2016年9月20日火曜日

トリリンガルの大統領


フィリピンの言語分布
出典:Wikipedia

暴言、失言。もう最近は何を言っても、少々のことでは周囲が驚かなくなった、ドゥテルテ大統領。その政治的意図は別にしても、あまりの言いたい放題加減で「ドゥテルテ劇場」と呼ばれ、日本でさえフィリピンの指導者としては、異例なほどの注目を浴びているようです。

では、実際に大統領は何語で喋っているのでしょうか? これは意外と日本では知られていないようですが、実は三つ(あるいはそれ以上)の言葉を使っています。フィリピンの公用語は、タガログ語として知られるフィリピノ語と英語。これに加えてドゥテルテが子供の頃に移り住んだ、ダバオの言葉セブアノ語。彼は、この三言語を操るトリリンガル。(生まれ故郷のレイテ島は、ワライ語というまた別の言語圏です。)

大統領になる前、長く市長を務めたダバオ。おそらくダバオ市民には、セブアノで語りかけたのでしょう。因みにフィリピンではセブアノを母語とする人はタガログよりも多く、今でもなぜフィリピンの公用語にしなかったのかと、愚痴る人も多い。

こういう話を聞くと日本人は、「多くの日本の政治家と違って、多言語を使えるのはすごい!」と短絡的に考えてしまいがち。しかしながらフィリピンの場合、多言語社会であることが、必ずしもいいことばかりとは言えない気がします。

私が、多言語社会のデメリットを一番に感じるのが教育。私たちの住むネグロス島のように、母語がタガログではないビサヤ語圏などの場合、小学生になった途端、三言語の勉強が始まります。英語、タガログ語、母語(現地方言のイロンゴ、ビサヤ語群の一つ)。しかもややこしいのは、社会科や家庭科をタガログ語で、算数や理科は英語で教えます。

つまり、英語やタガログ語でつまづいてしまうと、ほぼ全教科で落ちこぼれになることに。そんな児童のために、親が家庭教師(チューター)を雇うことは、割と一般的。しかしそれができるのは、比較的裕福な家庭に限られるので、一旦授業についていけなくなると、ずっとダメになってしまうケースが多い。

大人になってからも、何か自分で勉強しようと思っても、書店に並ぶ本の大部分は英語。タガログ語の書籍もありますが、専門書に至っては英語以外のものを見たことがありません。ここでも英語が不得手だと、決定的なハンディキャップ。

私の感覚からすると、ただでさえ貧富の差が極端に大きなフィリピンで、その傾向に拍車をかけているのが多言語社会。貧困層の生まれでも、理数系の才能があれば、あるいは将来が拓けたかも知れない。そんな子供が、英語で落ちこぼれると先に進めない。実にもったいないことです。

ドゥテルテ大統領も、英語とタガログ語を母語のように流暢に話せるのならば、問題はないのでしょうけど、家内によると、どちらもあまり上手いとは言えないらしい。英語は私が聴いても、かなりのビサヤ訛りですね。

先日、ラオスでのASEAN国際会議で、アメリカのオバマ大統領を「売春婦の子供」と罵倒したと話題になってしまいました。元は、報道でタガログ語での発言となってる「Putang ina プータン・イナ」。実はこれ、セブアノでも慣用句。意味は「クソッタレ」。誤って伝えられた「Putang ina mo プータン・イナ・モ」の直訳「売春婦の子供」とはだいぶニュアンが違います。(それでも大統領が公式の場で使う言葉としては、完全にNGですが。)

ここからは、完全に私の想像。ドゥテルテ大統領の暴言癖は、彼の多言語に対するコンプレックスが根本原因ではないでしょうか? 母語のセブアノに比べて、イマイチ思ったことを表現できない英語やタガログ。喋っているうちにイライラしてきて、つい母語の汚い言葉で感情を爆発させてしまう。ダバオ市長だった頃ならば、これでも何とかなっても、さすがに一国の最高指導者になってしまうと、ご愛嬌では済まされない。

いずれにしても、公用語が二つあって、その一つが旧宗主国の言葉。私は、これは明らかに植民地化を経験した歴史の負の遺産だと思います。せめて、公用語を一つに絞った方が、国民にかかる負荷が小さくなると思うのですが。まぁ、フィリピン国民にしてみれば、大きなお世話かも知れませんね。


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