2015年2月28日土曜日

長寿と繁栄を...。


出典:Slashgear

アメリカの俳優、レナード・ニモイさんが亡くなりました。享年83歳。
フィリピンでもよく知られているSFテレビ・映画シリーズの「スタートレック」のメインキャラクター、スポックを演じたことで世界的に有名な方でした。人物の典型を作り出したという点で、このスポックほど成功した例は、数少ないと思います。

その死をオバマ大統領が悼んだのも頷ける、特にアメリカではアイコン的な存在。何を隠そう、私は大のスタートレック・ファンで、家内と結婚した時にはすでに映画シリーズは全巻DVDで揃えていたぐらい。半ば強制的に一緒に見せて、いつの間にか家内もスタートレック・ファン、トレッキーになってしまいました。

フィリピンでは、テレビドラマや映画が基本的に英語のまま、ハリウッド作品が入ってくるため、トレッキーも相当な数がいるようです。一昨年公開されたシリーズ最新作の「イントゥ・ダークネス」もフィリピンで見ることができました。そこでも、ゲスト・スター扱いとは言え、まだ現役として出演していたニモイさん。次作の企画も発表されていただけに、まさに突然の訃報。

思えば、最初のテレビシリーズをほぼリアルタイムで小学生の時に見ていて、バルカン人の挨拶、中指と人差し指の間を広げる「長寿と繁栄を」のマネをしていたのを思い出します。もう40年以上もスタートレックに熱中していたんですね。何だか自分の中で、一つの時代が終わったような寂しさです。合掌。


2015年2月27日金曜日

大人のお誕生日会

誕生日にパーティをするのは、日本ではどちらかというと子供のためという場合が多いと思います。大人になってもお祝いはするでしょうが、せいぜい家族で外食したりケーキを買ってきて食べたり。プレゼントを渡すだけで十分かも知れませんね。妻や夫の誕生日を忘れてたなんて話もそんなに珍しくない。

ここフィリピンで家内の誕生日忘れてたりしたら、恐ろしいことに離婚の理由になるかも? というぐらい誕生日は、フィリピン人にとってのビッグイベント。大人になっても、いえいえ、大人になってからこそパーティも盛大になる。

それなりの家に住んでいる人は、だいたいホームパーティしますね。三人家族の我が家、誰の誕生日でも親戚や友達20人ぐらいは呼びます。お客さんを呼べるほどの家がない場合は、マクドナルドやジョリビーといったファースト・フードの店の2階などを借り切ってのパーティというのも一般的。もう何か月分かの収入を全部つぎ込んでも、派手にやらないといけないらしい。こういうところがフィリピン人は見栄っ張りなんですよ。

昨夜呼ばれた、家内の大学時代からの友人、大富豪フィリップの誕生日パーティ。これは、さすがのフィリピンでもそうはお目にかかれないレベル。フィリップの誕生日には去年も招かれて、その時はホーム・パーティでしたが、文字通りの「大邸宅」。親しい友達ばかり10人程度のこじんまりしたものとは言え、料理はプロのケータリング・サービスで、生半可なホテルなんかより余程豪華でした。

さて今年は50歳という節目で、いつもは週一回のフリーマーケットを運営している敷地にパーティ会場を設営。ケータリングに、ミュージシャンの音楽生演奏。司会はプロのMCという、ほぼ日本の結婚披露宴状態。それでもお客さんは100名に満たなかったので、家内に言わせるとまだ控えめなんだそうですが、やっぱりこれはすごい。




残念ながら平日の夜だったので、最後までいることはできずに9時頃には帰ってきましたが、本当に美味しい食事を満腹になるまで食べられて、下手くそな素人カラオケではない正真正銘のプロの演奏を聴けたので、とても幸せな気分になれました。ありがとう、フィリップ。来年も招待してね〜。


2015年2月26日木曜日

騒音大国フィリピン

一度やってみたいと思う実験があります。フィリピン人と日本人をたくさん集めて、普通の住宅の客間や居間でリラックスしてもらい、家の外でちょっとやかましい音楽を流す。だんだんボリュームを上げていって、どのあたりで「騒音」と感じるかどうか。

フィリピンに住んでいる実感としては、フィリピン人の方がずいぶん騒音には寛容というか、耐性が高いという結果が出そう。昔、東南アジア向けテレビの商品開発に携わっていたころ、マニラの電気店でどのようにしてテレビを購入しているかを調べた時、ほとんどのお客さんが音質の確認と称して、ボリュームを目一杯にしていました。これで音割れがあったらNG。

実際の家庭でも、本当に音量マックスで使ってる人が多い。それも建て込んだ住宅地の、隣家に丸聴こえの状態でもお構いなし。テレビ番組だけでなく、この要領でホームカラオケしてる。お隣さんが怒鳴りこまないかと心配してたら、お隣さんも一緒に歌ってたりする。

とにかく、でっかい音で音楽を聴くのが好きな人が多いようです。このブログでも度々取り上げているように、祝祭日の前後には野外ディスコやカラオケ大会で大賑わい。深夜・早朝まで、コンサートに使うような冷蔵庫ほどのサイズのスピーカーですごい音立ててます。

亡き義母が、本当にいい場所を選んでくれたと感謝しているのが、今住んでいる宅地セント・フランシス。「エグゼクティブ」という区分にある我が家は、最低でも2区画購入しないといけないこともあって、投資目的のオーナーが多くまだ疎らにしか家が建っていないので、隣家の騒音からは逃れることができています。

隣で養鶏していて、雄鶏の時を告げる声はよく聴こえますが、これは不思議とうるさく感じない。やはり自然の音だからでしょうか? まぁ、ウチでも一羽、よく鳴くのを飼ってはいますが。この養鶏場、闘鶏を育てていて、飼育係が昼間は鶏相手に何やら作業をしています。

このオっちゃんたちが、仕事中に結構なボリュームでラジオ聴いてますが、他所での騒音に慣らされたせいか、これもあまり気にならなくなりました。
ただ、年に数回の闘鶏が開催される夜だけは、ここも少々忍耐が必要になりますが....。



2015年2月24日火曜日

夕焼けギャラリー



一昨年(2013年)の年末頃から、夕焼けの写真撮影に凝り始めました。と言っても一眼レフとかの高価なカメラを買ったわけでもなく、使っているのは移住直前に日本で購入した iPone 4S。SIMロックされているので、フィリピンに来てからは電話としては使えず、Wifi専用のモバイル端末兼カメラとして愛用しています。

このiPone、ちょっと前のコンパクトデジカメよりよほど性能が良くて、マクロとかミクロとか難しいことを言わなければ、かなり思ったように写真が撮れます。最近のOSのバージョンアップで、絞りの調節もそこそこマニュアルでできるようになって、いよいよ大きくて高価なカメラを買う気が起こりません。

このブログ使っている写真もほとんど全部 iPhoneで撮影。それ以外には、もっぱらフェイスブックに投稿。大学時代の友人の誘いで参加した雲の写真ばかりをアップするグループがあって、そこでお披露目するのが常。

フィリピンの夕焼けというとマニラ湾が有名で、世界一美しい夕焼けが見られる場所と言われているそうですが、ここネグロスも知れらざる夕焼けの名所かも知れません。自宅がある宅地は元々サトウキビ畑だった場所で、ちょっと歩けば広大な畑に出ることができます。この360度、遮るものがほとんどない環境が、夕焼けの撮影には抜群のロケーション。

もう1年以上、雨さえ降らなければほとんど毎日撮影したので、数千枚は溜まったでしょうか。ネットだけで見るのが何となくもったいなくなり、先日思い立って何枚かをプリントアウトして額に入れてみました。写真の楽しみ方としては古典的ですが、やっぱりいいですね。玄関ホールから階段にかけてずらりと並べてみると、素人写真に安いフレームでもそれなりにいい感じ。




思えばデジタルカメラが一般化して、しかもケータイ電話と一体化したお陰で、誰でも相当なレベルの写真が撮れる時代になりました。シャッターチャンスをモノにできる可能性が高くなり、いちいちプリントしなくもその場で仕上がりが確認できる。そもそも写メールやフェイスブック、ツイッターに載せるのが目的なので、プリントの必要がほぼ皆無。昔なら相当な経験を積んで、投資しないと身に付かなかったであろうテクニックが、今では子供のうちに身につくんでしょうね。すごいことです。






2015年2月19日木曜日

なぜ日本人は荊棘の道を選ぶ?



フィリピンへの移住計画がだいぶ具体的になっていた頃、早期退職して海外に住もうという話は、職場でも時々していました。ある時、上司の課長さんから「部下が心配しとるやないか。できもせんことを吹聴するな!」とエラい剣幕で怒鳴られたことがあります。

私のモットーは「やると言ったら絶対やる」なので、その時は完全に頭に来て、上司に食ってかかって大喧嘩になったことを覚えています。今にして考えてみると、病気や怪我でもないのに、定年まで10年も残して仕事をしない生活をするのが、よっぽど非現実的なことだと思われたんでしょうね。

50歳過ぎたらフィリピンで悠々自適の生活をする。こう言うと大抵の日本人からは「生活費は大丈夫か?」「仕事辞めて、毎日することないぞ」「もったいない」...とだいたい否定的な反応が返ってきました。ところが欧米の知人に同じことを言うと、ほとんど全員が「うらやましい!」。特に冬場、寒さの厳しい場所に住んでる人にとって、南の島でリタイア後の人生を送るのは本気で夢見ることらしい。

これは日本人特有の感覚なんでしょうか? とにかく苦労するのは大事で、楽に生きようとする者を軽蔑する傾向が強いように感じます。別に修行するために会社に入った訳ではないんですが、人間的な成長を促すために敢えて難しい仕事を与える、みたいな気合い満々の上司がいっぱいいました。それを有り難いことだと受け止めて、本当に成長できる人ならばいいのですが、私の場合はさんざんジタバタした挙句に鬱病を患っただけ。

上昇志向が強くて、望んで努力する人は立派だと思います。しかしそれも個人の生き方の一つ。あまり無理せず、そこそこの生活ができる社会には、残念ながら日本はなっていない。仕方がないので住む国を変えたというのが、偽らざる気持ちです。


正月の肉断ち


今まであまり意識したことがなかったんですが、1月の末から2月にかけてのこの時期は、「春節」(中国の旧正月)とカトリックの行事である「灰の水曜日」が巡ってきます。春節は旧暦、灰の水曜日は毎年変動する復活祭から起算して46日前なので、西暦の何月何日とは決まっていません。なので、たまにかち合ってしまう年も。

灰の水曜日は、カトリックでは主の復活を待つ四旬節の始まりで、復活祭までは「節制と回心に勤め」なければなりません。正月の呑めや歌えのどんちゃん騒ぎとは真逆。特に灰の水曜日は、食事の回数を制限したり肉食を控えるという習慣があります。

今年は大晦日が灰の水曜日とカブってしまいました。まともに正月と重ならなかっただけマシなのですが、こういう時に中国系で真面目なカトリック信徒の人などは、どうするんでしょうね? フィリピンにはまさにそういう人たちが多いのですが、ショッピングモールとかの飾り付けを見る限り、まったく配慮はないように見えるので、やっぱり盛大に飲み食いしてるのか?

さらに今年は、同じ日にはならなかったとは言え、聖バレンタインの日、バレンタイン・デーも近かった。こちらは日本と違ってチョコレートを贈る習慣はなく、女性から男性への一方通行ではない家族も含めた愛の表現の日。でも日本と同じようにバレンタイン商戦があります。カトリックも中国系も多いフィリピンなので、春節とバレンタインの両方の大売り出しがショッピングモールの同じフロアで繰り広げられていました。



我が家では、バレンタイン・デーに私から家内に贈り物をして、灰の水曜日は朝お粥、昼はおにぎり、夜は野菜とエビの炒めものと、食事の量を少なめにして肉断ちをする「小斎」を守りました。そして、春節の今日はフィリピンの祝日。子供の学校はお休みで、朝からゆっくりしています。


2015年2月17日火曜日

焚き火もくもく

常夏のフィリピンでも、すべての樹木が常緑というわけではありません。秋も冬もないので、日本のように一度に全部の落葉樹が枯れ木になることもないですが、自宅の周囲は緑が多いので、いつも道には落ち葉が目につきます。

それ以外にも、あらゆる植物がエゲツない勢いで繁茂するので、宅地の管理事務所が人を雇って、しょっちゅう空き地の草刈り。それが終わると大量の草が道に残される。枯葉、枯れ草...とくれば、当然のように焚き火。特に夕方になる頃には、自宅二階の窓から見渡すと、ほとんど毎日、近所のどこかで焚き火の煙がもくもく。

時々私の家の庭でもやっているので、あまり文句を言える筋でもないのですが、隣の空き地で焚かれたりすると、部屋の中にいても焦げ臭さい。日本だったら、苦情や消防車がわんさか来そうですね。



フィリピンでは、焚き火に届け出は不要で、みんな好きな時にもくもくやってます。それよりすごいのが、サトウキビを収穫する時の焼畑。こちらは家庭の焚き火など比較にならないほどで、サトウキビ畑に隣接する家屋など、生活に支障が出るんじゃないかと思います。飛行機から見ても、空が茶色くなってるもんなぁ。



この焼畑は、手刈り収穫には必要な工程らしくて、機械化してしまえば必要ないそうです。労働者搾取の象徴のようなサトウキビ。驚くほどの低賃金がまかり通っているので、地主は機械買う投資などしないんでしょうね。
枯葉を焼く焚き火ぐらいならば、それほど気にもなりませんが、低賃金の上に労働環境を著しく悪くしている焼畑の煙は、なんとかならんものでしょうか?


2015年2月16日月曜日

世界から同窓生

家内が高校時代を送った、フィリピン・ネグロス島にあるシライ専門学校。今住んでいる自宅から徒歩10分ほどの場所にあります。先日の土曜日、ここで同窓会がありました。昨年も少し書きましたが、フィリピンで同窓会と言うと毎年の恒例行事らしい。

なんと家内は1983年度卒業生の代表になってしまったようで、「プレジデント」と呼ばれてます。ご大層なこっちゃ。同窓会は一大行事で、何ヶ月も前から準備が始まり、打ち合わせと称して、自宅に何度もかつての同級生たちが集まりました。クリスマスパーティを兼ねてというのもあって、そんなに頻繁に会うのなら、わざわざ同窓会などしなくてもいいのでは?

前回に続いて私は、学年毎にお揃いのTシャツデザインを頼まれました。毎年テーマが決まってて、去年が「シネマ」。今年は「マルディグラ」。復活祭(イースター)に先立つ1ヶ月余りの四旬節は、キリストの殉難を偲んで絶食したり食事を制限します。その期間に入る前日を「マルディグラ」と呼び、飲み食いして大騒ぎするというカーニバルのこと。

モチーフとしてはカーニバルの衣装や仮面になるんでしょうか? ということで仮面をつけた女性の顔をデザインしてみました。実はこれ以外にも2案、合計3案考えました。元デザイナーの習慣みたいなもので、たったひとつしかアイデアを出さないと「これ嫌い」と言われたらまたやり直し。別案があれば、その時に決まらなくても「じゃあ、こっちの方向で手直しして...。」とできるので、後々仕事が楽。

ところが今回はこれが裏目に。女性と男性が別々のアイデアを支持して、真っ二つに意見が分かれてしまった。男性が支持したのが、リオのカーニバルをイメージした女性ダンサーの絵柄。セクシー路線がマズかったみたい。まぁ、最後には当然のように女性に人気のアイデアに決まったんですけどね。




さて、当日は校庭でのパーティだけでなく、市内の目ぬき通りをみんなでパレード。1学年だけでなく、存命している同窓生が集まれるだけ集まるので、全市挙げての大騒ぎになります。しかもフィリピン国内だけでなく、海外に出稼ぎに行ったり、移住した人がわざわざこのタイミングに合わせて帰って来る。すごいなぁ〜。



家内の友達だけでも、ベトナム・シンガポール・ドイツ・ノルウェーなどなど。参加できない人は、同窓会の費用にと海外から送金してくれたりします。まさに海外労働者が支えるフィリピン社会の縮図ですね。



食事は持ち寄り、早朝から深夜まで大騒ぎ


2015年2月13日金曜日

セルフィ命



大統領ローマ法皇さまも、みんなセルフィ友達!?

以前「自分大好き フィリピン人」と言う投稿をして、その時も少し触れましたが、今回は世界中(?)で大流行りのセルフィ写真。ここまで自撮りが蔓延ったのは、間違いなくフェイスブックのプロフィール写真に使うためでしょう。これはフィリピンだけではない。
しかし、フィリピン人ほどこの新しいカルチャーを受け入れて、老いも若きも楽しんでいる国民もいないのではないかと思うほど。

元来、フィリピン人は写真大好き。撮るのではなく、撮られるのが。昔から行楽やパーティでカメラを持っていくと、それだけで盛り上がってました。日本では写真に撮られるのが苦手で、特に女性には断固拒否する人もいるぐらいなのに。

少し前に、自宅い若い女の子のお客さんが二人来て、何気なくカメラを向けると「いやぁぁ」とばかりに後ろを向いてしまいました。ほぉ、フィリピン人でもこういう人がいるんだと思ったら、二人して一生懸命ヘアスタイルを直してる。それが終わるとにっこり微笑んで「はい、どうぞ」だそうです。

デジタルカメラの普及で、撮影コストもタダ同然になり、およそ考え付くあらゆるところで、みんな自分に向けてパチリ。フェイスブックのフィリピンの友達のプロフィールには、この「作品」がずらりと並びます。それもヘン顔のオンパレード。

そんな国民性を反映して、写真スタジオは大流行り。自撮りだけでなく、ちょっとフォーマルな「家族写真」が大好きなんです。結婚、出産、子供の卒業、久しぶりに帰国した親戚との再会(これは、リ・ユニオンと称してパーティしたりもします。)

私にも多少ナルシストっぽいところはあるかも知れませんが、それは日本人の平均からするとそうなだけで、フィリピン人に混じると、ことセルフィに関しては相当シャイな方に分類されそう。

それにしても、プロフ写真だけならまだしも、ず〜〜っとヘン顔・セルフィばっかり投稿し続けるフィリピンの若者の感覚は、どうしても理解できません。


2015年2月11日水曜日

小学生のガールフレンド



今日は私のフィリピン人の甥っ子のお話。
クリスマスに生まれたので「クリス・ジャン・アンドレ」と名付けられました。家内の里帰りの時期に重なって、その時私がホーム・ムービー作りに凝っていたので、克明に出産時のことを記録。今でもDVDが手元にあって、よく覚えています。

このアンドレ君はもう小学校の5年生。2年生の息子とよく遊んでくれています。息子と一緒にいる様子を見るとまるっきりの子供なんですが、もうガールフレンドがいるんだとか。しかも驚くのは、その彼女と親も見られる状態で堂々とフェイスブック上でお付き合いしていること。

私も繋がっているので、その内容は時々目に入ります。最近の小学生はこういうものなのか? それともフィリピンだけの事情なのか? はたまたアンドレが特別なのか? ずいぶんマセた書き込みをしてますね。おそらくテレビドラマとか映画の受け売りなんだろうとは思いますが、「僕の代わりは見つけられても、僕の思い出は消せない。」などと、とても小学生が書く言葉とは思えない。

こんな年齢の子がガールフレンドと何をしてるのかと、母親である義妹のジーナに聞いてみました。すると、延々とフェイスブックでチャットをしてるそうです。それを母親に知られているのが、子供っぽくてご愛嬌。まぁ決して広くない家で、子供の個室もない状況なので、大抵のことは何をしても筒抜けでしょう。

自慢ではありませんが、私が本当に女の子とスティディな付き合をしたのは大学に入ってから。国も時代も全然違うので、比べること自体あまり意味はなさそうですが、それにしてもこうも違うものかと思ってしまいます。
因みにアンドレは、小学校のブラスバンドに所属していて、ドラム担当。やっぱり音楽やってるとモテるのかなぁ?


2015年2月9日月曜日

コンビニ・スーパー戦争





人口12万人でネット検索してみると、日本では市政が布かれている地方自治体としては、中核都市というべきサイズ。私が住むフィリピン・ネグロス島のシライ市が公称人口12万人。しかしながら実感としては本当に小さな地方都市。人口の割に広い市域の山間部に村落が散在しているからでしょうか?
市の中心部には、商店が立ち並ぶ目貫通りが500メートルもあるか?という感じ。この田舎街に、今3軒のコンビニエンス・ストアーと2軒のスーパーマーケットがあって、さらに3軒目のスーパーが建設中です。

シライ市に一番古くからあるスーパー「ロペス」ができたのも、ほんの4〜5年前でした。その後、第二のスーパー「プリンス」とコンビニ3軒は全てここ2年以内の開店。これらの店舗は、徒歩10分ほどの範囲内に集中して建っています。もちろん、これだけではなく、昔ながらの公設市場や食料品の小売店もいっぱいあって、これはどう考えても過当競争に突入してますね。

ただ、日本で駅前の再開発がブームになって、大手の小売店の進出によって地元の商店街が寂れてしまったのと比べると、やや趣を異にしているようです。スーパーができても、最貧層の人たちが買い物できる値段にはならないので、完全に客層が分かれている。

ということは、ただでさえ少ない中〜上流層の顧客を、新規店を加えると6軒のコンビニ、スーパーで取り合うことになる。これはちょっと無理がある気がするんですが、どうでしょう?

スーパーの品揃えを比較してみると、プリンスはかつてのダイエーみたいです。とにかく安い。そのかわり品質は大したことない。最古参のロペスはやや値段は上ですが、それでもかなり格安感があります。近々オープン予定で、今店舗の建設中のセーブ・モア(略称SM)は、一気に格が上がって「いかりスーパー」という感じ。日本からの輸入食材も置いていて、値段はこちらでいうと高級店。





こうして見ると、一応の棲み分けはされていますが、この勝負どうなるでしょう。個人的にはSMが近所にできると、わざわざ隣町までいかなくても、日本製の食材が手に入るので嬉しいのですが、このシライ市ではどのくらいお客さんが来るかは、ちょっと分かりません。



2015年2月6日金曜日

暑くない熱帯

フィリピンを含む東南アジアの気候は、「熱帯」に区分されます。多くの日本人は、熱帯気候とういうと、年中真夏だと思っているかも知れません。しかし、ここネグロス島に住んでみると、本当にうだるような暑さが続くのは、1年間でせいぜい2〜3ヶ月。それも大阪や東京の都心部のような、最高が35度以上で、朝方でも30度を下回らないような暑さはほとんどありません。



これが大都市のマニラだったりすると、また事情は違うのでしょうが、ここは、田舎街のシライ市。特にサトウキビ畑に囲まれて風通しが良い我が家の周辺は、真夏と言われる4月・5月以外ならば、エアコンどころか朝夕は扇風機も要らないぐらいの日が多い。

ちょうど日本が寒くなる時期の11月〜2月頃は、雨が降らないとまるで日本の初夏のような、爽やかな天気になります。もちろん気温は30度ぐらいにはなりますが、モンスーン特有の風のおかげで、ちょっと散歩するぐらいなら、それほど汗もかきません。

家の建て方にも工夫して、どの部屋も最低2方向に窓を設けたのが良かったようです。私たちの寝室などは3方向に窓があるので、実に快適。油断して窓を閉め忘れると、明け方は20度近くまで気温が下がることがあって、風邪を引いてしまいそう。



とは言っても、窓がいっぱいあって、ゆったりした間取りの家に住むのは、なかなか難しいのは、日本とあまり変わりません。家族が多い関係もあって、どうしても部屋は小割りになり、窓は一つだけの家は多い。移住前、家内の里帰りの時は、いつも実家の家に泊めてもらい、使っていたのは四畳半ほどの窓が一つの部屋だったので、真夏以外でも寝る時はエアコンを使っていました。

さて節分も終わり、もうすぐバレンタイ・デーのこの時期、今日で4日間も青空が広がるいい天気が続いています。久しぶりに裏庭に出てみると、4本植えたバナナの木の根元から、別の小さなバナナの芽が出ていました。その他にも数ヶ月前には「苗」だった植物がひとの背丈ほどの大きさに。この勢いだと、本当にあと半年か1年ぐらいで、裏庭は「熱帯版・トトロの庭」状態になりそう。

それほど暑くはないと言っても、やはり冬がない熱帯気候。植物には楽園のようです。




2015年2月3日火曜日

ここはどこ?

家族でフィリピンに住み始めてもうすぐ2年。家ができてから1年近くになります。移住当初は朝起きると「あぁ、フィリピンにいるんだ」と常に意識していましたが、最近はそれが段々希薄になってきました。
単に慣れてきだけというのとは、ちょっと違います。



そもそも、家を建てたときの目標が自分と家族が快適に過ごせる場所を作ること。これ即ち、日本人である私にとっては、日本に住んでいた頃の環境の再現だったんですね。もちろん日本では実現できなかったこと、広い家や庭だとか、緑に囲まれた立地は、重要な要素。しかし生活のディテールは、完全に以前のライフ・スタイルをなぞっています。

〜日本並みの水圧で水やお湯がでること〜

基本中の基本なんですが、フィリピンの一般住宅では実は意外に実現が難しいことでした。自宅ができる前の仮住まいでは水圧が低くて給湯設備もなかったので、時間帯によってはシャワーすらたいへんで、バケツに水を溜めながらの水浴びになってしまうことが多かった。今では電動ポンプと給湯器のおかげで、シャワーからはいつでも熱いお湯が出ます。

〜好きな音楽が一日中聴けること〜

俗に言う「ノー・ミュージック、ノー・ライフ」的な生活習慣。居間、書斎、寝室にiPodにつながるオーディオシステムがあって、何をするにも音楽を流してないと寂しい。そして聴くのは山下達郎とかYMO、矢野顕子、ユーミンにビートルズ、クイーン...。高校生の時から変わってませんね。




〜ネットにつながること〜

これが一番大きなことかも知れません。iPadのおかげで家のどこにいてもフェイスブックにつながって、日本の友達とコミュニケーション。このブログもそうですが、フィリピンでの日常をいつもシェアできるので、故国を離れて...という孤独感がまったくありません。日本のニュースも、日本にいるのと同じタイミングで知る事ができます。



〜日本スタイルの食事が摂れること〜

50歳を過ぎれば、もっと純和食を恋しく思うかと想像してましたが、あんまりそれはなかった。カレー、ハンバーグ、コロッケ、餃子、ラーメン、お好み焼き...。私にとっての懐かしい味は、こういう「お子様テースト」だったんですね。自分で作れば毎日でも日本食。

これだけ揃えば、家の中にいるとフィリピンに住んでること意識する機会が、相当減ります。我ながら単純な人間だなぁ。唯一の例外は停電の時。こればかりは、嫌というほどフィリピンにいることを思い出させる...。


2015年2月1日日曜日

汝、殺すなかれ



暗澹たる気分で2月を迎えることになってしまいました。
イスラム国による日本人・人質の殺害。フィリピン・ミンダナオ島での、イスラム系反政府組織と国軍の特殊部隊との戦闘で、国軍側兵士44名が戦死。(これを悼んで、フィリピンでは、一昨日1月30日は、国民の服喪の日でした。)
つい先ごろでは、フランスでもテロがありましたね。

何を今更と言われるかも知れませんが、イスラム教・キリスト教・ヒンズー教・仏教・ユダヤ教、どれを取っても殺生戒を持たない教えはないはず。それなのに、どうして宗教の名を掲げながら人殺しをしてしまうんでしょうか?

思うことはいろいろありますが、今日はどうにもうまく考えがまとまりません。ただ自分の子供が、戦争や犯罪の犠牲者にも加害者にもならないように祈るだけです。