2025年8月13日水曜日

日本語教師を辞めた顛末

 今年(2025年)5月に、満を辞して始めたオンラインの日本語教師の仕事が、3ヶ月保たずにパーになってしまいました。実は、このブログが1ヶ月以上も間が空いてしまったのも、それが原因。

理由は一つだけではないんですが、まず一番大きかったのが、マネージメントが雑すぎること。元々この仕事は、フィリピン・バコロド(西ネグロスの州都)生まれで、現在日本在住の50代のフィリピン女性Dさんからのオファー。前々回の投稿でも書いた通り、同じく日本に住んで仕事をしている、あるフィリピン人からDさんへの依頼で、姪っ子に日本で仕事を手伝ってもらいたいから、日本語を教えてほしいとのこと。これは日本語教育だけでなく、来日のためのビザ取得の代行業務の一環です。

当初の計画では、今年の1月からバコロド市内に日本語学校をオープンして、約20名ぐらいの生徒の先生をするはずだったのが、ほとんど説明もなくズルズルとなし崩し的に延期。結局、しばらく学校は無理だからオンラインで一人だけ、給料は1/4で、となったのが5月の半ば。

まぁ、こちらは教職の経験がないので、実務研修を兼ねてと思って引き受けたものの、これが実に難儀な仕事。というのは、生徒さんがいつ日本に渡航して、どんな仕事をする予定で、いつまでにどの程度の日本語レベルが必要かといった、基本的な情報が全然なし。仕方がないので、こちらから根掘り葉掘り質問しなければなりません。

ところが、Dさんから訊いた話と、生徒さんの言う内容が食い違う。Dさんからは、8月末、つまり3ヶ月で150時間の授業を終えたいとの要望が、生徒さんはドタキャンの連続。このままでは間に合いませんと生徒さんに言ったら、別に8月じゃなくても構わないと、焦る素振りもありません。

それだけでなく、他の生徒さんも増やしたいみたいなことを、断片的に言ってくるDさん。でもフォローの情報は皆無。その話が無くなったのか、継続で検討中なのか、途中経過がまったくありません。もちろんメインの日本語学校オープンの見通しも分からないまま。8月に入って、いよいよスケジュール的にヤバいとなって「このままでは先生の仕事を続けるのは無理です。」とメッセージしたら二日遅れの返事で「身内が入院してしまい、なかなか連絡ができません」とのこと。

それはたいへん気の毒なことなんですが、それを理由にマネージメントを放棄されては、現場にいる身としては堪ったものではありません。そんなことがあるなら、せめてすぐに教えてほしかった。

この状況に追い討ちをかけるように、相変わらずモチベーションが超低空飛行の生徒さん。週に14時間の予定が、ドタキャンしまくりで、最後の方は週にたった3時間しか授業ができず。また、まったく平仮名を覚えてくれないので、毎回、教科書にローマ字の振り仮名を振って、英訳まで追加で授業素材準備。これだけで授業1回分で2時間はかかってしまう。そして開始直前の30分前とかに「今日は外食するから休みます」「今日は疲れたので無理です」みたいなメッセージが来ると、心底ガッカリします。

トドメが、生徒さん宅の環境の悪さ。とにかくうるさくて、生徒さんの声が聴き取れず中断もしばしば。というのは、なぜか授業の時間になると決まって、同居している叔母さんが部屋の掃除を始める。それもかなり大掃除に近いような感じでドッタンバッタン。さらに、隣室で他の誰かが大音量でテレビを見てるし、小さな子供たちが絶叫してる。とても集中して授業ができる環境ではありません。

せめて授業の間だけでも静かにするように頼めないの?と、生徒さんに訊いても、どうやら親戚宅に居候しているような身分らしく「ごめんなさん、でもそんなこと頼めないです」。よ〜く考えたら、フィリピンから外国に出稼ぎにいくような人って、この生徒さんに限らず、大家族で狭くて劣悪な環境に住み、学習能力も決して高くないことが多いんでしょうね。

ということで、先が見えず毎日ストレスだけが溜まっていくのでは、わざわざフィリピンの田舎に移住した意味がなくなってしまうので、今回の仕事は辞めることにしました。まぁ安いとは言え、一応3ヶ月は給与生活でをして、久しぶりに「次の給料日が待ち遠しい」感覚を味わえたので、良い経験ができたと思うことにします。



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