2016年5月31日火曜日

美貌の副大統領 レニ・ロブレド



2016年のフィリピン総選挙も、投票が終わってもうすぐ1か月が経とうとしています。大統領は投票当日にドゥテルテが当選確実にしたのとは対照的に、副大統領選の結果はかなりもつれました。ある意味、これこそフィリピンらしい。

ようやく当選が決まったのは、レニ・ロブレドという52歳の女性。以前、フィリピンの大統領になるような人は、何かしら劇的な人生を歩んできているという投稿をしましたが、この人も次期大統領を目指せるのではないか、というほど劇的な背景が。

レニの夫は、自治大臣を務めたジェシー・ロブレド。任期途中に飛行機事故で殉職したそうです。もともとは弁護士だったレニは、夫の死後その後を継ぐように下院議員になりました。下院議員時代、3人の娘を大学で通わせるのが経済的にかなり苦しかったとか。自家用車を使わず、娘もバスで移動。フィリピンの政治家では、ちょっと聞いたことのない慎ましさですね。

そして夫と同様、不正・汚職・貧困の撲滅を目指して活動し、政治家としての仕事以外に、貧困層の法律相談をしているそうです。こんな人がフィリピンにもいたのか?と言いたくなります。しかも、かなりの美人。50歳を過ぎてなお十分魅力的。若い頃はモデルをしてたと言われても信じてしまいそう。

対立候補のマルコスJr.とは、本当に僅差で、ドゥテルテ当選後のニュース報道は、この二人のどちらが勝つかの話題ばかりでした。ようやく決まって、6月の就任式を迎えられますね。口の悪いフィリピンのマスコミは、ドゥテルテとレニの正副大統領コンビを「美女と野獣」なんて呼んでます。

ところで、レニの経歴は、マルコス独裁を終わらせたコラソン・アキノ元大統領と重なって見えて仕方ない。夫の死によって政治家への道を歩み始めたところや、清潔さを売りにしたところなどなど。次期大統領のドゥテルテは、強烈な個性の持ち主故の危うさがあるので、何らの理由で任期途中で辞任なんてことになれば...。(無責任な外国人のつぶやき)


2016年5月30日月曜日

イグレシア・ニ・クリスト フィリピンの新興宗教


「新興宗教」と書くと、何やら怪しげでネガティブなイメージを感じますが、キリスト教にしてもイスラム教にしても、昔はユダヤ教から枝分かれした新興宗教でした。中には淫祠邪教だったり、信徒からお金を巻き上げるだけの詐欺だったり、本当に殺人やテロまで起こす物騒な集団もなくはないですが、私の知る限り、大抵は真面目に「解脱」や「救済」を願っている人たち。

フィリピンで生まれた新興宗教で有名なのが「イグレシア・ニ・クリスト」(キリストの教会)。新興と言っても、もう100年の歴史を持つ教団で、信徒は国内で200万人いて、教会は5000もある。ここシライにも一つ建ってます。


カトリック大国として知られるフィリピンですが、それ以外のプロテスタント系も意外に多い。近所にもアメリカ人の牧師家族が住んでるし、私たちの住むバランガイ(町内会)でも、ざっと数えただけで3つぐらい教会があります。

さて、このイグレシア・ニ・クリスト。ゆるゆるのフィリピン・カトリックに比べると教義は厳格なようで、時間厳守が旨。日曜日の朝と木曜日の夜に行われる礼拝は、開始時間と同時に扉が閉ざされて、遅刻した信者は入れない。献金は収入の10パーセント。これはユダヤ教も確かそうだったと思います。

そして何を隠そう、我が家のメイドのネルジーとその家族、そしてネルジーを紹介してくれて、移住以来の友人であるティンティンが信徒。この人たちに共通するのは、時間を守る感覚や金銭感覚(貸借りも含めて)が平均的な日本人と同じで、真面目なこと。つまり「いい人」ばかりなんですよ。

だから、私はイグレシア・ニ・クリストに対して、まったく偏見もネガティブな感情もありません。むしろエエ加減なカトリックの信徒よりも、付き合いやすいぐらい。

おそらく教会内部でのお金の運用は厳格だと、容易に想像できます。マニラにもセブにも立派な教会が建ってますが、どこも壮麗で敷地内は掃除が行き届いている。全信徒から収入の10パーセントも貰ってるのだから、資金も潤沢なんでしょうね。

こういうフィリピン離れした教団なので、やっかみも多いらしく、フィリピン最大の放送局ABS-CBNが、偏見に満ちた報道をしたというので、信徒全員「アンチABS-CBN」キャンペーンをやってます。

以下、無責任な外国人としての意見。もう何百年もフィリピンを精神的に支配してきたカトリックも、そろそろ建て直しが必要な時期なのかも知れません。小さなチャペルはそうでもないですが、大きな教会の、信徒への態度があまりに高圧的。これでは、真面目な人ほど嫌になると思いますよ。


2016年5月28日土曜日

ジェネルとアンドリュー


フィリピンの片田舎、ネグロス島シライ市に住み始めて、3年ちょっと。移住前は、家内の友達や親戚を除いて滅多に来客はなく、新しく友達になるのは地元のフィリピン人ばかりかと思ってました。ところが何事も実際にやってみないと分からないもの。日本にいる時と同様か、ひょっとするともっと多くのお客さんは来るし、どんどん友達が増える。

それもフィリピン人だけではなく、日本人に、それ以外の国から来た人たち。8か月ほど前に、日本人の友達を介して知り合ったは、NGO活動でシライにやって来た、ジャクソン夫妻。奥さんのジェネルがオーストラリア人で旦那さんのアンドリューがニュージーランド人。

仕事での接点はないけれど、アンドリューが私と同じくテニス好き。毎週土曜日は、よくテニスに付き合ってもらいました。このアンドリューの知り合いで、やはりNGOで活動しているアメリカ人のクリス、そしてこれまた別のNGOのマネージャー、日本人のYさんで、ようやくダブルスが楽しめるようになりました。

しかし残念なことに、ジャクソン夫妻のシライでの任期も終わり、先日我が家で共通の友人を招いて、ささやかながら送別会をすることに。

奥さんのジェネルは、ベジタリアン。宗教上の理由ではなく、それほど厳格なわけではないけれど、肉類は一切食べられない。魚もダメ。卵は大丈夫だというのですが、料理担当としては、ちょっと悩むところ。

偶然、我が家のメイドのネルジーも肉がNGなので、ここ何ヶ月か肉抜き料理を作っていたのが思わぬところでお役立ち。用意したのはカレー、麻婆豆腐、オムライス、コロッケに温野菜のサラダ。これを全部肉なしで調理。意外と美味しくできました。日本人のお客さんだと、特にご馳走という感じでもないですが、日本の外ではあまりお目にかからないメニューなので、ジェネルだけでなく、アンドリューやフィリピン人のゲストにも喜んでもらえました。

今日、土曜日に二人はシライを離れて、しばらくフィリピン国内と、なぜか韓国のソウルを旅行して、その後、オーストラリアにあるジェネルの実家に滞在。そこで30代の二人は、これから次の仕事を探すそうです。多くの日本人の発想だと、なかなかこんな自由な生き方はできないかも知れません。まず海外に出ることが一大事だし、5年後10年後の心配ばかり先立って、完璧に準備ができないと、動こうとしないケースが多い。

別に日本から出ることだけが、自由な生き方だとは思わないけれど、国境をあんまり意識せず、将来のために現在を犠牲にしていないジェネルとアンドリューを見ていると、ちょっと考え込んでしまいました。



2016年5月24日火曜日

一時帰国の食べたいものリスト

フィリピンに家族で移住して3年と少し。久しぶりに日本に一時帰国することになりました。移住前は、何年もフィリピン暮らしだと、日本に対する郷愁というか、いろんな事や物に対する飢餓感が募るのかと想像してたのに、これが意外なほど平気。

まず、ネット。ADSLで、それほど高速ではないとはいえ普通につながり、SNSを始め、日本の情報はリアルタイムで見ることができるのが大きい。日本のテレビ放送は、もともとNHKとWOWOWしか見ない変わり者だったので、あんまり影響なし。

日本の四季は大好きですが、寒い冬がなくいつでも泳げる気候は、季節感がないことを補って余りある。住環境は、停電が多いこと以外は日本にいる時よりずっと広く快適だし、趣味のテニスは毎日やり放題。

ただ、食べ物だけはそうはいかないだろうと思ってました。ところが思いの外、ネグロス島でも日本の食材は手に入るし、たまにマニラやセブに出かけると、かなりちゃんとした日本食もある。今、日本に帰ったら何が食べたいか?と自問してみても「何が何でも、これだけは!」というの食べ物が、それほど多くないのが正直なところ。

もちろん、いざ帰ってみれば何でも喜んで頂くだろうし、日本の外食レベルの高さは、海外にいるとよく分かります。しかしあんまり高いものとか、珍しいものより、いつも食べてたものが思い浮かびますね。ということで、三つ挙げてみると...。

王将の餃子 天下一品のラーメン 家族亭のそば、うどん、かやくご飯

グルメな方からは、「どんだけ貧相な食生活送ってたんや!?」とのツッコミが聞こえてきそうです。別にこれしか食べたくないという意味ではありません。ご馳走していただけるのなら、カウンターで食べるお寿司とか、和牛のステーキとか、いくらでもお相伴に与かりますよ。


2016年5月23日月曜日

突然夏の終わり


つい数日前、木曜日の投稿で、暑くて雨が降らないとボヤいたところ、その翌日から毎日午後に雷を伴った豪雨が降り、週明けの今日月曜日は、とうとう朝から雨。気温もぐんと下がって、とても凌ぎやすい気候になりました。

暑くなる時は、もう少し徐々に変わっていくんですが、雨季の到来は毎年突然のフィリピン、ネグロス島。3か月近くも乾燥して連日30度〜35度の夏が続いたのが嘘のようです。梅雨から夏になる日本とはまるっきり逆。しかも、日本の場合は季節の移り変わりがゆっくりで、グラデーションの印象なのに対して、ここでは原色から違う原色へ「ブチッ!」という感じで切り替わります。移行期間はせいぜい2〜3日。

切り替わると言っても、気温差は5度程度。10度も変わることはないので、衣替えとか、冷暖房器具の出し入れはまったくありません。相変わらず扇風機は使うし、Tシャツに短パンはそのまんま。さすがにエアコンは不要になりますが。

降るとなると、毎日降るのが熱帯の雨季。一週間ぐらいずっと降りっぱなしだったり、晴れても1日1回は通り雨。乾季の間に茶色くなっていた庭の芝生は、あっという間に緑に戻り、油断していると雑草で茫々になります。

さてこうなると、近所にはアウトドアの土のコートしかないので、テニスはしばらくお預け。年齢も考えずに、毎日炎天下ガンガン打ちまくっていたので、ちょうどいい休息なのかも知れません。サーブもストロークも強打ばかりしてたら、利き腕(私は左)の肘と手首に軽い痛みが出るように。もうそろそろ体を労わりなさいということなんでしょう。


フィリピンの国民的歌手ドナ・クーズが歌う「Rain」
「もう私の人生は冬。春も夏も秋もない」
四季のない国のヒット曲なのに...。


2016年5月20日金曜日

ガイサノが来る 本格的ショッピングモール進出

ここ数年、新規の大型レストランやスーパーマーケット、コンビニエンスストアの開店が相次ぐネグロス島のシライ市。昨年8月、フィリピン流通最大手の「セーブモア」(Save More)の出店で、そろそろ役者が出揃ったかと思ってたら、とどめの一撃とばかりに「ガイサノ」(Gaisano)が、本格的なショッピングモールの建設に乗り出しました。

フィリピンで名が知れているショッピングモールと言えば、まずSM(シューマート/セーブモアは、その系列店)、ロビンソンズ、アヤラといったところで、西ネグロスの州都バコロドには、SMとロビンソンズがあり、シライの隣街タリサイには、私たちが移住した3年前の4月にアヤラができました。ガイサノは、この三つに次ぐぐらいの規模と認知度。既にバコロドには「ガイサノ・シティ・バコロド」があります。

バコロドのガイサノは、正直言って建物は古くて暗いし、店構えや品揃えは他に比べると垢抜けず見劣りします。こういう状況なので、おそらくガイサノの経営陣は、ネグロスでの失地回復を見込んだんでしょうね。グーグルマップで調べてみたら、シライ市内の新店舗の建設予定地の広さは、ざっと見て35,000平米。



これがどれぐらいの規模かと言うと、大阪梅田の阪急百貨店(梅田阪急ビル)の敷地17,000平米余りの約2倍になります。もちろん阪急のように10階以上の高層化はあり得ないし、せいぜい一部が3階建て程度で、売り場面積では比べものにはならないでしょう。

それでも人口12万程度のシライ市で、ここまで本格的なショッピングモールを進出させるとは、フィリピン全体の好景気の後押しがあったとしても、思い切った投資ですね。因みにライバルで、筋向かいに位置するスーパーのセーブモアに比べても、3倍ぐらいの広さです。

さて、このガイサノ。我が家からは、ゆっくり歩いても15分ぐらいの至近距離。この広さだったらシネマ・コンプレックスが入っても不思議ではないし、マクドナルドやジョリビーなどのファーストフード・レストランもできそう。聞くところによると、シライの某大地主の意向があって、今まで市内にはファーストフード店がなかったそうです。そう言われれば、全国チェーンのレストランと言えば、地鶏専門店のイナサル(Inasal)しかないですね。


シライ市内唯一のチェーン・レストラン
イナサル

昔からシライ住民の一部からは「古き良きシライが無くなってしまう」との声もあるようですが、もうこれは時代の流れでしょう。移住してきた外国人としては、とにかく便利になるのが嬉しくて、約1年後の開店をワクワクしながら待っています。


基礎工事が始まりました。



2016年5月19日木曜日

酷暑と旱魃 2016年フィリピンの夏

旱魃と停電」というタイトルで投稿したのが、4月3日。ここネグロス島シライの市街地では、私が記憶する限り、3月の初め頃から雨らしい雨が降ったのは、ほんの数回。1回だけ、ほぼ終日雨の日がありましたが、それ以外は、激しく降っても数時間で止んでしまう通り雨。

ネグロスは火山島で、主峰カンラオンからは今でも時折うっすら噴煙が上がります。この山が比較的高いためか、平地がカンカン照りでも山頂付近は厚く雲がかかって、雨が降っているらしく、そのおかげでシライ市や周辺のバコロド、タリサイでは給水が止まるような事態にはなっていません。

5月も半ばを過ぎて、ここ1週間ほどは、ようやく積乱雲が出るようになりました。連日午後には、遠雷も。バコロドでは土砂降りなのに、私たちが住んでいる辺りは降りませんが。


しかし、これで文句を言うと罰が当たります。隣島のセブでは、水不足のため4月に州知事による非常事態宣言が出されました。ニュースによると、これは昨年のエルニーニョの影響だそうで、貯水池が干上がってしまい、農業などに深刻な被害が出ている模様。

そして昨日5/18、NASAが観測結果を発表したというニュース。今年2016年は、史上最も暑い年になる見込みなんだそうです。日本を含む北半球は、これから夏を迎えるので、まだ結果は分からないけれど、フィリピンでは、もうはっきりと答えが出てますね。

先日の総選挙の投票日前後も、フィリピン各地は、相当な暑さに見舞われました。最高気温が45度まで上がったところもあり、比較的涼しいネグロス島でも35度。雨季や台風シーズンを外して投票日を設定してるんでしょうけど、遠路投票に行く人たちにとっては、厳しい天候でした。

さて、暑かった5月も残すところ10日間。例年ならば6月の声を聞くと、待っていたように大雨になります。降ったら降ったで極端なことになるフィリピン。それでも、3か月もほとんど毎日の暑さなので、もういい加減、雨が恋しい気分です。


2016年5月18日水曜日

ネグロス島の太陽光発電所

先日、同じネグロス島内にあって、私の住むシライ市から車で1時間ほどの場所にあるリゾート、ラカウォン島に出かけた時のこと。ラカウォン島の対岸に位置するカディスで、かなり大規模な太陽光発電所を見かけました。

実はネグロス島では、カディスだけではなく、このシライにも同程度の規模と思われる発電所が最近稼働を始めたところ。そう言えば市役所前の広場に、作業員募集のポスターが貼られてましたね。



Google Mapで見たシライの太陽光発電所


地上からのパノラマ写真





最近の好景気で、急激な電力使用量の伸びに供給が全然追いついていないフィリピン。このブログでも何度も取り上げている通り、本当に停電が多い。かと言って、火力発電所や水力発電所を簡単に増設できるだけの資金は、ありそうにない。聞くところによると、フィリピン国内で、ただ一箇所の原子力発電所があるそうですが、安全性に疑問があって、一度も稼働せず廃炉に。

フィリピンの場合は、地熱発電が盛んで、累積地熱発電設備容量ではアメリカに次いで、世界第2位。この分野では、日本よりも進んでるんですね。調べるまで知りませんでした。それでも足りないので、熱帯の強い日差しを活用しようと、太陽光発電に乗り出したということか? ソーラーパネルの価格も、昔に比べれば下がっていることも影響してるんでしょうね。

ところで、フィリピンの太陽光発電導入の進み具合を見ていると、携帯電話が爆発的に普及した時のことを連想します。もともとランドラインの通信網が貧弱で、電話線を敷設するより安価な携帯の技術が確立された途端、日本をはるかに凌ぐスピードで広がった携帯電話。今では、月給1万円にも満たない我が家のメイドのネルジーですら、2台も持ってるほど。

太陽光と土地はたくさんあるので、今後は太陽光発電も爆発的に普及するかも知れません。まぁ、とりあえず方法は問いませんので、発電量を増やして停電を減らしてほしいものです。


2016年5月12日木曜日

ドゥテルテ勝利 電子投票集計の威力

前回の投稿で、「投票が済んでも結果が出るまで何日もかかる」と書いてしまいました。これは、フィリピンの皆様に謝らないといけません。2010年の大統領選で導入された電子投票集計は、思いっきりトラブって全体の17パーセンでしか使えず、結局ほとんどを従来通りの手作業による開票。かなりの混乱があったようです。


大統領から各議員・州知事・市長、全員分のでっかい投票用紙
出典:philsta GLOBAL


二重投票防止の人差し指に塗布されたインク
怪我して赤チン塗ったみたい

ところが今回は、(フィリピンにしては)奇跡的にうまくいったらしく、投票日深夜にはドゥテルテの当選確実のテレビ報道がなされるほど。日本と同じぐらいのスピード感でした。ビジネス・ワイヤーの記事によると、投票締め切り4時間後に結果送信率80パーセントだったそうです。時代は変わったなぁ。

ドゥテルテは過半数には届かなかったものの、2位のポー候補に大差をつけたので、当日中の当確が判明したという側面もあると思いますが、それにしても驚きました。そして落選した対立候補は、選挙の不正を訴えてゴタゴタするのが当たり前だったのに、電子投票集計の信頼性が高く、翌日ポー候補は早々と敗北を認め、ドゥテルテが勝利宣言。

同じシステムを使っているので、地方自治体の首長や議員の当落も翌日には判明。投票翌日の早朝6時頃に、私の自宅から徒歩10分ほどの距離にある、シライ市長候補のマーク・ゴレツ氏の家から、けたたましい爆竹の音。近所迷惑な勝利宣言でした。このマークは、趣味がテニスだそうで、私のテニス仲間によると、マークが市長になったらシライ市営のテニスコートがキレイになるぞ〜とのこと。ホンマかな?


現職の副市長から市長になったマーク


やっぱり豪邸に住んでます

テレビニュースによると、ある市長選では得票数がまったく同じになってしまい、なんとコインを投げてその裏表で当選者を決めたそうです。決戦投票という選択肢はなかったんでしょうかね?

さて、本当に大統領になってしまったドゥテルテ。この人、歴代大統領では初めての、治安が悪く、貧困イメージが先行していたミンダナオ島の出身。15名中12名が首都マニラのあるルソンで、他はここネグロス島も属するビサヤ地方。政治経済はかなりルソン偏重のフィリピンで、この一事を見ても画期的と言えます。因みに貧しい家庭から身を起こし、今やフィリピンの英雄となった、ボクサーのパッキャオもミンダナオの生まれ。

フィリピン国民がついに大博打に出ました。この勝負、吉と出るか凶と出るか?


2016年5月9日月曜日

アラベスク第一番 追悼 冨田勲さん

私が中学生の頃から社会人になってしばらくまでの14年間、FM東京系のラジオ局で放送されていた「音楽の森」という番組がありました。今で言うならば「癒し系」になるんでしょうか? クラシック、ポップス、などあまりジャンルにこだわらない選曲で、一番多感な時期に愛聴していました。

忘れもしない、そのオープニングテーマに使われていたのが、ドビュッシー作曲で冨田勲さん編曲・演奏による「アラベスク第一番」。今でもこの曲を聴くと、国弘よう子さんのナレーションが重なってしまいます。これが冨田勲さんの作品と意識しての聴き始めでした。



もちろん「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などの音楽は、今でも口ずさめるほど耳に馴染んでますし、円谷特撮の名作「マイティジャック」のテーマ曲も大好きです。でもこれらが冨田さんの手によるものと知ったのは、だいぶ後になってから。やはり私にとっては、冨田勲さんと言えばシンセサイザーの第一人者のイメージが強い。

冨田さんを通じて知ったクラシック曲は数知れず。「惑星」にはすごい影響を受けたし、アラベスク第一番が入っている「月の光」、「展覧会の絵」、「ワルキューレの騎行」、自分の葬式には絶対BGMに使ってほしいとまで思った「亡き王女のためのパヴァーヌ」などなど..。

最初はアナログ・レコードで集めていた冨田さんの作品も、途中からはCD。そしてフィリピンに移住した今でも、すべて手元に。最近はiPod経由でBluetooth対応スピーカーで聴いています。

お生れが昭和7年で、享年84歳とのこと。私の両親よりも年上で、早すぎるわけではないけれど、つい最近もボーカロイド初音ミク共演の「イーハトーヴ交響曲」をリリースしたばかり。まだまだ創作活動は衰えていなかっただけに、残念ですね。心からご冥福をお祈りします。


フィリピンまで持ってきた、冨田作品の数々



2016年5月8日日曜日

投票日前夜 静寂が戻ったネグロス島


とうとうフィリピン総選挙の投票日前夜です。前日には一切の選挙活動が禁じられているフィリピン。ここネグロス島シライ市にも、数ヶ月ぶりに静寂が戻ってきました。

期間中の昼間は集会で大騒ぎだし、市民広場では連日の花火。夜になればカラオケにディスコで、本当に朝から晩まで響く騒音。お祭り大好きのフィリピン人には、自国の将来を決める選挙も、3年に1回のお祭り以外の何物でもない。

テレビの選挙報道の特番でも、アナウンサーはノリノリで、もう楽しくってしょうがないという風情。「投票まであと〇〇日! ワクワクしますねっ!」と言ってます。これなら投票率も高いはず。

日本の場合、最長でも選挙運動期間は17日間。これはかなりきちんと守られていますね。ところがフィリピンの場合、そういう決まりがあるのかどうかさえ、よく分かりません。今回の選挙も、年明け早々には街のあちこちにポスターが貼られ、候補者支援の集会は、2月頃には始まっていた記憶があります。

これだけ長いことやってると、気分的にはもうダレまくっている感じ。まるでフィリピン人のパーティみたいです。一応時間は決まってますが、時間通りには誰も来ず、定刻1時間過ぎぐらいからだんだんとお客さんが集まる。終わりにしても、締めの挨拶的なものは滅多になくて、最初と同じくダラダラ続いて、だんだんと人が減っていく。

パーティと違って、投票という動かせないイベントがあるので、まだマシですが、投票が済んでも開票結果が出るまで何日もかかります。やっぱり終わりはダラダラで、僅差の場合はさらにそこから揉める。当選者が確定するまでは、まだまだ道のりは遠いようです。


2016年5月5日木曜日

ドゥテルテ人気の秘密 フィリピン大統領選


出典:GMA NEWS ONLINE

投票日まであと四日と迫った、2016年フィリピン総選挙。現地テレビのコマーシャルは候補者のアピールばかりで、報道番組も選挙一色。日本だったら公平性が云々で、候補者の顔や公約などは、NHKの政見放送を除くとほとんど放送されない。こういうことも、日本の選挙が盛り上がりに欠ける要因なのかなと思ったり。

さて肝心の選挙の行方。超武闘派候補のロドリゴ・ドゥテルテが、どうやらリードしているようです。そのあまりに過激な「実績」から、日本の新聞などでも紹介されていますね。私も当初は驚いて、犯罪対策ばかりにスポットを当てて、このブログに投稿しました。ところが、家内の話をよく聞いてみると、ドゥテルテ人気の秘密は、そういうド派手な面とは少し違うところにあるらしい。

第二次大戦後の第三共和政成立以降、大統領のプロフィールを見ると、元俳優で不正蓄財のために職を追われたエストラーダ以外、富裕層の出身者ばかり。特にマルコス独裁を打ち倒して、国民の期待を一身に背負ったコラソン・アキノは、「フィリピンを乗っ取った男」として知られる政商ダンディン・コファンコを輩出した、コファンコ家の一員。

マルコス失脚後、当時も今もフィリピン社会の宿痾とも言える貧困の撲滅に、どれだけの功績を残すかと、国の内外から注目されていたコラソン。でも結局は、大金持ちで大地主のバックグラウンドを持ったままでは何もできなかった。

人口の4割が貧困層で、そのうち2/3が土地を持たない小作農。この国の貧困の最大の原因は、誰が考えても地主制度にあるのは明白です。どうすればいいかの答えはシンプルで、戦後の日本やドイツで行われた、農地改革しかありません。要するに地主から耕作地を取り上げて、小作人をすべて自作農にすればいいだけ。

しかし、これほど言うのは簡単で実行が難しい話もないでしょう。日本の場合、GHQの命令であっさりと実現した農地改革。ところが戦勝国側にいて、戦前の支配者階級が残ったフィリピンでは、スペイン統治時代の負の遺産が、今に至るまでほとんどそのまま。(一部では自作農化の取り組みが、実現しているようですが)

ならば、地主階級ではない大統領ならば、この難しい問題に手をつけられるのではないか? ドゥテルテ候補には、こういう期待がかけられているのです。しかも、暴力的なまでの実行力は、折り紙付き。

外国人の私からすると、ちょっと極端すぎるし、外交で失敗をしそうな気配が濃厚ですが、それはフィリピン国民が決めること。来週月曜日の投票の結果を、固唾を飲んで見守りたいと思います。


2016年5月4日水曜日

近場の楽園 ラカウォン島


一般の日本人が持つ、フィリピンのリーゾトのイメージと言えば、真っ青な空に白いビーチ...なのでしょうが、フィリピンに住む私のブログには、今までそういう場所が、まったく出てきませんでした。移住前に日本からの旅行者だった頃は、セブ(正確にはセブの向かいにあるマクタン島)・パラワン・ボラカイなどの「これぞ、フィリピンリゾート」には何度も行ってます。

しかし、ここネグロス島のシライ市に腰を据えてしまうと、ビーチリゾートが意外にも少ないことに気付きます。隣島のパナイとの間にあるギマラスや、ネグロスでも反対側のセブに近いドマゲティならば、たくさんいい場所があるんですが。

ところがこれは私が知らなかっただけで、車で1時間ほどの場所にあったんですよ。面積が32ヘクタールなので、大阪城公園の三分の一にも満たない、井の頭公園よりやや小さいぐらいの、かわいいサイズのラカウォン(Lakawon)という島。

子供達は夏休み真っ最中の4〜5月。小学校の先生をやっている義妹のジーナが、先生友達でラカウォンに遊びに行くので、私たち家族も同行することにしました。盛夏の暑さを避けて朝6時に、ジーナの学校前に集合。私の運転するミニバン含めて車2台を連ねて出発です。

ラカウォン島はネグロス島の北部にあって、シライから車で1時間弱の距離にある、カディスから船が出てます。船と言っても観光客専用の漁船程度のボートで、15名も乗れば満員。ほんの20分ぐらいの短い船旅で渡航。このスタイルはダイビングで有名なボラカイ島と同じですね。


対岸カディスの船着場



朝8時半には、もう到着しましたラカウォン島。真っ平らな砂浜だけの島に、ヤシやタリサイの木が生い茂り、かなり遠くからも、ビーチに並ぶ白いテントコテージがよく見えます。本当に絵に描いたようなトロピカル・リゾートで、これは思ったよりもはるかにきれいですね。



到着すると、真新しい待合ホールのような場所で、1日を過ごすテントやバンブーコテージのレンタル手続き。そして...そこからは何もせず、ただお喋りしたり、本を読んだりの時間。食事は島の中央にある、これまた真新しいレストラン&カフェでもできますが、今回は持ち込みランチ。先生たちはアドボや茹でたカニなどのフィリピン料理、私は日本米で作ったおにぎりを持って行きました。ビーチで食べるご飯は格別です。


私たち家族が借りたバンブーコテージ


レストラン&カフェ

午後からは島を散策。隈なく歩いても小一時間もあればお終いの小さな島は、どこも新築工事ばかり。ウィッキペディアによると、3年前のスーパー台風「ヨランダ」の直撃で、250棟あった建物が10棟を残して全部倒壊したそうです。なるほど、海の真ん中にあって風雨を遮るものが皆無の場所。文字通りの壊滅的な被害だったんでしょうね。ようやく復旧してきて、お客さんを迎えられるまでになったのが、今の姿。



そんな災害があったとは思えない、楽園のようなラカウォン島。一日美しい海と空を満喫できました。息子と従姉のジャスミンは、遠浅の海で朝から夕方まで水遊び。帰る頃にはお猿さんのように真っ赤な顔に。

家内もすっかり気に入って、次はぜひ泊まりたいとのこと。私は夕焼けや星空が見てみたい。多分、次回にはスパや、各種の娯楽設備も整うことでしょう。来年の夏休みにまた行ってみます。


宿泊用のバンブーコテージ


こちらは完成間近の宿泊施設