2025年11月12日水曜日

停電1週間超 台風ティノの後遺症

 先週の火曜日(2025年11月4日)25号台風ティノがネグロス島を直撃して、もう八日が過ぎました。ちょっと驚く事に、私たちの住む宅地は、まだ電力が復旧してません。同じネグロス電力管内のバコロド市やシライ市でも、早い所では翌日の夜には電気が戻り、2〜3日後には、幹線道路沿いの主要部分で元通り。

ところが厄介なのは、中心部からやや離れた地区や、我が家のある宅地のような、世帯数がそれほど多くないサブディビジョン。同時多発的に電柱が倒れたり、大きな倒木のせいで電線が切れたり。電力会社の修理スタッフや交換部品のストックなどのリソースは限られているので、どうしても修理の優先順位は低くなってしまいます。

その上さらに面倒なことに、我が家の直接の停電原因は、この近辺でも一際大きな樹木が根こそぎになって、コンクリート製の電柱2本を巻き添えにぶっ倒しちゃったこと。まず、この馬鹿デカい倒木を小さく切って、修理用の車両が入れるようにしなければなりません。

その間、頼りになるのが、家庭用の発電機。今年の1月に、母屋とゲストハウスに2台の発電機を新調しておいて、本当に良かった。音は静かだし、電子レンジや炊飯器程度なら問題なく使用可。一台がガソリン満タンで10リッター入って、12時間稼働。なので、だいたい起きてる間は、ほぼ普通に電気が使えます。

ただし、1日20リッターのガソリン代は決して安くなく、毎日1,200〜1,300ペソ(約3,200円)がぶっ飛ぶ勘定。数日で通常の1ヶ月の電気代を超えてしまいます。そんなに払っても、温水シャワーやエアコンは、電力オーバーで使えないので、何日もとなると後期高齢者の両親がいる我が家では、なかなか厳しいものがあります。

そして被災後6日後の月曜日、やっと倒木の処理が完了しました。これについては電力会社ではなく、警察が緊急対応したようで、「PULISYA(警察)」と印刷されたTシャツを着た警官たちが、チェーソーをブイブイさせながら、作業してくれてました。

本格的な修理が始まったのは、さらにその翌日の月曜日。ちょうど1週間目に、ようやく待望の新しい電柱や部品を積んだトラックと、何人ものネグロス電力のスタッフが到着。昼過ぎから始まった作業は夕刻には終了。電柱に隣接する世帯では、電気が戻ったとの歓声が上がり、さて次は我が家の番だと思ったんですが、これが待てど暮らせど電気は戻らず。すでに修理は終わって、誰もいなくなってます。


実は、ちょうど我が家への送電ができるようになったのと、ほぼ同じタイミングで、シライ全市の広域停電が発生していたとのこと。まったく「何じゃそりゃ〜」です。そこから、さらに待つこと3時間。夕食が終わって、すっかり暗くなってから、今度こそ本当に、電力会社からの送電が復旧しました。ここまでざっと1週間と半日。

その晩は、久々にエアコンつけて夜更かし三昧。発電機を停めちゃうので、毎晩10時には消灯してたんですよね。さらに息子と二人で夜食のラーメンまで食べて、心安らかに眠りについて、翌朝は爽やかな起床...のはずが、朝になったら、また停電しとる。「何じゃそりゃ〜」

今回のは広域停電でもないし、昨日の修理に何らかの不備があったのか、我が家の周囲数軒のみの停電。当然、ネグロス電力のホームページにも情報は無し。仕方がないので、家内に頼んで通報してもらい、またぞろガソリンの追加購入で、朝のルーティーンの発電機への給油。あ〜あ、元の木阿弥とは、まさにこれ。

ということで、今も発電機の電力を頼りにネットに接続して、この文章を書いている次第。一体いつになったら、完全復旧するのやら。こういうのが精神的に一番堪えますねぇ。


【後記】この投稿をした直後に、まるで「どっかで読んでたんか?」みたいなタイミングで、電気が戻りました。ただ、大喜びでSNSに書いたりすると、またシレっと停められそうなので、淡々とご飯の用意したり買い物いったり。念の為に発電機は2台とも満タンにしておきました。それから10時間ほど経って、久しぶりに熱いシャワーも浴びて。どうやら、今度こそ大丈夫なようですねぇ。やれやれ...。


2025年11月5日水曜日

ネグロス直撃 25号台風ティノ

 前回の投稿が地震で、今回が台風。もう勘弁してくれよって感じです。地震はともかく、昔から台風被害の多いフィリピンなので、最近、中規模程度以下の台風に関しては、ブログで取り上げてませんでした。

ところが今回のTino(ティノ)は別格。いわゆる「スーパー台風」ではなかったんですが、問題は進路。フィリピン中部のビサヤ地方の心臓部を東西に横断した格好で、大都市のセブだけでなく、パナイ島の州都イロイロ、そして私たち家族の住むシライと隣街の州都バコロドを直撃。久しぶりに、台風の目に入って吹き荒れてた風雨が一瞬静まる、というのを経験しました。

11月3日の月曜日、日本では文化の日の祝日に「これはシライ直撃だ」とビビっていたら、瞬く間に接近して、翌日の火曜日の朝から強風と豪雨。ひとたまりもなくネグロス電力管内、つまりネグロス島の東半分が停電し、午後には台風が上陸するという電撃パンチ。ただ動きが早かったので、暗くなる前に風雨が収まってくれたので、一部道路が冠水していたものの、何とか発電機用のガソリン20リッターを買いに行くことができました。

本当なら前日には分かっていたんだから、買い置きしておけって話なんですが、完全に舐めてました。それとつい1週間前に12時間の計画停電があったばかりなので、在庫が払底してたってのもあります。

それでもまだ、翌日には電気は戻るだろうとタカを括っていたところ、ガソリンスタンドまでの道のりで、被害の大きさを目の当たりにしました。いたるところで街路樹が根こそぎになり、それに引っかかる形で、電柱は倒れるはケーブルは垂れ下がるは。確かに風が強いとは思ってたものの、見える範囲の自宅の周囲では、そこまでのエラいことにはなってません。しかも、当てにしてたガソリンスタンドが軒並み閉まってて、やっと営業してるスタンドを見つけたのが5件目。事ここに至って、ようやく事態の深刻さを認識した次第。

ネグロスでも相当な被害だったんですが、セブでは車が流されるほどの洪水だったらしい。前回の地震でもセブ島北部は大被害だったので、つい日本の能登半島の惨状を思い出してしまいました。ちょっと前まで、セブは自然災害が少ないって、言われてたはずなんですけどねぇ。

そして迎えた、台風一過の今朝(11月5日)。本来この日は「シンコ・デ・ノビェンブレ」のネグロスの祝日。1898年、フィリピン全土に先立って単独でスペインを追い払い、ネグロス共和国を樹立したという記念日。なので元々、学校も職場も休み。台風当日は休みだったメイドさんも出勤してくれて、家族で後片付けの1日となりました。

私はの分担はというと、いつものように食事担当に加えて、発電機の運用。どう楽観的に考えても、電力の復旧まで数日はかかりそうなので、まずはメイドさんにお願いして、追加のガソリン購入。これがなかなか帰ってこない。案の定、どこも発電機の燃料用にと、長蛇の列ができてたそうです。幸いにもATMは開いてたので、当面のガソリンと食料には困らない程度の現金はゲット。

とは言え、お金があっても品薄でガソリンを買えなくなる可能性もあるので、3時間稼働して2時間止めるという時間限定で様子を見る事にしました。台風が過ぎて暑くなってきたので、高齢の母にはかわいそうなんですが、扇風機無しで2時間我慢してもらうしかありません。ちなみに家庭用の発電機なので、エアコンやシャワー用のヒーターも使用不可。不便なことです。仕方がないので、解凍した豚肉や封を切っていたベーコン、スパムの類を一気に料理して、今夜は、時ならぬ「お肉祭り」の夕食になりました。

ということで、このブログを執筆中もまだ電気は戻っておらず、もう停電が36時間を超えました。こっちでは停電のことを「ブラウン・アウト」と言って、発電力不足による計画停電やってた時代の呼称が残ってますが、今回のは正真正銘の「ブラック・アウト」。それでも、一部では前日の深夜に復旧してた場所もあるそうなので、何とか明日中には...と思っております。