2025年5月29日木曜日

家庭教師バンビ 奇跡の人生大逆転

 フィリピンの総選挙や私の日本語教師デビュー、そして向かいの家の騒音で揉めた5月も、あっという間に残り数日。私の引退生活では珍しく、かなりの多忙感がある1ヶ月でしたが、最後はちょっとハッピーな話題を。

2021年の12月からなので、かれこれ3年半も私のイロンゴ語の家庭教師をしてくれているバンビ。現役の高校教師で、家庭の事情や病気などで教育機会を逸してしまった生徒さんへの、出張授業を専門とするALS(Alternative Learning System)の専任者。加えてギターやピアノが弾けるので、所属するプロテスタント教会では、讃美歌の伴奏したり行事のスタッフになったり。その忙しい合間を縫って、週一回、私の家で2時間のイロンゴ・レッスンをお願いしてます。

そんな彼女も不惑を過ぎて、体調にいろいろ問題が出てくる年頃。生理不順で、時々とてもしんどそうにしてましたが、昨年末、勤務先の教育省シライ分室にて、大量の不正出血。救急車で病院に搬送されるほどで、そのまま数日間の入院となってしまいました。クリスマスには、バンビの生徒さんと一緒にクリスマス・キャロルを歌おうという計画もすべてキャンセル。ようやく職場に復帰して、私に家に来てくれたのは、その数週間後でした。

バンビの不運はこれだけではありません。数年来シライ市内で同棲していた彼氏との関係が破綻。聞くところによると、この男性は既婚者でマニラに妻子がいるんだとか。バンビは辛抱強く、彼が結論が出すのを待っていたんですが、優柔不断な態度を続ける彼に嫌気がさして、とうとうお別れになったそうです。

それだけでなく、職場でもいろいろ問題が発生。仕事の内容にはいつも真面目に取り組むんですが、どうも時間や予定のマネージメントが不得手。イロンゴ・レッスンもよく遅刻したり、直前になって別の日に変更になったり。まぁバンビに限らず、フィリピンあるあるとは言え、おそらく体調不良とも重なって遅刻が続いたんでしょうね。上司との関係がかなりこじれちゃったらしい。

なぜそんなことまで分かるかというと、バンビは教育省で働く家内の職場の同僚。家内とは昔からの知り合いで、いろいろ相談もされる仲。つまりその縁で、家庭教師になってもらったわけです。

こういうことが同じ時期にどっと押し寄せてきたので、私も家内も気の毒に思い、バンビのレッスンの後、昼ごはんや夕食を一緒に食べたり。「この後、ご飯食べる?」と聞くと、たいていすごく嬉しそうに「ありがと〜」と返ってきます。こういうところが、8人兄弟姉妹の末っ子らしく可愛げがあるんですよね。上司とは上手くいかなくても、生徒さんには人気があるわけです。

さて、そんな災難続きのバンビ先生。ここ数ヶ月ほどは、週末、子供にギターを教えることになったとかで、ずっとバックアップ要員の姪っ子、エイプリルが私の家庭教師。エイプリルも気立てが良くてインテリ、しかも美人なので、私にとっては悪いことではないものの、やっぱりちょっと寂しい。


昨年(2024年)の誕生日に贈った
バンビの似顔絵イラスト

ところが週末に忙しいのは、ギターを教えることだけが理由じゃなかった。バンビの姉で、我が家のメイド、グレイスおばさんによると、何とバンビに新しい彼氏ができたんですよ。しかも、そのお相手は、ずっとバンビを心配していた牧師さんによる紹介。ということは、同じ教会所属で同じ信仰を持つチャーチメイト。

まだ会ったことはないですが、バンビと同世代の40代で、子供はいるけど未婚のシングル・ファーザー。ただし飲料水店の経営するまじめな自営業者で、大金持ちとまでは行かなくても、収入は安定しているようです。なるほど、どおりで最近になって急に、自宅のフェンスの修理をしたり、エアコンを購入しようなんて話が出てきたわけだ。以前は、すいぶん前に亡くなった父親の借金返済や、前の前の彼氏に買ってあげたバイクのローンやらで、いつも金欠病だったんですよ。

さらにめでたいことに、近々結婚まで考えてるとのこと。裕福な結婚相手を見つけたからといって「人生の大逆転」なんてタイトルをつけたら、まるで金目当てみたいで失礼ですが、今までのバンビの受難を思うと、そうも言いたくなります。何より、エイプリルやグレイスによると、今とても幸せそうなんだとか。

信心深くて、フェイスブックにやたら新約聖書の一節を投稿したりするバンビ。長い試練の時を経て、ようやく神さまの祝福が、我が家庭教師の上に降り注いだようです。日取りは未定ながら、結婚式にはぜひ呼んでもらいですねぇ。




2025年5月25日日曜日

AIで書いた苦情申し立て

 前回からの続きで、向かいの家との騒音紛争に、ようやくケリが着いたお話です。

4ヶ月続いた向かいの家のリノベ工事も、5月の半ばにやっと終わったようで、久しぶりに窓を開けて涼しい風を室内に送り込めるようになりました。...と思ったら、今度は、まるで狙ったように、我が家に一番の至近距離の角で、雄鶏を飼い始める始末。こいつが、朝の4時とか5時に鳴き始めて、私を叩き起こしてくれます。こうなると、もう年齢的に二度寝ができず、昼寝をしようにも、明るいうちは15分から30分間隔で時を告げるので、寝付くことができない。

さらに追い討ちをかけるように、まだ若干の仕上げの残り作業があるらしく、時々数人の大工がやってきて、またもや大音量音楽。ある日の午後、ついにブチキレて直接大工に「止めてくれ」と言ったら(一応英語で「プリーズ」はつけました)「文句があるなら警察を呼べ」と逆ギレ。

ここまでの4ヶ月、苦情を入れるにしても、一般的なフィリピン人の騒音に対する感覚の違いを理解した上で、私なりに紳士的に対応してきたつもりでした。ただ、ここに家を建てたのは、静かな暮らしが売りの宅地だったし、ちゃんとルールもあります。残念ながら、ここまで敵意・悪意を剥き出しにされたら、しかるべき筋に訴え出るしかありません。

ということで誠に遺憾ながら、バランガイ訴訟に踏み切る前の最後の手段で、クラブハウスのマネージャーからのアドバイスに従って、英文書簡による苦情申し立てをすることにしました。ほんと、やりたくなかったんですけどね。

さて、仕方なく書くことになったとは言え、どうせやるなら当てつけのように格調高い英語でビビらせてやろうと、まず日本語でそれなりの文章を自作。それを今流行りのAI(無料)に「丁寧な英語で」と但し書きを入れて翻訳してもらいました。瞬時にそれらしい英文が出てきたので、AIさんお礼を言って、今度はそれを、ほぼ英語ネイティブの息子に校正を依頼。進学先の大学が決まって、この7月1日まで余裕かまして夏休み中だし、もともと英語は得意中の得意なので、AI並みに直しの入った文章が完成。ここまで2時間もかかってません。

ちなみにこの文章を、私のイロンゴ語の家庭教師のエイプリルに見せたら、きれいな英語に驚いてました。

それを3通印刷して署名し封筒に入れて、一通は翌朝家内に頼んで向かいの家の住人へ、もう一通はクラブハウスのマネージャーへ、最後の一通はそのマネージャーに頼んで、マニラに住む宅地のオーナーに宅配便での送付をお願いしました。

結局そこまでしなくても、向かいの住人(オーナーの息子)が、手紙を受け取ったその場で、びっくりして家内に謝罪。前日、私に悪態をついたのは、貧乏大工かと思ったらその住人の従兄弟だったそうです。要するに、工事中の昼間は住人が不在で、事情を知らない従兄弟が一人で作業してたとのこと。当然、宅地のルールなんて知らないだろうし。

さらに、翌日から雄鶏の鳴き声もピタリ。どっかへ売ったのか、シメておかずにしちゃったのか。その鶏を直接飼育していた庭師だか使用人だかのおじさんも、それから姿を見なくなりましたね。夜間は明かりがついているので、住人はいるんでしょうけど、昼間はまるで廃屋のような静けさ。

ということで、結果オーライのめでたしめでたしだったんですが、改めて思ったのは、この国で静かに暮らすって、単に場所にお金をかけるだけでなく、場合によってはそれ相応の努力が必要なのだということ。聞くところによると、この宅地に500軒もある家のオーナーの名義って、ほとんどがOFW(フィリピン海外労働者)なんだそうです。

つまり、昔ながらの富裕層や外国人が住むようなビレッジと違い、成金の小金持ちが住民の大部分。まぁ私も似たようなものなので、偉そうには言えませんが、何代も高級住宅地に住み、マナーやルールを身につけた住民は、まずいないってこと。

もうひとつ後日談めいた話をすると、最近、私が始めたオンライン日本語教師。現在3人の生徒さんがいるんですが、どの家も、背後で犬が吠えたり鶏が鳴いたり。果ては隣家の子供の泣き声で、時々生徒さんが何を言ってるか聴き取りにくかったり。

やっぱりフィリピンの一般庶民の感覚では、音楽がうるさいと苦情を言う日本人の方が、常識外れで厄介な存在なんでしょうかね?(溜息)



隣家との騒音紛争の結末

 今年の1月中旬から続いていた、向かいの家との騒音紛争(?)が、先日ようやく収束しましたので報告します。

まぁ他人さんからすれば、まったくどうでもいい話だし、こんなことでストレスを溜めるのも馬鹿馬鹿しいんですが、当事者の私にとっては、一時的とは言え不眠による体調不良にまで追い詰められたので、かなり深刻なお話。

もう一度背景をおさらいしますと、私の住んでいるのは、フィリピンでも比較的高級住宅地の部類に入るセント・フランシスという名前の、ビレッジとかサブディビジョンと呼ばれる場所。500世帯もの人々が暮らすと言いますから、人口は数千人にもなるちょっとした街。そして、ひとつの区画は150平米(約45坪)もあって、家によっては2〜4区画を買って家を建てています。我が家も4つ分の土地なので、600平米。普通に日本の宅地だとすれば「豪邸」レベルでしょう。

つまり、一軒一軒の間隔が広くて、人口が多くても敷地全体が広大なので、普通に住めば隣家の騒音など気にならないはず。サブディビジョンのローカル・ルールでも、屋外でのカラオケなどの大音量音楽や、雄鶏の飼育は禁止されています。日本に比べれば格安の地価ながら、ネグロスの物価からするとやっぱり高嶺の花なので、連日連夜庭でカラオケするような、どっちかと言うと貧乏人っぽい人はいません。

ところが厄介なのは、今回のお向かいさんのような、工事で大工が入ってくる場合。すごく差別的な書き方になってしまいますが、フィリピンの大工さんって基本的に貧乏人ばかりなんですよ。というのは、総じて肉体労働の価値は低く見られるフィリピン社会。日本のような、腕の良い職人さんは尊重されるような文化があまりない。そもそも給料が安すぎる。ぶっちゃけ高校も出たかどうかみたいな、教育がなくて、騒音に対する感覚がまったく異次元の人が多い。

なので、わざわざバイクに大きなスピーカーを積んで来て、作業中に頭が割れそうなボリュームで音楽をかけるのが、彼らにすれば当たり前。もちろん私だって、パソコンで作業する時などBGMを流したりしますが、室内かヘッドフォンで聴くか、それなりの周囲への配慮はします。一般的な日本人が相手なら、言うまでもない話。

こんな感じで、狭い道一本挟んだだけの10メートルも離れない場所で、朝から夕方までディスコミュージックみたいなのを聴かされたら、そりゃ病気になっちゃいますよ。ただでさえグラインダーやドリルの騒音がすごいのに。

なのでその都度、宅地の警備員やメイドさんに頼んで、音楽を止めてもらうようにお願いし続けてたわけです。もっとも当座は静かになっても、翌日とか数日後には、忘れちゃうのかワザとなのか、また同じことの繰り返しですが。途中からは、宅地の管理事務所に相当する、通称「クラブ・ハウス」のマネージャーの協力も仰ぎ、事態は鎮静の兆しを見せてきたのが、前回までの投稿の経緯でした。

ということで前振りだけで、結構な量になっちゃったので、この話は次回に続きます。



2025年5月21日水曜日

日本語の先生を始めました

なんと、62歳のジィさんになって、先生の仕事を始めてしまいました。

実は以前、ボランティアで地元の大学生にちょっとだけ日本語を教えたり、隣街の大学で日本での就職について1時間だけ講義をしたり、という経験があるので、まったくの初めてではないものの、レギュラーで毎日は人生初。ただ、元々日本ではデザイナーをやってた関係上、プレゼンテーションは必須業務でした。人前で何かしらの説明をして、ご理解をいただくことに関しては、一応プロ。加えて関西生まれの「人を笑わしてナンボ」のサービス精神も旺盛なので、教師に不向きなわけでもありません。

さて、どうして日本の企業を早期退職して、10年以上も経ってから再就職に至ったのか? これは、昨年の11月にちょっと書いた(62歳の再就職)通り、日本に長く住み、日本人の旦那さんとの間に4人の子供もいる、10年来の友人ダイアナさんからのオファー。生まれがネグロス島のバコロドのダイアナ女史。日本での幅広い業務経歴を通じて、多くの会社経営者との人脈があり、昨今の日本の労働力不足から、フィリピン人就労の斡旋を依頼されたのが事の発端です。つまり、日本で働きたい人に、基礎の日本語を教えるのを手伝ってほしいという内容。

11月の投稿では、もう最初のクライアントさんが決まっていたはずが、その後、二転三転。何社さんかとは話がまとまったものの、すぐに人を集めて日本語クラス開始...とはならないのがフィリピンの難しさなんですよ。

フィリピンと多少でも縁のある方ならよくご存知の通り、フィリピン経済はOFW(Overseas Filipino Workers 海外フィリピン人労働者)に大きく依存じています。特に中近東へのOFWが多く、我が家のメイドさんも2代続けて元中近東OFW経験者。当然のようにトラブルもあって、賃金未払いや過重労働などが後を絶たない。ひどい場合には、OFWが虐待で殺されたり、性的暴行を受けたりの報道も、時々見聞きします。

さすがにこれはヤバいということで、最近はフィリピン政府の対応も厳格になりました。外国への就労斡旋には、非常に厳しい資格審査があり、許可が出るまで何ヶ月もかかる。当然、就労先の企業との契約内容もチェックされるので、雑なことやってると、普通にフィリピン国内の事務所が閉鎖されたり。つい最近もマニラやダバオで、日本への就職を前提とした日本人経営の語学学校が、この処分を喰らったところ。

なので、ダイアナの方針としては、フィリピン国内での応募者への日本語教育は基本的にタダ。費用は、私のような教師への報酬も含めて、全額クライアントの日本企業に請求するスタイルです。これなら安全な反面、許可が下りるまでずいぶん待たされるのが痛し痒し。昨年末にオファーがあって、授業開始まで半年近くかかったのは、こういう理由からです。

先週の金曜日(2025年5月13日)、ようやく始まったレッスンも、ダイアナがバコロド市内に建てた、生徒さんの宿泊施設まで兼ねた学校ではなく、まずはオンライン授業。しかも生徒さんはたった一人。というのはこの方、先行的に管理職に就こうという28歳の女性なんですが、マニラ在住でオフィス勤務中。寮に入って毎日、日本語一筋、とはいかない事情があります。なのでダイアナの配慮で、いきなり初対面の教師と1対1もやりにくかろうと、臨時でダイアナの妹と姪っ子が生徒として参加。二人ともいずれは日本で働きたいと思っているらしいので、一石二鳥の作戦です。

報酬は最初の提示の1/4で、毎晩7時頃から2時間半の週5日。週末だけ昼間に4時間というスケジュール。まぁ、ほぼ教師歴ゼロの私の実地研修で、最初はダイアナ先生のアシスタントみたいな感じ。土曜日の4時間をいきなり「私は東京出張なのでよろしく」と丸投げされた時は焦りましたが、やってみれば何とかなりました。まだまだ疲れますけど。

ということで、ついに始まってしまった私の再就職。一般的に初心者がN4(初級)レベルになるまで、300時間が必要とのことで、今のペースだと今年の10月まで、ざっと半年ぐらいはかかりそう。少なくともその間は、仕事にあぶれることはありません。とりあえずは、できる範囲で全力投球という感じです。



2025年5月19日月曜日

選挙が終わって1週間

 早いもので、三年毎に行われるフィリピンの総選挙が終わって1週間。実はその間、私は日本語教師の仕事が始まって、何かとバタバタしておりました。それ以外にも、いろんな出来事が重なって大忙し。そっちはそっちで傍目には面白いネタなので、次回・次々回に投稿するとして、今回は選挙結果のお話。

さて前回、殺人事件にまでなってしまった、ここネグロス島シライの市長選。地主階級の金持ちで前職のゴレツ氏と、貧困層に生まれ、砂糖工場の警備員から身を起こし、市会議員を経て当選した叩き上げの現職ガレゴ氏。この二人の一騎打ちとなりました。対立の構図が実に鮮明で、それぞれの支援者も行動が過激になった結果なんでしょうね。投票当日の朝、ゴレツ氏の選挙事務所前で、買票行為を監視していたガレゴ氏側のスタッフ数名が銃撃を受け、2名が死亡。犯人として逮捕されたのが、ゴレツ陣営に与していた、市内のバランガイ・キャプテン(町内会長)でした。

このような、一触即発の状況下での投票なので、下手に僅差だったりしたら、さらに流血の惨事が拡大しないかと、たいへん不安でした。私自身には投票権はなくても、家内と息子が、事件現場近くの投票所へ投票に行きますからね。小学校の先生で義妹のジーナも、とても怖かったとのこと。

ちなみに、シライ市の場合、投票所は市内各所の小学校が利用されます。投票所には、両陣営から、不正を監視するスタッフが配置され、我が家のメイドのグレイスおばさんと、私の家庭教師でグレイスの妹バンビが、ボランティアで参加。この二人名字がゴレツ。つまり候補者の親戚なんですよ。

当日は月曜ですが、ほとんどの会社やオフィスはお休み。早朝はシニア専用で、その後一般有権者を受付。昼食後に投票した家内によると、多くの人々が午前中に済ませてしまって、家内と息子が行った頃には、もうガラガラだったそうです。いずれにしても、混乱がなくて良かった。

投票用紙は、日本と違って候補者名を書くのではなく、印刷された候補者の横の丸印を塗りつぶすマークシート方式。間違いがないように、ちゃんと説明員も傍に待機。そして最近では、専用の読み取り機が各投票所に設置されているので、日本並みとまでいかなくても、ひと昔まえに比べれば、結果判明までの時間は画期的に早まってます。

ところで、数日前から投票所で準備していたバンビによると、この100万ペソもする読み取り機が、毎年新品になっていて「税金の無駄遣いだ」と憤慨してました。フィリピンのことなので、毎回多額の賄賂が、動いているんでしょうね。

ということで当日の深夜には、公式結果が発表されて、前評判通り、ガレゴ氏が大差で当選となりました。圧勝と言うほどではないですが、4万6千対3万だったので、さすがに負けたゴレツ陣営も、騒ぎ出すことはなかった模様。フィリピンでは大統領選と同じく、副市長への投票もありますが、こちらもガレゴ側の勝利。

こうして2連敗となったゴレツ氏。すっかり気落ちしたらしく、アメリカで看護師として働く奥さんを頼って、渡米するんだそうです。それにしても元市長でも、奥さんが出稼ぎするんですね。

一方、フィリピン全土の注目が集まる、ドゥテルテ一族。現大統領ボンボン・マルコスと深刻な対立中で、上院の過半数を抑えなければ、弾劾の憂き目を見る副大統領サラ・ドゥテルテ。投票結果はボンボンが優勢となりましたが、旗色を明確にしていないボンボン側の議員がいて、結局まだ、どうなるかは分からない。

それより驚いたのが、現在オランダ・ハーグの国際刑事裁判所に身柄を拘束されている、サラの父ドゥテルテ前大統領が、なんとダバオ市長に当選。有罪の確定前ならば立候補できるし、副市長に次男のセバスチャン・ドゥテルテが選ばれたので、市長不在でも代理として職務を行えるとのこと。こっちは、新たな争いの火種が撒かれたような状況になっています。

さて、めでたく二度目の当選が決まったシライ市のガレゴさん。副市長も市会議員も全部総取りになって嬉しくてしょうがない。毎晩花火は上がるは、大音量の音楽が響き渡るはの、祝勝会が続いてます。選挙運動は夜10時までの制限があったのに、祝勝会は無制限デスマッチ。うるさいこと、この上なし。おかげで、このところ寝不足なんですよね。



2025年5月12日月曜日

選挙で殺人

 長い長い選挙戦が一昨日で終わり、昨日の日曜日は、大音量の音楽を流す選挙カーから、ようやく解放されました。相変わらず、向かいの家が工事を継続中なので、まったく静かになってないんですけど、まぁ、多少はマシになったと言うことで。

その空白の24時間を経て、本日5月12日(2025年)は、3年に一度のフィリピン総選挙の投票日。今回は中間選挙なので大統領選はなく、中央や地方の各議会議員や首長の改選が行われます。

現在中央は、波乱の政局真っ最中。ボンボン・マルコス大統領と大喧嘩中の副大統領サラ・ドゥテルテ。その政治生命が、上院の議席をどっちの陣営が過半数取るかで左右される一大決戦。もしサラ側が負ければ、上院によって決定される弾劾によって、副大統領職を追われるだけでなく、3年後の大統領選にも立候補できなくなります。

サラの方が、金に清潔イメージがあって、犯罪や麻薬に対して毅然とした対応ができそうなので、一般のフィリピン国民の支持率が高い。やっぱり、フィリピの憲政史上最大と呼べる大改革を成し遂げた、父ロドリゴ・ドゥテルテの再来を待ち望む人が多いんでしょうね。(その副作用も甚大でしたが)

とは言うものの、ここフィリピンでは一介の居候外国人に過ぎない私。選挙権はないし、今後帰化しようとも思わないので、国全体の政治の行方には関心はあっても、それほど真剣に考えてるわけではありません。

ところが市政となると、地方在住者への影響が大きい。市長の個性で良くも悪くもいろいろ変わるんですよ。良い方向だと、近所の土剥き出しだった道路が舗装されたり、州都バコロドの学校へ通う、シライ市民向けの無料送迎バスのサービスが新設されたり。日本でも最近は、兵庫県明石市の泉房穂前市長や、福岡市の高島宗一郎市長のように、はっきり分かる改革をする人が出てきましたのは、良い兆し。ちなみ、例として上げた件は、現シライ市長のガレゴさんの功績。

そのガレゴ市長と、対立候補のゴレツ前市長の一騎打ちで迎えた市長選の朝、なんと選挙絡みの殺人事件が起こってしまいました。

このガレゴ市長、フィリピンでは非常に珍しい貧困層出身の政治家で、前回の選挙では、買票に頼らず僅差でゴレツ氏を破って初当選。当初は有力支持者(要するに地主などの富裕層)の顔色伺いの朝令暮改連発で、市政の行く末が案じられましたが、最近はかなり安定してきて、貧困層向けの政策が支持されているようです。

ところが、同じ西ネグロス州のバコロド市長やその他の有力市長が結託した「金持ち市長連合」みたいな連中とは、はっきりと距離を置いたため、銀行からの融資停止という、明らかな嫌がらせを受けて、新市庁舎建設工事がストップしたり。

さすがにシライの有権者も馬鹿じゃないらしく、どっちが市民の方を向いて政治してるかは、理解している。選挙活動も清潔路線のガレゴ市長が優勢に展開。焦ったゴレツ陣営か、あるいは背後にいると噂される影のキングメーカーからの指示なのか、まだ分かりませんが、投票日当日の今朝早く、ガレゴ市長のボランティア選挙運動員2名が射殺されました。

速報でフェイスブックに投稿された、地元マスコミの記事によると、買票阻止のために、ゴレツ氏の選挙事務所前で監視活動をしていた、ガレゴ側のスタッフ数人が、乗りつけたバンからの発砲で死傷。なんと、まだ救急車も来ていないタイミングで、大量に出血して路上に倒れている被害者を写した動画まで公開されてました。


警察によって封鎖された事件現場 出典:Bombo Radyo Bacolod

すでに明るくなってからで、目撃者も多かったらしく、数時間で犯人は逮捕。驚くべきことに、同じシライ市内のバランガイ・キャプテン(町内会長)の犯行だったそうです。

それにしても、仮にゴレツ側が仕掛けたとしても、なぜこんな、どう考えても得票を有利にできるとは思えないやり方をしたんでしょう。しかもすぐに足がついちゃう杜撰この上ない始末。すごく穿った見方をして、ガレゴ市長の自作自演と考えてみても、選挙戦で有利だったガレゴさんには、まったくメリットがありません。

ところで、私にとってこの事件が生々しいのが、現場の選挙事務所が、家内の実家のすぐ近く。私も何度も前を通ったことがある、よく知っている道路。何なら、自宅から歩いて行ける距離。さらに我が家のメイドさんや、その妹の私の家庭教師が、ゴレツ側の監視員として、投票所に詰めています。もちろん午後からは、家内と息子も投票へ行きました。

ということで、ドゥテルテ前大統領の治世では、マニラ首都圏を始め治安が良化したと言われるフィリピン。ところが現大統領になってからは、主に日本人を狙った悪質な拳銃強盗が多発したりしてるし、地方でも、今回の事件は、まるで1960〜70年代のマルコス時代に戻ったような犯罪。毎回、選挙翌日は、その結果をめぐって騒動になるのが常ですが、今回は、それを上回る大騒ぎが起こるかもしれません。