前回の続きで、今回は高齢両親のフィリピンへの渡航について。
まだ母が元気な頃から言ってたのが「飛行機に乗る体力が残っているうちに、移住してや。」ということ。空港に到着さえしてくれたら、どうにでもなるし、もう両親専用の一軒家も竣工済み。介護士や看護師を、何なら住み込みで雇っても、日本に比べればまだまだ人件費の安いネグロス島。ちなみに今働いてもらってるメイドのグレイスおばさんは、看護学校を卒業してます。
逆に言うと、飛行機に乗ること自体が最大の難関。遅延さえなければ、朝に関空を出発して、夕方には西ネグロスの玄関口バコロド空港に到着までの道のり。健常者ならちょっと疲れる程度でも、長時間ベンチで待たされたり、介助が必要なトイレ使用のことを考えると、なかなか難しいことが想像されます。
そこで最初に弟が出したのが、豪華客船に乗せる案。これなら数泊かかってもホテルに泊まってるようなものだからと思いついたらしい。でも考えてみれば、そんなに便数があるものでもないし、最寄りのバコロド港に着く船なんて、フィリピン国内のフェリーか貨物船ぐらいのもの。おそらくマニラからは飛行機になるので、これではあんまり意味がない。
結局は、当たり前にマニラ経由の飛行機になったものの、せめて少しでも快適にと、国際・国内共にPAL(フィリピン航空)のビジネスクラスを予約。そうすれば、サービスの質が世界最悪レベルのマニラのNAIA(ニノイ・アキノ国際空港)でも、荷物の乗せ替えは楽だし、マブハイ・ラウンジが使える。国内便延着で、とんでもなく待たされたりすることもありますからね。
さらに手厚く、往復をフィリピン人の家内が母に付き添うことに。というのは、トイレの介助となった場合、いくら息子とは言え、私や弟よりも女性の方がいいだろうし、実は以前、母が骨折して入院した際、入浴の手伝いに、家内が毎日病院に通ったという経緯がありました。この時までは「フィリピン人の嫁なんて」と嫌悪感を露わにしてた母が、「うちの嫁は、ええ嫁や」と急転直下の手のひら返し。以降「癒し系嫁」などと呼んで、ずいぶんな可愛がりようなんですよ。
とまぁ、みんなで散々心配しまくって用意した、日本〜フィリピンの往復飛行。最終的には、弟まで同行した気の使いようなのに、蓋を開けてみれば、ほとんどこれと言ったトラブルもなく、あっけなく完遂。何と言ってもどっちの国でも助かったのが、車椅子利用者への優遇ぶり。「いつも最初に乗り降りできるので、楽ちんだったよ。」とは、家内の弁。
トイレも母一人で済ませたようだし、元々食べ物の好き嫌いがまったくない。案ずるより産むが易しとは、まさにこのこと。バコロド空港に車で迎えに行ったら、母は、車椅子に座ってはいても、実に元気そうに笑っていて、ちょっと拍子抜けです。
ただ後で聞いた話では、日本では父以外、誰とも顔を合わせず会話もない生活で、ずいぶんとショボくれてたらしい。それが家内が到着した途端、表情が明るくなったんだとか。有難いというか、分かりやすいというか。
ということで、なかなかいい感じで滑り出したお試し介護移住。さらに続きます。
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