2025年9月17日水曜日

言語ドッキリ

 ここ最近、ユーチューブでよく見るのがKazu Languagesというチャンネル。これは、10カ国以上の言語をネイティブ並みに喋る日本人、カズマさんという20代の若者が主催。OmeTV(オメTV)なる、初対面同士がビデオ通話を楽しむアプリで、いろんな国の人たちの母語を喋って「言語ドッキリ」を仕掛ける趣向。

このカズマさんが、なかなか今風のイケメンで、主に若い女性たち(10代から20代)を驚かせるのが面白くて、ほとんど同じパターンの繰り返しながら、飽きずに何時間も見てしまいます。

10カ国以上と書きましたが、日々新しい言語に挑戦されているそうで、13とか16とか徐々に増えてくる。別チャンネルのインタビューでは、びっくりネタに使える程度の、挨拶プラスαまで含めたら、何十カ国にも及ぶとのことで、これはとんでもない才能の人が現れたものだと感心しております。ちなみに、三つ以上の言語を操る人のことを、ポリグロット(polyglot)と呼ぶそうです。

何がすごいって、勉強始めて数ヶ月とか半年で、ネイティブに褒められるほど(リップサービスがあるとは言え)の発音の確かさと、いきなりスラングで振られても、ちゃんと聞き取って気の利いた返しができてるところ。それも英仏独などのヨーロッパ系のメジャーな言語だけでなく、中国語(マンダリン)、韓国語、インドネシア語、アラビア語などのアジア系、さらには、アフリカの少数言語など、そんな言葉があったのかというレベルの言語までカバー。ちなみにフィリピンの公用語であるタガログ語も、かなりできるらしい。

立場を逆にすれば、中央アジアかどこかの、かろうじて国名を知ってるぐらいの国で、日本に来たこともない若者が、突如、流暢な関西弁を喋り出したようなもの。何しろ標準ドイツ語に加えてスイスのドイツ語やら、エジプトのアラビア語とか、方言まで熟知してます。

ここから急に話のレベルが落ちてしまって恐縮ですが、一応私も三つの言葉を喋るので、ポリグロットと言えなくもない。母語の日本語に加えて、英語と、今住んでるフィリピン・ネグロス島の方言イロンゴ語(別名ヒリガイノン語)。日本語以外は、ちょっと怪しいながら、日常会話には困らない程度には喋れます。

なので、初対面のネグロスの人に、英語からいきなりイロンゴ語にスイッチして驚かせたり笑わせたりする「言語ドッキリ」の醍醐味は経験済み。特に箸がコケても面白い年代の若い女性が相手だと、転げ回るほど笑われたりします。まぁ私の発音が面白いってのも、多分にあるんでしょうけど。

それにしても一般的な日本人の外国語音痴ぶりって、私が子供の頃から言われてました。原因は間違いなく受験英語として言葉を教えるスタイルの旧態依然ぶり。このブログでも何度書いた通り、小学校1年から、ネイティブの教師に会話中心で教えてもらったら、あっという間に新時代到来なんですけどねぇ。

ところがカズマさんの動画を見ていて思うのは、動画系のSNSやアプリの登場で、言語学習の分野で革命が起こっているということ。ただの独学ではなく、初心者でも対象言語のネイティブ話者と、実地で会話練習ができちゃうんですから。カズマさんは桁外れの天才だとしても、彼のやり方は凡人が真似しても得るところが多い。

現代のネット社会では、別に10言語を目指さなくても、そこそこ社交的で変な羞恥心を捨てられる人なら、一つや二つの外国語は、それほど無理しなくても習得できる環境が整っている。さらにすごいのがAIの進化・普及に伴ったネット上の自動翻訳。英語のような超メジャー言語だけでなく、最近はイロンゴ語の充実ぶりが凄まじい。早速、私のイロンゴ学習で活用しまくりで、イロンゴの家庭教師が驚くほどのレベルに達しています。

もう5年ぐらい前から、毎週イロンゴで日記というか週報みたいなA4一枚の宿題を書いて、先生に添削してもらってます。自動翻訳を使う前から、まず英語で書いてイロンゴに翻訳するスタイル。これは言語間の相性の問題で、同じヨーロッパ系のスペイン語からの借用語が多いせいか、日本語に比べると英語で1対1直訳できる単語が多いんですよ。

このやり方はグーグル翻訳でも有効で、出てきたイロンゴ文を読んだ先生が「誰かに代筆してもらった?」と疑うほど。まぁ代筆には違いないんですけど。

ということで、私が20代ぐらいの頃にこの環境があったら、カズマさん並みは全然無理でも、今喋れる3言語に加えて、タガログ語とスペイン語ぐらいはモノに出来てたかもしれません。若い人が羨ましい限りです。



2025年9月16日火曜日

88歳の母 驚異の回復

 前回の投稿で、フィリピンの我が家で介護中の88歳の母が、とうとうオムツ着用になってしまったという話をしましたが、驚いたことにその母が、赤ちゃん状態から戻ってきました。

一時期、施設に入所していた時に、要介護3になってオムツ付けていました。そこから自力排泄できるようになって、フィリピンに渡航できるまでに回復した実績はあったんです。とは言え、あれからもう数年が経ち、確実に老化は進行している母。正直もう最後までオムツは手放せないかと、諦めておりました。

私自身を含めた一般的な感覚として、中高年から老年期にかけて、若い頃できていたことが徐々できなくなった場合、大抵はもう元には戻らないもの。例えば長時間のスポーツとか、途中覚醒なしに8時間以上眠ったりとか。あるいはかつて食べていた量を食べたら、ひどく胃もたれしたり。

記憶力や認知力も同じですね。衰えの速度をがんばって鈍化させられても、残念ながら不可逆的に、できることが減っていってしまう。なので、母の場合も同じで、しかも一度回復したからと言っても、二度三度は無理だろうなと考えた次第。

ところが、元々母がそういう体質だったのか、それとも今のフィリピン・ネグロス暮らしが良い影響を与えたのか、ここ1週間ほどは大人用オムツとも縁が切れてます。私がホッとした以上に、これが分かった時の家内の喜びよう。メイドのグレイスと共に、直接介護をしてくれている家内なので、嬉しさもひとしお。

さて、その老人には良さそうなネグロス島の我が家での暮らし。具体的にどこが良いのか考えてみました。まずは、暑過ぎず寒さもない気候。これを書いているのは9月なんですが、日本はまだ「危険な暑さ」なんて予報が出てます。今回の父母の滞在は、3月からで、4〜5月の乾季は例年並みの暑さでした。それでも、大阪の狂ったような酷暑に比べれば「昔の日本の夏」レベル。緑の少ないマニラ首都圏などに比べても、避暑地と言ってもいいぐらいの涼しさ。7〜8月は雨季なので、日によっては扇風機さえ要らない天気。

次に考えられるのは、父母のために一戸建ての離れを用意したこと。これは介護する側にも大きいポイントで、相互のプライバシーを保てるし、耳が遠くなってテレビを大音量で付けっぱなしでも大丈夫。当事者の父母もかなり気楽だろうと思います。

そしてこれが一番大事だろうと思うのが、毎日の食事。若い頃から食べるのが大好きな母で、風邪ひいて多少熱があろうとも、食欲だけは衰えたことがない。60代の頃に骨折で入院して、退院祝いにと餃子の王将に連れていったら、下痢をするほど食べ過ぎたという人。さすがに今はそれ相応の食事量ながら、キッチリ三度食べてデザートのパパイヤやドラゴン・フルーツも完食。

誠に手前味噌で恐縮ながら、何より、私が食事担当なのは大きい。移住後10年ですっかり食事担当主夫が板につきました。フィリピンに移住して食べ物に慣れずに困っているという話を時々聞きますが、これは自炊すれば無問題。なぜなら、野菜・魚・肉などなど、たいていの食材は日本と同じか近いものが手に入るし、キッコーマンの醤油も味の素も、キューピーのマヨネーズだってあります。

そもそも母の手料理で、育ててもらった私なので、味付けや献立は母譲り。料理を教えてもらったことはないけれど、自然とそうなってしまう。おかげで、毎食「おいしい、おいしい」と食べてもらえてます。考えてみたら、食事自体もさることながら、夕食時には孫の顔をみられるのも、楽しみの一つなんでしょうね。

ということで、何とか元の生活に戻って、住み込み介護士を雇う話もペンディング。この調子で、最後の瞬間まで今と同じぐらいの元気さで、生き切ってもらいたいものです。


2025年9月11日木曜日

おむつの衝撃

 とうとうこの状況が来てしまいました。後期高齢者の母が半分寝たきりになって、かれこれ5年。私のフィリピン・ネグロス島の自宅に、父と一緒に引き取って世話をし始めてからでも足掛け3年になって、母がおむつの常時着用状態に。

きっかけは先月、母が下痢になってベッドで便を漏らしてしまい、自力でトイレに行けないことが発覚。もう来年90歳になろうという人なので、仕方ないと言えば仕方ないけれど、自分を産み育ててくれた母が、ここまで弱ってしまうのを目の当たりにすると、やっぱり衝撃を受けるもの。

ところが、義理の娘である家内と、介護の訓練を受けてきたメイドのグレイスの対応は見事でした。すぐ近所のスーパーで大人用おむつを購入し、嫌な顔もせずにテキパキと処理。まぁ、この状況を見越して父母専用の一戸建ての離れを建てて、介護の経験がある人を雇ったわけなので、想定内ではありました。

さらに年寄りや病人には手厚いと言われるフィリピンの国民性。まだ日本に住んでいた20年ほど前、ゴルフ場で骨折して入院した母のために、毎日病院に通って入浴の介助をした家内の行いは、それを身をもって証明したような出来事でした。なので、この二人には本当に感謝しつつも、ある意味、手筈通りに事が進んでいるとも言えます。

お陰さまで、母の下痢は数日で快癒。一時は家内ともども、デング熱のような厄介な病気だったらどうしようと心配しましたが、比較的早くに食欲が戻ったので、入院についてはせずに済みました。やれやれ。

それでも完全に元には戻らず、おむつは手放せないまま。実は一旦は要介護3で、日本の老人ホームに入っていた母。そこではおむつ着用だったそうなんですが、ケアマネージャーさんも驚く奇跡の回復で、なんとか飛行機に乗れるまでになり、今に至っています。それを考えると、また自力で下の世話をできる状況になるかも知れません。

下痢で寝込んでいる時は、まったく目の焦点も定まらず、完全に「寝たきり老人」だったのが、以前と同じく食事時には、父に支えられながらも、ちゃんと歩いてダイニングまで来て、健常者と同じメニュー(つまり私が用意する家族用の食事)を普通に食べてます。つい先週には、グレイスに散髪してもらって小ざっぱり。表情もしっかりしてきて、もう「呆けた顔」ではありません。

ただ問題は、おむつ必須だと日本への一時帰国は難しくなること。当初の予定では、半年に一回程度は帰国して、医師による健診や薬の処方などと考えてましたが、場合によっては、まだ頭も足腰もしっかりしている父のみ帰国、という選択肢も考えざるを得ません。そうなると、今は通いのグレイスだけではなく、住み込みの介護士を雇う必要もあります。(ちなみにネグロス島での介護士を雇う費用は、高くても月5万円ぐらい)

最近フィリピンでは、観光ビザのルールが変わって、手続きさえすれば3年は延長できるので、まだしばらくは大丈夫。また日本での介護に比べれば、はるかに恵まれている状況なんですが、それでも親が死ぬのを待っているような感じで、気分的は暗くなりがちですね。

ということで、私と同世代の50〜60代の方々には他人事ではない話題なので、この件に関しては、今後も投稿を続けたいと思います。