2015年9月30日水曜日

南国のスーパームーン

日本から飛行機でたった4時間弱で行けるフィリピン。しかもマニラへの定期便は関西、成田、羽田、福岡、名古屋、広島、仙台、那覇...。ほんとにどこからでも直行便が飛んでます。もうこうなると、ちょっと不便な国内旅行よりも手軽なぐらい。さすがに日帰りはできませんが。

こんなに近くに感じるけれど、気候はやはり熱帯。特に今頃(9月〜10月)は徐々に日本の秋が深まって、フェイスブックやツィッターで読む日本の友人・知人たちの言葉から、日本とフィリピンの距離を感じます。日本では、もうそろそろ半袖では涼しすぎる季節になっても、相変わらずこっちではTシャツに短パン。真冬の寒さはもういいですが、秋や春のちょっと肌寒いぐらいの気温と、旬な食材の美味しさだけは恋しく思います。(無いものねだり...。)

しかし先日のスーパームーンは、まったく距離を感じませんでしたね。ネットでは一斉に巨大な月の写真があちことでアップ。ここネグロス島でも見えましたよぉ、でっかい月が。昼間は曇りがちで半ば諦めていましたが、夕刻頃からはなんとか雲も減って、やや朧月っぽい神秘的な姿。


スーパームーンでなくても、周囲はあまり人工の灯りがなくて、満月が明るく感じるネグロス島の自宅周辺。大きさもさる事ながら、その月明かりの強烈なこと。ドラキュラも狼男も総出で踊り出しそうな夜でした。

早速 iPhone のカメラで何枚か撮ってフィスブックに投稿。いいですね、こういう連帯感は。外国とは言っても時差がたったの1時間。赤道近くなので季節による日の長さは違いますが、基本的には夜の時間帯はほぼ重なっています。流星群も条件さえ良ければ日本で見えるものはだいたい見える。

ただフィリピンの人たちって、こういう天文ショーの類はあんまり関心がないようです。私の知る限り、スーパームーンのことを話題にした投稿や写真って、まったく見ませんでした。日本人の写真共有の定番、季節の花とかいうのもない。どうやら、あんまり気候のいい場所に慣れすぎて、自然の移ろいへの興味が湧きにくい国民性なんでしょうか?


2015年9月28日月曜日

軍服でお別れ


昨日、一時帰国中にアメリカで亡くなったお隣さんの葬儀が行われました。もう70を幾つも過ぎていて、ほとんど私の親の世代。お名前はジョージ・アルバトーニ。お孫さんが息子と同級生なんですが、毎朝夕家の前を車で通る以外ほとんど接触がなくて、そういうフルネームだったと今頃知りました。

元軍人だと聞いてた通り棺の中で防腐処理を施された亡骸は、アメリカ海軍の軍服に包まれていました。本人の意思なのか、アメリカでは退役軍人はそうするのが普通なのかは分かりません。しかし、私は軍服姿で故人を見送るのは初めてなので、とても強く印象に残りました。

以前見たNHKのドキュメンタリー番組のインタビュー映像で、マニラ市街戦に参加したフィリピン人の元兵士がやはり軍服姿でしたね。国のために戦った人というのは、軍服が誇りなんでしょうか。


隣町の州都バコロドにあるアメリカ人会から
たくさんの同胞が出席。

年齢から推測すると、アルバトーニ氏が現役の頃はベトナム戦争の時代。フィリピン人の子供(と言っても私と同年代)は、ネグロスの方言のイロンゴ語ではなくタガログ語しか喋らないので、多分奥さんとはマニラ近辺か、当時アメリカ海軍の基地があったスービックで出会ったのかも知れません。

葬儀はカトリックのミサで埋葬地もカトリック専用墓地なので、イタリア系の名前が示すようにカトリック信徒だったようです。それにしてもその墓がすごい。お墓というより別荘か離れ。照明付きでトイレも併設されていて、ちょっとしたワンルームマンションの一室ほどの広さがあります。


墓室内に掲げられた遺影は若い頃撮影されたもので、やっぱり軍服姿。棺は埋めるのではなく安置。最後のお別れの後に周囲をコンクリートで固めて、葬儀は終わりました。家内の母親や親戚も眠るこの墓地。おそらく私も死後はここへ葬られるんでしょうね。



2015年9月25日金曜日

突然の祝日

朝起きたら...もう6時半! しかも家内も隣でスヤスヤ。今日は金曜日でまだ息子の学校があるはず。息子はいつも6時45分には登校で私が車で送っています。家内がまだ寝てるということは、息子も寝てて当然朝ごはんもまだ...。これはイカん!しかし、もしかして私が知らないフィリピンの祝日? と思い直して家内を起こして聞いてみるとやっぱりそうでした。知ってたんなら前の晩に教えてくれよ〜。

時々こういうことがあるのがフィリピン。後で調べてみると、10日前の9月15日に大統領令が出ていて、今日9月25日は Eid ul-Adha イード・アルアドハー(犠牲祭)というイスラムの祝日につき学校も会社もお休みになってました。

そんな祝日初めて聞いた。しかもこのカトリック国でなぜにイスラムの祝日? そう言えばちょっと前にも急にイスラム行事のラマダン(断食月)明けが休みになったりしてましたね。少数派とは言え南部のミンダナオ島を中心に回教徒がいるフィリピン。そちらにも気を使ってるんでしょうか。

イスラム関連だけでなく、APECの国際会議があるから今年は11月18/19日が休み(マニラ首都圏のみ)になったり、連休にするために歴史的な記念日を1日ずらしたり。それも結構急に決まったりします。

それにしても、私のようにリタイアして仕事してなかったら大したことにはなりませんが、ビジネスやってる人、特に経営者はたいへんだと思います。突然決まったものでも休日は休日。その日に従業員に働いてもらうには、休日出勤手当を支給しないといけません。

移住してもう2年半ですが、これは慣れません。誰かスマホ向けに「フィリピンカレンダー・アプリ」作ってくれませんかね?


2015年9月24日木曜日

隣人の死


私たち家族の住む宅地、セント・フランシスには(フィリピンでの)外国人オーナーが多く、すぐ隣には二軒続けてアメリカ人が住んでいます。その一軒のご主人が亡くなりました。もうかなり高齢ですが昔は軍人だったそうで、いつ会っても背筋はまっすぐ、イタリア系だからか、襟のあるシャツにスラックスで身なりもキチンとしていました。

よくあるパターンで、奥さんがフィリピン人。私の息子が通う小学校の同級生の女の子がいて、いつもでっかいフォードを自ら運転して送り迎え。その子はハーフには見えなかったので、奥さんの連れ子かな?と思っていたら、実は孫。養子ならぬ養孫。

どういう訳か、その女の子の両親は別の家に住んでいて孫娘だけと同居。不思議な家族ですね。亡くなったアメリカ人の奥さん(女の子の実の祖母)は、あまり社交的とは言えない性格らしく、ほとんど表に出ることもなく話もしたことはありません。

この老夫婦がアメリカに里帰り中、旦那さんが急死したとのこと。これが一週間ぐらい前の出来事で、そのまま母国の土に還るのかと思ったら、わざわざ亡骸を空輸してフィリピンに埋葬の予定だと聞かされました。いよいよ不思議な話。この日曜日には近くの墓地で葬儀があって、私たちも参列します。

もう母国には身寄りもなかったのか、それとも何か事情があるのか。多分、終の住処のつもりで建てたであろう自宅。裕福な住人が多いセント・フランシスの中でも一際目立つ豪邸だったのに、結局、地球の反対側で人生の最後を迎えるとは、なんとも皮肉なことです。とても他人事とは思えません。

ここまで書いたところで、今度は家内の友達の旦那さんが心臓発作で急死したと電話がありました。会ったことはない人ですが、私の同い年の52歳でまだ小学生の子供さんを残しての他界。

こう立て続けに訃報があると、やっぱり自分の人生の最後のことを考えてしまいますね。まだまだ自分は元気で、20年や30年は大丈夫と思い込んでいますが、こればっかりは「神のみぞ知る」。お二人の魂の平安を祈ります。


2015年9月23日水曜日

オートマチックは少数派

愛車の修理で、久しぶりに家内の実家の車(マニュアル車)を運転して色々思い出したので、今日はフィリピンでオートマチック車事情について投稿します。

フィリピンへ来て自動車購入してから2年が経過しました。日本では最後の10年はペーパードライバー状態。その間に横浜〜大阪〜福岡と引っ越して、どこでも判で押したように、最寄り公共交通機関がとても便利な場所でした。元来、それほど運転が好きというタイプでもなく、わざわざ高い維持費を払うほどの必要性も執着もありません。

そしてここネグロス島。骨董品のような蒸気機関車が、ごく稀にサトウキビを満載して走っているだけで、旅客鉄道自体が存在しない。(ネグロスだけでなく、首都マニラの一部にしかない)バスは幹線道路しか走らず、乗り合いバスのジプニーや輪タクのトライシクルは短距離移動だけならまだしも、排ガス規制など縁のないこの国では、これに乗るのは吹き込んでくる真っ黒けの排気ガスとの戦い。雨が降ったりすると(しかも大抵土砂降り)かなり大変です。エアコン付きのジプニーもありますが、とても運行本数が少ない。

びっくりするのは、私たちの住むシライ市街地でタクシーが拾えないこと。町外れの空港にはいくらでも客待ちしているのですが、なぜか市の中心部から乗車できるのは、ごく限られた場所だけ。州都のバコロドから帰る時も、空港以外のシライ市内へ行くならメーターを倒せないと言われ、乗る前に値段交渉から始めないといけません。これはシライ市民に対する嫌がらせか?

この状況なので、車がないと不便で仕方がない。ということで車選び...となった時にちょっと考えたのがオートマチック(AT)車かマニュアル(MT)車の選択。日本ではAT車の比率が9割を超えて、よほどの運転好きの自家用車か業務用ぐらいでしかMT車は見ません。私も免許取った当初はしばらくMT車運転してましたが、30歳を過ぎてからAT車でした。

ところがフィリピンでは日本と真逆。AT車は滅多にお目にかかりません。価格が少し割高なのと、AT車は燃費がすごく悪いと信じられているから。まぁ20年落ちとかいう車種だったら、そういうこともあるかと思いますが、(ここでは1980年代の車が普通に走ってます)新車でもMT車ばかり。やはりAT車が多いのは日本とアメリカだけということでしょうか?

でも結局はフィリピンでの少数派、AT車にしました。もう今更この年齢でブィブィ走らせる気もないし、渋滞が多いフィリピンで忙しないギアチェンジをしたいとも思いませんから。それにしてもAT車とMT車の燃費比べでネット検索したら、専門用語を並べ立てて、質問者をバカにするような、もしくは喧嘩腰で語るような人が多くて、ちょっと興ざめてしまいました。



2015年9月22日火曜日

ダンベル購入

昨年7月から通いを始めたジム。だいたい週3〜4回ぐらいのペースの筋トレがもう1年以上も続いています。旅行やクリスマス休暇などで、たまに1週間ぐらい間が空くこともありましたが、意外にも挫折してません。少々お高いですが、プロテインなども買って筋トレ後はちゃんと忘れずに摂取。

半年目ぐらいあたりから、目に見えて胸回りや二の腕が逞しくなってきて、久しぶりに会った友人に驚かれたりするようになりました。と言ってもジム常連さんのムキムキ状態にはほど遠く、せいぜい「細マッチョ」程度。

しかし、こうなってくると毎日鍛えたい。ところが自宅からジムまでが微妙な距離で、歩くと30分近くかかり、かと言って車で行くほどでもない。自転車にはちょうどいいけれど、駐輪する場所がなく、ヘタに路上に駐めると盗まれそう。晴れていればウォーミングアップ代わりに歩くのですが、問題は雨。一旦降りだすと大抵土砂降りになってしまうので、雨季のこの時期はなかなか判断が難しい。

朝行けなくて午後から...と思っていると大雨で「毎日欠かさず」ができそうでできない。それなら家で筋トレすればいいのでは? 自宅ならば早朝でも深夜でも大丈夫だし、第一お金がかからない。というわけで1ヶ月ほど考えて、ついに昨日ダンベルを購入しました。

10ポンドと5ポンドのを各4個づつ。これで組み合わせを変えれば、10〜30ポンドが二組(つまり両手用)できます。締めて3000ペソ(約7000円)、ジム5ヶ月分の金額。ネットで調べてみると、ダンベルのだけでも上半身を中心にかなりいろんな筋肉を鍛えられるようですね。ダンベル・トレーニングに合わせて腕立て伏せと腹筋でジム通いと同じ効果を狙います。最低でも半年は頑張って、元を取ろう!



2015年9月18日金曜日

蔓延! 水疱瘡


フィリピンを初めとする東南アジアの感染症というと、昨年東京でも患者が出たデング熱、あるいはマラリア、アメーバ赤痢などが思い浮かぶかと思います。しかし、日本でも子供の時に予防接種をする麻疹や風疹、ポリオなどもフィリピンでも同様に感染のリスクはあるし、小学校などで無料の集団予防接種があったりもします。

ところがなんと、今シライ市内で水疱瘡が大流行しています。家内に聞くとフィリピンではなぜか水疱瘡の予防接種はしないらしく、公立小学校では約半数の生徒が発症。そこの生徒で息子の従兄アンドレと、同校の教師でアンドレの母親(義妹)とその夫(義弟)にまで感染しました。つまり子供だけでなく大人まで含めての流行。

水疱瘡は幼児期に罹ればだいたい軽症で済みますが、大人や特に妊婦が感染すると重篤化しやすい病気。私立の息子が通う別の小学校ではそれほどでもないのは、どうやら親の知識の差のようです。公立校では水疱瘡特有の発疹が出ている状態でも、平気で子供を通学させてしまう親が多いとのこと。予防接種もせずにそんなことしたら、そりゃ感染爆発するでしょう。

フィリピンの場合、医療費や薬品代が恐ろしく割高だったり、健康保険(任意のみ)の加入割合が絶望的に低かったり、感染症が蔓延してしまう素地はありますが、一番根本的な原因は、親の低学歴とそれに伴う知識の欠如が大きいと思われます。何度も投稿していますが、この国では貧困のため小学校すらまともに通えない子供が多く、高校でも全体の7割程度しか卒業できない。学歴がないと低収入の職業にしか就けず、何世代にも渡る貧困のループができてしまいます。

何かにつけ思うのは、フィリピンに必要なのは交通や電気水道インフラよりも、貧困層の治療ができるように支援を受けた医師。さらには基礎教育が貧富の差に関係なく受けられる、社会基盤だということ。これを考えるといつも暗澹たる気分になってしまいます。


2015年9月16日水曜日

美人コンテスト 最初の応募

フィリピンは、美人コンテストの先進国。世界三大ミスコンのミス・ユニバースで2回、ミス・ワールドで1回、ミス・インターナショナルで5回も優勝者を輩出しています。2001年にはフィリピンをホスト国としてミス・アースという大会も始まり、既に2回優勝。最近ではミス・アースを含めて四大ミスコンなんだそうです。


2013年のミス・ワールド
フィリピン代表のミーガン・ヤング嬢

ここまでミスコンで国際的に大きな存在になったのは、何といっても美人コンテスト大好きな国民性に因るところが大きいでしょう。どうしてそうなのかはよく分かりませんが、ラテン系のカトリック国の優勝者が比較的多いことと関係あるのかも知れません。例えばミス・ユニバースで過去2名以上の優勝者を出している15カ国(フィリピンを含む)のうち、7カ国でカトリックが主要な宗教の位置を占めています。

フィリピンでの美人コンテストは、一種の国民行事。貧富の差に関係なく出場条件さえ満たせば誰でも応募できるし、どんな田舎でも大抵のバランガイ(町内会)では年中行事。世界チャンピオンを数多く生み出しているボクシングと同じく、貧しい家庭から身を起こして一攫千金を夢見る若者の、数少ないチャンスなのかも知れません。こういう裾野の広い人材発掘が、フィリピンのミスコン・ビジネスを支えていると思われます。

毎年フィリピンの独立記念日のお祭りで開催される、シライ全市の美人コンテストの写真見た時は正直驚きました。顔立ちもプロポーションも、そのままプロのモデルでもやっていけるんじゃないかというレベルの人ばかり。昨年、家内の従妹のダリアも出てたそうです。バランガイではブッチ切りの美貌のダリア嬢でも上位入賞できなかった。

そして前回投稿した、私の住む宅地、セント・スランシス・ネイチャービレッジ(SFNV)での初めての美人コンテスト。先週の土曜日、早速最初の面接があったようで、翌日応募者のスナップ写真が宅地のゲートに設置された掲示板に張り出されました。


同じ宅地に住んでいる人(のはず)なので、一人ぐらい見たことある子がいるかなと思いましたが、誰も知りませんね。コンテストに応募してくるぐらいだから、それぞれ魅力的なんでしょうけど、期待値が高すぎたのかちょっと微妙...。
これだったら、我が家のメイドのアミーが軽く優勝できそうな気がしますけどねぇ。


2015年9月15日火曜日

町内会の美人コンテスト


私たち家族は、「ビレッジ」とか「サブ・ディビジョン」と呼ばれる、周囲を壁で囲まれて門に守衛さんが常駐する住宅地に住んでいます。名前がセント・フランシス・ネイチャー・ビレッジ(略してSFNV)。

セント・フランシスとは、カトリックの聖人「アッシジの聖フランシス」からお借りしたものだそうで、門の傍には小鳥に説教したという逸話を現した石像が立てられています。私の洗礼名もフランシスで偶然同名なのですが、こちらは日本にカトリックを初めて伝えた「フランシスコ・ザビエル」

このSFNV、元はサトウキビ畑だった一角を宅地に造成。全部で約3ヘクタールもの面積があります。分譲が終わった区画は全部売り切れているはずなのに、投資目的のオーナーが多くて、まだ300軒ほどしか家が建っていない。特に自宅のある「フェーズ1」は、10区画に1軒ぐらいのスカスカ状態です。

それでも住民は1000人以上はいるでしょうか。日本風に言うと、ちゃんとした町内会も組織され管理費も徴収されます。ビレッジの中央にはクラブ・ハウスと呼ばれる管理事務所があり、その隣には小さいながらもプールや屋根付きのバスケットコート、パーティなどができるスペースも完備。

ここでは頻繁にディスコやカラオケ、居住者の誕生日パーティなども催されています。だいたいフィリピン人のコミュニティーがあれば、貧富の差は関係なくこういう感じになるみたいですね。そしてついにフィリピン定番のエンターテイメント、美人コンテストが開催されることになりました。

先週の始め頃から三つあるゲートに「募集要項」が板書。

美しく才能ある淑女のみなさん!

年齢 17歳〜24歳
身長 160センチ以上
独身で結婚経験がない方
妊娠中ではなく、妊娠経験もない方
高い道徳心と人格を備えた方

初代、ミス・セント・フランシスを目指しましょう!

広いとは言え、たかが町内会の余興に何と大層なと思いますが、そこは歌と踊りが上手い順番に選挙で得票するようなお国柄。この手のイベントには力が入ります。このSFNVに限らず、フィリピンの最小行政区分「バランガイ」(これこそ町内会)での美人コンテストは、おそらくこの国のどこでもお馴染みの行事。日本の盆踊りとか夏祭り・秋祭りに近い感覚で楽しんでいるみたいですね。

さて、どんな美女たちが応募してくるのでしょうか? 次回に続きます。




2015年9月14日月曜日

バナナのお値段

先月シライ市内にオープンしたスーパーマーケットのセーブ・モア。今までシライ市内ではお目にかかれなかった食材がたくさん。それだけではなく、今までここではあり得なかった値付けも。

日本でもお馴染みのフィリピン・バナナ。公設市場や路上販売では小ぶりのモンキーバナナが多い。何本バナナが付いているかにもよりますが、一房30〜60ペソ(約80円〜150円)ぐらいで販売。この値段なので、おそらくフィリピンでも、一番よく食されている果物ではないかと思います。

いつもは私も公設市場でバナナを買っているのですが、セーブ・モアで買い物の途中にバナナを切らしているのを思い出して、初めて買ってみました。なんと一房181ペソ(約400円)。もちろん路上で売ってるようなバナナとはモノが違いました。

こちらは日本でも普通に見かける品種。いつもモンキーバナナばっかりなので、すごく巨大に感じます。黒ずみもなく熟しすぎでもないきれいな黄色。しかも一房に20本近くもついていて、手に持つとズッシリ重い。


写真撮る前にちょっと食べちゃったので減ってます。

帰宅してからがちょっと大変でした。日頃、60ペソでも高いと言ってる家内は、181ペソと聞いて金切り声をあげて抗議。別に毎回買うわけでもないし、たまにはこういうのもエエやんか....。

実際、食べてみるといつものモンキーバナナとは全然違います。と言っても日本で食べ慣れた味だったんですけどね。それに今までのは二日もするとあちこち傷み始めるので、急いで食べないといけませんでしたが、181ペソのバナナは四日経った今日もきれいなまま。

それを見ていてふと気になったのが日本での値段です。移住前はバナナの値段など気にしたこともなかったので、印象に残っていません。適当に検索してびっくり。同じぐらいのサイズで、二房2160円というのがありました。まぁこれは贈答用で特別な品物だとは思いますが、単純に計算して一房が約500ペソ。

この値差、完熟マンゴーほどひどくはないにしても、普通のフィリピン人を怒らせるには十分ですね。


2015年9月12日土曜日

示談成立

前回の続きで、いよいよ示談交渉です。
例によってこちらで喋るのは専ら家内。多分トライシクル・オーナーの奥さんは英語を解するし、全部英語で通すこともできたんでしょうけど、そうするとどうしても相手が硬くなり私も面倒なので、家内には日本語〜イロンゴ語の通訳に徹してもらいました。

このスタイルだと、強気な日本人と仲介する妻というパターンができて、よくある刑事ドラマの取り調べシーンではありませんが、厳しい内容も話やすいし、相手も妥協がしやすくなるかと思ったのです。そして実際にその通りになりました。

まず口火を切ったのは私。図らずもかなり高額(5万5千円)なものと、高いとは言えまだマシな金額(1万8千円)の見積もりが出てきたので、ちょっとズルいかなと思いましたが、最初は高い方を提示。やっぱり先方の奥さんは「ぎょっ!」という感じで怯んだものの、すぐに見積書持って近くの保険会社の窓口に走りました。


話合いがあった警官の詰所

敵もサルもので、保険会社経由で見積書を書いたトヨタのディーラーに電話して、安い修理方法もあると察知。どうかそちらにしてくださいと、今度は泣き落としに。私も高い方ではとても払えないだろうとは思ってました。相手の雰囲気から察するに、下手すると数ヶ月分ぐらいの生活費になろうかという金額です。これだとせいぜい半額払えるかどうかということらしい。

立会警官の「それほどひどいダメージでもないから、安い方で許してやったらどうですか?」との発言もあり、最後は私が引き下がる形で、安い方の修理で全額支払ってもらうことに同意しました。やれやれ。

こういう事故の場合、当事者同士で警官立会で話し合い、示談が成立したら弁護士のところに行って「示談成立証明書」みたいな書類を作成してもらいます。それを持って行って、警察に預けてあるお互いの免許証を返してもらうというシステム。なるほどね。形式上は、私とトライシクルの運転手の示談になって、英文による書面にはこの二人の名前が印刷され、二人でサインしてきました。


隣接する市役所内の一室にある弁護士事務所

これで見積もり通り支払ってくれるのかと思いきや、実際にはもっと値段が下がるかもしれないと知っている先方のオーナーの奥さん。週明けにディーラーでの修理に同行し、その場での値下げ交渉に臨むとのこと。やっぱり生活かかってるし、特に女性はしっかりしてますね。実際この奥さんとウチの家内が場を仕切ってましたから。


修理代5万5千円也

水曜日朝の事故の続報です。
事故直後に警官や相手のトライシクルのオーナーと話をして、金曜日に交渉することが決まり、翌日それに備えて車を購入したトヨタのディーラーへ行って来ました。平日の昼間なのに相変わらずお客さんが多いですね。新車の購入ばかりというわけでもないんでしょうけど、やっぱり景気がいいのか。そしてフィリピンでは、トヨタがダントツのシェアを誇っています。


約30分ほど待たされて、顔なじみの整備工の兄ちゃんに見積もりを出してもらいました。凹んだ樹脂のバンパー自体を新しいものと交換したら、23,000ペソ(約5万5千円)だそうです。どっひぇ〜。いくらなんでもそれは高すぎるやろ。でも次に言われたのは、バンパーを温めて擦り傷や凹みを直してから再塗装という方法。完璧に元に戻せる保証はないけれど、値段は7,300ペソ(約1万8千円)。最初にそっちを言え〜。

以前にも修理をしてもらったことがあって、この時は10,000ペソ(約2万2千円)。この金額、事前の見積もりの時は15,000ペソで、安くなったのは嬉しいけど、ずいぶん大雑把なことだと呆れた記憶があります。おそらく7,300ペソも最終的にはもう少し安くなるかも知れません。

取り敢えず、この二つの見積書を貰って金曜日の交渉の場に臨みました。場所はシライ市役所に隣接する警察署。前にも入ったことがありますが、なんとも粗末な建物。駐車スペースには来客の車や事故車両が雑然と並んでいます。時間にルーズとされるフィリピンですが、約束の10分前に行くとトライシクルの運転手にオーナー夫妻、担当の警官がちゃんと待ってました。


オーナーと言っても、そんなに金持ちではありません。ポロシャツにジーパンというごく普通の服装の中年夫婦。もう明らかにトライシクル側の過失が明白なので、ちょっと気の毒になるぐらいビクビクした表情でした。

実は私が入っていた自動車保険、3年契約なのになぜか自車のダメージだけ1年契約になっていて、知らない間に失効していました。説明してもらった覚えはなく、更新の書類を引っ越し前の借家に送っていたとのこと。そのまま放置せずに電話連絡ぐらいしてくれたらいいのに。そういうことなので、今回は相手の保険だけが頼りという、少々リスキーな交渉です。

長くなりそうなので、結果は次の投稿へ。


2015年9月9日水曜日

早朝アクシデント

フィリピンの運転マナーは本当にひどい。車がないと生活がとても不便で仕方なくハンドル握ってますが、何度も事故を目撃してるし毎日危ないなぁと感じてました。そのうち事故に遭うんじゃないかと危惧していたら、今朝とうとうそれが現実に。

7時前、いつもと同じように子供を学校に送っていったその帰り。この時間帯は通勤に加えて子供たちが自家用車やトライシクル(輪タク)に乗って通学するので、目貫通りの学校周辺はすごい混雑になります。車は右側通行のフィリピン。右車線に寄せて右折しようとした時、私の左側から強引に進路変更してきたトライシクルが、左前方のバンパーにぶつかりました。

幸い渋滞中だったのでスピードはほとんで出ておらず、停車寸前ぐらい。ウィンカーもつけずにどんどんこっちに幅寄せしてきたので、減速して警笛ならしまくったのに、なんで止まらんかなぁ? 見れば小学校低学年の子供を3人ぐらい乗せてる。運転手は何を考えてるんだか。



すぐ道路脇に車を止めて、相手の運転手に詰め寄りました。あんまり頭にきたので咄嗟に英語もイロンゴ語も出てこず、大阪弁で怒鳴ってしまった。しかしこの運転手の兄ちゃん、逆ギレするか謝るかと思ったのに薄笑いを浮かべて何も喋りません。


最後までほとんど無言だった運転手

運良く交通整理の警官3人ぐらいの目の前だったので、あっという間に事故検証と事情聴取が始まりました。こうなるとイロンゴ語がほとんど喋れない私は、家内に来てもらうしかありません。しばらく関係者を待たせて約10分後に家内到着。


いつも思うのですが、地元での交渉ごとになると家内は頼りになりますね。いきなりブチ切れた私と違って、終始落ち着いている。しかも偶然にも担当の警察官が家内の知り合いで、一挙に場が和みました。

それと前後してトライシクルのオーナーのオバちゃんが到着。この商売、運転手がオーナーということはないようで、事故ったら交渉は全部オーナーがやるそうです。心配していた保険もちゃんと入っているとのこと。

落ち着いて見ると車のダメージのそれほどでもなく、恐らく修理費もそれほど高くなさそうです。しかしすぐ示談にするのも嫌なので、金曜日に警察署で話し合いすることになりました。この続きはまた投稿しますね。

それにしても、相手の乗客含めて誰も怪我せず済んで、本当によかった...。



2015年9月8日火曜日

結核蔓延国の憂鬱


私のフェイスブック友達で、我が家のメイド、アミーの親戚の女性。先日この人が、結核に感染していることが分かりました。しばらく前から体調が悪いと言っていて、最近仕事を休んで静養中だったのですが、まさか結核とは...。

日本でも結核患者がまた増えているという話は、何となく聞いたことがありました。調べてみると、2013年で2万人が感染し死亡者が2084名もいて、日本は「中蔓延国」。世界レベルで見ると、結核はHIV/エイズ、マラリアと並ぶ世界三大感染症のひとつ。そして私たち家族の住むフィリピンは世界8位の結核蔓延国なんだそうです。

結核は、きちんと治療すれば治らない病気ではないのですが、最低でも半年程度は投薬治療が必要で、治る前に止めてしまうと菌に耐性ができてしまって、同じ薬は効かなくなるという厄介な性質。フィリピンでは栄養不足、薬品不足、不十分な知識などから家族で感染してしまう例が多く、死因の6位を占めるほど。特に貧困層に蔓延する傾向が高い。

私の家族は私も含めてBCG接種をすでに受けています。しかし絶対に感染しないと保証されたわけでもないそうですね。フィリピンでは結核に対する無知や偏見が横行していて、いまだに不治の病と信じている人もいる。そのため患者に対する根強い差別があるとのこと。

それとなくアミーに聞いてみたところ、やっぱり喘息だと思っていました。結核であることは隠しておきたいらしい。困ったことですね。こうして隠しているうちに周囲に感染を広げてしまうのか...。

さらに恐ろしいことに、この人は近所で活動している日本のNGOの事務所で働いていました。結核患者が出たというのに、このNGOではスタッフの検診もまったくせず放置して、今まで通りに日本からの高校生や大学生を、研修生として受け入れているそうです。

それでなくても結核蔓延国とされているフィリピン。日本人が感染拡大を手助けするような真似をするとは、まったく信じられません。


2015年9月7日月曜日

20畳敷のダイニング

雨漏り防止のための2階ベランダへの屋根敷設が終わって2週間。皮肉なことにまだ本格的な大雨は降っていません。時折、熱帯特有の強い夕立ちはありますが、数日降り続くような雨はまだ。しかしこの屋根、予想外の効果がありました。



ベランダ自体の広さは何も変わっていないのに、工事の後はなんだかずいぶん広くなったよう。屋根を付けると視界が狭まって解放感がなくなり、狭っ苦しくなるとばかり思ったんですけどね。これは意外。

周囲に壁まで作ったわけではないので、まったく暗さもなく、そこから見える景色が横長のワイドスクリーン状に切り取られて見えるので、印象として広々と見えます。また、テーブルや椅子、扇風機などを置くと、比較対象ができてさらに広く感じる。不思議なものですね。

そして雨の時より晴天時に屋根の効果が発揮されてます。これは建てる前から分かってるやろ〜という話ですが、常夏のフィリピンでは日当たりの良さはちっともメリットではない。バーベキューには最適っ!などと思ってたのに、実際には曇っていても暑くて、とても落ち着いて飲み食いなどできる環境ではありませんでした。ならば夜はというと、解放的過ぎて周囲から丸見えで、これも落ち着かない。

日差しが遮られて、風通しいの良い空間になって、ようやく当初の狙い通りに。20畳敷ほどのダイニングルームを増築したようなものですね。(当初12畳ぐらいかと思い計り直したら32平米、約20畳でした。)こうなると根っからの嬉しがりの関西人としては、何かと言うとここで食事をしたくなります。朝食時は朝日が気持ちいいし、来客時には七輪持ち出して早速焼肉パーティ。照明を取り付けて時々夕食も。ただ昼間はハエ、夜間は蚊が多いのがちょっと困りますけどね。これは熱帯のフィリピンでは仕方ない。


先週にはようやく念願の竹製ロッキングチェアを購入。それほど高価なものでもないのですが、ふさわしい場所がなくて買うのを躊躇してた品です。早速ベランダに置くと、あっと言う間に息子や家内に占領されてしまいました。



 暗くなると虫を求めてゲッコーも来る



2015年9月6日日曜日

美人メイド

このタイトル、完全に「釣り」ですね。すみません。本当に書きたかったのは容姿のことよりも、ウチのメイドさんの働きぶり。早いもので、我が家に新しいメイドのアミーが来てからもう2ヶ月。当初から感じてましたが、この子は実によく働く。

ネグロス島の山間部で生まれ育ち、実家の周囲で野菜を育てていたというアミー。300平米ある裏庭で、家内が植えた茄子やオクラ、パパイヤの世話はお手の物。一番たいへんだった芝生の手入れも、暇さえあれば早朝から大きなハサミでチョキチョキやってる。これ、暑いし腰痛くなるし重労働なんですよ。

家事の定番、掃除に洗濯は当然のごとくテキパキ。特に数日に一度は自分の判断で大掃除。大きな靴箱動かしたり、日本にいる時に家内が買いまくったコーヒーカップがたくさん入った食器棚も、丁寧に中身を取り出してピカピカ。揚げ物や炒め物ですぐに汚れるガスコンロも、しょっちゅう雑巾掛けしてくれる。

つい最近では洗車を頼んでみたら、タイヤもホイールも手洗いしてくれてました。洗車以外は全部自発的に気がついてやってくれるのがすごい。幼い弟や妹たちの世話をしていた長女のアミー。毎朝5時半には起きてたそうです。今頃お母さんは不便に思ってることでしょう。


唯一の弱点は料理。幸運にもこの家の亭主(つまり私)は料理好きで、自分でなんでもやってしまうので、この点は無理して不得意なことをやらずに済んでいます。

メイドさんについては、苦労してる日本人の話をよく聞きます。ロクに仕事せずにテレビばっかり見てるとか、ちょっと叱るとヘソを曲げてしまうとか...。だからフィリピン人は怠け者なんだと決め付けてしまうこともあるようですね。

でも私の知る限り、家内の友達や親戚の家で会ったことのあるメイドさんは、みんな人柄も良く働き者ばかり。アミーを紹介してくれた叔母さん自身もメイドさんで、これまたよく働く。初代メイドのカトリーナも決して怠け者ではありませんでした。ただ彼女は無断外泊が多すぎて、家内を怒らせてしまいましたけど。

で、やっと本題なんですが...アミーはバランガイの美人コンテストに出るほどの容姿。苗字が「モンテルデ」なのでスペインの血が入ってるんでしょうね。正統派のメスティーソ美人。日本人のお客さんが「まるでモデルさんみたい」と評したほど、手足がすらりとしたスレンダーボディ。

というのを実は最近意識し始めました。なんでかというと偶然フェイスブックでアミーのアカウントを見つけたのですが、プロフィールにコンテストに出た時の写真を使ってたんですよ。最初はアミーだと気付きませでした。メイクと衣装で女はここまで化けるのか? メイドなんかしなくても、他にいくらでも就職先が見つかりそうな気がするぞ。

そこへ行くと家内はさすがに手厳しい。時々アミーと笑いながら話をしても、用事を言いつけるときの口調は馴れを許さない毅然さですね。これはとても真似できません。


2015年9月5日土曜日

テレビの影響力


日本時間の9月4日夜に日本のテレビで、私たちの住むネグロス島を取り上げた番組が放送されたそうですね。急にこのブログのアクセス数がいつもの倍以上に跳ね上がったので、何が起こったのかと思いました。その後、複数のフェイスブック友達が放送について投稿していたので、原因が判明。

早速ユーチューブに全編がアップされていて、私も少し見てみましたが正直がっかり。以前からこの手のドキュメンタリー風バラエティ番組は、ヤラセが多いと聞いてました。ある海外在住の友人は取材を受けたものの、あまりに現実と異なる内容を強要されて出演を断ったことがあるそうです。

この番組、フィリピンのすごい辺鄙な村に、日本人女性が嫁いだという内容なんですが、肝心の売り文句にしている部分が現実と異なっている。まぁニュース番組ではないし、細かいところが多少事実と食い違っていても誰にも迷惑はかからないし、目くじら立てる方が大人気ないということなのか。

よく言われるように、現地で撮影をする以前に脚本のようなものが出来上がっていて、作り手が考えたシナリオに沿って「素材」を集めて編集してるとしか思えません。限られた予算と時間の中では、行ってみなければ番組にできるかどうか分からない、などというリスクは取れないから当然なんでしょうけど。

しかし日本ではテレビ離れが進んでいると言われて久しいけれど、やっぱりテレビの影響力はまだまだ大きんですね。


2015年9月4日金曜日

月収12,700円


貧困が社会問題とされるフィリピン。その中でも人口の数パーセントの地主に富が集中しているネグロス島は、特に貧富の差が激しいと言われます。四国よりやや小さいネグロス島の、西半分を占める西ネグロス州。その中核都市シライの市街地に住んでいると、確かに裕福な感じの人は少ないし子供の物乞いがいたりしますが、例えば昔インドのデリーやムンバイで見たような絶望的な貧困に比べるとずっとマシだと思ってました。

ところが先日、ネグロス島で活動する日本のNGOスタッフから教えてもらったところによると、シライ市民の収入調査の結果、全所帯の7割以上が月収5000ペソ(約12,700円)以下だったそうです。一人当たりではなく一所帯。平均なので家族構成はさまざまでしょうが、低所得者ほど子沢山の傾向は傍目でも顕著。恐らく4人とか5人とか子供を抱えている所帯でこの収入なんでしょうね。

フィリピンで生活してないと、5000ペソってどのぐらいなのかピンとこないと思います。ザックリした感じ、食材や衣服などの日用必需品を買ってるだけだと1000ペソが1万円札の使い勝手。そうすると日本的な感覚では5万円程度になるでしょうか。それで家族全員養うとなると、フィリピンでも相当厳しい。当然貯金はできない。

住む場所となるともっと厳しくて、2〜3LDKで50平米ぐらいの家を借りると5000ペソぐらい軽く吹き飛ぶ。そして意外にも高額になるのが電気代。かなり慎ましい生活をしている義弟宅でも、家族5人で月2000〜3000ペソも払ってるそうです。

こちらでは公立ならば高校まで学校は無料。しかし制服や校内での食事は有償なので、子供が何人もいたらちょっとツラい。毎日全教科の授業があり重い教科書を全部持っていくため、徒歩通学は難しい。輪タクに乗ると一日20ペソ(約50円)はどうしても必要です。すると通学だけで一人月400ペソ。通えなくなって小学校を辞めてしまう子供がいるというのも頷けますね。

我が家のメイドさんの月給は2500ペソ。常々安いな〜と感じてましたが、住み込みで部屋代も食費も光熱費も不要なのだから、それほど安いわけでもないと思い直しました。


18歳はもう大人?


このところ日本から伝わってくるニュースには「何じゃそりゃ?」と首を傾げたくなるものが多い。特に先月はオリンピックや安保法案など、実に騒々しかった。そのドサクサに紛れて...というわけでもないんでしょうけど、飲酒・喫煙を法的に認める年齢の下限を18歳以上にする件が話題に。法案ではなく、与党内での「提言」ですが、案の定あちこちから異論が出ているようですね。

選挙権を18歳以上に与えるんだから、大人扱いしよう。大人だったら酒もタバコも馬券もOK。そういう理屈なのか? 私がその年齢だった頃を思い起こすに、まだまだ子供っぽくて、とても大人とは言えませんでした。やっぱり最低でも自分の食い扶持を自分で何とかしてないと、大人の自覚は生じないような気がします。

フィリピンでの成人年齢はどうなっているかと言うと、少し前まで男女で違ってたらしい。男21歳、女18歳。その名残で日本の成人式のお祝いに近い「デビュー・パーティ」は、男女それぞれ昔の成人年齢の誕生日にします。(誰でもするわけではない。)因みにこちらでデビューは「デブ」と発音します。初めて聞いた時は、何のことかと思いました。

今では男女とも18歳で大人の仲間入り。ただし結婚や就職は21歳になるまで親の許可が必要。実態は結婚どころか16歳ぐらいで妊娠しちゃったとか、父親になってしもたなんてよく聞きますけどね。

まぁ親になる年齢は別としても、フィリピンでは大学の進学率は低いし、高校や、場合によっては小学校卒業してすぐに家計を助けるために働くのは珍しくない。大人並みの義務を要求するのなら、権利も含めて大人扱いしてやらないと不公平。我が家のメイドさんもまだ18歳なのに、ちゃんと働いて実家に仕送りしてます。

いつまでも子供でいたい「ピーターパン・シンドローム」という精神状態もありますが、一般的に子供は背伸びして大人扱いしてもらいたがるもの。でも、社会全体として子供が実年齢よりも早く大人になることを求められるのは、あまり幸せな状況とは思えません。フィリピンと日本、二つの社会を身近に見て、そんなことを感じます。