2014年11月28日金曜日

フィリピン送金事情

フィリピンは、景気がいい。2013年のGDP成長率が7.18%。世界第20位(調査対象国188中)だそうで、日本の1.52%の138位と比べると、どんだけすごい勢いかというのが、よくわかります。

これは、数字だけの話ではなく生活実感。
人口たかだか2万人のシライ市に、大きなスーパーマーケット(ロペス、プリンス)が二つも営業中。そしてフィリピン最大手のSM(シューマート)系列のセーブモアが近々開店予定で、現在新店舗を建設中です。

象徴的なのは、洒落たカフェが増えたこと。以前は州都のバコロド(50万都市)まで行かないと、まず見られなかったような、単価が200ペソ近くもするケーキを出して、清潔な店構えのカフェが、相次いで自宅近くにオープン。一昨日も家内の誕生日祝いを兼ねて、一番新しいところに行って来ました。




しかし、こういう場所から徒歩数分の距離にスラムがあって、貧しい生活を送っている人がたくさんいるのもフィリピンの現実。景気が良くても失業率は相変わらず高く、2013年の記事によると7%。最近経済の雲行きが怪しくなってきた中国で4.1%。その他のASEAN諸国(タイ0.7%、ベトナム2.0%)に比べても圧倒的に悪い数字です。

この状況での好景気を支えているのは何かというと、それが海外労働者。建設作業従事やメイドのような単純労働だけではなく、今や約1000万人にのぼると言われる海外労働者の半分は医師や看護士、エンジニア、船員などの専門職。送金総額は214億ドル(約2兆5千億円!)。銀行を通さない直接持ち込みも含むとこの倍額で、フィリピンの国家予算に匹敵するそうです。

最近、フィリピン国内ですが、お金を送ったり受け取ったりすることがあって、どういう状況なのかを見る機会に恵まれました。目抜通りに面した一角に、その手のお店がいっぱいかたまってます。今まで意識したことがないので気づきませんでしたが、こんなにあったのか。





どれも質屋、両替、送金を兼ねた一種の総合金融機関みたいなもの。マニラでもセブでも見たような店の名前だと思ってたら、全国チェーンの送金システムだったんですね。朝の開店時間の8時には、かなり人が集まってました。ここで送金を頼むと、用紙を渡され、送金先の都市・支店名、受け取り人の名前と携帯番号を記入して、送るお金と手数料(送金額の2〜3%程度の固定レート)を渡せば、時間差ゼロで送金先にてお金を受け取れます。

受け取る時は、身分証明できるものが必要ですが、銀行口座を開く必要もなくとても簡単。なるほど〜。こうやってお金を送ってたのか。見た目は日本のパチンコ屋裏にある、景品交換所みたいな佇まいですが、フィリピンの経済のしくみを考えると、このような質屋さんが、銀行以上に重要な金融の大動脈なんですね。

出典
【海外情報レポート】好調なフィリピン経済を牽引する海外出稼ぎ労働者の送金事情
世界の経済成長率ランキング


2014年11月26日水曜日

濡れ髪の乙女

もうすぐ12月。フェイスブックで見る日本にいる友達の写真では、みんな厚着して寒そう。ここフィリピンでも朝方や雨が降る日には、長袖着たりカーデガンを羽織ったりしてる人を見かけますが、ちょっと照るとすぐ真夏日。家にいる時はTシャツ、短パンが基本。

そんな気候で、年中汗をかきやすいためか、男女を問わずみんなシャワーをよく浴びます。だいたい朝晩、時には日に3〜4回というのも珍しくありません。街中はゴミのポイ捨てし放題で、お世辞にもきれいな街並みとは言えませんが、歩いてる人はきれい好きでこざっぱりしてます。男性でも櫛を持ち歩いて、ショッピングモールのトイレで、一生懸命髪を撫でつけてる。

そんなフィリピンの朝の風景。
出勤や通学の女性を見ると...これがほとんど全員と言えるぐらい髪がびちゃびちゃ。日本でも若い女性の朝シャンはよく聞く話で、最近の洗面台には洗髪用のシャワーが付いているほど。フィリピン女性は、日本で朝シャンとか言われる前から、みんな朝に髪を洗っていたのですが、こちらは誰も洗髪後に髪を乾かさない。
朝早くに、髪も洗わない(髪が乾いたまま)で外出する女は、不潔だと思われるんだとか。




初めてのフィリピン出張の時に、マニラでこれを見たときはびっくりしました。夕立があったわけでもないのに...。どうやらドライヤーを使うという習慣がほとんどないらしい。暑いし放っておいても自然に乾く、ということなんでしょうが、髪の毛が痛まないのかと心配してしまいます。電気屋さんに行けば売ってるんですけどね、ヘア・ドライヤー。
反対にフィリピン人は、旅行で来た日本女性がみんなドライヤー使ってるのを見て驚くそうです。

それにしても、日本だと温泉とかプールでもなければ、濡れ髪の女性は、そうお目にかかるものではありません。普通に道を歩いていて、しかも出会ったのが顔見知りの女性で、髪が濡れている(しかも、フィリピンではロングヘアーの人が多い)を見ると、ちょっとドキっとしますね。


2014年11月24日月曜日

お手軽ニッパハウス

しばらく前、庭に設えたテントが「崩壊」してしまったことを投稿しました。その最後で触れたように、大工さんに頼んで、テントがあった場所にニッパハウスを建ててもらいました。昨日はそこに竹製のベンチを移動して、なかなかいい感じのトロピカル・オープンカフェ風の空間が。



鉄筋コンクリートの家が多いけれど、決して出来がいいとは思えないフィリピンの住宅。実際に作っているところを間近に観察すると、強度的にも美観的にも恐ろしくなるぐらいヘタ、というのが偽らざる感想。我が家の場合、日本人フォアマン(現場監督)が付きっ切りで仕切って、何とか住めるレベルになりましたが....。

そこへ行くと、ニッパハウスは作るのを見ていて、まったく不安がありません。たとえ失敗しても材料が格安の竹と椰子の葉っぱなので、やり直しても知れてます。そして、やっぱり手慣れてますね。今回、2日半の工期の間、いつ見ても手が止まってないし、段取りも万全。

昔からの手法で建つこともあるでしょうが、基礎にスチール管使ったり、屋根を葺き終わった後、プラスティックのネットで覆ったりと、素人目に見てもしっかり長持ちするような配慮がされてました。これで予算は、5000ペソ(1万円)に満たず。ものすごく得した気分です。

住宅というと、耐火耐震で何十年も風雨に耐えるのがあるべき姿、みたいなことをつい思いがちですが、フィリピンのように冬の寒さがない場所では、本来そんなに頑強な家を建てなくてもいいのではないか?

竹と椰子の葉でも、きちんと建てれば快適な家はできます。現にリゾートホテルのコテージなどでは、そういう客室もよく見かけますね。ただ手入れは欠かさずする必要はあるし、屋根は何年かに一度、葺き替えないといけない。でも、日本の茅葺き屋根の家も、昔はそうやって暮らしていたはず。

電気や上下水道がなくてもいいとまでは言いませんが、なんでもかんでもコンクリートブロックにセメント塗り込めてペンキで仕上げる、としなくても、安い素材と労働力を活かせば、貧困層の住宅難とか解決できそうな気がします。

誰か有能な建築家やデザイナーが、フィリピンの条件をうま〜く取り入れて、モダンで量産できる住環境をデザインしてくれないものでしょうか?










2014年11月21日金曜日

フォトジェニック・フィリピーナ



ちょっと前に、「強くてきれいなフィリピーナ」という投稿をしたばかりですが、今日は、日本の男(というより私)は、なぜフィリピーナに惹かれるか?というお話。フィリピーナという言葉だけで、そのために身を持ち崩してしまう、アホな日本人のオッさん、と月並みな筋書きを思い浮かべる人も多いかと。

でも、男だけがフィリピーナが魅力的と感じているわけではなく、日本でスナックのおねえさんに聞いてみて「フィリピンの女の子は美人だからね〜。」と言われたのは、一度や二度ではありません。

一説によると、雌雄の別がある生き物は、遺伝的に適度な距離のある異性を好む傾向があるそうです。日本人で言うと東南アジアぐらいが、この「適度」らしい。でもインドとかアラビアまで行ってしまうと、ものすごく端正な顔つきで、間違いなく美男美女であっても、実際に付き合うには躊躇してしまうんだとか。

それから、フィリピンは元々マレー系の人たちがいた場所に、インド系、中国系、スペイン系と、いろいろな場所から移民があったり侵略を受けたりして、実にバラエティに富んだ顔つきをしています。どうも混血は、魅力的な風貌を生み出しやすい気がします。

こっから先は、お前、何を見て歩いとんねん?とツッこみが入りそうですが、フィリピン人はスタイルが良い人が多い。背は低くてスリムでも、出るべきところが出ていて、引っ込んでいるべきところが引っ込んでいる。そして私より小さくても、腰の位置が高い。つまりマリリン・モンロー(例えが古くてすみません)みたいな、ものすごいグラマーではないけど、とてもバランスがいい。

もちろん全員がそうということではなく、肥満の人もいっぱいいますが、全体の印象としてそんな感じを受けます。そして何よりも、特に女性を魅力的に見せているのは、笑顔。とにかく深刻な表情でうつむいている人って、外歩いていてもあまり見ません。高校生ぐらいなら日本でもそうかもしれませんが、よほど生活に疲れた人でもない限り、小学校で見かけるお母さんたちや、市場のおばちゃんたちは、いつも本当に明るくて笑顔が絶えない。

一番それを感じるのは、カメラを向けた時。男性もそうですが、写真に撮られるのをこんなに喜ぶ人たちって、他であんまり見たことがない。誰でも写真用の、とびきりの笑顔を用意しているようです。

関西人的視点から、もうひとつ付け加えると「ええお客さん」が多い。要するにアホな冗談でも、きれいな女の人が笑ってくれるんですよ。全然お高くとまらない。この国で「おもろい人」と評価されると、とても居心地がいい生活が送れます。ある意味、関西人にとっては一種のパラダイスかも知れません。

なんだか、今日の投稿は酔っ払って書いたような、自爆的な内容ですね。



2014年11月20日木曜日

ポチョラとクーカイ

ポチョラとクーカイって何のこっちゃとお思いでしょう。意味は全然なくて、家内がウチで飼ってる雌鶏に付けた名前。この二羽と、雄鶏が一羽。これはブランドーと言います。

新居ができて、引越しの日にお祝いに仔犬を二頭もらい、可愛がって育ててたんですが、1ヶ月ほどで二頭とも急逝。その後私は、もう生き物は飼わないと言ってたのに、家内はすぐ鶏三羽を飼い始めました。

今度は愛玩用ではなく、卵や鶏肉の食用なので、まぁいいか。
雄鶏一羽と雌鶏二羽。繁殖させようということらしい。フィリピンでは普通の家でも、よく鶏を飼います。ほんの小さな空き地や路地のような場所に、足を紐でくくられた鶏が、コッコ、コッコと歩き回っている。

ちょっと規模が大きくなると、家一軒建てられるほどの土地に、板切二枚を組み合わせた小屋みたいなのを作ってたくさん飼育。私の自宅の裏が前市長さんの家だそうで、お屋敷のような家と広大な庭があり、人間よりも贅沢なというほどのスペースで鶏が飼われています。




実はこれ、闘鶏。家内によると、ずいぶん高価な種類。敷地の一角には、最近闘鶏場が作られて、何ヶ月に一度か闘鶏が開催されます。どうやら完全会員制らしく、外からは見えません。(ウチの2階ベランダからは、丸見えですが)

闘鶏の日には、前市長の家の前の道には、高そうな車がずらりと駐車され、深夜までお客さんが賭け闘鶏に興じます。広い庭では、テーブルが並べられて、酒や食事も出されているようで、まるで映画「ゴッドファーザー」冒頭の結婚式シーンのよう。

さて、我が家の三羽の格安な鶏たち。ヒヨコ誕生を待っているのに、どうも雄鶏くんがそちらの能力に欠けているらしい。私が留守にしている間に、この雄鶏は鶏肉に化けてしまいました。帰宅後しばらくして、一羽いないのに気づき家内に聞くと「昨日の晩、食べたでしょ」と言われてしまいました。エラい固い肉やと思ったら、そういうことだったのか。

その後釜にやって来たのが、マッチョな雄鶏ブランドー。この時に、家内が三羽に名前を付けました。名前なんか付けたら、食べられなくなるぞ〜。それにしてもクーカイ...。弘法大師のお名前を雌鶏につけるとは、どんな神経かと思いますが、これは単なる偶然。日本滞在歴15年の家内も、そこまでの知識はなかったようです。

ブランドーが来てから、めでたくポチョラが有精卵を九個産卵。その中から三羽が生まれ、二羽が今元気に育ってます。そして、今週の月曜日には、クーカイも三羽のヒヨコの母に。我が家には、ちょっとしたベビーブーム到来。

ヒヨコが三羽生まれた夜、肉屋さんで買って来たホールチキン(丸ごと一羽分の鶏肉)を私が料理していると、家内がポツリと一言。
「クリスマスにポチョラ食べよか」

え〜〜!


ポチョラ母子の運命やいかに?


2014年11月19日水曜日

餃子の日

新居が完成して、落ち着いた時間が持てるようになってからせっせと料理作りに励んでいる最近。カレーやオムライスの類の日本スタイルの洋食はいろいろ試しましたが、この頃は中華にシフトしてます。

炒飯や焼きそばは、フィリピンでも簡単に食材や調味料が手に入り、そもそもフライド・ライス、パンシット・カントンと名前こそ違え、ほとんど同じ料理がこちらにあるので、割高な食材を買うこともなく、日常的に作って食べてます。

私がネグロス島に来るだいぶ前から、日本食レストランは営業していて、それなりにお客さんもいたらしいですが、中華料理の浸透度合いにくらべるとまだまだ新しい。中国系の人たちは遥か昔からフィリピンにいて、今でもフィリピン経済を実質的に支配しているのは、チャイニーズ・フィリピーノ。当然中華レストランは高級店から庶民的な所まで、数で言っても、日本食が食べられる場所の比ではありません。

家で中華を作ろうと思っても、食材・調味料に困ることはほとんどないと言ってもいいぐらい。それほどフィリピンの食文化に深く根ざしてます。

さて、昨日はボホールで働く日本人女性のFさんが、1年以上ぶりに私たちの住むシライに来られるというので、これを機会に作ったことがない中華料理に挑戦してみることにしました。ということで、選んだのが餃子。

もう日本では、ラーメンと並んで国民食と言ってもいいぐらいポピュラー。一般家庭でも普通に作っている人も多い。今さら初めてというのも恥ずかしいですが、手数が多そうなので、なんとなく敬遠してました。材料はフィリピンのワンタン、パンシット・モロがそのまま応用できそうです。

日本から持ってきたレシピ本の通り、親の仇のように白菜刻み、豚ミンチ、おろし生姜、ニンニク、ねぎ、ごま油で具を作りました。全部公設市場で売っている、普通の食材ばかり。ここまでは手間と言えば手間ですが、特別難しくはない。問題は皮で包むプロセス。市場で売ってるワンタン用の皮は何故か四角ばかり。念のためYouTube探して餃子を皮包みをいろいろ見て研究(?)してから、おもむろに始めました。



大丈夫かなと思いきや、意外にかんたん。パンクしたり焦がし過ぎたりもせず、出来てしまうと拍子抜けするほどスムーズ。味も、ちょっと醤油入れすぎたか?というのはありましたが、お客さん大喜びで、まずまずでした。これは、パーティの時にも出せるなぁ。


四角い皮で、三角頭がずらりと並ぶ

昼過ぎから始めて半日がかりでしたが、新しいレパートリーも増やせて、なかなか幸せな「餃子の日」でした。唯一残念だったのは、ラー油を買い忘れたことぐらい?


2014年11月18日火曜日

ケンさん

朝からネットでは日本を代表する俳優の訃報でいっぱいです。高倉健さんが亡くなりました。もう83歳だったとのこと。早過ぎるわけではないですが、やはり寂しい。ずいぶん以前からハリウッドの作品にも出演していて、家内も「ブラックレインに出てた日本人の刑事」と言えば、覚えてました。

実は、私の息子の名前はケンと言います。漢字は違いますが、尊敬する高倉健さんにあやかったのと、日本・フィリピンの両方で普通に呼べる名前ということで名付けました。家内の場合はこちらではなく、渡辺謙さんと平井堅さんが好きだったという理由も...。もう一人のケンさん、緒形拳さんも好きな俳優でしたが、もう亡くなってずいぶん経ちますね。

高倉健さんを語る時、必ず東映のヤクザ映画からになるようですが、私の年代で最初に見た出演作というと「新幹線大爆破」あたりになるでしょうか。その他に印象に残っているのは「幸せの黄色いハンカチ」「南極物語」「八甲田山」、そして「駅」...渋かった。

私のようにお喋りで軽ぅ〜くて、しかも関西弁の男にとって、高倉健さんは自分の持ってない男の魅力を全部兼ね備えているようでした。黙って立ってるだけ、しかも背中だけで絵になる俳優さんって、本当にすごい。ブラックレインでは大阪府警の刑事という役柄でしたが、やっぱり大阪弁ではなく、セリフのほとんどは英語でした。

最近の作品は全然見てなくて、最後に見たのは「鉄道員 ぽっぽや」。浅田次郎さんの原作を読んでいて、もっと老けた俳優の方がイメージに合うのにと思ってましたが、今考えるとこの時すでに健さんは、70歳近くになってたんですね。

フィリピンにも健さんの映画は何本か持ってきました。レコーダーで自家撮りしたり、セルDVDを買ったり。こうして見るとかなりの健さんファンだったことに、今更ながらに気づきました。まだ息子に見せても、何がカッコイイのかよくわからんやろな。同じケンでも健さんにはちっとも似ず、お喋りで軽いところは父親そっくりに育ってしまった。



2014年11月14日金曜日

なんでメイド雇うの?



初代住み込みメイドをクビにしてしまい、今は週一で2〜3時間程度、掃除だけしてくれているメイドさんがいるだけの我が家。冗談でフェイスブックに「新規メイド募集」と書き込んだら、高校時代の友達から素朴な疑問が...。

「自分で料理作るんやったら、メイド雇わんでもええやん?」
言われてみればもっともなんですよね。朝食は家内が作るし、昼食は私か家内、夕食は大抵私が作っている...これはほとんど趣味ですが...ので、あとはメイドに何してもらうのか?

広い家の掃除と庭の手入れ? いくら広くても住んでるのが三人なので、そんなに汚すわけでもなし、庭の手入れなら住み込みでなくても、時々誰かに来てもらえば大丈夫。洗濯機があるので、洗濯がそんなにたいへんなこともないし。

日本に住んでた時は、子供がまだ小さくて、家事はほとんど家内に任せ。私は会社勤めでした。まぁ土日とか、よほど家内が疲れている時は、食器洗いとか洗濯はしましたけどね。それを考えると、こっちに引っ越してから特別やることが増えたわけではない。むしろ働いていない私の分、家事をする手の方が増えている。
敢えて言うなら、広くて戸締りが面倒で物騒なので、留守番してもらうのに重宝...ぐらいかな?

とすると、いくら1ヶ月数千円で雇えても、住み込みでメイドさんがどうしても必要なわけではない。まぁ、メイドがいるのに慣れてしまったので、今は料理する時とか、ちょっと買い物してきてほしい時とかは不便に感じてますが、日本では自分でするのが当たり前のことばかり。

最近日本では、介護や単純労働のために、海外から人を入れようかという議論があるらしく、フィリピン人メイドが普通の日本人の家で働くことも、じきに当たり前になりそうな勢いです。でも、日本人のメンタリティからして、よっぽど困ってない限り、最初はそうかんたんに「メイド雇おう」とはなりそうにありません。

フィリピンでは、メイドに限らず例えば空港でのポーター。大きな荷物を持ってもらうのは当たり前で、それに(わずかな額とは言え)お金を払うのは当然。交通量の多い道に面した駐車場で車の出し入れをする時、チップを払って、進路の確認や他の車を止めてもらうこともよくあります。

自分のことは自分でせよ、ではなくて、ここでは、お金があるならできるだけ自分では動くな、と言われそう。以前にも書きましたが、自前のガレージがある人は、たった数歩でも絶対自分で扉を開けず、使用人が出てくるまでクラクションを鳴らし続けるのも分かる気がします。

要するに経済的に余裕があれば、メイド雇うのが当たり前の国。そこそこ大きな家で、玄関前の道をオーナー自身が掃除してるというのは、かなり珍しい風景。そういう家だと、ごみを旦那さんが出すのもあり得ないでしょうね。(私は時々やってますが)
余裕があるのにメイドも雇わず全部家族でやってると、間違いなく「ケチ」と言われてしまいます。「ケチ」は「恩知らず」に次いでフィリピンでは最悪の人物評価。

倹約・質素はケチとは違うと思うんですが、残念ながらそうは見てくれない。金があるなら、貧乏人を雇って助けよということらしい。一種の税金みたいなものとでも考える他なさそうです。


2014年11月12日水曜日

破れテントのお値段

4ヶ月ほど前、自宅の庭の整備がだいたい終わったタイミングで購入したテント。庭でお茶など飲めるようにと、余った角パイプやタイルで作ってもらった椅子とテーブルが直接雨ざらしというのも何なので、日除けも兼ねて設置しました。

当初はなかなか良い感じだったんですよ。家内が、ミリエンダ(フィリピンスタイルのおやつタイム)をここで摂っている時に「お金持ちみたい」と喜んでました。価格は1000ペソなので2000円ちょっと。2000円でお金持ち気分を味わえるのだから安い買い物だと思ってたら...。



世の中、そう甘くはないですね。端っこの破れに気付いたのが約1週間前。その後あっという間に裂け目が広がって、ちょっと風の強かった昨日には、もう「崩壊状態」。最初からチャチなので、何年も保つものではないと分かってましたが、せめて1年ぐらい何とかならんかったかな? 切れっ端を集めると、もう4、5年分の経年変化かというぐらい、で細切れになっていました。




最近は、都心でバイトすれば最低でも時給は1000円は普通。2000円なんて稼ぐのに2時間ですが、フィリピンで1000ペソ稼ごうと思ったら、それなりに専門能力がある大工さんでも、朝から夕方まで働いて3〜4日はかかります。そう考えると決して安物とは言えないですね。



しかし、ここまでズタボロになってくれたら、諦めもつきます。骨組みは別の場所に移して、物干しにでも再利用できるので、丸損でもありません。今度はもうちょっと本格的に、南国スタイルの屋根を作ることに。(下の写真のような感じ)



早速、この家を建ててくれた大工さんの一人に連絡を取って、現場を見てもらい簡単な図面を渡してお願いしました。工期は約3日。材料の竹とヤシの葉っぱの買い付けもしてもらったところ、これが5000円ぐらい。3日分の工賃合わせても1万円には届きませんね。これだったら、最初から作ってもらったらよかった。

これ、もし日本で大工さんに作ってもらったら、いくらぐらいかかったでしょうか? 確実に10万円はブっとぶかも。ネットで似たようなテントを調べてみたら、「業界最安値!!! ¥34,100」だそうです。こっちなら1ヶ月は暮らせますね。


2014年11月10日月曜日

カトリーナ解雇

我が家の住み込みメイド始めて半年のカトリーナ。これだけの期間、同じ家にいると家族同様とまではいかないにしても、情は移ってしまいます。しかし今日の午後、とうとう家内の忍耐も限度を超えてしまい、敢えなく即日解雇となってしまいました。

原因は、このブログでも何度か書いたカトリーナの無断外泊。その日のうちに帰ってくるはずが翌朝ご帰還がもう5〜6回。その度にそれらしい言い訳を繰り返してきたのですが、昨夜のは明らかな確信犯でした。

日曜日の午後、教会に行ってきます、暗くなる前に帰りますと家を出た後、やっぱり今日は友達の家に泊まります、でもお父さんには言わないでくださいと、家内に携帯電話メッセージが来ました。

フィリピンで18歳と言えば、法的にもう大人なので、別に誰と外泊しようが家族でもない人間がとやかく言う筋合いはないのですが、そのお父さんからの紹介で預かった娘さん。いくらなんでも、はいそうですか、とはいきません。家内は「もし何かあったら、私たちの責任になる!」とカンカンに怒ってしまいました。

う〜ん、これはさすがの「優しい雇い主」の私でも庇いきれないなぁ。雇い主ではなく、年上の友達か、親戚のおっちゃん、おばちゃんとでも思ってるらしい。

相変わらず、悪びれる様子もなく早朝帰ってきて、掃除やら洗い物をするカトリーナ。家内は彼女の父親を呼び出して、その前で解雇を言い渡すとのこと。私には何も言うなと釘を刺されました。そして、私が息子を小学校に迎えに行っている間に、カトリーナの姿は、我が家から消えていました。ドラマや映画と違って、現実はあっけないことです。

息子に「カトリーナお姉ちゃん、クビになってしもた。」と教えましたが、別段寂しがってる様子もありません。家内は、重荷をやっと下ろしたというような表情。まだメイドのいる生活に慣れてないはずが、いざいなくなってしまうと私だけが取り残されたような感じです。厨房がやけに広く感じる。

家内は、もうしばらくはメイドを雇うつもりはないようです。でも、情緒的なこともさることながら、ちょっとした買い物や、料理の手伝いを頼める人がいなくなって、ものすごく不便になりますね。
ほんまに、アホやなぁ、カトリーナ。


朝帰り後、裏庭の手入れ中
これが我が家での最後の写真になってしまいました


2014年11月9日日曜日

NGOの闇

つい最近、知り合いになったばかりの、近くで活動しているNGOの現地駐在員。日本人の女性で、以前はアフリカで海外青年協力隊に参加していたそうです。英語もフランス語もできる、なかなか優秀な方。

昨夜も、日本に一時帰国のお土産の麦茶と納豆をかたじけなくいただいたと思ったら、何と年内いっぱいでNGOを辞めてしまうそうです。赴任してまだ半年も経ってないのに残念な。バイタリティがあって、日本人独特の気配りもちゃんとできる得難い人材なのになぁ。

でも話を聞いて、それも仕方がないなと思いました。
その日本のNGOは、ネグロスに事務所を置いていて、もう一人日本人のマネージャーがいるのですが、この人物がどうにも度し難い。

時間は守れない、ありがとう・ごめんなさいが言えない、異性にはだらしない、しかも自分の思い通りに事が進まないと僅かなことでも激昂する...。一番ひどいのは公私混同が甚だしいことで、自分の懐に入るお金を稼ぐために、平気で現地スタッフを働かせる。そして、それを指摘すると「これがフィリピンのやり方だ」と開き直ってしまいます。いやいや、それはフィリピンでも、おおっぴらに許されることではないですよ。

日本からのお客さんは、気分を害して帰ってしまうし、フィリピン人にも蛇蝎のように嫌っている人が何人もいます。実はこの私も移住当初は、同じ日本人だからと思っていろいろお手伝いをしていたのですが、あまりの礼儀知らずな態度に堪忍袋の尾が切れて、1年ほど前に絶縁したのでした。

日本での会社勤めに疲れて、わざわざフィリピンに来てまで人間関係でストレスを溜めるのは意味がないので、さっさと身を引いたわけですが、仕事でこんな人と始終顔を突き合わせているのは、さぞ辛いでしょうね。考えてみれば、半年足らずでも、よく我慢できたと思います。

この日本人マネージャー、私が移住する何年も前からいて、現地の言葉も習得し市長たちともコネクションを築いているためか、誰からの批判も許さない、一種の独裁者のようになってしまっている。

まぁ、このNGOとは何の利害関係もないので、好きにすればいいです。でもせっかく日本からネグロスに来てくれる数少ないお客さんが、同じ日本人のせいでフィリピンに悪い印象を持って帰国してしまうのは、何とも残念。また、日本にネガティブなイメージを持つフィリピン人を増やすのは、もっと残念です。

何より、まともに話ができる日本の友達が、最悪な思い出を抱いて帰国するのは、一番残念。このNGOのホームページを見ると、早速次の人を募集しているようです。どんな人が来ても、たいへんでしょうね。




2014年11月8日土曜日

台風ヨランダから1年

死者6000名を超える被害をもたらした、昨年の台風30号ヨランダがフィリピンに襲来してから、今日でちょうど1年となります。おそらく日本ではテレビなどでの報道はもうないと思いますが、ネットで検索してみると、まだいくつかの支援活動が継続中。

改めてヨランダの進路を見直したところ、私たちの住むネグロス島のほんとうに至近距離を通過したんですね。もちろん、ここシライ市内でも前日から激しい風雨で、まる三日間停電しました。浸水した家屋も多かった。幸いにも借り住まい中の自宅は、ほとんど何の被害もなく、電気が復旧した後でレイテ島の惨状を映像で見て驚いたほど。




後から聞いた話では、高潮での壊滅的な被害は、事前にある程度予測されていたそうなんですが、フィリピンの言葉で適当な訳語がなく、英語の Storm Surge を使ったため、ほとんどの住民が理解せず避難の遅れにつながったとのこと。Tsunami と言ってくれてたら、避難してたのに、という声も聞きます。
それにしても、毎年台風被害が発生しているこの国で、高潮を意味する言葉がなかったというのも驚きですね。

私は昭和37年(1962)の尼崎生まれなので、小学校の授業で、まだ記憶も生々しかった「ジェーン台風」(1950)のことを習いました。この台風は、尼崎を含む大阪湾沿岸に大きな高潮被害をもたらし、それが沿岸部での防潮堤の建設につながったとのこと。バスを連ねた社会見学で、見に行った記憶があります。

フィリピンも日本と同様に台風被害が多い国なのに、特に台風の進路に対して海側に開けた東ビサヤ諸島では、今までも高潮の経験がなかったんでしょうか?

台風にしても地震にしてもそうですが、日本だと被害が大きかった場合、その後社会問題になって、建築の安全基準や、避難計画の見直しで大騒ぎになるのが常。ところが、フィリピン、少なくとも私たちの住むシライ市で、台風の後、次の浸水に備えて宅地のかさ上げしようとか、暴風に強い建物にしようなどという声は、聞いたことがありません。

予算がない、お金がないと言ってしまえばそれまで。所詮、自然の猛威に対して人間は無力だと言うことなんでしょうけど、もう少し本気で取り組めば、ずいぶん被害を小さくできるはずなのになぁと思ってしまいます。

州都に巨大なショッピングモールを作る経済力があるのだから、その何十分の一でも災害対策にお金を使えれば...。 


2014年11月7日金曜日

ブレッドウィナーの涙

私がフィリピン通いをするようになってから覚えた英単語に、ブレッドウィナー(Bread Winner)という言葉があります。辞書を引くと「稼ぎ人」と出てきますが、実際に使われてる感じで言うと「一家の大黒柱」の方がぴったりくると思います。

日本だと夫婦共働きはもう当たり前ですね。たった一人の収入だけでは家計を支えきれないという理由も大きいでしょう。フィリピンでも事情は同じと言うか、もっと厳しい。

例えば義弟の家族の場合、義弟は市役所で部署の次長レベル。日本で同じ役職ならば、家族5人ぐらいは、そう無理なく養えると思います。しかしこちらでは、奥さん(義妹)が小学校の先生をして、同居する義父が年金をもらっていても、中流の生活を維持するのがカツカツなようです。

住んでいる土地と家は、親の代に購入したものなので、ローンはないとしても、40歳をだいぶ過ぎてからようやくコンパクトな新車を購入した以外、目立った贅沢はしていません。実に慎ましく暮らしている感じ。

これが貧困層になると困窮度は一気に上がって、まず収入が安定した職に就くこと自体がかなり難しい。フィリピンでも就職時には学歴の有無が重要なので、貧困ループにはまってしまうと何世代も抜け出せなくなってしまう。

こういう家族で、そこそこの稼ぎをする人がいると、親兄弟が何人もその一人に依存するケースがとても多い。典型的なパターンは、海外への出稼ぎか水商売。これがフィリピンで言われる「ブレッドウィナー」ですね。

20年前、家内と出会う前に付き合ったいたフィリピン人の彼女が、絵に描いたようなブレッドウィナー。お父さんはドバイに出稼ぎに行ったまま行方不明、本人はホステスをしながら家族を養い、兄弟の学費まで面倒を見て、さらにシングルマザーで幼い娘もいる。誰か助けたれよ〜という状況。こういう話は、本当によく聞きました。

八月にセブ島でのスラムホームステイをした時に知り合って、フェイスブックの友達になったフィリピン人の女性がいます。彼女から数日前にメッセージがありました。
「私の家族は、あなたのような良いクリスマスが迎えられません。私たちにも、もっとたくさん、神さまの祝福がほしい。」

どうやら、このブログでも紹介したクリスマス用の電飾の写真を見たらしい。別に見せびらかしたつもりはないのですが、ちょうど勤め先を解雇されたそうで、しかもたくさんの家族を一人で養っている立場だったので、こういう愚痴が出たんでしょうね。

つらいけれど助けてあげることはできないし、何か言葉を返しても白々しいだけ。本や記事だけでの知識ではなく、実際に顔を知っていて話をしたことがある人から、こういう弱音を聞かされると、心を揺さぶられる思いがします。
一体何年経ったら、フィリピンの貧困問題は解消されるのでしょうか? ただの外国人に過ぎない私には、荷の重い問いかけです。


機窓から見たセブ島の夕暮れ


2014年11月6日木曜日

強くてきれいなフィリピーナ

女らしいとか男らしいとか、最近の日本ではうっかり口にすると総攻撃を受けて火だるまになりそうですね。特に発言者の立場によっては「セクハラ」になって、地位や職を失う場合も。

ことさら取り扱いが難しくなってきたジェンダー(社会的性差)についての話題ですが、フィリピンではそういう神経質さとは無縁なようです。特に女の子の場合、幼稚園児ぐらいの年頃から、親も周囲の大人もジェンダーを意識させることが多い。

小学校では、民族衣装を着て来ましょうとか、国連デーと称していろんな国のコスチュームを着る日とかあります。そういう時は、低学年でも女の子はほとんど全員化粧します。また、結婚式では、これまたまだオムツ取れ立てみたいな子供でも、ドレスアップとメイクが当たり前。そしてそれを褒める言葉として、親や親戚が「セクシー」を連発。


親戚の結婚式にて


年頃の女性向けには、私の住むシライ市のような小さな街でも毎年ビューティ・コンテストが開かれます。バランガイという町内の自治会みたいな、最小の行政区画が一単位でバランガイ同士の対抗戦。結果は、どデカいポスターに印刷されて、市営の広場「プラザ」に掲示され、市民に告知。ちなみに今年は、ミス・シライにはなれなかったけど、家内の従妹がバランガイ代表に選出されました。



だからと言って、女は女らしくおしとやかに、控えめに専業主婦になるのが美徳とされる...とは全然ならないのが、フィリピンの面白いところ。一般の家庭でも、家計は握っているのは大抵お母さん。職場でも、経理やレジ係など直接現金を扱っているのは、判で押したように女性。生活力という点では、圧倒的に女性が強いようです。その分、男どもの情けないこと。仕事がなくて、平日の昼間っから道端でおしゃべりしてるのは、これまた決まり切ったように男ばかり。

しかし、日本みたいにオっさんが威張り返っていて、女性が高い地位に就くことがまだまだ少ない国に比べると、遥かにいいかも知れません。しかも、キャリアの高い女性でも、髪振り乱して男に負けないよう頑張ってます、みたいな気負いを持つ必要がなく、いくつになっても女性がセクシーさを忘れないのは、素晴らしい。

俗に、フィリピンは美人が多いと言われますが、子供をたくさん産もうが、仕事をバリバリこなそうが、女であることを意識し続ける彼女たち自身の努力と、それを当たり前とするフィリピン文化が、そういう評価に繋がっているように思えます。


先日ネットで見つけた記事によると、世界各国の男女平等の度合いを数値化した「ジェンダー・ギャップ指数」の2014年版で、調査対象の142カ国中、フィリピンはアジア唯一の10位以内の9位だったそうです。1位はスイスで、上位は欧州諸国で占められ、日本は恥ずかしながらの104位でした。この数字、本当に実感として理解できますね。


2014年11月5日水曜日

暴発 クリスマス

ハロウィン、万聖節が終わるとフィリピンならずともクリスマスムードが色濃くなります。新築の家なので、それに備えてライトアップをしようと、先日のお墓参りの帰りに専門の電飾屋さんに行ってきました。

専門店と言っても、そんなに大層なものでもなく、手作りの電飾を細々と売っているお店。最近は日本でも派手なライトアップをする家が増えてきたようですが、そこはクリスマスを楽しむことでは本家のフィリピン。こういう店はけっこうあちこちにあります。

家全体をピッカピカにしてるのをよく見ますが、そこまはするつもりはなく、2階のベランダ周りだけでもそれらしくということで、大きめのピザほどのサイズの星と、手すりにつける小さなランタンが10個つながったものを買ってきました。



それにしても、作りがザツ。当然お店で点灯テストはしたものの、結線部分は絶縁テープぐるぐる巻きそのままで、コンセントにつなぐものにしては少し怖い。帰ってしばらく考えましたが、ベランダに付けると雨ざらしになり、2〜3ヶ月間は保ちそうにないので、予定を変更して屋根のある玄関ホールに飾ることにしました。

だいたいの取り付け場所を決めて、コンセントにつないでみたところ、お店では一応全部大丈夫だったのに、ランタンの一つが光らない。電球がぐらぐらできちんと固定しておらず、それを少しひねって点灯したと思ったら...。ボンっと音がして破裂。同時に家中の電気が切れてしまいました。

こちらの住宅にはブレイカーなどという洒落たものはなくて、屋外の電気メーターの傍のボックスの中にヒューズが設置してあります。それが過電流で焼き切れたらしい。漏電などによる火災を防ぐ、本来の役目を果たしてくれたわけですが、あの焦げ臭いのはすごく不安になります。

すぐに配線工事してくれた電気屋さんに来てもらって、急遽ヒューズ交換。ヒューズ自体は100円ほどで、電気屋さんの手間賃も500円ぐらい。たいした出費でもないとはいえ、とんでもない不良品を売りつけられた電飾屋には頭に来ました。近所で火事が多いのがなぜか、よ〜〜く分かりましたね。

さっそく翌日、電飾屋に押しかけて返金を要求。店の兄ちゃんは、電球を交換したらいいだろうという態度でしたが、断固拒絶。安物買いの銭失いなんて言葉がありますが、3000円近くもしたので、フィリピンでは決して安物とは言えません。渋々ボスに電話して、ようやく代金を返してくれました。



そのお金で途中のスーパーマーケットで、ランタンの代わりにツリー用の「安全」な電飾を買って帰宅。結局まる二日掛かりでようやく玄関ホールの飾り付けが完成しました。ん〜〜、きれいだけど、なんだかマニラのゴーゴーバーみたいになってしもた。






2014年11月2日日曜日

油断する野良犬

初めて仕事で東南アジアを訪れたのは、1995年のことでしたので、かれこれ20年近く前になります。マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポール、タイそしてなぜかインドまで含めて6カ国歴訪1ヶ月の旅。かなりハードな業務出張。

その時、どの国も野良犬が多いなぁと気づきました。現地駐在の先輩社員曰く、東南アジアの野良犬は哲学的な顔をしてる。言われてみると、痩せ細っていてなんとなく物思いにふけっているような表情ばかり。シンガポールは少し別格としても、まだまだ貧困層が多い国々。食うに困る人間が多いと、犬にまでしわ寄せがいくらしいと、妙に感心したのを覚えています。

月日は流れて、20年前は想像もしていなかったフィリピン暮らし。相変わらず野良犬は多く、自宅の周囲にもいっぱいいて、犬の姿を見かけない日はないぐらい。でも昔に比べると、ちょっと様子が変わってます。どいつもこいつも、変に満ち足りた顔をして、表情が弛緩しとる。よく見ると痩せて肋骨が浮き出たようなのは、一匹もいません。これはどうしたのかいな?



人間の貧困層が多いのは、それほど改善されてはいないはずですが、社会全体の景気がよくなると、残飯が多く出るからでしょうか。哲学的どころか、路上には幸せそうに昼寝している犬ばかり。これは、私が住んでいる地域だけ? まぁ年中暑いので、犬でなくても昼間眠くなるのは分かります。こちらでは放し飼いが多いので、何割かは飼い犬らしく、首輪つけてるのがチラホラ。

ほぼ毎日、近所を自転車で漕いで周っていると、この油断しきった犬が危なくて仕方がありません。道の真ん中であろうが、どこであろうが所構わず寝そべっている。目が合っても逃げない。本当にハネてしまったこともあります。ギャンギャン鳴きながら一目散に逃げて行ったので、たいした怪我はしてなさそうでしたが。

残飯を漁るだけでなく、よく野良犬に餌をやっている人を見るので、人間を恐れなくなっているようですね。ただ、警戒心が薄れているせいか、車に轢かれてるのをよく見ます。でもほとんどすぐに死骸は始末されてしまいます。役所が片付けるのではなく、食うに困った人間の「晩ご飯」になっているそうな...。


2014年11月1日土曜日

ハロウィンはフィリピンのお盆

去年は自宅新築工事の着工直後で、ほとんどそれらしいことはできませんでしたが、今年は新居にお客さんを招いて、万聖節のパーティと義母のお墓参りに行きました。最近、日本ではハロウィンに仮装パーティをする人が多いようです。でもこれ、本来の意味を分かってなさすぎで、不良クリスチャンの私でも少々苦々しく感じてます。

11月1日は、カトリックでは「諸聖人の日」とされ、すべての聖人と殉教者のために祈る日。昔は「万聖節」と呼ばれていて、私個人の好みでとして、こちらの方が味わいがあってしっくりくるので、この投稿では以下「万聖節」で通します。

この万聖節の宵祭りがハロウィン。カトリックが少なかったアメリカ合衆国で、こちらの習慣のみクローズアップされて、メインの翌日の万聖節がかすんでしまったのが、日本に拡まったようですね。

フィリピンでも、職場や学校で仮装パーティしたりしますが、アメリカのように、夜 子供がお菓子をもらいに近所の家を回ったりするのは、見たことがありません。カトリック大国のフィリピンでは万聖節が主役で、本来の意味通りに亡くなった人を偲びます。この日には、天国にいる家族の魂が戻って来ると信じられていて、万聖節の夜(ハロウィンではなく)に、墓場に集まってお参りするのが一般的。

ロウソクを灯して、墓前に集う姿は完全に日本のお盆とか、灯籠流しのイメージそのままですね。墓場で夜明かしす人も多く、お酒も入るので騒がしくなることもありますが、さすがにこの夜ばかりは、いつものカラオケや屋外ディスコの大音量で音楽を...というのはありません。



死者と対話する夜

さて、我が家でも昨日はお墓に供える花を買ってきました。こちらでは墓参り用に限らず、贈り物や家に飾る花として、菊がポピュラー。そう言えば、日本に住んでいる時、家内と一緒に友人宅にお呼ばれして、花を買っていこうと立ち寄った花屋で、家内は菊を選ぼうとしました。日本では仏さんに供える花だという説明に、不満げでしたね。



新居の祭壇にもお花を供えてロウソクを灯します


早朝、混んでくる前に黄色い菊の花束をお供えしてから一旦帰宅し、ランチタイムのお客さんのために、せっせとお料理。今回はシーフードピラフとミートボールパスタをたくさん作りました。お腹いっぱいになった後で、親戚一同で義母のお墓参り。今日はよく晴れて、日本の真夏のような日和。これは、まさしくお盆の風景でした。