2015年5月30日土曜日

やっと新学期

4月の初めから始まった長い長いフィリピンの夏休み。学校によって多少違いますが、全国的に6月から新学期です。こちらでは夏休みの宿題などという、嫌がらせみたいな習慣がないので、夏休み中の子供たちは実にのびのび。

しかし我が家の場合、この時期に日本の教科書が届き、息子は別に強制したわけでもないのに「自習」してます。もちろん一日中やってるのではなく、せいぜい1日1時間かそこらですが、どうやら本を読むこと自体が好きらしい。教科書以外にもハリーポッター(英語の原書)や、私の本棚から引っ張り出してきたスタートレックの関連書籍(日本語)、そして先日お客さんにお願いして日本から持ってきていただいた、子供向けの雑誌「てれびくん」など。やや乱読気味。

日本の教科書というのは、小・中学生の日本国籍を持つ子供を対象にした、日本大使館、領事館が行っているサービスで、4月頃と10月頃の年2回、子供の学年に合わせて教科書の無償供与。ありがたいことですが郵送してくれないので、ネグロス島の場合ビサヤ諸島管轄のセブにある領事館まで取りに行かないといけません。

さて、もうすぐ新学期のこの時期、ショッピングモールなどに行くと通学用のカバンのバーゲンセールでどこも大賑わい。日本のランドセル型の背負うタイプは少なくて、車輪付きの旅行カバンみたいなものが多い。何故かというと、毎日ほとんど全教科の授業があるので、小学生に持たせるには重すぎる量の教科書とノートを持っていかないといけないから。



英語、算数、理科(サイエンス)、社会、フィリピン(タガログ)語、宗教(クリスチャン・ライフ)、母国(イロンゴ)語、コンピューター、これらに加えてMAPEH(マペ)というのがあります。Music / Art  /Physical-Education / Health の略称、要するに音楽・美術・保健体育。使用言語は基本が英語で、必要に応じてフィリピンの言葉を二つ。内容を見ると、小学生にしてはかなり高度なことを教わっているようです。

改めて考えてみると、これで夏休みまで勉強のプレッシャーをかけるのは、可哀想かも知れませんね。さぁ、来週から頑張れフィリピンの小学生!


2015年5月29日金曜日

フィリピンの桜?

年がら年中、いろんな花がが咲き乱れる南国フィリピン。生垣や庭に花を植えたり、部屋の中に花を飾ったり、それなりに花を楽しんむ人が多いのは、日本と変わらないのですが、あんまりいつも花が溢れているせいか、季節に応じた花をわざわざ出かけて行って見るという習慣はないようです。

サンパギータ、ブーゲンビリヤ、ハイビスカス。ほんと、いつでも咲いてるもんなぁ。きれいだけど、珍しくもなんともない。

そんな中で、私が唯一気がついた季節の花が火焔樹(Fire Tree)。こちらでは真夏の盛りのこの時期、4月から5月にかけてが見頃。その名の通り、満開になると遠目だと樹全体が燃えているようです。多少なりとも季節感があって、私は好きなのですが、一番暑い時期にこうなるもんだから、見てて余計暑苦しいのが玉に瑕。








しかしいくら美しく咲き誇っていても、火焔樹の下で花見をしようと思う人はいないですね。まぁ桜と違って1ヶ月以上は咲いてるし、いくらパーティ好きのフィリピン人でも、この炎天下に外で飲み食いする気にはならない。

やっぱり長い冬が終わって、枯れ木みたい状態からいきなり咲いて、一週間かそこらで儚く散るからこそ、人は桜に夢中になるのでしょう。日本に住めば、フィリピン人でも桜大好き花見大好きになるみたいです。

ところで、自宅の玄関の横に、ここ数ヶ月で急激に大きくなった樹があります。最初は大工さんが植えてくれたブーゲンビリアだと思ってたら、葉っぱの形が違うし、いつの間にか小さな白い花が咲きました。


家内に訊いたら「チェリー」だとのこと。チェリーって桜? 確かに花や葉っぱの形は、桜に似ているし、小さな赤いサクランボも成ってます。でも勝手に生えてきて、芽吹いてから半年もしないうちに2階の軒まで届く成長速度は、やっぱり熱帯の野生植物ですね。

このまま育って、花がたくさん咲いてくれたら、2階のベランダで花見でもしようか?
家内は、大きくなりすぎると、これを伝って泥棒が入るかもと、心配してますが。


2015年5月25日月曜日

停電撃退 発電機始動

新居に越してからちょうど1年経過して、とうとう発電機を設置しました。日本だと発電機がある家庭って少ないでしょうね。このブログでも度々取り上げてきたように、電力不足が日常的なフィリピン。クリスマスなどの使用電力が増える時期には、てきめんに停電が増えます

特に前回の大晦日から新年にかけての長時間停電は困りました。せっかく親戚が自宅に集まって、一緒にお祝いしようと思っていたのに、肝心な時間帯に真っ暗でとても損した気分。また、夏場(4〜5月)には、半日に及ぶ計画停電も頻発。一番暑い時に扇風機も使えないのは、とても大変。

家内とも相談して、とうとう発電機購入を決めましたが、そこからが結構長くかかってしまいました。まず、この家の電気配線を担当した電気屋のサルディがなかなか捕まらない。電話しても全然返事がない。別件で仕事を頼んで大工さんに聞いたら、実は電話番号を変えていたのでした。お得意さんなんだから、番号変えたら教えてくれよ〜。

結局1ヶ月以上は待たされたでしょうか? サルディ同伴で隣市バコロドでようやく発電機購入。発電量の大小や、燃料がガソリンかディーゼルオイルかなど、いろんな種類があり、何軒か回って、自動車のようにキーを回して電気式に始動できるタイプに決定。燃料はランニングコストの安いディーゼル。これで、10リッターで約20時間稼働とのこと。エアコン・冷蔵庫・照明など自宅の電気製品は全部大丈夫。とは言え日本円で10万円近い価格。これでは、買えるお客さんは限られるはずですね。



次は設置場所。騒音と排気ガスがすごいので、とても部屋の中には置けません。配電盤近くの庭先に、新たに小屋みたいなものを作るところから始めました。大工のアントニオに頼んだら、ブロック積みやら溶接作業で、小屋だけで3日。まるでお地蔵さんの祠にしたくなるような、可愛い小屋が完成。







そして、今日。配線が終わってようやく発電機が始動。やっぱり物凄いエンジン音。これでは、テレビが見られても、喧しくて音が聴こえない。しかし、これで半日ぐらいの停電ならば、冷蔵庫の中身を心配しなくて済むようになりました。さぁ停電、いつでもかかって来なさい。




2015年5月22日金曜日

アカアリ大発生


ただいまフィリピンは夏真っ盛り。マニラ首都圏では連日40度越えだそうで、どうもエルニーニョ現象の影響をいち早く受けているようです。ここネグロス島では、そこまでの猛暑ではなく、せいぜい32、3度。大阪の真夏に比べてもずいぶん凌ぎやすいのですが、やっぱり暑いものは暑い。もう半月ほど雨らしい雨が降っていません。

暑さと乾燥が続くと爆発的に増えるのがアリ。先日、庭にブーゲンビリアを植えようと素足にサンダルで芝生に出たら、大量のアカアリが足を這い上がってきて、アッという間に20箇所以上噛まれてしまいました。

これだけ一度に噛まれるとかなり悲惨。しばらくすると噛まれた膝から下が、腫れ上がってきました。日本から持ち込んだ液体ムヒを塗って、少しマシになったものの、全体に熱を持って痛痒い。その後、数日は腫れが引かず、歩くのも少しツラいほど。

今週には、台所にも列をなして入り込むようになり、ちょっと目を離したら食材を切っているまな板に何百というアリが! 軽くパニックになってすぐ水道水で洗い流したところ、両手の指や腕をまた噛まれてしまいました。特に右の小指の付け根がひどくて、指が曲げられないほどの腫れ。イタタ...。

新居に引っ越してちょうど一年経過したこの時期、去年はこんなにひどくなかったんですけどね。やっぱり今年は雨が少ないせいでしょうか? 年中アリは部屋の中に侵入してきて、たまに2階のベッドに寝てても噛まれる時があります。最初はアリだと気付かず、蚊に刺されたのかと思ってました。背中とか腹まで痒くなって、ようやくアリだと判明。

しかし、通常はずっと小さいアリで、噛まれてもそれほど腫れ上がることはなかった。この夏のは数も多いし、サイズも一回り大きい。いままで放置してたけど、そろそろ駆除のことを考えるべきか。と思案していると、昨日久しぶりの土砂降りの夕立ち。実に分かりやすいことに、今朝からは室内に入ってくるアリの数が、目に見えて減りました。

日本でマンション暮らししてた頃には、ついぞ感じたことのない自然との一体感です。


2015年5月21日木曜日

友、遠方より来たる 〜観光編〜

今日も引き続き、日本からの来客のお話。

ネグロス島シライ市に初めて来たのが18年前。しかも移住して2年以上が経って、外国に住んでる意識も薄れて、最初はもの珍しかった街並みもすっかり日常になってしまいました。でもこうして日本からお客さんが来てその案内をすると、改めて新鮮な気持ちで自分が住んでいる場所を見直すことができます。これはなかなかいい感じ。

私も最初はそうだったな〜と思ったのがトライシクル。乗ってみたくなるんですよ、これが。排気ガスは撒き散らすし、車を運転してると邪魔でしょうがないんですが、観光アイテムとして見ると結構魅力的。晴れてたら風が爽やか。今回もお客さんの要望に応えて、早速みんなでトライシクルに乗ってあちこち回りました。



最初は、フィリピン統治時代の富豪の個人住宅をそのまま保存している「バライ・ネグレンセ」(ネグロスの住宅)。フィリピン国内でもシライの観光名所と言えばこれ。ちょうど夏休みで、学生さんのボランティアが説明してくれました。この家の持ち主はスペイン系だと思い込んでいたら、実はフランス系だったんですね。その他にもメトロポリタン歌劇場で歌った、初めてのアジア系歌手を輩出してたりと、知ってるようで全然知らなかったことばかり。


バライ・ネグレンセの居間から見たシライ市内の風景

次は実は家内も初めて来たという、旧シライ港跡。これまたスペイン統治時代の海港で、今では桟橋の橋脚部分だけが、海に向かって延々と続いている場所。家内の家から徒歩10分ぐらいのなのに、今では海岸線沿いに民家が密集し、住民宅の中を通らないと分からないので、地元の人はわざわざ見ようと思わないらしい。


出典:Wikimapia

その他にもシライ市最大の教会のサンディエゴ・カテドラルや、隣市タリサイにある、旧日本軍に接収され敗戦前に焼かれてコンクリート部分だけが残った、富豪邸跡「ルーインズ」など、丸1日かけて久しぶりに「観光旅行」気分を満喫できました。


夕闇迫るルーインズ


2015年5月20日水曜日

友、遠方より来たる 〜土産編〜

昨日に続いて、日本からの来客のお話。

今回の来比は、半年以上前から計画を練りました。お一人での海外旅行が初めてということで、メールやチャット、スカイプなどを通じて何度もご要望を聞いたりアドバイスをしたり。日本人らしい気遣いから、宿泊費を支払うと言っていただきましたが、ネット経由のみとはいえ、もう10年近いお付き合い。しかもこんな辺鄙な場所に単身来ていただけるとのことなので、さすがにそれは辞退。

その代わり、ということでもないのですが、日本でしか入手できない品物をたくさん持ってきて貰うことにしました。

まずは薬品。もちろんフィリピンでも各種の薬はあります。しかし食べ過ぎとかちょっとした風邪などの症状に、丁度いいものが見つからない。そこで「太田胃散」「コンタック600」「バッファリン」「液体ムヒ」。

調味料では、何かと話題になっている「味覇(ウェイパァー)」マニラの日本食材を扱っている店では売っているらしいけれど、ネグロス島にはまだありません。そして、魚をさばく時にどうしても欲しかった出刃包丁。これは飛行機搭乗の時には、くれぐれも手荷物に入れないようにとお願いしました。

その他は、子供の勉強用の参考書や問題集、ジブリの新作アニメや日本語字幕付きのハリウッド映画のDVDなどなど。



何しろ準備期間が長かったので、思いつく度に追加していたら、最後には相当な量になってしまいました。しかもそれに加えて、気を利かせてお好み焼き粉や、ふりかけの類、息子のためのガンプラまで持参。なんだか運び屋さん状態。かたじけないことです。

昔、インドに仕事で出張した時、現地駐在の日本人社員のために、途中で立ち寄ったクアラルンプールで、大量の日本食材を購入して持って行ったことを思い出しました。仕事のことなどそっちのけで、駐在社員が嬉しそうな顔してたなぁ。


2015年5月19日火曜日

友、遠方より来たる 〜到着編〜

先週の金曜日から3泊、日本からお友達がシライの自宅に遊びに来てくれました。移住してから丸2年、新しい家に引っ越してからちょうど1年が経って、初めての日本人の泊まりのお客さん。女性の一人旅です。

家内のフィリピン人の友達や親戚はもう何人も泊まっていますが、わざわざ日本から、しかも取り立てて観光で有名な場所でもない、ネグロス島のシライ市に来てもらえるとのことなので、相当気合を入れて待ってました。英語があまり得意ではないそうなので、マニラまでお迎えに。

半年ぐらい前から準備して、いよいよ当日。国際線からマニラで国内線に乗り継ぎです。かんたんなことのようですが、マニラのニノイ・アキノ国際空港の場合、なぜか国際線と国内線のターミナルビルが別々で、しかも一度空港の外に出てタクシーやバスに乗らないと移動ができないという不便さ。唯一フィリピン航空(PAL)だけが同じターミナルで乗り継ぎができるので、PALで繋いだところ何と出発直前になって国際線の到着ターミナルが変更になっていました。なにすんね〜ん!


フィリピン航空専用の第二ターミナル

そうとは知らずPALの国際線到着ゲートで待っていましたが、着陸後1時間しても出てこない。フィリピン国内で使える携帯電話を持って来てもらっていたので、状況を把握できて無事落ち合うことができましたが、ちょっと焦った。初めての一人での海外旅行で(しかもフィリピンで!)さぞかし心細かったでしょう。

しかし昼間だったし、航空会社のシャトルバスに乗ってたので大丈夫。これがもしセブ・パシフィックなどの格安で、深夜に到着するような便だったら、たいへんでしたけど。実際、フィリピンに何回も来ている日本人で、ネグロスからマニラ経由で帰国の際、つい魔が差して待たなくてもいい白タクに乗ってしまい、強盗にあった人を知っています。

もう心情的に半ばフィリピン人化しているので、とにかくフィリピンの印象を悪くしないようにと、それだけが心配でした。


日本発の便が到着すると、出迎えでごった返す到着ゲート


2015年5月12日火曜日

フィリピンからの迷惑な贈り物


南太平洋からフィリピン、台湾付近を経て日本へ。日本に接近する台風は、こういう経路を辿ることが多い。今回の台風6号、アジア名「ノウル」、フィリピン名「ドドン」も典型的にこのパターン。日本に住んでいた時、我が家のお決まりのジョークが「いいなぁ、台風はビザなしで日本に来られて」でした。

このブログを書いている5月12日の深夜、台風はもう温帯低気圧になりましたが、関東地方を中心に相当な雨を降らせています。5月中旬に大雨や暴風の警報が出るというのも、あまり記憶にありません。だいたいこういう話は、夏の終わりから秋にかけてだったように思うのですけどね。

台風が来て喜ぶ人は、よほどの渇水状態にでもならない限りいないと思います。しかし、自分たちの住むネグロス島近辺には、深刻な被害がなさそうだと分かった時点で、ちょっと妙な連帯意識を感じてしまいました。

当初は「猛烈な台風」で、日本に住む友人たちがフェイスブック上で私や私の家族の心配をしてくれていました。その後台湾、沖縄、生まれ故郷の関西、関東と次々と「実況」の投稿。こうして見ると、フィリピンと日本は隣国と言ってもいいぐらい地理的な連続性を感じますね。

高校生の頃に夢中になって見ていたNHKの大河ドラマ「黄金の日々」で、市川染五郎さん(後の松本幸四郎)演じる呂宋助左衛門こと助左が、乗っていた船が難破してフィリピンに漂着するというシーンがありましたが、この距離感だと本当にそんなことがあったんだろうと思ってしまいました。


2015年5月10日日曜日

天に召された赤ちゃん

金曜日のお昼過ぎ、とても悲しい知らせがありました。
一昨年のクリスマスの頃に結婚した、義妹の末の妹ジジ。この日が最初の子供の出産予定日だったのですが、赤ちゃんは生まれてすぐに亡くなってしまいました。

以前の投稿で書いた通り、1000人出産当たりの死亡数が日本の1人に対して、フィリピンでは14人という数字(2010年の調査)は知ってました。しかし、現実に身近な人に振りかかると、この数字がどれだけ大きなものなのかを実感。

日本での妊娠・出産を経験し、去年、生理不順などでフィリピンの婦人科病院で検査を受けた家内によると、こちらの病院の設備は、まるで「骨董品」だとのこと。ひょっとすると、最新の医療機器が整備された大病院ならば、救えた命だったのかも知れません。ただし、そのような場所で治療を受けられるのは、相当高額な医療費を払える層に限られますが。

亡くなった赤ちゃんは男の子でした。名前まで決まっていて、フェイスブックで友達の、ジジの旦那さんが、甲斐甲斐しくネーム入りの赤ちゃんの産着を縫っている写真を、見たところだったのに。出産時に弱々しい産声を上げた赤ちゃんは、酸欠で唇が真っ黒。すぐに集中治療室に入れられ、たった1時間の短い一生を終えました。一度もお母さんに抱っこしてもらえなかった。

亡骸は24時間待たずに、すぐ埋葬。お葬式もなく、まるで産まれたこと自体がなかったかのように。結局母親のジジは赤ちゃんに対面できかったそうです。こういう対処の仕方を見ていると、乳児の死亡率が高いことからくる、一種の社会的な「慣れ」があるのかも知れない。

それにしても、悲しい話です。私も昔、家内の流産を経験しているので、この悲しさは想像できなくはない。とは言っても産まれてから死なれるというのは、両親にとって、特に母親にとってのダメージは、肉体的にも精神的にも大きいでしょう。

こちらでは、1歳の誕生日祝いはとても盛大です。裏返せば生後1年を乗り切るのが、日本よりずっとたいへんだからなんですね。



2015年5月8日金曜日

ドドンが来る 〜6号台風接近中〜



今年はなんだか、毎月台風のことをブログに書いているような気がします。5月なのにもう6号。アジア名ノウル(Noul)、フィリピンの監視エリアに入ってドドン(Dodong)と命名されました。聞くところによると、この時期に6号は史上最速のペース。4月〜5月と言うと例年フィリピンでは、安定した晴天が続く乾季のはずなんですけどね。

それにしてもフィリピン名のドドン。なんだかウルトラマンに出てきた怪獣みたい。家内に意味を尋ねたら、男の子のニックネームだそうです。怪獣っぽい響きの通り、これを書いている5月8日夜の時点で中心気圧が950hPa、最大瞬間風速が秒速60メートルの「非常に強い」台風となっています。

ただ、フィリピンにとってはやや幸運なことに、進路はかなり北寄りに逸れてきて、ビサヤ諸島東岸部やルソン島の北部をかすめるだけで済みそうです。油断はできないものの、大都市直撃はなさそう。

その代わりと言ってはなんですが、フィリピンを通過後に台湾の東を進み、週明けには沖縄から日本の本土に到達する勢い。5月に上陸なんて滅多にないと思って調べてみたら、比較的最近の2003年、愛媛県に上陸した4号台風があったんですね。今回と同じように、ルソン島に上陸後、太平洋上で勢力を盛り返したとのこと。

タイミングが悪いことに、来週日本から友達が遊びに来るんですよ。比較的雨が少ないからと、わざわざ5月にしてもらったと言うのに。フィリピンにも日本にも被害が出ず、友達が無事来比できますように...。


日本ブランド・イン・フィリピン

ひと昔前、フィリピンで強い日本ブランドと言えば、トヨタ・日産などの車関連やホンダ・カワサキに代表されるバイク、ソニー・パナソニックなどの家電などなど民生の工業製品がメインだったように思います。

もちろん今でもこれらのブランドはよく知られていて、トヨタは相変わらずの強さ。しかし家電に関しては、残念ながら中国・韓国製品に押されて、すっかり影が薄くなってしまいました。

実際にこちらで生活して気づいた日本ブランドは、トラックの扶桑や日野。日本の中古車を輸入しているらしく、ボディには「◯◯運送」とか「法定速度順守車」なんて書いたままだったりしますが、意外にたくさん見かけます。サトウキビの運搬には骨董品並みに古いフォードが黒煙吐いて走ってたりするものの、運送会社のトラックは大抵日本車。三菱のキャンターに至っては普通名詞化するほど多く、三菱じゃなくても中型のトラックは全部キャンターと呼ばれています。

食品では、昔からあったキッコーマンの醤油とか、味の素はすっかりフィリピン人の生活に定着していて、比較的最近のものではヤクルト。ヤクルトレディはいませんが、ちょっとしたスーパーだったら必ず見かけるようになりました。セブン・イレブンは、このシライ市にも一昨年開店。面白いのはセブン・イレブンに限らず、こちらのコンビニってカフェを兼ねてるんですね。10席ぐらいは座れる場所があって、そこで買ったアイスクリームやフライドチキンなんかを、家族連れや学生さんが食べている。

家を建てて気づいたのは「マキタ」。電動工具関連では信頼性抜群ということで、大工さんや職人さんに重宝されてます。因みにフィリピンの言葉で ”Makita” とは「会う(未来形)」という意味になります。”Makita anay kita” で「また会いましょう」。

しかし、ここ最近で一番躍進著しいのはやっぱりアニメ。カトゥーン・ネットワーク(アニメ専門チャンネル)では、当たり前のように「パーマン」「忍者ハットリくん」「ナルト」が放送されてるし、冒頭のテーマソングは日本語がそのまま。ディズニーチャンネルでは、年に数回はジブリのアニメが見られます。玩具店のトイザらスにはガンプラ置いてる。

そして私にとって、一番インパクト強かったのは「どーもくん」でした。実は日本にいた時から、家内はどーもくんのファン。フィリピン人好みのキャラクターなんでしょうか。10歳の姪っ子が、どーもくんポシェット持ってうちに遊びに来た時は、びっくりしました。ショッピングモールを歩いていると、時々若い女性が持っているのを見かけます。ジャパニーズ・ソフト・パワーは、フィリピンを制する?



2015年5月5日火曜日

おもろない試合



一昨日の日曜日、フィリピン中が大騒ぎしたパッキャオ・メイウェザー戦。こちらではケーブルテレビが一般的で、パッキャオの試合が見られるチャンネルを契約していると、今月に限って50ペソ(約120円)の割増請求。

ところが何と当日の朝、教会のミサから帰宅してテレビを点けると、砂嵐状態。パッキャオの試合どころか、70チャンネルの全部が映らない。え〜〜っ、そんな殺生な。同じシライ市内にある家内の実家に電話したら、そっちではちゃんと見えてるとのこと。

どうやら、自宅の周囲だけのトラブルらしい。早速家内が電話で苦情。だいたいこういう時には電話がつながらないのがフィリピンの常識なんですが、珍しく一回で連絡できて、大慌てで修理屋が来ました。やっぱり「フィリピンの英雄」の威光はすごいですね。メイン・イベントには間に合いました。やれやれ。

しかし、肝心の試合の内容がどうにも冴えない結果。期待していたOK決着どころか、足を止めての打ち合いすらほとんど見られずのまま、判定0-3のパッキャオ敗戦。対戦相手のメイウェザーは、ヒット・アンド・ウェイのディフェンス中心で、5階級を制覇したボクサー。当然こうなるのは予測できたとは言え、全然おもろない試合でした。

やっぱりボクシングに限らずあらゆる格闘技は、観客にとってどちらが勝ったのか(負けたのか)がはっきり分かる試合が面白いに決まってます。たとえ引き分けでも、両者とも全力を出し切ったと思えるならば、まだ見応えがあったでしょう。今回の試合は1ラウンドと12ラウンドの区別がつかないほど、両者とも消耗した感じもなければ、目に見えたダメージもない。何だかなぁ...。

3年前のマルケスとの試合のように豪快なKOを喫していれば、たとえ負けてもきれいに引退ということで、それなりにフィリピンのファンも、まだ納得できたのではとさえ思ってしまいました。

これって再戦するのかなぁ? 多分何回やっても、同じような結果になりそうだけど。