の求めに応じて臨機応変に停車する自由気ままな運行。乗る人が少ないと、増えるまで延々待たされたりする。

こんな状況に慣れてしまうと、携帯アプリやヤフー検索の路線情報を見て、軽く感動してしまいます。行き先と目的地、時間さえ入力すれば、最適の乗り継ぎを一瞬で探してくれる。しかもネグロスに居ながらにして調べられる。何より、そのナビゲーションに従ったら、本当に時間通りに着いてしまうんだから、やっぱりすごいですわ。

ということで、今日は朝から荷造りしたり、日本に滞在中の予定を立てたり。待ち合わせ時間から逆算して、電車に乗る時間をスケジュールに入れつつ、カウンター・カルチャーギャップに浸っております。



2022年11月28日月曜日

一時帰国前のグルメ・シミュレーション

 日本のことを書くと、ついディスってしまいがちなこのブログ。祖国が嫌いなわけじゃないけれど、どう考えても日本で子育てしたり、自分が老後を過ごすのには無理だなと思って、フィリピンに移住した私。やっぱり現状の日本の社会や政治には、厳しい目を向けてしまいます。

ただ、誤解してほしくないのは、日本とフィリピンを単純に比較して、フィリピンに軍配が上がったというわけではない事。飽くまでも移住を決めた時の、私の年齢や資産状況、性格やライフスタイルの指向、家族構成などなど...かなり複雑な要因からこうなったというお話。

当然ながら、フィリピンのすべてが素晴らしく、誰にとっても理想郷...なわけがありません。そこで、一時帰国を数日後に控えた今回は、日本とフィリピンを比べて「日本が良いのはこういうところ」を考えてみたいと思います。

そこでまず最初に頭に浮かぶのが、日本の食事。

フィリピンに限らず、長期に海外に住むと、ほとんどの日本人が感じるのが、日本の食事レベルの高さ。これは、神戸ビーフが世界一だとか、〇〇の五つ星レストランが...といった最高級のことではなく、そもそもベースラインがとても高い。

最近どこでだったか、「食に関しては、日本に生まれただけでエリート」なんて発言を聞きました。さすがにそこまでは思わないにしても、一番安く買える食品でも、そのままフィリピンに持って行ったら、物によっては、高級食材で通用してしまうぐらい。

例えばコンビニ弁当。ネグロスの州都バコロドの、かなりお高いレストランのランチ・ビュッフェに並べても、十分通用すると思いますよ。コンビニで大喜びで買い物してる日本人がいたら、長期の海外滞在から帰国した人である確率が高い。

その原点にあるのは、おそらく日本の家庭料理でしょう。

戦後の食糧難時代を経て、私のような昭和30年代頃に生まれた人々は「家での食事が普通に美味い」のが当然になった最初の世代。と書くとかなり語弊があって、誰しも母親の手料理には郷愁を感じ、どの世代であろうとお袋の味は最高、と言われるかも知れません。また作る人の得手不得手にも左右されます。

ただあの時代は、食材の種類や質が、高度経済成長と共にどんどん豊富にグレードアップ。専業主婦の割合が高かったことを考えると、日々の食事を美味しくすることへのモチベーションは十分あったと思います。

今となっては、それが当たり前の家庭で育ったオっさんたちが、品数多く、美味しい料理への感謝を忘れてしまって、配偶者に愛想を尽かされり。さらにはオっさんだけでなく、その母親の世代が「コンビニ食材で済ますなんて、夫や子供への愛情が不足」と、意味不明な価値観を振りかざすこともあるらしい。

なので、必ずしも手放しで評価はできないにしても、家庭料理が、日本人の味覚の底上げに果たした役割は決して小さくはありません。

そんな、ある意味「舌の肥えた」人々が外食に求めるレベルを満足させるためには、普及価格帯であっても作り手は切磋琢磨しないと競争に勝てない。「これなら家で食べた方がマシだ」と、考えてみれば誰に対しても失礼な物言いをする人がいますが、いやいや、日本の家庭料理は決してレベル低くないですって。

ちなみに、思いっきり手前味噌で申し訳ないことながら、フィリピン移住後に始めた私の自炊。フィリピンの家族や親戚、友達に評判がいいのは、間違いなく母の手料理のお陰。実際に作り方を教わった記憶はないけれど、毎日食べさせてもらえば、それを元にして絶対音感ならぬ絶対食感(みたいなもの)ができたんでしょう。我ながら、不思議なくらい味付けが似てくるんですよ。

つまり知らず知らずのうちに、母の、というか昔の日本主婦のクッキングスキルは、グローバル水準に到達してたんですねぇ。ひたすら感謝。

ということで、今日も朝から、餃子の王将や天下一品、家族亭の場所をグーグルマップで検索しながら、グルメ・シミュレーションに余念がありません。グルメというほどではないですが、チェックしないと店舗が無くなったり移転してたりするので。


出典:天下一品
最後に念の為に書いておきますと、フィリピン家庭料理のレベルが低いとか、マズいって意味じゃないですよ。好き嫌いがあるので、何でも美味しいとは言いませんが、やっぱりフィリピンの食材を活かして、その気候にベストマッチした料理がたくさん。日本の味とは比べられない美味しさがあります。



2022年11月26日土曜日

フィリピンからワールドカップ観戦


出典:BBC

 インターネットの日本語環境では、かなり贔屓目に見ても、盛り上がってるようには感じなかったカタールでのサッカー・ワールドカップ。それが勤労感謝の日の深夜、日本がドイツに勝ってからというもの、どこを見てもワールドカップ関係の記事ばかりがずらりと並ぶ状況に一転。フィリピンで視聴できるCNNやBBCでさえ、ビッグニュース扱いで報道されてました。

かく言う私も「ああ、ドイツと試合か」ぐらいなもの。ケーブルテレビで放送してたかも知れませんが、まったくノーチェック。実は大学時代に2年だけサッカー部に所属していたので、一応気にはしてたものの、騒ぎに気づいたのは、後半に日本が同点に追い付いた頃。

ツイッターでフォローしている人たちが、一斉にエキサイトし始めて、どうなってるのかと速報を見たら、ちょうど2点目のゴール。興奮がピークに達してました。

さて翌日、家族に話題を振ってみると、一応、家内も息子も知ってました。でも知ってただけで、別に喜んだり騒いだりのリアクションは皆無。そもそもドイツ代表がどれだけ強くて、そのチームから逆転で2点取ったことの凄さがまったく分からないのだから、共感を求めても土台無理というもの。

ここフィリピンにはプロのサッカーリーグがあるにはあります。ただ、財政難を理由にチームの離脱があったりして組織や名称が何度か変わり、日本に比べるとイマイチ存在感が薄い印象。ちなみに我が地元のセレス・ネグロスFCはフィリピンでは強豪チーム。

そんな状況なので、一般的にフィリピンでのサッカー人気は、バスケットボールに比べるとかなり地味。周囲の人たちに聞いても、たぶんワールドカップ開催中ってことすら、ほとんど知らないでしょうねぇ。下手したら「そもそも、ワールドカップとは?」から説明する羽目になりそう。

そこで、なぜドイツに勝って大騒ぎになるか、端的に分かってもらうために考えたのが「バスケでフィリピン代表が、シカゴ・ブルズに逆転勝ちしたようなもの」というフレーズ。家内にそう言ってみましたが、ここまで言うと現実味がなさ過ぎて、「そうでっか?」みたいな反応。う〜ん、バスケのワールドカップがあれば説明しやすいのに...。

と思って調べてみたら、あったんですね、FIBAワールドカップ。私が勉強不足なだけでした。それも意外にも70年以上の歴史を誇る由緒ある大会。アメリカばかり優勝してそうなイメージですが、直近2019年大会のチャンピオンはスペインなんだそうです。さらに驚いたことに、来年(2023年)は日本、インドネシア、そしてフィリピンの共同開催。全世界のバスケファンの皆様、たいへん失礼しました。ちなみに家内も知らかったとのこと。

ところで、例のサポーターが試合後に観客席のゴミ掃除をしたり、選手がロッカールームに紙屑一つ残さなかったという出来事は、フィリピンでも、試合結果より関心を集めてるようです。まぁ、話としては分かりやすいですからね。

こっちに関しては、特に誇らしいとかニッポンエラいとは思わず、散らかってたら片付けようというのは当たり前の反応、と感じるぐらい。道徳的な視点じゃなくて、子供の頃から教室の掃除させられてたら、自然とそうなるでしょう。特にフィリピンでは、自分の家族や親戚が埋葬されている墓地ですら、ゴミ捨て放題にしちゃうお国柄。感覚が違い過ぎて、何やら神秘的に見えるのかも知れません。


2022年11月23日水曜日

生き方を変えられない日本人

 前回に続いて、ホリエモンチャンネル(堀江貴文さんのYouTubeチャンネル)を視聴して感じたこと。

もう3年ぐらい前の話題で恐縮なんですが、ツイッターで「手取り14万円 日本終わってる」とのつぶやきに、堀江さんが「手取り14万?お前が終わってんだよ」と返して炎上した件。これを説明するための動画。

冒頭に本人さんも言っておられるように、そもそも、短い言葉でやりとりするところに面白ろ味があるツイッター。それを長々と動画で解説するなんて無粋もいいところ。ただ、当初のツイートから切り離してみても、これはなかなか納得する内容でした。

詳しくはYouTubeをご覧いただくとして、要するに、33歳で10年間も手取りが月14万円をずっと我慢してるって、あんたアホなの?ということ。今時ネットをそこそこ使えば、1ヶ月に14万円以上の収入を得るのは、そんなに難しいことではない。それは私もそう思います。

実際に私も、ほんの一時期とは言え、海外旅行をテーマにしたサイトに、短いエッセイみたいな文章を書いてお金を貰ってました。単価は安くても、複数のサイトに頑張って投稿すれば、月14万円ぐらいは十分稼げたでしょう。

そして別の角度からの指摘がもっと鋭くて、仮に14万円を固定して考えても、ネットで仕事するなら、家賃も物価も安い地方に住めばいい。ネットフリックス、YouTube、ゲームの類は、どこに住んでも同じように楽しめるし、格安航空券を使えば月に一回ぐらい東京に遊びに行っても金額は知れてる。

このライフスタイルこそ、まさに今現在の私が実践している生き方。私の場合は現役で働いているわけではなく、若い頃の貯蓄や退職金を少しづつ切り崩しているわけですが、コンセプトは完全一致。つまり14万円しか収入がないのなら、14万円で楽に暮らせる場所に移ればいいってだけのこと。

これが20年前なら、地方には仕事はないし、不便だし...ってなったんでしょうけど、今やここフィリピンのド田舎でも、ブロードバンドが敷設される時代。多少の工夫は必要とは言え、日本にいた頃よりもQOL(生活の質)はむしろ格段に上がったぐらい。ちなみに2022年現在でのネグロス島での生活費は、1ヶ月10万円に届いてません。

結局のところポイントは、収入の低さ云々ではなくて、生き方の問題。おそらく月収14万円で文句を言いたくなるってことは、物価の安い地方ではなく東京などの大都市の住民なんでしょう。ちっちゃな賃貸でも、家賃はバカ高いので、収入の半分ぐらいはそっちに取られてるのかも知れません。確かにそれでは、文句も言いたくなる。

しかし10年ってのは、どんだけ我慢強いねん?と思ってしまいます。

昇給の見込みがないなら、転職を考えるとか、ネットで副業するとか、何か方法がありそうなもの。さすがに海外移住っていうのは敷居が高いにしろ、国内であっても住む場所を変えれば、他の可能性も見えてくるはず。

日本の経済がここまで低迷して、回復の兆しがなかなか見えないのは、ひょっとすると「日本終わってる」氏のような生き方を、心ならずも選んでしまう人が、若年層に多いからなのかも知れません。給料は上がらないのに税金は上がる、生活に金がかかり過ぎて結婚もままならない。子育ても難しい。老後の年金も貰えないかも知れない。これって日本以外の国だったら、暴動が起こっても不思議じゃないレベル。

ここまで虐げられても、ゼロリスク指向が身につき過ぎて、自立することも海外に出ることも最初から無理だと諦め、たまたま最初に入った会社にしがみつき続ける。ついでに選挙にも行かないから、為政者にとってはいいカモですわなぁ。

当然そんな人ばかりではなく、フィリピンに来て頑張りつつも生活を楽しんでる日本の若者がたくさんいるのも事実。私にしたって、定年まで日本で働き続けるよりも、何倍、何十倍も人生を謳歌している実感があります。

ここは声を大にして言いたい。生き方って才能の有無に関係なく、決断さえすればいつでも変えられますよ。特に20代30代ぐらいなら、やり方次第でどうにでもなりますって。


フィリピン人がコメ大好きな理由

 このところホリエモンこと堀江貴文さんのYouTubeチャンネルにハマって、いろいろ見てます。相変わらずの「いまさら」で、申し訳ないんですが、とても面白い。何が面白いって、話題の幅が実に広い。宇宙開発に東京オリンピック絡みの一連の逮捕劇、グルメ、ジャニーズ、お笑い、演劇...。そしてすごいのが、どれも聞き齧りの知識を披露してるんじゃなくて、全部自らビジネスを展開していること。

なので、いちいち言うことがリアル。最初はホンマかいなと思って聞いてたら、実際に自分でやってみた、あるいはその道でバリバリの実績を上げてる人が、実はビジネスパートナー、みたいなネタばかり。

一番最近見た動画が日本の農業に関するお話。対談形式で、お相手が茨城県で農場を経営している久松達央という方。和牛やラーメン、カレーなど数々のフードビジネスを展開する堀江さんに、有機野菜を供給されているそうです。

私を含め、身近に農業従事者がいない人は大抵そうだと思いますが、農業=仕事はキツいのに儲からない、お嫁さんが来なくて困ってる、みたいなイメージを抱きがち。ところが今や日本の農業って、守るべき可哀想な産業でもなんでもなく、集約化・合理化が進んで、儲ける人はすごく儲けている分野。農家の数が減っていること自体は、別に憂慮する必要はない...。というような話で、目から鱗の連続。

その中で出てきたのが、稲作は儲からないというトピック。

農業機械が発達して、しかも補助金まで出るので、稲作自体は昔に比べると人手はかからないし、ずいぶんと楽になった反面、広大な田んぼで大量に収穫しないとペイしないらしい。逆に手間はかかっても、ネットのお陰で、生産者と消費者が直接やりとりできる今なら、付加価値の高い野菜や果物を多品種少量に作るほうが、ビジネスとしては旨味が大きい。実際、上記の久松農園のホームページには、オンラインショップがあります。

つまり、米さえ腹一杯食べられて、おかずの野菜やお肉はそこそこあればいい、というのは遠い昔。少なくとも今の日本で求められるのは、量よりも質とバラエティ。

そこで堀江さんが例に出したのが、バングラデシュ。今でもアジア最貧国とされるこの国では、多くの国民にとって食糧はまだまだ質より量。日本やフィリピンと同じく主食の米は食べられても、タンパク質やビタミンの摂取がまったく足りない。

その結果が、身体の抵抗力が弱く、感染症などで命を落とす確率が高くなる。人口は多くても寿命が短い。

ここまで聞いて、私はハタと膝を打ちました。程度の差はあれど、フィリピンも似たような状況。なるほど、フィリピン、特に貧乏な人たちに、異常なまでにお米好きが多いのは、こういう背景なのか。


出典:The Culture Trip

豚肉や魚を十分に買う余裕がなければ、せめて米で腹を膨らまそうと思うのは理の当然。私が子供の頃すでに昔話だった、おかずが梅干しだけの「日の丸弁当」が、フィリピンではリアルだったりします。もちろんこちらでは梅干しではなく、代わりに「塩」。住み込みメイドさんの虐待例として、食事は米と塩だけなんて話も。

まぁ塩だけは極端としても、我が家の先代メイドだったライラおばさんのお昼は、本当にそんな食べ方。好みは塩っ辛い魚の干物とか、醤油たっぷりのアドボ。これをおかずに山盛りの白米を掻き込んでたなぁ。たまに前夜のカレーなんかがあると、大喜びでした。

米好きが多いというと、日本人としては親近感を覚えて嬉しくなったけれど、貧困の裏返しだと思うと、何だか複雑な気持ちになります。日本では、食材を買う場所が市場の八百屋さんから、品数が豊富なスーパーに取って代わるのと時を同じくして「米離れ」なんて言われました。日本人の寿命が延びて、人生100年になったのも、それが理由の一つなんでしょう。




2022年11月16日水曜日

石山永一郎 著「ドゥテルテ」

文春オンラインで、一部抜粋の記事を読んだだけなんですが、今日はこの著作「ドゥテルテ 強権大統領はいかに国を変えたか」についての投稿です。

著者の石山永一郎さんは、1957年(昭和32年)のお生まれなので、私より5歳年上のほぼ同世代。共同通信社を経て、在比邦人にはお馴染みの日刊まにら新聞の編集長をされていたことも。石山さんの著作は、私がネグロス島に移住する前に「マニラ発ニッポン物語」を読みました。

そんなフィリピンに詳しいジャーナリストなので、抜粋だけでも切れ味の鋭さが感じられる文章。ドゥテルテ前フィリピン大統領に関しては、6年前の就任直後から「対ドラッグ戦争」のセンセーショナルな部分のみ切り取って、日本でもかなり報道されました。そのほとんどが、いわゆる超法規的殺人での死者数や、巻き添えになったとされる子供や女性にフォーカス。

おそらく文春がつけたであろう、今回の記事の見出しも「『抵抗する者は殺せ』警察による超法規的殺人で6000人超が死亡、なかには3歳の少女も…腐敗していた警察組織の“リアルな実態”」(長っ!)と、煽りまくってます。

詳しくは記事をご覧になるか、著作を購入いただくとして、私が注目したのは、前大統領の荒療治について書くだけでなく、警官や軍人の給与を引き上げた逸話に触れている点。現地に住む日本人でさえ、関心がなければ知らないでしょうけど、フィリピン国民には相当なインパクトがあった事件。

なにしろ初任給がきなり倍の3万ペソですからね。

日本円にすると円安の今でも10万円に届かない金額なので、安過ぎると思うかも知れませんが、教育省の地方分室で管理職やってる家内の月給と、ほぼ同額なんですよ。マニラ首都圏でさえ、日給が1,000円(時給じゃないですよ)ちょっとで働いている人がザラなことを鑑みると、高給取りとまでは言えないにしても、贅沢しなければ、普通に生活できる収入。このニュースを最初に聞いた時は、家内がずいぶんと不機嫌になったものです。

つまり、それ以前に不正や汚職が蔓延していたのは、単純に給料が安過ぎたから。貧すれば鈍するのことわざ通り、悪事に手を染めないと、食っていけないし家族も養えない。やっぱり長くフィリピンに住んだ人だけあって、石山さんは見るべき所をちゃんと見てますね。

実際、数年前にマニラに行ったら、驚くほど街並みが綺麗になっていた記憶があります。たまたま乗ったタクシーの運ちゃんも、大統領のおかげで治安が良くなったと、ドゥテルテさんを褒めることしきり。こういう部分が、日本では報道されないんですよ。

さて、治安改善の特効薬が結局のところ給料倍増だったというと、後進国のフィリピンだからだと馬鹿にする日本人もいるでしょうけど、現代日本の問題のほとんどが、同じ処方箋で解決できるんじゃないでしょうか?

例えば、教師の不足。なぜか文科省の打ち出す対策が、素人が考えても一番の課題「給与アップ」「職場環境改善」じゃないんですよね。ドゥテルテさんに倣って、来年度から初任給を倍!ってやれば、一撃で解決でしょう。どうせ、できない理由を滔々と説明されるのがオチでしょうけど。

このブログで何度も取り上げている、明石市の泉市長がやった子育て支援も、まさにこの考え方。子供のための予算を倍にして、子供の医療や学校給食を無料にする。財源は無駄を省いて切り詰めたら、10年後に市の人口は増え、税収も増えたという、輝かしい成功事例。それに倣う地方自治体も多いそうで、完全シカトしているのは中央政府だけという現実。

実は、これと同じようなことを、企業勤めの頃にも感じました。かつて私が所属していたのは、一部上場の大企業。世界各地に進出しているので、社員の国籍も多様。当然、世界中から優秀な人材を引き抜けるだけのお金はあったはず。

ところがいざ途中採用となったら、社内規に縛られて最初はすごく安い給料しか出せない。これでは「今の給料の二倍三倍出しますよ」と誘いをかけてくる、中国や韓国企業に勝てるわけがありません。私の同僚にも、韓国の会社に転職した人が何人もいるぐらい。

ということで、退任間際まで80%近い支持率を残したドゥテルテ大統領。官民関係なく、彼に学ぶべきところはまだまだあると思います。この投稿を書きながら、石山さんの本をキンドルでポチりましたので、近いうちに読後感を共有しますね。



2022年11月15日火曜日

ぎっくり腰こわい


出典:株式会社石井マーク

 前回の結核に続いてが「ぎっくり腰」って言うのは、ちょっと落差が激しすぎると思われるかも知れません。でも結核は、ちゃんと薬を飲んで然るべき治療を受ければ、現代では完治が期待できる病気。まるっきり放置とかしない限り、それが原因で死ぬことはありません。

むしろ癖になった腰痛って、なかなか治らないそうだし、長期的に見れば、QOL(生活の質)を下げることに関しては、治療方法が確立された感染症より、タチが悪いとも言えます。とまぁ、唐突にぎっくり腰の話を始めたのは、つい最近、ヒヤッとすることがあったから。

いつもの通りに厨房に立って、朝ごはんの支度をしている時に、前夜少し寝冷えでもしたようで、勢い良くくしゃみを一つ。これがなぜか腰に来て、突然の腰痛に襲われてしまいました。しばらくは腰に手を当てて「痛たた...。」

もっとも、噂に聞くぎっくり腰に比べるとかなりマイルド。痛みを我慢しながら料理を続けて、食事も普通に摂りました。ただ、60歳という自分の年齢を考えると、このまま悪化したらヤバいかもと心配に。

ラッキーなことに私は、この歳になるまで本格的な腰痛は経験したことがありません。引越しなどで丸一日荷物運びをした翌日に、少し腰が痛いなんてのは時々あるぐらい。経験者が言うところの、大の大人が泣くほど痛いとか、数日から一週間は布団の中でエビのように丸まってるしかなかったとかの、悲惨な目には遭ったことがない。

特にぎっくり腰対策ではないけれど、50歳を過ぎてネグロス島に移住してからは、ほぼ毎日、筋トレや自転車漕ぎをやってるので、少なくとも腰痛に関しては大丈夫だろうとタカを括ってたんですよ。

ところが、今までなかったような、くしゃみ一発の腰痛。そう言えばしばらく前に、ちょっと咳き込んだ拍子に、腹筋がこむら返りを起こして、死ぬかと思うほど痛い目にあったなぁ。

要するに、何をするにしても肉体的には「もう若くはない」と意識して用心しないと、そのうちとんでもないことになるかも。なので、今回の腰痛。大したことはないと思いつつも、大事を取ってその日一日は、筋トレも自転車漕ぎも自粛。食事の用意以外、できるだけベッドで横になって、スマホ見たり本読んだりで過ごしました。

よく言われることですが、腰を痛めると、通常のちょっとした動作をするにも、いかに腰が大事な役回りをやってるかがよく分かります。

ところで、もし動けないほどの腰痛だったらと考えたら、フィリピン暮らしの方が対応はし易い。というのも、家内が仕事で子供が学校の平日昼間だけでも、メイドさんに来てもらえるから。介護とまではいかなくても、簡単な食事は作ってもらえるし、トイレに行く時に支えてもらったりぐらいなら大丈夫。

ごく近い将来、高齢の両親をフィリピンで介護することを視野に入れてるし、もう少し先の将来には、自分がお世話になるかも知れない。住み込みの介護士や看護師を雇うのが、それほど難しくないフィリピン。要介護の程度にもよりますが、少なくとも日本にいるよりは、QOLを下げずに、天寿を全うできる可能性が高いように思います。



2022年11月14日月曜日

結核こわい

 今日は、本当に怖かった話。先日、フィリピン人の家内が結核の疑いで検査をしました。結果は陰性で事なきを得て、本人も私もやれやれなんですが、改めて結核蔓延国のフィリピンの現実を思い知った次第。

そもそもフィリピンの医療レベル自体、お世辞にも高いと言えません。一番の理由は、医師や看護師の報酬が安すぎて、まともな医療従事者の多くが、アメリカを始めとする海外に流出してしまうから。つい先日も、家内の従弟夫婦が看護師として渡米したばかり。州都バコロドの病院に勤務する別の従弟も、渡米資格を得るため「自分を殺して」我慢して働いてるんだとか。

さてフィリピンでの結核についてネットで調べてみると、サイトによって順位のばらつきがあるものの、死因のトップ10には間違いなくランクイン。WHO選定の「結核高負担国」で、これでも1990年代に比べると、日本の支援などがあって状況は改善したそうです。

以前にも書きましたが、抗生物質の投与で治る病なのに、なぜこうなるか? それはもう、貧困と無知の故、としか思えません。実際に友人の中にも結核だと診断されているのに、失業を恐れて治療しない人がいました。また、基本的に結核治療は無料のはずなのに、公立の診療所などでは担当者によっては代金を請求されたり、薬の処方を渋ったり。挙句が、子供も配偶者も家族全員に蔓延して、十代の若者が亡くなる悲劇も。

家内の場合は、しばらく嫌ぁな感じの咳が続いてるなと思ったら血痰が出て、慌てて近くの結核診療所(そんな機関があるんです)で検査を受けました。レントゲン撮影の結果が微妙で、若干の影が写っていたため、痰を調べることに。検査自体はそこではなく、「ラボ」と呼ばれる別の施設で行われるそうで、これが2週間も待たされる。

待たされる方は堪らんですよ。いくら治療できる病気でも、やっぱりフィリピンでTB(ティービー、Tuberculosis / テュバルキュロシスの略称)となったら、不治の病というイメージを持つ人が多い。家内もしばらくは眠れない夜をすごしました。

さらに陰性の結果が出ても、咳の原因追及や治療については、上記の診療所の医師はまったく当てにならない。この辺りが、前述のような構造的問題を抱えるフィリピン医療のリアルな姿。仕方がないので市内にある有料のクリニックへ。まともな医療を受けようとすると、貧困層には厳しいぐらいのお金がないと、ダメなんですよ。

そこでは結核の専門医が、聴診器による診断で、結核患者に多い呼吸時の「水泡音」(泡がぼこぼこするような音)がないから大丈夫とのこと。ただし、別の感染症だと判断して、やっぱり抗生物質を処方されて帰ってきました。2週間分で1,500ペソ(4,000円弱)なので、貧乏な人は我慢しちゃうかも知れません。

しかも、毎日キチンと服用しないと、感染している菌に耐性ができてしまうのは、結核やその他の感染症と同じ。フィリピン、特に貧困層には、この「毎日キチンと」が苦手な人が多い。結核がそう簡単に撲滅されないのは、こういうところにも原因があるんでしょうねぇ。



2022年11月8日火曜日

フィリピンで作るお好み焼き

 来月、日本へ一時帰国なので、やっぱり心の中に「食べたい物リスト」を作ってしまいます。ただ、移住して数年ぐらいまでのような、ちょっと大袈裟に言うと、日本食に対する飢餓感、みたいなレベルではありません。

これは私が、ネグロス島での食べ物に慣れたっていうのもあるでしょうが、本格的に自炊を始めて、日常的に食べたいと思うような家庭料理ならば、ほぼ作れるようになったからでしょう。

まず最初に作ったのがお好み焼き。...と書くと、やっぱり関西人だと笑われそうですが、日本にいる時は、そんなに頻繁には食べてませんでした。それならなぜ最初に? 要するに簡単で、ネグロスでも材料が容易に入手できるから。

とろろ芋とか青のり、紅生姜となると、さすがにシライでは売ってませんが、小麦粉にキャベツ、豚肉、ネギ、生姜なら、地元の人も普通に利用する食材。公設市場に行けばいくらでも売ってます。さらにキューピーのマヨネーズととんかつソースは、隣街のタリサイにあるスーパーメトロの輸入食材コーナーにあるんですよ。これだけ揃えば、再現度は90パーセント以上。たまにお客さんにも振る舞いますが、日本人にもフィリピン人にも大好評。

そして一番嬉しかったのは、イメージ通りのカツ丼が作れた時。

豚肉の当たり外れがあるので、固くてイマイチの肉だと嬉しさも半減のリスクはあるものの、美味しいのに当たったら満足度はとても高い。こちらも材料は、玉ねぎ、青ねぎ、卵に醤油、砂糖など、一般的な材料。パン粉もセイブ・モア(地元のスーパー)に、なぜかフィリピン製なのに「パン粉」って日本語表記のものが。




その他にも、自分が食べたい一心で、いろいろ試してみました。最初の一時帰国では、関西人なら一家に一台常備されているたこ焼き器を持って帰ったし、日本のコンビニなら定番のポテトサラダ、天ぷらにエビフライ、ハンバーグ、オムライス、ロールキャベツ、餃子、春巻き...。子供の頃に母が作ってくれた献立は、ほぼ網羅したと思います。

とまぁ、ずいぶんと自慢たらしく書き並べたものの、海外暮らしの邦人で、多少なりともやる気がある方なら、この程度の料理はしておられることでしょう。

ちなみにカレーもこっちで日本のルーが売ってるので、移住後数ヶ月で作りました。唯一日本にいる時からずっと作ってるんですよ。そして意外にも美味しくできるのが、クリームシチュー。こちらはルーは売ってないんですが、その代わりにカンベルの缶入りポタージュスープを使ってます。飽くまでも私の好みですが、断然ルーよりもいい感じ。

助かるのは、うどんと焼きそば用の麺は、パック入りの生麺があること。これに加えて、乾麺ならば蕎麦も素麺もあります。ペットボトル入り麺つゆは高いので敬遠して、ほんだし、みりん、キッコーマンの醤油で自作。ついでに麦茶まであるのは嬉しい限り。

ということで、日本にいた頃から、グルメを気取るほど舌が肥えてるわけでもなく、王将の餃子とか天下一品のラーメン、家族亭の天ぷら蕎麦に、回転寿司で大満足な私。これは見下しているわけではなく、この手の外食チェーンは、世界に誇るべきレベルの高さだと感心しております。

もちろん、本格的な和食とか神戸ビーフをご馳走してもらえるなら、大喜びで御相伴にあずかりますよ。



2022年11月7日月曜日

ハロウィンは飲んで騒ぐお祭りじゃない


出典:The Dialog

 コロナ禍以前は、毎年のように書いてたネタ。そもそもハロウィンは、酒飲んで騒ぐお祭りではありません。興味のある方は、ウィッキペディアなり何なりで、調べていただけたらと思いますが、発祥は大昔のアイルランド。毎年10月31日に、亡くなった家族の霊が自宅に戻ると信じられ、それをお迎えするために食べ物を用意しておくという習わしだったそうです。

はい、季節は違いますが、日本の裏盆会(お盆)と、まるっきり同じ。

それがアメリカに伝わって、ご存知「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)に転じました。なので元来は、キリスト教とは無関係。むしろ異教の悪魔的な習慣だと敵視するクリスチャンも、少数派ながらフィリピンでもいるらしい。

ただカトリックでは、11月は死者の月とされます。ハロウィンは、翌日11月1日の万聖節(All Saints' Day)と11月2日の万霊節(All Souls' Day)の前夜祭という位置付け。正しくアイルランドの伝統を受け継いだフィリピンのお盆。なので、各地から帰省してお墓参りをする、8月の日本と同様の風景が繰り広げられます。

久しぶりに家族や親戚が一同に会したら、パーティやってお酒が入って...というのはフィリピンならば当然の成り行き。それでもカラオケやディスコで騒ぐのは、さすがにこの時期は控えるもの。伝統的には、夜通し故人の墓の前に集って、ロウソクの灯りの元、静かに死者と語らいます。

とは言え「仮装」という絶好のパーティアイテムがあって、若者を中心に騒ぎたくなる気持ちも分かる。最近の日本でもそうだし、アメリカやフィリピンの都会でも、ハロウィン・パーティはすっかり定着した感があります。

そんなわけで、一応カトリック信徒の私としては、ハロウィンのお祭り騒ぎを苦々しく横目で見ながら、それも仕方ないかと思っていた矢先、韓国ソウルの繁華街、梨泰院で起きた大事故。

圧死された方々は、さぞや苦しく無念だったことでしょう。亡くなったのは大多数が20代の若者。高校生の子供がいる身としては、親御さんたちの悲しみを想像すると、ハロウィンの意味を履き違えている云々と、批判する気は失せてしまいます。

私が思ったのは、今回の事故の遠因は3年も続くコロナ禍。制限されていた、外出や人との接触が一気に解放されたことが、大きかったんじゃないでしょうか。考えてみれば、10代から20代にかけての3年って、私のようなオっさんの3年とは比べものにならないほど貴重な時間。私が感じていたストレスの何倍、何十倍もの重圧だったのかも知れません。

時あたかも、ここフィリピンでは、長かった学校閉鎖が解かれ、この11月から本格的に対面授業の再開が予定されています。息子の学校も、まさに今日11月7日の月曜日から、ようやく毎日の対面授業が始まったところ。どちらかというとインドア派で、外出できないなりに日常を楽しんでいた息子ですが、やっぱり多少なりとも鬱積した感情はあったでしょう。

せめてこのクリスマスシーズンぐらいは、ハメを外して騒いでもいいんですが、あの事故のニュースを見ると若干の心配もしてしまいます。まぁソウルやマニラのような繁華街がない田舎のネグロス島なので、それも取り越し苦労なんでしょうけど。

ちなみに、昔から人混みが大の苦手な上、酒も飲めない私。なぜあそこまでハロウィンに浮かれ騒ぐ人が多いのかは、今でもまるっきり理解できません。



2022年11月3日木曜日

香港経由で一時帰国

 今年(2022年)も残り2ヶ月というこの時期に、諸般の事情で師走めがけて、日本への一時帰国が決まりました。本当なら、こんな寒くなる季節に帰るのは、もうひとつ気が進まないんですが、仕方ありません。しかもお金もやや心細くなってきたので、あちこちに観光行ったりグルメ三昧というのも無理。家族帯同なしの一人旅ということもありますし。

フィリピン・ネグロス島に移住して約10年。過去3回の一時帰国をして、やはり印象深いのは一番最初の2016年。この時点で私自身の連続海外滞在期間が3年と少し。仕事での出張が多かったとは言え、こんなに長い間、日本を離れたのは初めてだったので、食べ物やら温泉やら友人との再会などなど。懐かしさが溢れました。

そして、前回の帰国から、またも3年の間隔で4回目の一時帰国。正直なところ、以前ほどの日本への郷愁やら恋しさっていうのはありません。もちろん、昔から大好きだった天下一品のラーメンとか、王将の餃子、お好み焼きにカレーは、今回もたくさん食べるでしょうし、嫌いになったわけではないけれど、最初の飢餓に近い感じはないんですよね。

それよりも、いろいろと面倒ごとが増えたのが、コロナ禍後の海外渡航。まず航空費用がずいぶんと高い。以前はちょっと高めだったフィリピン航空でさえ往復6〜7万円だったと記憶してます。ところが、調べてみたら軽く10万円超えばかり。昨年ぐらいに比べれば、だいぶ安くなったんでしょうけど、これは懐が痛過ぎ。かと言って、格安セブパシフィックだけは信用できない。4月にセブ行きがドタキャン食らいましたから。

結局、あちこちのサイトを当たって落ち着いたのが、香港経由のキャセイパシフィック。所要時間は直行便の倍以上になるものの、何と価格が5万円台。関西空港着が夜遅くになりそうですが、遅れさえしなければ、当日のうちに自宅に帰れそうなスケジュール。その他も、安いのは台北や釜山経由。昔から不思議なんですが、飛んでる時間が長いのに安くなるってのは、どういうカラクリなんでしょう?


出典:The Jakarta Post

それはさて置き、次に厄介なのがワクチン接種証明。でも、さすがに制限はかなり緩和されたようで、無条件に2週間隔離なんてのはもうないし、日本で認可されたワクチンを3回接種済みなら、72時間前の陰性証明もいらないらしい。しかも嬉しいことに、ようやくデジタル庁がいい仕事をしてくれたようで、フィリピンのワクチンでも、オンラインで接種証明が登録可能。早速やってみたら、これが思いの外簡単。

フィリピンで発行された証明書を、どうやって認証するのかと思ったら、スマホで写真撮ってアップロードするんですね。長年ITに関しては発展途上国だった日本でも、やればできるやんか。

ということで、当初は結構気が重かった旅行準備ですが、渡航と入国に目処がついて、だいぶ前向きになって来ました。円安というタイミングもあるので、大荷物にならない範囲で、新しい老眼鏡作ったり、パソコン関係の機材を買って帰ろうと思います。

心配なのは台風。この頃はクリスマスでも関係なしですからねぇ。ついこの間は、セブ空港で大韓航空が滑走路オーバーランで事故ってるし。まぁ、こういうのは悩んでもしょうがないので、後は神さまにお祈りするしかないですけどね。


2022年11月2日水曜日

絶対に失敗したらアカん国

 いつからこんなことになったんでしょうねぇ、日本という国は。

前回投稿した、今私が住んでいるフィリピンの片田舎シライで、なぜ毎年大きな被害を出しながら、治水がまったく進まないのかを考えみました。日本では治水に限らず、建築や土木、あるいは技術改善で解決できる分野に関しては、間違いなく世界のトップレベル。フィリピンのみならず、多くの先進国ですら羨むほどに、便利で安全な社会になったと思います。

私が子供の頃から就職してしばらくの間ぐらいは、そのおかげで経済は右肩上がり。途中、オイルショックで足踏みはしたけど、すぐにバブル経済の時代。私が社会人になって10年ぐらいは、給料は毎年確実にアップするし、20代の真っ只中だった私の世代は、ずいぶん楽しい時期を過ごしました。

ところが日本お得意のハコモノ・ハードウェアから、ITやソフトウェアに劇的なパラダイムシフトが起るタイミングで、バブルが弾けてしまった。当時から土地神話への過度な傾斜に、警鐘を鳴らす人はいっぱいいました。永久に膨らみ続けるバブルはあり得ないって。でも、誰も止まれなかったんですよね。

絶対大丈夫と思われてた証券会社や銀行までが、倒産したり生き残りのための経営統合。あの当時の悲喜劇は、今でもよ〜く覚えています。私の親戚にもいました。株で大儲けしてブイブイ言わしてたのが、あっという間に自己破産。本人は鬱病になり家族は生活保護で細々とした暮らしという、まったく絵に描いたような「失われた10年」。(すでに30年?)

そこからでしょうねぇ、社会全体が異常なまでに失敗を恐れるようになったのは。私が子供の頃から、他と違わないように、目立たないようにとの同調圧力はありましたが、就職活動中の学生が、全員「制服か?」と思うぐらい同じような色、同じような仕立てのスーツを着るほどではありませんでした。


出典:Aviation Wire

就職先の職場でも、戦中戦後の混乱期を知っている、型破りで時には敢えてルールも破ろうといった、野武士みたいな上司もいたし、そもそも経営者が、終戦直後のドサクサでのし上がったような人でした。

ところが、ハコモノ・ハードウェア志向で、世界第二位の経済大国を謳歌していた最中のバブル崩壊。失敗するのが怖いもんだから、成功体験にひたすらしがみついて、気がついたら世界はグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの天下(いわゆるGAFA)。得意だった家電ですら、中国・韓国メーカーの後塵を拝して久しい。

実は私、ガラケー絶頂期から大凋落の時期に携帯電話関連の会社に在籍。そこでなぜiPhoneが売れるのかを分析した技術者たちは、タッチパネルや液晶の精度にしか着目してない。いや、そこじゃないでしょ?

いまさら言うまでもなくスティーブ・ジョブスの天才的なところは、iTunes、App Store の立ち上げに他なりません。つまりシステムとソフト。音楽も映画も、本もゲームも、およそ考えられるエンターテイメントやサービスは、全部 iPhone 経由で入手できる仕組み。今では当たり前ですが。

あれだけコテンパンに負けてるのに「端末の性能では、我が社が勝っている」という思考自体が敗因だって気づかないまま、事業そのものがほぼ廃業の憂き目に。

産業界だけでなく政治も同じで、日本のお役所のIT化の遅れは、日本が発展途上国呼ばわりしている国からも、哀れみを受けるほど。ハンコや紙の書類に固執する規制を、いつまでも墨守してちゃダメでしょ。アマゾンで検索したら、2022年の今でもファックス電話がたくさんヒット。それだけでもかなり絶望的に気分になります。

高齢者はネットもスマホも使えないって、いつまで言ってるんでしょうかね? それがなければ、いろんなサービスが受けられないってなれば、年寄りでも使うようになりますって。私の母など、70過ぎてからパソコンでコープの宅配注文のやり方覚えてましたよ。問題は、今できない人に合わせて、できる人にまで不便を強いるのが当然という考え方。

まぁ、年寄りは年金もきっちりもらってるし、そういう世代は選挙でも投票するから、結局、社会も政治も、ジジババの方しか見なくなる。若い世代は人口も減るし、給料は安い。いよいよ「絶対に失敗したらアカん国」化に拍車がかかる悪循環というわけです。

ということで、失敗を恐れるがあまり、新しいことをしなくなるだけでなく、新しいトライを積極的に邪魔をするような社会に嫌気がさして、私は日本からフィリピンに移住したわけです。たまに観光で行くぐらいならともかく、いくら便利で安全でも、あの息苦しさの中で死ぬまでいろって言うのは、私には厳しすぎですねぇ。



2022年10月31日月曜日

治水が進まないのは誰のせい?

 前回の投稿で、相変わらずの洪水被害について書きながら考えたこと。

もう何十年も同じ場所で繰り返される洪水被害。素人考えながら、ちゃんと治水工事をすれば、かなりマシになりそうなもの。ところが実際には、市街地の道路冠水の大きな原因とされる、レジ袋の投棄による排水溝の目詰まりさえ、清掃をするすると言いながらまったく進んでいないのが現実です。

なにも、埼玉県に建設された「地下神殿」として知られる、首都圏外郭放水路ほどの大規模な治水設備を作れと言うのではありません。せめて、市内の繁華街や住宅密集地だけでもカバーできる下水システムを作ればいいのにと、いつも思ってます。

河川の堤防も同じ。東日本大震災後の津波を防ぐ防波堤じゃないんです。まずは河岸に住むしかない貧困層に、引っ越しできるまともな宅地を用意して、最低限の高さの堤防を作るぐらいは、いくらフィリピンの地方都市でも何とかなりそうなもの。同じネグロスでも、一部とは言え州都バコロドなどで、すでに立派な堤防が築かれています。

こんな具合に、誰が考えても明らかな市民の困り事解決に、お金が使われないのは、フィリピンの選挙に問題があるんじゃないでしょうか。

家内を含めて、私がフィリピンで知り合った人たち(多くは大卒以上のインテリ層)は、あからさまに政治家を泥棒呼ばわり。最近は、ドゥテルテ前大統領やロブレド前副大統領のように、少なくとも金銭に関してはクリーンなイメージが先行する人もいるものの、大半はそうではありません。

それならば、選挙でダーティな候補を落とせばいいようなものなんですが、残念ながら多くの有権者が、同様にダーティなんですよね。要するに金品のバラ撒きを期待して、金をくれる候補者に群がるという悪い習慣が、21世紀に入って20年以上も経った今でも、相変わらず変わっていない。

聞くところによると、一票が数百から数千ペソなんて、地域毎の相場があるそうで、前回のシライ市長選で現職だったゴレツ氏が負けて、新人のガレゴ氏が辛勝したのは、最終盤でゴレツ氏のバラ撒き資金が底をついたから、と言われています。

こういう選ばれ方をした政治家が一度当選してしまえば、利権と無関係な貧困層のための政策を優先させるわけがありません。私のような、たかが10年足らずしかシライに住んでいない外国人が見ても、明白な市民の困り事はほぼ放置。

私が戦前生まれの母から聞いた話では、今のフィリピン・シライ市の状況って、母が若かった70〜60年前の日本にそっくり。下水が未整備で、ちょっとまとまった雨が降るとあちこちで冠水。私が小さい頃ですら「床上浸水」って言葉を、ニュースでよく耳にしたものです。特に1950年(昭和25年)のジェーン台風による高潮は、大阪や私の故郷である尼崎に壊滅的な被害をもたらしました。


ジェーン台風の被害を受けた尼崎市
出典:南部再生

その後、決して裕福ではなかった尼崎で、高潮対策として築かれた長さ12.4kmの防潮堤。建設には5年を要し、予算を巡っては、当時の市議会でずいぶんと紛糾したそうです。それだけの苦労の甲斐あって、その後の高潮被害は劇的に減ったんだとか。

ここ最近は、昔に比べると異常な雨の降り方になって、毎年のようにどこかで水害が発生する日本ですが、もし先人の努力がなかったら、もっと悲惨なことになっていたのは、想像に難くありません。

つまり、日本でもフィリピンでも、政治家がやる気になって予算をかき集めれば、ある程度の治水はできるはず。結局のところ、水害多発の現状に甘んじているのは、政治家を選ぶ立場である市民の意識の問題に帰結するんでしょうね。

と書くと、「日本はエラい」の上から目線ですが、次回は公平を期して、日本の有権者(もちろん私も含めて)のダメさ加減について言及したいと思います。



2022年10月29日土曜日

相変わらずの台風被害


出典:ABS-CBN

 万聖節(フィリピン版のお盆)を、11月1日に控えた帰省の時期を狙いすますように、22号台風パエン(Paeng)が襲来しました。

フィリピン中部ビサヤ諸島に属するネグロス島には、10月28日の深夜から今日の早朝にかけてが最接近。いわゆるスーパー台風と呼ばれるような、猛烈な風雨はなかったものの、ほぼ三日間に渡った大雨。私たちの住むシライでは、市内各所で道路や住宅地の冠水、河川の氾濫が相次ぎました。

トドメを刺すように、昨夜には、州都を含む西ネグロス州の主要地域で広域停電。約14時間停まっていた送電が、先ほど午後2時頃にやっと復旧したばかり。朝から回している発電機の燃料が、そろそろ心細くなってきたので、土砂降りの中ガソリンスタンドに走って帰宅したら、電気が戻っていたというお約束のタイミング。

幸いにも、シライ市内では死者が出たという報告はありませんが、相変わらず貧困層の多い川沿いや沿岸部などの低地で、大人の腰ぐらいまでの浸水。多くの市民が市営体育館やバランガイ・ホール(日本の公民館みたいな施設)に避難したそうです。

昨年、市長に選ばれたガレゴさんは、本人が貧困層の出身ということもあり、こうした災害時には、自ら現場に出向いて支援物資を配ったり、避難した市民を励ましたり。その様子がフェイスブックに頻繁に投稿されます。


そうした取り組み自体は良いけれど、もう何年も何十年も同じ場所で繰り返される洪水の被害で、決まって酷い目に遭うのは貧困層ばかり。私が住んでいるビレッジと呼ばれる住宅地など、たまたま水捌けの悪い我が家の前の道路はよく冠水するけど、それも、せいぜいくるぶしまで。床上浸水にはまずならないし、宅地全体を見れば、暴風は別にして、少なくとも洪水で大被害が出たというのは、聞いたことがありません。

災害救助に尽力する市長さんを演出して、「やってる感」を醸し出すより、堤防を作るとか、下水道を整備して冠水を防ぐとか、もっと根本的な対策をなぜしないんでしょう。金がないとは言わせませんよ。ネグロスを横断する自動車道や、すごく豪華な新市庁舎建てる予算は調達できている。

相変わらずと言えば、毎回同じように繰り返される、広域の長時間停電もそうです。原因は嫌というほど分かってるんだから、対策のやりようはいくらでもあるはず。しかも電気代がすごく安いとかならともかく、普通に生活してても月1万円近い金額になることもあるし。

それにしても今回の台風。お墓参りのために帰省を予定していた人には、本当に無慈悲な巡り合わせとなってしまいました。折角の大統領令で、土曜日から万聖節の火曜日まで四連休となったのに、マニラやセブからの国内便は軒並みのキャンセル。空港で大荷物とたくさんの子供を抱えた夫婦が、疲れ切った顔してるのをニュースで見ると、こっちまで絶望的な気持ちになります。

この投稿を書いている、フィリピン時間の10月29日の午後4時現在、台風はマニラ首都圏を直撃しているようです。地方のネグロスに比べて停電が少ないマニラでも、長時間停電に見舞われているとのこと。皆さまのご無事をお祈りします。



2022年10月26日水曜日

お米が減らないメイドさん

 4年間働いたメイドのライラが辞めて、その後任のグレースが来て早や1ヶ月が経ちました。

月曜から金曜まで、週5日通ったライラですが、グレースは週3日だけの約束。出勤時間が不安定だったライラは、本来は朝8時スタートだったはずが、いつの間にやら8時半から9時の間となり、月に数回は事後報告での欠勤がありました。また体調によっては1週間来ないなんてのも、よくあったなぁ。

それに比べると、時間を守ってくれるグレース。プリペイドの電話料金がなくて、連絡もままならなかったライラと違い、何かあったらフェイスブックのメッセンジャー。聞くところによると短大ながら大卒なので、その辺りに教育の差が歴然と出ているようです。大学出てても仕事がメイドなのが、フィリピンの厳しさとも言えますが。

ただ掃除や洗濯の家事の腕前は、残念ながらライラの方が上手。仕事が早いのはいいけれど、埃が残ってたり、洗濯物の畳み方がイマイチ雑だったり。(これに関しては、最初の頃に家内から「指導」が入って、今はかなり改善してます。)またライラの場合は「適当にやっといて」が通用したんですよね。

これはどういうことかと言うと、大雑把に掃除してとの指示に、自分で判断して、窓が汚れてると思えば窓拭きするし、買い物を頼めば、メモになくても、そろそろ無くなりそうな野菜を追加してくれたり。グレースがダメなんじゃなくて、ライラが人一倍気が利くタイプ。今まで雇った中では、ライラ以外にそんなメイドさんはいませんでした。

もちろん、これから何ヶ月か半年も続けば、基本は同じことの繰り返しなので、グレースも気が付くようにはなると思いますけど。

そういう現状なので、掃除が終わったら、いちいち確認しないといけないし、手が空いたら次の仕事を用意する。これが意外と面倒なんですよね。ヒマだったら、1時間ぐらい昼寝しててもいいんだけどなぁ。その点ライラは、要領良くサボってました。(これは褒めてます。)

でも考えてみれば、ライラには無駄に給金を払ってたとも言えます。5日分を3日にギュっと凝縮したようなものなので、日数が減っても、家の中は、それなりに清潔に保たれていて、特に不満もありません。

さらにライラにはなかったグレースのスキルは、マッサージと介護。本来はマッサージ・セラピストが本職なんだそうで、時々メイド服ならぬ、マッサージの時に着る作務衣みたいなのを着て来ます。介護に関しては、学校で勉強したらしい。

以前にも何度かこのブログで書いた通り、実はかなり近い将来、高齢の両親を日本から呼び寄せて同居することになるかも知れません。本当は、もう少し前から考えてたんですが、ご存知のコロナ禍で、計画は無期延期。ようやく渡航制限も緩和されてきたので、そろそろプロジェクト始動を視野に入れ始めました。

そうなると不得手な家事より、ケア・テイカーとして働いてもらった方がいいんじゃないか、というのが家内の意見。どうなるかは、まだ不透明ですけどね。

そして一番の差は、食べる量。

ある意味、フィリピンのメイドさんの典型だったライラは、我が家での昼食は、これがチャンスとばかりに食べる食べる。カレーの残りでもあった日には、ちょっとのルーで山盛りご飯。毎朝4合の米を炊いて、時々夕食には足りなくなって追加してたぐらい。

時間がある時には、勝手にパンケーキ焼いたりしてたしなぁ。もちろん自分一人で食べるんじゃなくて、ちゃんと雇い主に振る舞うという体裁でしたが。

そこへ行くとグレースは、実に燃費がよろしい。特に痩せてるわけでもないのに、おかずもご飯も「え、そんなちょっとで大丈夫?」という程度。1日3合で大丈夫になったし、週3日だけ。買い置いてる10キロ入りの米が、いつまで経っても無くならないので、家内と二人で笑ってしまいました。


2022年10月24日月曜日

ある日本人の死

前回投稿した、ダイアナさんとの3年ぶりの再会。積もる話は多々あれど、かなりショッキングだったのが、共通の友人である日本人男性が、コロナ禍前に亡くなっていたという件。

この方、仮にMさんとしておきます。

私より少し年長のMさんと知り合ったのは、ここネグロス島のシライ市。私たち家族が移住してきた直後なので、2013年の4月。Mさんは、当時シライを拠点に活動していた、日本の某NGOのボランティアに参加中でした。

華々しい学歴・職歴とは裏腹に、プライベートの生活には問題を抱えておられたようで、ネグロス渡航も、そこからの現実逃避。たまに食事などご一緒する時には、どうしてもそっちの話題になってしまいました。

下戸の私は、直接見たことはないけれど、辛いことを忘れるためとばかりに、相当な酒量だったとか。フェイスブックの投稿で「浴びるほど飲んだ」とか「痛飲」なんて表現が、かなり頻繁に登場するぐらい。おまけに今時珍しいほどの愛煙家。

しばらくは、日本の連休の度にNGO行事に参加していたようですが、やがて現地駐在の日本人マネージャーと大喧嘩。そのマネージャーというのが、お金・時間・異性のすべてにだらしない人だったので、まぁ衝突するのも仕方ないかとは思うものの、「こうあるべき」的な思考をしがちなMさんのこと。真正面から言い合いになっての、喧嘩別れだったようです。

その後も、NGOとは無関係に「第二の故郷ネグロス」と思い定めて、かなり頻繁にフィリピン通い。数年後には、日本での生活に見切りを付けて、ネグロスにて年若い女性と結婚。我が家から車で15分ほどの場所に一軒家を購入されました。

こう書くと、なかなか羨ましい新生活なんですが、正しいと思ったことを曲げない、フィリピンにあっては、いささか生き難い性格。最初から問題が多いことが分かっているはずの、守衛がいない、しかも貧困地区と隣接する宅地に住んで、隣近所に苦情を言ったり、宅地内で頻発する犯罪に備えてと、奥さん名義で拳銃を購入したり。

さらには、当初は同居していたお義父さんを、追い出したかと思えば、奥さんの知り合いだからと雇った、ライセンスのない配線工とトラブル。仕事がひどいとクビにしたのはいいけれど、仕返しを恐れて我が家に一時避難したこともありました。

どうも、敢えて困難な道を選んで、厄介事に巻き込まれるパターンが多い人で、わざわざマニラで深夜にタクシーに乗って、ホールドアップを食らった経験もあったそうです。

私もどちらかと言うと、物事はキッチリ進めたい几帳面な性格なので、Mさんの苛立ちは理解はできます。それでも、ストレスの多い日本から離れて移り住んだはずのネグロス島。違うところでストレス溜めていては、まったくの本末転倒だと思うんですよね。

電気屋と揉めた後は、さすがに「他人には頼らない、迷惑はかけない」という、超日本人的思考を少しは改められたのか、Mさんに先立って自宅を建てた私に、アドバイスを求めてこられました。

ここから話が発展して、購入した自宅の間取りが悪くて、住みにくくてしょうがないとのご要望にお応えして、私が図面を引いてリノベーション。大工さん、配線工、塗装屋、全部ご紹介。

ようやく工事が終わって、喜んでもらえたと思ったのも束の間、ある日フェイスブックを見ると、癌治療のために日本へ帰国したとの投稿が。可哀想なことにネグロスの自宅には、新妻が一人残されて、心配のあまり毎日泣き暮らし。何度か家内を連れて、慰めに行ったりもしました。

奥さんの話によると、ネグロスでも相変わらずの酒量で、思い詰めて家にあった酒瓶を隠したりしたことも。本人さんに指摘したことはないけれど、私と同年代にしては見た目が老け過ぎだったし、いつも顔色は土気色。

そしてMさんは、手術後に癌が再発。奥さんも後を追って渡航しましたが、相変わらず酒は飲み続けている。...という投稿があった後はプツリと音信が途絶えて、アカウント自体が削除されてしまいました。これがコロナ禍が始まる前年のこと。それから3年後の先週、ダイアナさん経由で、治療の甲斐もなく他界されたと知った次第。

日本に住もうがフィリピンに移住しようが、あるいは健康的な生活の有無と関係なく、癌になる時はなるもの。とは言っても、さすがにMさんは、側から見ていても自暴自棄に過ぎました。おそらく私が、もっともらしい忠告をしたとしても、それを聞き入れるようなMさんではなかったでしょうけど。

それでも、ご近所さんで友達付き合いもさせてもらっていただけに、とても残念で寂しい話です。


ダイアナさんと3年ぶりの再会

 コロナ禍後、まだ多少ゴタついた感じはあるものの、ようやく落ち着いて来た日本〜フィリピンの往来。今年の前半辺りから、ぽつぽつと「フィリピンに戻りました」とか「やっと一時帰国できました」という声も。

そんな中の先週、日本の東北地方にて子供さん向けの英語学校を経営されている、ネグロス出身で、私の友人ダイアナさんと、丸三年ぶりに再会を果たしました。

私より10歳若くて、英語学校以外にもいろんな仕事をしているダイアナさん。今回の主目的は、マニラで娘さんの大学卒業式への出席。4人の娘さんがいて皆さん美人なので、以前にイラストのモデルにもなってもらったぐらい。(日比ハーフの四姉妹

そしてそれだけでなく、多忙な中でも故郷ネグロスを忘れず、以前から続けている、地元の子供たちへのランドセルの寄付を行なったそうです。

待ち合わせしたのは、西ネグロスの州都バコロドで、トップクラスの高級ホテルのエルフィッシャーのロビー。最初に会ったのもここでした。折りしも今は、コロナ禍以降、初めて挙行された、バコロド最大の年中行事であるマスカラ・フェスティバルの真っ最中。

実のところ10月のバコロドには、あまり出かけたくないんですよね。と言うのも、メインストリートを使ったカーニバルが連日のように行われる関係で、市内の幹線道路があちこちで一方通行規制。平常時なら5分で抜けられるよう場所でも1時間の渋滞なんてザラ。

ただ今回だけは、遠路はるばる日本から帰省のダイアナさん。貴重な時間を縫って声をかけてもらったので、他に選択肢はありません。ランチタイムをめがけて、バコロドの中心部へ自家用車でゴー。

案の定の渋滞だったんですが、それを見越してかなり早めに家を出たのが功を奏して、逆に少し早く着いたエルフィッシャー。ダイアナさんは、田舎の方から同じく車で移動だったので、こちらは多少遅れたものの、フィリピンでの待ち合わせにしては許容範囲内で、落ち合うことができました。


前回、ゲストハウスがだいたい完成した頃、シライの自宅へ来てもらったのが、2019年の9月。(バスタブと流し台+本物の呪医)本当に丸々三年です。三年どころか、もっと昔だったような感覚は、コロナ禍前後で多くの人が思っていることでしょう。

初対面の時と同様に、日本人のパートナー同伴で、こちらは私と同い年。お会いするのは2回目ながら、やっぱりフィリピンの地で同年代の同国人となったら、どうしても会話が弾んでしまいます。また、話題が豊富で面白い人なんですよ。

エルフィッシャーのレストランでランチを頂きながら、かれこれ3時間は喋り続けて、気がついたらもう3時過ぎ。夕刻にかかると、とんでもない渋滞に巻き込まれかねないので、誠に名残り惜しいことながら、サヨナラとなりました。次回は是非我が家にお泊まりくださいとお願いして、ホテルを後にした次第。

その後、フェイスブックの投稿を見ると、ダイアナさんは高校の友達に囲まれての同窓会。翌日は早々に帰国だったようで、本当に貴重な時間を割いてくれたんですね。ありがたいことです。


2022年10月18日火曜日

厳しい円安

ここ最近、円安ドル高が止まりません。今日(2022年10月18日)この投稿を執筆している時点で、1ドルが約149円となっています。ドルベースで海外から物を買っている商売は、たいへんでしょうし、実際に日本国内ではインフレが深刻な状況なんだとか。

ただ、目の前の生活苦はともかくとして、1ドル360円だった時代を知っている昭和30年代 / 1960年代生まれとしては、それほど仰天するレベルでもありません。1970年代後半の私が高校生ぐらいの時に200円台に突入した時には、逆の意味で、すごいことになったと思ったものです。

さらに、ちょうど私がフィリピン初渡航した1995年には、固定相場時代の4倍以上、79円台まで値上がりしたのもよく覚えています。

そして現在、私が住むフィリピン。対ドルほどではないけれど、やっぱり相対的にはペソ高・円安。1円が約 0.4ペソなので、ちょうど私がネグロス島に移住した10年前の水準。7年前の2015年には、もっと円高だったこともあったので、ドルに比べればかなり穏やかな推移。

とは言え、日系企業勤めで円ベースで給料貰ってるような人たちにすれば、死活問題であることには変わりません。それでなくても好景気でインフレ気味のフィリピン経済。追い討ちをかけるように、ロシアのウクライナ侵略に端を発するガソリン価格の高騰。

移住時に、数千万円単位の貯蓄をフィリピンのメトロバンクに送金した私の場合、その後の為替レートには何の影響も受けてません。あるとすれば、たまに日本のクレジットカードを、フィリピンでの買い物に使う時ぐらい。

ところがタイミングの悪いことに、8月に愛用のラップトップパソコン、MacBookProがクラッシュして、なかりの金額の修理代。ペソ口座に余裕がないので日本の銀行からカード支払いしたら、翌月には「え゛っ!」ってなるような請求が来てしまいました。

恐らくこの円安の流れは短期的なものではなく、ジワジワ弱体化している日本の国力を反映したものなんだろうなと思います。老人比率が増えて労働人口が減る少子化が、ここまではっきり経済に影を落としているのに、有効な政策をまったく打ち出す気配すらない日本政府。それどころか、前々政権が残した政権中枢へのカルト宗教の侵食が発覚しても、まったく危機感がない。

私が投資家なら、当分の間は日本の通貨や株式にお金を使う気にはなりません。「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、国内で少子化に歯止めをかけ、出生数を増やして地方経済の活性化を実現させた、救世主と呼んでもいい明石市の泉市長を、市議会が政治家引退にまで追い込んだのは、本当に愚かと言うしかない。

ということで、この円安。一部報道では1ドル200円時代も視野に入れているらしい。それでなくてもフィリピンからの出稼ぎ対象としては、どんどん魅力が色褪せている日本。今のところは、日本語や日本の歴史を一生懸命勉強している高校生の息子ですが、働くならシンガポールがいいなぁと言ってます。然もありなん...ですねぇ。



2022年10月17日月曜日

さらに6人様の来客

前回(6人様の来客)の続きです。

家内の友人6人宿泊の翌々日の火曜日、今度は、マニラから私の還暦祝いに参加してくれた、若い従妹たちのオフィレニア5人姉妹がやって来ました。残念ながら長姉のダヤンとその子供たちは、パーティに欠席だったものの、4姉妹+2人の彼氏で、偶然の6人組。何とこちらは、我が家と同じ宅地内にある借家を1週間レンタル。B&B(ベッドと朝ごはん)サービスと称して、空き家を短期で貸すビジネスがあるらしい。

オフィレニア姉妹が来るまではちょっとゴタゴタがあって、詳しい経緯は以前に投稿しました。(彼氏同伴で一週間宿泊

さて、彼女らが乗ったフライトが到着したのは、パーティ開始の数時間前。車で迎えに行くと連絡したものの、入り組んだ宅地の中の分かりにくそうな場所だったので、午前中に自転車で場所の確認。

ちなみに私が住むセント・フランシス・サブディビジョン。フィリピンではビレッジと呼ばれるスタイルの広大な宅地。なぜか道路が碁盤の目状ではなく、意図的に不規則なレイアウトになっています。おそらく防犯目的だったり、自動車の速度を抑えるためなんでしょうけど、10年近く住んでる私でさえ、慣れないエリアでは迷ってしまうぐらい。

かつて私が通勤していた会社のあった、大阪府守口市を思い出してしまいました。というのは、豊臣秀吉の時代に大都市として拓けた大阪。京都方面からの玄関に当たる守口界隈は、軍勢が侵入しにくいよう、わざと入り組んだ街並みにしたんだそうです。なので名前が「守りの口」。確かにメンストリートからちょっと住宅地に入ると、まるで迷路のようでした。

それはさて置き、住所のメモ書き頼りに守衛さんにも確認したのに、いざ行ってみると、ややこしいことこの上なし。通り名を示す標識は、錆び付いて読めなかったり、標識そのものが途中から折れていたり。さらに厄介なことに、ホテルじゃない普通の住宅。別に看板が上がっているわけでもありません。

どうしようもなくなって、たまたま家の前にいた知らないオっちゃんに訊いてみたら、さすがご近所さん。管理人だかの名前を知っていて、バイクで行くからついてこいとのこと。2ブロックほど離れた管理人の家に到着した頃には、ずっと自転車だった私は汗だくのヘトヘト。

一応の場所確認は済ませておいたので、何とかオフィレニア・シスターズを空港で出迎えて、無事1週間の宿泊先まで送り届けることができました。途中でまたちょっと迷いましたけどね。

そういう経緯で、火曜日はお泊まりなしのディナーパーティ。泊まらないと言っても、下は17歳のダリルから、大学卒業したてのハルメニアとダリア、今回は一番年嵩のドリーでも29歳。彼氏二人も同年代でしょうから、これはかなりの分量を用意しないと。

当日は、メイドのグレイスにも手伝ってもらって朝から大忙し。洋風炊き込みご飯のエビ・ピラフ、我が家の定番メニューのカレー。普通だったらこれで十分なんですが、今回はさらに、スパゲティ・ミートソース、ハンバーグにジャーマン・ポテト。炭水化物主体の労働者メニューにして、完全にお子様テーストばかり。

さすがにここまで作っておいたら、翌日のお弁当に使えるぐらいは余るかと思ってたら、いやはや、見事なまでの20代の食欲。カレーがお情け程度に残っただけ。ひさしぶりに清々しいまでの完食でした。


フェイスブックの写真でしか知らなかった彼氏二人。実はあまりいい印象はなかったんですが、実際に会って話してみたら、二人とも、普通に気の良い兄ちゃん。やっぱり思い込みはいけませんね。反省してます。

ということで、大いに喋って歌って、まるで娘たちのような年代の姉妹たちと、楽しい時間を過ごすことができました。


2022年10月14日金曜日

6人様の来客

 還暦祝いのパーティが終わっても、そこから数日はその余波が続いた先週。こまずは、当然予想していた通りに、遠方からパーティに参加してくれた、家内の大学時代の友人たちが大挙してのお泊まり。マニラからだし、ディナーパーティの後は宿泊となるのは自然な流れで、ならば我が家にとなった次第。もちろん私もよく知ってるオバちゃんたち総勢6名。

オバちゃんと言っても、大学の教授や准教授、研究員に会社の経営者などなど、肩書きだけ見れば錚々たるメンバー。もちろん堅苦しいことは皆無で、会って話せばやっぱりフィリピンのオバちゃん。家内を加えて7名のオールド・ガールズ・トークは、騒々しいこ事この上なし。

さらに予想通りだったのが、ひとしきりのお茶やお菓子の後に出た「ちょっと歌ってよ」リクエスト。パーティの最後に、アクセル全開で5曲の披露しましたからねぇ。日本で深夜の宅地で、いくらマイクは使わないとしても、声楽式に歌い上げたりしたら、警察通報は必至でしょうけど、ここはフィリピンなので、その心配はありません。

いつも、下手クソなカラオケを聴かされているお返しとばかりに...してはささやかながら、一応窓は全部閉めて、OPM(オリジナル・ピノイ・ミュージック、タガログ語による歌謡曲の総称)を3曲と、最後にアベ・マリアを歌いました。

曲目は、フィリピンではよく知られた「May Bukas Pa」(フィリピン版の「明日があるさ」みたいな歌)、結婚式でも歌われるという「Ngayon na Kailanman」(今も未来も)、そして日本でも有名な「Anak」(息子よ)。アナックは、加藤登紀子さん日本語カバー・バージョンで。やっぱり50代以上のフィリピン人には、1970〜80年代の懐メロが響くみたいですね。すっごく真剣に聴いてくれたので、歌う方も気分がよろしい。

そして一夜明けての、朝ご飯大会。私たち家族も含めると9人の食卓。かなり大きめのテーブルがあるんですが、それでも足りなくて、二階のベランダに置いてある折り畳み式のキャンプ用テーブルを運び下ろしました。

食事の準備も、キャンプにみたいに全員総掛かり。そこは昔からの友達ばかりなので、私と家内が厨房で孤軍奮闘にならないのがありがたい。しかも食材まで持ち込んでくれたので、大助かり。お腹いっぱいのパマハウ(イロンゴ語で朝食)を楽しみました。

久しぶりなので、昼過ぎぐらいまでいるのかと思ったら、車で30分ほどのところにあるシライ市内のマウンテン・リゾート、ランタワンに行くとのこと。運転手役に現れた、同じく大学の友人で、バコロドにいくつもホテルを持ってる資産家にして投資家の、フィリップくんが参上。彼も来年還暦なんだそうです。こうしてオバちゃん6人組は、嵐のように去って行ったのでした。

さて、それではまだ終わらないのがフィリピン。3日後の火曜日には、また別の6人組が我が家にやって来ました。長くなるので、そちらは次の投稿に続きます。



2022年10月10日月曜日

還暦祝いロスト症候群

気がつけば前回から1週間も経ってしまいました。還暦祝いという、かなりデッカい人生イベントが終わってしまい、何となくガックりきちゃったんですよね。歌い過ぎの反動から、この一週間は、ほとんどボイストレーニングもしてないし。 

7年前の2015年の誕生日の直後にも、同じような投稿してました。(バースディ・ロスト症候群)この時は、フィリピン・ネグロス島暮らしが軌道に乗り、パーティにたくさんのお客さんが来てくれて、気分が高揚してたんでしょう。終わった後の落差が激しかったのは、今回も同様。

さて、還暦祝いパーティについて。全体としては、いろいろ用意したプログラムは概ね好評のうちに終了しました。中ダレもなく、フィリピンでのイベントにしては、まあまあ上手く進行できたと思います。

何と言っても、司会を願いした家内の従弟パウロ君の功績が大。喋りのプロでもないのに、こういうことを任せると実に活き々き。私の子供の頃から最近までのスライドショーには、事前に準備した各写真のキャプションをちゃんと練習して来てくれてたし、最後のミニ・コンサートでの歌や伴奏者の紹介も、なかなか堂に入ったもの。

土曜の夕刻6時集合で、始まったのは6時半ぐらい。そこから2時間半程度で終了が夜9時。ちょっとトラブったのは、メインの歌唱のところで、会場となったレストランのパーティルームの音響が突然の不調と、家内がサプライズで用意してくれた、私の友人たちからのビデオメッセージが、プロジェクターに投影できなかったことぐらい。

音響に関しては、こんなこともあろうかと、私が持参したJBLのブルートゥース・スピーカーを使って事無きを得ました。ビデオメッセージについては、連絡不足による純粋な技術的トラブル。実は家内が私に内緒で、学生時代やフィリピンに移住してからの日本の友人、それに親しいフィリピンの親戚たちに頼んで、短いビデオメッセージを用意してくれてたのでした。

せめて「USBメモリーを使う」ぐらいは言ってくれたらよかったのに、パソコンにUSBポートは付いてる?と聞かれただけ。それも、プロジェクターとの接続について話してる最中だったので、USBのタイプCがあるという意味で「付いてる」と答えてそれっきり。

最近普及し始めたタイプCって、電源やモニターも含めてオールマイティな接続が可能。でも差し込みの形が旧来のものと全然違って、USBメモリーを使うにはアダプターが必要なんですよ。それが伝わってなくて、急にメモリー渡されても無理だって。

メッセージ自体は、帰宅してからゆっくり拝見したんですが、家内にしてみれば、せっかくの苦労を台無しにされた格好で、しばらく機嫌が悪くなってしまいました。知らんがな。

そんなこんなで、会場のレンタル、食事の準備、飾り付け、新調したドレスなどなど、全部含めて10万円仕事という感じでしょうか。プロジェクターは家内の職場から借りたし、歌った時のプロ・ダンサーは親戚のサラとその義妹ドリー。伴奏は私のイロンゴ語家庭教師のバンビとエイプリルという、ボランティア。司会は前述のパウロだし、ずいぶんと助けてもらいました。

最終的には、ゲスト約70名のパーティ。同規模のを日本で開催したらどうなるか? ネットによると結婚披露宴の場合、一人当たり1〜1.5万円が相場と言いますから、下手すると100万円ぐらい飛んじゃうかも知れません。まぁやり方にもよるんでしょうけど、そんなにかかるんですね。



ところで、還暦だから衣装のテーマカラーは赤と、安直に決めたのはいいけれど、実際、赤い服の男女が70人も集まって、飾り付けが全部赤だと、どう見ても春節祝い。中国系住民が多いフィリピンでは、旧正月の頃になるとショッピングモールがこんな感じになるんですよ。