この何ヶ月か、たまたま差別に関する話が私の耳目に触れたので、今日は、それについて考えたことを書いてみます。
当たり前のことながら、人種、出自、心身のハンディキャップ、性別、性的志向などなど、どんなことでも差別は絶対にダメです。「それは差別じゃなくて区別だ」なんて屁理屈をコネたってダメなものはダメ。判断するのは簡単で、自分がその当事者だったらどう感じるかを想像してみればよろしい。
日本のように、比較的似たような顔つきで、一応は標準日本語を理解する人が多い国では、白人と黒人、あるいはアジア人との間にある深い溝は、実感として分かりにくいかも知れません。それでも、中国・韓国系の人たちに対する根深い嫌悪や偏見は無くならないし、被差別部落やジェンダーなどなど、厳然と差別は存在します。
それを図らずも顕在化させたのが、今年(2024年)1月のミス日本選出にまつわる一連の騒動。いろんなメディアで報道されたので、ご存じの方も多いでしょう。グランプリに輝いたのが、ウクライナ人を実の両親に持つ、椎野カロリーナさん。確かに見た目は白人女性。ただし父母が離婚し、母親の再婚相手が日本人だったことから、幼少時に日本に移住し帰化。日本語も普通に話されます。
出典:New York Post |
さらにミス日本に応募しようというぐらいですから、とびきりの美人さん。美しさを競うコンテストで日本国籍を有する美人が選ばれたんだから、外野が騒ぐようなことではないはずが、批判的な意見...というか完全なやっかみが集中。案の定「純日本人ではない、ハーフですらない云々」なんて馬鹿げた言い草。
そもそも今日本に住んでる人々って、その多くがモンゴルやシベリア、中国・朝鮮半島、あるいは東南アジアや太平洋の島々からの渡来人の末裔。間違いなく全員が雑種。結局のところ日本人の定義は、国籍の有無しかないはずなんですよ。この件に関しては、どんな理屈をこじつけても、ルッキズム(外観至上主義)以外の何物でもありません。
特に在外邦人で、配偶者がフィリピン人、子供がそのハーフという私にすれば、否応なく考え続けてきた問題。それだけではないにしろ、息子がフィリピン人の母を持つことを理由に、謂れなき差別やいじめを受けることが心配で、フィリピン・ネグロス島に移住したとも言えるぐらい。
有難いことに、このフィリピンの片田舎では、日本人だからと、差別的な扱いを受けたことはありません。息子に訊いてみても無かったとのこと。ただそれは、永年に渡る日本政府からの国際援助や、最近のアニメやマンガの影響で形成された、良好な対日感情によるところが大きい。加えて、元々マレー・インド・中国・スペイン系など、いろんな顔つきの人がいますからね。
もちろんフィリピンにだって、私たちが直接被害を受けていないだけで、差別はあるでしょう。例えばムスリムや少数民族への偏見や、絶望的なまでに大きい貧富の差など。差別が皆無のユートピアなんて世界中どこに行っても見つからないと思います。
そして先日の米国アカデミー賞の受賞式での出来事。昨年(2023年)に、主演女優賞と助演男優賞に選ばれたマレーシア出身のミッシェル・ヨーさんと、ベトナム出身のキー・ホイ・クァンさん。このお二人が慣例に従って、今年の同賞の受賞者に黄金のオスカー像を手渡すプレゼンテーター。その受け渡しの際の、二人の白人受賞者の態度が失礼だったと話題になっています。
主演女優賞のエマ・ストーンの場合はちょっと微妙ながら、助演男優賞のロバート・ダウニー・jr.は、キー・ホイ・クァンさんと目も合わさず握手も謝辞もなし。さすがにこれはアカんでしょう。たとえ心の中にアジア人嫌悪があったとしても、仮にも演技のプロなんだから最低限の礼儀と感謝は表現すべき。ヒット作で演じているスーパーヒーロー役が、イメージダウンも甚だしい。
ちなみにツイッターで、欧米に住む邦人の投稿によると、白人からこんな態度を取られるのは決して珍しいことではないらしい。19世紀や20世紀初頭の暴力的人種差別ではないものの、まるでその場にいないかのごとく無視されたり。配偶者の家族からも日常的に同様の仕打ちを受けている人もいるぐらい。
正直なところ、私にだって心の奥底には、一部のフィリピン人への差別的感情がないかと問われれば、絶対に無いとは言い切れません。それどころか、同世代の日本人男性に対しても偏見を持ってしまうこともあります。問題は、それを態度や言葉に出すか出さないか。一番タチが悪いのが、自分でも気づかないまま差別的言動を取ってしまうことでしょう。これは本当に気をつけないといけません。