2013年11月30日土曜日

ピストルあります

ここ最近、新しいお店がどんどんできて便利になったネグロス島シライ市ですが、所詮は片田舎の地方都市。大概の素材や道具が簡単に手に入る、ホームセンターが充実した日本とは比べ物になりません。着工から一ヶ月余が過ぎて、建築現場で、あまりに原始的な道具と工法にストレスが溜まってきた監督の父、ついに州都バコロドに買い出しに出かけることになりました。


やって来ましたナラ(Narra)通り。大阪で言うと道具筋と日本橋を足して二で割ったようなところでしょうか? 見かけはうさん臭そうなバッタ屋ばかり。品揃えは相当なものです。もちろん新品もあるけれど、どうも中古の方が多い感じ。実はコンクリートミキサー用のガソリンエンジンも、この界隈で購入しました。


まずは、鉄筋やコンクリートブロックのカットに使うブラインダー。最初に入った古道具屋さんみたいなところで、いきなり見つかりました。 替え刃を四枚つけてもらって、3000ペソ(約8000円程度)。次は、二階に建材を運ぶための滑車をご要望。そんなもん売ってるんかいな?と思いましたが、これがあるんですね。






通りの突き当たりに最近できたという、かなり大きなホームデポがあって、そこで簡単に入手できました。これが安くて350ペソ。その他にもダンプのタイヤとか、家畜の飼料とか、どういう基準なのかはよく分かりませんが、種々雑多なお店がいっぱい。


極めつけはガンショップ。フィリピンでは拳銃が買えるとは聞いたものの、売っている店を見るのは初めて。入ってみたかったのに、家内に止められてしまいました。聞くところによると、お金さえあれば、相当簡単に銃は入手できるフィリピン。以前マニラ在住の日本人の友人に、「銃を持ってるという噂だけで、コソ泥は近づかなくなりますよ」と言われたことがあります。次来たときは、見るぞ~。


2013年11月28日木曜日

先住者の訪問

自宅建設中の分譲地。まだ家の数が少ないので、ひょっとすると住んでいる人間より、鳥や動物の方が多いかもしれません。野良犬、野良猫の類いは日本でもいますが、ここちらでは数が違います。発情期になると夜喧しいことこの上なし。狂犬病の恐れがあるので、うかつに手出しもできません。



フィリピンの地方都市に滞在経験のある人ならよくご存知だと思いますが、ここネグロスに限らず、普通の住宅地でも鶏飼ってるところが多い。だいたい朝は鶏の時を告げる声で目が覚めます。道には当たり前に耕作用の水牛が歩いてたりしますし、食用の山羊も放し飼い。地元の人によるとお祝いの時ぐらいしか食卓には登ることはないらしく、美味しいけれど高いそうですね。




この頃は「先住者」が建築現場に毎日現れます。いつも同じ四羽の鶏。まだひよこの面影を残してます。多分どこかで飼われていて、脱走してくるんでしょうね。最初は近寄っただけで、ぴゅ〜〜という感じで逃げてしまいましたが、最近警戒心が薄れたのか、先日はかなりの接写ができました。


もうちょっと育ったら、取っ捕まえて竣工祝いのご馳走にしようかと目論んでいます。 不法侵入だから、それぐらいは大丈夫? それとも飼い主にバレたら請求書が来るでしょうか? 




2013年11月27日水曜日

二階からの眺め


柱の基礎〜下半分のコンクリート打ちも終わって、今は二階から上の鉄筋作業に移ってます。だいぶ足下がしっかりしてきたので、今朝は二階の床になる高さまで登ってみました。下から見たら大したことないんですが、意外と怖い。そして高い。


大工さんたちは、仕事とはいえ当たり前に登り降りしてますが、慣れないことをするもんではないですね〜。でも眺めは良かった。 10年以上前に開発された宅地で、全部売れているはずなんですが、投機目的の人が多いらしくて、ほとんど周囲には家が建ってません。しかも日本と違ってマンションや、三階建て住宅などありませんから、二階の高さでもかなり見晴らしがいい。 先にできた「離れ」が小さく見えます。

この調子でいけば、年内か年明け早々ぐらいには、屋根までいけるかな?二階の床は、スチール・デッキを使う予定で、昨日それを扱う鋼材屋さんに行ってきたのですが、昨日図面を渡して、見積もりが今日。納品は発注後十日から二週間とのこと。ネグロス島ではなく、隣のセブ島で作って船で持って来るそうです。それは時間かかりそう…。

ところで、先日の台風で、幹がポッキリ折れてしまった敷地内の木ですが、陽が当たるところから、逞しく新芽が出ていました。家が完成する頃には、また以前の姿を取り戻しているでしょうか? 頑張れ。




2013年11月25日月曜日

この美しい風景

ネグロス島は、サトウキビの一大産地として知られています。飛行機で上空から見ると、全島がほぼサトウキビ畑で、市街地はほんの少し。その一角を切り開いて、私たち家族が土地を購入した住宅地が作られました。地元を潤す産業がサトウキビ栽培しかなく、砂糖の価格頼りのモノカルチャー状態は、この島の貧困を生み出す原因だと言われています。また、化学肥料を使って連作を繰り返すので、それ自体が深刻な環境破壊。



ということは重々承知なんですが、それでもサトウキビ畑の広がる風景は美しい。天気が良ければ、今建てている家から数分も歩くと、いつでもこの風景が見られます。何とも皮肉なことではありますが、この風景も私がここに住もうと決めた理由の一つです。


フィリピンには美しいところが、いっぱいあります。私が行ったことがある場所だけでも、セブ、マクタン、ボラカイ、パラワン…。同じ南国の島々ですが、個性豊かで、それぞれの良さがありますが、この風景は、ネグロス独特のもの。私の子供は、この風景を故郷として育っていくことになります。



今フィリピンは空前の好景気に湧いていて、こんな田舎街のシライにも新しいショッピングモールやコンビニがオープンしています。便利になるのは悪いことではありません。 しかし、甚だ勝手な外国人の言い草ですけれど、子供が大人になっても、この風景は変わらないでいてほしい。昨日、とてもきれいな夕焼けを見て、そんなことを考えました。




2013年11月24日日曜日

英雄のもたらす静寂

話には聞いていたんですが、パッキャオの試合が放送されると、フィリピン中の道路が静かになり犯罪率も下がるというのは、どうやら本当なんですね。別に疑っていたわけではないんですが、本当にその通りだったので笑ってしまいました。

今日11/24は、昨年衝撃的なKO負けを喫したフィリピンの英雄的ボクサー、マニー・パッキャオの復帰戦。午前中のミサでは、それとはっきり分かるほど、教会の前庭に駐車された車が少ない。しかも説教でも神父さんが「今日は、年間最後の主日で、王たるキリストの祝日、そして…パッキャオの試合ですね。だから早めに終わります。」すごいなぁ〜。ここまでとは思いませんでした。

試合時間は、アメリカの土曜の夜に合わせるので、フィリピンでは日曜の昼過ぎにメイン・イベントの時間になります。さて、私たちも早々に引き上げて、自宅でテレビを見ていました。自宅前は狭い割には交通量が多いのですが、アンダーカードが進むにつれて、シーンとなってきました。車どころかトライシクル(三輪バイクタクシー)すら走らない。う〜ん、こんなに静かになるんだったら、毎日パッキャオの試合してくれないかなぁ?


試合は第一ラウンドからほとんどワンサイドで、パッキャオが3−0の大差の判定勝ちでした。それにしても、フィリピンのローカルテレビ局、異常にコマーシャルが多い上に、試合の最中まで画面に動く広告だすもんだから、全然集中できません。アメリカ系の他のチャンネルでは、まともな放送やってたんですが、気がつかなかった。お陰で、本来1分しかないはずのインターバルに5〜6分もコマーシャルが入り、生中継ではなく、録画放送状態。


鬱陶しいので、コマーシャルは音声オフにして、携帯で「パッキャオvsリオス」検索してたら、途中で結果が分かってしまいました。(泣)




2013年11月23日土曜日

怪我が怖い

やっと始動したエンジンをフル稼働して、最初のコンクリート打ちが無事終了しました。結局まとめてではなく、まず柱の1/3ぐらいを打ちました。こうしないと、こちらの大工さんの技量では、梁の鉄筋がぐらついて作業できないとの判断から。

それにしても、ミキサーでの作業は見ていて怖い。可動式で二つの車輪が付いているミキサーですが、タイヤがパンクしているので、コンクリート混ぜ始めると、豪快に振動します。そこへ砂利やらセメントやら、手を突っ込んで放り込む。手慣れているので、いつもこんな具合にやってるんでしょうけど、ちょっと手元が狂ったら、腕ぐらい簡単に折れそう。しかも、お喋りしてるし…。


監督の父が「こっちでは、労災保険なんか、ないんやろなぁ。」とつぶやきました。これだと、事故は多いだろうと思います。もし大怪我したり死んだりしても「見舞い金」をわずかでも貰えればいいぐらいなんでしょうか? そんな交渉事はしたくないし、怪我人など自分の自宅工事では絶対に出したくありません。ただただ、安全を祈るばかりです。


さて、この日は、息子がどうしても学校でお弁当が食べたいと言い出したので、特別サービスで日本の米を炊いて、おにぎりを作りました。フィリピンの米でもできるんでしょうけど、パラパラで握りにくそう…。四合炊いて、たくさんできて、学校だけでなく、現場にも配達。大工さんたちにも配りました。これがなかなか好評。


やっぱり、外で食べるおにぎりは美味しかった。日本米の霊験のお陰でしょうか? 夕方、その日の作業が終わった時は、ホっとしました。




2013年11月21日木曜日

エンジン始動

一昨日借りて来たコンクリート・ミキサーですが、結局ガソリンエンジンが整備不良で、放ったらかしだったため動きませんでした。その後、貸してくれるところをあちこち探していましたが、一日のレンタル料が最安でも250ペソ。これでは大工さん一人雇うのとあんまり変わらない。この金額でいくと2ヶ月も借りたら新品が買えることが判明し、今日夕方、ついにエンジン購入しました。


前回フィリピン品質に嘆きましたが、期間限定で使うものに関しては、少々品質が悪くても、何でも法外に(?)安く手に入る国は、便利ですね。楽天で調べてみたら、このサイズでエンジン駆動になると、こちらの十倍ぐらいの価格になるようです。さすが新品、一発でエンジンが始動しました…と思ったら、ミキサーにつなぐベルトが合わなくて、大工さんが買いに走りました。やっぱり泥縄式やなぁ。


そして! 陽もかなり傾いた午後五時頃、ゴロン、ゴロンと勇ましい音をたてて、我らのミキサーくんが回り始めました。ちょっと、やかましぃぞ。周囲に家がほとんど建っていない、閑静な、というか人気がない場所なので、少々の騒音は大丈夫だと分かっているんですが、そこはまだ日本人感覚。近所から苦情が来ないかと、要らぬ心配をしてしまいます。


これで、明日から念願のコンクリート打ちが始められます。五時を過ぎると、いつもの夜警さんが来ました。エンジン盗まれないように、よ〜く見張ってくださいね。




2013年11月19日火曜日

嗚呼、フィリピン品質

昔から気付いてはいましたが、車やハイテク製品はもちろん、日用品や雑貨に至るまでの日本のモノというのは、海外製品に比べると、ちょっと燗症病みなほど、細部まで仕上げが完璧。そういう国で五十年以上も暮らして来たので、フィリピンの品物は何を見ても悲しくなります。

自宅の現場はもうすぐ一ヶ月を迎えようとしていて、足場や仮枠用に購入した角材がゴロゴロ転がっているのですが、今日、何気なく足下を見て溜息が出てしまいました。 数十本はあった角材ですが、真っ直ぐなものが皆無。

補助材とはいえ、こういうので家を建ててるんですね。今まで高級ホテルから個人の住宅まで、いろいろフィリピンでは見て来ましたが、壁にしろ柱にしろ、直線が見つけられない理由がよ〜〜く分かりました。


それから、数日待たされて、やっと届いたコンクリートのミキサー。最後に使ってから長期間、清掃も手入れもした形跡がありません。案の定ガソリンで動くはずのモーターが微動だにせず。大工さんが何とかしようと、分解修理を試みましたが全然ダメ。これは、どう見たって無理でしょうね。結局、また別のところで借りてくることになり、コンクリート打ちも無期限延期状態に。


順調に進んでいるように見えた仮枠作業では、二階の床を支える梁が思いっきりズレていたのが発覚。これは、ベランダ部分からの雨の浸水を防ぐため、二階の床面から15センチ下げるはずが、段を付けずに柱から柱を直線的につないだたのが原因。


素人目に見ても、思いっきり斜めになってました。現場監督の父は、たぶん間違えるだろうと思って、通称「バカ板」と言っている、合板の切れ端に図面を写したものを、作業場に貼り出していたのですが、やっぱり間違えた。

以前でしたら、こういう状況を見ると「日本はすごい〜」と、勝手な優越感に浸っていれば良かったんですが、これを前提として、何とか快適に住める家にしてもらわないといけません。施主の忍耐力が鍛えられるフィリピンです。歌やダンスのレベルは高いんだけどなぁ...。


2013年11月18日月曜日

安請け合いの国民性

先週、柱の仮枠作業がほぼ終わり、いよいよ今日は、最初のコンクリート打ちか?と思ってたら、ミキサーが届かないので待ってるとのこと。そりゃ手でセメント混ぜるより、ミキサーがあったほうがいいのは、素人でも分かりますが、いつの間に使うこのとになったんでしょ?

聞けば、数日前から義弟(家内の弟)が、友達から借りてくることになってたんだそうです。シライの市役所で建築技師をやっているので、今回もずいぶん世話になったんですが、この弟、どうも、できるかどうか確かめずに、安請け合いすることが多い。いや、彼だけではなく、これはフィリピン人の国民性かもしれません。


仕事でも遊びでも、何を頼んでも滅多に「できない」とか「分からない」とは言わない。「大丈夫」「できるできる」。あんまり自信満々だから、当てにして待ってると、ギリギリになって「急に都合が悪くなった」「体調崩した」と、バレバレの言い訳を聞かされることになります。ここで、キレて怒鳴ったりすると、プライド超高層の彼らを、とても傷つけることになってしまいます。まぁ、いいんですけどね。

結局、先週に来るはずだったミキサー、今日の夕方、義弟から携帯メッセージで、やっぱり明日になるとのこと。あぁ、さよか。

ところで、知ってる人が見たら、この状態でコンクリート打ってしまっていいの?と思われるでしょう。そうです。本来ならば、二階も含めて、柱も梁もいっぺんに打ってしまわないと、強度が出ません。他の現場を見て考えた現場監督の父、こっちの大工さんの技量では無理だと判断して、三回に分けるつもりだったそうです。




しかし、ウチの大工さんたち、最初から一体で打つ積もりだったようで、どんどん仮枠作業を進めてます。ミキサーを待つ様子もなく、黙々と梁の仮枠に取りかかる大工さんたち。不言実行とは、君たち、フィリピン人離れしてるな〜。




2013年11月17日日曜日

教会間格差


日曜日で大工さんはお休みなので、今日もちょっと違う話題です。よく知られていますが、フィリピンは人口の大多数がカトリックの信徒です。最近は、イグレシア・ニ・クリスト(フィリピン発祥のキリスト教会)や末日聖徒イエス・キリスト教会(いわゆるモルモン教)、エホバの証人などの教会も見られますが、まだまだ少数派。ここシライ市でも、市の中心にシライのシンボルでもある大きなカトリックのカセドラルがあって、日曜日にもなると早朝から暗くなるまで、たくさんの人がミサに集います。

しかし同じカトリックでも、貧富の差が極端に大きいフィリピンのこと、通う教会にも違いがあります。私は縁あってフィリピンでカトリックの洗礼を受けたのですが、その後はずっと日本の教会にお世話になってましたので、そうした微妙な格差というのは、こちらに引っ越して初めて知りました。


大きなカセドラルには、貧乏人も金持ちも関係なく、いろんな階層の人が集まります。 1日に何回もミサをするので、英語/タガログ語/イロンゴ語(方言)のミサを順番に行ったりします。以前はシライの信徒全員がここでミサに与っているのだと思ってましたが…あるんですね、金持ちの集まる所が。

別に収入によって、来られる人を分けているのではなく、今、私が家を建てているような高級住宅地の中にあるチャペルが、結果的に立地で信徒を選ぶ教会になるようです。私たち家族は、最初カセドラルに行ってたんですが、反響しまくる建物の中、大音量でマイク使うもんだから、何を言ってるか、家内ですら聞き取れない。そこで規模が小さくて、しかも英語でミサをしてくれる、このチャペルに通うようになりました。



日本の一般的な教会によく似たサイズで、神父さんが一人一人の顔を識別できる広さのお御堂。カセドラルでは、いかにもエラそうな神父が、完全に上から目線で喋って(という感じに見える)ますが、ここでは、日本のように、同じ目線で語りかける感じ。説教には、ジョークも適度に入ってとてもアットホーム。ただ肝心のオチをイロンゴで言うので、なかなか笑えないこともありますが。


神さまの前では、みな平等のはずの教会で、こんな格差があっていいものか?とも思いますが、それぞれの階層の人が、それなりに快適に過ごすには、こういうのもしかたないのでしょうか。




2013年11月16日土曜日

空港アクセス道路開通

今日は建築現場の話題はお休み。昨日(11/15)ついに、最寄りのシライ−バコロド空港と州都バコロドを直接結ぶ、アクセス道路が開通しました。最初は八月に完成と言われていたのですが、フィリピンでは、この手の工事は遅れるのが当たり前。三ヶ月遅れぐらいならば、早い方かもしれません。



アクセス道路が通る三市(シライ、タリサイ、バコロド)の市長。
左の白髪のオジさんが、シライ市長です。

しかし、待ちました。なぜかというと、仮住まい中の自宅前が、空港への抜け道になっていたのです。朝は五時頃から、夜は八時頃まで、道幅の割にはかなりの交通量。 危ないし、何より騒音がひどい。それでなくてもぶっ飛ばすこちらのドライバー。生活道路で猛スピードで追い越しかけるのは、やめてくれぇ。特にうるさいのが、LBC(フィリピンの運送会社)とかのトラック。こいつらが走ると、早朝などは殺意を覚えるほどです。

2008年に、元々州都バコロドの海沿いにあった空港が、シライ市のサトウキビ畑を切り開いて、移設されました。新空港は日本のODAによって建設され、空港の敷地内には、日比の国旗が描かれたプレートが設置されています。聞くところによると、太平洋戦争の頃は、日本軍の飛行場があったそうです。

成田空港ほどの都心から離れている訳ではないですが、それでも人口の割合からすると、ずいぶん不便なところに引っ越したものです。バコロドからは、幹線道路で一旦シライ市中心部を通り、そこからL字に空港へ向けて曲がるような感じですが、我が家は、その曲がり角近くに建っているのです。

そして新空港完成に遅れること5年。ようやく民家のないサトウキビ畑の真ん中を突っ切って、バコロド〜空港直通のアクセス道路が開通したのが昨日。というわけで、今晩の夜のラッシュ時。もう露骨に静かになりました。野犬が吠えてますが、トラックの騒音に比べれば何と平和なことか。神に感謝…。



2013年11月15日金曜日

信頼率50%

鉄筋の柱が木材の仮枠で覆われ始め、見た目順調に進んでいる現場ですが、やはり一筋縄にはいかないようです。昨日12本中、4本の仮枠作業が済んだと思っていたら、2本をバラしてやり直し。監督の父が、最初の1本を手取り足取り指示をして、しばらく任せてみたところ、15ミリの寸法ズレが出たそうです。

フィリピンの大工さんにしたら、誤差なのかも知れませんが、父曰く、見逃せるのは5ミリまで。それぐらいだったら仕上げで誤魔化せる。なんでズレたかというと、そもそも仮枠を設置するコンクリート面がガタガタ。もう、これは任せておけないと、ついに父が自分で作業を始めました。


自ら「マジック・ハンド」と称してますが、なるほど柱の周囲にきれいな平滑面ができてました。 一級建築士になる前は、大工や左官仕事もこなしていて、さすがに器用なもんです。

作業を終えて「まだまだ、こっちの大工は、信頼率50%やな。」とつぶやく父。
これで、明日には仮枠は終われそうになってきました。しかし、あんまり最初にそれを見せてしまうと、後がしんどいのとちゃうか?


2013年11月14日木曜日

やっと一日晴れました


今日、同じネグロス島に住むフェイスブック友達が、久しぶりに投稿してましたが、先週の台風ヨランダで、北のほうでは、洪水と風雨でかなりの被害が出ていたようです。停電も五日間続いていたそうで、私の住むシライは、本当に幸運だったのだと、改めて思い知らされました。

自宅の新築現場ですが、今日は台風以来、ようやく一日、雨のない晴れ間が続きました。
一昨日から始まった足場作りも終わり、今朝から最初の柱の周りに仮枠の取り付け開始。 私には分かりませんが、父によると40年ぐらい前にタイムスリップしたようだとのこと。 確かに日本ではこういう風景はあんまり見たことなかったような…。




柱の位置をキチンと出すために、父が日本式(?)の工夫を伝授。最初に、フィリピンの大工さんがこっちのやり方で立ててしまった鉄筋ですが、何とか枠内に納まっていたものの、けっこうズレてたんですね。さて、これで今週中にも柱のコンクリート打ちができそうです。


立体構造物が出来始めると、やっぱり八十坪の家というのは大きい。大邸宅とまではいきませんが、親子三人で住むには、かなり広いということを実感。


さて、今日は工事が終わったあと、日本からボランティアの研修生として、約半年シライ市に滞在していた、Mさんのお別れパーティをしました。現役女子大生のMさん。最初は慣れない気候風土に戸惑っていましたが、今では英語がフィリピンの方言訛りになるほどの順応。もう日曜日には帰国してしまうのが、まだ実感できないようでした。これから就職活動。たいへんですね。フィリピンで働く選択肢もあるかも?フィリピンで会ったというのも何かの縁なので、是非また来てほしいものです。



2013年11月13日水曜日

セメント・ジーナ

人口一万人余りの小さな地方都市のシライ市。家を建て始めて気付きましたが、その規模の割にはたくさん建材屋さんがあります。家の近くでそこそこ大きい所だけでも、指折り数えて五軒。その中でも一番自宅からも、現場からも近いのが、女主人のジーナが経営するセメント屋さん。

袋詰めセメントにコンクリートブロックや、砂利、砂、材木、鉄筋。基礎工事に使う資材は一通り揃っていて、試しに少し買って使ってみたんですが、どれも質が悪すぎて、監督の父から「全然ダメ」の烙印を押されてしまいました。

もうすでに他の建材屋さんから、どんどん材料を仕入れて工事は進んでいるんですが、フィリピンのマダム・ジーナは諦めません。家内の携帯の番号を教えてしまったのが運の尽きだったようで、日に何度もしつこくメッセージに電話攻撃。歳は四十過ぎぐらいで、若い頃はそれなりに可愛かったんだろうと思います。埃っぽい仕事場にいるのに、化粧はきちんとしてます。


愛想もいいので、品物さえマトモだったら買ってあげるんですけどね。これは、はっきり断らないとダメでしょうか? どっちにしても渉外は家内に任せているので、上手にあしらってほしいものです。家の場所も知られているし、この先もずっとご近所さんのままの可能性が高い…。

それにしても、フィリピンの商売を見ていると、お金を押さえているのは奥さんというパターンが実に多い。今私たち家族が住んでいる借家の大家さんも、この界隈に20軒以上の家を持ち、ヤミ金融までやる大金持ちのオバちゃん。個人経営だけでなく、スーパーのレジ係がほぼ100%の確率で女性。地元の人の話によると、男性で現金任されるのは、中国系かオカマなんだそうです。冗談みたいですが、結構当たっている気がします。


写真はいつも材木を購入している別の建材店



2013年11月12日火曜日

鉄筋の柱が立つ

着工してからちょうど三週間。今日の午前中に、全部で12本の柱の鉄筋部分が立ちました。「勝手に寸法変更事件」とかあって、ちょっとゴタゴタしましたが、間に台風を挟んでいること考えると、まあ順調なペースでしょうか?敷地に縄張りしただけだと、ずいぶん狭く見えましたが、立体になるとそれなりの広さに感じるようになりました。



今朝の建材の買い出しは、いよいよコンクリート打ちに向けての、仮枠作りのための材木。ベニヤ板(こちらでは「プライウッド」と呼んでます)と角材。この角材、まっすぐなの見つけるのが一苦労です。前回、資材置き場の小屋の材料で、少し買ったのですが、現場監督の父に言わせると「薪にしかならん」そうです。

確かに、ひん曲がり方が尋常ではなかった。地元の大工さんが苦笑いするほどだったので、フィリピンだからというわけでもないようです。すごく安かったけど...。今日は、もう少しマシなところで、合計100本の角材を一本づつ選んで買いました。

午後は、珍しく一人で州都バコロドにあるショッピングモールに食料品を買いにいきました。久しぶりにやや長めの距離を運転しましたが、 やっぱりフィリピンで車の運転は疲れます。

地元では、ハイウェイと言ってますが、歩行者や自転車が普通に走る片側2車線の一般道路。道端で子供が遊んでたりしてても、フィリピンのドライバーは、一般車でもバスでも、殺気を感じるほど飛ばします。車を運転しなければ、穏やかな人ばかりなんですが、何なんでしょうね、この変わり方は?

さて、わざわざ車で出かけて何を買ったかというと、日本製のカレールーにマヨネーズ。割高ですが、日本の加工食品、インスタントラーメンやうどん・そばの類いは、かなりの品数が店頭に並んでいます。そしてこれは現地のものですが、シライ市では手に入らないトマトジュースとコーヒー豆。酒を飲まない私の、食に関する数少ない贅沢品です。

買い物が済んで、帰宅すると今日はいつもより早くに現場が退けたようです。 仮枠作りが進んで、今日買った材木がなくなったとのこと。今日は一日、降ったり止んだりの日本の梅雨のような天気でしたが、明日は、熱帯低気圧の影響で雨が続くらしい。 息子の小学校も昼から休校になってしまいました。 その後は数日まとまった晴天になってほしいところです。


2013年11月11日月曜日

工事再開初日

台風30号「ヨランダ」最接近の金曜日から中断していた自宅新築工事ですが、ようやく月曜日の今日から再開しました。

直撃を受けたレイテ島を始めとする、台風被害の全貌が明らかになるにつれて、そのあまりの惨事に声をなくす思いです。高潮に襲われた後の光景は、東日本大震災後の三陸の姿を嫌でも思い起こさせます。死者の数も同じ規模になる恐れがでてきました。日本から移住早々に、こんな映像をまた見ることになるとは…。


再開初日は、朝から激しい雨になりました。しかし熱帯特有の通り雨だったようで、大工さんが集まってくる頃には日差しが戻り、いつもの青い空。まずは、柱の基礎の穴に、溜まりに溜まった水の搔き出し作業から。

ポンプがあったら、すぐ終わりなのにと思いましたが、機材のレンタル料を考えると、半日かかっても人力の方が安いと気付きました。何しろ、大工さん一人の日当が、日本のコンビニのバイトの時給にも満たない。


監督の父が試しに日本の大工さんの賃金と比べてみたら、35倍の差があるそうです。ここまでくると、ちょっと人道的にどうかと思うレベル。さて、今日は先週中に終われなかった、柱の基礎のコンクリート打ちと、鉄筋の柱を立てる作業です。朝一の資材買い出しは、袋詰めのコンクリートに、砂、砂利などなど。いつもの建材屋さんに行くと、なんとなく先週と様子が違う。よく見ると看板が飛ばされてなくなっていました。


夕方には、ほぼ鉄筋の柱も立って、根元に1ペソコインを投げ入れる「お祈り」をしました。これは、フィリピン独特の風習のようですね。家族全員が一枚づつ、投げてから「地震にも台風にも負けない家が建ちますように」と、小学校から帰ってきた息子と一緒に祈りました。ひどい災害はもう来ないでほしい。


台風通過翌日の夕陽