2020年3月30日月曜日

静寂の封鎖初日


とうとう、新コロナウイルス感染拡大ストップの切り札として、本日(3月30日)から西ネグロス州でのロックダウン(封鎖)が始まりました。

今のフィリピンは、ちょうど真夏が始まったばかり。連日晴れて、最高気温は摂氏32〜33度。空気が乾燥しているので、木陰に入ると実に快適な気候。本来なら海も山も、バケーションを楽しむお客さんで賑わう筈。勿体ないことです。


近所のプールには誰もいません

封鎖前の数日は、散歩だけでなく、家にいる間も気が滅入らないよう、庭仕事に精を出したり。絵に描いたような隠居生活ですな。

とは言え、こちらはのんびりではなく、中々の重労働。庭だけでも100平米はあって、手入れしやすいように、砂利を敷き詰めてあります。それでも雑草は生えるし周囲の樹々から枯れ葉が落ちてくる。

日本と違って、寒くならないフィリピン。一挙に全部落葉してしまうことはありませんが、樹木の種類毎に、だいたい決まった時期に落ち葉が増えます。今はたまたま隣家の庭のフェンス際に植えられた木が、そのタイミング。しゃがんだままの作業を3時間もやったら、腰や膝が痛くなってしまいました。



すっきりした庭

封鎖前日の昨日は、久しぶりに、私たちの住む宅地、ざっと300ヘクタールはある、広大なセント・フランシス・サブディビジョンをゆっくり散策。ゲートの中を歩くだけなら「外出」には当たりません。

最初に分譲が始まった、比較的安く1区画づつ購入できる場所を除くと、7割方は、まだまだ空き地ばかり。こんな日に1時間ぐらい歩くのは、ちょっと暑いけど、悪くない気分。人間共は大騒ぎでも、南国の空は蒼く風はそよぎ、鳥はさえずって花々は咲き誇っておりました。






封鎖前夜。
滑り込みで楽しもうということなのか、深夜まで、遠くから屋外ディスコの喧騒が聴こえて来ます。眠れないほどではないけれど、私も少々神経質になっていたのと、空腹で目が冴えてしまった。仕方ないので、移住以来初めて、日付が変わってからの夜食に、イワシのトマトソース漬けの缶詰とご飯。

そして、封鎖当日の今朝は、清々しい快晴で明けました。
周囲に何軒かある、新築現場に人影はなく、トライシクル(オート輪タク)も走りません。実に静か。

ということで、筋トレやったり、セクシーな女性のイラスト描いたり。このブログ執筆もはかどる封鎖初日です。


2020年3月27日金曜日

封鎖まであと3日


ツィッターで話題になっていた4コマ漫画「100日後に死ぬワニ」を、ずっとフォローしていた影響で、つい何でもカウントダウンしてしまう最近です。

それはともかく、新型コロナの感染防止に向けて、ここ西ネグロス州で来週月曜日(3月30日)から予定されているロックダウン(都市封鎖)。フィリピンに移住して、居心地良好の自宅を建てて以来、すっかり出不精の半ば引き籠った生活の私。正直なところ、外出を制限されたからって、ほとんど生活に困ることはありません。

家事三要素の、炊事・洗濯・掃除のうち、炊事は元々私が担当。これは家内が休業になろうが、息子が学校閉鎖のまま夏休みになろうが、相変わらず台所に立つ毎日。ただし、コロナ騒ぎ前には、メイドのライラに任せていた食材の買い物は、家内にお願いすることに。

外出禁止が基本の封鎖に当たって、食品や飲料水、医薬品など、必要不可欠な物の購入に関しては、一世帯につき一人だけ「許可証」が発行されます。我が家の場合は、やっぱり家内ということに。

そして、これまたライラに任せていた食後の食器洗い。私にすれば、料理よりもこちらが面倒。頼もしいことに、こういう時には中学生の息子が活躍。最近はすっかり慣れて、ヘッドフォンで好きな音楽を聴きながら洗い物。その姿も、すっかり板に付いてきました。

それ以外の分担は、洗濯が家内、掃除が私という割り振り。それほど厳密な訳でものなく、洗濯物の取り込んだり畳んだりは、時々私もやるし、家の前の掃き掃除は家内がやったり。

ただ、屋内の床掃除は、私が専任。何しろ中途半端に広い家なので、リビング・ダイニングだけでもざっと30畳ぐらい。掃除機かけて、タイル床を水でモップ掛けとなると結構な重労働。年中真夏のフィリピンなので、汗だくになります。


水拭き後、乾燥するまで「封鎖」の
台所とダイニングルーム

因みに、フィリピンでは掃除機はあまり普及していなくて、帚と塵取りが主役。ただ、半年ほど前、ようやく電気店でよく見かけるようになった、電気掃除機を購入。ここ数日は、ライラがあまり使わなかった、この掃除機が大活躍。

こんな感じで、籠城生活への準備も整ってきた感じの今日、金曜日。意を決して、家内が近所のスーパーに買い物へ。さすがにあと3日となると、それなりにみんな危機意識を持つようで、店は大混雑。先駆けて都市封鎖したマニラでも、直前には同様のことが起こったとか。

商品の供給量に変化はないので、ここで焦る必要はないと言え、食糧は多少なりとも備蓄したくなるのも人情。今までトイレットペーパーなども含めて、商品棚が空っぽになるようなことにはなっていないシライでも、今日はかなり隙間が目立ったらしい。

聞くところによると、東京でも封鎖が現実味を持って語られているようです。日本にお住まいの方々にも、多少の参考になるかも知れませんので、今後も日々の状況をお伝えしていくことにします。


2020年3月25日水曜日

西ネグロス封鎖


これを書いている2020年3月25日時点で、すでにフィリピンでは、ルソン島全域とセブが、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために封鎖、もしくはそれに準じる状況。物流は機能しているので、食料品や飲料水などは購入できるものの、一般市民の該当地域での移動や外出が、禁止されたり制限されたりしているようです。

セブでは、取り残された日本人観光客や留学生を対象に、フィリピン航空(PAL)による日本へのチャーター便が運行。まにら新聞の記事によると、日本人会のメンバーや、有志の人達が独自にPALと交渉して、実現させたとのこと。なので運賃はかなり高額になるらしい。

皮肉なことに、中国や韓国からの旅行者は、フィリピン政府が早い時期に入国制限や帰国勧告を行ったことで、残っているのは日本人ばかり。こういう時こそ、日本政府なり大使館が迅速に手を打つべきなのに、何のアクションもありませんね。

横浜のクルーズ船での集団感染の際には、アメリカを始め各国政府が自国籍の乗客の帰国支援に動きました。また、フィリピンからの出稼ぎ労働者が、中近東で虐待されたことが発覚した時は、ドゥテルテ大統領が速攻で無料のチャーター便を手配して、希望するフィリピン人を救出。

日本では昔から、外国に出る人たちを「食い詰め者」と見下す風潮があり、明治期にブラジルへ渡った日本人は、移民ではなく「棄民」だと言われました。私もフィリピン移住時には身近な人に「親を捨てて逃げるのか」と言われたものです。

こうを書くと、またぞろ「自己責任論」を振りかざして、勝手にフィリピンくんだりまで遊びに行った連中に、血税を使うとは怪しからんと、およそ日本以外では常識外れな戯言を吐く輩の声が聴こえてきそう。

と、つい熱くなってしまいましたが、今日のテーマは、私たちが住む西ネグロスの状況。

丸1週間以上も無断欠勤が続いていた、我が家のメイド、ライラおばさん。今日やっと家内の携帯に連絡があって、やはりライラの住むバランガイ(町内会)で、お年寄りが怖がってしまい、仕方なく地区ぐるみの自発的な封鎖。出るに出られなかったそうです。

さらに追い討ちをかけるように、毎週水曜日に出張マッサージを頼んでいる女性セラピスト、海岸近くに住むラケル。利用者が少なくなって、自宅近くまでトライシクル(オート輪タク)が来ないためキャンセルに。

ということで、何だか周囲の堀を少しづつ埋められるように、追い詰められている感じ。トドメを刺すように本日、とうとう来週月曜日(3月30日)から、西ネグロス州が封鎖になるとのお達しが。一応14日間と期限付きながら、これは状況次第でどうなるか分かりません。

原則、全員自宅待機で、食糧の買い出しなどは、一家族に一人だけ外出許可証みたいなものが支給されるらしい。今日、家内が仕事帰りに立ち寄ったスーパーでは、パニックとまでは行かないながら、食料品購入のためのお客さんがいっぱい。そりゃそうなりますよね。

ということで、息子は、うやむやのまま夏休みに突入しちゃったし、家内の職場は明日から休業。元々私は、ほぼ引きこもりの専業主夫なので、ほとんど生活スタイルは変わりませんが、しばらくは息苦しい雰囲気になりそうです。


2020年3月23日月曜日

チキン・ウォーズ


実はここ最近、世間のコロナ騒動を余所に、向かいの家と揉めておりました。原因はフィリピンでありがちな騒音。それも、本当によくある鶏の鳴き声。ただし、自宅で食べる卵や鶏肉のために、2〜3羽ぐらい飼ってるなんて、生やさしいものではありません。

向かいに住む腰の曲がった婆ちゃん。元呪医さんで、今でも頼まれたら祈祷したりしてる、至って温厚なご老人。問題は、この婆ちゃんではなく、その娘さん。娘と言っても、私とそんなに歳の変わらないおばさん。

一緒に寝泊まりしているのではなく、娘さんは昼間の間だけ「通勤」しているらしい。なかなかの商売上手で、婆ちゃん宅をオフィス代わりに、10人乘りの自家用車ハイエース1台を使って、シライ市街地と空港間のシャトルサービスをやったり、近所で働く大工さん相手のトロトロを経営したり。

ところが、それだけでは飽き足らず、今度は何を思ったのか、こんな高級住宅地のど真ん中で養鶏場を始めてしまいました。それも、食用ではなく、闘鶏用の雄鶏を約10羽も。

フェンスのない家で、我が家に向いた側の庭で飼うもんだから、遮蔽物のない道一本隔てただけの距離で、コケコッコーを聴かされる羽目に。

鶏が時を告げるのは、朝だけじゃないんですよ。昼間だろうが深夜だろうが、一羽が鳴きだすと、輪唱やハモりが始まってしまいます。もちろん早朝は破壊力が倍。特に気の荒い闘鶏なので、鳴き声がデカい。

最初は、フィリピン暮らしで鶏の声に文句を言うのは情けないと思い、ひたすら慣れようと耐え忍んでおりました。でも、メイドのライラに訊いてみたら、闘鶏を集団で飼育するには、敷地が狭すぎるとのこと。普通はもっと広い、農場みたいな場所で飼うものなんだそうです。

そう言えば、反対側の隣家でも一時期、闘鶏がいたなぁ。庭だけで軽く1,000平米はあろうかという大邸宅。雄鶏との距離もずいぶん離れていたので、その時は、気になりませんでした。

そうこうしている間に、私は不眠が続いて、動悸や手の震えなどの症状が出始めてしまい、遂に我慢の限界を超えた数週間後。直接苦情を言いに行くと、その場で大喧嘩になるのは必定なので、ライラや家内に頼み、何とかならないかと泣訴。

最後は、しばらくバコロドのホテルに泊まると、自宅から出て行かざるを得なくなりました。さすがにこうなると、騒音問題では私との温度差が著しい家内も、真剣に交渉してくれたようです。

ということで、外泊する前に「鶏はもういなくなったから、帰ってきて」と携帯メッセージが届き、無駄な出費はせずに済んだのが、約1週間前。帰宅して、あまりの静けさに(遠くで下手なカラオケや、工事中の騒音はあっても)感動してしまったという次第。

中途半端に音に敏感な日本人である私は、フィリピンに住むには少々厳しいと、改めて感じた出来事。騒音に限らず、食べ物の味や清潔さの感覚など、鈍感なぐらい方が幸せだったのかも知れません。


2020年3月21日土曜日

コロナ騒ぎでも夏は来る

大騒ぎになってしまった今年(2020年)の3月も、あと10日。ドゥテルテ大統領は緊急事態を宣言し、学校は休みで、四旬節(復活祭前の40日)だと言うのに、教会のミサもなし。マニラ首都圏とは違って、ネグロス島の地方都市シライが封鎖された訳ではないけれど、外出は控えろとのお達し。

ジプニーや路線バスはちゃんと運行されているので、道路を走る自動車を見てる分には、取り立てて変化はなく、スーパーや公設市場は開いてます。それでも、お昼時に学校の近くを歩くと、やっぱり閑散とした感じは否めない。いつもは学生で賑わうカフェやトロトロ(食堂)は、何件かがシャッターが降りてました。ジョリビーも一時休業したらしい。

困った事に、このタイミングで、メイドのライラが突然の無断欠勤。火曜日から出て来なくなって、この投稿を書いている土曜日になっても音信不通。ライラの住むギンハララン地区のバランガイ(町内会)が隔離されたなんて話は聞かないので、たまたま体調が悪くなったのと、携帯電話の故障が重なったと思われます。

とは言え、こんなに長期で連絡が途絶えたことはなく、安定した勤務状況だったベテランのライラ。やっぱり心配。

仕方がないので、自分で買い物や、家内への弁当配達もこなした今週。昼前にスーパーに行ったら、入り口に小さな手洗い場が置かれてて、入店前に消毒が義務に。結構長い行列が出来てました。

店内は混んでなかったけど、平日のこの時間帯にしてはお客さん多め。スパゲティやインスタントラーメンをやたらと買い込む人が目立ちます。家内によると、米をたくさん買うほどお金はないから、安くて簡単に食べられる麺類が、非常食として人気なんだとか。

もう一つ気付いたのは、バナナの価格高騰。バナナがコロナ・ウイルスに効くとのデマが飛んで、どこへ行っても軒並み品薄のバナナ。我が家で常食している、ちょっと大きめの綺麗な「リッチマンズ・バナナ」。昨日買ったら、一房が100ペソ程度だったのが、175
になっててびっくり。

そして、家内の職場。フィリピン教育省のシライ分室、通称DepED(デプエッド)では、勤務日を週4日に短縮。学校が閉鎖で仕事が減ったので、水曜日を休みにして、その分1日の業務時間を10時間に。イマイチ何の効果があるのかよく分かりませんが、減給がないのは助かります。

テレビもネットもコロナばかりで、こういう投稿は気が進まないけれど、この話題だと、アクセス数が露骨に伸びるんですよ。「フィリピン美女図鑑」のざっと倍。う〜ん、以前は美女イラストが、キラーコンテンツだったのになぁ。

ということで、地上で人間が右往左往しているのはお構いなしに、ほぼ例年通りフィリピンに真夏の季節が到来しました。折角のバカンス・シーズンでも、観光地は大打撃でしょうねぇ。


今年も火焔樹の花が咲き始めました。



2020年3月15日日曜日

そして誰もいなくなった

金曜日に、シライ市保健所の立ち入り検査が入った、日本人向けの英語学校。我が家の敷地内にあるゲストハウスにて、この学校の生徒さんの宿泊してもらっているし、ガレージやバンブーハウスは、マンツーマンのレッスンにも提供。学校施設の一部となっていました。

検査の結果、前回投稿した通り、フィリピン人英語教師の方々は、全員が十日間の隔離となりました。隔離と言っても、どこかの医療施設に強制入院などではなく、自宅待機で、禁を破ったら罰金2万ペソ。それを受けて、まだ1〜2週間の滞在期間が残っていた生徒さんは、予定を早めて帰国。

また、マニラは全域が封鎖で、マニラ発着の国内移動ができない。首都圏に次ぐフィリピン第二の大都市セブも、同様の措置となり、日本からの直行便がないネグロスには、渡航の手段が無く、新規生徒さん受け入れは、断らざるを得ない。

十日間の休校後にレッスンは再開の予定ながら、引き続き滞在する生徒さんの数が激減。もうゲストハウスを使う必要がありません。残念ながら、来月(4月)後半まで埋まっていた予約は、すべてキャンセルとなり、これを書いている日曜日(3月15日)時点で、空き家となってしまいました。数万ペソの収入がパーということに。


お客さんがいなくなったのに
嫌になるぐらいのいい天気

日本では学生さんが春休みの、書き入れ時。このタイミングの損失は、本当に痛い話。聞くところによると、マニラやセブで、主に韓国・日本からの短期英語留学生を受け入れている学校は、大打撃だそうです。そりゃぁ、そうでしょうね。

私のゲストハウスの場合、元々、商売のために建てたのではなく、日本に住む両親を引き取ることが主目的。行く行くは子供が所帯を持った時にも使えるようにというもの。当然ローンなども無し。ここからの収入はオマケみたいなものなので、こうなっても、直ちに生活に困ることはありません。

それでも、自粛や渡航規制で、当てにしていたお金がいきなりゼロになる怖さは、十分理解できました。文字通りの死活問題。

さて、ネグロスでの一般市民への影響はと言うと、一番驚いたのは、カトリック教会の無期限ミサ中止。おそらくカトリック大国フィリピンでは、前代未聞じゃないでしょうか。さらに、息子が通う私立の学校が、年度末テストの真っ最中にまさかの休校。時期的に見て、このまま夏休みになってしまいそうです。(フィリピンでは、4〜5月が真夏)

そして、たまたま用事があって昨日の土曜日、州都バコロドの大型ショッピングモールの SMシティに出かけたところ、週末にしてはガラ空き。建物に入る際には、額に赤外線を当てるタイプの体温計でチェックされ、問答無用で両手のアルコール消毒。

ただ、マスク着用の人はそれほど多くないし、トイレットペーパーの棚が空っぽになったり、食料品の買い出しでパニックなんてことはありません。マスクがないのと、消毒用アルコールが品薄で購入制限があるぐらいで、市中の往来は平穏そのもの。




ということで、日本やその他の外国、マニラなどに比べると「大騒ぎ」にはなっていない感じのネグロスですが、ここまで世界レベルで経済活動が鈍化してしまうと、ボディブローのようにジワジワ景気に影響が出てくるのは、避けられないかも知れません。


2020年3月13日金曜日

日本人向け英語学校閉鎖


1週間のご無沙汰になってしまった、このブログ。気伏せりな事がいろいろあって、しばらくブログ書いたり、フェイスブック閲覧を控えておりました。その最大の理由が、コロナ騒ぎ。

日本語版のグーグルニュースに、ヤフー。ニュースアプリも、9割方がコロナ関連の記事ばかり。いつもの芸能人の不倫・クスリ絡みの袋叩きとは違って、BBCやCNNなどの海外メディアでさえ同じような見出しが並ぶのは、本当に気が滅入ります。

そんな具合に、日本のマスコミだけが騒いでいるのではなく、ここフィリピン、しかもネグロス島にまで波及してくる、世界的な大事件。すでに首都マニラだけでなく、隣街のバコロドでもウイルス感染者が。

そしてついに昨日、3月12日。ドゥテルテ大統領は、事実上のマニラ封鎖を発表。海外からマニラに入るだけでなく、国内でもマニラ首都圏への出入りを禁じる措置となりました。

先ほど、日本人からの生徒さんを受け入れている、近所の英語学校にも、シライ市の保健所スタッフがやって来て、向こう10日間の学校閉鎖とフィリピン人教師の隔離となりそうです。当然ながら、今後暫くは、日本からの新規入学はできません。

今、我が家のゲストハウスにいる生徒さんのうちの何人かは、まだ今月(3月)一杯、滞在することになると思いますが、レッスンはできません。4月以降の宿泊はキャンセルになるでしょうね。仕方ないとは言え、実に残念なことです。

ただ、依然としてシライ市内では、トイレットペーパーの買い占めや、現地の学校閉鎖などの目立った変化はありません。いつもと変わらず、至って平穏な雰囲気。

ということで、今日は身近なところでのコロナ禍について、速報的にお知らせしました。


2020年3月7日土曜日

自分の頭で考える時

この何週間かと言うもの、ネット上では「コロナ騒ぎ」ばかり。日本のメディアだけでなく、BBCやCNN、ニューズウィークなどでも、過熱気味なぐらい連日の報道。

フィリピンにいても、ネットから情報は、日本に住んでた頃と変わらない。移住当初は喜んでいたけれど、こうも意味なく不安を煽り立てることばかりだと、しばらくネット閲覧止めようなと思うほど。(まず、できませんが)

フィリピンでも数名ながら、新型コロナウイルスの感染者は出ているし、それに関する国内の報道はあっても、少なくともここネグロスでは平穏そのもの。さすがにマスクは品薄ですが、日本を筆頭とする「先進国」みたいな、トイレットペーパー・パニックは皆無。


近所のスーパーで普通に買えます。

いざとなったら、排便後は、紙じゃなくて水洗いで済ませるカルチャーがあるから、それほど心配にならないからか? でもそれを言えば、洗浄便座が普及している日本は、もっと心配ない筈なんですけどね。

それにしても、今回のコロナ騒ぎへの日本政府の対応のお粗末さは、目を覆わんばかり。「自粛」と責任逃れをしながら、実質的にイベントの強制的全面禁止。専門家からも意味がないと言われている全国休校。まったく手遅れの中国・韓国からの入国規制。どれを取っても、感染封じ込めの効果がないどころか、致命的な弊害があるものばかり。

それよりも私が恐ろしいと感じるのは、いくら的外れな指示で、法的拘束力のない「要請、勧告」であっても、それに従わざるを得ない、日本の「空気読み文化」であり「同調圧力」。

以前は、これも日本の美徳かと勘違いしてました。フィリピンでは基本的に政治家とか、権威への信頼が極めて低いので、似たようなお達しが政府から出て、本当に遵守した方がいいことでも、自分の生活や収入にマイナスだったら、誰も従わない。なんてモラルの低い国民性かと。

でも、裏返して考えたら、フィリピンでは、自分の頭で考えて行動する人が多い。それを痛感したのは、去年、朝から大雨で、自宅前の道路が冠水した時、学校や市役所から何のアナウンスもない時点で、家内が子供を休ませると決めたこと。「登校させるかどうかを決めるのは親」。う〜ん、男前やの〜。

実際、何かあった時、上からの指示を待っていたり、無批判に言われた通りにしたら、自分や家族の身に危険が及ぶ可能性の高いフィリピン。普通に街を歩いてても、引ったくりにホールドアップ。自分の身は自分で守るしかありません。ついこの間、病み上がりに牡蠣食べて中毒になった日本人生徒さんのケースは、典型的な反面教師。

唖然としたのは、自粛ムードに押されたのか、なぜか日本からフィリピンへの英語留学を直前で取り止める「コロナキャンセル」が出ているという話。それこそ、ちょっと考えたら、意味がないと分かりそうなもの。

ということで、何かにつけて、フィリピンや隣国を見下す「民度の高い」日本人なんだから、もうそろそろ自分の頭で考えて行動する術を、身につけてはどうでしょう。


2020年3月5日木曜日

ゲストハウスの危機


2月最初から、我が家のゲストハウスに1ヶ月間滞在していた、英語学校の生徒さんの女の子。後半、風邪による咳・発熱、それが回復した翌日に、牡蠣に当たって救急車で病院へ。結局、折角の留学期間の半分をベッドで過ごすことに。(救急車とフィリピノ・ホスピタリティ

一時は帰国さえ危ぶまれましたが、再度処方された抗生物質が効いたらしく、フライト前日に嘔吐と熱が治って、滑り込みセーフで日本に。当日朝は、私にも、病院に付き添った家内にすら、一言の挨拶も無しだったのは、少々がっかりでしたけど。

まぁ、ご本人さんには気の毒ながら、厄介な荷物を一つ下ろした気分で、やれやれと思ってたら、翌日にチャックインした別の女の子が、またもや風邪引きさん。熱はないものの、喉が痛いといきなりのレッスン欠席。日本では、新型コロナで大騒ぎの時期だけに、受け入れる側としても、神経過敏になってしまいます。

ちなみに、ゲストハウスを利用いただいている英語学校では、渡航直前にネットで遠隔問診を実施して、発熱や風邪の症状があった場合はキャンセルするという措置を取っています。今のところドタキャンはないけれど、万一、日本発ウイルスの、フィリピンでの感染発生源になったりしたら、学校閉鎖は間違いないだけに、慎重な対応になるのは仕方がない。

それとは別に今度は、ゲストハウスのファシリティ破損が相次いで2件発生。ひとつは、トイレの壁にビス止めされてた、ドアストッパの金具が根本から脱落。いくらフィリピンの大工仕事が雑とは言え、こんな壊れ方は見たことがない。おそらく、トイレを使う時に、ここに足の乗せて体重をかけたんでしょうね。

もう一件は、玄関網戸。煽り止めのシャフトが見事にひん曲がってしまった。これもひどいなぁ。網戸が閉まらないようにロックした状態に気づかず、相当な力で無理に閉めようとしたらしい。

正直に言って、日本の学生さんが、ここまで乱暴な使い方をするとは予想外でした。竣工後半年も経ってない新築なのに、何すんね〜ん。しかも誰がやらかしたのか、自己申告もないし。

いずれにせよ、宿泊客による破損は間違いないので、地元の業者さんを呼んで、英語学校マネージャーに費用見積もり提示後、フィリピンでは珍しく翌日には修理完了。大した金額もかからず一安心...。

ところが、ちゃんと確認を取って進めたつもりが、学校から、夜間チャット経由で物言いが付いてしまいました。後になって、相互の誤解や文章の書き方の問題だと分かったので、敢えて詳細は記しませんが、その時は、ちょっと頭に来てしまったのも事実。移住してから7年ぶり以上で、仕事のストレスで眠れないという経験をしてしまいました。

やっぱり深夜、暗い中で考え事をするのは良くないですね。思考がどんどんネガティブな方向に行ってしまい、もうゲストハウスのビジネスは、諦めようかと思ったり。次の日に、学校の若き日本人経営者と、顔を合わせて1時間余り話して、最後はお互い笑顔で事なきを得ました。

ということで、ゲストハウス本格可動から1ヶ月。嫌な事が立て続けです。これは、竣工時に、神父さまの祝福を受けなかったのが災いしたのか?(フィリピンでは、新しく家を建てたり、新車を購入した時には、神父さんに来てもらって、祝福してもらう行事が一般的)。あるいは、フィリピン版座敷童のカマカマさまの祟り?

向かいに住む呪医の心得がある婆ちゃんに、お祓いをしてもらおうかと考えているこの頃です。


2020年3月1日日曜日

私的フィリピン美女図鑑 日比ハーフの四姉妹

気が付けば、最後の更新から2ヶ月近く経っていたフィリピン美女図鑑。この間、サボっていたのではなく、営々と描き続けてたんですよ。それもタイトルにある通り四人分。さらに四姉妹のお母上まで描いていたので、大雑把に言って、通常の5倍の手間暇を掛けていたという訳です。

今回モデルになっていただいたうちのお一人は、実は二回目の登場で、アルバイトとは言え、ここネグロス島で正真正銘のモデルエージェントに所属するリナさん。美しいだけでなく、バスケットボールが国技なんじゃないか、というほど盛んなフィリピンにあって、アンダー16のナショナルチームに選ばれたという優秀なアスリート。(バスケのリナ

さて、そのリナ姫の母上、ここネグロス出身のダイアナさんとは、SNSから始まった友達付き合い。何度か我が家にもお越しいただいてます。

ダイアナさんには、リナさんの上に二人、下に一人の、合計四人の娘さんがいます。本当にご自慢なようで、自ら「姫」と呼ぶお嬢さんたちの写真を、かなり頻繁にタイムラインにアップ。プロフィールのバックも、お母さんを囲む四姫のスナップショット。

と書くと、なんだか親バカっぽいですが、自慢したくなる気持ちがよく分かる。四人ともたいへんチャーミングなんですよ。会ったことがあるのは、三女のリナさんと末娘のレオンちゃんだけながら、日常の飾りっ気のない写真を、何枚も拝見しているので、まるで昔からよく知っている、親戚の女の子のような気がするほど。

つまり、素材となる写真がたくさんあって、描画対象として魅力的となれば、イラスト描きとしては、創作意欲を押さえつける方が無理というもの。そこで、ダイアナさんの承諾を得て、お一人づつ似顔絵イラストの制作を始めたという次第。

そう言えば3年前、似たようなシチュエーションで、家内の従妹の5人姉妹を一枚のイラストにしたことがありました。考えてみたら、ダイアナ母さんも入れたら、またもや「5人揃ってゴレンジャー」やんか!

二番煎じで申し訳ないことながら、5色のテーマカラーで、前回のフォーマットやモチーフを一部使い回しながら、描画精度は3年間の修練(?)の成果を投入してのバージョンアップ。ということで、我ながらやや自虐的なほど、詳細まで描き込んだ5人の肖像。


お陰さまで、描いた方の達成感は、いつになく大きかったし、モデルになっていただいた方々にも、喜んでもらったみたいです。それにしても、アドビー・イラストレーター(パソコン用のイラストアプリ)のファイル1枚だけで、サイズが87メガバイト超えって、ちょっとすごいですね。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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