2025年4月22日火曜日

教皇フランシスコ死去


出典:PGurus

 何度もこのブログに書いて、一部の読者の方には鬱陶しがられるぐらいですが、私はカトリック信徒でございます。それも30歳をいくつか過ぎてフィリピンと縁ができてから、今私が住むネグロスの教会で洗礼を受けたという変わり種。そんな俄か信徒のせいか、カトリックの総本山であるバチカンの体制や、日本の高齢化が著しい教団に対しては、少々斜に構えて見る癖が抜けない。そんな私でも、全世界のカトリック14億6千万人のリーダーたる、教皇死去のニュースには、粛然とせざるを得ません。

もうご高齢だし、何度も入退院を繰り返しておられたのも周知の事実なので、正直なところ「来るべき時が来てしまった」感はあります。しかし教皇フランシスコは、清貧を貫いたアッシジの聖フランシスコの名を継いだ方であるだけに、私のような末端の不良信徒ですら親しみを覚えるほど。まさに信徒うちでの愛称である「パパさま」に相応しい、飾らないお人柄でした。私だけでなく、おそらく世界中の信徒から愛惜の念が寄せられていることでしょう。

当然、人口の八割がカトリックのフィリピンでは、死去の知らせと同時に、各種の報道だけでなく、フェイスブックでも個人からの哀悼の投稿が溢れました。

ところで、キリスト教にあまり馴染みのない方には、意外に思われるかも知れませんが、少なくとも私の知る限り現代のバチカンは、過去を反省し自己変革をしようとする姿勢があります。その動きは決してスピーディとは言えないし、顕著になったのは1960年代前半の第2バチカン公会議や、1978年即位のヨハネ・パウロ2世以降ですが、亡くなったフランシスコ教皇は、その流れを汲む方だったと思います。

古くは地動説を唱えたガリレオへの迫害について、あるいは第二次大戦中、ナチスの残虐行為の黙認などには、公式に過ちを認めて謝罪しています。まぁ何十年、何百年も経ってからの謝罪に意味があるのか、という批判はもちろんありますけど。

最近の事例で言うと、世界各地で発覚したカトリック聖職者による信徒(特に未成年者)への性的虐待や、同性カップルへの対応などが、ずいぶんと物議を醸しました。残念ながら、こうした問題は解決には程遠い時点で、教皇は天に召されてしまいました。おそらくパパさまは、苦悩されたんじゃないでしょうか。公式のご発言内容が揺れ動いたのは、その裏返しなのかも知れません。

対照的にカトリックに比べて、日本では明るくて開明的なイメージのあるプロテスタント。フィリピンではマイノリティながら、確固たる地位を占め教会の数も多い。私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の歴代6人の家庭教師のうち、今お世話になっている2人を含め、なんと4人がプロテスタント。どの人も決して石頭ではないんですが、こと性的少数者や進化論、ビッグバンのような宇宙論になると、途端に話が噛み合わなくなります。

つまりカトリックが、このようなイシューに柔軟な姿勢を取っているのに対し、聖書の記述を文字通りに信じる、いわゆるファンダメンタリストの立場。もちろん一口にプロテスタントと言っても、宗派・会派によってすごく幅があるので、たまたま私が知り合った人たちがそうだったんでしょうけど。おそらくフィリピンのプロテスタント信者の方々は、カトリックに失望して改宗、というケースが多いので、教義や信仰がより先鋭化する傾向があると思います。

ちなみにフランシスコ教皇が、先代のベネディクト16世の生前退位を受けて即位されたのが、2013年の3月。私たちがフィリピンに移住したは、その数週間後の4月初旬だったので、偶然ながら、私たちのフィリピン暮らしは、パパさまと共にあったことになります。つまりちょうど12年の在位期間。即位当時、すでに76歳になっておられました。さらにただの偶然ながら、今ネグロスの自宅で同居中の、私の両親と同い年なんですよね。あの年齢で死の間際まで、現代のローマ教皇という激務にあったというのは、ものすごい精神力と言う他はありません。

ということで俗世の関心事は、次の教皇はどなたに?となってしまうんですが、有力候補と目される4人の中に、ルイス・アントニオ・タグレというフィリピン出身の枢機卿がいます。年齢は、私より5歳上の67歳。実は、前回のコンクラーヴェ(教皇選挙)でも有力視されていたとのこと。私個人の希望としては、ぜひアジア出身者初の教皇になっていただきたいと思っています。


2025年4月21日月曜日

新しい自転車がいきなりトラブル

 またまたぼぉ〜っとしてる間に、今年の聖週間とイースターが終わってしまい、4月も残り10日。日本では、来週がゴールデンウィークという時期になってしまいました。

多少なりとも、フィリピンに関わりを持つ方ならご存知の通り、今(4月〜5月)フィリピンは真夏。一般的には乾季と呼ばれるように、雨が極端に少なくなって、連日強い日差しが照り付けます。ただエル・ニーニョの影響で、記録的な暑さになった昨年に比べると、暑いとは言え例年並み。

なぜかフィリピンの報道では、体感温度(Heat Index)を使うので、40度越えだと騒いでますが、ネグロスでのお天気アプリの気温は、せいぜい33〜4度。ここ最近の大阪や東京の異常な蒸し暑さを知っている身としては、まだ、それほどの暑さとは思えません。

さらに、コロナ禍のせいで約2カ月遅れていた新学期が、今年はようやく2週間程度もズレまで回復し、暑さのための授業のオンライン化や臨時休校連発が解消。高校生の子供を持つ親としては、やれやれという感じです。

さて、この3月以降、滞っていたブログですが、何も書くことがなかったわけではなく、結構いろんな事件(?)がありまして、何とか4月中には報告しようと考えてます。取り敢えずはその第一弾として、新しい自転車を購入したお話。

「新しい」ということは古いのがあったわけで、こちらは、かれこれ20年近くも前、まだ日本に住んでいた頃に買った代物。昔の職場の近く、大阪・門真市にあるイオンで入手したマウンテンバイク。当時は同じく大阪・茨木市内の賃貸マンション住まい。自転車置き場はあったものの、盗難やいたずらのリスクがあったので、折りたたみ式を選び、狭い玄関に置いてました。

まだ40代だった私は、これに乗って毎週末、豊中や吹田のテニスコートまで、片道10キロぐらい走ってました。車や電車だと気づかないでしょうけど、この北摂周辺って、かなりのアップダウンがあるんですよね。それこそ真夏にはちょっとした苦行でした。ちなみにこの時期は車を手放していて、電車で行くと、どこも駅から遠かったりします。

2万円程度の中国製ですが、この調子で使っていて愛着も湧いたので、フィリピンへの引越しでは日本から移送。こっちでも10年以上乗ってました。

以前にも何回か投稿した通り、意外にもサイクル野郎が多いネグロス島。10万円近くするようなロードバイクも売ってるし、ヘルメットやウェアなど、かなり専門的なアクセサリーも充実。特に最近では、こんな田舎の地方都市シライでも、日本製のシマノの部品を置いているような、「パラダイム・バイク」という自転車の店がオープン。

こういう環境が整うのを待っていたかのように、長年乗り続けていた愛車が、遂に寿命を迎えました。というのは、車輪が歪んでしまい、走っているとホイールの一部がブレーキパッドに触れて異音が生じます。乗って乗れないこともないんですが、遠の昔に減価償却はしてるだろうし、あちこちサビも目立ったので、思い切って新車購入となった次第。

例のパラダイムバイクでは、お高いロードバイクも並んでましたが、今からレースに出ようなんて気もないし、週に数回、運動不足解消に午前中4〜5キロ軽く流すだけなので、またもや中国製の、そこそこの値段のマウンテンバイクにしました。今回は折りたたみではないので、旧車に比べるとずいぶん軽い。それでも追加部品込みで1万ペソ(約2万5千円)にはなりましたが。


ということで、機嫌良く1カ月ぐらい朝のサイクリングを楽しいでいたところ、数日前、なんと走行中にペダルが脱落。車がほとんど走らない宅地の中だったし、それほどスピードも出てなかったので、転倒などはしなかったものの、かなりびっくりしました。幸い、自宅からそれほど遠くない場所で、片足漕ぎで無事に帰宅。帰ってよく見ると、スパナで固定おくべき所が、ずいぶんと緩んでいた模様。もう片方も危なかったので、両側とも親の仇のように、手持ちの工具で締め上げておきました。

ついでにパラダイムバイクに、フェイスブック・メッセンジャーで苦情を入れたら「メーカーの責任で、私らは悪くないよ〜。でもペダルは買い替えた方がいいよ〜。」みたいな返信。まぁ、この自転車屋に限らず、家電量販でもデパートでも、製品の初期不良に店員が謝るという習慣がないフィリピン。(というか、日本の「バカ」がつくほどの丁寧さが、世界的には珍しい)軽くムカつきましたが、しょうがないですね。


2025年4月14日月曜日

帰って来た高齢両親

 何となくバタバタしてたら、もう1ヶ月以上も、このブログを放置しておりました。読者の方々、申し訳ありません。その間、私の周囲でいろいろあっただけでなく、世界中でいろんなニュースが駆け巡りましたねぇ。

まず、気が狂ったような、矢継ぎ早やのトランプ米大統領の政策発表。著名人の中には、新しい時代の流れだとか、深謀遠慮だと深読みする向きもありますが、私には、行き当たりばったりの思い付きとしか思えません。またウクライナやガザでは、停戦の動きが垣間見えたと思ったけど、結局戦火は止まず。フィリピンの近隣諸国のミャンマーやタイでは、大地震で甚大な被害。そして、ここフィリピンでは、ドゥテルテ前大統領が、マルコス現大統領によって国際刑事裁判所に引き渡されるという、前代未聞の大事件が進行中。まさに怒涛の年度末でした。

そんな騒々しさに比べれば、以下、実に平和な話題について。

昨年(2024年)、約半年間のフィリピン・ネグロス島、つまり私の自宅に滞在していた高齢の両親。実家の片付けや検診・各種の治療などのために12月初めに一旦帰国していました。片付けと言っても、二人とも来年90歳の後期高齢者。ほぼ「終活」のようなもの。さらに、年齢的に身体のあちこちがガタガタなので、次回のフィリピン滞在に向けて、日常服用する大量の薬も仕入れました。ついでに父が歯の治療を始めてしまい、これが長引いて、再渡航が当初の予定より1ヶ月ぐらい遅れ、3月の前半となった次第。

どうせなら、フィリピンの真夏である4〜5月を外して、6月にすれば良かったんですが、諸般の事情で一番暑い時期になりました。とは言っても大阪の真夏に比べれば、はるかに凌ぎやすいですけど。

さて、我が家の離れ、2LDKの通称「ゲストハウス」に、再度、両親を迎えるわけですが、前回の反省を踏まえて少し工夫をしました。まず、母の寝室を移動。母屋のリビング・ダイニングに面した八畳ぐらいの部屋に、ベッドとテレビを置いてたのを、その反対側、母屋から一番遠い部屋に替えました。というのは耳が遠くて、ものすごい音量でテレビをつけっぱなしにする。うるさいので、窓を閉めてエアコン使ってと何度頼んでも、翌日には頭のネジが巻き戻ってしまって、同じことを繰り返すので、仕方なくこの処置。


もう一つは、窓全開放でのエアコン使用。こちらは根本的な解決は難しく、考えた末に「アホに指示するんか?」みたいなデカい文字でエアコン本体に張り紙をしました。この件では、前回「金なら払う」と逆ギレした父と口論になってしまったので、効果の有無はともかく、何もしないわけにもいかず。

とまぁ、実はちょっと気が重かったりしたんですが、一応、両方とも効き目があり、連日の真夏日ということもあって、テレビ視聴時は奥の部屋で窓や扉を閉めて、エアコンを使うという習慣が、定着しました。

実はもう一件、気になっていたのが、父の食事時(正確には食事直後)の悪い癖。入れ歯を使うようになって、歯の間に挟まった食べ物を舌で取るため、盛大に音を立てる。ネットで時々見かける、食べる時にクチャクチャの「クチャラー」ではないけれど、あまり気持ちの良い音ではありません。しかも、食後、これを延々とやるので、お客さんがいたり、外食する時には、恥ずかしくて仕方がない。

最初は、もう年寄りのことだし、しゃあないかと思ってましたが、どうやら本人は周囲に不快感を与えてる自覚がない。とうとう先日、指摘したところ、若い頃はダンディを気取っていた父(平たく言うと「エエ格好しい」)なので、「恥ずかしい」の一言が効いた模様。それ以来ピタリと、この悪癖が治りました。

こうやって文章にすると、我ながら口うるさい小姑みたいですね。ただ、別棟ながら同居する家族。毎日のことにストレスを溜めると、いずれ思わぬタイミングで感情が爆発しかねないので、嫌なことは嫌だとはっきり言うのはとても大切。まだ10年ぐらいは死にそうにないし。

ちなみに私は現在62歳で、どこから見ても立派な「老老介護」。ただ、フィリピンでの介護移住の利点として、まず十分な広さの家があって、掃除や洗濯をしてくれるメイドさんが雇えて、しかも高齢者との同居を苦にしないフィリピン人の家内。私がやっているのは、日々の食事作りだけなので、これで文句を言ったらバチが当たりそうです。

ということで、この介護生活。今回は8ヶ月強で、また年末までの滞在となります。