2017年7月13日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 王女カンシライ

かなり唐突な感じがするかも知れませんが、私はイラストを描くのが趣味。元々、美術系の大学を出て、デザイナーとして28年間仕事をしてきました。プロのイラストレーターではないのですが、デザイン業務で覚えたパソコンのソフトを使い、ずっと趣味として続けてきた次第。

多分コンピュターではなく手描きだったら、完全にギブアップしてしまったことでしょう。画材は高いし、面倒で手の汚れる作業は、50歳を過ぎた今ではとても無理。第一根気が続きません。

昔はかなり大掛かりなシステムでないと、稼動できなかったような描画アプリも、今では普通に市販されているパソコンで、自由自在に操作可能。しかも、年々複雑なことができるようになり、30年前に比べれば、表現能力は驚くべきレベルに到達しています。

そういう訳でフィリピン移住後も、早期退職生活の暇に飽かせて、何枚もイラストを描いてきました。製作環境は、日本でもフィリピンでもまったく同じ。画像素材はネットでいくらでも探せるし、本当に便利な世の中になったものです。

とは言え、せっかくフィリピンに住んでいるので、できるだけフィリピンや熱帯地方に所縁のあるモチーフを選んでいます。


最初の頃に描いた、近所にある古い建物
今でも現役の商業建築でコンビニが入居してます。



熱帯魚





アオウミガメ



オウムとビーチ

ここ最近は、やっぱり人物、特にフィリピン女性をモデルにしたイラストを好んで描いてます。そこで選んだのが、ネグロス島の伝説に登場する王女カンシライ。以前にもこのブログで投稿しましたね。王女の名前は、私たちの住むシライ市の名前の由来になったとも言われています。

スペイン侵略のはるか昔、すでに交易で栄えていたネグロスに、カンシライという王女がいました。勇敢にもこの王女さま、島民を率いて自ら短剣を振い海賊と戦ったそうです。やっとのことで勝利を得て海賊を追い払ったものの、傷を受けて命を落としたカンシライ。手厚く葬られた彼女の墓から、一本の樹木が育ちました。それがカンシライの木。今でも、シライ市の木とされています。

これは伝説で、王女カンシライが実在したかどうかは、定かではありません。ですが私は、この物語にたいへん感銘を受けて、彼女をイメージしてイラストを描いてみました。背景の家屋は、100年前に建てられて、現在シライ市によって維持運営されている博物館。その他のモチーフは、ネグロス島で見られる鳥や植物で構成しました。


別に当時の装束などを再現したわけではないし、カンシライがどんな顔をしていたかなんて、誰も知らないので、私の想像で好きなように描いただけ。でも、イメージを膨らませて一枚のイラストにするという作業は、やっぱり楽しい。

そんな訳で、フィリピーナをモデルにしたイラストを、今後も描いて、「私的フィリピン美女図鑑」と称して、時々このブログに投稿することにしました。下手な素人の趣味に付き合わせて申し訳ありません。


2017年7月12日水曜日

裏庭の三角関係

今日は、約2ヶ月前に投稿した、我が家の裏庭にやってくる猫の話の続編です。天井裏で騒ぐネズミ対策で、餌付けした猫。お陰でネズミはいなくなり、最近では裏庭で過ごす時間も長くなりました。ガレージに停めた車の下で、よく昼寝してます。


もう半野良から3/4野良ぐらいまでにはなったでしょうか。以前に飼っていた猫の名前が、チャコだったので、その後継者としてチャコⅡ(ツー)と呼んでいます。このチャコⅡ、餌の時間にはずうずうしく窓辺に来るくせに、いまだに近づくと「シャー」と全身警戒感丸出しで威嚇。誰が食わしてくれてるのか、まったく理解していません。

ところが、全然可愛くないチャコⅡには、不似合いな美人のパートナーがいるようです。夜だけ姿を見せる、キジトラの雌猫。最初はチャコⅡと一緒に餌を食べに来ました。この子は、とても愛想の良くて、たまに一匹で少し早く来ては「みゃ〜」と催促します。近づいても逃げないので、まるで元から我が家の飼い猫みたい。


名前はチャコⅢ(スリー)にしようかと思いましたが、言いにくいので、3を日本語で「み」と読んで、ちゃこみ。女の子なので「チャコ美」としました。

こんな具合に、チャコⅡとチャコ美のカップルが、裏庭で平和に暮らすのか...と思ってたら、そこに第三の猫が現れました。チャコⅡより一回りは大きい茶トラの雄猫。夜になると、裏庭で猫同士がエラい鳴き声で喧嘩してるのが聞こえるのは、こいつだったんでしょうか。


チャコⅡは右後ろ足が不自由で、尻尾もつけ根から無くなってのに対して、この茶トラは健康そのもの。歩き方も堂々としていて、見るからにちっちゃな虎。ここ何日かは、こいつが餌を独占している模様。

順番から言うとチャコ4(フォー)になるけれど、これまた言いにくいので、ちょっと捻って「チェコフ」にしました。ロシア人みたいな名前ですが、私たち家族は揃って「スタートレック」のファン。チェコフというのは、スタートレックに登場する宇宙船エンタープライズの操舵手なんですよ。ちなみにチャコは、同じシリーズの宇宙船ボイジャーの副長、チャコティーからもらいました。

さて、このチェコフ。日に日に態度がデカくなってきてるなぁと思ったら、今日はとうとうチャコ美と連れ立って餌を食べにきました。うわ、チャコⅡ、彼女を取られちゃった。

三匹同時には決して姿を見せない、チャコⅡ、チャコ美、チェコフ。どういう関係になっているのかは、実のところよく分かりません。餌付けの目的がネズミ除けなので、三角関係でも何でも、猫の数が増えるのは問題なし。うまくいけば繁殖して仔猫誕生となれば、さらによし。そう言えば、心なしかチャコ美のお腹が大きくなったように見えます。父親はどっちだ?


2017年7月9日日曜日

フィリピン許しの精神 「キリノ大統領の決断」

先週投稿した「これがフィリピン・カトリック」で、フィリピン人のメンタリティに、カトリックの教義が与えたであろう影響を、自分なりの視点でまとめました。私としては、表面的にはエエ加減に見える一部のフィリピンの人々が、実はカトリックの教えに忠実なのではないかと、少々の皮肉とフィリピンへの愛情を込めたつもりの執筆内容。

ところが私の筆力が及ばず、「だからフィリピン人やカトリック社会は、日本人には理解できない」なんて、当方の意図とはずいぶん外れたコメントも頂戴してしまいました。そもそも1億人以上もいるフィリピン人や、12億7千万人もいるカトリック信徒を一括りにして「日本人には理解できない」と言うのも乱暴な話なんですけどね。

以下、前回の投稿で書いた内容と矛盾するじゃないか、との批判を承知で書きます。よく耳にする「フィリピン人は約束/時間を守らない」「借金を返さない」「自分に甘い」といった、フィリピン人のネガティブなメンタリティの本質的な原因は、カトリックの教義に由来するだけの、単純な話ではなさそうです。

どちらかと言うと、カトリックにおける「許し」は、原因よりも言い訳に使われている気がします。実際はもっともっと根の深い問題で、300年に及ぶスペインから搾取や、その後の日本とアメリカの戦争に翻弄された歴史、マルコス一族によって20年間も奪われた言論の自由など、自分の意思とは無関係に、運命を他人に決められ続けたことへの諦めが、一種の国民性として根付いてしまった。

なので少々頑張っても、結局思った通りにはならなくて、貧乏からも抜け出せない。生きるためには、法に触れることも仕方ないし、少しぐらい不義理なことをしても、神さまは許してくださる...。

なんだか書いていて切なくなってきました。私の知る限りでは、ちゃんと教育を受けた人たち、つまり経済的に余裕のある家庭に育った人は、そんな風には考えない人が多いと感じます。親の世代も自分も、それ相応に努力が報われてきた、成功体験があるからなんでしょうね。この話も結局のところ、突き詰めてしまえば、歴史と貧困問題に行き当たる。

考えようによっては、どうにも自尊心を保てない人々にとって、神の許しが自暴自棄にならずに済む、唯一にして最後の支え。そうでなければ、日本以上に自殺者を生み出す社会になっていたのかも知れません。

フィリピン社会には、そんな自己憐憫のような許しがある反面、遥かに崇高な許しもあります。中でも私たち日本人が忘れてはならないのが、キリノ大統領による日本人戦犯への許し。


第6代フィリピン共和国大統領
エルピディオ・キリノ Elpidio Rivera Quirino
出典:Lahing Pinoy

第二次大戦後の1953年、当時のフィリピン大統領キリノ氏が、日本からの助命嘆願の中、国内のモンテンルパにBC戦犯として収監されていた、元日本軍兵士105名に恩赦を与えました。キリノ大統領は、戦時中のマニラ市街戦で、奥さんと二人の幼い子供を日本兵に殺害された過去を持つ人。(詳しくは、まにら新聞の記事をご覧ください。)

その背景には、政治的な思惑が皆無だった訳ではないでしょうけれど、私は「主の祈り」の一節「我らが人を許す如く、我らの罪をも許し給え」こそが、決定的な影響力を持っていたと思います。それにしても、これは苦渋の末の決断だったでしょう。生半可なカトリック信徒である私には、とても真似ができない。

戦勝国が敗戦国のリーダーや兵士たちの罪状を、「人道に対する罪」として裁いたことは、茶番に過ぎないし、非戦闘員である女性や子供まで焼き殺した、アメリカを含む連合国側に裁く資格があったとは到底思えません。しかし、日米の戦いに巻き込まれたフィリピン市民には、そんなことは無関係に、当時の日本と日本人の存在自体が憎しみの対象だったことでしょう。それを考えるとキリノ大統領の行為は、最初に書いたのとはまったく違う意味で、理解の範囲を超えています。もうこれは神の領域。

それにしても、キリノ大統領については、これだけネットに情報が溢れているのに、現在日本での知名度は高いとは言えません。そして日本国内で顕彰の碑が建立されたのが、なんと昨年(2016年)6月。恩赦から60年以上も経過しています。

苦渋の許しを行ったキリノ大統領が、後世での栄誉を期待したはずはないと分かっていても、この忘却ぶりは、日本人としては寂しい限り。フィリピン人の許しの精神は、決して自分にだけ向けられるわけのではなく、他者である私たち日本人も、その恩恵に浴しているのです。


2017年7月7日金曜日

レイテ地震


レイテ島での地震被害
出典:ABS-CBN News

最近、本当に多いんですよ、フィリピンでの地震。
昨日(2017年7月6日)の午後4時、フィリピン中部ビサヤ地方、レイテ島付近を震源とする、マグニチュード6.5の地震が発生しました。最大震度は5。この投稿を書いている7月7日の午前中時点で、確認された死者は2名。100名を超える負傷者が病院に搬送されたとのことです。

今年の2月にも、南部ミンダナオ島のスリガオで、死者6名を出す地震があったばかり。地震大国と呼ぶべき日本に比べると、その頻度や強さは大したことないレベルなんでしょうけど、元来、地震に慣れていないフィリピンの人々。建築物の脆弱性もあって、震度4〜5程度の揺れでも、たちまちパニックが起こってしまいます。

私たちの住むネグロス島のシライ市は、震源地のレイテ島から西に約200kmの距離。2012年に起こったネグロス沖地震(地滑りなどで死者40名以上)や、2013年のボホール島の地震(隣島セブも含め、約200名の死者)、それに上記のスリガオの地震の震源を地図にプロットしてみると、思ったより狭い地域に集中しているのが分かります。ざっくり言うと、東京〜大阪間400kmに収まるぐらいの広さ。


専門家ではない私には、詳しいことは分からないにしても、このビサヤ地方の地底や海底で、何事かが起こっているのかと心配になってきます。

地震発生の時刻には、私はシライ市内の自宅2階でパソコン作業中で。最初はめまいかと思ったほど、周期の長い僅かな揺れ。震度1程度だったでしょうか。階下にいたメイドのネルジーに、今の揺れに気がついた?と尋ねたら、やっぱり地震。大阪に暮らしていた頃の経験からすると、長野ぐらいの距離で、そこそこ大きな地震があった時のような揺れ方でした。

日本と違って、すぐに地震速報がテレビやネットで発表されるわけではなく、かなりな規模の地震でも、第一報が伝わるまでは時間がかかります。マニラ首都圏からも距離がある場合は、特にそうなる傾向。

この時間には、息子はまだ小学校。いつものようにネルジーがお迎えに行くと、先生の指示で、生徒全員が校舎の外に避難していました。やっぱり建物の倒壊を心配したんでしょうね。この程度の揺れで、何て大げさなとも思う反面、こちらの人たちの建築物への信頼の低さを考えると、そういう反応も仕方がないのかも知れません。

いつもより30分ほど遅く帰宅した息子から、地震発生時の状況を聞きました。揺れの後しばらく全校生徒は、校庭で待機。用務員の人や上級生が手分けして、校舎内のカバンや荷物を持ち出してくれるのを待っていたそうです。

結局、その日の授業はそこで打ち切りになり、翌日の今日は校舎の点検のために臨時休校になりました。フィリピンでも、そこまで神経質になる場合もあるんですね。ちなみに隣接する公立小学校は、通常通りとのこと。

フィリピンでこのような災害があると、いつも思うし、このブログでも繰り返し書いているのは、それを教訓に何らかの対策を打とうという意識が、この国では本当に希薄なこと。毎年あれだけひどい目に合っている、台風や洪水にしたところで、被害を減らすように建築基準を厳しくするでもなく、災害に強い街づくりをしようなんて、掛け声が上がっても、誰も本気で取り組まない。

日本と同じか、ひょっとするとそれ以上に、台風・地震・火山などによる自然災害が頻発するフィリピン。それなのに、社会として災害に慣れているとは、とても言えません。ここでは、ただの居候外国人にすぎない私には、それに口を挟む権利はないけれど、やっぱり何とも言えない無力感を覚えますね。


2017年7月5日水曜日

これがフィリピン・カトリック


「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します。」

これは、フィリピン人の80パーセントを占めるカトリックを含む、多くのキリスト教徒が、日曜日のミサ・礼拝、または日々の生活の中で唱える「主の祈り」の一節です。全文は少々長くなりますので、ご興味のある方は、この投稿の最後をご覧ください。

20年前に、ここフィリピン・ネグロス島で洗礼を受けて、カトリック信徒になった私。その後の16年間は日本で暮らし、日本のカトリック教会に通いました。そして4年前のフィリピンへの移住。自身が洗礼を受け、カトリックが大多数の地に家族で引っ越し。

カトリックだけでなく、プロテスタントや正教を全部引っくるめても、人口の1〜2パーセントしかクリスチャンがいない日本。そこから、アジア最大のカトリック国に移り住んだのですから、さぞ居心地がいいだろうと思われるかも知れません。

もちろん、そういう側面も大いにあるのですが、意外にも戸惑うことも多かった。日本の場合、人口構成比でも分かるように、クリスチャンは少数派もいいところ。そのせいか、良くも悪くも自分の信仰に対して、意識が過剰になる傾向があるように思います。これは30過ぎてから入信した私だから、余計にそう感じるのかも知れません。

日本で、キリストについて、神について語る...なんて言うと、信徒でない人はまず一歩も二歩も引いてしまうでしょう。ヘタするとタチの悪い勧誘かと思われて、友達を無くすことにもなりかねない。私にも、自宅に「一緒に聖書について勉強しましょう」という電話がかかってきて、とても困惑した覚えがあります。ただ、断るのは簡単で、「聖書は新旧とも日本語と英語で何冊も持ってるし、毎週イヤでも読んでますので、結構です。」
うわっ、我ながら、なんて鼻持ちならない奴。

ところが、ここフィリピンでは、石を投げればカトリックに当たる。道に寝てるオっちゃんでさえ「God bless us」(我々に神の恵みを)と大書したTシャツを着てたり。日本で教会に通うような人は、「敬虔な」と形容されるほどではなくても、日常の行動にそれとなく控え目なところがあったりするものなのに、こちらでは、超乱暴運転のジプニー(乗り合いバス)の運ちゃんも、やたらと賄賂を要求する悪徳役人も、さらには犯罪者ですらカトリック。この落差は、一体どう受け止めたらいいものやら。

最初はそんな具合に、相当面食らったものの、しばらく時間が経つうちに、このエエ加減極まりない市井のフィリピン人こそ、実は本当に敬虔なカトリック信徒ではないかと、感じるようになりました。

私なりに思い至った、フィリピン・カトリック理解の鍵は、冒頭に記した「許し」。キリスト教は、母体となったユダヤ教が、神と契約に基づいた、極めて厳格な教義を持つことに比べ、愛と許しの教えと言えるでしょう。特にカトリックは、聖母信仰に代表されるように、祈りと慈悲を乞うことが、ほぼ同義。ミサの最初がまず「主よ、憐れみ給え」で始まるぐらい。

この世には、罪と無縁な人間はいない。生まれたての赤ちゃんですら、アダムとイブが犯した罪を、生れながらに背負っていると考えるのがカトリック。ところが、悔い改めて、神に、主キリストに、聖母マリアに、許しを乞えば、どんな大罪でも許されるんですよ。これって常識で考えたら、凄いことです。

心の中で祈るだけでなく、神父さまに罪を打ち明けるのが「告解」(こっかい)。アメリカ映画で見たことがあるかも知れません。打ち明けられた神父さまは「父と子と聖霊の御名によって」罪人を許すわけです。これは「許しの秘蹟」とも呼ばれます。そして、告解の内容は何があろうとも絶対に秘密。相手が警官であろうが、ローマ法皇であろうが、漏らしてはならない。

映画ゴッドファーザー・パート3で、アル・パチーノ演じるマファのボス、マイケル・コルレオーネが、兄フレドを殺害したことを告解し、それを受けた神父が、警察の取り調べにも口を閉ざすシーンがありましたね。

私が思うに、多くのフィリピン人は、私のような理屈で入ったカトリックと違い、悔い改めれば神さまが許してくださると、一点の曇りもなく信じているんじゃないでしょうか。特に日頃、自分の行いに後ろめたさを感じている、違法ドラッグの密売や、売春に従事する人たちほど、週に一度のミサを欠かさないと言われています。

これが当を得ているかどうか分かりませんが、私はそう考えたら、いろいろと合点がいきました。そりゃそうでしょう。教会に行って祈れば、何もかも許されてると本気で信じられたら、約束の時間を守らなくても、借りた金を返さなくても、自責の念は起こらない。(注:個人差は天地ほどあります。誰でもそうだという意味ではありません。)

実際、私が接したフィリピンの人たちは、自分に対して大甘な反面、日本人に比べれば、他人にも比較的寛容な人が多い。あんまり損得がどうのこうと騒がず、相当悪い奴でも、それ相応の罰を受けてるのを見たら、すぐに可哀想...となる。

そう言えば私も、ある親戚のことをいつまでも毛嫌いしてたら、「毎週日曜日に、私たちも人を許しますと、祈ってるでしょ」と、家内に諭されたことがあるなぁ。


フィリピンでは至る所に
イエスさまの肖像が掲げられています

最後にカトリックでの日本語「主の祈り」全文を記します。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。

アーメン


2017年7月3日月曜日

監視カメラと拳銃


何かにつけて、治安の悪さが強調されて日本に報道されるフィリピン。現在、戒厳令下にあるミンダナオ島のマラウィ近辺のような、本当に内戦状態にあるような場所は別にしても、治安が良好とは言えないのが、残念ながらこの国の現実です。

でもそれは、場所と時間帯で全然違うのも事実。私たちの住むネグロス島のシライで、明るい時間帯に市街地を歩いても、身の危険を感じるようなことは、まずありません。以前にも書いたように、移住して4年以上が経過して顔見知りが増えたので、目立つ日本人の私が逆に監視されているようなもの。「旦那さんが、パウンショップ(質屋)に出入りしてるのを見たわよ」なんて、家内にご注進があったりして、けっこう面倒だったりします。

しかし、夜になるとやっぱり泥棒や強盗など、犯罪が発生してしまうシライ。自宅のある、フェンスとガードマンで守られたサブディビジョン(宅地)は、シライ市内、ひょっとするとネグロス島内でも屈指の安全な場所なので、物騒な話は滅多に聞かないけれど、皆無というわけでもありません。

そういう環境なので、最近では個人の住宅に監視カメラを設置するのが、ちょっとした流行になっているようです。フィリピンではCCTV(Closed Circuit Television)と呼ばれる監視カメラ。(最初は中国中央電視台のことかと思った)マニラ首都圏では、公共の場所を含めて、かなりの数が普及しているらしく、テレビのニュースで、CCTVが偶然捉えた犯罪や交通事故など、時折ショッキングな映像が。

もう金持ちアイテムでもなくなったようで、家内の弟家族も購入しました。中の下ぐらいの所帯ながら、洗濯物を盗まれたりするような窃盗の被害があるそうです。実際にカメラを設置したからと言っても、現行犯を取り押さえようとうのではなく、わざとカメラが外から見える位置に付けて、抑止効果を狙ってるんでしょうね。

そして、一般市民が合法的に拳銃を所持できるフィリピン。違法の密造拳銃も出回ったりして、犯罪者から自分と家族の身を守るために銃を持ってる人は、想像していたよりもずっと多い。合法的と言っても、外国人には禁じられているし、基本は自宅など決まった場所に保管しないといけません。持ち歩きはさらに追加の許可証が必要。

最近、フィリピン人の奥さん名義で銃を購入したという、日本人の友達がいます。その方がガンショップで聞いた話では、そこそこ高級な車に乗っているような人は、大抵、拳銃を携帯していると思ったほうが良いとのこと。これはかなり恐ろしい。

親戚の間では、拳銃を所持していることで有名な、家内の従弟ラルフ。たまたま我が家に来ていた時に「ピストル持ってるって、本当?」と尋ねたら、「今も持ち歩いてるよ」と、いつもぶら下げている小さなカバンから、無造作に拳銃と弾丸を取り出しました。

以前は、マニラでカジノに勤めていたというラルフ。実際、危ない目に合う可能性も高かったんでしょうね。時々、州都バコロドにある射撃場で練習しているそうです。本物の拳銃を間近に見て、手に取るのは初めてではないけれど、子供もいる自分の家の居間で見ると、感じ方が全然違いますね。なんだか、すごく邪悪な物という雰囲気。

ラルフには、監視カメラも拳銃も、購入を強く勧められてしまいました。日本から移住して、平和なサブディビジョンに住んで、理屈では分かっていても、我ながら危険に対しての感度は低いのかなぁと、考え込んでしまいました。


2017年7月1日土曜日

サンの効用


気が付いたら、もう7月になっちゃいました。2017年も半分終わり。早いなぁ。

加齢と共に、月日の経過が早く感じるのは仕方ないようです。それにしてもフィリピンに移住してからは、その感覚に加速装置がセットされたようで、もう毎日がぶっ飛ぶよう。加齢だけでなく、楽しい時間が早く過ぎるのが一緒になったんでしょうか。もちろん楽しくない日もありますが、日本で会社勤めの頃に時折あった、どん底の気持ちが一切なくなったのが大きいと思います。

今日はフィリピンでの敬称について。
英語で喋っている時に用いる敬称は、Mr. Miss Mrs. Ms. (最近は体と心の性別が一致しない人のために、Mx. というのがあるそうです)が基本。でも移住してからは、仕事をしているわけではないし、日常生活ではまず使うことがありません。

Sir や Ma'am は、客としてお店やレストランに行った時に、相手から言われるばかり。しかも英語が母国語の人には、Ma'am は、日本語の「オバちゃん」みたいな、年齢を揶揄するニュアンスを感じる場合もあるそうで、うっかりとは使えない。

だからと言って、フィリピン人が会話の時に、立場や年齢に無頓着かというと、そんなことはない。日本人ほど神経質ではないにしても、呼び方にはそれなりの配慮があります。身近なところでは、我が家のメイドさん、ネルジーは、家内のことを「ター」Ta、と呼びます。これは伯母・叔母の敬称 ティタ Tita の短縮形で、親戚以外の年上の女性一般に対しも使用可。因みに私は ティト Tito(伯父・叔父)ではなく、なぜか サー Sir と呼ばれてます。

他には、クヤ Kuya 兄貴、アテ Ate 姉貴。血の繋がった兄弟姉妹でも使われるし、そうでなくても、親子ほどではない年齢差の人の呼称に用います。私の息子からすると、ネルジーはアテ・ネルジー。家内の従兄弟姉妹からの、私の呼び名が、クヤ・フランシス。(日本の本名は発音しにくいし、カトリック信徒で、洗礼名がフランシスコだから)

面白いのは、見ず知らずの男性に声をかけるのに、ボス Boss が、よく使われること。店の呼び込みに「そこの社長!」と言ってるようなものでしょうか。ボスの場合は、そんなに下世話でもないようで、もう少し普通の感じ。そして飲食店などで、ウェイトレスに声をかけるのは、必ず ミス Miss。年齢も未婚・既婚も関係ないようです。

とまぁ、思ったよりも細かく、相手の立場や年齢、加えて性別などで、呼び分けをしているフィリピン社会。ところが、日系の企業や、日本人が経営するオフィスや店舗、日本のNGOなどで、意外と重宝されているのが、さん付け。

まず、日本人のマネージャーが部下を呼ぶ時、呼び捨てには抵抗があるけど、細かい呼び分けも面倒、となって日本流の、さん付けを始めるんでしょう。使ってみると、トップから下っ端までオールマイティだし、男女も関係ありません。「これは便利」と、なるんだろうと思います。フィリピンだけでなく、他の東南アジア諸国やヨーロッパ、アメリカなど、私が出張したことのある日本企業の海外オフィスでは、これで呼び合っている所が多かった。

そう言えば、家内と付き合っていた頃、「ジョイさん」(ジョイは家内の名前)と呼んだら、なぜか家内も、家内の家族も大笑いしてました。これは、さん付けが可笑しいのではなく、私が思いっきり関西弁のアクセントで発音したからでした。