2020年10月31日土曜日

台風オンドイの悪夢

これを書いている2020年10月31日、ハロウィンの午後。マニラ首都圏のあるルソン島に19号台風ローリー(フィリピン名 Rolly)が接近中です。中心気圧915hPa、中心付近の最大風速が秒速60メートル、瞬間最大風速が秒速85メートルの「猛烈な」強さ。

観測史上初めて、7月の台風発生がなかった今年。その後8月にはその帳尻合わせのように、10個の台風が発生して、日本にも大きな被害が出ましたが、不思議なことにフィリピンにはほとんど影響がなかった。

ところが10月の後半、立て続けにフィリピンに上陸する台風が続いたと思ったら、ハロウィンから万聖節(All Saints Day)という、この国では、死者のために祈る祭日を狙って、今シーズン最強の暴風雨が。

フィリピン中部ビサヤ地方のネグロス島に住む私としては、猛烈な台風というと、移住した2013年にビサヤを横断した、スーパー台風ヨランダを思い出さずにはいられません。あの時は、レイテ島東岸の州都タクロバンが、高潮のために壊滅的な被害を受け、死者6,300名、行方不明者1,062名、負傷者28,688名という、フィリピン史上最悪の台風被害。

私の住むシライでは、比較的被害は軽かったとは言え、土地の低い場所に住む貧困層の人々の多くが、強風や洪水で家財を失いました。我が家のメイド、ライラとその家族も被災者。なんと、今年になってようやく被災者救済のために作られた公共住宅が、やっと完成したそうです。復興に丸7年もかかったんですね。今はそこに、ライラの80代のお母さんが暮らしているんだとか。

それ以外にも、この時の洪水で、写真やアルバムが全部流されてしまい、2013年以前の子供時代や家族の思い出がなくなったという人の話も聞きました。つらいことです。

今回の台風ローリーは、風速や気圧の点でヨランダほどではないけれど、その進路が、2009年に首都圏を中心に甚大な被害をもたらした、台風オンドイ(Ondoy)に酷似。まだ私は移住する前でしたが、私の10年先輩で、早期退職してフィリピン人の奥さま、ハーフのお子さんたちとマニラ近郊のマリキナに住んでおられた日本人の方が、被災されました。

マリキナ川の氾濫などで、首都圏全体の交通網が麻痺状態となり、一時は空港も閉鎖。フィリピン全体で、464人もの犠牲者が。

ちなみに、秒速85メートルの強風って、どんなものか。陸上でこれほどの風が吹くことって滅多にないし、ヨランダの時も、シライではそこまでひどくはありませんでした。そこでYouTubeで検索したら、実験で80メートルの風を再現した動画がありました。


いやもう、恐ろしいとしか言いようがありません。大人でも風に押されて転がってしまうほど。子供だったら、本当に吹き飛ばされてしまうでしょうね。80メートルまでいかなくても、60メートルで木造家屋が倒壊し、鉄塔が変形すると言われています。フィリピンで家を新築すると、デフォルトが鉄筋コンクリートなのは当然ですね。


2020年10月29日木曜日

「おっちゃん・おばちゃん」をイロンゴ語で

最近あんまり、イロンゴ語(西ネグロスの方言)について、ブログでは取り上げてませんが、ちゃ〜んと勉強してますよ。

この6月から、私のイロンゴ語の家庭教師を務めてくれている、アン嬢。本職は高校の英語教師で、オンライン授業やら、オンラインに参加できない生徒のための紙に印刷した宿題やら、コロナ前より多忙な中、毎週のレッスンの準備を欠かさないのがエラい。

この頃は、土曜が勤務日なので、毎週水曜日の午後に2時間、我が家に来てもらってます。授業料は1回400ペソ(約1,000弱)。平均すると一月に4,000円ぐらい。日本の感覚からすると、安過ぎると思われるかもしれませんが、高校教師の月給が30,000円ちょっとで、田舎のお母さんに仕送りしているアンとしては、そこそこ家計の助けになってると思います。

それにしても、毎回飽きないように、いろいろと工夫をしてくれるアン。おそらく、地元の小学生向けのマザータング(母語)用の教材なんでしょうね。塗り絵やらパズルやら、ユーチューブに投稿されたイロンゴ語のショートプラグムやらを織り交ぜてのレッスン。

先日のテーマは、家族や親戚の呼び方。父母・祖父母・兄弟姉妹・伯父伯母・叔父叔母・従兄弟姉妹...を、イロンゴ語で何と言うか。前回、私がアンにお願いした内容。

フィリピンに住んでいる人は、よくご存知の通り、兄弟姉妹が6人や8人ぐらいは、さほど珍しくないこの国。特に経済的に余裕がない層や地方で、子沢山の傾向が強く、少し前に投稿したように、我が家のメイド、ライラは12人の下から2番目。

さらに、祖父母やおじ・おば、いとこと同居している大家族も多くて、それぞれの呼称を覚えておくと、ネグロスでの親戚や友達との会話で重宝します。

さすがに、移住して8年目なので、兄貴がクーヤ(Kuya)/マノン(Manon)で、お姉ちゃんがアテ(Ate)/マナン(Manan)、おじさんがティト(Tito)で、おばさんがティタ(Tita)、ぐらいは分かります。私自身がマノン・フランシス(私のカトリックの洗礼名がフランシスコ・ザビエル)とか、ティト・フランシスと呼ばれてますから。

お父さんがタタイ、お母さんがナナイ。そしてお祖父ちゃんがロロ(Lolo)で、お祖母ちゃんはロラ(Lola)。ちょっとフォーマルな言い方の兄弟姉妹は、性別関係なくウトッド(Utod)。兄・姉には、マグラン(Magulang)が付いて、マグラン・ンガ・ウトッド(Magulang nga utod)。弟・妹は、マングフッド・ンガ・ウトッド(Manghod nga utod)になります。

日本語の長男・長女や末っ子を意味する言葉もあって、長子はスバン(Subang)、末っ子がアゴット(Agot)。ただ、次男次女のような、兄弟姉妹の順番までは、あまり気にしないのか、特定の呼称はないようですね。

いとこはパカイサ(Pakaisa)、甥・姪はヒナブロス(Hinablos)。ここら辺までは、日本語でも英語でも、普通に使うとして、さすがフィリピンと思ったのは、義理親同士、つまり私の両親と家内の両親の間柄にも、バライー(Bala-e)という呼称があること。

そして、日本語でのまたいとこ(はとこ)は、イロンゴ語でパカドゥハ(Pakaduha)で、さらにその子供同士が、パカタトロ(Pakatatolo)。最近の日本だと、いとこぐらいなら、比較的頻繁な交流はあっても、その子供同士になると「遠い親戚」になってしまって、滅多に会わないし、名前も知らなかったり。またいとこの子供に及んでは、呼び方すら見当たりません。

ところが、フィリピンでは冠婚葬祭以外でも、誕生日とかクリスマスパーティなどで、やたらこのレベルまで顔を合わせることも。特にネグロスのような地方だと、またいとこぐらいなら、かなり近くに住んでるですよ。なんだか、金田一耕助の映画に出てくる、戦前の日本の田舎みたい。

笑ってしまったのが、おじさん・おばさんのカジュアルな呼び方のティヨ・ティヤ(Tiyo / Tiya)。これは、「おっちゃん」「おばちゃん」みたいな響きになるらしい。ティト・ティタ(敢えて対比して訳すと「おじさま」「おばさま」?)が、都会っぽく洗練されて聴こえて、ティヨ・ティヤは田舎もんの言葉使いというイメージ。もっとぶっちゃけて言うと、金持ちと貧乏人の違い。

なのでアンは、友達の前で甥っ子や姪っ子から「ティヤ!」と大声で呼ばれたりすると、恥ずかしいそうです。確かに、もし私が、梅田のお高いホテルのロビーとかで、「おっちゃん!」と言われたら、ちょっと恥ずかしいかも。


2020年10月27日火曜日

お墓参りの前倒し

 コロナ禍が原因で、またもやフィリピンの年中行事がひとつ、取り止めになってしまいました。この時期の行事というと、最近の日本人はハロウィンかと早合点しそうですが、フィリピンの人々には、それよりもっと大切な行事、万聖節(11/1)〜万霊節(11/2)のお墓参りです。

このブログで、毎年のように書いている万聖節(All Saints Day)。万聖節は少々古めかしい呼称で、今では「諸聖人の日」と和訳されているこの日の宵祭が、ハロウィン。日本ではすっかり、仮装して騒ぐ日として定着しちゃったハロウィンが添え物で、翌日がメインの祭日なんですよね。

祭日と言っても、フィリピンでは日本の盂蘭盆会に相当する行事。亡くなった人の魂が家族の元に帰る日とされ、万聖節と万霊節だけは、日頃の歌って踊っての騒ぎは鳴りを潜めて、親族一同が、静かにお墓の前で一夜を過ごします。

このために、わざわざ遠方から里帰りする人も多く、例年、交通機関も墓地も、たくさんの人出がある季節。いまだコロナ禍の真っ只中にあるフィリピンでは、やっぱりこれはマズい。案の定、大統領からのお達しで、今年の万聖節前後は、全国の墓地が閉鎖されることとなりました。

それでも家族の結びつきが強いフィリピンの国民性。まぁ日本人の私からすると、生きてる時も死んでからも、ちょっとベタベタし過ぎじゃないかと思うぐらい。墓の前で死者のバースデーパーティしたりする。なので、閉鎖される前に、前倒しのお墓参りをするのは仕方がないところ。

私も、家内やその親戚と一緒に、先日の日曜日、接近中の18号台風クィンタ(フィリピン名)の影響で小雨が降る中、義母とその弟が埋葬された墓場へ行ってきました。

本来なら、食事や飲み物を持ち込んで、深夜のピクニックになるのですが、夜間はゲートが閉まるので、昼間だけ。天候のこともあって、ほんの30分ほどで早々に引き上げました。

ただ、考えることはみなさん同じで、早めのお墓参りに訪れる人たちもいました。もちろん、例年とは違って、屋台や出店もなく、人の数はまばらな感じ。実に寂しい限り。



お墓参りにもマスク着用

さて、私が住むネグロス島の地方都市、人口12万人のシライ市。一時期に比べると、陽性患者はかなり減ったようです。半年前のようなガチガチの都市封鎖はなくなって、未成年者と高齢者以外は、ほぼ自由に動ける状況。

とは言え、クリスマスのミサには与れそうにないし、パーティも無理。聞くところによると、1月にマニラで行われるブラックナザレの祝祭は、結局中止になったそうで、この調子では、4月のイースターも危ない感じ。

さすがにその頃には、ワクチンが開発されているかも知れませんが、赤十字への支払いが滞って、PCR検査を停止されているような状況なので、フィリピンにワクチンが供給されるのは、何ヶ月も遅れると思われます。

まだまだ先は長い。



2020年10月24日土曜日

ローマ教皇の発言について考える


 いやぁ、これは驚きました。全世界人口の18%、13億人を超えるカトリック信徒のトップであるローマ教皇フランシスコが「同性愛者には、家族の一員になる権利がある」と発言したそうですね。私自身がカトリック信徒であり、アジア最大のカトリック国、フィリピンに住む身としては、なかなか衝撃的なニュース

ただ、これによってカトリック全体が、同性愛行為を公式に認めたということではありません。神父によって同性カップルの婚姻を行うのではなく、甚だ微妙な表現ではありますが、「法的に保護される、婚姻に準ずる権利が必要」と述べているだけ。

実は、ローマ教皇がまだブエノスアイレスの大司教だった頃に、同性カップルの婚姻は認めないが、法的保護を与えるための「シビル・ユニオン法」を教会が推奨すべきとの立場だったとのこと。教皇になっても、その考えは変わっていないと表明したわけです。

シビル・ユニオンとは、1989年にデンマークから始まった、同性間カップルに対しても、異性間の結婚と同様の法的地位を付与する制度。現在、欧州諸国と、アメリカやカナダ、オーストラリアのいくつかの州、そして南米でも、名称や内容の差異はありつつも、この制度が実施されています。

ご存知の通り、日本ではまだ国の法整備までは至らないけれど、東京の渋谷区、世田谷区、兵庫県宝塚市などで、「男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備える関係」と定義したパートナーシップを、同性間カップルに認め、アパートへの入居や病院での面会を拒絶されないための条例を成立させています。

ところが、広く世界を見渡すと、法的制度どころか同性愛行為そのものが違法で、終身刑や死刑となる国もあります。

さて、私の住むフィリピン。多くのLGBTの人々が、その性的指向を公言して憚らないイメージがあって、シビル・ユニオンなどとっくに実現しているのかと勘違いしてましたが、全然そんなことはなくて、むしろ今回の教皇の発言で、カトリック関係者や政治家の間で騒ぎが起こっている。

この国では、明らかにLGBTと分かる服装や態度、言葉遣いであっても、それを理由に差別されることは、少なくとも私が知っている範囲では聞いたことがない。学校の先生や、オフィス勤務、スーパーのレジ係、セールスパーソンに至るまで、彼・彼女らは普通に仕事をしています。

とは言っても、カトリックが圧倒的大多数のフィリピン。やっぱり結婚や性にまつわる事柄に関しては、保守的なんですよ。実際のところ、いくらセックスワーカーや未成年の妊娠などが社会に溢れていようとも、メンタリティの核になるのはカトリック的道徳観。

そして教皇フランシスコの発言は、飽くまでもドキュメンタリー映画の中での個人の意見。バチカンの公式発表とはまったく意味合いが違います。ドゥテルテ大統領は、支持を表明しているそうですが、案の定、政治家や司祭は猛反発。「あきれて物が言えない」とする司教までいます。

ということで、私の見るところ、いくらパパさま(教皇)がそう仰っても、国の法律としてのシビル・ユニオンが、近いうちにフィリピンで実現する可能性は、とても低いでしょうね。



2020年10月22日木曜日

洪水で怖いのが感染症

月曜日、ネグロス島に豪雨をもたらした、17号台風フィリピン名ペピートは、火曜日に首都マニラがあるルソン島に上陸。洪水や地滑りがあったそうですが、幸い死傷者は出なかったようです。

水曜日まで続いた雨も、今日の木曜日にはすっかり上がり、朝から熱帯の日差しと青空が戻って久しぶりに真夏日。スーパーの輸入食材コーナーで買った日本製の麦茶が美味しい一日となりました。


台風一過の青空

さて、先週木曜日からずっと欠勤だったメイドのライラおばさん。月曜日は私たちの住むシライ市内の各所で小規模な道路の冠水があり、そのせいでライラも出てこれないだろうと思ってましたが、水が引いた火曜日も連続で休んでしまったので、少々心配しておりました。

若干疲れ気味の表情で、ようやく水曜日に出勤してくれたライラ。川沿いの低い土地にある自宅は、案の定くるぶしぐらいまで浸水したそうです。その上、足の甲に負った傷が化膿して発熱。またもや寝込んだとのこと。9月は散々だったライラの受難は、まだ続きがありました。

確か去年だったと思いますが、日本での洪水直後に、小学生ぐらいの子供たちが、水浸しになった家屋の片付けや掃除の手伝いをする姿が、美談のように報道され、「危険だ」との非難が殺到したことがありました。あれは本当に危ないですよ。

洪水の時に流れている水って、下水やらゴミ、その他の廃棄物など、人体に入ったら間違いなくヤバいものが混ざっているのは、日本でもフィリピンでも同じ。しかもガラスなどの破片で怪我をする可能性も高いし、大人でもかなり危険。

特にフィリピンでは年中暑いので、短パンにサンダルが標準仕様。冠水や屋内への浸水に慣れっこになっていて、膝下ぐらいの水嵩だったら、そのままの格好でザブザブ歩いている人も多い。

それだけに特化した調査や統計って、あまり見ませんが、フィリピンの洪水時の負傷者の中に占める感染症患者の割合は、かなり高いんじゃないでしょうか。

傷口から病原菌が入って感染する病気というと、私が真っ先に思い浮かべるのが破傷風。ネットで調べてみたら、やっぱりフィリピンに渡航する前に推奨される予防接種の中に、肝炎や麻疹、狂犬病に並んで、破傷風もありますね。重篤化すると、強烈な全身の筋肉痙攣のために、舌を噛んだり骨折することもあるという恐ろしい病気。

さすがにフィリピンに住んでいても、身近で破傷風に感染したという話は、聞いたことはありません。しかし、我が家の建設中に、大工さんが現場で古釘を踏み抜いて負傷、それが膿んで一週間ぐらい休むというケースは3回ぐらいありました。その度に、破傷風と違うやろなぁと気を揉んだものです。

ということで、何とか仕事に戻ったライラおばさん。いつもと同じように、掃除や洗濯、犬の散歩をこなしてくれました。最近は、ライラが帰宅する時に、明日も元気に来てくれるかと、祈るような気持ちになっております。



2020年10月20日火曜日

体調不良と冠水と

 10月の後半の今頃というのは、例年、ネグロス島では天候が不安定になる時期。言うまでもなく、その一番の原因は、雨季であることと、それに被さるようにやって来る台風です。今年はいつになく、フィリピンに接近したり上陸する台風が少なく、慢性的な水不足に悩むマニラ首都圏では、まだ半年も先の乾季に向けて心配する声が上がるほど、降るべき時に雨が降らない。

ところが、さすがにいつまでも平穏な日々は続かないようで、ついに昨日(10月19日)の月曜日、未明からの土砂降りで、自宅前の水捌けの悪い道路が、久しぶりの冠水となりました。もう退職して8年目の私も、やっぱり週明けにこの天気だと、少々気分も塞ぎ込むというもの。

フィリピン教育省勤務の家内はというと、この悪天候をものともせず、オフィスの同僚に車で迎えに来てもらい、ちゃ〜んと出勤。「トライシクル(オート輪タク)が拾えないから、今日は休みます。」が、普通に通用してしまうこの国にあっては、なかなか珍しいメンタリティと言えるでしょう。

ちなみに私の日課である、毎朝のサイクリングは中止。そのまま二度寝してしまい、ストレッチと筋トレまでサボってしまいました。さらに我が家のメイド、ライラおばさんも欠勤。実は、先週木曜日のお姉さんの葬式以来、ずっと休んでいます。川沿いの土地が低い場所で暮らしているので、ひょっとして自宅に浸水でもしたのかも。

さて、フェイスブックに表示される「思い出」。過去の同月同日に自分がどんな投稿をしていたかを、ご丁寧に見せてくれます。それによると、ネグロスに移住してからだいたい毎年、この時期には、家族の誰かが体調を崩している。

やっぱり雨が続いて気温が下がり、寝冷えをしてしまうことが多い。そして日本の梅雨と同じく、食当たりのリスクも増すようです。今年は私が、きっちり風邪を引いてしまいました。

コロナ禍の真っ只中なので、発熱とか咳があったらヤバいのですが、そちらは全然何ともなくて、ひたすら鼻水とくしゃみ。花粉症ほどひどくはないけれど、ボイストレーニングや料理の最中だと、鬱陶しいことこの上なし。仕方がないので、日本から持ち込んだ虎の子のコンタック600を2カプセル服用。

そして今日、またもや朝から激しい雨で目が覚めた火曜日。どうやらこれは、フィリピンの東海上から接近中の17号台風、フィリピン名ペピートの影響らしい。進路は北寄りで、ネグロス直撃コースではないものの、明日にはルソン島東岸に上陸する模様。

このブログを書いている、フィリピン時間の夜10時前。ネグロス島から台風が遠ざかりつつあるようで、ようやく雨がやんで、外はカエルの大合唱。コンタックが強烈に効いていて、鼻水も治まった代わりに襲ってくる睡魔。ということで、今日は早めに寝ることにします。



2020年10月18日日曜日

フィリピンで癌になったら

今日のタイトル、 あんまり考えたくはないのですが、やっぱり還暦間近になると、考えてしまいますわなぁ。日本人の二人に一人が罹り、三人に一人の死因になっているという癌。

私の祖父母や叔母がそうだったし、家内の母親は14年前に癌で亡くなってます。義父も同じく癌でしたが、幸い早期発見だったらしく、抗癌剤治療の結果、元気になりました。

実は最近、日本から持ってきた蔵書の中にあった、立花隆さん著の「がん 生と死の謎に挑む」というノンフィクションを読みました。一度は読了したと思ってましたが、全然内容に覚えがないので、未読だったんですね。

2009年にNHKスペシャルで放送された番組の取材内容を、きわめて丁寧に解説し、しかも番組では語り切れなかった情報を深掘りした著作。最近この本を読んだという放射線医の方によると、もう10年近い時間が経過しても、十分通用するそうです。と言うことは、この10年でも、画期的な治療法や予防法は、残念ながらまだ見つかっていないということ。

2020年現在でも、Kindle 版が購入可能ので、詳しく知りたい方は、是非そちらを読んで頂きたい。

この本は、立花さんご本人が膀胱癌の手術をしたことがきっかけで書かれました。加えて、立花さんの前の奥さんが癌で亡くなっていて、その最後を看取ったことも。

知の巨人と呼ばれ、医学に関しても深い知識と洞察がある立花さんですら、自身が癌患者となって知ったという、癌治療の最前線。実際のところ、なぜ人は癌になるのかも、大まかな輪郭がようやく分かってきたレベルだと言います。

私も含めて、一般の人が漠然と考えているのは、何らかの発癌物質を体内に取り込まれてしまい、それが原因で癌ができる...みたいな感じでしょう。確かにダイオキシンやアスベスト、喫煙などが関連しているらしいのですが、どの物質を、どれぐらい摂取したら癌になるかは未解明。

最初の癌細胞が発生して、自覚症状が出たり、診察によって見つかるのは、10年から20年も経ってから。長年にわたって、細胞分裂時の遺伝子コピーミスが何千回、何万回と繰り返されることで、発症するのが癌。

つまり、今、癌が見つかっても、その原因は10年20年前から蓄積されたものであり、多くの場合、単一の発癌物質や、生活習慣だけとは考えられないらしい。ただ、何年間も大量飲酒をしたり、毎日の喫煙は、発癌リスクを高めるのは間違いなさそう。過労やストレスなどで免疫力を落とすのもマイナス要因。

さらに、その人がどんな遺伝子を持っているか、どのような生活をしてきたかで、どの部位に癌ができるか、どの治療法が有効かが、ガラリの違ってくるのが厄介なところ。なので、どんな癌にでも効く夢の新薬、新治療方は、そう簡単に現れそうにない。

とは言え、私の祖父が癌になった1970年代に比べれば、完治は無理でも、寛解(再発の可能性があるものの、症状を押さえ込んだ状態)に持ち込む可能性は上がっているし、たとえ末期でも、ギリギリまで苦痛を和らげて、QOL(生活の質)をある程度保ったまま、余命を生き切る選択肢もある。

この本を読んで、もし私が癌になっても絶対に避けたいなと思ったのは、無理な延命治療と怪しげな代替療法。

癌とは、元々自分の細胞だったものが、遺伝子に異常を来して暴走し、増殖が止まらなくなった状態。抗癌剤が健康な細胞まで殺傷してしまうのは、止めようがないんだそうです。強い吐き気や倦怠感、脱毛、免疫機能の低下、などの副作用が出るのはこのため。

寛解の見込みがあるのならまだしも、ただ数ヶ月程度の延命のため、人生の最後に、行きたいところにも行けず、食べたいもの食べられない、残った仕事にも手をつけられないのは勘弁してほしい。

最悪なのは、代替療法。効果が証明されていない、民間療法や食事療法の類。一回の治療や投薬に何十万円なんてのも珍しくないらしい。何をやってもダメで、すっかり絶望し、藁にもすがる気持ちで...というのは理解できますが、家族に意味のない負債を残すことはしたくない。(この辺りの感覚は、幡野広志さんの影響も大きいです)

この本では、アメリカにあるナチュラル・プロダクト・レポジトリーという国立の研究機関が紹介されいて、ここでは何百万種類もの有機物質の抗癌効果の有無を確認し、全サンプルを保管しているとのこと。この物質リストは公開され、営利目的でなければ、注文すればサンプルを取り寄せることができる。

タツノオトシゴやオウム貝の殻まで調べているそうで、およそ考えられる物は、すでに誰かが試していると思った方がいい。本当に効果があるなら、遠の昔に標準療法に取り入れられているはず。

とまぁ、本の紹介に延々と文字数を費やしてしまいましたが、タイトルにある、もしフィリピンで癌になったらどうするか。実際に、近所に住んでいた私と同世代の日本人の知り合いが、別の病気の診察で癌が見つかり、ネグロスでは治療できないと言われ、帰国して入院というケースがありました。

癌の進行具合や種類によっては、ネグロスの総合病院で何とかなるかも知れませんが、おそらく私も、帰国しての治療の選択をするでしょうね。一応はアクサの保険に加入していても、カバーできるのは、100万ペソ(約220万円)まで。レベルの割には、恐ろしく高額なフィリピンの医療費なので、日本に戻って、国民健康保険再加入になりそうです。まだ飛行機に乗るだけの体力が残ってたらの話ですが。

ということで、いざとなった時に、あんまりみっともなくジタバタしないように、調べられることや、頭の中でできるシミュレーションは、今のうちにやっておこうと思っております。それから、コロナ騒ぎが終息したら、せめて数年に一回は、日本での癌検診も。