前回に引き続き、ミンダナオ島滞在について。今回は、訪問先のミンダナオ子供図書館(Mindanao Children's Library 略称MCL)で働いておられる、日本人スタッフの方の話。
フィリピン人の家内と一緒になって27年、家内の実家がある、ここネグロス島に移住してからでも、もう13年目に入ろうという私ですが、ミンダナオには縁がなく、親戚も知り合いもいません。況してやミンダナオ子供図書館については、まったく未知でした。それが、4泊5日でお邪魔することになったのは、兎にも角にもツイッターがあったればこそ。
このブログにしてもそうなんですが、在外邦人にとってインターネットは貴重な情報交換の場。昔の海外移住者にすれば、夢のまた夢だったようことが普通に行われるネット界隈。離れた島に住んでいても、発信さえしていればすぐに同好の志が見つかるし、日本国内のニュースや映画、テレビドラマも視聴できる。音楽や書籍だって速攻で入手可能で、何ならアマゾンから(購入内容に制限はあるものの)日本の商品も買える。
なので他の国や地域と同様に、在フィリピン邦人の場合も、ツイッター内に自然発生的にできたコミュニティがあります。もちろん全員が仲良し子好しな訳はなく、ブロックの応酬があったり、トラブルの原因になったりもするでしょうけど、ここを通じて有益な出会いが多々あるのも事実。ちなみに同じSNSでも、フェイスブックよりツイッターの方が、相対的に使用者の年齢が若く、より多様な人たちが集まっている印象がありますね。
そして、MCLの職員である、宮木梓さんと知り合ったのは自然な流れ。しばらくのやり取りで分かったのは、私と梓さんの共通点。私が20年ちかく歳上なものの、同じ兵庫県のお生まれというだけでなく、私と家内が日本で14年間住んでいた、大阪府茨木市内の大学に通われてました。どうやら時期もダブっているようで、こりゃどこかでニアミスしてたかも知れません。
ここまでだったら「ちょっとした偶然」で終わりですが、同じフィリピンに移住し同じように配偶者がフィリピン人。ともに男の子を一人授かり、なんと一時はネグロスにもおられたとのこと。何より実際にお会いして話したのは、お互いに変わり者だという点。そりゃそうでしょうね。最近は増えたとは言え、まず日本から永住前提の海外移住というがかなり思い切った決断だし、しかも敢えてフィリピン。それもマニラやセブなどの大都会ではなく、ミンダナオやネグロスの、さらにその田舎であるキダパワン(MCLの所在地)とシライを選んだのは、紛れもなく変わり者。
もちろんこれは、多少の自虐を含むものの、自らの選択は必然で後悔はないし、少なくとも今現在は、それぞれの暮らしを幸せだと感じているからこそ言えること。
しかしながら、梓さんとツイッターで知り合って、すぐにMCL訪問となったわけではありません。やっぱりネグロスから見てもミンダナオは「ちょっとヤバい」感があったし、所属しておられるNGOが、地元の人たちへの物質的・経済的支援のみならず、ガチで子供たちを預かって寝食を共にし、ほぼ親代わりの世話をするスタイル。日本からの訪問者は歓迎とは言え、多額の寄付や支援物資を送れるような身分ではないし、学生でもない私にすれば、とても興味はあったけれど、それなりに覚悟と準備は必要でした。
そこで考えたのが、まず食事の支援。ネグロス移住後、かれこれ10年以上も家族のための料理担当主夫をしているので、地元の食材を使って、一般的なフィリピンの人たちが好みそうな料理を作るのには、そこそこ自信があります。時々梓さんが投稿するツイッターの写真を拝見するに、三度の食事はちゃんと摂っているけれど、調理は子供たちの当番制自炊が基本。食べ盛りな年齢にすれば、もう少し品数や献立の幅があれば喜んでくれるかなぁ、と思ったわけです。
そしてもう一つは歌。もう30年近く前に、カトリック教会の聖歌隊から出発して、移住後は暇に任せて、毎日ボイストレーニングと称したカラオケ練習。プロの歌手には遠く及びませんが、人前で歌ってもなんとか場持ちはできるレベル。レパートリーは英語とOPM(Original Philipino Music つまりタガログ語のポップソング)を含めて、100曲ぐらいあります。
その上、西ネグロスの方言であるイロンゴ語を解する人もいるキダパワン。こういう時のためにと、イロンゴの家庭教師に頼んで、日本の歌のイロンゴに翻訳し練習してきました。それでなくても歌って踊ってが大好きなフィリピン人なので、これは喜んでくれるでしょう。
というわけで、自分としては満を持してという感じで、年末年始と春節の大混雑を外しての1月中旬、ネグロスからミンダナオへの渡航となったわけです。料理と歌の評判はどうだったか...は、次回に続きます。
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