2018年3月23日金曜日

13年目のテント張り


息子が生まれる、ちょうど1年前の2004年8月。まだ私とフィリピン人の家内が日本に住んでいた頃に、シカゴに住む家内の親戚たちを訪ねたことがあります。

家内の従妹ルビーと夫ルパート、娘のデニス。ルビーの妹レイチェルはシングルマザーで、息子のリーゴ。そして家内の叔父ノノイ、奥さんのジェン、娘のケビン。合計8名は、シカゴ郊外の閑静な住宅地に各家族が1軒づつに入居。

子供たちはまだ小学生で、大人は全員、看護師として病院勤務。フィリピンでは、OFW(Overseas Filipino Workers)と呼ばれる、出稼ぎ労働者。ネグロス島のバコロドに住む、両親と末の弟への仕送りをしています。

と言っても、最近、OFWへの虐待で注目された、中近東の家政婦とはまったく状況が違い、正規の就労ビザを持ち、かなりの収入を得ています。家にしたって、さすがのアメリカ。当時私が日本で住んでいた、3LDKの賃貸マンションの、軽く3倍以上はある広さ。無茶苦茶な残業もないし、自動車も所有。

ただ、冬場は雪も積もるし、ミシガン湖からの強風で震え上がるほどの寒さ。私たちが滞在した真夏の時期でも、暑かったという印象は皆無で、終始爽やか。一度はすごい夕立に見舞われて、その後は肌寒いほど。

さて、帰り際、倉庫のような巨大ショッピングセンターで、ノノイとジェンから、お土産にとキャンプ用のテントを買ってもらいました。値段は忘れてしまいましたが、3〜4人が寝られるサイズなので、決して安くはなかったろうと思います。当時は子供ができず、すっかり諦めていて、夫婦であちこち遊びに行くための、レジャー・アイテム。

また来年の夏に来るね〜、とシカゴを後にして4ヶ月後。その年のクリスマスに、まさかの家内懐妊。来年は無理になっちゃったと連絡したら、3人の子供たち、デニス、ケビン、リーゴが大むくれ。「来る、言うたやんか〜」と半泣きになってしまったそうです。ごめんな。

その後、子育てや、度重なる転勤、私の鬱病などで、シカゴの親戚どころではない日々が続きました。せっかく買ってもらったテントも、日本には持ち帰ったものの、物置の肥やし状態。箱から出すこともなく、フィリピンでも納戸の奥に放置。ついに13年後の今年、息子が夏休みに入ったのをきっかけにして、重い腰を上げてテントを張ってみることにしました。


日本に住んでいる頃ならば、どこか家の外の公園にでも行かないと無理だったでしょうが、フィリピンの自宅は、ひと続きのリビング・ダイニングだけで20畳以上。ここで店を広げましょう。

意外と経年変化による劣化もなく、思ったより簡単に完成した、緑色のテント。私が子供の頃は、こういうのに憧れましたね。昔に戻ったようで、ワクワク。息子はもっと喜んで、さっそく折りたたみ式のマットレスや、電気スタンド、本を持ち込んで「籠城」。その気持ちは、よ〜く分かるぞ。


すぐに片付けるのは、もったいないので、サマー・プロジェクトと称して2昼夜、リビングが簡易キャンプ場になりました。息子はテントで夜を過ごせて満足したようです。

さて、この5月。シカゴ在住のルビーとその家族が里帰り。多分我が家にも泊まっていくと思うので、その時にまた引っ張り出してきましょうか。と言っても小学生だった、娘のデニスはもう大学生。テントで寝るのが嬉しい、という年齢でもありませんけどね。


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