「敗戦80年に想う」と題したものの、私はまだ還暦を過ぎて数年なので、当然、先の大戦は経験しておらず、両親や祖父母、親戚や学校の先生から話を聞いただけの者です。それでも、物心つくかどうかの幼少期から、繰り返し聞かされた戦中・戦後の悲惨な体験。それに加えて、映像や書物、さらにはマンガなどで、トラウマになるほど心に刷り込まれているので、やはり八月十五日には、いろんなことを考えてしまいます。特に太平洋戦争での最大の激戦地の一つだった、フィリピンに住んでいれば、尚更です。
ちなみに私の両親は、敗戦時に8歳と9歳。母は大阪から親戚の住む長野県に疎開していたので、直接の空襲被害は受けなかったものの、父は大阪大空襲を間近に見ています。今に至るまで、当時のことはまったく話しませんが。
幸いにも、祖父母も叔父や叔母にも、戦死したり空襲で亡くなった人はいないものの、誰に聞いても食糧難は本当にたいへんだったとのこと。確かに、小学生ぐらいで満足に食べ物を口にできないって、その後の人格形成にも影響が出たと思います。この世代の人たちって、サツマイモやカボチャは、子供の頃に一生分食べたから、もう見たくもないって言いますからね。
さて、今年は80年目という節目なので、ネットで眺めているだけでも、実にいろんな記事や言説が流れてきます。さらに、ウクライナやガザでの終わりの見えない殺戮が続き、一つ間違えば核兵器が実戦で使われるかも知れません。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、昨年(2024年)のノーベル平和賞を受賞したのも、その可能性のヤバさが理由なのは、まず間違いないところ。
ここで唐突ですが、「ダウンフォール作戦」ってご存知でしょうか?訳すれば「破滅」の意味にもなる物騒な名称ですが、これは、1945年から46年(昭和20〜21年)にかけて、アメリカ軍が計画していた、日本本土への上陸作戦。まず45年11月に九州南部に上陸領(オリンピック作戦)し、そこを根拠地としてさらに翌年に、関東平野一円を占領(コロネット作戦)する予定でした。
この作戦は、原爆使用やソビエト連邦の参戦などがあり、日本政府がポツダム宣言(無条件降伏勧告)を受け入れて実施されなかったんですが、もしこれが現実になっていたら、私は生まれていなかったかも知れないし、その後の歴史もまったく違っていたでしょう。何しろ推定の日本側の死者が500万から1,000万(民間人含む・諸説あり)で、当時の総人口の7〜15%がいなくなる計算でした。
そしてここからがポイント。こういう話は日本人としては想像するのも苦痛だし、大戦末期の日米の圧倒的な戦力差からすると、巨人が虫けらを踏み潰すようなイメージなんですが、アメリカ軍の責任者や為政者の立場で考えたら、決してそんな簡単な話ではなかった。
例えばサイパンや硫黄島も沖縄も、その上陸と占領には、当初のアメリカの見込みよりはるかに長い期間を要し、多くの死傷者を出しています。もちろん日本側の被害に比べれば、ずいぶん少ないものの、沖縄だけで1万人以上の兵員が失われてますから、これが日本の本土となったら、大雑把に見積もっても、その何十倍の損耗は覚悟したでしょう。また、特攻や民間人まで動員した、相手からすれば狂信的としか思えない日本の戦い方を目の当たりにして、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する兵士も多かった。
実際には大雑把どころか、アメリカらしく事前に綿密な調査と研究が行われ、戦力分析だけでなく、予定戦場の地質まで調べたそうです。そして導き出された米軍の被害予測が、少なくとも戦死者25万人。場合によっては100万という見方もありました。史上最大の上陸戦と評されたノルマンディさえ比較にならぬ数字に、当時のアメリカ大統領トルーマンがビビったのも無理からぬ話。
「私は生まれなかったかも」と書きましたが、これはアメリカ側でも同じように考えた人も多く、もし戦争が長引いていれば、父は戦死して復員せず、その子供である私は存在しなかっただろうと。
こういう背景を知ると、後にアメリカ人が核使用を正当化する際の「原爆は、何万人ものアメリカ兵の命を救った」という常套句も、必ずしも詭弁や言い逃れとは、思えなくなってきます。念の為に書きますが、だから広島や長崎の犠牲は仕方なかった、など言ってるのではないですよ。民間人への無差別爆撃は、当時であっても明白な戦争犯罪だし、とても許される行為ではありません。
私が問題だと思うのは、こういった事実や数字が日本の学校で、まったく教えられていないこと。被害者として、戦争がいかに悲惨で、繰り返してはいけないというのは、私の世代は、嫌というほど教わりました。しかし、なぜ当時の為政者が戦争を始めたか、その背景や経緯はどうだったか、などなど、感情に訴えるだけでなく、歴史的にどうだったかの視点がなさ過ぎる。これでは、現実にどうすれば戦争をしなくて済むのか、その具体的な行動指針も考えられない。
実は私がまだ大学生だった頃に「昭和16年夏の敗戦」という、その後都知事になった猪瀬直樹さんの著書を読みました。それによると真珠湾攻撃の半年前に、対米戦争やっても勝ち目はないとの分析結果が、当時の内閣直轄の組織だった、総力戦研究所で出てたんですよね。それも、ほぼ史実を予言するような形で。
にもかかわらず、その結果を無視して全面戦争をやってしまい、もっと悪いことに、国が滅びるかというほどの負け方をしてもなお、冷静に知的に、その教訓から学ぼうとしないのはなぜなのか? 私たちが受けた平和教育が無駄だとは思いませんが、それと並行して、当時の世界情勢や日本の軍事力の実態、日本政府や軍部の指導力、帝国憲法の問題点など、冷徹な乾いた目で見定めて、少なくとも高校できちんと教えるべきじゃないでしょうか?
ところが、軍事について語ろうとしただけで感情的になって、軍国主義だの右翼だのレッテルを貼られてしまうのが戦後教育の現実。挙げ句の果てが、「あの戦争は軍部の暴走」という一種の思考停止で片付けて、それ以上考えることもしなくなる。これは憲法9条についても同じで、問題点を論じるどころか、その話題に触れることすらタブー。
その結果、戦略的にまったく割の合わない特攻や集団自決を、美辞麗句で飾り立てるような人が、政治家の中からさえ出たりします。それに異を唱えると「お前はそれでも日本人か?」ですからね。特に今回の参議院選で、参政党から候補者の発信には、目を覆いたくなるものがありました。
ということで、書いているうちに熱くなってしまい、ずいぶんな量になってしまいました。その上、フィリピンやネグロスのことからも離れちゃったし。これは、猛烈な反発があるかも知れません。でもこの件については、昔からずっと考えてきたし、これからも考え続けるんだろうと思ってます。
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