出典:PGurus |
何度もこのブログに書いて、一部の読者の方には鬱陶しがられるぐらいですが、私はカトリック信徒でございます。それも30歳をいくつか過ぎてフィリピンと縁ができてから、今私が住むネグロスの教会で洗礼を受けたという変わり種。そんな俄か信徒のせいか、カトリックの総本山であるバチカンの体制や、日本の高齢化が著しい教団に対しては、少々斜に構えて見る癖が抜けない。そんな私でも、全世界のカトリック14億6千万人のリーダーたる、教皇死去のニュースには、粛然とせざるを得ません。
もうご高齢だし、何度も入退院を繰り返しておられたのも周知の事実なので、正直なところ「来るべき時が来てしまった」感はあります。しかし教皇フランシスコは、清貧を貫いたアッシジの聖フランシスコの名を継いだ方であるだけに、私のような末端の不良信徒ですら親しみを覚えるほど。まさに信徒うちでの愛称である「パパさま」に相応しい、飾らないお人柄でした。私だけでなく、おそらく世界中の信徒から愛惜の念が寄せられていることでしょう。
当然、人口の八割がカトリックのフィリピンでは、死去の知らせと同時に、各種の報道だけでなく、フェイスブックでも個人からの哀悼の投稿が溢れました。
ところで、キリスト教にあまり馴染みのない方には、意外に思われるかも知れませんが、少なくとも私の知る限り現代のバチカンは、過去を反省し自己変革をしようとする姿勢があります。その動きは決してスピーディとは言えないし、顕著になったのは1960年代前半の第2バチカン公会議や、1978年即位のヨハネ・パウロ2世以降ですが、亡くなったフランシスコ教皇は、その流れを汲む方だったと思います。
古くは地動説を唱えたガリレオへの迫害について、あるいは第二次大戦中、ナチスの残虐行為の黙認などには、公式に過ちを認めて謝罪しています。まぁ何十年、何百年も経ってからの謝罪に意味があるのか、という批判はもちろんありますけど。
最近の事例で言うと、世界各地で発覚したカトリック聖職者による信徒(特に未成年者)への性的虐待や、同性カップルへの対応などが、ずいぶんと物議を醸しました。残念ながら、こうした問題は解決には程遠い時点で、教皇は天に召されてしまいました。おそらくパパさまは、苦悩されたんじゃないでしょうか。公式のご発言内容が揺れ動いたのは、その裏返しなのかも知れません。
対照的にカトリックに比べて、日本では明るくて開明的なイメージのあるプロテスタント。フィリピンではマイノリティながら、確固たる地位を占め教会の数も多い。私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の歴代6人の家庭教師のうち、今お世話になっている2人を含め、なんと4人がプロテスタント。どの人も決して石頭ではないんですが、こと性的少数者や進化論、ビッグバンのような宇宙論になると、途端に話が噛み合わなくなります。
つまりカトリックが、このようなイシューに柔軟な姿勢を取っているのに対し、聖書の記述を文字通りに信じる、いわゆるファンダメンタリストの立場。もちろん一口にプロテスタントと言っても、宗派・会派によってすごく幅があるので、たまたま私が知り合った人たちがそうだったんでしょうけど。おそらくフィリピンのプロテスタント信者の方々は、カトリックに失望して改宗、というケースが多いので、教義や信仰がより先鋭化する傾向があると思います。
ちなみにフランシスコ教皇が、先代のベネディクト16世の生前退位を受けて即位されたのが、2013年の3月。私たちがフィリピンに移住したは、その数週間後の4月初旬だったので、偶然ながら、私たちのフィリピン暮らしは、パパさまと共にあったことになります。つまりちょうど12年の在位期間。即位当時、すでに76歳になっておられました。さらにただの偶然ながら、今ネグロスの自宅で同居中の、私の両親と同い年なんですよね。あの年齢で死の間際まで、現代のローマ教皇という激務にあったというのは、ものすごい精神力と言う他はありません。
ということで俗世の関心事は、次の教皇はどなたに?となってしまうんですが、有力候補と目される4人の中に、ルイス・アントニオ・タグレというフィリピン出身の枢機卿がいます。年齢は、私より5歳上の67歳。実は、前回のコンクラーヴェ(教皇選挙)でも有力視されていたとのこと。私個人の希望としては、ぜひアジア出身者初の教皇になっていただきたいと思っています。