2026年4月10日金曜日

親の終活のお手伝い

 2月にフィリピンから、現地で介護している両親と共に一時帰国して早や2ヶ月近く。かなり長めに設定した予定も、残り1ヶ月余りとなりました。計らずも、一番寒い時期から徐々に暖かくなるタイミングで、この2週間ほどは、13年間ご無沙汰だったお花見を満喫。大阪城公園や、かつて長く住んだ大阪の茨木市内の、その名も「桜通り」なる名所を散策したり。なるほど、定年退職後の悠々自適の醍醐味とは、こういうことなんですね。

ただし、今回のメインの目的の一つは、実家の片付けと掃除。こちらは2月中に終えたので今は、それなりに快適な住環境になっているんですが、帰国当初の10日間ほどは、本当にたいへんでした。

母は痴呆状態ではなく、食事時には自力で立ち上がりダイニングまで歩いてこれるし、トイレも自力で済ませられるものの、それ以外はほぼベッドに横になったきり。日がな一日、大音量のテレビだけが生き甲斐という状況。父は90歳のわりには元気で、母の食事や買い物、洗濯と簡単な掃除ぐらいはできてるます。ただ、もう大掃除をするような体力はありません。

そもそも、若い頃から片付けのセンスが欠落しているような人で、それに加えて、終戦直後の貧しさを経験しているだけに、モノを捨てることができない世代。私が帰宅した時には、どの部屋もモノが溢れかえり、使っていない何室かは、ほぼ「ゴミ屋敷」か、その一歩手前。特に服と食器、布団と書籍が凄まじい量でした。

本来なら、業者を呼んで何万円か払って引き取ってもらってもいいぐらい。でも、捨てる前に両親の確認・許可が必要という枷がかかっていました。もし真面目にその要望を守っていたら、3ヶ月いても分別さえ終わりそうにありません。仕方がないので、片っ端から箱詰めにして、押し入れやクローゼットに収納するという戦術で挑みました。

約30年前に建築士の父が自分で設計・施工した我が家。当時はまだ珍しかった3階建て住宅で、日本の一般住宅としては、決して狭くはないし、部屋数も収納量も十分。今数えてみたら、11部屋とLDK2セットで風呂場が2つトイレが3つの、2世帯を想定した住宅。うまくやれば、大規模断捨離せずに済むだろうとの見込みです。

結果的には、私が今回の居室に使っている部屋とリビング、ダイニング、それに玄関、台所、洗面所は、見違えるようにモノの圧迫感がなくなりました。というのは、もう後から取り出すことは考えず、押し入れにギチギチに詰めていくだけ。強烈な筋肉痛と戦いながらの、立体ジグソーパズル。実は私、この手の整理整頓は嫌いじゃないんですよ。かつての職業だったデザイン業務も、例えて言えば一種の整理整頓。ひょっとすると私の天職だったのかも。

これは親が果たせなかった、終活のお手伝いですね。両親の他界後は、おそらく私か私の兄弟が、今度こそ業者を呼んで、後顧の憂いなく捨てられるよう、その前準備を終わらせたようなものです。それにしても、どの棚、どの引き出し、どの扉を開けても、これでもかこれでもかと出てくるモノの洪水は、ちょっとした悪夢でした。さすがに、もう使えなくなったバカでかいブラウン管テレビ2台は、電気屋さんに来てもらって処分。

そこまでやっても、寝室の一つだけは「物置部屋」とせざるを得ませんでした。面白いのは、上記の大片付け作業完了後、父親が感化されたのか、自分の書斎と寝室を整理し始めたこと。自分の持ち物を、残った段ボール箱やクリアボックスに詰めて、物置部屋に片付けてました。

ということで、冒頭に書いたように、大仕事を終えた後の花見三昧となったわけです。それについては、次回の投稿で詳しく述べようと思います。



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