もう1ヶ月以上もブランクを空けてしまいました。ざっと40日なので、まるで日本の夏休みですね。申し訳ない。結局11月は完全スルーで、気が付いたらもう12月。まぁフィリピンにいると、寒くなるわけでもなく、クリスマスの飾り付けは下手すると9月からやってるので、まったく師走という感じはないですけど。
なぜこんなに長くブログを書かなかったかと言うと、実は日本から高齢の両親が来て、しばらく滞在していたんですよ。執筆の時間を捻出できなかったわけではないけれど、やっぱりいろいろ疲れてしまって、なかなかブログを開けないまま、ズルズルと。
さて、父は87歳で母は86歳。後期高齢者もいいところ。最近の日本では元気な爺さん婆さんが多く、人によっては元気過ぎて「老害」「迷惑老人」なんて呼ばれても、さすがに90が迫った両親は、見た目も振る舞いも正真正銘の老人。
この両親をフィリピンの我が家に受け入れて面倒を見ようという計画は、ずいぶん前から練っておりました。そのための2LDK、通称ゲストハウスを自宅敷地内に建てたのが、もう4年前。ご丁寧にも、両親が新婚当時の60年以上前に住んでいた家の間取りを再現し、少々ボケても大丈夫なように配慮した一軒家。
ところが、皆さまご存じのコロナ禍の襲来。飛行機は飛ばなくなり、移住どころか、日本でもフィリピンでも、高齢者は外に出ることすら御法度。まるでそれにタイミングを合わせたかのように、それまでうるさいぐらい元気で、父と一緒にゴルフを楽しんでいた母が、急激に弱ってしまいました。とうとう歩行さえままならぬ状況になって、介護施設に入所したのが、2年前の冬。
この間、私もフィリピンから出られなかったので、身の回りの世話は、文字通り老老介護で父が行い、その他の段取りはすべて弟に任せっきり。もちろんLINEなどで頻繁に連絡は取り合っていたとは言え、この隔靴掻痒感は並大抵ではありませんでした。だから、足腰の立つ間に、早くフィリピンに来てと頼んでたのに。
このまま寝たきりになって、結局、母のために用意したゲストハウスにも住めないままかと、半ば諦めていた昨年(2022年)、ちょっとした奇跡が起こりました。
何と、要介護3(着替えや入浴、トイレに助けが必要な状態)から、施設を退所しても大丈夫なレベルまで回復したというのです。聞くところによると、ゆっくりながら歩くこともできて、食事の量が足りないと文句を言うほど。これにはケアーマネージャーさんも「こんな人は初めて見ました」とのこと。
その年末、つまりちょうど1年前に、ようやく私は久々の一時帰国を果たし、退所直前の母と面会。まだコロナが予断を許さない時期だったので、ガラス扉越しの再会となりましたが、思った以上の回復ぶり。私の冗談に笑顔を見せる余裕もあって、カップ麺やスナック菓子を差し入れて来ました。
その後、弟の尽力もあって、段差を無くしたり手摺りを設置するなど、自宅のバリアフリー工事を経て、めでたく帰宅した母。食事や洗濯は父が引き受けているものの、これで何とかフィリピン渡航の目処が立ちました。いきなり完全移住は無理でも、まずは「お試し」として11月後半の2週間強、両親にフィリピン・ネグロス島での生活を体験してもらおうという運びになったわけです。
前振りだけで長くなってしまいましたので、以降何回かに分けて、15日間に渡ったお試し移住について、投稿しようと思います。ということで、次回に続きます。
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