2014年1月31日金曜日

春節の上棟式

今日1月31日は旧正月、チャイニーズ・ニューイヤー。なぜかフィリピンでも祭日になって、学校や会社はお休みでした。こういうのは大統領令が出て決まるらしい。しかし、その時の気分で休みを増やしてるのか? 昨年末に買ったり貰ったりしたカレンダーは、どれを見ても今日はただの金曜日なので、急に大統領の気が変わったのかもしれません。

朝、息子を学校に送って行かなくていい分ゆっくり起きて、それから昨日大工さんにお知らせした、上棟式のご飯の準備にかかりました。上棟式と言っても、フィリピンではそういう習慣がなく、旧正月かバレンタインデーのお祝いか、と冗談を言われてしまいました。

日本できちんとやると、施主が挨拶したり、それなりの食事やお弁当を手配したりと結構たいへんだと聞いてますが、人生初の自分の家の上棟式は、幸か不幸かフィリピンだったので、そこはとても気楽なもの。

手元に父が日本から持参した切り餅があるものの、ほんの少し。餅を撒くのは諦めて、まだそこそこ残っている日本のお米を七合炊きました。これで、手を火傷しそうになりながら、せっせとおにぎり製作。

その間に家内は、鶏の丸焼き「レッチョン・マノック」を買いに行く…はずが、なんと今日に限って30羽分も買い占めた人がいたらしく、急遽予定変更して、ビーフンや春巻きなどのお惣菜シリーズを持って帰ってきました。

ようやく食事の用意を終えて、息子を伴い現場へ車で搬入。腹ぺこ大工さんと電気屋さん、配管屋さんたちが、お待ちかねでした。大工のリーダー・リトさんに食前の感謝と祈りを頼むと、事前に打ち合わせも何もなくても、淀みなく言葉が出て来ました。フィリピン人は多くがカトリックの信徒なので、こういうのは慣れていますね。



食べ始めて気になるのは、おにぎり。最初、これは残るかな?と思いましたが、そろそろ終わり頃になって、残ってるなら俺が食う、みたいな勢いでめでたく完食。父も久しぶりの日本の米が嬉しかったようで、旨い旨いと頬張っていました。

さて、午後の仕事はいつも通りで、帰り際にサプライズっぽく、ご祝儀代わりのプレゼントを一人づつ手渡し。本当なら現金をいくらか包んで、帰りに酒でも飲みなさい、となるところですが、何しろ日当が安い。飲み食いできるお金にすると、一週間分の給料になってしまうので、昨日家内と一緒に近所のお店で色違いのポロシャツを買っておいたのでした。



まぁ、子供の誕生日祝い程度のものだったんですが、みんな包みを開けて大喜び。普段施主から何かを贈られるということは、あんまりないのかなぁ? こういうところが純朴で、フィリピンの田舎の人たちの心情に触れたと感じた瞬間でした。

しかしリト君、父親に向かって礼を言うのは、ちょっと違うぞ…。


2014年1月30日木曜日

てっぺん到達

昨日まで敷地前の道路で、C型鋼と鉄筋を溶接で組んで作っていた屋根の骨組み。今日午前10時頃、拍子抜けするほど簡単に2階の上に据え付けられました。これで完成したのではなく、まだ何本も鋼材を乗せて井桁状の構造にするのですが、大きなものはこれで終わり。

いくら軽いC型鋼でも、鉄筋で補強した部材なので、クレーンも使わず、もっと苦労するかと思ってヒヤヒヤしてましたが、6人で30分程度で一番大きいのが完了。取りあえずは一安心です。


まず、ベランダ部分に部材を乗せて…。



方向を変えて…。



よっこらしょっと…。


しかし、取り付け方法が想像以上にワイルドでした。この人数と技術、機材では他に方法はないんでしょうけど。お箸のように2本、50センチほどコンクリートの梁から出しておいた鉄筋を、直置きしたC型鋼に巻いて直接溶接。以上終わり…でした。



そんな工法なので、持ち上げてから位置の微調整やら、測り直しを何回もしてました。それも幅30センチほどの狭い梁の上。風が強かったり、雨でも降ったらどうするつもりだったんでしょうか? 幸い今日は終日だいたい晴れてましたが、風そこそこ吹いてましたよ。

この現場だけ特別危険なことをしているとは思えないので、おそらく工期が長いほど、一定の割合で大事故が起こっているのは、まず間違いないと実感した今日でした。もう幸運を使い切る前に、早く工事が終わってほしい。



それはともかく、この建物の一番高いところまで、構造ができたので、約束通り明日は上棟式をすることにしました。フィリピンの大工さんにとっては、そんな習慣がないので、明日はお昼ご飯、こっちで用意するよ、と言ってもキョトンとした顔。
本当ならお餅撒きたいところですが、撒くほど量がないので、ちょっと献立考えます。

タイミングよく、明日1月31日は春節。フィリピンでも祝日なんだそうで、息子の学校もお休みです。やっとここまで来ました。みなさん、お疲れさま。


2014年1月29日水曜日

異国で風邪ひき

ここ数日、風邪引いて熱出していたので、久しぶりの投稿になってしまいました。フィリピンで寝込んだのはこれが最初ではないのですが、やっぱりかなり心細いものです。医療技術的には相当高いと聞いてますが、それは飽くまで物凄い高額の医療費を払ってのお話。

入院して生きるの死ぬのとなったら、そっちの方がたいへんですが、こういうちょっと風邪引いただけというのも案外辛いもの。症状としては今まで何度も経験した風邪でも、本当に風邪かどうか判断できない。
ひょっとして、このまま熱が上がり続けて、実はデング熱とかのヤバい病気だったら、どうしよう?などと変な心配をしてしまいました。それなら、さっさと医者に行けばいいのですが、前回ひどい下痢で二晩入院した時、支払い額の割には、それはそれはゾンザイな扱いを受け、すっかり懲りました。(日本の病院に比べて、ということですが)

まぁ、日本にいても、できれば病院など行きたくないと思うのが普通とは言え、入院保険を使っても、「エ!」という請求書だったので、もうよほど重篤にならない限り、自分はフィリピンの病院には行かないと、決意したという次第。

これとタイミングを合わせたわけではないのでしょうが、自宅の新築現場でも怪我人が出てしまいました。仕事休まないといけないレベルでは、これが二人目。前回は釘を突き出していたのを蹴ってしまい、傷口が化膿して三日間休業。今度は別の人が、古釘を踏み抜いてしまいました。その大工さんはすぐ家に帰り、すぐ後に家内が様子を見に行きました。幸いなことに、それほどひどくはなかったようですが、すでに二日間お休み。


監督の父に言わせると、二階の柱と梁のコンクリート打ちが終わってから、全体的にちょっと気が緩んでいたそうで、こういう時に事故が起こる。これから、いよいよ屋根に取りかかるので、その前に気を引き締めなアカン、とのこと。


施主も風邪引いてましたが…。


2014年1月25日土曜日

人件費が安い理由

昨日、二階の柱と梁のコンクリート打ちが終わって、今日は週一度の給料日。フィリピンでは一般的に月二度に分けて支払うそうですが、大工さんはもっと小割りにして毎週支払い。おそらく貯蓄する余裕がなくて、日銭で生活してるからなんでしょう。

出勤管理は家内がしっかりノートつけてやってます。仕事内容によって人数や顔ぶれが微妙に変わったりするので、結構面倒な仕事。支払いは100〜50ペソ単位ですが、銀行のATMではうっかりすると1000ペソ札しか出て来ないので、両替も気をつけてます。

ここでは、物価は総じて日本よりも安く、感覚的には1/5ぐらい。それもモノによりけりで、家電や車の新品は日本並みの商品も多いです。しかし、人件費、特に肉体労働は1/10〜1/30程度しかないように思います。

大工さんの日当がタイル10枚の値段より安かったりします。ヘタすると、日本のコンビニのバイトの時給より安い。物価並みならまだ理解できるのですが、なんでこんなに差がつくのでしょうか?

ちょっと考えてみましたが、肉体労働の場合、高い技能に対してそれ相応の対価を支払うという考え方が希薄なのか?という気がします。職人や大工という職業は、日本では腕が良ければ、同年代のサラリーマンより高給なのは珍しくない。
しかし、今ウチに来てくれている大工さん、能力の違いは人によって歴然としていますが、日当の差はほとんどありません。そういう習慣がないので、差をつけたりすると大変なことになってしまいます。

仕方がないので、リーダー格の人にはボーナス代わりにお酒やタバコを上げたりしてますが、それも仲間で分けている。

また、道具や装備はほとんど施主が用意していることもあります。大工さんが時前で持ってくるのは、金づちと鋸ぐらいで、コンクリート・ミキサー、グラインダー、溶接機、果てはメジャーや墨壷、軍手まで全部こちら持ち。

誰もヘルメット被らないし、みんなサンダル履きだと、何度か書きましたが、もしそれがダメなら、ヘルメットに地下足袋(これはフィリピンにはない?)を買って貸さないといけなくなります。

これでは、いつまで経ってもプロ意識が育たず、結果給料も上がらないという悪循環だと思いますが、これ以上はただの外国人に過ぎない身に余る話。その安さのお陰で、日本では実現できなかったサイズの家を建ててもらっているのですから、文句の言いようもありません。



コンクリート打ちの後、施主が購入したミキサー・エンジンを清掃する大工さん


2014年1月23日木曜日

手抜きではないのだが

金曜日の予定だった二階のコンクリート打ち、他の作業が順調だったので、一日早く柱だけ今日打つことになりました。午前中に一昨日から始まった階段部分を終わらせて、午後から開始。


二階の柱の上は高い! 大工さんは相変わらずヘルメットも被らず、サンダル履きで手すりも何もない所をヒョイヒョイと歩いています。下から見てるだけで怖い。今回は床の時と違って、コンクリートの量が少ないので、ミキサー使わず練るのも人力。運び上げるのは最初から人力です。


順調に進んでいるように見えたんですが、途中で監督の父から「物言い」が付きました。セメントに砂、そして砂利を混ぜて水で練るのですが、この砂利が少なすぎる。当初の指示に対しておよそ3/4程度しか混ざっていないのが発覚しました。

と書くと知らない人は悪いことのように思うかも知れませんが、逆にとても強度が高い、
上等なコンクリートなんだそうです。その分セメントをたくさん使っていたわけ。父曰く「道理でいつも砂利が余るわけや。」

砂利が少ないと練るのが楽で、作業性は良くなりますが、材料費は上がります。要するに強度を上げたいという高い志があったのではなく、単に楽だからそうしてたんですね。自分で金払ってたら、絶対そんなことせんやろ〜〜。
しかしまぁ、前回の日記で安く上がっていると散々書いたし、質を落とされたのでもないので、怒る気にもなりませんでしたが、父は指示を無視されたことにご立腹。

「フィリピンのやり方もあるやろうから、理由があれば変更も構へん。しかし、勝手に変えるな! 変える前に相談せぇ!」ごもっとも。こういうことも、いきなり怒鳴りつけるのではなく、リーダーをニッパハウスに呼んで、家内の通訳で諭すように言い聞かせる。フォアマンと施主の仕事はたいへんです。

まだまだいろいろありますが、昨日は家内の強い要望だったカウンター式のキッチンの形ができました。今日は一番の難関だった階段もクリアして、毎日見栄えが大きく変化していきます。明日のコンクリートが終わったら、次はいよいよ屋根。上棟式ももう少しですね。



2014年1月22日水曜日

見積もり精度、低過ぎ

昨年10月22日に地鎮祭して、工事が始まってちょうど3ヶ月経過しました。今日は、本当に久しぶりに朝から日差しがあって、終日雨が降りませんでした。こうなると熱帯のフィリピン、当然のように暑くなりますが、それも幸せに思えるほど。



いろんなことがあったので、日本でサラリーマンしてた時の3ヶ月間に比べると、数年分の経験値はあったのではないでしょうか。え、まだ3ヶ月?というのが実感。写真で見ると、3ヶ月前は本当になにもない、草っ原だったんですね。



地鎮祭当日



1ヶ月後



2ヶ月後



一昨日


さて費用の話なんですが、ここまできたので、内装材と塗料以外ほぼ材料の購入は済んでいます。しかし、何とまだ当初見積もり額の三分の一も使ってません。もちろん人件費も込み。後払いとかカード払いは一切通用しないフィリピン。その都度必要な建材を施主みずから現金で買い付け、大工さんたちの日当も毎週土曜日に直接支払っているので、金額に間違いはありません。

しかも、梁の数増やしたり、心配なところは図面より太い鉄筋使ったり、どっちかと言うと高くなる方向の変更を繰り返しています。

最初の見積額は、日本に比べると(いい加減、この表現もやめた方がいいかも知れません)驚く安さですが、それでも無茶苦茶高めに計算していたのか。
待てよ…今回の工事ではフォアマン(現場監督)は、父が無償でやってくれているので、その給料分の差? それにしても、違い過ぎ。

ここから先は推測ですが、現地の業者に丸投げ発注していたら、中間で物凄いピンハネされてたのかも知れません。だとすると恐ろしい話です。監督、大工、建材店がグルになってたりすると、言葉もイマイチ通じない状況では、やりたい放題でしょうね。

いずれにしても、施主としては喜ぶべき誤算だったので、これからかかる内装については、計画よりちょっといいものを使おうかと企んでいます。取りあえずは、金曜日の最後の大掛かりなコンクリート打ち。雨が降りませんように。


2014年1月20日月曜日

核の冬?

「核の冬」という言葉があります。核戦争や大規模な火山噴火、それに隕石の衝突などで、大量の粉塵が巻き上げられて太陽光を遮り、一時的に地球全体が寒冷化する現象なんだそうで、一番最近では1883年、インドネシアのクラカタウ島の大噴火で、世界的に平均気温の低下や異常に赤い夕焼けが観測されたりしました。

ちょっとオーバーですが、年が明けてからのフィリピンは、核の冬が来たらこうなるのか?というぐらい晴れないし、気温が低い。今日のニュースによると、ルソン島にある避暑地で有名なバギオでは、最低気温摂氏8度を記録。
いくら高地とは言え、フィリピンですよ。熱帯ですよ。



そこまでいかなくても、私の住むフィリピン中部のネグロス島では、最近滅多に扇風機すら使わないし、朝夕は窓しっかり閉めないと風邪引きそうです。もう不要だと思っていた、長袖長ズボンのパジャマを引っ張り出してくる始末。だいたい最高気温が25度、最低気温は20度ちょっと。
ここ数日は、雨は降らないので、建築現場はとても作業が進むし、生活するには快適なんですが、農作物とか大丈夫なんでしょうか?

卑近な話では、シャワー浴びるのが「修行」みたいな感じになってます。一般のフィリピンの住宅では給湯器はほとんど普及してません。かなりの富裕層かホテルぐらい。つまり気温20度そこそこで、毎日水シャワー。
これは寒い!新居には電気給湯器を設置予定ですが、前倒しで今使いたい…。


大きな食卓

器の形が見えてくると、中に置くインテリアが気になってきます。

昨日、配管関係の業者さんが来て、一階のキッチンとバスルームの配管を始めました。事前に監督の父には伝えていたのは、一階と二階にそれぞれ設けるバスルーム、二階の主寝室となりの方にはバスタブを、一階には1メートル四方ぐらいのシャワーユニットを置きたいとう要望。

ところが、まだシャワーユニットをどれにするかが決まっていなかったので、配管の細かいところが進められない。急遽これだけ先に購入してしまうことになりました。

やって来ました建材店。フィリピンでは施主自ら建材を購入することが多いためか、日本のホームセンターよりも本格的な品揃えで、浴槽や洗面、便器、キッチン、扉や窓枠などが揃っています。
目的のシャワーユニットは、予め何回も下見をしていたので、あっさり決まり、何とか車に積める大きさだったので「お持ち帰り」となりました。

それよりも家内が気になったのは、システムキッチン。
さすがにモノが大きいので、それほど沢山の種類はなかったですが、そこそこの品物がありました。知ってる範囲で、新築の家でもこの手のキッチンを備えている所は、あんまり見たことがありません。やはりフィリピンでは、まだまだ贅沢品なんでしょうか?

よくあるのは、大工さんが作ってしまうパターン。少し昔の日本の住宅にあったような、セメントとタイルでできた流し台。これもきれいに作れば悪くはなく、費用も安くあがります。しかし、残念ながらフィリピンでは、日本の左官職人の技には遠く及ばないので、多少高くついても既製品の方が安心できます。
こちらも実は何度も下見をしていたのと、選択肢が多くないので、今日決めてしまいました。これで大物を一日で二つも購入。



さて最後に見たのは食卓。
大家族が多いのと、来客が頻繁なフィリピンでは、食卓も6〜8人座れる大きなサイズが人気のようです。家内は3人家族なんだから、あんまり大きいと寂しいよ、と言いますが、食卓は家族の団欒の象徴なので、小さいより大きい方がいい。それに子供が結婚してからも同居というのは、フィリピンでは大いにあり得る話。
何より、おそらくこれが私の人生の、最後の大きな買い物になるのは間違いないので、少しの金額を惜しむより、思い切っていいものにしたいですね。


2014年1月18日土曜日

おナベさんの営業

フィリピンでは噂が広まるのが早いと聞いてましたが、本当にそうだと実感した今日。ウチの建築現場に、またまた営業さんが来ました。今回は屋根材の業者。ちょうど今二社に見積もりを頼んだところで、すごいタイミングの良さです。どうやって知ったのかと訊くと、材木を買ってる建材屋さんからの情報とのこと。
なるほど。前に来た人は、いつも宅地を見回ってると言ってましたが、みんなそれなりの地道な情報収集をしてるんですね。

ところで、今日来た営業さん、最初おカマの人かな?と思いきや、よく見るとその逆のおナベさんでした。体格は大柄で、短髪、服装はポロシャツにジーンズ、ナイキのスニーカーとごく普通の男性風だったんですが、声のトーンが明らかに男ではない。胸もある。しかも名前がシェールって...女の名前。

こちらではおカマさんが多い。特別扱いされることなく堂々としているので、余計に目立つから、そう見えるだけかも知れません。そして会計や営業などのお金にまつわる仕事してるのは、女性かおカマさんかというぐらい、優秀な人もまた多い。
さすがに、おナベさんには初めて会いましたが、おカマさんと同様、喋りは饒舌、英語も分かりやすい。質問にもしっかり答えてくれる。

結局、ここにも図面のコピー渡して、見積もりをしてもらうことになりました。価格が他所と同じぐらいでも頼りになりそうなので、この業者に発注しようかなぁ?


さて、今日も少し雨は降りましたが、ほとんど作業には影響しませんでした。こっちの大工さんが大好きな、ブロック積みも一階は完了間近。玄関あたりも完成形がだんだん見えて来て、家らしい佇まいになってきました。


2014年1月16日木曜日

ブロック積み大好き

何となくそうじゃないかと、前々から思ってたんですが、フィリピンの大工さんが一番好きな仕事はブロック積みでした。それも馬積み。

日本の積み方と違って、一段毎にブロックを半分ずらす馬積みのことを、以前にも書きました。基礎部分で少し積んだ時は、強度をキチンと出すために、監督の父が大工さんたちとちょっと揉めて、結局日本式でやってもらいましたが、基礎・柱・梁がしっかりできたので、今回の積み方は任せました。


そうしたらもう満を持して、という感じで物凄い勢いで積み始めました。まだ二階の梁の仮枠作業が残ってるんですが、そっちは若い大工さん二人に押し付けて、リーダー以下ベテラン達は、先を争うようにブロック積みに熱中してます。気をつけないと、窓や扉も無視して全部壁にしてしまいそう。


そんなにいっぺんに壁作って全部塞いでしまうと、後で作業がたいへん…というような配慮は頭から吹き飛んだみたい。山のようにストックしていたブロックが、見る見るなくなります。コンクリート練り担当は貧乏くじ引いたように、終日フル回転。


任せたとは言っても、最初にレクチャーした、横糸を張ってブロックの高さがまっすぐ揃う積み方は、忘れてません。なので、他所で見る壁に比べると、かなりキレイな仕上がり。しかもブロックの穴に、全部きちんとコンクリートを詰めるようにとの、父の指示は墨守されていて、強度的にも大丈夫なようです。

天気は昨日に引き続いて、何とか保ってます。時折驟雨みたいなのが来ましたが、仕事止めないといけないような、土砂降りにはなりませんでした。この調子だと、仮枠もブロックも今週中には終わりそうです。来週は、また一気に作業が進みそうですね。あとは大雨さえ降らなければ。


2014年1月15日水曜日

雨上がる

もう十日近く続いた雨模様の天気。今朝ようやく止みました。雲一つない快晴…とはいきませんでしたが、とにかく降らないだけで嬉しい。午前中は時々雲が切れて日差しが戻り、とても久しぶりに太陽に照らされた自分の影を見ました。そして午後には、待望の青空が。


この時期、フィリピン・ネグロス島付近では雨期とは聞いてましたが、こんなに降り続くのも珍しいようです。南のミンダナオでは地滑りで死者まで出たこと。やっぱり異常気象なんでしょうか?

雨が続くと気分が落ち込み気味。何より今は建築現場の進捗に大きな影響が出ます。小雨くらいなら何とかなりますが、ここ最近のは断続的な土砂降り。二階の鉄筋や仮枠設置はさすがに危ないので、降りがひどい間は仕事を止めるしかありません。救いなのは、一階は一応雨を凌げる状態なので、こちらだけは漸進。

しかし、雨が止んだ今日、ずっとできなかった屋根の鋼材の錆び止め塗装がスタートし、仮枠も八割方終了。そして外でセメントが練れるので、一階の壁のブロック積みも本格化。四つぐらいの仕事が同時進行になり、特に壁積みは成果がはっきり見えるので、「進んだ感」満載の一日でした。




大工さんたちも、心無しか笑顔が増えたようにも見えます。今日は休憩の時に、いつも敷地に遊びにくる、鶏の一羽を捕獲。最近、飼い主は向かいの家の住人だと判明したので、晩ご飯のおかずにはならず釈放されました。


定時の夕方5時ちょうど、まるで測ったかのようにザっと一雨来ましたが、これはにわか雨だったようで、すぐにまた止みました。明日もこれぐらいの天気で保ってほしいものです。



2014年1月14日火曜日

ドロボ〜!

今日未明、自宅建築現場に泥棒が入りました。まるでネタのようですが、本当です。こちらでは学校の始業時間が早くて、毎朝7時前には子供を学校に連れていきますが、その忙しい最中に、夜警さんが何やら興奮してやってきました。

夜警さんとは、資材や工具が盗まれないよう、現場に建てたニッパハウスに毎晩寝泊まりしてもらうために雇った人です。その人が言うには、朝方の3時頃に泥棒が入ったが、自分が気付いたので何も盗らずに逃げたとのこと。う〜ん、まさしくこの事態に備えて雇った夜警さん、お役目ご苦労さま。

子供を学校に送り届けた後、すぐに現場に直行。今家を建ててる宅地は、フィリピンではビレッジとかサブ・ディビジョンとか呼ばれる、かなり広大な分譲住宅地を柵で囲って、ゲートには警備員が配置されているという場所。その警備員に聞いてみると…。


どうやら犯人の目星は付いていて、盗みや金が目的ではないようです。同じ住宅地に住む人の甥っ子で、ドラッグやってて親戚から爪弾きにされているという男性。なんだか近所には知れ渡っている話らしい。

人口が高々1万人のシライ市。このビレッジだけではなく、全市が文字通り村社会みたいなもの。警備員と言っても地元の人だし、警官も知り合い。大都会とは違って、図らずも相互監視が行き届いています。要するにヘタに犯罪ができないわけですね。

フィリピンというと治安極悪のイメージがあります。確かに泥棒とか置き引きとか多いですが、こんな田舎町だと意外と傷害とか殺人は起きにくいのかも知れません。間に2、3人介せば、みんな知り合いか親戚みたいな場所なので、本気で調べたら、誰と誰が中が良くないとか、誰が悪さをしてるとかは、筒抜け状態。

ところで、犯人が盗もうとしていたのは、何と鉄筋の切れっ端。はしごを伝って、出来立ての二階に上り、鉄筋をガチャガチャしてるところを見つかって逃げ出したそうです。こんなもの、両手で抱えて持ち出しても、大した金になるとは思えません。やっぱり正気ではなかったんでしょうね。





2014年1月13日月曜日

フィリピンで施主になるということ

この歳になるまで、自分の家を建てるという経験はしたことがありませんでした。それが、いきなりフィリピンで施主になったので、当初はかなり戸惑いました。
こちらでは、業者に設計から施工まで全部任せるのと、自分で仕切るやり方があります。それも両極端で中間がない。

任せ切ってしまうと楽なんですが、万事大雑把なお国柄なので、予算通りに思ったような品質の家が建つかどうかは、かなり危ない気がします。業者によるんでしょうけどね。
今、私が取り組んでいるのは、自分で仕切る方。しかしこれが出来てるのも、建築家の父と、日本語ができる家内の通訳のお陰。


何人も大工さんを使って、細々と現場で指示を出し、建材は都度施主自ら購入して搬入時のチェックまでやってます。(確認しないと量を誤魔化されることがある)
大工さんはよく働いてくれてますが、図面を読みながら作るという習慣がない(!)ようで、放っておくと適当に自分の好きなようにやってしまう。フィリピンの現場監督は、数日置きにチラっと見に来るだけ、なんて人もいますので、建築の知識がなければ、どうなっていたことやら。

すべての手順を逐一チェックし、ちょっとでもおかしいところがあれば、手取り足取りでやり方を教え、建材は自分の目で確かめ、日程を管理する。日本なら当たり前ですが、これを父は全部一人でこなしています。好きでやってるとは言え、本当に父が生きている間に、家を建て始められたのは幸運だったと思います。



さて、今日は屋根を葺くために、瓦とそれを乗せる構造材の購入。業者の技術者相手に、図面を見せて、家内の通訳で説明。そろそろ慣れてきたようで、今日は前回のスチール・デッキの時と比べると、ずいぶん順調に進みました。

それにして、家の外観の印象を決めてしまう屋根の色の選択肢が、五種類ぐらいしかないのには呆れました。道理で同じような色の家が多いわけだ。


2014年1月12日日曜日

フィリピンの家には玄関がない

以前、当初日本で設計したプランからかなり変更をしてしまったと書きましたが、実は一番大事なところは、ほぼオリジナル通りに施工が進んでいます。それがメインの寝室を除く一階間取りのほとんど。
玄関ホール、リビング、ダイニング、キッチン、客間などです。生活の大部分を占める導線は当初案通りにしました。


特に大きいのは玄関。何故かフィリピンの住宅には、玄関という空間がない。出入り口はあるんですが、まるで勝手口。相当大きなお家でも、扉を開けたらいきなり居間という構成が当たり前のようです。

日本人の感覚としては、これは落ち着きません。そこで、門から玄関までの間にベンチのあるアプローチを置き、さらに屋内に入ってから三畳ほどの玄関ホールを設けてもらいました。

そして家内の一番の要望だったカウンター式のキッチンも導入。
日本のマンションでも、最近はお馴染みのスタイルですね。これも、フィリピンの一般住宅では、あんまり見たことがありません。
要するに現代日本的な要素は、そっくりそのまま残ったような感じです。

反対に追加したのは、ダーティ・キッチンと呼ばれる第二台所のような部分。土間に相当するような場所。ガスコンロと流しがあって、煮炊きは、この半分外のようなところで行います。これがあると屋内に調理の臭いがこもらないし、風通しがいいので、涼しく料理ができます。

日本だったら、冬場さぞ冷え込むことでしょうけど、熱帯の気候なので、その心配はありません。

先週でだいたい一階室内がきれいになったので、家内と中に入って、床のタイルや壁の色をどうしようかと話し込む時間が増えてきました。やっぱり間取りは何となく安心できますね。たぶん、このまま日本で建ててもそんなに違和感はないと思います。


2014年1月11日土曜日

南国ダイエット

このところ、台風が来たわけでもないのに雨が多く、今日もほとんど終日雨。土砂降りでなければ作業はできるのですが、あんまり日差しがなさ過ぎて、年明け以降、フィリピンとは思えない涼しい日が続いています。
雨中の仕事で風邪を引く大工さんが増えて、来週の月曜日は臨時のお休みにすることにしました。暑いのもたいへんですが、早く雨が止んでほしい。

今日は、体重のお話。
移住して約10ヶ月。最近目に見えて痩せました。別に減量しようとか考えたわけでもないのですが、日本では72キロあったのが、一昨日測ったら65キロ。これは多分20代前半以来のスリムさです。

最初に気付いたのが、ズボンのベルト。こっちへ来てから、ほとんど短パンにTシャツばかりの格好だったのですが、久しぶりにちょっと前に買ったズボン履いたら、ベルト二穴分ぐらいキツく締めないと、ズボンがずり落ちそう。この頃、シャワーで自分の身体を鏡で見ると、何十年か振りに腹筋が判るようになってます。(「割れる」まではいきませんが。)

驚いて、ネットで「体重減」というキーワードで検索したら、ちょっと怖い記述もありましたが、この半年以上かけて7キロ程度というのは、そんなに悪いことではないらしい。もちろん近いうちに健診は受けておこうとは思っていますが、今回は移住という、明らかな環境の変化があり、体調自体は全然問題ないので、これは自然減のようです。

まず、一番変わったのは食べ物。鶏や豚の丸焼きなど、脂っこいと思われる料理が有名なフィリピンですが、これは毎日食べてるわけではありません。家内が作るのは、どちらかというと魚と野菜が中心の献立が多いし、肉にしても、日本のように完全に骨を除去した、お年寄りでも食べやすい柔らかいものは少ない。よく噛んでゆっくり食べるので、食べ過ぎることが少なくなった気がします。



そして、お米。インディカ米というやつですが、日本米に比べるとパラパラで甘味が少ない。ご飯と漬け物だけでお替わりできる、日本の米みたいな食べ方にはなりません。

年中寒さがないというのも、要因としては大きいようです。一種の夏バテ状態がずっと続いているようなもので、秋になったから食べ物が特別美味しいということもない。

とは言っても、三食きっちり頂いてます。時々「ミリエンダ」と呼ばれてるオヤツも。たまに誰かの誕生日とかで、ご馳走を苦しくなるほど食べてしまうこともあるし。



さすがに気にはなったので、フェイスブックやミクシィで海外在住の人や、その知り合いの人に訊いてみたところ、やっぱり移住当初、この程度の体重減はよくあることのようです。しかも数年して適応すると、元に戻ってしまうらしい。

今、身長170ちょっとで体重65なので、完全に適正体重です。できれば、なんとかこのバランスをキープしたいですね。その前にヤバい病気でないことを確かめないといけませんが。


2014年1月9日木曜日

現場浸水

台風が来たわけではないのですが、朝、建築現場に行ってびっくり。浸水しとる!
昨日の夕方から雨が降り出して、夜通し土砂降り状態。朝は仕事が始まる8時過ぎまで、かなり強く降ってました。


つまり12時間以上、相当激しく降り続いたようです。これは、ちょっとした台風並みですね。家を建てているのは、分譲住宅地なんですが、そんなにきれいに整地されているわけでもなく、ちょっと地面が低いんですよ。着工前は草茫々だったので、水が溜まっていたとしても、分からなかった。
先日の台風の時も、こんなだったんでしょうか?当日は外に出られなかったので、これも分かりません。

最初に見た時は、え〜っという感じで、ちょっと驚きましたが、監督の父も大工さんたちも、別に慌てる様子もなく仕事してました。ただいつもと違ったのは、大工さんの一人のトニオが、水を搔き出す…のではなく、搔き入れていたこと。
何してんのかいな?と思ったら、これ、予定では一階の床部分に土を入れて「締める」ために、当初から水を撒くつもりだったそうです。たまたま、今日来たら周囲に浸水していたので、水道の代わりにバケツで水汲んで、搔き入れていたわけ。


それにしても、二階の床材の残りを上手く活用して、まるで最初から分かってたように、器用に作業してますね。このトニオ君、これ以外にも結構なアイデアマン。
飯場にしていた所も、すっかり水浸しになってしまったので、前の道にビニールシートを屋根にして、臨時の休憩所も開設されました。一応、そこは公道なんやけど…。


次は、たっぷりのタダの水で締まった床を、日本では「タコ」とか「タコバン」と呼ばれる道具で叩いて固めていきます。今回は角材を使ったお手製の「タコ」。この作業、父は「モンケン」と言ってましたが、「タコ」にしても「モンケン」にしても、ネットで探してもなかなか見つからない、昔の言い方みたいですね。私には歴史で習った「版築」の方がまだ分かりやすい。


とにかく、これをせずに、いきなりコンクリート打って、タイル敷いたりすると、床が部分的に下がってタイルが割れたり、床が凸凹になったりするそうです。地味ですが、大事な仕事。

さて、さっきの臨時休憩所では、アイデアマンのトニオが何らやグラインダーで火花を飛ばしながら削ってます。「スネイル・ファクトリー」と称して、拾い集めた古釘の先を研いでいたのでした。


仕事が終わった夕方5時、水もほとんど引いたようです。年明け以来、ずっと雨ばっかりなので、そろそろ一日晴れてほしいですね。


2014年1月8日水曜日

段取り八分

年内は比較的ゆっくり進んでいた感じの現場でしたが、年明けから、正確には二階の床ができてからは、何だか一気に仕事が動き出しました。一階の仮枠を撤去してるな〜と思っていたら、見る見るそこから上に足場ができて、足場とほぼ同時に鉄筋が組み上がっていきます。もう梁まで組み始めてる。


これは、二階の床材のスチール・デッキがなかなか届かなかった時に、鉄筋の曲げ作業をやっておいたからです。さすが、伊達に50年建築屋をしてませんね、ウチの親父。


階段部分の鉄筋も曲げ作業済み

この調子で行くと、今週中には鉄筋と柱の仮枠ぐらいは済んでしまいそうです。二階の床が出来たら後は早いでぇ、とは聞いてましたが、本当にその通り。その仮枠ですが、これは一階で使ったものを全部再利用します。釘も一本づつ丁寧に引き抜いて、ほとんど無駄にしてません。


そろそろ、屋根の鋼材の発注準備をした方が良さそう。スチール・デッキと同じ業者に頼むつもりです。デッキは隣島のセブから船で運びましたが、屋根は同じネグロス島で作るらしい。まぁ、前回ほど手間取らないようですが、何事もフィリピンなので、早めに段取りしておきましょう。


2014年1月7日火曜日

一人何役?

昨年の10月後半から始まった自宅の新築工事。約二ヶ月半ほど経過しました。その間、掘り方に始まり、鉄筋組み、溶接、仮枠作り、コンクリート打ち、等などの仕事があったのですが、現場に出入りしている人の顔ぶれは変わりません。着工時に比べると、同時進行で作業があるので、少し人数は増えましたが、最初のメンバーはすべて残っています。


つまり、土方も鳶も左官も全部同じ大工さんがこなしているわけです。そして、上手い人は何をやっても上手い。永年建築現場を経験している父が言うので、間違いないでしょう。

昨日から、一階部分の仮枠や材木で作った足場を解体し、その材料を再利用して、二階の部分のコンクリート打ちの準備。周りに大きな建物がほとんどなく、床面をグランドラインからかなり高めにしているので、二階の高さでも相当怖い。さらにそこへ足場を組んで、平然とその上で仕事をしているのを見ていると、フィリピンの大工さんもたいしたもんだと思います。


私は別に高所恐怖症というわけでもなく、学生時代は父の仕事場でバイトして、7階建てのビルの工事にかかわったこともあるのですが、その時は高所作業になると、ネットを張って、それなりの事故対策がしてありました。

ところがこっちの大工さん、足下はサンダル、ヘルメットもなしで角材一本の足場を悠々と移動していきます。慣れと言ってしまえばそれまでですが、よっぽど若い頃からこの仕事してるんでしょうね。

そして一番身軽なリーダー格のリトさん、左官仕事も手付きがいい。他の大工さんから人望も厚く、こういうマルチタレントな人は、本来ならばもっといい給料を貰わないといけないと思ったりします。でもだからと言って、この現場だけたくさん払うわけにもいきません。難しところですね。


2014年1月6日月曜日

二階の部屋を増やした理由

今日1月6日から、フィリピンでは小学校が始まりました。日本と違って初日は始業式だけではなく、通常通りきっちり夕方まで授業があって、息子はやや疲れ気味。自宅建設現場も、フルメンバーで本格稼働です。今日は年末に済ませたコンクリート打ち部分の仮枠撤去と、二階の足場作り。

長らく同じような外観だったのが、ようやく変化が見られました。これで一階部分もすっきりしてくるので、一階の壁や床の作業にかかれます。


ところで、日本の建築家の方にお願いした、もともとのプランでは、二階にはほとんど部屋を置かず、総吹き抜けとでも言うような、大きな空間にするつもりでした。敷地が300坪もあって、一階だけでも十分な部屋数が取れたからです。

しかし、いざ着工の段になって、設計当時とは経済状況がかなり変わり、アジアの病人と揶揄されたフィリピンが、今やASEAN内でも絶好調の経済成長率。実際に生活が楽になったかというと、それは大いに疑問ですが、モノの値段が上がっているのは確か。当然、住宅の建設費用もずいぶん高くなってしまいました。

そこで、建築家の方には申し訳ないことながら、父(こちらも一応一級建築士なんですが)と相談して、大幅にプランを縮小することに。さらに最初の設計時から変わったのは、温暖化の影響か、ここ最近フィリピンで洪水被害が増えたことです。
つい先日もスーパー台風「ヨランダ」が近隣の島々に、洪水を含めた壊滅的なダメージをもたらしたところ。もしもの時には、二階に家財道具を避難させるのは、とても現実的な話になりました。


そういう事情で、大きな吹き抜けは諦め、寝室含めて二階の部屋数を増やして、見た目とてもオーソドックスな普通の間取りになったというわけです。(と言っても三人で暮らすには、相当な広さですが。)しかし、やはり大空間への憧れは捨て切れず、畳一枚分ほどになってしまいましたが、リビングの上に吹き抜けを残すことができました。


仮枠が撤去されて、かなり完成後の間取りが実感できるようになった二階に上って、ずいぶん長いこと、あれこれと想像の世界にハマりこんで過ごした今日の午後でした。