2016年1月31日日曜日

天皇陛下のフィリピンご訪問

1月26日から30日までのご旅程を終えられて、天皇皇后両陛下が帰国されました。私たち家族は、今回おもに陛下が訪問された首都マニラとその周辺からは、遠く離れたネグロス島在住なので、テレビやインターネットを通じてのみの見聞でしたが。

やはり日本国を代表するというお立場上、周囲はどうしても政治的な背景で語りがちですが、私が思うに、2005年のサイパン島(サイパンの戦いで日本の将兵3万人が戦死)、昨年のパラオ(マリアナ・パラオ諸島の戦いで日本の将兵6万3千人が戦死)ご訪問に続いて、フィリピンに来られたのは、先の大戦で亡くなった人たちへの強い思いがあったからではないでしょうか。

戦争の時代を直接目撃した最後の世代の代表として、また日本国民の象徴として、多くの日本将兵の戦死者と、戦火に巻き込まれた100万を超えるフィリピン人犠牲者の慰霊が最大の目的で、フィリピンご滞在中のお言葉も、それをはっきり感じさせるものでした。

そうした実に重い意味を持つご訪問とは言え、フィリピンに住む日本人の一人としては、ごく素直に喜ばしいことでもありました。フィリピンという国と、そこに住む日本人のことを気にかけていただいているというだけで、気持ちが安らぎます。自分の意思で移住して、しかもたったの3年足らずでそう感じるのですから、10年20年と暮らしている人や、戦争の終結以来取り残されてきたという、フィリピン残留日本人の方々の胸中は、察するに余りあるものです。

偶然にも、前回陛下がまだ皇太子だった頃フィリピンに来られたのは、私が生まれた1962年(昭和37年)だったとのこと。当時はまだ終戦からそれほどの年月も経ておらず、対日感情も決して良くなかったでしょうし、好景気に沸く現在のマニラ首都圏とは全く違った風景だったでしょうね。


2016年1月29日金曜日

その後の日本語教室


フィリピン・ネグロス島、シライ市の自宅に地元の大学生4名を集めて始めた日本語教室。かれこれ2か月近くが経過しました。当初の意気込みもだんだん萎んできた最近。どうやら学生たちの良くないフィリピン気質が目立ち出したようです。

クリスマスや年末年始は仕方ないにしても、突然の欠席が多すぎ。大学の特別講義が入ったとかパーティに出るとか、普通に考えてかなり以前から分かっているようなことばかりを言い訳にするのに、なぜか当日の時間直前にメッセージを送って来る。

さらに多いのが遅刻。5分や10分といった可愛いものではなく、30分から1時間近くも毎回、しかも何の連絡もなし。いくら私立のお坊ちゃん・お嬢さん大学の学生でも、いい加減すぎますね。中には大学院生で自分も講師の立場の人もいるから、待てど暮らせど誰も集まってこないやり切れなさは分かってるだろうに。

私の授業では、4人中3人が欠席の場合、自動的に休講というルールにしました。これはマンツーマンがやりにくのと、欠席を減らすための予防措置のはずでしたが、先週も含めてもう2回も発動。

毎週出している宿題は、一応はやってきます。一番真面目なキムなどは、欠席の時にも宿題を書き付けたノートを写真に撮って、フェイスブック・メッセージで投稿したり。こういうのを見てるとやる気はあるようなんですが、来てくれないことには話になりません。

感情的になって叱りつけても効果がないのは分かっているので、一度、遅刻や欠席を減らすにはどうしたらいい?と訊いてみたりもしました。要するに時間を厳格に守るという習慣が根付いてないだけ。家内に言わせると「仕方がない」のだそうです。そう言う家内は、フィリピン人離れした時間の守り方をしてますけどね。

これ以上ガミガミ言って、本当に誰も来なくなってしまうのも寂しいけれど、このペースでチンタラやっていては、いつまでも先に進めません。まずはひらがなだけでも、もう少し覚えてくれないと何もできない。

母国語のタガログやイロンゴがアルファベット表記なので、英語やスペイン語はそれほどハードルが高くはないけれど、文字を一からマスターしなければいけない言語は、本当に難しいですね。日本人がタイ語やアラビア語を習得することを考えると、容易に想像はつきます。

さて明日は、4人全員が遅刻せずに集まるでしょうか? 今のところ誰からも連絡はありませんけど...。


2016年1月28日木曜日

シロアリを呼ぶ樹


フィリピンに建てた自宅の庭から勝手に生えてきて、1年もしないうちに2階の屋根まで届いてしまった「チェリー」の樹。このブログでも2回投稿しました。(「フィリピンの桜?」 「あっという間に熱帯雨林」)道路に面した場所なので、日差しは遮ってくれるし、ちょうどいい目隠しになってセキュリティ的にもいい感じと思っていたら...。

先日たまたま、家内の友人で建築現場の監督をしている人が来て一言。
「この樹はシロアリを呼ぶから、早く切った方がいいよ」
え〜っ!これは、そんなに危険な樹だったんですか〜?

現場監督さんによると、チェリーはシロアリが集りやすく、生えている場所が家に近すぎて、根っこを伝って家の土台にシロアリが侵入してしまうんだそうです。見たところ誠実そうな人だし、地元建築関係者の言葉は重いなぁ。というわけで、せっかく大きく育ったチェリー君には気の毒ですが、速攻で伐採が決定してしまいました。

とは言っても、このサイズだと自分で切るのも無理。自宅を建てた時に仕事をしてもらった、大工兼・何でも屋さんのダリに来てもらうことに。ダリは我が家の初代メイドだったカトリーナのお父さん。娘は半年でクビにしてしまったけど、お父さんの方はかれこれ3年近くのお付き合いです。

さて、一人でどうやって切るんだろうかと思ってましたが、私がテニスに出かけていた日曜日の午前中に作業が終わって、帰宅した時には切り株を残すだけとなっていました。実に呆気ないことです。

翌日の月曜日の朝。半月近くも日照りが続いてまるで真夏だったのが、突然の大雨。月曜日だけではなく、その後丸三日間も台風が来てるわけでもないのに、強い風と断続的な豪雨が...。これはひょっとして、チェリーの祟りか?




2016年1月25日月曜日

ネグロス島の花粉症

もうそろそろ日本では、花粉症の心配をし始める時期になってきました。花粉症が原因で海外移住を決意する人もいるほど、患者さんにはつらい季節。日本国外に出れば、花粉症とはサヨナラ...と思いきや、必ずしもそうではないらしい。

去年の3月ごろに、フィリピンで花粉症のような症状に悩まされているという投稿をしました。その後いつの間にか治って、今では完治状態。一体何だったのかは分からないままです。ところが先日、私が教師役を務める日本語教室の生徒さんのポール君が、授業中ずっと鼻をズルズル。風邪でも引いたのかと訊いてみたら、アレルギーだとのこと。

お医者さんの診察によると、サトウキビの焼畑で出る煙が原因なんだそうです。全島がほとんどサトウキビ畑に覆われているネグロス島。年に3回ぐらい収穫があって、その度に火をつける。焼畑の時期に風がないと、朝から町中がうっすら煙に覆われることもあるほど。それほど敏感ではなくても、身体には悪そう。


こんな環境で煙アレルギーだったら、これは厳しい。スギ花粉が年に3回も飛散してるようなものだから、ちょっとつらすぎです。

実は煙だけでなく、フィリピン人の友達や親戚にも時々アレルギー体質の人がいます。ファーストフードをよく食べるし、スーパーでも日本で見られるのとほとんど同じような加工食品が並んでいるので、食生活は日本とそんなに変わらない。アレルギーになるのも、無理ないのかも知れません。

義理の妹ジーナは、鶏肉アレルギー。間違って口にすると、全身に発疹が出てしまいます。ネグロス島特産の地鶏「バコロド・チキン」も食べられません。シライ市内では、街を歩くとそこら中で丸焼きを売ってるから、いつもおいしそうな匂いが漂っている。鶏肉が嫌いで食べられないわけではないので、別の意味でつらいですね。


2016年1月21日木曜日

勘違いする日本人


在マニラ日本大使館のホームページによると、2011年10月1日現在の数字で、長期滞在者(3か月以上フィリピンに滞在)が1万2,684名。そのうち永住ビザを取得した永住者は5,018名だそうです。この中には若い人もいるでしょうけど、私の印象では若年層での永住者は、それほど多いとも思えないので、少なくとも数千人単位で私と似たような境遇の人がいると思われます。

これほどたくさんいると、日々のフィリピン暮らしをブログに書いている人も多い。私よりも滞在期間も長く、知識・経験が豊富な方々も当然いらっしゃって、ずいぶん参考にさせていただいてます。例えばマニラ在住のMさんや、隣街バコロド在住のKさん。お二人ともフィリピンやフィリピン人への感謝を忘れず、かと言って不必要に美化することもなく、良識ある投稿をされています。

ところが、時たま何か勘違いしたようなことを書いている人がいる。最近見つけたあるブログによると「フィリピン女性は、嘘つきで約束を守らず、貧乏なのにお金の使い方を知らず、感謝という言葉を知らない」んだそうです。むちゃくちゃですね。この人、奥さんはフィリピン人なのに...。よほどひどいフィリピン人としか、出会ったことがないらしい。

金さえあれば老人でも若いフィリピン人と結婚できると言う人も。こちらは日本に妻子がいるのに、単身フィリピンに移住して現地の女性と家庭を持ってるとか。別にそれは個人の自由で好きにすればいい事。しかしいくら奥さんが黙認してても、わざわざ写真付きでブログに投稿するとは、ちょっと信じられない神経ですね。

リアルで知っている人では、日本の某NGOの代表者も常識がない。同じく日本に奥さんがいるのに、NGOの現地スタッフの身内と恋仲になり、しかもまったく無関係の業務打ち合わせに同席させて、日本人からもフィリピン人からも顰蹙を買っている。これを日本から来たインターンの女子学生の前でもやっていると言うのですから、もう呆れてしまいます。

今更書くのもバカバカしいことですが、妻や夫があるのに別の異性と男女の関係になるのは、フィリピンでも決して尊敬されることではありません。ましてや金銭目的ならば、はっきりと軽蔑されます。それを指摘する人がいなかったり、英語もフィリピンの言葉も分からなかったりで気がついていないだけ。大阪弁を喋るフィリピン人の家内は、その手の日本人の愚行を耳にする度に「アホや」と吐き捨てます。

私も男ですし、もう綺麗事を言う年齢でもない。しかし、そういうことはこっそり心に秘めておくべき。見せびらかしたって、自分の値打ちが下がるだけだと思うんですけどね。

自分の周囲で見聞きした内容だけで、さもフィリピン人のすべてが分かったように悪し様に書くのは、読んでいて気分の良いものではありません。また、恥を晒すような行為を、フィリピンでは常識だと言わんばかりに吹聴するのも止めてほしいものです。



ダメ元借金


先日、我が家のメイドを辞めてしまったアミー。そのアミーを紹介してくれた、アミーの叔母のリタ。リタ本人も他家のメイドさんで、一昨年生まれた赤ちゃんを含めて子供が5人もいるお母さんです。

そのリタから、珍しく私にフェイスブックのメッセージが来ました。次のメイドさんの紹介を頼んでいるので、早速誰かいい人が見つかったのかと思ったら...。

「お金貸してください」

リタが働いている同じ家の使用人として働いていた旦那さんが、最近クビになって生活が苦しいとのこと。フィリピンで暮らしていると、こういうのが本当に多い。しかしリタは教育もあって流暢な英語を喋るし、金銭感覚とか常識はちゃんとある方だと思ってたんだけどなぁ。

仮に日本で、友人に借金しようとなったら、これはよほど困っていると想像します。中にはお金にだらしなくて、片っ端から知り合いにお金を借りるような人もいますが、これは稀なケース。本当にどうしようもなくなってる友人の頼みを断るのは、かなり勇気がいるでしょう。特にこちらが無理せずに用立てできる金額だった場合は、悩むところですね。断り方によっては、その後の付合いにヒビが入ることもある。

ところが陽気なフィリピン人。借金するにもそれほど深く考えない人が多いみたい。取り敢えずお金持ってそうな人に声をかけてる。私は「ダメ元借金」と呼んでます。あのリタですら、そういうフィリピン気質とは無縁ではなかった。

フィリピンで何度かお金を貸したことがありますが、返済してもらったことなし。もちろん、こちらが困るような金額を貸したことはなく、戻って来たらラッキー、返さなかったら以後は絶交というスタンス。

今回は、まだリタとは友達でいたいと思ったから敢えて断りました。日本とは逆ですね。「申し訳ないけど、金銭関係では手助けできない」と返信。そうしたら「大丈夫、問題ないよ〜」とアッケラカンと答えてきました。ん〜、問題あるから金貸して欲しかったんとちゃうんか?

やっぱり「ダメ元」だった。でも、これだったら変な罪悪感に苛まれなくて済みます。フィリピンでの人付き合いのコツは「考えすぎないこと」だと、最近悟ってきました。


2016年1月18日月曜日

コロっと死にたい

WHO(世界保健機構)の2015年版統計によると、平均寿命の世界ランキングでは、日本が1位で「84歳」。男女別では女「87歳」で1位、男「80歳」6位なんだそうでうす。ずいぶん前から1位の座を守ってるようですね。

これに比べてフィリピンは100位にも入れず、125位で「72歳」。家内の家族や親戚では、義母が63歳、叔父が69歳で亡くなりました。私たち家族が移住してもうすぐ3年。4回ほど葬儀に参列しましたが、印象としては統計の数字より、もっと早くに亡くなる人が多い気がします。

義母は末期癌で、本人と家族の希望で薬物治療を途中で止めて、入院してから3か月ほどで死去。叔父は心臓発作で自宅で倒れ、病院に搬送されましたが間もなく息を引き取りました。この二つはとても対照的かつフィリピンでの代表的な死因で、病院で何か月も苦しむ頻度が高い癌と、発病したらあっという間に死んでしまうケースが多い心臓発作。

そしてつい先週のこと、毎朝「おはよう」を言い交わしていた隣人のご主人が急逝しました。享年53歳で私と同じ歳(!)。親戚のバースディ・パーティに招かれて、久しぶりのダンス中に心臓発作に見舞われて、その場で亡くなったそうです。

さらに今日、家内の親戚(父の従兄弟の娘さん)がもう危ないとの連絡が入って、隣街バコロド最大の総合病院リバーサイド・ホスピタルにお見舞いに行ってきました。こちらは義母と同じく末期癌。

病院から帰った家内としみじみ話をしましたが、やっぱり長患いせずに隣の旦那さんのように、コロっと死にたいものですね。さすがに53歳は早過ぎとは言え、フィリピンの平均寿命ぐらい生きられたら、もう後はあっさりサヨナラがいい。

私も家内も、そんなことを考える年齢になってしまいました。そう言えば、私の両親が今の私の年齢ぐらいの時に「もう人生の黄昏時やからなぁ」とポツリと呟いてました。ただしこの二人、もう今年で80歳になりますが日本で元気にしてます。


旦那さんの棺が安置された隣家



家内の親戚が末期癌で入院しているリバーサイド病院
出典:SkyscraperCity


2016年1月17日日曜日

子供を殴るな!


昨日は朝から炎天下でテニスのダブルスを連続3セット。昼過ぎには息子のパスポート更新に向けて、外務省のホームページからダウンロードした申請用紙のプリントアウトで、慣れないウィンドウズマシンと悪戦苦闘。その後休む間もなく日本語教室...。いつになく疲れてしまい、夕刻仮眠を取ったものの、とても夕食を作る気力はなし。珍しく夕飯は家族で外に食べに行きました。

自宅から車でほんの5分ほどのレストラン「ゴールデン・フード・パーク」。シライ市内では一番のフィリピン家庭料理の店で、忘れもしない20年前に家内の両親に「お嬢さんをください」プレゼンを決行した場所です。当時はひなびた田舎町の惣菜屋さん、みたいな風情でしたが、最近は改装してエアコンも入りずいぶんきれいになりました。

レストランの半分ぐらいは、ガラスの扉で仕切られた半プライベートな場所で、時々パーティが開催されたりします。昨日は土曜日の夜。私たちが到着した7時頃には、誰かのバースディパーティの真っ最中でした。4人のバンドの生演奏もあって、なかなかいい雰囲気。

ところが、それに冷水を浴びせかけるような、ちょっとした事件が。私たち家族3名の隣に居合わせた夫婦らしき男女と、その子どもと思われる5歳ぐらいの男の子、そして子守役のメイドさんが座りました。フィリピンでは別段珍しくもない家族連れ。

何があったのかは知りませんが、その男の子が店に入ってきた当初から号泣状態。メイドさんが抱っこして外であやしたり、苦労してるなぁと思ってたら、突如父親がキれた。それも幼い我が子を叱るというような感じではなく、酔っ払いが大人相手に口論してるのかと思うほどの勢い。そして子供の頭を平手でバシバシ殴りつけ始めました。

30歳になったかどうかの若い父親。Tシャツの袖口からは、刺青が見え隠れ。その上、本当に酒でも入っているのか目がすわってます。殴られた子供は、当然さらに激しく泣き叫ぶし、なぜか母親は表情も変えずに黙って見てるだけ。メイドさんも何もできずに呆然。

これはなんぼなんでもアカんで...。と感じたのは私だけではなかったようで、少し離れたテーブルにいた別のお客さんの中年女性が、怒り心頭で間に割って入りました。「あんた、何してんの! こんな小さな子供殴ったら可哀想やんか!」
もちろん本当は現地の方言のイロンゴ語でしたが、後で家内に聞いたら女性がまくし立てたのはこんな内容。

この女性客、なんとなく小学校の先生風で、さすがの父親も先生に怒られた小学生のように静かになりました。ちょうどその時、バンドが演奏してたのがスザンヌ・ヴェガの「ルカ」。この曲は1987年に、虐待を受ける子供の視線で書かれた異色のヒットナンバー。偶然にしては出来過ぎです。

それにしても、フィリピンでは子供はずいぶん大事にされていて、私の家内も含め、人前であっても子供を抱きしめたりキスしたりの愛情表現をするのが普通。どちらかというと、甘やかせ過ぎの親が多い印象です。レストランで小さな子供を殴る父親なんて、初めて見ました。それより怖かったのは、何の感情も見せずに子供が殴られているのを見ていた母親。フィリピンでも、こんな親がいるんですね。


2016年1月14日木曜日

もう日本には戻れない 長時間労働編


「貧しくても幸せ」フィリピンについて語る時のキーワードと言ってもいいですね。だいたいこの後に「日本は物質的には恵まれてるけれど、幸福度が低い...」と続いて、自虐的な日本社会批判になることが多い。

実際にフィリピンに住み、いろんな階層の人たちの暮らしを見ると、こんな単純化された図式には納得できません。子供がたくさんいて、みんな笑ってるから幸せなんて表層的な見方に過ぎます。場所によっては、電気もなく水は井戸、生死に関わる病気になっても治療費もなし。乳幼児の死亡率は高い。いくら笑顔でも、好きでそんな生活してるわけがない。

それでも、明らかにフィリピンの方がいいと思うことがあります。それは、親が夕食時に帰宅して家族と一緒に食事ができること。もちろん死別や海外出稼ぎで父母のどちらか、あるいは両親ともいなかったり、昼夜逆転の勤務時間の人もいます。それでも、日本のように、ほぼ毎日父親の帰りが深夜になることが当たり前なんて、フィリピンの大多数の家庭では想像もできないでしょう。

これはフィリピンが特別な国なのではなく、約20か国ほど海外出張した経験からして、日本が異常。どの国へ行っても5時以降にオフィスに居残ってるのは日本人ばかり。私の知っている、日本人と国際結婚した奥様たちの不満は、判で押したように旦那さんの帰りが遅いことです。

鬱病蔓延の話を持ち出すまでもなく、今の日本で社会問題になっていることの多くが、この無茶苦茶な長時間労働に起因すると言ってもいい。そりゃ、ここまで家庭を蔑ろにすれば、配偶者との関係も悪くなるし、子供がおかしくなるのも当然です。

高度経済成長期のように右肩上がりで収入が増えれば、休日返上で仕事しても「お父さんは家族のために頑張ってる」と尊敬もされたでしょう。しかし今では、給与は上がらない(どころか下がることさえ珍しくない)のに、健康を犠牲にしてまで働くのは、一体何のため?

この長時間労働の悪習こそが、私がフィリピンに移住した決定的な要因です。どうせ日本でこのまま働き続けても、家族との時間は満足に持てないし、それほど贅沢な暮らしができるわけでもありません。それならば、自分の時間があって、しかも(日本の庶民感覚では)大きな家に住めて、日本並みかそれ以上の生活水準が保てるフィリピンでの生活を選ぶのは、私の中では極く自然な選択でした。

日本でも比較的最近になって、ようやく「これはおかしい」と気づく人が増えてきたようです。1日の労働が8時間までというのは、世界的なルール。この自明のルールを無視して毎日深夜まで働き、定時に帰宅する人を軽蔑して、最後はくも膜下出血で半身不随。先輩社員が本当にこうなりました。早く方向転換しないと、いずれ国レベルで病に倒れますよ。


2016年1月13日水曜日

やっと終わったクリスマス

昨年は何と9月の初めから飾り始めた、我が家のクリスマス・ツリー。今日(1月13日)やっと押入れに片付けました。4ヶ月以上も出しっぱなしだったことになります。カトリックの暦でいうと、クリスマスの時期を示す「降誕節」はクリスマス当日から翌1月7日〜13日の間の日曜日まで。今年は1月10日までが降誕節だったので、こちらでは今時分までツリーを出しているのは、普通の感覚。

何度も投稿しているように、クリスマスが異常なほどに大好きな人が多いフィリピン。ショッピングモールでは、9月になるとショーウインドウはクリスマス仕様になり、BGMやラジオからの音楽もクリスマス。今シーズンは、フィリピン人の真似をしてみました。

ここまで放置しておくと、特別な行事という感じが全然なくなって、ツリーがインテリアの一部になってしまいますね。いざ片付けてしまうと喪失感がすごい。確か去年の今頃もずいぶん寂しい思いをした記憶があります。どうもこれはメイドさんが辞めてしまったことも影響してます。



二年続けて、ツリーを出す時にはメイドさんがお手伝い。一昨年はカトリーナ、去年はアミー。二人ともこういう仕事は楽しいらしく、鼻歌交じりでした。ところが今回も片付ける時にはメイドさんがいません。家内と一緒に黙々と作業をして、小一時間ほどで我が家のクリスマスは、跡形も無し。


やっぱり家族ではなくても、同じ家に住んで、毎日顔を見てる人が急にいなくなるというのは、精神衛生上あまりよろしくない。カトリーナもアミーも偶然ちょうど半年ほどでいなくなりました。半年という期間は、存在に慣れるには十分な長さのようですね。

友達や知り合いに声をかけて、新しいメイドさん探しを始めてますが、次回は家内を見習って、あんまり感情移入するのはやめておこう。やっぱり娘にしてもおかしくないほど、若い女の子というのがよくないのかなぁ。


2016年1月9日土曜日

突然のお別れ アミー失踪


やっと我が家に居ついてくれたと思ったメイドのアミー。去年の10大ニュースでも2位に取り上げて、かなり喜んでいたのも束の間、昨日あっさりと辞めてしまいました。

年末の投稿で書いた通り、奨学金が貰えることになって受験に備えていたはずのアミー。実家はあまりに山奥すぎて通えないし、寮はタダで入れても生活費がないので、週末だけ我が家で働くと言ってたのに。

ところが年末年始の休暇で帰省したっきり、復帰予定の1月3日になっても戻ってこない。元日に「風邪を引いた」という携帯メッセージはありましたが、その後は梨の礫。どうしたんやろ? 風邪をこじらせて寝込んでるのか?と心配して、家内がメッセージを送ったのが昨日(1月8日)。その返事が「お母さんが引き止めるので辞めます」
何じゃ、そりゃ?

仕事がキツいはずはないし、三食昼寝付き。テレビは見てもいいし、ベッドのある6畳ほどの個室まで。週一回は1日外出可で、盆暮れは帰省OK。雇い主が言うのも何ですが、こんなに恵まれた職場環境は、ちょっと他にないと思うけどなぁ。

約半年間、料理をしながら話をした感じでは、アミーは聡明で先代メイドのカトリーナに比べると責任感も強い子でした。ずっと田舎暮らしだったせいか、やや世間知らずなところもありましたが、礼儀や常識の感覚は普通にあったはず。それがこんな辞め方するとは、理解に苦しみますね。

衣類や靴など僅かな分量とは言え、そのまま置いていきました。仕方なくアミーを紹介してくれた叔母のリタに連絡して取りに来てもらうことに。家内が整理してみると、残っていたのはボロボロのものばかりだったそうで、どうやら最初から戻って来ないつもりだったらしい。

家族同然に扱って、できれば大学卒業まではいてほしいと思っていたのに、突然の、しかも実に後味の悪い辞め方。こういうのが時たまフィリピン人に見られる「甘え」ですね。メイドさんだけでなく、他の仕事でも理由の説明も挨拶もなく、ある日急に来なくなってしまう人は少なくないらしい。

それにしても、新年早々またメイド探し。面倒なことです。


2016年1月8日金曜日

肥満大国フィリピン

一昨年の11月に、フィリピン女性がいかに魅力的かという投稿をしました。その中で、フィリピーナはスタイルがいいと書いたのと、真逆のタイトルですが、最近急にフィリピンで肥満が増えたわけではありません。

以前は、どっちかというと若い女性ばかり見てたので、ああいう記述になってしまいました。10代・20代の人は、女性に限らずスリムな人が多い印象は同じ。しかし、このところ息子の登下校の送り迎えを毎日するようになって、子供を待ってる間に、30代以上の女性をしみじみ観察する機会が増えてから、少々見方に変化が。

別にフィリピン人に限らず、出産後に体型を維持するのは中々難しいこと。モデルさんみたいなスレンダーボディだったのが、子供産んだらお腹が...というのは、よくある話でしょう。それにしても、フィリピンのお母さんたちの変わり方はすごい。

太り気味どころではなく、真剣に健康の心配をしてしまうほどの肥満の女性もちらほら。やっぱりファースト・フード大好きな国民性だからか? マクドナルドやケンタッキーはどこにでもあるし、屋台の揚げ物をスナック代わりに食べながら歩いてる大人も多い。(因みにバナナを揚げて串に刺した「バナナ・キュー」が人気です。)


子供達の下校を待つお母さんたち。ベンチが可哀想かも?

誕生日パーティは頻繁で、付き合いが良ければ1か月に2〜3回はご馳走も珍しくない。また出てくるメニューは、挽肉にチーズたっぷりのミートソース・スパゲティとか、豚の丸焼きとかカロリー激高の献立ばかり。スーパー行ってもトマトソースとスパゲティの品揃えが異常に充実してるのが、フィリピン人のスパゲティ好きを物語ってます。

それに輪をかけるのが、ほんの数百メートルの距離でも歩かず済ませられる「トライシクル」(輪タク)の存在。料金は一人一回20円〜40円と安いし、年中暑くて雨も多いので歩きたくない気持ちも分かりますが、少しぐらい歩いたら?と言いたくほど歩きませんねぇ。特におばさま方。また経済状態とも無関係なようで、スラムで肥満の人がいないわけでもありません。

その割には、お腹が2段3段になっていても、体のラインがはっきる分かるような細身のジーンズやレギンス履いてたり。そもそも寒くならないので、ゆったりした服が少ないというのもありますけどね。

逆に太ってない人は、これまた心配になるぐらい細い。別に貧乏で食うや食わずでもなくても細い人は細い。家内のように50歳で中肉中背の女性は、比較的少ないと最近思うようになりました。


2016年1月7日木曜日

オフタイマーのない扇風機


ほぼ年中、扇風機が稼動しているフィリピンの自宅。エアコンは3部屋設置できる準備はしましたが、今のところ夫婦の寝室に1台あるだけ。しかし扇風機はほとんど各部屋1台購入して、全部で7台。これは我が家だけが特別なわけではなく、それほど裕福な家庭でなくても、扇風機が家に3台4台あるのは当たり前の必需品。どんな電気屋さんでも、中国メーカーの超極安品から、日系メーカーのそこそこ高級品まで、品揃えは豊富です。

日本だと扇風機にはリモコンが付いてたり、首振り角度が調節できたり。また微風モードやら自然の風に近いという「ゆらぎ1/f」なんてのもありましたね(いまだに意味はよく分かりませんが)。ところがフィリピンの場合、値段の幅はかなりあっても、スペックはほとんど同じ。3段階の風力と首振りのオン・オフのみ。扇風機にリモコンなどと言うと笑われるでしょうね。

日本ならば、安い機種でも必ず付いているオフタイマーすらありません。文字通りの熱帯夜で、寝苦しいことも多い国なので、就寝時に付けっぱなしはよくある使い方なのに、オフタイマーがないもんだから朝まで通電。こちらの真夏の4月5月でも、朝方は20度近くまで気温が下がることもあり、扇風機が原因の寝冷えはしょっちゅうです。

これが価格を抑えるために、安物だけがそうならば分かりますが、ショッピングモールの大きな電気店で買った、こちらの感覚では相当高価な扇風機でも同じ。しかも、風力が3段階あっても、1で「強風」2は「さらに強風」で、3は「最強」と言いたくなるようなレベル。

そしてエアコンでもオフタイマーがないのが標準。タイマー付きだとワン・ランク価格が上がります。電気代が決して安いとは言えないフィリピンで、高級品を買えないお客さんにこそ、電気代節約のためのオフタイマーが必要だと思うんですけどね。

扇風機やエアコンに限らず、例えば家の建て方などを見ていても思うのが、ちょっとした初期投資をケチって、長い目で見ると損をしていることが多い。安物買いの銭失いとは、名言ですね。


2016年1月5日火曜日

もう日本には戻れない やり直し編


多くの人が指摘しているように、日本は「やり直し」を許さない、あるいは「やり直し」にとても不寛容な社会。例えば最近ネットでの話題で「会社を辞めたくても3年は我慢しろ」とか「一人前の寿司職人になるには10年の修行が必要」という昔からの教訓に対して、猛烈な反発が起こってますね。ようやく日本人が、日本の特殊性に気がついたということかも知れません。

あんまり飽きっぽいのも考えものですが、それは程度の問題で、私は本当に辛かったらとっとと次の仕事探せばいいし、ひたすら時間をかければいいというもんでも無かろうと思います。50歳を過ぎて思うに、強い意志を持って続けてる人はともかく、私のような凡人には、3年も我慢して嫌なことやるには人生は短すぎます。

忍耐を尊び、一つのことを続けるのを良しとするのは、やり直しがとても難しいことの裏返し。フィリピン社会の場合、勤め先を変えるのは全然珍しいことではありません。家内の親戚で、最初は日系の電気メーカー勤務だったのが、あっさり韓国系のライバルメーカーに転職。別に何のこだわりもありません。また以前、ローカル言語のイロンゴ語の先生をしてくれていた私の友人は、元々大手百貨店のフロアマネージャーでしたが、今は日本のNGOで働いている。

簡単に解雇されるけど、再就職も日本ほど難しくないのがフィリピン社会。有能な人ほど転職でキャリアアップしてる感じですね。

ここ10年ほどで、ようやく転職が前向きに語られるようになった日本。実は私も日本でメーカー勤めの頃は、ヘッドハンターに声をかけられたことがあります。社外のセミナーに出席していた時のことで、質疑応答の内容をチェックしてるんですね。終了後、廊下に出たところを、若い女性のヘッドハンターが待ち構えていました。

それをきっかけに、本気で転職を考え始めると、これがそう簡単ではありません。年齢制限があったり、転職の理由(要するに今の職場のどこが不満なのか)などを延々訊かれたりする。採用する側が慎重過ぎ。面接は受けたものの、期限を切らずに何週間も待たされるハメになったので、結局こちらから断ってしまいました。

私が今フィリピンに住んでいるのは、ある意味「やり直し」です。もっと早く生活環境を変えたら良かったと思いますが、気がついたら28年も同じ会社で頑張ってしまいました。フィリピン人の友人に話すと、大抵「それはもう十分だよ」と言われます。


2016年1月2日土曜日

暴発!フィリピンのお正月


明けましておめでとうございます。
また、新しい年がやって来ました。今年もフィリピンは例年と変わらずの騒々しいお正月です。クリスマス前後から爆竹が鳴り始め、夜には市役所前の市民広場で派手に花火が打ち上げられます。そして、だんだんとヒートアップ。大晦日にもなると、昼間っから住宅地でもバンバンと轟音が。

日本でもパーティの時には三角コーンのクラッカーを鳴らしたりしますが、あんなに可愛いらしい代物ではなく、銃の暴発にしか聴こえません。マニラなどの大都市では、本当に拳銃を祝砲代わりに撃つ人もいるらしい。こちらでは合法的に銃の所持はできるし、違法でも割と簡単に入手できてしまいます。そして流れ弾で怪我人も...。

いよいよ後数時間で新年という頃になり台所で料理の用意をしていると、隣家でどデカイのを破裂音。その度に飛び上がるほどびっくり。まったく心臓に悪い年の瀬です。実際、かなり危なくて、毎年指や腕を吹き飛ばしたり爆竹屋さんが建物ごと爆発する事故が多発。正月一日の昨日もマニラで爆竹が原因の大規模火災が発生して、3000人が焼け出されました。

来年の大統領選挙に出馬を表明している有力候補が、公約の一つに爆竹の禁止を掲げているほど、フィリピンの社会問題。しかし縁起物だし、フィリピンの文化に根付いた習慣なので、そう簡単には無くせないでしょう。

ここ数年は爆竹だけでなく、少し大きな家からは本格的な打ち上げ花火が上がったりします。日本だと「煙火打揚従事者」という資格が必要だそうで、打ち上げ時も毎回、関係機関への届け出やら許可を取るんですね。こちらでは、そんな手続きあるのかなぁ?大晦日も元日の夜も、あちこちで上がってましたから、いちいちそんな手間かけてるようにも思えません。お正月に隣で花火から出火して、それをもらい火なんて、洒落にも何にもなりませんよぉ。