2017年6月29日木曜日

パッキャオ・ヤヤダブ・スパゲティ

巨人・大鵬・卵焼き
この言い回しを知っている人も、だんだん少なくなってきたかも知れません。私が小さい頃のことなので、1960〜70年代頃、日本人(特に子供)が誰でも好きなもの、少なくとも積極的に嫌いではないものの代表として挙げられたのが、この三つ。

熱狂的なタイガースファンが多い、関西地方に生まれ育った私としては、多少疑問はあるものの、当時は日本シリーズ9連覇の最中だった読売ジャイアンツ。全国レベルで見れば、まぁ分からなくはありません。横綱の大鵬関もすごい人気でしたね。強いだけでなく男前。卵焼きも、私が小学生の時代には、ご馳走というほどではないけれど、お弁当アイテムとしては不動のポジション。嫌う人は少なかったろうと思います。

時は流れて、今シーズンの巨人は、まさかの13連敗だし、プロ野球全体を見渡しても、かつての長島や王のようなスーパースターは不在。イチローに代表されるような突出したプレーヤーは、みんなメジャーに。相撲も人気がないわけではないけれど、大人から子供までみんながテレビ観戦ということはない。卵焼きに至っては、今の子供たちに「一番好きな食べ物は」と尋ねても、まずその名前は挙がらないと思います。

ところが我がフィリピン。
昔の日本のようなヒーローはまだまだ健在。これは、ようやく日本の高度経済成長に追いついてきたせいなのか、いくらネットが普及しても、まだまだ娯楽が少ないからなのか、確かな理由は分かりません。でも、ほとんど誰もが好き、または大好きと答える存在が、まだかなりあるような気がします。

極端な例がドゥテルテ大統領。故アキノ上院議員以来、約30年ぶりに現れたフィリピン政治の大スター。人権問題や数々の暴言があり、就任から1年が過ぎた今でも、8割を超える支持率はすごい。

そこで私なりに、巨人・大鵬・卵焼きのフィリピン版を考えてみました。まず、スポーツではボクサーのマニー・パッキャオ。これはフィリピン人に聞いてもまず外れていないでしょう。2001年、予定していた選手の故障で急遽上がった世界戦のリングで、見事KO勝ちによりIBFスーパーバンタムを制して2階級王者になった頃から、フィリピン国内だけなく世界のボクシングファンから注目され続けてきたパッキャオ。(その後、6階級制覇)



次に、日本ではあまり知られていませんが、コメディアンヌにして最近では映画やテレビで女優として引っ張りだこの、ヤヤダブことメイン・メンドーサ。有名人のものまねから身を起こしただけあって、親しみやすいキャラクター。しかもかなりの美人。一時期は、彼女が出演する昼時のバラエティ番組に、家内もメイドさんもハマってました。

コカコーラのキャンペーンガールを始めとして、テレビを見ていると、彼女の出るCMが2〜3本も続くこともあり、日本風に言えば「好感度No.1タレント」。以前、このブログでも取り上げたことがあります。


そしてスパゲティ。特に、フィリピンで一番人気のファーストフード店、ジョリビーのメニューにあるような、極甘のトマトソースを絡めて、削ったチーズを山盛りにしたもの。バースデーパーティや、各種のお祝いには必須の献立で、大人でも好きな人はたくさんいます。



中でも絶対的な存在感は、パッキャオ。
有名になったフィリピン人ボクサーが、アメリカに本拠地を移す中、生まれ故郷のミンダナオに住み続け、大きな試合に勝てば必ず帰国して凱旋報告。どんなに成功しても、決してフィリピンの同胞を忘れないという姿勢は、ボクシングファン以外の人たちにも深い共感を呼び起こしました。

その証拠に、2012年、長年のライバルであるファン・マヌエル・マルケスに、衝撃的な6ラウンドKOを喫した際、失意のうちに帰国したパッキャオは、連勝していた頃と変わらない歓声で故郷に迎えられました。翌2013年には、WBOのウェルター王者に返り咲き。その後は、一時は引退を表明したり、上院議員に当選したりしながら、すぐに復帰。

プロデビューが1995年とのことなので、実に今年で22年目。次の日曜日(2017年7月2日)に、またまた王座を賭けた試合が予定されています。勝てばプロ通算60勝。まったく凄いキャリアです。パッキャオの試合がある時には、フィリピン中の町で交通量が減り、犯罪率も下がる。実際、私も移住してから何度か経験しいるこの現象、次回も見られるでしょうか?


奇跡のタブレット


2週間前、家内の親戚たちと一緒に楽しんだリゾート。もう思い出の1ページになりかかっていたはずが、まだ続編がありました。帰宅して数日後、同行した家内の叔母、アンティ(ニックネームが「叔母ちゃん」って。)から電話があって「私が持って行ったサムソンのiPad知らない? 家に帰ったら、見当たらないのよ」。

ん?サムソンのiPad? そんなもの最初から無いよ、と言ってしまうと、会話が終わってしまいますね。フィリピンでは、この手の言い方はよく聞きます。練り歯磨きは何でもコルゲートだし、中型〜軽トラックは三菱じゃなくても全部キャンター。

昔は日本で、4WDの乗用車を全部ジープと呼んでいたのと同様に、米軍が残していったジープを改造して作った乗り合いバスは、今やベースがどんな種類の車でも、総称がジプニー。食品では、クノール(固形スープの素)なんてのもありますね。つまりアンティの頭の中では、アップル製じゃなくても、タブレット=iPadだったんでしょう。

叔母が持っていたサムソン製のタブレット、シカゴから一時帰国中の家族から貰ったもの。アップルに比べれば安いとは言え、今やサムソンはそこそこの高級ブランド。決して安物というわけではありません。タブレットやスマホの普及率が高いフィリピンでも、サムソン製を持っているのは、中流クラス以上だろうと思います。

そんな高価なものを紛失すれば、日本ならばともかく、ここフィリピンではまず絶対に戻ってきません。それは私が思うだけでなく、当のフィリピン人でも全員がそう考えるでしょう。ところが奇跡が起こりました。昨日、何と家内が、無くなったはずのタブレットを持って職場から帰宅。

事情を聞くと、まずアンティからの電話を受けて、家内が宿泊したリゾートに電話をしたことから始まり、リゾートのスタッフがタブレットを発見して、フロントに届けた。そしてタブレット発見の知らせが家内へ。たまたま仕事で、その島へ行っていた家内の友達が、タブレットを受け取った。さらにその友人が、家内の職場にタブレットを持ってきてくれた。

こんな具合に、驚くべき正直さと親切さの連鎖が何回も続いて成し遂げられた、快挙なのでした。今回は紛失場所が、外界がから隔絶されたような孤島で、そこで働くフタッフが少人数かつ、真面目な人ばかりだったことや、自然保護区に指定されているこの島で、家内の友達である大学生のキム嬢が、月一回のペースで調査をしていたことなど、幸運が重なったこともあります。

これが、普通のホテルとかだったら、まず最初でアウトでしょう。フィリピンではホテルの清掃担当などの人は、そんなにいい暮らしをしているとは考えにくい。忘れ物のタブレットを見つけたら、自分で使うよりも売払っちゃうかも知れません。たとえフロントに届けても、途中で誰かのポケットに消えるのが関の山。

とまぁ、かなり特殊なケースだったとは言え、やっぱり日頃フィリピンの悪い話ばかり聞くことが多いので、この国も捨てたもんじゃないと、とっても嬉しくなってしまいました。


しかも、このタブレットを最後に使っていたのが、どうやら私の息子だったらしい。アンティから借りて、ゲームでもしてたんでしょうね。見つかったのは、ビーチから少し奥まった場所にある、ベンチの上でした。このまま見つからなかったら、私が弁償しなくてはならなかったかも。


いずれにしても、久しぶりに気持ちのいい話でした。


2017年6月26日月曜日

安全軽視


2週間ほど前のこと、自宅の電灯が全部フリッカーし始めました。フリッカーとは、明るさが非常に短い周期で微妙に変化する状態で、明かりがちらついて見えること。蛍光管や白熱灯が古くなって、切れてしまいそうになると、よくこんな具合になります。最初に気づいたのは、数ヶ月前に交換したはずの場所だったので、ライトの品質問題かと思いました。買ったばかりの家電製品がダメになるのは、フィリピンではよくある話。

ところが、部屋の照明だけでなく、冷蔵庫や電子レンジの庫内灯までフリッカー。たまたま前夜、ネットに夢中になって2時頃まで起きていたので、目の疲れかなとも思ったり。翌日になっても同じ状態なので、家内やメイドさんに聞いたら、やっぱりフリッカーが見えるそうです。おまけに一昨年、日本の免税店で購入した日本製の炊飯器から、「ジー」と異音が。

そして私たちの家だけでなく、両隣の3軒の住宅でも同じ状況だということが判明しました。そこまで分かったのが土曜日で、週明けの月曜日に、ネグロスの電力を管轄するセネコ(CENECO : Central Negros Electric Cooperstive ネグロス中央電力)の事務所に電話をして点検依頼。

気になったので、フリッカーの原因というの調べてみたら、電圧が不安定になった時に起こる現象なんですね。そうこうしていると、昼前には請負業者がやって来て、付近の電柱に登ってなにやらゴソゴソやってます。珍しく対応が早いなぁと、ちょっと感心しましたが、フリッカーは相変わらず。

しばらく忘れてたら、夕方になって、少し離れた場所にある電柱に、さっき見かけたのと同じ車が止まり、業者さんが登ってゴソゴソ。案の定、フリッカーが出ていた我が家と近所の3軒は停電になりました。今度こそ不具合箇所が特定できて、部品かなにかの交換してるのかな?と思ってたら、何やら様子がおかしい。

人だかりが出来てザワザワして、そのうち救急車が。野次馬根丸出しにして見に行くと、どうやら修理をしている人が感電して、転落したらしい。まだ若い兄ちゃんが、コルセットで首を固定されて、まさに担架で救急車に乗せられようとしている。ひょっとして頭から落ちて頸椎損傷?

電気工事の業者さんに限らず、ここフィリピンでは安全対策をまったく無視して作業する人がほんとうに多い。トライシクル(バイクの輪タク)の運ちゃんでヘルメットかぶってるの見たことないし、家族で小さなバイクに、ノーヘル4人5人乗りなんてザラ。

自宅の工事中に、ヘルメットかぶっている大工さんが誰一人としていなかったし、サンダル履きで、釘を踏み抜く事故もありました。たまたま、我が家では大怪我したりはなかったものの、これは単なる幸運。他では、事故が多発してるに違いないと睨んでいたら、やっぱりでした。

今回の事故にしても、ヘルメットはしてなかったし、下まで落ちたということは、高所作業なのに命綱なしだったんでしょうね。死んだり後遺症の残る大怪我したりしても、保険に入っていない人は多いし、一家の大黒柱が寝たきりになったら、間違いなく家族は路頭に迷います。修理を頼んだ側としては、責任の取りようがないにしても、実に陰鬱な気分になりました。

その後、同じ電力会社に勤める知り合いを通じて、幸い軽症だったことを知りました。電力も1時間程度で復旧し、フリッカーも解消して一件落着。それにしても、この安全軽視の風潮はいつになったら終わるんでしょう。日本ほどガチガチにするのがいいとも思いませんが、もう少し何とかならないものでしょうか?


2017年6月24日土曜日

勝ち組...なんでしょうか?


「あなたは、勝ち組ですよ。」
先日、ある日本人の友達と喋っていた時の言葉。どういう会話の流れだったのか、はっきりとは覚えていませんが、皮肉とかではなく、私のフィリピンでの暮らしぶりや、状況をちゃんと分かっている人が言ったので、とても印象に残りました。

勝ち組なんて言われたのは、もちろん初めて。日本の企業に勤めて管理職にもならず、40歳になる少し前に鬱病をやらかして、50歳で早期退職。その後は無職のフィリピン暮らし。今のところストレスは全然ないし、悪くはない生活だと思います。でも、どっちかと言うと、経緯を見れば立派な負け組かも。負けではなくても、せいぜい本道から外れた、外れ組というところだと思ってました。

このブログで何度か書いているように、だからと言って捨て鉢になって、前後のことも考えずにフィリピンに逃走したわけではなく、10年に及ぶ準備期間があって、退職機会のタイミングをずっと待っていて、満を持しての海外移住。幸せな人生を実現するには、どうすればいいかを素直に考えての選択でした。

家電メーカーで工業デザイナーとして勤務していた28年間は、嫌でも勝ち負けを意識させられる日々。考案したアイデアが商品になるかどうか、まず同じ職場内での勝負があり、製品化されたら今度は他社製品に勝つか負けるか。そして、昇格で誰に勝ったとか、追い抜かれたとか...。そういうことをしたくて、美術系の大学に入り、デザイナーを目指したはずではなかったんですけどね。

考えてみると、40歳前後で勝負から降りて、50歳を目標に海外移住するまでは、給料分の仕事だけと割り切った私が、今頃になって勝者の側にいる思われるのも、不思議な話です。まぁ、勝つというのは、自分が思い描いた将来を実現することだとすれば、意外と客観的な評価なのかも知れません。

40代や50代で、仕事を辞めたり住む国を変えたりするとなると、ほとんどの日本人の場合、まず考えるのは経済的にやっていけるかどうか。私も例外ではなく、はっきり言うと、それをどうするかを考え続けた10年間。

日本での持ち家は早々に諦め、酒タバコも嗜まない。趣味と言えば読書にイラスト描き、週一のテニス。そんな感じでコツコツお金を貯めて、ちょうど50歳になろうという時に、会社で早期退職者の募集が。これこそ渡りに船とばかりに、金銭的はかなり有利な条件で計画実現の運びとなりました。

海外移住というと、何やら華やかなイメージがありますが、こう書くと実に面白味のない、地味なストーリー。後は年金受給年齢までは、貯金と退職金で食いつなぐ毎日。それでも、ここネグロスでは生活費が安く、慎ましくしてるつもりでも、ネグロスの中流家庭のレベルから見れば、十分金持ちの暮らし。確かにこれで負け組だと言ったら、地元の人が本気で怒りそうですね。


ツアーガイドはマーメイド


前回に続いて、ネグロス島のアイランドリゾート、ダンフガンのお話です。

ダンフガン島は、フィリピン国内に無数にある、ダイビングが楽しめるリゾート地のひとつ。とは言っても、ボンベを背負っての本格的なものではなく、シュノーケルとフィンだけのスキンダイビング。

フィリピン歴22年の私は、セブを始め、ボラカイやパラワンなどのダイビングが楽しめる場所を散々まわってきたのに、ダイビングはまったくの未経験。ダイビングが趣味の日本人の友達からは、何ともったいないと、羨望と非難が入り混じったようなことを、何回言われたか。

泳げないわけではありません。子供の頃は100メートルぐらいなら、プールの底に足をつけることなく泳ぎ切ってました。高校の臨海学校では数キロの遠泳もしたし、むしろ水泳は得意と言ってもいいぐらい。でも大人になってからは何となく面倒で、ビーチでちゃぱちゃぱぐらいなら大丈夫でも、背の立たない場所まで行くのが億劫になってしまいました。

今回は、ダイビング・インストラクター兼務のツアーガイドのお姉さんに「一緒に行かないと後悔しますよ〜」と笑顔で誘われて、ダイビングスポットまでのボートに乗船。


4月〜6月限定で、大学で海洋学を専攻している女子大生が二人、カルメラとプレシャスがツアーガイド。やっぱり海のことを勉強しているだけあって、海で泳ぐのが好きなんでしょうね。その上、毎日のようにダイビングしてるようで、二人ともよく日に焼けて、引き締まった身体。当たり前のように水深5メートルぐらいは、苦もなく潜ります。

実は家内もフィリピン大学では水産学専攻で、大学院を経て研究員になった人。プレシャスの先輩でした。

さて、10分ほどで、ダイビングスポットにある竹製のフローティングハウスに到着して、同行した家族や家内の親戚は、大喜びで泳ぎ始めました。ところが15人もいるのに、ライフジャケット未着用は、家内の従弟カルロだけ。日本のように、どの小学校にもプールがあって、夏場の体育は必ず水泳という環境にはないフィリピン。海辺暮らしでもない限り、そこそこは泳げるという人の方が、少ないんだそうです。


この状況で、ちゃんと泳げるところを見せればヒーローになれると、元来おっちょこちょいな私は、短パン一丁にゴーグルだけで、文字通り頭から海に飛び込みました。素潜りなんて何年ぶり(何十年?)でしょうか。一気に潜って、水底のサンゴにタッチ。ついでに、海中でびっくりして私を見てるカルメラ嬢に、親指立てて「イイネ」サイン。

ダイビングが終わって、ビーチにあるクラブハウスに戻ると、二人のマーメイドが私に「最初は水に入らないから、泳げないんだと思ってました〜!」。なんだか急に、評価が上がったみたい。プレシャスは、短期留学で広島の大学に行ったことがあるそうで、お好み焼きの話題で盛り上がりました。


暇さえあれば
双眼鏡で海を見ているプレシャス嬢

そして夕焼け。宿泊したコテージが、西に面したビーチに隣接していて、素晴らしい日没の光景を、1時間以上に渡って楽しむことができました。さらに、ほとんど人工の灯りがないダンフガン島。その夜の星空は、プラネタリウムでも敵わないんじゃないかというほどの物凄さ。夕焼けと星空だけを見るだけでも、ここに来た価値ありです。



2017年6月21日水曜日

静寂のダンフガン島


シカゴから里帰りしていた、家内の親戚5名。帰国早々に亡くなってしまった、家内の叔父の葬儀も済み、残った4名は、叔父が行きたかったというビーチや、温泉のあるマウンテン・リゾートなど、故人の意思を継ぐという名目で連日の観光三昧。楽しいことを封印してしまうのではなく、フィリピンらしい服喪と言えるかも知れません。

約1ヶ月に及んだネグロス滞在の最後に、隣街のバコロド在住の親戚も参加して、総勢10名がこの週末に私の家に泊まりで遊びに来ました。宿泊客は珍しくない我が家も、一度に10名受け入れというのは初めて。割と急な話だったので、食事の不足分は、近所のレストランで惣菜を買ってきて間に合わせましたが、問題は寝床。


約6畳ほどの広さのゲストルームは、シングルベットが二つだけ。折りたたみ式の簡易ベッドや、いつもは仕舞い込んでいるマットレスなど、総動員になりました。しかもこういう時に限って、朝からメイドのネルジーは、実家で緊急事態発生で急遽帰省。

とは言っても、そこはフィリピンの気安さ。雑魚寝には慣れている人ばかりだし、今回は小さな子供もいません。それに寒さとは無縁のネグロス島。ゴザと枕さえあれば、敷布団もシーツもなくても構いません。そんなわけで、なんとか全員収納しました。




さて、翌日の土曜日は朝5時に出発するとのこと。せっかくなのに、朝ごはんぐらいゆっくり食べて帰ったらいいのに。どうやら、亡くなった叔父の奥さん、家内の叔母のマミー・スモールが突然思い立って、その日に西ネグロスにあるアイランド・リゾートに予約を入れてしまったらしい。昔、家内も行ったことがある場所で、結局私たちも同行することになりました。だから、16人乗りのトヨタ・ハイエースをレンタルしてたのか。

そんなわけで、降って湧いたような旅行。行先のダンフガン島(Danjugan Island)は、シライから車で約4時間の場所から、さらにボートで30分のアイランド・リゾート。フィリピンでは、こういうスタイルが多く、ダイビングで有名なボラカイを始めとして、先日のラカウォンを含め、ネグロスだけでも何箇所もあるそうです。

早朝に出て、8時ごろにはカバンカラン(Kabankalan 人口18万の中核都市。東西のネグロス州を統括する、ネグロス・リージェントの首都)のジョリビーで朝ごはん。そこからさらに1時間少しで、ダンフガン島に渡るボートの船着場に到着しました。



前述のラカウォンは全島が白いビーチだったのとは対照的に、ダンフガンは珊瑚礁に浮かんだ緑の小山と言った風情。なんとなく、瀬戸内海の景色を思い出してしまいました。この島は、まるごと自然保護区に指定されていて、電話線もない。観光客はかなり制限されているようで、宿泊施設は、そんなに大きくもないコテージが4棟だけ。日帰り客を合わせても、1日に入島できるのはせいぜい20〜25名ぐらいでしょう。


そして電力は、クラブハウスの屋根に設置されたソーラーパネル頼り。使える電力はわずかで、エアコンはなし。携帯も圏外でインターネットにアクセスできず。さらには、カラオケもないしディスコもない。道路がないので、車もない。自然を楽しむ以外は、なぁ〜んにもない。フィリピンの観光地でも、こんな場所があったんですね。



こう書くと、サバイバル生活のように聞こえますが、建物は新しくてコテージはなかなか瀟洒な作り。蚊帳を備えた寝室は、絵に描いたような南国リゾート。食事は美味しいし、海はきれい。何よりも良かったのは、1泊2日の滞在中に付いてくれたガイドさんが、親切で明るくて、しかも現役女子大生だったこと。(すっかりオッさん視点でスンマセン)




自然保護区なので、4〜6月のこの時期だけ、大学で海洋学を専攻する学生さんをツアーガイドとして雇っているんだそうです。観光客が立ち入りを禁じられているエリアでは、滞在中にも、大学や研究施設のスタッフが調査活動をしていました。

長くなってしまいましたので、次回の投稿へ続きます。


2017年6月16日金曜日

千の風になって in フィリピン


またもや、お葬式関係の話題です。
叔父の葬儀の数日前、家内から唐突に、歌ってくれないかと頼まれてしまいました。いかにも歌や踊りのパフォーマンス大好きのフィリピンらしい。

フィリピンでの親戚や友達の前で歌を披露するのは、実はこれが初めてではありません。最初は20年前、私が西ネグロスの州都バコロド市の教会で洗礼を受けた時、儀式の後、神父さまを招いての会食で、家内の叔母に促されたのが最初。

急に言われたので、歌詞もカラオケも何にもなしで、仕方なしにアカペラでハリー・ベラフォンテの曲「Turn Around」を歌いました。ベラフォンテと言っても、私の世代ですら懐メロなので、若い人はまず知らないでしょうね。主に1950〜60年代に活躍したアメリカの歌手で、ダニーボーイやバナナボート(デイ・オー)が有名です。


こう書くと、私がまるでプロの歌手だと勘違いされそうですが、まるっきりの素人。ただ、歌うこと自体は大好きで、カトリック教会に通い始めた頃に、周囲の迷惑を顧みず大声で歌っていたら、それなら聖歌隊へどうぞと言われたのが、人前で歌うきっかけ。ロクに楽譜も読めないのに、ボイストレーニングだけは受けて、パソコンの音楽打ち込みソフトの助けで、毎週聖歌を練習。

そういう経緯なので、発声方法はどちらかというとクラシック。マイクを使ってカラオケで歌うのにはまったく不向きで、たまに家内と一緒にボックスに行くと、声が大きすぎると苦情を申し立てられます。

その後も、日本語はもちろん、教会のミサで歌うためにラテン語や英語、家内と結婚してからはタガログ語も少し暗譜。なので移住してからも、たまに「一曲頼む」とお願いされるわけです。

さて、今回は家内から指定されたのが「千の風になって」。日本では社会現象と呼ばれるほど流行ったこの曲。その頃、家内は私と一緒に日本に住んでいて、私が毎日のように家で聴いていたこともあり、一時は耳タコ状態。原詩は、アメリカ人のメアリー・フライという女性が書いたものだとされる「Do not stand at my grave and weep」。日本語版は2001年、新井満さんが訳詩・作曲して自分で歌い、2006年の秋川雅史さんの歌で、広く知られるようになりました。

ご存知のように詩の内容は、おおよそキリスト教の死生観とは異なり、死んでも天国へ行くのではなく、千の風や優しい日の光、雪や星になって、生前に愛した人を見守り続けるというもの。日本人の感性にはぴったりだったのか、好きな人が多いですね。

日本語を解する人が皆無のフィリピンなので、新井満さんのものではなく、キャサリン・ジェンキンスさんの、原詩での曲を歌いました。因みに英語でYouTubeを検索すると、同じ歌詞で何曲もの異なったメロディの「千の風」があることが分かります。


当日、バコロドの墓地の中にあるチャペルでの葬儀ミサの後、またもカラオケもマイクもなしのアカペラ。100名以上の参列者の前で無事歌い終わりました。後でみんなに聞いてみたら、家内以外に、この曲や詩について知ってる人は誰もいませんでした。とてもソウルフルで良い歌だと言ってくれましたが、やっぱり思いっきりカトリック大国のフィリピンでは、あまりピンとこないのか、そんなに有名ではないらしい。

それにしても、フィリピンの墓地は、墓石を立てずにプレート状にして埋め込むタイプが多く、広々とした空間があって「千の風」が似合います。特に親しい人を亡くした直後この歌詞を口ずさむと、救われた気持ちになりますね。